沢の螢

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2021年06月02日(水)

コロナ禍は、半分日常のようになりつつ有り、国内の感染状況は、依然として、下火にはなっていないものの、多くの人たちは、ある意味で慣れて、それぞれの工夫と知恵が働き、なんとか耐えて過ごしているように見える。

思い返して見ると、私の子供の頃には、第2次世界大戦の終わりと、敗戦後の混乱、その中での疎開先で、国民学校入学、ものや食べ物の調達に伴う親たちの苦労の中で育ったのだった。
父の弟の中で一番若かった末弟が、飛行兵として移動中、敵の爆撃を受けて爆死したが、終戦が数ヶ月前だったら、死なずに済んだことだった。

その生母である私の祖母は、毎日涙を流し、その死を悼んでいたことを、よく覚えている。

その後、日本は、少なくとも、他国と戦争状態に入ることは、免れてきたが、現在、この地球を被っている環境は、決して安心できるものでは無い。
地球上のどこかには、ほぼ毎日のように、規模は大きくなくても、紛争が絶えないし、加えて、自然災害すべての人たちの上に、何らかの影響をもたらしつつある。
 
第2次大戦後、少なくとも日本は、自国の民が、戦火に見舞われることだけは避けられてきたが、これまでの武器や戦火と違ったものによる新しい災いによって、罪無き人々が、命を失う可能性は、すでに、起こりつつあるし、今後、どこまで広がるかは、誰も予測できない。

数年前までは、誰でも、普通に暮らして来た日々、予測できない事態になり、人と気軽に言葉も交わしにくい日々となり、互いに、気遣いながら、朝目覚めたときに、周囲が、穏やかな空気に包まれていれば、ホッとする。

いずれ、振り返って、笑い話になるような日が来ることを願いたい。


通常の日々を・・
2021年05月11日(火)

少しも収束の兆しが見えないコロナ禍。

2年前の8月、いつも過ごす信州の夏小屋から帰ってきて、留守中の片付けものを
しながら、秋にはもう一度、現地に行くつもりでいたが、なんだかんだと気ぜわしく、そのうちに、コロナ問題が起こり、あれよあれよといううちに、今まで無かった大きな問題になり、そのまま、2年近くたってしまった。

最初は特に体の弱い人たちだけのことのようにも思われ、そのうちに収まるかと思ったが、やがて、名のある女優さん他、名のある人たちも、少しずつ感染例が増え、中には亡くなるケースんもあり、いまや、誰にでも罹る可能性がある。

病気の仔細な正体や、感染の経路など、詳しいことは、まだ、よくわかっていないようであり、私たちは、日常の生活の中で、今までよりは、細かな注意をしつつ、自治体や政府指導の注意を守り、日々の生活を送っている。

昭和に入っての世界大戦。
私が生まれて三歳の時には、その二度目の開戦だった。
幼い私の耳にも、毎日、ラジオを通じて流される戦争のニュースは、部分的に記憶に残っている。
すでに負け戦に入っていたような昭和18年、30歳過ぎの父までが、戦地に赴くことになったのは、すでに、日本が負け戦に転じていたのだろうが、幼い私と弟は、親たちの後ろから手を繋いで、見送りに行った。
いつもなら、子供達を挟んで、道を歩く親たちが、その時だけは、私と弟を後ろに従え、夫婦で何やら話しながら、先を歩いていたことを、よく覚えている。
私は、幼い弟と手を繋ぎ、親たちの後から付いていったが、あれは、もしかしたら、これが夫婦の永遠の別れになるかも知れないことを予想しつつ、語り合ったのでは無いだろうか。
子供の私には、その時には解らなかったが、何故か、声を掛けてはいけないような空気を感じ、弟と2人で、その後に付いて歩いたのだった。
その時、母のおなかの中には、三人目の子が宿っていたのだが、私も弟も、そんなことは知らず、ただ、いつもと違う何かを感じながら、手を繋いで歩いたことだけ覚えている。

後々、その光景を思い返す度に、その時、親たちは、どんな気持ちだったのだろう、何を語り合ったのだろう、2人とも、戦争によって、或いは、これが最後かも知れないことを、心の中に思いながら、夫婦最後になるかも知れない歩みを続けたのだろうと思う。

戦争はむごいものである。
父は幸にして、戦病死に遇うこと無く、終戦の翌年に、田舎に疎開中の家族の元に帰還したが、あのときの光景は、その後も、決して忘れたことは無い。
疎開中の父の実家でも、一番若かった父の末弟が、飛行中に爆撃を受けて戦死。
20歳の若さだった。
学業は半ばで中断、恋も楽しいことも無いまま、航空兵として戦地に行き、爆死した。
享年20歳、村での最初の戦死者として、村の人たちの見送りを受けての葬儀だったが、その後も、生みの母である祖母が、縫い物をしながら、思い出しては涙を拭っていた姿をおぼえている。
「おばあちゃん、また泣くの」と声を掛けると、祖母は、涙を拭いながら、微笑んだりした。

いまでも、地球上には、規模の大小は有り、様相は変わっても、何らかの形での「戦争」は絶えることが無い。


現状
2020年08月01日(土)

