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2005年11月02日(水) ■ |
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本当は楽しくない「セレブ生活」 |
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「日刊スポーツ」2005.10/23号のコラム「見た聞いた思った」より。
(このコラムは、日刊スポーツの10人の記者が、毎日交代で書かれているものです。永井孝昌記者が、サッカーの欧州チャンピオンズリーグの取材で、ドイツのミュンヘンに行かれたとき。試合直前に取材許可が下りたため、宿が見つからず、唯一見つけた5つ星ホテルの1泊4万円の部屋に泊まったときの話。)
【値踏みされたな、って実感した経験、ありますか。
(中略)
当日。取材を終えてホテルに到着したのは、午前1時前だった。重厚な入り口の扉を開け、フワフワのカーペットの上をトランク引きずりながらフロントに向かうと、待っていたのは50歳ほどの、深夜にもかかわらず一切の乱れなく高級スーツを着こなしたコンシェルジュ。で、この人がオレを見る。とにかく見る。なめ回すようにオレを見る。ジャケット、時計、ズボンに靴。「今、ここを見てます」とはっきり分かるくらいあからさまに見る。あぁ、値踏みされてるな~」と実感して立ち尽くしていると、いきなり高圧的な口ぶりで「名前は?」と言われたからカチン、ときた。 「あなたは当ホテルにふさわしいお客さまではございません」といちいち感じさせるような口調と態度。頭に血が上った。「ポーターが必要か」という素っ気ない声をきっぱりと断って、部屋に入ると前夜は徹夜だったというのになかなか寝付けなかった。 だが一夜明け、冷静になって気付く。「あなたはこのホテルでは快適に過ごせませんよ」と言っていたかのようなコンシェルジュの応対は、朝、ネクタイを、化粧をした紳士淑女ばかりに囲まれたレストランでの朝食ではっきりと感じた居心地の悪さをあらかじめ伝えていたのだと。値踏みしていたのは財布の余裕ではなく、心のゆとりなのだと。そこでは、4万円払えば4万円分の快適が約束されるわけではない。代価では手に入らない精神性と格式が、そこにはあった。 代償を求める風潮。何かをすれば、それに見合うものが帰ってくるのが当然、という思考。その甘い認識にどっぷり漬かり、心の豊かさを失っていたのかもしれない。 「あいさつされても、あいさつを返さない先輩とはいかがなものか」と嘆くのは、目上に対して敬意を表現するという、あいさつの持つ本来的な精神性を忘れていないか。「メシをおごってやったのに礼もない」と怒るのは、おごった相手が悪いのではなく、おごる相手を見誤った自分の眼力不足ではないか。「そう考えられないのが、今のあなたの器量ですよ」。気高きコンシェルジュに、そう教えられた気がした。】
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値踏みされたな、って実感した経験、ありますか? 例えば、今日は贅沢しようということで入った高級レストランで、マナーを意識して緊張することばかりで、肝心の食事をあまり楽しめず、「やっぱり、気軽に食べられるいつもの店のほうがいいね」なんて、ネクタイをゆるめながら話した経験を持っている人というのは、けっして少なくないと思います。もちろん、「高級」にもいろんな理由付けがあって、「とにかくお客を楽しませることに全力を尽します!」というタイプの「高級」もあるのかもしれませんが、僕の経験上、「一流」と自他共に認めている店というのは、お客の側にもある種の「覚悟」が求められることが多いようです。そう、どこで「値踏み」されるているかわからないから。 テレビなどで、IT社長の「セレブ生活」の一部を目にして、ああ、あんな高級店をハシゴするような生活を送ってみたい!なんて思うこともあるのですが、実際にそういう生活をするには、お金があることは当然ながら、それと同時に、常にそれなりの緊張感を持つことが要求されるのですよね。 毎晩有名人と高級店で会食、ともなれば、あんまりラフな格好もできないでしょうし、お酒に飲まれて醜態をさらすわけにもいきません。ましてや、「セレブなIT社長」というのは、「子どものころから、セレブ生活に慣れている人々」ではないでしょうから、そういう生活が続くのって、けっこう辛いのではないかと考えてしまいます。堀江さんのように、自分なりのスタイルを世間に周知させてしまえば、どうにかなるのかもしれませんけど。
ここに1本の超高級ワインがあったとしましょう。ワイン通なら、全財産と引き換えにしてしてもいい、というほどの逸品です。でも、ワインの味がわからない僕にとっては、そのワインを口にするための、テイスティングとか、周りのワイン通のお洒落な薀蓄とか、どう飲んだらいいのだろうかというプレッシャーとか、とにかくいろんな煩わしいことがついてまわるそのワインを飲むくらいなら、気が合う人たちといつもの生ビールを飲むほうがよっぽどいい、ということになってしまいます。いや、「それでも、そのワインを自分は飲んでみたい」という人は多いのだろうし、それは別に、間違ったことではありませんが。
誰でも一度は「職業を持たずに崇拝され、年間数千万円もお金をもらえる皇族はうらやましい」「いや、あんな制約の多い生活は不幸だ」なんていうことを話題にしたことがあるのではないでしょうか。 皇族たちは、生まれてから「礼儀作法」に関する教育を受け続けているからまだしも、「成金」なんて呼ばれてしまう人たちにとっては、「上流生活」なんていうのは、けっこう辛いことも多いはずです。そして、そういう歪みみたいなものが、【4万円払えば4万円分の快適が約束されるわけではない。】ことに対して、「じゃあ、400万円ならどうだ!」というような行動に走らせるのでしょうか。 たぶん、「銀のスプーンをくわえて生まれてきた人々」を除いては、セレブにはセレブなりのストレスがいろいろあるのでしょうし、「セレブ生活」なんて、実際にやってみたら、そんなに楽しくないのかもしれませんね。 少なくとも、僕は「セレブ」には、向いていないよなあ……
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