Sotto voce
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2003年08月14日(木) 祖母の三十三回忌。

実際の命日は18日なのだが、みんなが集まりやすいということで

毎年8月14日に父方の祖母の年忌法要がある。

しかも今年は三十三回忌にあたるということで、親戚が一同に介すことになった。

この話が決まってから,私はいやな予感がしていた。

法事で親戚一同が集まったとき、

両親の別居について話題が集中するのではないかと。

私たち父娘に唯一理解を示してくれる叔母(父の妹)にも

「健闘を祈る」とまで言われる始末(汗)。



さて、法事終了後。

最初は世間話に終始していたが、そのうち予想通り話題は両親の話へ。

親戚一同よってたかって復縁しろだの

父に向かっておまえが頭を下げればすむだの

挙句の果てには私が結婚するときに両親そろってないとカッコ悪いだの。

いいたいことはごもっとも、な部分もある。

だけど、そのうちよくよく聞いていると、

自分たちの世間体もあるから復縁してもらわないと困るといういい方にもとれて。

親子そろって愛想笑いや話題の展開は得意なほうだが、

さすがに親父さんがだんまりを決め込み始めて。

こうなってくると親父さんが機嫌が悪い証拠。

私も張り付いた笑顔の裏側では怒鳴り散らしたい衝動をぐっとこらえるしかなく。

やっとその話題から開放されたときにはさすがに疲れてしまった。


母が常々

「長男と親戚の多い先には嫁に行くな」と言っていたが、

後者については母の体験上から出てるんだろうなと思う。

同じ鹿児島県内ではありながら、環境も生活習慣も全く違う土地から嫁いだ母。

第二次世界大戦中に母のふるさとの島出身の人たちが、うちの町の山奥のほうに

いわゆる「満州からの引揚者」として住み着いた経緯があり、

母の地元とわが町は姉妹町盟約を結んでいる。

そういう経緯があるから全く馴染みのない土地ではないはずなのに、

親戚たちは母を馬鹿にし、何かあってはからかい苛めた。

母のみならず、親戚でもなんでもない近所のお姉さんたちがそう言っていたから

間違いないのだろう。

母が祖母からもらった着物を、母の入院中に叔母たちが勝手に家に上がりこみ、

何の許可なく和箪笥から持ち出して着ていた、と言うことまであったらしい。

母は歯を食いしばり、必死で働いてやっと親戚連中に認められるようになった。

その母が家を出たのは、もちろん父が最大の原因だが、

親戚連中の過剰な詮索や干渉から逃れたかった、とも言っていた。

母が出ていって、今まで以上に親戚づきあいにかかわるようになって、

それを痛感した。

ただでさえ田舎の人は干渉・うわさ好きときているのに

身内となると余計それが激しくなってくる。

生まれ育ったこの町は大好きなのに、

親戚連中と付き合っていかなければならないかと思うと、

何もかも放り投げて出て行きたくなる。

ただ、今の私は家を出る理由が何もないし、

さすがに父を放っておくわけにはいかないので、

結婚でもしない限りは実家暮らしを続けるのだろうけど。


安積 紗月 |MAILHomePage

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