世界伝道祈祷会でした

今日の講師は、ウィクリフのバヌアツ識字宣教師・渋澤先生ご夫妻。
まず、奥様のお話が素晴らしかったです。

電気も水道も何もない南太平洋の島・バヌアツに行った先生ご一家は、
その日、自分たちが食べる魚を海で釣る方法も、地べたで火を起こして
タロイモを焼く方法も何も知らず、雨水を貯めないと飲み水もない
という状況に於いて、自分たちがどんなに非力で何も出来ない者かを
思い知ったそうです。

日本では、いつも何かしら働いていなければならなくて、ボーっとして
いてはいけないと皆が思っています。常に高密度で働いていることに
慣れた日本人としては、午前中にあれもこれもやって、午後はあれ、と
分刻みにスケジュールを埋めていくのが普通です。

それなのに「宣教のため仕えるぞ」と意気込んで行ったものの、言葉も
通じないし島の人の生活ペースがのんびりゆっくりだしで、日がな一日
何もせずにただ聖書を読むか祈るかするしかなくて、いたたまれない
思いをされたそうなんです。

最初の一年間は島の人々に全てやってもらい、仕えるどころか逆に
彼らに仕えてもらうことになり、ご夫妻は無力感に打ちのめされました。

でも、その時、『私の愛のうちに留まっていなさい。そうすれば、
あなたがたは実を豊かに結ぶようになる』というイエス様の言葉を
思い出しました。何もしなくても、イエス様のうちに留まっている
こと、マルタとマリヤのマリヤのように、忙しく働いていなくても
主のうちに留まり、主が働いて下さる時を待つことがどんなに大切か
を学ばされたと。

「私たちは自分の力で何かしようとしなくても良いのです」と奥様は
言われました。私たちがすべきことは、主が働きたいと考えておられる
場所に自分を置くことくらいで、そこで主がご自分のしたいと思うことを
私たちを通して行われ、ご自分が語りたいと思うことを私たちを通して
語られるのを待てばいいのだと。だから、私たちは自分の力で何かしよう
とする必要はないし、焦る必要もないと悟られたというのです。

母親である私たちは、子どもが「お手伝いするー」と言って来た時、
(えー、それは却って大変だし、自分でやった方が早くて効率的なんだ
けどなあ……)と思いますが、自分も一緒にやったのだ、お母さんの
手伝いを自分もしたのだという喜びを子どもと分かち合うために
大変なのは分かっていてもやらせてあげることがあります。

神様だってご自分で何でもやった方が効率的で、何も私たちの
ように無力な者を通して宣教のみ業をなさらない方がどんなにいいか、
神様は全てご存知の上なのです。

それでも私たちにやらせようとして下さるのは、神様が愛の神様で
ご自身の子どもである私たちを愛しておられるからなのだ……という
お話も聞かせて下さいました。

そうすることで子である私たちを訓練し、また共に成し遂げる喜びを
分かち合うために、そして私たちの喜ぶ顔が見たいがために、わざわざ
そうなさるのです。

私はそれを聞いていて、何と神様の愛は深いのだろうと、心から
神様をほめたたえました。そして渋澤宣教師ご夫妻のお働きの実が
どんなに豊かであるかを見せていただき、感動に満たされました。

奥様は三人のお子さんを子育てされていて大変な中、女性ならでは、
母親ならでは与えられる神様の愛の奥義と真理に触れられたのだなあ
とつくづく思いました。

私も目を覚ましていないと、日々の生活の中で神様が与えて下さって
いる豊かな祝福と愛の奥義を見過ごしてしまいそうです。

他にも奥様のみならず渋澤先生ご自身の楽しくてワクワクしてしまう
ような神様の大活劇(笑)のあかしもお聞きすることが出来て、本当に
ゴージャスな祈祷会でした。

この一年間、ずいぶん神様から離れて遠いところに来てしまいましたが
少しずつでも神様の御許に帰れるよう、いい年をした放蕩娘は毎日一歩
一歩、歩いていこうと思いました。


2004年03月04日(木)

はっぴの日記 / はっぴ