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2004年06月14日(月)
大統領とファーストレディと「愛されなかった娘」と

朝日新聞のコラム「天声人語」の6月13日分より。

【「よく私が父の部屋に入っていくと、父は読んでいたメモから目を上げて、いったいこの子は誰なのだろうという顔をしたものだ」。レーガン元米大統領の娘パティ・デイビスさんが幼いころの思い出を『わが娘を愛せなかった大統領へ』(KKベストセラーズ)でつづっている。】

全文はこちらを読まれてください。そんなに長いものではないので、ぜひ。

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 「理想の家族」というのは、所詮、フィクションの中にしかないのでしょうか?
 僕は、子供の頃には「お母さんが働いている家庭」なんてのに憧れていましたし、休日にお父さんが家にいて、家族サービスをしてくれるような家庭を羨ましいと思っていました。いろんなものを「アレ買って!」とねだりながら、その一方で「お金さえ出せばいいと思っている」なんて反発もしていました。傍からみたら、「幸せそうな家族」に見えていたのかもしれないけれど、その「幸福」を実感した記憶というのは、ほとんどないような気がします。
 もちろん「当時は気がつかなかっただけ」なのかもしれませんが。
 
 この「天声人語」で語られている「現在の世界最高の権力者」である、アメリカ大統領の家族の物語は、僕に人間の、そして家族の「業」みたいなものを突きつけてきます。
 「理想の家族」を演じ続けなくてはならない運命を抱えてしまった、どこにでもあるバラバラになってしまった家族の肖像。
 地上最高の権力への階段を登るために、レーガン一家が捨ててきたもの。
 どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションだか境界がわからなくなってしまった「家族」という関係。

 僕は30年以上も生きていますから、「休日は家にいて家族サービス」という親の家庭が必ずしも家庭円満なわけでもないし、ほとんど親が家に帰ってこないような家でも、それなりに仲良くやっていける場合もある、ということを知っています。理想の家庭を築くための方程式というのは存在しないのでしょう。
 今の僕にはその方程式がわからないだけで、世界のどこかには存在するのかもしれないけど。
 「不幸な家庭」を築きたいと考えている人なんて誰もいないはずなのに、すれ違いというのは起こってくるもの。

 元大統領の葬式の際に、パティさんは「心をこめた父親をしのぶ挨拶」を行い、ナンシー夫人は棺に頬を寄せて別れの言葉を囁きました。
 「死」がすべてを洗い流したのか、時間が解決してくれたのか、娘も大人になったのか、それとも、そういう「満たされないもの」もまた、「家族」という繋がりの宿命なのか。

 「完璧な人間なんていない」
 そんなことは、誰かに言われなくてもわかっているはずなのに…

 「完璧な家族」を演じる「普通の家族」って、たぶん「悲劇」ではない、「どこにでもある光景」でしかなくて、それがまた僕をせつなくさせるのです。