DIARY



めぐるましく悩

2002年04月23日(火)

仕事しなくなってから・・・2ヵ月半?

あちゃ・・・(^^;

来月の支払い、どうしましょ。てな状態なのに
あれこれと もがいてて・・・

「いったい 働く気あるの?」なんて
家族も責めないけれど、焦ってます。。

腰が重いのはね〜  今ののんびりした生活に
ちょっと幸せを感じていたせいもあるし。。。

いい方向に話が転んでくるのを待っていた気持ちもあるし。。


実際、願ったとおりになりそうで

やった〜〜〜♪

って思ってたのも つかの間。。。。

動き出すのが遅すぎたようで、バスが程度の悪いのしか売れ残ってないらしいの。

使用4年目のマイバスは 120万の値をつけられてたけれど
既に 他の方や買ってたり、オークションに出されてしまっていて

残っているのは 使用7年目の 20万円のバス。
お買い得ですが・・

4年目でも うんぜりするくらい故障ばっかししてたのに(^^;
7年目ってどうよ?
今度、故障したら、費用は自己負担だし。
うちら、女性ドライバーは運転下手なのか、あちこちよく痛めるし
色んなトラブルにも 詳しくないし・・・

だいじ〜〜に乗ってする?
バスが故障したら、食品は腐れて 大赤字。

まだ 半年目のバスが 400万で売れ残っているとか。
彼女の予算を超えている。
彼女は 経営など手がけるのは好きだけど
「パート出るよりは楽で、いい収入になるし、家にいても持て余すから」
くらいの気持ちなのです。
ご主人が いい仕事されてるから、そんなに困っているわけでもなく
高校生の息子さんが今年 ギリシャに行くとか
いろいろ事情があって、生活に余裕が欲しいと考えてるようです。

ちょっと、この金額は 冒険です・・・

私も 寝てばかりいたわけでもなく(笑)
生きていくために、いくつか バイトやお仕事を探してました。

コンビニ店員
知り合いの店長に頼んで 反応がよかったので
 コンビニで働けそうだったり・・ボツになったけど。

走る薬屋さん
富山の越中どんに 応募してみたり。
 (またおばあちゃん達に会えるかと思ったのに!)
 (女性はちょっと・・・と言われたので 
  HP見つけてメールで抗議しちゃいました(^-^;)

走るセールスマン
生保レディに誘われた。
  (これはね・・・研修だけでお金がもらえるってのは魅力的で
   つられたけれど、自分も今まで嫌いだった職業で抵抗あった。
   だいたいな〜〜んで、あんなに営業マンが給料いいのか!
   儲かりすぎだぞ!>生保会社)

走るインストラクター
PCの派遣会社に登録しておいた。
 (需要よりも供給の方がはるかに多過ぎ。仕事ほとんどない。
  どんな需要にも答えるシステムを作るにはそうなんだろうなぁと納得)


  続ける自信ないってば・・・(^-^;)
  骨をうずめる覚悟じゃないといや。


どんな仕事も 社会的意義があるし、尊敬してるけれど
自分が納得できる仕事、やりがいのある仕事をしたい、などと
贅沢を望むものだから。。。

大きな会社や 組織で働くのは 向いてないものだから(汗)

最後の切り札を 使うことにしました。
なんで 最後だったんでしょう。。。
やっぱり 出来ることなら
マイペースで出来る仕事に就きたかったんですね、きっと。

もう、しないかもと思ってたけれど・・・

8、9年ぶりに・・・

白衣を着ることになりそうです(^-^;
ブランクが心配だけどな・・

特老施設なので、病院ほどの医療行為はないから
「できますよ!」と 事務長さんに押されて

体力はあるし、お年よりは好きだから
頑張ってみましょうか・・・!



