Sotto voce
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2012年12月05日(水) 10年。

さすがに、監視されまくりのこの日記を
続けるか、よそに移転するか、ばっさりやめるか
そういう時期に来てるわけだが。

でも10年同じところで書き続けてりゃ、
己の過去の行動を振り返るのに便利だったり。
同じ時期に表向きの日記(笑)として書き始めた
日記サイトは軒並みサービス停止で、閲覧できなくなってるのに、
ここだけは、書き始めた11年分の歴史がちゃんと残っている。

職場の先輩が、定年を前にして、
離婚を前提にした別居に踏み切った。

かれこれ1ヶ月になるわけだが、
職場の中でそれを知っているのは、
どうやら私ともうひとりの同僚だけらしい。

その先輩と久々に同じシフトになり、
会話の中で、両親が離婚して何年になるのか、と聞いてきた。


そこで思い出した、
今年で両親が別居に踏み切ってから満10年だと。

この日記の、10年前の12月に、両親が別居に踏み切った、
母と妹が家を出たときの様子が記されていた。


あれから10年。
本当にあっという間だった。
私は前の職場にいて、
今調理師と言う仕事をしてるなんて思いもよらなかっただろう。

満10年を迎える寸前、母が倒れた。

それでも、じっとしてることの大嫌いな母は、
積極的にリハビリに励んでいる。

おそらく仕事は続けられないだろう。
続けられたとしても、倒れる前の状態が10なら
復職して7や8のレベルにもいけるのかどうか。

妹が、母に同居の申し出をしているらしい。
働くことが何より生きがいの母が、
知り合いのほとんどいない、妹の住む町で
いまさら再就職もかなわないだろうし
じっとして生きていくことが出来るのだろうか、と思うけれど、
私は父と暮らしている以上、
父と母の復縁がない限り、昔のように、住み慣れた我が家で、
畑仕事しながら暮らせばいいよともいえない。

とはいえ、母をひとりにしておくのはやはり不安だったり。

今回のことにしたって、
幸い自覚症状があって、友達の協力や
かかりつけ医師の機転があってこそ最悪の状態は免れたけれど、
倒れたまま誰にも見つけられずに…という可能性は十分にあったわけだ。



胸に沸き起こるいろんな不安や心配。
とはいえ、このもやもやした思いを己の心にしまったまま、
それがだんだん積もっていくばかりで。

本人の意思もあって、
このことは最低限の知り合いにしか知らせていない。
私も、職場はもちろん友人知人にも誰にも、
このもやっとした思いを話せないままで。


SNSの日記にもこんなこと書けやせずに、
極力明るい話題、当たり障りのない話題を綴っているけれど
いろんなもやもやはどんどんたまっていく一方で。


安積 紗月 |MAILHomePage

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