2006年03月27日(月) |
白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々 |
監督:マルク・ローテムント 出演:ユリア・イェンチ アレクサンダー・ヘルト ファビアン・ヒンヌリフス、他 オススメ度:☆☆☆☆
【あらすじ】 1943年2月18日、「打倒ヒトラー」を呼びかける組織「白バラ」のメンバー・ゾフィーと兄のハンスは、大学構内で反政府のビラを撒いた所を見つかりゲシュタポに連行された。20年のベテラン尋問官モーアに取調べを受けるが無罪を主張、取調べで得られた証言の信憑性が買われて釈放となる寸前、家宅捜査によって「白バラ」のメンバーである証拠が次々と見つかり、遂には信念を貫き自分がやった事を認める証言をするゾフィーだった。
【感想】 第二次世界大戦下のドイツで、実際にあった反政府活動グループ「白バラ」の紅一点にして最年少メンバーだったゾフィー・ショルが、大学構内でビラを撒く前日〜処刑された2月22日までの最期の6日間を映画化。 本作は90年代に入り、旧東ドイツで発見されたゲシュタポの尋問記録によって、史実に則り忠実に当時の尋問での遣り取りやゾフィーの様子が再現されたそうだ。
本当に相当忠実らしい。(白バラの活動についてほとんど知らないんですが・・・) だから映画の作りも真面目で、よくある「お涙頂戴」的な演出は全くない。どちらかと言うと記録映像的な感じの作り、と言うか本当に「記録映画」と呼んでも差し支えないんじゃないだろうか?
この作品を見てネ・・・臆病者・卑怯者の方が長生きするんだよなぁ、と思いましたよ。←いきなりコレかよ(苦笑)
ゾフィーは2回も「命拾い」出来るチャンスがあったのだ。 1回目はビラを撒く前日、大学構内にビラを撒くという兄ハンスの主張を「危険過ぎる」と反対したメンバーから「ゾフィーは巻き込まないでくれ」と頼まれるくだりがある。 それなのに、彼女は進んで兄を手伝って自らビラを撒いて逮捕されてしまった。
2回目はモーアとの尋問時。 ゾフィーの確固たる信念に脅威を覚えつつも彼女の聡明な人柄に何か思うトコロのあったモーアは、彼女に「他のメンバーの名前を言えば、自分はビラ撒きを手伝っただけで白バラのメンバーではないと調書を書き換える」と提案する。 ところがゾフィーはこの最後の大チャンスを棒に振って、事実のままの調書にサインをしてしまうのだ。
自慢じゃーないが、もしぴよがゾフィーの立場だったら泣き崩れてホイホイと他のメンバーの名前言うネッ!(をい) もっともそんな口の軽い信念のないオンナだったら、モーアも心動かされて調書の捏造なんて提案してもくれなかっただろうと容易に想像は付きますが(あうぅ〜!涙)、それでも「生きてナンボ」と思うんですよ。
信念を貫く事の難しさ、貫く事の高潔さをゾフィーの様子からひしひしと感じるものの、高潔な人間だったが故にその若い命を散らさなければならなかったという皮肉を、ただ「感動したー♪」だけで終わってしまっていいものだろうか?と。 ゾフィーはクラッシックを愛し、勉学に勤しみ、そして恋愛をする、聡明で愛らしい普通の女性だったハズだ。 それがドイツのあの時代に生まれて、自分の信念と良心を貫いたが為に2度もあったチャンスを棒に振って、死ななくても済むトコロを処刑されてしまったとしたら(ってか、それが事実なんだが)、余りに悲しいではないか。
いつの時代にも、聡明で高潔であったが為に「割を食う」人達がいる。その影でそういう人を英雄視しながらも、何もしないで命を長らえる大多数の小市民達。いつの時代も変わらない縮図。 ゾフィーも他の白バラのメンバー達も、「伝説の英雄」なんかになりたかった訳じゃないだろう。死後いくら彼女達を持ち上げても、個々の意識が変わらなければやっぱり同じ歴史を繰り返すのだ。
では自分は何が出来る?彼女のように生きられる?・・・恥ずかしいが「否」としか言えない。
ただ、こうやってのうのうと卑劣に生きていく事を「恥ずかしい」と思えるだけ、この作品を見た甲斐はあっただろう。 この映画は何も啓蒙しない、何も主張しない。だけど淡々と事実を突き付けられる事で、どれだけ自分が臆病な卑劣漢なのかを自覚出来ただけでも・・・この作品(と言うよりも事実)にはパワーがあったんだろうと思う。
「映画自体の作りがどうこう」という評価はちょっと難しいですね(何しろ本当に記録映画的ですし) ですが、見て決して損はないです。是非若い世代の方に多く見て考えて欲しい作品でした。
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