月の輪通信 日々の想い
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2008年09月30日(火) 姉妹

朝。
今日も時間ギリギリに運動靴をトントンと突っかけながら玄関を出るアプコ。一足先に出たアユコの背を追うように走り出す。
定時の電車に乗り遅れないように慌てて坂を下るアユコは思いがけなく早足で、小学生のアプコの歩幅ではよほど回転数を上げないとたった数分の時間差を縮めることはできない。
坂道の下った先に見え隠れするアユコの制服のシャツの白を、それでも一心に追いかけようとするアプコの健気さ。
なんだか見ているこちらの胸まできゅんと痛くなる。
「高校の制服着てるアユねぇって、なんかかっこいいよね。」
幼いアプコにとって6つ年上のアユねぇは、常に自分の前を颯爽と歩いていく憧れの人。
少々うるさがられようが邪険にされようが息を切らせて小走りについていくアプコの幼さが、ほほえましくもあり痛々しくもあり。

最近、ふとした瞬間にアユコとアプコの名前を呼び違えることがある。
たいがいはアプコに向かって「アユコ!」と呼ぶ。
それほど最近のアプコの物言いや表情は、小学生の頃のアユコに似てる。
近所の小さい子や年下のお友達に接するときのお姉さんらしい優しい物言い。
同じ話を繰り返す年寄りの昔話に、一生懸命相槌を打ちながら辛抱強く付き合うときの困ったような表情。
何度やってもうまくいかない書道の「右払い」の筆法を、悔しそうに唇をかみ締めながら繰り返し半紙に刻みなおす片意地のような真剣さ。
それは現在の「しっかりした面倒見のいいお姉さん」というキャラが花開く前の、ちょっと自信無げで泣き虫、神経質で自意識過剰な少女だった頃のアユコに恐ろしいほどよく似ている。
頭の片隅で「あ、似てる」と思いつつアプコを呼ぶとき、私の口からこぼれ出るのがアユコの名前だったりするのだろう。「あ、また、間違えた。」といってぷいと膨れたフリをする、まぶしい笑顔もまた、あの日のアユコにそっくりだから、困ってしまう。
姉妹というのは、ホントに面白いものだなぁと思う。

思うところあって今日、アユコがアプコと同じくらいの年齢だった頃の日記の過去ログを開いてみた。
重たいフライパンと格闘してオムライス作りに挑戦し、緊張のあまりその夜激しい嘔吐の発作に見舞われるアユコ。
そういえばあの頃のアユコは神経が細くて、なにか過大な緊張や興奮を伴うことがあると、決まって自家中毒やら偏頭痛やら、厄介な発作に悩まされたものだった。
「きちんとやり遂げなければ・・・」
「失敗は許されない」
と自分を追い込む生真面目が、幼いアユコの体をぎゅうぎゅうと締め付けていたのだろう。
年月を経て、アユコは少しづつ自らの緊張を解き、厄介な変調と上手に付き合うやり方を学んできた。
最近のアユコが急に大人びて見えるのは、自分の中にあるどうしょうもなく厄介な辛さを受け入れ、同じように、他人の中にある辛さや悲しさを思い量って受け止めてやろうとする優しい器を構築しつつあるからなのだろうと思う。

転じてアプコ。
思春期に近づいたアプコは、今のところまだ、アユコに見られたような精神的なストレスや緊張を因とする体の変調は経験していない。
皆から愛され、甘やかされ、受け入れられて、大きく頭を打つこともなく育ってきたアプコには、あっけらかんとした明るさと人懐っこく素直な陽気さがあるばかりだ。
まだまだ「幼い」と言えばそれまで。
けれどもその愛すべき幼さの中には、オニイオネエに常に守られ受け入れられてきた末っ子姫の悠然とした大らかさや素直さが、強い心棒として裏打ちされているような気もする。
「判らないことには、きっとオニイがヒントをくれる。」
「困ったときには、きっとアユ姉が助けてくれる。」
「楽しいことは、きっとゲン兄が教えてくれる。」
そんなあっけらかんとした信頼感がアプコを支える心強い柱になっているのだろう。
最近になって、アプコ自身、そのことに少しずつ気がつき始めたらしく、私が「アプコには頼りになるオニイ、オネエが3人もいて、よかったねぇ」とからかうと、「ウン、アタシもそう思う」となんの衒いもなく素直に頷く。
その鷹揚さこそが、末っ子姫アプコの愛される理由なのだとも思う。