で、改めて4者面接したんだけど。(施設長と婦長と)
終始笑顔で和やかに・・・でも内心はびくびくどきどき。
唯一、一番長く続いてた、「走るお店やさん」の仕事について
色々聞かれました。

穏やかな中にも、人を見抜こうとする目が 
きらりと光ってます。
人員不足だから、即採用かと思ったら甘いんだね。

できるだけ正直に、不利にならないように言葉を選んで・・
愛嬌良く、と
出し切ってきた・・・疲れた。

返事が来るまでは、どきどきです。
買っていただけるかしら?(^-^;


だじゃれ

2002年04月21日(日)

今じゃ おやじギャグ。

最近 長男が マジックとともに はまっているもの。

だじゃれ と なぞなぞ。

専用ノートなんぞも、こっそり持っているのを見つけてしまった。

だけどね、いくら可笑しい駄洒落、見つけたって
普段の会話で、さりげな〜く出て来ないと だめなんだよね。

一日一個は駄洒落が出る、最近の我が家。

おやじギャグでも何でも

しょ〜もなさが妙に受ける。
たぶん、他人じゃ笑わないだろうな。身内限定。

豆ごはんが嫌いで、嫌な顔をしている長男に
豆だけ取り除いてやったのに、まだ ぶすっとしてそっぽを向いてる。

ばぁちゃんが それを見て

「豆を食べないから、あんたマメじゃないんだが」

私も「そうか〜マメ食べないから、だらしないんだ〜」

ますます不機嫌になって下を向く息子。

じぃちゃんが

「それは、泣きマメ (^.^)b」


えっと・・・長男以外は笑ってました(^^;

長男は口元がちょっと歪んだだけでこらえてました。
機嫌は治らなかったようです(笑)



兄弟喧嘩が険悪になったときも

しょうもないことを言って笑わせて、
風向きを変えたりできるうちは 
まだいいんだけどね。


*私や次男みたいな 頑固モノには逆効果になる場合もあります。


笑うって 単純ゆえに 幸せ。
バカみたいでも 笑えるって いいね。



2002年04月20日(土)

妹の子達がまた お泊りに来たのですが

ゲームに怪獣遊び。階段じゃんけん。

夜はトランプとお絵かきで、夜中の1時半まで 4人で盛り上がってました。

私・・・つまんないから 一人で8時から寝てました(笑)

目が覚める度に 「いい加減に寝なさいよぉ」とぼやいて。

そうそう。夕食は、食卓の上で、ホットプレートに焼きそばを焼いて
食べ放題をしたのですが

大量の焼きそばに 手首が痛くなった。

そんなことをしていたら

「私、子供10人くらい生んで、賑やかな家庭が夢だったんだっけ」
と 思い出した。

大人になってからは 自分が子供の扱い方、苦手なことに気が付いて
まだ人間的に未熟なことも知ったけれど。

家族が多いほうがいい。
そう思えるのは、賑やかだった我が家に楽しい思い出があるからなんだろうな〜

怒られて反抗して、折檻されて
包丁持ち出すような兄弟喧嘩もして
親を泣かして
父は行方不明になったことも数回あるけれど
おばあちゃんが自殺もしたけど

だけど、楽しい思い出ばかりが残っているから

家族が多いって賑やかでせわしなくて
すっごく「いいな!」と 嬉しかった記憶がある。




明け方、ちびちゃんが ぐずりながら部屋の中をちょろちょろ走り回るので
トイレまで連れて行った。

部屋に帰るとき、寝ぼけて ばあちゃんの寝室を開けたので
おばあちゃんに甘えたいのかなぁ?と思って

寝惚けてるばあちゃんの お腹に乗せて置いてきた(笑)
ばあちゃんは 反射的に ぎゅうって抱きしめていたよ。

私は あんなに抱きしめられない。
無条件に抱きしめられない。
恥ずかしさとか、遠慮とか。あるけれど。
自分の子だったら、出来るだろうけれど。妹の子でも少し遠慮しちゃう。

たぶん。
兄弟の中で 一番長子だったから
遠慮なく甘えることが なかったせいだろうと思っています。

若いころは 思い切り甘えられなかった自分が
可哀想で、愛が無性に欲しかったこともあったけれど。
親を怨んで、妹を妬んだけれど。

そんな感傷に浸ることも もう・・
今の私には あまり必要ないような。



友人が送ってきた「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」
を 2日間続けて読んだ。

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