監督:アレクサンドル・ソクーロフ 出演:イッセー尾形 ロバート・ドーソン 佐野史郎、他 オススメ度:☆☆☆☆−
【あらすじ】 1945年8月。既に宮殿は焼け落ち、僅かに空襲を免れた生物研究所と地下退避壕で生活する昭和天皇ヒロヒトは悪夢にうなされていた。もはや本土決戦もやむなしという戦局の中、ここまで戦争を止められなかった原因を思い、そして戦争をまた止めさせる為に自分が何を成すべきなのかを思うヒロヒト。彼は連合国占領軍総司令官・マッカーサーとの会見を前に、ある一つの決意を胸に秘めていたのだった。
【感想】 ロシア人監督の製作による、「終戦直前の昭和天皇」を描き出した問題作。 単館上映にも関わらず連日大入りの大反響で、既にマスコミでも取り上げられているのでご存知の方も多いでしょう。
昭和天皇に関しての資料は随分残されているので、戦後になってから当時の昭和天皇の様子等がいくらかは既に報道されていますが、少なくとも本作は「フィクション」であって、実際にこういう会話が交わされていたという証拠はないだろうと思います。本作も膨大な資料を下敷きに多少の事実と多くの脚色によって構成されているのだろうとは思います。 ・・・まあ、でも「こんな感じだったのかもなー」くらいのリアリティは充分にありましたね。
ぴよが物心ついた頃には、既に昭和天皇はひょうきんな風貌のおっさん状態になっていたので(コラコラ)、かつてこのお方が「現人神」と呼ばれたというのは歴史の授業で習ったものの、TVに写る「元・現人神」を見てもピンと来なかった。 でも、1番ピンと来てなかったのは実は天皇ご本人だったんじゃなかろうか?と、この映画を見て思わされましたね。
映画自体は非常に淡々と、天皇の様子を描き出して行く。 昭和天皇は茶目っ気たっぷりに描かれていて、根本的にとても真面目で誠実なんだけど、その誠実な様子が時として観客の目にはユーモラスで奇異なモノに映る。 米兵に「チャップリンに似てる」と茶化されているのに、本人はどこ吹く風。周囲で見守る侍従が我が神を冒涜されていると憤慨しているのに、ご本人は「私はチャップリンに似ているかね?」と飄々とした表情で侍従に聞く姿は印象的。 余りにも純粋に、余りにも「悪」に触れずに育つと、他人の悪意が理解出来なくなるんじゃなかろうか?
東京が焼け野原になっていても、天皇の日常生活のスケジュールは正しく「浮世離れ」している。食事を取って御前会議に出席した後は、日課の海洋生物研究に身を投じる。それが終われば午睡をして体を休め、そして時に家族の写真を取り出して眺め、戦前に大好きだったハリウッドスターのプロマイドや絵画を眺めたりする。
「お前、世の中そんな場合じゃないんだよ」とはちょっと口に出来ない「浮世離れ度」なのだ。 余りに朴訥で余りに子供じみた昭和天皇の様子に、マッカーサーは随分拍子抜けしたものだろうと思う。
自分が「神」と呼ばれている事にずっと違和感を持ち続け、そして自身が「自分は人間だ」と宣言する事で、戦争を終結させる事が出来るだけではなく、ようやく「現人神」という長い呪縛から解き放たれるという安堵の気持ちが、当時の昭和天皇にはあったに違いないと思う。 自分が神ではなくなる事が、日本国民全ての幸せに繋がると信じたに違いないと思う。
でも、天皇を「現人神」だと思うからこそ「天皇陛下万歳」と叫びながら敵艦に我が身を投じていった多くの尊い国民の魂は、一体どこに行ってしまうのだろうか?と思わずにもいられない。 天皇が現人神だからこそ、我が身を滅ぼしても守りたいと散らした命は、どこに行ってしまうのだろうか?
映画のラスト、天皇の人間宣言を録音した若い技師が自決した事を告げられて愕然とする天皇の姿が悲しい。 これで国民を幸せに出来る、これで長年違和感を抱き続けた「現人神」という呪縛から逃れられると純粋に考えて決断した結果が、国民を絶望させる等とは天皇には想像もつかなかった事だろう。 昭和天皇は余りに純粋過ぎた。そして自分の名が軍部の思惑でどんな風に利用されていたのか、彼は知らなさ過ぎた。
事実はこの映画とは随分違うのかもしれない。 でも、子供の頃にTVで見た「昭和天皇」のお姿を思い出すと、この映画のような日常で、こんな展開があって人間宣言をするに到ったのかもしれないな・・・と思わされるだけの説得力がこの映画にはあった。 ぴよがTVで見た「昭和天皇」は、やっぱり浮世離れしていて掴みどころのない、無垢で純粋な人に見えた。
日本人には決して撮る事の出来ない、実に興味深い映画でした。 見終わった後、色々考えさせられましたね。本作を戦争体験者の方が見たら、どんな感想を持つのでしょう?
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