早足ではちっとも縮まらないあゆ姉との距離に苛立って、とうとうアプコは走り出す。短いスカートの下、すんなりと伸びたアプコの華奢な脚は、若い小鹿のようにしなやかに地を蹴る。
カタカタと追ってくるランドセルの音に気づいて、先を行くアユコがようやく後ろを振り返った。
嬉しくて嬉しくて、アプコの足取りがまた、ぐんと速くなる。
「馬鹿だなぁ、あんなに走らなくてもいいのに」
仲良く並んで歩き出す二人の娘の後姿を見送って、母はなんだか幸せな気分である。


2008年09月02日(火)

ようやく長い夏休みが終わった。
「ほら、行けぇ〜!」とばかりに子どもたちを学校へ送り出し、久々に一人で外出。
2ヶ月ぶりの七宝教室。
他愛無いおしゃべり。ウィンドウショッピング。ケータリング弁当でのランチ。
晴れ晴れとした気持ちで羽を伸ばす。
ようやく主婦の夏休みだ。

帰りの電車であと一駅というところで、ポツリポツリと雨が降り始めた。車窓に当たる雨粒が数えられるほどだったのが、たった一駅の間に本降りになり、改札口を出る頃には激しい雨音で回りの音が聞こえにくくなるほどの豪雨になった。
かばんの中に黄色い折り畳み傘が入っているのは判っていたし、いつもは歩いて帰る15分の道のり。
けれど雨脚はどんどん強くなる一方で、「もしかしたら」と少々甘えたい気持ちで父さんの携帯に電話してみる。果たして、父さんはちょうど近所のスーパーへ車で買い物に出たところで、帰りに駅まで回って迎えに来てくれることになった。
ラッキー!

「わぁ、助かったよぅ。ありがとう!」と父さんの車に乗り込んだところで、私の携帯電話が鳴った。
「あ、おかあさん。今、どこ?傘、持ってる?」とアユコの声。
ついさっき、アプコが「お母さんに傘、持ってく!」と一人で家を出ていったのだという。
「ごめん、今、父さんの車に乗ったトコ。」
「あらら、どうしよっか?ちょっと見てくるよ」
そう言ったきり、アプコの声がぷつんと切れた。どうやらアプコを追いかけてくれているらしい。
こんなにひどい雨なのに、父さん、アプコに続いてアユコもお迎え?
まぁまぁ、母一人の帰宅にお騒がせしちゃって、ドウシマショ。
申し訳ない気持ちとちょとだけ嬉しい気持ちと・・・。

車が最後のカーブに差し掛かる頃には雨も若干小降りになっていて、木立の向こうにアプコとアユコの姿が見えた。
アプコの小さな傘をアユコがさして、小さく寄り添いながら二人舫いで歩いている。
小さいアプコが濡れないように身をかがめて傘をさしかけるアユコと、
アユ姉の歩幅に遅れないように水溜りを避けながら小走り気味に歩くアプコと。
仲のいい姉妹の後姿にほっとほころぶ心持ち。

それにしても。
アプコの手には、くるくると巻かれたままの大人用の傘。
二人で入るんなら何でアプコの小さい傘でなく、私の大きい傘をささないんだろう。
それにそもそも、後から追いかけて出たはずのアユコは、なんで自分の傘をさしていないんだろう?

「どうしたの、二人ともずいぶん濡れてるよ。
大きいほうの傘、させばよかったのに」
追いついた車の窓から、二人に声をかける。
「あ、そっか、忘れてた。」
アプコが今更のように自分の手の中にある大人用の傘を見てぺろりと舌を出す。
「それにアユコ、あんた、自分の傘は?」
「あ、あのね、私の傘はね・」
アユコの傘はついさっき、雨に降られて困っている人に貸したのだという。
名前は知らない人だけど、登下校のときしょっちゅう顔を合わせるウォーキングのおばさん。
「あんまり濡れてて気の毒だったし、うちの家も知ってるみたいだったから、『今度、返してね』って私の傘、貸しちゃった。」
それで、アプコがさしていた小さい傘に二人で入って帰ってきたのだという。
アプコもアユコも、先ほどの激しい雨で肩から下の半分ずつがずぶぬれだし靴も泥んこのぬれねずみだというのに、なんだかニコニコととても楽しそう。クスクス笑いが絶え間なくこぼれて、妙にテンションが高い。
しゃあないなぁ、びしょびしょじゃん。
早く帰って着替えなよ。

