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婚姻届


2003年10月22日(水)
婚姻届なるものを出そうと相方と市役所へ赴く。
うーむ・・・。
こうゆう感じになってるのかあ。
イロイロ面倒な事になり、書類不備のために断念。
よく芸能人が「書類不備のため婚姻届を出せなかった。」
とTVのワイドショーで言ってたが、その意味をようやく理解。
1回じゃ終わらないわ。こりゃあ。
これから届けを出す予定の人は、
出したい日の前にちゃんと書き方と必要書類を聞いてから、挑む事をお薦めする。

ひとつハプニングもあった。
市役所の女性が書き方を教えてくれる際に、出してきた書類が

「離婚届」

だった・・・。
私もビックリしたが相方大激怒。
まあ、縁起でもないもんね。
女性には今後、気をつけて頂きたいものである。
(しかしこの後、この女性に何度もお世話になったのだが。)


新生活スタート


2003年10月19日(日)
昨夜からやっと新居での生活がスタートする。
と言っても、まだ部屋はあんまり片付いてない。
私の整理能力が劣っているせいだが・・・。
これからボチボチ整理していこうと、
こんなとこでもノホホン根性は抜けない。


退院


2003年10月18日(土)
退院が決まった。
1週間で帰れるなんて思ってなかったから、嬉しかった。
ほんまは明日退院と言われたが、
相方が看護婦に食い下がって(笑)なんとか今日になった。
今まで落ち着かなかった自分の存在が、やっと戻って来る。
あなたがここに居る。
だから私もここに居たいんだ。


病院と新居と行ったり来たり・・・


2003年10月15日(水)
入院生活を「ヒマだー!」と満喫する相方。
私はココで彼の寝顔を思いきり満喫。(笑)
一回だけ一人で新居に戻る時は、またまたドキドキ。
この時私を勇気づけてくれた歌は「すきま風」
眠らないように大声で何度も歌って帰った。
しかし、高速は二車線にして欲しいなり・・・。
対面はかなりビビルものである。
家に帰ったら、自分の荷物を少しづつ片付ける。

久しぶりに会ったゴロウは私を不審者だとは思いつつも、
エサは貰わなきゃああかんから少しだけ近づけるようになった。


四国入り、そして相方入院


2003年10月11日(土)
朝、東予港に着く。
相方の母上様が住んでいる●条と言う町へ急ぐ。
母上様のウチの隣りが病院だという事で、早速診てもらうためだ。
母上様とご対面。
しかし挨拶もそこそこに病院へと雪崩れ込む。
診察の後、肺に穴が空いている(気胸)との事で
もっと大きい病院へ行くように薦められる。
「救急車で行きましょうか?」と言われたが辞退して、
病院の車で運んでもらう。
と言っても相方の車があるので、私はその車を追って運転。
隣りに母上様を乗せてるので大緊張!!!
大病院では直ぐに手術(肺が縮小して回りに空気がたまっているので、
それを抜く為にチューブを入れる)して入院と言われる。
2人ともビックリ!
なんせ私は新居へ帰る道すらも分からないし、ココから新居まで約150Km。
高速を使って2時間半だと言う。
どうしようと頭の中をグルグルと駆け巡る。
しかしそんな私の横で相方はキッパリと

「胸に穴を空けた状態で一回家に帰らせて下さい!」

と医者に聞いていた。
ギョギョッ!!Σ( ̄ロ ̄lllと思ったが、医者も「う〜ん!?」とか言いながらも、

「まあ、いいでしょう・・・。」

ヽ(`Д´)ノ いいんかい!大丈夫なんかい!!

心配山盛りだったが、そんな相方を助手席に乗せて、私は初めて高速へ。
怖かった。(必死であんまり憶えてない)
2時間半かけて家に戻り、必要なモノを持ってトンボがえり。
相方は入院。私は相方の母上様のもとで厄介になった。
思いがけず、彼の病気のおかげ(?)で母上様といろんな話が出来た。


尼崎よサラバ


2003年10月10日(金)
相方のお仕事に付いて回る。
にしてもまったく役に立たず、東灘区を回る時なんかは、得意になって先導して走り回り、結局エライ遠回りをさせて相方に貧血を起こさせてしまった。
疫病神である。
お仕事が一段落した後、
武庫之荘駅に着いた途端に相方が蹲って苦しみ始めた。
呼吸困難に陥っていた。
どうしたらいいか分からずオタオタするばかりの私は、ここでも役立たずであった。
しばらくしてマシになったとの事で家路につくのだが、
この苦しみが後の私達の波瀾生活を物語る大きな伏線となった。

相方は夜になってもなかなか苦しみが治まらないようで、
横になったり屈んだりしていた。
ほんまはゆっくり寝かせたいところなんだが、
なにせ出発が11日の午前3時ポーアイ出航のオレンジフェリー。
落ち着いて寝てもいられないのである。
姉にフェリー乗り場まで送ってもらい、
フェリーに乗り込む(オレンジフェリーは車が乗船する場所から人間も乗船)が、苦しみは続くばかり。
あまりに苦しむので物凄く不安になって、
彼が寝た後も鼻下に手を翳して寝息を確かめたりした。
そして何度も目が覚めてその行為を繰り返すのであった。


奏良の運動会(尼崎にて)


2003年10月09日(木)
お義母さんが尋ねてきて、そのまま一緒に行く。
蚊が多くて困ったが、奏良ぴんはめっちゃ可愛く太鼓を叩いたり踊ったりしてた。
姉と一緒の出し物は私がビデオ担当だったが、上手く撮れていたか未だに不安。
その際デジカメも預かってたのだが、

んが「一応、ビデオ頑張って撮ったよ!!( ̄‥ ̄)=3 」

たまな「え!?写真は???」

と言われた時は、正直ぶっとばしたかった。
一度に二つの事を私にさせるのは無理である。
反復横飛びをしながら皿を回せと言ってるようなものである。

夕方、相方を三宮まで迎えに行く。
少しお茶して姉の家へ。
今夜は4人で飲む。

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