2002年10月26日(土) 学園祭。

*【桜色痕】は西川貴教のANNの放送復活を全力を持って応援いたします*

ええっと。
風邪は小康状態に落ち着きました。
ま、このまま暫くたてば、治っちゃいますでしょー。


昨日、日記を書いていなかったのは
別に風邪引いてぶっ倒れてたわけではなく。
金土で学祭があったからだったり。

楽しかったです。

僕にとって、部活よりも大切だった
この、高校生活においての半分をかけた委員会。
委員会での、学祭の仕事が無事に終える事が出来て、マジで嬉しかったです。

うちの委員会は、創立してまだ4年で。
僕が3代目委員長だったりします。
前から委員会自体の組織はあったのですが。とある委員会の仕事が多すぎるので、二つの委員会に分裂したのです。
だから、4年前から始めて出来た委員会で。
僕の前、2代はまだまだ仕事内容が固定せず、手探り状態だったのですが。

僕が、2年間のデータや、1年間の委員会の進行進度、抱えられる仕事数ナドを計算して、この委員会の仕事内容を固定し、安定させた。


始めて入った委員会で、ちょっと無理矢理委員長をまかされて。
なのに、同学年の委員は全く仕事をしようとしない。会計の子と、友達と。2人だけが頑張ってくれて、それ以外からは孤立してた。
高3の先輩は、昨年委員長を勤めた方もいらっしゃるというのに、話を聞かない。無視をする。ってか、寧ろ委員会の妨害をする。
かといって、仕事を与えれば『受験生に仕事させるなんて、可哀相だとは思わないの?』と文句だけはいっちょ前。

・・・・・・・・胃を痛め、神経すり減らして、学校いきたくなくなりだしたりと、色々あったけど。
僕は、この委員会が大好きで。
沢山、沢山、学んで。考えて。


そんな、委員会に参加できる最後の一大イベントを終え、元委員長として、色々と現委員長にアドバイスしつつ、やっぱり、今年の学祭も委員会に始まって委員会に終わった。

良かったです。

普通は、部活の後輩を見に、卒業生が来るものだけれども。
僕は、来年は、委員会を見に、学祭に行きますよ、と後輩に言って去った。
『先輩、絶対来て下さいね』と、
僕が、委員長をした年に同じ委員会に始めて入って、一緒に三役を務めて頑張った後輩が、
来年は、委員長を勤めてくれるという。

・・・・・・嬉しかったです。
『先輩から、今の先輩に代替わりして、どんだけ先輩が偉大だったか、上手くやっていたのかがわかりました。先輩みたいにやれるかわからないけれど、頑張ります』

僕、単純だから。
そういわれて、素直に舞い上がってしまったよ。

うちの委員会は、盛んな委員会じゃなくって。
寧ろ、やる気のない委員を、引きずって、委員長が神経をすり減らしながら辛うじて機能していた委員会だったのに。
僕が、委員長をやった年と、元委員長として参加した、この2年間で
頑張って育て上げることに成功したのは、後輩の育成でした。

それこそ、何気に最終目的だったわけで。
後継者を、育てたかったんです。
盛んな委員会にするために、委員同士の繋がりを強めて、そのためには後継者が欲しかった。毎年、委員長含め三役は、始めて委員会に入りました、と言うコンビで動いていた委員会だったので。
部活でさえ、後継者を育てられなかった僕に、出来るかどうかわからなくて。
でも、成功したようで、凄く嬉しかった。


来年。僕はもうこの学校の生徒じゃなくて。
委員長になる後輩を実際に支える事は出来なくても。
それでも、大変になるのはわかっていたから。
いつでも相談においで、とメアドと携帯番号を教えて。
・・・・・・過保護かしら?とも思ったけど。
やっぱり、委員長となる彼女に必要なのは、元委員長からの『大丈夫だよ』だっていうのは、委員長であった僕が一番知っているから。

部活以上に、後輩との繋がりを強くする事が出来た。
それは、2年前の春、僕がやりたかったことであり。
やっと、それを成せた。


僕が、6年間この学校に通って。
始めて、何かを成し遂げたと思った。





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     西川貴教と、日々のこと、恋愛のこと徒然と。 // ゆきやな


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