突然の雨で薄暗くなった山道を傘も持たずにうつむいて歩いていく人の姿はなんとも言えず悲しい。
それがたとえ見ず知らずのハイキング帰りの親子連れであっても、降水確率70パーセントにも関わらず「めんどくさい!」と傘を置いていったうっかり者の馬鹿息子であっても。
だからついつい、おせっかいとは思いつつ「返さなくていいですから」と古いビニール傘を通りすがりのハイカーに押し付けたり、過保護とは思いつつ小学校の下足箱に子供用の傘を届けたりしてしまう。
そんな母のおせっかいや親ばかを、アユコもアプコも見るとはなしに見て育ったのだろう。
帰りの電車の時間も判らない母に「傘、もっていってやらなくちゃ」と駆け出してしまうアプコのあわてんぼや、知らないおばさんに「よかったらどうぞ」と自分の傘を差し出すアユコのお人よしは、まさに愚かな母の行動パターンの引き写し。
「おばかだなぁ」といいつつ、なんだか嬉しい。
いつのまにかアユコたちのクスクス笑いが伝染して、ほっこりと楽しい。

うちに帰るとまもなく、雨は止んだ。
本当に一瞬の通り雨だったのだろう。
子どもらの濡れた靴をベランダに出し、慌しく夕餉の支度に取り掛かる。
今日は久々に何か暖かいスープを作ろう。


2008年08月26日(火) エプロン

父さんと買い物に出て、私の仕事用のエプロンを買った。
ひざ上丈の短い袖なしスモックタイプ。
大きなポケットがついていて、頻繁な洗濯にも耐える実用第一のしっかりしたもの。
足元まで汚れる釉薬掛けの時には、この上に重ねて長めの前掛けエプロンをもう一枚。
これが最近の私の仕事場スタイル。

お買い得のSALEマークとともに吊られたエプロンの中から、目的に合ったエプロンを探す。
レースやアップリケの飾りは要らない。
濃紺地はきれいだけれど、すぐに土で真っ白に汚れる仕事には向かない。
帆布を使ったオフホワイトは、色とりどりの釉薬で汚れる釉掛けには向かない。
結局最後に残ったのは、仕事でよく使う緑や飴色の釉薬の色によく似たスモークピンクとモスグリーンの2点。
「どっちの色がいいと思う?」
二つをかざして父さんに問う。
「ピンクもいいけど、モスグリーンのほうがかえって若く見えるかな」と言われて、「ふうん、そんなモンかな」とモスグリーンのエプロンを買い求めた。

帰宅後、さっそくおニューのエプロンで仕事に入る。。
キイキイと鳴る古い作業椅子に腰掛けて、数物の器の素焼きに透明釉をかける。
刷毛に含ませた釉薬を素焼きの生地の上にたっぷりと置くように塗る。ちょうどよい加減に糊(CMC)の利かせた釉薬なら、気持ちよく刷毛が伸びて、一度塗りからムラもなくきれいに塗りあがる。最近になってようやく、その糊加減と刷毛の重さのバランスがわかりかけてきたところだ。
今にも垂れ落ちそうなほどたっぷり釉薬を含んだ刷毛を白い素焼きの生地の上に最初の一刷毛入れる瞬間の心地よさ。
塗り上げた釉薬の水気をジワジワと生地が吸って、見る間になじんで乾いていく変化の面白さ。
繰り返し繰り返し行う単調な作業の中にも、何度やっても飽き足りないささやかな面白みが確かにある。
私は多分、釉掛けのこのしごとが好き。
この同じ仕事場で何十年も釉薬掛けの仕事を黙々とこなしておられたひいばあちゃんも、こんな風にささやかなうれしさを絶えず味わっておられたのだろうか。

数時間も作業をすれば、おニューのエプロンもたちまち釉薬の染みと洗い物の水の跳ね返りでくたくたに汚れ果てる。
「本日の作業、終了。」
今日の成果は桟板3枚分。
釉薬掛けを終えた生地を乾燥室に仕舞い、刷毛を洗う。
作業場の手元のライトを消して、エプロンをはずし、くるくると丸めて作業椅子の上に・・・。

あーっ、そうか。
汚れたエプロンを作業椅子の上にポンと投げたところで、ようやく思い至った。。
このエプロンの色、ひいばあちゃんがいつもしていた前掛けとおんなじ色じゃん!
仕事を終えたひいばあちゃんがいつも小さく丸めて作業椅子の上においておられた、灰緑の腰巻前掛け。
土に同化してしまいそうな、目立たぬ地味な色ばかりを好んで身につけていらしたひいばあちゃん。何枚かある前掛けはどれも似たようなくすんだ色のものばかりだった
「若く見えるよ」といわれて「そんなものかな」と選んだエプロンが、妙にしっくり懐かしい気がすると思っていたのは、そのせいだったんだ。

