惜春別日乗
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いやはや、実は風邪で寝こんでましてね、日記書けなかったんです。
待ってくださってる方ごめんなさい。
はたしてそんな奇特な人がいるのか?(w
ベッドの上で、昨日婦人公論 を読んだりしてました。
たまに読むんですよ。活字に飢えた時、小説とかは苦手なもので、こういう雑誌が好きでしてね。
特集のお題は娘は母から逃れられないでした。
読みながら考えたことを今日は書きます。
ネタが無かったから?(w
ネットの掲示板等でも見かけるんですが、親(特に母親)に対する気持ちは、ほんとネガティブな人が多いですね。
自分の今の姿(容姿だけでなく、今の状態も指します)が親のせいだと言ってはばからない。
気持ちはわからんでもないんですけどね。
私もかつては そういうところが少なからずあったし。
でも今は、母が歳を取ったということもあるけど、もっと客観的に見ることができる。
多分離れていることも、良い方向に向かせてくれてるのかもしれません。
母 という存在って不思議ですよね。
自分自身ではないんだけど、自分を一番わかっている(或いはわかっていてくれていると思いたい)存在。
何を言っても結局許されると錯覚してしまうような、そんな気安さがあって。
でもそれが故 娘 にとってはいろいろあるんですよねぇ。
多分 母 と息子 ではありえないようなことが。
つまるところ、母も人間なわけで。
ストレスを抱えたり、思うようにならないイライラを発散するのに、
つい甘えてしまう・・・その矛先が娘に向かう。
推測ですが、多分息子だったらそうはしないんじゃないかと思うのね。
同性だからわかるだろうというのもあるから。
こういったことは、人の親になって、ようやくわかるのかもしれない。
というのは、私自身そうだから。
もっとも理知的な方はそうではないかもしれませんが・・・。
思うに、母と子というのも出会いということでは同じで、
その縁が良かったか悪かったか、これはもう運としか言いようがない。
そして二人がどう生きるかによって、関係も変わるし。
やっぱりキーワードは自分を持っている ということなのね。
※もちろんこれを乳幼児や小学生とかの、小さい子に求めるのは無理ってもんです。
でもなんていうか、小さくてもやっぱり一つの人格なんですよ。
それは大事にしないといけないよね。おもちゃじゃないんだから。
親の過ちを追及するんじゃなくて、黙って許してあげる。
そして笑って負けてあげる。これって難しいんだけど、できるようになりたいです。
親となってわかったけど、子供を育てるってとても辛い。責任も重大だし、
子供の考えている事全てなんてわかりようもないし。
よかれと思ってしたことが・・・なんていうことも多々ある。
だから 今は思うんですよ。
母も必死だったんだろうな って。
未だに話をしたり密なつき合いは苦手で、合わない という思いからは逃れられないけど、
だからといって捨てるような気にはならないです。
勝手な言い分かもしれないけど、親って遠くから心配するもの なのかもしれませんねぇ。
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