コロナ禍問題、中々収まりそうにない。
友達そのほか、互いに気にしつつ、もしやという気持ちが過ぎるので、迂闊に電話も出来ないまま、日が経っている。
其れは多分、向こうも同じ。
せめて、メールで、【どうしてますか】くらいは、言いたい気がするが、中々難しい。



予期せぬ時代
2020年06月13日(土)

今年になってから、生の音楽会に行っていない。
2月14日の夜、東京の紀尾井ホールに行ったのが最後。
ここのホールは、室内楽に丁度いいほどの大きさで、音が良く、曲目もいいので、年に5回行われる演奏会に、定期会員として足を運んでいる。

もう一つ、ホールから四ツ谷駅に向かうお堀雑の道にある桜の大木が、四月のコンサートの時期に、丁度満開になるが、これは、夜桜として眺めるほうが、素晴らしい。
其れを見たいために、土曜日のマチネーでなく、金曜日の夜の部に、申し込んでいる。
年に一度の機会ながら、他に無い景観を楽しみたいのである。

今年の第一回目が二月で、その少し前から、新型コロナウイルス問題は起きつつあったが、まだ、さほどの危機感は無かった。
四月、そろそろコロナ情報が飛び交いはじめ、外出には、マスク着用を言われたりしており、私も、この時のコンサートには、マスクを付けていった。
会場は、いつもよりは、空席が有ったように思うが、演奏は素晴らしかったし、帰る時には、マスクを付けるのを忘れたりしながらも、夜桜を堪能し、帰りの電車に乗った。
車内は、ほどほどの混み具合で、私はその時になって、混んだ電車に乗るときは、なるべく、ドアの開閉の多い、出入り口に、立つことに決めているので、その時も同じやり方をしたが、目的の降車駅に着いてから、あら、マスク、付けるの忘れてたわと思いだした次第。
それ以後は、マスクを付け、駅の階段を降り、自分の家路に向かうバスが来たので、乗って帰ったが、以来、電車に乗っていない。

三月に行くはずだった墓参りは中止、コンサートも次々中止か延期になりつつある。
こういう事態が来るとは予想していなかった。

日本は、世界は、そして地球の未来はどうなるのだろうか。
混沌とした日常が続いている。



いつまで・・
2020年04月25日(土)

・・この状況が続くのか解らないが、テレビのコロナ情報は、適当に見やりつつも、次第に気持ちが落ち着いてきて、自分の日常はなるべく、変わらずに、と言う落ちつきも、出てきたように見受けられる。
生鮮食品くらいは、やはり、時々、外で買ってこなければならないので、その時は、緊張するが、いつも行くスーパーでは、行列も、互いに距離を保つように、線を引いてあり、レジは、数年前から、人と人の手を介さない、キカイによる決算の形になっているので、操作を間違えなければ、キカイからおつりもレシートも出る。
レジの担当者、客の側、どちらにとっても、慣れれば簡単で、機械の苦手な私でも、殆ど、まごまごせずに済む。
帰宅後に、一応、レシートと、買った物が合ってるかどうか確認するが、こちらの思い違い以外は、トラブルは無かった。
現金の受け渡し無しで済むし、レシートには、品物と代金が印刷され、決済方法も印字してあり、客が操作さえ間違いなければ、おつりも、レシートも自動的に出てくるので、時間の短縮にも成る。

店員との会話は、支払いの仕方、店で渡されるレジ袋が必要かどうか、同じ物を複数買った場合の数の確認くらいで、余計な愛想も言わなくていいし、済めば、篭に入った物を、レジの外側にある大きなテーブツに運び、銘々、自分の買い物袋なり、レジ袋に入れればいい。
つい、重い物も多めに買ってしまうが、手に負えないときは、徒歩7分くらいの自宅に電話し、夫に迎えに来て貰う。

高齢に成ると、段々運動不足になるので、まとめ代をせず、毎日、その日の分だけ買うようにすれば、体のためにもいいのだろうが、今のところ、二日か三日に一度くらいの買い物が、丁度いい。

コロナ関係が終息に向かったら、少し遠出して別のスーパーにも、行ってみよう。


大寒
2020年01月27日(月)

すでに大寒に入った。
日が差している日中は、暖かい感じはあるが、所によってはまだこれからが寒さの本番。
東京では、雪は見ていないが、これからしばらくは、ちらつく日もありそうだ。
四季の移りのある日本。
猛暑も、厳しい寒さも、正直つらいが、四季の移りがあることで、日本人特有の、感性と文化が育まれてきた。
文学、芸能、地方の祭りその他、風土に合った習慣や催しも沢山ある。
季節の移りに、他の国の人よりも敏感なのは、長い間に培われた物で、時代や年齢に関係なく、引き継がれてきた。

私はたまたま、短詩系文芸{短歌、俳句、連句など}を趣味として愉しんでいるので、多少の変化はあるだろうが、この国の風土が、それに合った状態を保って欲しいと、願っている。


佳き日
2020年01月05日(日)

初日記書かず過ぎれど佳き日かな



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