もしかしたら父さんが、私の仕事場エプロンとしてこの色を選んだのも、頭のどこかに、いつもひいばあちゃんが着けておられたくすんだ緑の前掛けエプロンのイメージが強く残っていたからかもしれない。
そのことを父さんに言ったら、
「なるほど、違和感ないなぁ。」と作業椅子の上の私のエプロンを指差して笑う。
「若く見えるって、言ったくせに!」と、私も笑う。

つい今さっき仕事を終えて2階へ上がっていかれた後のように、ひいばあちゃんの椅子にひいばあちゃん色の作業エプロンが掛かる。
ひいばあちゃんが逝ってしまわれてから、はや半年。
大先輩の席に陣取り、まだまだ落ち着かない刷毛さばきで釉薬掛けを学ぶ日々だ。
せめて身につけるものの色だけでも、明治の職人技の匠に似せる。


2008年08月25日(月) アタシの悩み

急に涼しくなってここ数日。
高校生組は今週から、始業式前の登校日やらクラブやらでほぼ平常モードの登校になる。
小中学生は、そろそろ宿題のお片づけ期間。うだうだぐずぐず言いながらやっつけ仕事で課題の山と闘う。
父さんは月末搬入予定の個展の追い込み。工房はピリピリ、「触れると噛むぞ!」の空気が流れる。
そして母は今年も名簿入力の宿題を課されて、キーボードとにらめっこ。

宿題プリントとの戦いに疲れたアプコが、窯の合間に息抜きに帰ってきた父さんにじゃれる。
「箸がこけても笑えちゃう」お年頃のアプコには、徹夜明けの父さんの気の抜けた駄洒落が可笑しくて仕方がない。
ケラケラと転げまわって笑うアプコに、父さんの表情がほにゃほにゃと緩む。
あらら、この人たち、なかなかいいコンビネーションだわ。

「ええなぁ、アプコは。何の悩みもないみたいで。」と父さんが笑う。
「ホンマ、小学生はお気楽でええなぁ。」
「僕も、小学生に戻りたいわ」
と横から意地なオニイオネエが絡む。
「アタシにだって、悩みくらいあるわぁ!」とアプコがムキになって言い返す。
「たとえば、夏休みの宿題が終わってないとか?」
「ラジオ体操の早起きするのが嫌とか?」
「どっちにしても可愛いもんだねえ」
次々に突っ込まれて、アプコ、ぷっと膨れっ面だ。

「アタシにだって、ほんとに悩みくらいあるもん。
ホントの悩みは、お母さんだけがみんな知ってるもん。」
と、いきなりのご指名。
はぁ、アプコさんのホントの悩みですか?
宿題でも、早起きでもなくて?
そうですか、母、教えてもらってましたっけ?
こりゃ、困りました。
「お母さんも知らないよ。」とは、とても言えなくて、
「うんうん、アプコにだって、真面目な悩みもあるんだよねぇ」としどろもどろで調子を合わせる。
後から父さんに、「で、アプコの悩みって何なの?」と問われて、「実は皆目判らないのよ」と答える情けなさ。

長い夏休みを日々享楽的に過ごす天真爛漫のアプコ。
ケラケラとよく笑い、嫌なことにはあかんべぇをし、皆より先に一番に「これ食べたい!」と好きなアイスを選んでも「しゃあないなぁ」と笑って許してもらえる。
「やらなければならないこと」より「やりたいこと」が最優先。
それで後から困ったことになっても、きっと誰かが助け舟を出してくれるとタカをくくっているように見えるアプコ。
傍目にはのんきな末っ子姫であるアプコの胸に、いったいどんな悩みがあるのだろう。

それにしても。
「私の本当の悩みは、この人だけが全部知っててくれる」ときっぱり言い切れるこの絶対的な信頼感って何なんだ。
手放しで母の手に悩みのすべてを預け、そのことを臆面もなく「だよね」と明かすことのできるアプコの爛漫。

