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2005年02月25日(金)
It's not safe or suitable to swim.

「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」(江國香織著・集英社文庫)の表題作より。

【It's not safe or suitable to swim.

 ふいに、いつかアメリカの田舎町を旅行して見た、川べりの看板を思いだした。遊泳禁止の看板だろうが、正確には、それは遊泳禁止ではない。泳ぐのに、安全でも適切でもありません。
 私たちみんなの人生に、立てておいてほしい看板ではないか。
 私は、私たちの家族が、母の編んだ奇抜な縞模様の水着を着て、川を泳ぎ進もうとする光景を思い浮かべた。
 父は痩せっぽちだった。母は小柄で、私は中肉中背だが、妹も痩せっぽちだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 何事に対しても婉曲な表現を好む日本で、この手の看板が「遊泳禁止」とか「泳ぐな危険」といった直截的なものが多いのに対して、それこそ"Don't swim!"とか言いそうなイメージのアメリカの看板のほうが、むしろ「遠まわし」な感じなのは、ちょっと意外な気もします。「それでも泳ぐなら、それはあなたの責任ですよ」というのは、厳しいのか相手を尊重しているのか、よくわからないような気もするのですけど。

 僕にとっても、こうやって生きていくというのは、「安全でも、適切でもない」ことだよなあ、なんて、この文章を読んで、ひとつ溜息をついてしまいました。いろんなリスクとか不安・不満を抱えつつも、たまには自分が泳いでいる姿にウットリしたりもしながら、なんとか「泳ぎ続けている」のだと、あらためて感じたので。
 でも、その一方で、僕たちには「泳がない」という選択肢はないのだし、どんなに危険だといわれても、「泳げる場所」はここにしかないのだから、「安全でも適切でもない」なんて言われても、所詮、どうしようもないのかな、とも思うのです。
 そんなことわかってるよ、じゃあ、ここがダメなら、どこで泳げばいいんだ?なんて、つい考えてしまいます。

 「自分の責任で泳ぐ」か、それとも「泳ぐことをやめる」のか、泳ぐにしても、「用心深く、ゆっくり慎重に泳いでいく」のか「何かあったときは仕方がないとあきらめることにして、とにかく全力で行けるところまで行く」のか、ひとつの看板の解釈というのも、いろいろありえるのですけどね。