初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2004年10月06日(水)
腕時計をしない人、外でサンダル履きの人

「あるようなないような」(川上弘美著・中公文庫)より。

【「腕時計をしない人は信用しないことにしてるのよ」という声が後ろから聞こえてきて、驚いた。特急列車に乗っているときだった。
 「腕時計をしないってことはね、万人の時間にあわせず自分だけの時間で生きることを選ぶっていうことなの。腕時計しない人は、今の世の中で最も貴重な人の時間を無駄にしても、心咎めない人に違いないのよ。全然信用できないわ」
 聞いていて、どきどきした。腕時計を、私はしないのである。
 「それから、もう一つ、サンダル履きでぺたぺただらしなく外を歩く人も、だめね」声は続く。
 「あんなしめつけのゆるいものを履いている人は、きちんとした生き方が出来ないに決まってるのよ」
 さらにどきどきした。夏はいつだってゴム草履でぺたぺた歩いているのだ、私は。少し改まった外出には、ゴム草履そっくりの形の皮製のサンダルを履く。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、この話の主は、【後ろのボックスをそっと窺うと、スーツをきちんと着た女の人だった。綺麗な人だった。】そうです。
 しかし、この人が直接自分に向かってこんなことを言っているのではない、ということがわかっていたとしても、やっぱり川上さんはいたたまれない気持ちではあったでしょうけど。
 僕は以前、心理テストで「腕時計は恋人の象徴」という話を聞いたことがあります。要するに、「腕時計をいつもつけている人は、恋人と常にベッタリ一緒にいることを望むタイプ」で、「必要なときしか、つけない」という人は、「恋人と用事のあるときしか会う必要を感じない」し、「多くの時計を状況に応じて何種類かを使い分ける」人は、恋人も「シチュエーションに合った人を何人かのうちから選ぶ」のだとか。まあ、こういう心理テストというのは、大概「当たっているような、そうでもないような」ものですから、あんまり深刻に考えても仕方がないのですが。
 ちなみに僕は、「必要なときだけつける」という感じです。そして、腕時計はしょっちゅうなくすし、本当に必要なときには見つからないことが多い気がします。

 よく「男の経済力は、時計と靴を見ろ」って言いますよね。スーツなどは仕事で必要な人はムリしてでも良いものを買うけれど、時計や靴までは、本当にゆとりがないと手が回らないものだから、って。とはいえ、この話がここまで人口に膾炙してしまっては、みんな注意するようになるでしょうから、現在ではあまり有効な「見分け方」ではないのかもしれません。

 それにしても、この女性の「人を信用する基準」というのは、あまりに表面的すぎるのではないかなあ、と僕は思います。
 確かに「時計がないと困る人」とか「サンダル履きが向かない職種の人」というのは存在しますし、いわゆる「お堅い仕事」の人が多いのでしょう。僕が以前勤めていた病院では、「医者のサンダル履きは、見栄えが悪いから止めるように」なんてことが、会議の議題になったこともあったくらいですから。
 逆に、「夏場はラクだし、手術場に入るときにすぐに脱いだり履いたりできて便利」なんて意見も現場からはあったんですけどね。

 たぶん、この女性は、ものすごく真面目な人なのだと思います。でも、【腕時計しない人は、今の世の中で最も貴重な人の時間を無駄にしても、心咎めない人に違いないのよ。】って、実際は、その人にとっての「他人」つまり、「私の時間を無駄にしないで」ということなのではないか、という気もするのです。こういう人とは、仕事上ではおつきあいがあっても、プライベートでお友達にはなりたくないなあ、なんて僕は身震いしてしまいます。サンダル履きにしても、日常生活では人に不快を抱かせないような格好であれば、責められる筋合いはないような気もしますし。
 さすがに僕も友人の告別式にTシャツ・ジーンズで来る人は「非常識」だと感じますから、そういうのには、人それぞれの「許容範囲」があるのには違いありませんが。
 「じゃあ、纏足(昔の中国で、女性の足のサイズが大きくならないように足を締め付けていた習慣)をしていた女性たちは、みんなきちんとした生き方をしていたんですか?」とツッコミを入れたいところなのだけどなあ。

 とはいえ、世の中には、こういう考え方をしている人がいるというのは事実ですし、「いる」どころか、けっこう多数派なのかもしれません。
 そんな自己完結的な「御高説」を聞かされている時間ほど、人生でムダな時間というのもないような気もしますが、こういう人は「持論を語りたがる」ことが多いんですよね。
 そう思うのは自由だから、自分だけで実行して「立派な人間」になっていればいいだけのことなのに。