夕餉の前の台所で「ねえねえ、おかあさん」とうるさいくらいに纏わりついてくる他愛無いおしゃべり。
登下校の道すがら気まぐれに教えてくれる教室での出来事。
買い物に行く車の助手席で鼻歌混じりに繰り出すダジャレやジョーク。
「はいはい」「そうね」といい加減に聞き流している沢山のアプコの言葉の中に、アプコの「ホントの悩み」と言うヤツが潜んでいたのだろうか。
だとしたら私は、きっとその半分も掬いあげることが出来ないでいる。
いいのか、母。そんなことで。
いいのか、アプコ。こんな母にそんな手放しの信頼を預けて。

「母さんには言ってもわかんないよ」
「うん、判ってる。でも、これ、僕の問題だから・・・」
「ちょっと待ってて。後で説明するから」
親の背丈をとうに追い越した上の子達は、自らの心に強い城壁を築きはじめた。母はその厚い門扉の隙間から、子ども達の柔らかな心のひだを垣間見ようとうろたえるのみ。
それが成長と言うものなのだろう。
とすれば、アプコの「おかあさんが知ってくれるから大丈夫。」という強固な信頼は、彼女の愛すべき幼さの証。
まだまだ母には、「全部知ってるよ」の包容力と「何でも判ってるよ」の演技力が要求されているのだろう。
重いなぁ、アプコ。
重すぎるよ。

結局、いろいろ鎌をかけて訊いて見たけど、アプコの「ホントの悩み」の正体はわからなかった。
生まれては消える泡ぶくのような、ささやかな気まぐれの悩みにすぎなかったのか。
改めて言葉にして告げるには難しい、深く芯に残る悩みだったのか。
浅薄な母の推理力では、もはや推察不能。
少し時が立てば、全く悩みのない顔をしてケラケラと笑い転げるアプコ。
しばらくは、小鳥のようにかしましいアプコのおしゃべりをしっかり耳を済ませて聴いてみよう。















2008年08月18日(月) 捕り物帖

8月17日付け日記より
続きのお話





ゲンの牛乳パックの一件の後、夕食の支度をしていたら、電話のベルが鳴った。
傍にいたアユコが取ってくれて、
「おかあさん、お兄ちゃんから・・・」と取り次いでくれた。

「あのな、かあさん、今な、僕、・・・捕まえてな、そんでな・・・」
受話器の向こうのオニイの声が遠い。
「何、何?よく聞こえない。何を捕まえたの?」
「あのな、だから、・・・捕まえてん。え?落ち着いて聴いてよ。あのな、ち・か・ん!」
「何?チカン?」
捕まえた?「捕まった」じゃなくて、よねぇ?(オニイ、ご免!)
「うん、そう。痴漢!それでな、今からな、警察へ行って、いろいろ話とか、して来なあかんねんて」
オニイの後で、何人か大人の話し声が聞こえた。
何のことだか、訳、わかんない。
「え?警察?・・・て、どこの?で、今、あんた、どこにおるの?」
「今な、駅の近く。・・・んじゃ、行って来るし。多分遅くなると思うけど、だいじょぶやから。」
「え?え?オニイ!オニイ!今から、どこ、行くって?」
返事を待つもむなしく、電話は切れた。

なに?なに?
どういうことよ?
どこで?
なんで、オニイが?
疑問符ばかりが、次々浮かぶ。
とりあえず、電話のオニイの声が妙に興奮して、めちゃくちゃテンションが高かったから、オニイ自身は大丈夫で怪我もしてないだろうことはわかったのだけれど。

しばらくして、再びオニイから電話。
枚方の警察署に着いたという。さっきの電話で母があんまり魂消ていたから、きっと事態を把握していないだろうと思って、警察官に頼んでかけさせてもらったのだという。途中、電話を替わった警官が
「警察署のほうへ息子さんにおいで願ってます。でも決して彼が何か悪いことをしたとかではありません。実は息子さんには悪質な痴漢逮捕にご協力いただきまして・・・」と事情を話してくれた。

下校途中のオニイが自転車で駅前に差し掛かったところ、「その人、痴漢よ!捕まえて!」と女の人の声がして、若い男が走ってきた。オニイは自転車でその男を追いかけ、袋小路に入ったところで男を取り押さえた。被害にあった女性が110番して、パトカーが着くまでのあいだ、近所の人と一緒にその男を抑えつけていたのだという。
どうやら、近隣で何度も犯行を重ねている手配犯だったらしい。
警察官によると、これから事情聴取やら現場検証やらで、まだまだ遅くなるという。
ひとまず納得。
「こりゃ、すごいね。」「晩御飯、もっと大御馳走にして乾杯せなあかんね。」と、大興奮のままオニイの帰りを待った。
・・・が、その連絡を最後に、8時になっても9時になってもオニイは帰ってこない。
「オニイ、何か、食べたかしらん?
夕方の時点でもう、腹ペコヘロへロだったはずなのに、この時間まで・・・」と冷め切った夕食も気になる。
「警察といえば、よく尋問の最中にカツ丼とか出てくるけどさ、捕まった人にはカツ丼は出ても、捕まえた人にはカツ丼は出ないんだろうね。」
とか、くだらない話をしながらオニイの帰りを待つ。

