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2003年01月18日(土)
「ブラックジャックによろしく」だった頃。


「ブラックジャックによろしく」(佐藤秀峰著・講談社)より。

(重症で、助かる見込みのない患者に最後まで延命治療を続けようとする主人公の研修医・斉藤英二郎と彼の指導医である外科医・白鳥先生との会話より)

【白鳥「どうして、そのまま死なせてやらなかった…?斉藤先生…
    やるなといった腹膜透析まで行うなんて…
    くどいようだが、単なる延命処置は国民の医療費の無駄遣いだ」
 斉藤「……
白鳥先生…
医者が患者を助けようとするのが、そんなにいけないことですか…!?」
 白鳥「私はこういう患者を何百も見てきた
    死にゆく者は、静かにみとるべきだ
 斉藤「それじゃあ、だまって死ぬのを見てろって言うんですか…?
 白鳥「その通りだ…」】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕にも、研修医の時期がありましたから、この場面を読んで、当時のことを思い出しました。主治医として、最初に看取った患者さんのこと。
 その方は、肝硬変の末期の患者さんで、もう意識もなくて、検査データの数値も厳しいものだったのです。GOTやGPTは4ケタで、感染症も併発。血小板も数万で、出血傾向顕著。さらに、静脈瘤の破裂も起こされて、手の施しようがない状態で。
 まだ医者になりたてだった僕は、指導医の先生ついて、家族説明の場にいたのです。
 なんとかならないんですか!というご家族に、指導医の先生は、ご家族に「こういう理由で厳しい状態です。延命治療を行っても、ご本人が苦しまれるだけで、あまり意味はないと思います」と説明されました。
 それから、病室に戻って、僕は「治療マニュアル」などを斜め読みして「透析はどうですか?」とか「輸血は?」「γ―グロブリンは?」などと指導医の先生に相談したのですが、先生は「必要ないよ。まあ、昇圧剤くらいは、家族が間に合わなさそうだったら、使っていいけど」と言われました。僕は、それが不満で不満で。
 患者を助けるために最後まで全力を尽くすのが医者の責務ではないか、って。
 指導医の先生に、この漫画のようには反論できませんでしたけど。
 ただその夜、指導医の先生が、当直でもないのに「何かあったら呼んでいいから」と言って、一緒に病院に泊まってくれたことは、よく覚えています。
 その夜に、患者さんは御家族に看取られて亡くなられたのですが。

 あれから、もう6年が経ち、僕自身も指導医として患者さんと研修医の間に入ることがありました。
 そして、その立場から考えると、あのとき延命治療をする必要がないと言われた指導医の先生の気持ちも、よくわかるのです。それは、医療経済的な面だけでなく。
 命を助けるための治療はともかく、延命治療というのは、医者にはもちろんですが、家族の側にも負担をかけるものです。経済的にももちろんだし、精神的にも。
 もちろん、延命治療をしないことによっても、精神的負担がかかる場合もあるでしょうが、苦しんでいる様子の患者さんの傍についていると、積極的な安楽死は志向しなくても、「楽にさせてあげたい」という気持ちも出てくるようです。
 それに、命が途切れる瞬間に、医療関係者が家族に部屋から出てもらって、バタバタと心臓マッサージや人工呼吸を行うというのも、なんだかせつないことのような気もします。
 「正しい尊厳死」なんてのが存在するのかどうか、僕にはよくわかりませんが、少なくとも家族や周りの人たちにとって悔いが少ない亡くなり方というのはあると思うのです。

 そういえば「医者は命を救う職業じゃなくて、患者さんにいい死に方を提供する職業なんだ。助かる人は、その人の生命力で助かるんだよ。医者の力じゃない」と僕に言った先輩がいたっけ。

指導医としては、「延命治療をしたい」という研修医は、「けっこう見所があるな、コイツ」と思ったりするのですけれど。