表情。


2005年06月25日(土)
注:今日の日記の内容に、聴力障害者の方に対する他意はありません。

普段の日は書くのに困るほどネタがないのに、
週末になると、そういうものに一気に遭遇する。

今日は法事で久々に親戚が集まったとか、
乗ったタクシーの運ちゃんがかなりオモロイ人だったり、
スポーツクラブで新しい器具を使い始めたり…とか。
ただ、それ以上に印象的だったことが一つあったので、それを書こうと思う。
上にあげた物については、別の機会にでも。


それは、都内に向かう東海道線の車内の事。
扉脇のスペースに立ってMP3プレーヤーを聞いていたら、
向かいの位置に立っている人が気になった。
父親とその娘さんと思しきその二人は、なにやら身振り手振りをしていた。

最初は「なんだろう…?」と思ったけど、じきに手話だと気づいた。
両者ともか、片方だけかはわからないけど、聴覚障害者なのだと思う。
ちょっと気になったので、会話の邪魔にならないように見ていたら、
手話をかわす二人の表情が、とても豊かな事に気がついた。

その時、昨日も似たような光景に会ったのを思い出した。
昨日の会社に行く地下鉄の車内、母親と子供が同じように手話で会話をしていた。
そのときの二人の表情(特に子供)も、同じようにとても豊かなものだった。

きっと、手話の限界を超えるための、表情の豊かさなのだろうな…と、
昨日の出来事を思い出しつつ、面前の風景を見ながら思った。

聴覚に障害があると言う事は、喋ろうとしても自分の声が聞けないから、
結果として言葉を理解しても、声を使ったコミュニケーションが出来ない。
そのために手話がある。とはいえ、手話には抑揚や感情がこもりにくいと思う。
そこで、感情表現を強くサポートするのが、顔の表情なのかもしれない。

表情は端的に感情を表すし、それだけ相手に手話にこもる気持ちを伝える。
だから、手話を使う人は自然と表情が豊かになるのかもしれない。
その二人は、あまり会話のない土曜昼の電車内、輝いていた気がする。


一方、最近の人達は表情が乏しいような気もする。もちろん自分も含めて。

ちょっと短絡的とも言われそうだけど、昨日今日のニュースにもなっている、
福岡で兄を刺殺した15歳の弟は、取調に対して一切の動揺を見せていないとか。
殺人を起こしたら、何らかの表情や動揺が現れてしかるべきだと思う。

これに限らず、最近の事件では容疑者に上がった人間に対して、
近所や同級生は「あんな大人しい人が…」とか、
「彼は真面目だった」とかいうものが少なくないような気がする。
彼らは、人前で表情を出して助けを求める事をしなかったのだろうか?

もしかして、今の世の中で表情を出すことはマイナスに働くのかも??
なんかちょっと考えがまとまらなくなってきた。
ただ、電車の中で自分が見た二人は、とても生き生きしていた。
表情は会って当然のもの、それは間違いないと思うのだが。

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帰り道で本屋に寄ったら、恩田陸と大崎善生の文庫新刊を発見、即買い。
電車での睡眠時間を読書に充てたいなぁ…

BGM : 花水木 / 槇原敬之♪



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