だいたい、なんでオニイが痴漢なんかを。
暴力とか取っ組み合いとかが大嫌い。華奢で小柄なオニイがいったいなんで?怖いとか、危ないとか思わなかったんだろうか。確かに頑なに見えるほど正義感が強かったりするところもあるけれど・・・。
状況がよく判らないだけに疑問は膨らむ。
取っ組み合いとかにはならなかったんだろうか。今時のことだから、もし相手の男が刃物とか持っていたらどうなっていただろう。
考えただけでもぞっとする。

心配になって迎えに行った父さんとオニイが家に帰ってきたのは、結局11時を過ぎた頃だった。
「腹減った〜ぁ。」と座り込むオニイには許されるならお疲れさんのビールの一杯でも注ぎたいところだが、とりあえず暖めなおした夕食を並べる。
警察署ではカツ丼はおろか、お茶の一杯も出なかったそうで(笑)
たっぷりの夕飯に、カップめんのデザートまで食べ終わって人心地ついたオニイに、家族皆から待ちかねていた質問の嵐。
まるでヒーローインタビューだ。
「とっさのことやから、怖いとか思う暇なかってん。取り押さえた後になって『コイツ、刃物でも持ってたら・・・』と怖くなったけど・・・」
「結構大人し目の痴漢(笑)やったんで、ほとんど取っ組み合いとかにはならなかったけど、もっと抵抗されてたらおさえてる自信はなかったかも。」
「パトカーにはじめて乗ったよ!小さいときの夢が叶ってしもうたな。」
まだ興奮の残るオニイは、普段よりずいぶんおしゃべりだ。
ここ数日、進路のことや何かで鬱陶しい顔でむっつりしていることの多かったオニイ。一気に雲が晴れたようないい顔をしてる。
とりあえず、怪我もなくてよかった。

まだまだ母にとっては、いちいちその体調を気にかけたり、帰りが遅いと心配したり、何かと気にかかる対象に過ぎないオニイだけれど。
一歩家を出れば、外目にはピンチのか弱き女性が「助けて!」と声をかけるに足るだけの「大人の男」の範疇に見えるのだなぁということが、新鮮な驚きだった。
そういえば、最初の電話だけでは状況が飲み込めず混乱しているだろう母を気遣って警察官に家へ連絡を取ってくれるよう自ら申し出たという対応も、いつものオニイにしては出来すぎる大人の対応だった。
また、事件の状況を得意げに家族に語りながらも被害にあった女性の名前だけは「それって、僕、喋っちゃってもいいのかな。」とすぐには明かそうとしなかったのも、意外な賢明さだった。
知らないうちに、オニイもだんだん大人の男になりつつあるのだなぁ。
なんだか、頼もしいような寂しいような。
母の思いは複雑である。




ひとしきり盛り上がったオニイの話の後で、にやにやと擦り寄ってきたゲン。
「お兄ちゃんのすごいお手柄話のおかげで、僕のイタズラの話は立ち消えになってくれて、有難いわ。」
はぁ。
ここにはまだまだ、大人の男には程遠いいたずら坊主が残ってた。
「なんの、なんの。お兄ちゃんのすっごい手柄話をするたびに『それに比べてこのアホな弟は・・・』と末代まで二つ一組で語ってやる。」
というわけで、大事件続発の一日の顛末。
2件一組で、日記に更新。




後記

どうやらオニイの捕まえた犯人は、余罪も沢山或る凶悪犯だったそうで、警察から感謝状何ぞをいただけるそうです。
やったね、オニイ!





2008年08月17日(日) 全くもう、何を考えてんだか!

