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2003年10月23日(木)
「中学生の作文みたいな文章を書く」人気作家

「トンデモ創世記」(唐沢俊一・志水一夫共著・扶桑社文庫)より。

【唐沢「あとで聞いたら、そのコンテスト(第1回奇想天外新人賞)のとき、星新一さんが新井素子を押したんだって。これからはこういうのがウケるんだ、と。山本会長には気の毒な話だけど、それで一時代を築きましたからね、新井素子。
 その「シネマテイク」に行ったとき、受付で奇想天外社の本が販売されているんですよ。立ち読みしてたら並木が「新井素子って新人知ってる?」って聞くんで、「ああ、あの中学生の作文みたいな文章を書く女の子?」って答えたら、グワーっと奥に連れて行かれて、「あそこで売ってるのが新井素子だ!」って(爆笑)。新人作家時代、お手伝いしてたわけですね。あまりに面白い話で、本当にそこに新井さんがいたのかどうか、確かめてはいませんが。」

志水「実際にありえる話(笑)。」

〜〜〜〜〜〜〜

参考リンク:「『奇想天外』新人賞・選考過程」

 この本は、「オタク界のパイオニア」である両名が、対談形式で想い出を語る、というものなのですが、この新井素子さんのエピソードを読んで、僕も自分が中学生から高校生くらいのころを思い出しました。

 上記参考リンクの「奇想天外・新人賞」に入賞したことによって、新井素子さんはデビューされたのです。
それにしても、この審査員の顔ぶれ(星新一・小松左京・筒井康隆)の顔ぶれの豪華なことと新井さんの作品についての評価の割れっぷりには、その後の彼女の活躍を考えると(そして、他の候補者たちの現在と比較すると)なかなか興味深いものがありますね。

 新井素子さんは、僕よりちょうど一回りくらい年上の1960年生まれ、17歳のときに「あたしの中の……」でデビューされました。
当時は、「17歳・高校生の美少女作家」として、かなり話題になったのだとか。
もちろん、デビュー当時のことは、当時小学校に上がるかどうかだった頃の僕は知りませんでしたけど。

 小学校高学年〜中学生くらいで、ちょうど活字の文庫本を読み出すようになってからも、僕は新井さんの本に接する機会はなかったのです。
正確には、「あんなのは子供が読むものだ」と読んでみようともしなかったのですが。
 女の子の口語体(というか、独り語り)のような文体を少しだけ読んで、「ケッ!見かけがカワイイばっかりで内容が無くても売れてるだけじゃん」とか思っていました。
まさに「中学生の作文みたいな文章を書く女の子」というイメージ。

 筒井康隆さんは、上記の選考過程のなかで「文章が幼くてかわいらしいのを、星さんは、『文章がいい』と勘違いしているんでしょ」と言われていますが、当時彼女より年下だった僕にとっては、もっとキツイ言い方をすれば「カマトトぶってんじゃねえよ!文学を舐めるな!」という印象だったんですよね。新井さんの作品って。
まともに読んだこともなかったにもかかわらず。

 しかし、高校生のとき、同級生に「ひとめあなたに……」を強く薦められて読んでから、僕の新井さんに対する評価は急変しました(ちなみに、彼はその前に僕に筒井康隆を薦めてくれた人物でもあります。デビュー時の新井さんに対する筒井さんの酷評を読んでみると、不思議な縁というか…)。

 新井素子さんは、近作でも「おしまいの日」とか日本SF大賞を受賞された「チグリスとユーフラテス」という傑作を世に出しておられます。無論、新井ワールドの面影は残しつつ。
 今から考えると、星新一さんの「先見の明」には驚くばかり。
 「年が若くてかわいい女の子」とかいうのが、むしろ偏見の要因になっていたんですね。
 当時はなんとなく読むのが恥ずかしかったんだよなあ、新井さんの本って。
やっぱり、あの「…なのよね」とかいうのには、抵抗があったんだって、実際。

 まあ、現在でも、書店で平積みになっている「話題の女子高生の本」とかを見ると、「これだけは絶対手に取らないぞ」とか思ってしまいますから、僕自身の偏見は、あんまり変わっていないのかもしれませんけど…