久しく更新が停滞しておりましたが、
本日(8月18日)、続けざまに面白い日記ネタが降臨いたしましたので
2回に分けてお届けします。まずは<その1>











今日も外は暑かった。
買物から帰って冷蔵庫を開け、ドアポケットの牛乳をコップに注ごうとしたら少ししか残っていなかった。
あららと思って、棚のほうに横倒しに入れてあるもう一本の牛乳を取り出そうとしたらふわりと軽い。
見ると消費済みの空の紙パック。
「なに、これ!
誰よ、こんな馬鹿ないたずらをするヤツは!」
と大きな声で怒鳴ったら、横にいたゲンが微妙な顔で笑いを噛み潰している。
犯人確定。

数日前から、冷蔵室の真ん中の段に、横倒しに入れた牛乳パックの底面が鎮座しているのは知っていた。
夏の間、我が家の冷蔵庫はいつもギュウギュウ詰め。お茶のボトルや飲料の缶、残りおかずの入ったタッパーウェアやお昼ごはん用の生麺類などが脈絡もなく詰め込んである。
そんな中にぎゅうと詰め込まれた横倒し牛乳パックがえらく嵩を取って邪魔だなぁと何となく気にかかってはいた。
だからこそ、今日、スーパーの牛乳売り場で超特売の牛乳を見かけたときにも「ダメダメ、もう1本ストックがあったから、余分に買っても・・・」と、買わずに帰ってきたのである。
で、帰って出してみたら、それはダミーの空パック!
カチ−ンと来た。


「いったい何が面白くて、こんなアホなことするのよ。
暑いから、冷たい牛乳やお茶はみんなが沢山飲むから、絶やさないようにと思って毎日チェックしてせっせと足しているのよ。
あんたたちは、なんも考えずにガブガブ飲んで、当たり前の顔してるけどね。
これでも日に何回もお茶を沸かしたり、空いた牛乳パックを切り開いて洗ったり、やってんのよ。
それを、何?
なんで空の牛乳パックを冷蔵庫へ戻しておくの?
それで、騙された母が慌てるのをみるのがそんなに面白いの?
え?
どうなのよ?」
と勢いに任せてまくし立てる。
ゲン、母の突然の剣幕に驚いて、大きな体を小さくすくめて、シュンと凹む。
「あ、ごめん・・・。ただ、なんとなく・・・」
「『何となく』で母を騙すのか、バカ息子!
今すぐ自転車で行って、牛乳買ってこい!」
あまりの馬鹿馬鹿しさに腹が立って、小銭とともにゲンを追いだした。
全くもう、何を考えてんだか!


「全くもう、何を考えてんだか!」で、思い出したのは、オニイが小学校低学年だった頃に起こった「食べるな、見本!」事件のこと。
どこからか頂いた上等のチョコレートの箱のなかに、ちょっと変わったデザインのチョコレートがあった。
ちょうど、数物のお皿のデザインを考え中だった父さんが、そのデザインを気に入って制作の見本用にと取り置いて、「たべるな、見本!」と張り紙をしておいた。
数日後、父さんが仕事場で見本の包みを開けてみると、なんと取っておいたチョコレートの隅っこが齧られている。それも微細なデザインのちょうど要の部分に、明らかに小さな子どもの歯型。
「こらぁ!だれだ、齧ったのは?!」
傍らできまり悪そうな顔でうつむいていたのは、オニイ。
「なんで、わざわざ『食べるな』と書いてあるチョコを齧ったのヨ?
書いてある字は読めるよね。それをなんでまた・・・。」
箱の中には、他にも沢山チョコレートは残っていたし、わざわざ張り紙付きで厳重に包まれたチョコをわざわざ齧らなくても・・・。
それもホンの数ミリ、歯形をつけるだけ・・・。
意味、ワカラン!

あの時、オニイは結局、なぜそんな馬鹿げた悪戯をしたのか最後まで理由は明かさなかった。
「ただ、何となく・・・」
と、言うばかり。
以後、我が家では意味不明の馬鹿げたいたずらのことを、「食べるな、見本的イタズラ」と呼ぶ。
「全くもう、何を考えてんだか!」
と久々に叫んだ今日のゲンのいたずら。
大した事じゃない些細ないたずらなのに、タイミングといい事後のゲンの反応といい、ワタシの怒りのツボをストレートに突いた。
「ねえ、聞いて聞いて!ゲンったらね・・・」
と父さんやアユコにまで言い散らかして、溜飲を下げた。

挙句の果てに、
「これは絶対、日記ネタ!
近頃全然書いてないけど、日記復活だぁ。
末代まで語ってやる」
とばかりに、久々の日記更新。

その2に続く。







2008年08月16日(土) 与えてやれるもの

昼下がりのスーパー。
外気の暑さを逃れ、地下の食料品売り場に下りる。
お盆明けとはいえ、炎天下の外出を嫌ってか、意外に買い物客は少ない。
けだるくゆるゆるとした空気が流れている。
盆休みで程よく空になった冷蔵庫を満たすため、山盛りの夏野菜や定番の肉魚、パンや紙パックの飲料をカートに次々に積み足していく。

幼い子どもの激しい泣き声が聞こえた。
売り場の床に寝そべり、盛大に足をバタバタさせて泣き叫ぶ2,3歳くらいの男の子。どうやら男の子は、お菓子を買ってほしいと駄々を捏ねているらしい。おまけ付きのお菓子の箱を握り締め、激しく地団太を踏みながらキイキイと金切り声で泣き喚いている。
傍らには、もう一人小さい女の子を連れた若いお母さん。すでに疲労困憊の様子。
「今度、じいちゃんに買ってもらいな」となだめてみたり、
「お父さんに怒ってもらうよ。」と脅してみたり、
「早く家へ帰って、アイス食べようよ」と懐柔しようとしてみたり。
そのうち、ベビーカーで眠っていた女の子のほうまで愚図りだして、お母さんの声もだんだんヒステリックに歪んできた。


小さい子の子育てって、ホントに大変だよなぁと思う。
ほんの十数年前、自分も確かに通ってきた道だけれど・・・。
一日中、本能のままに撒き散らされる幼児らの感情や欲望を、なだめ、諭し、ねじ伏せ、誤魔化し・・・。ふつふつと噴き上がる悪魔のような幼いエネルギーと闘う毎日。
一日の終わりにはすっかり疲労困憊しているくせに、ようやく寝付いた子らの寝顔には昼間とうって変わった天使の面影を見て癒されていた。
若かったから、やっていけたんだろうなぁ。

よく考えてみれば我が家では、売り場の床に寝そべり地団太踏んでまで子どもに何かをねだられたり、泣かれたりして困った記憶はない。
あえて言うなら、複数の欲しいおもちゃをなかなか一つに絞れなくて、長い時間、玩具売り場をさ迷ったことがあったくらいか。
特に上の3人が幼かった頃は、誰か一人の駄々っ子にいちいち取り合っている余裕もなかったし、「絶対、絶対、これが欲しい!」と激しい自己主張を発露する子もいなかった。
よく言えば、聞き分けのいい子どもたちだったのだろうけれど、見ようによっては、小さいながらに親の顔色や他の兄弟たちの状況を見量って、幼い欲望をコントロールしてくれていたのかもしれない。
まことによくできた子どもたちであったことよ。


泣き喚く男の子と、次第にぐずり始める赤ん坊。
子らとの駆け引きにくたびれ果て、周囲の目にもいたたまれなくなってきた母親は、「お母さんはもう知らない。置いてくよ」と最後通牒を出してさっさと歩き出した。
男の子の声がさらにヒートアップする。
回りの目など気にもせず、母の脅しに屈することもなく、ただ自分の欲しいものを手に入れるまでは一歩も引かぬ決死の根性。
たいしたエネルギーだ。
子どもながら、天晴れ。




あの日、幼い妹の手を引いて、ベビーカーを押す私の後ろを一生懸命ついてきていたオニイがいまや高校3年生。
とうに親の身長を超え、気難しくて無口な、心優しい青年に育った。
来春の卒業を前に、自らの進路についてあれこれ思い惑う今日この頃。
将来の仕事や自分の適性、引き継いでいかなければならない家業のことなど、若いオニイが背負っているものは重い。加えて、進学に要する経済的な負担。下にまだ、3人の弟妹たちが控えていることを考えると、その膨大な教育費の負担はあまりに重い。
オニイはこの夏、美術系の大学や工芸の専門学校などへの進学を目標に、美術部の活動と画塾の講習であけ暮れた。憧れの美術系大学と実技重視の専門学校と、その選択肢に親も子も悩みあぐねる毎日だ。

いっそオニイにあの子どものように、なりふりかまわず「ここへ行きたい!」と地団太踏んででも自分の希望を貫く奔放なエネルギーがあればよいものを・・・。
親の顔色を伺い、家族の経済状態を推し量り、弟妹たちの将来を慮りながら自らの行く末を見極めようと悪戦苦闘しているオニイの苦悩に、親として差し伸べてやれる援助の手はあまりに拙い。
与えてやれるものならあれもこれも盆に載せて、「さぁどうぞ。」と差し出してやりたくなる親心を愚かとは思いつつ、押し殺すこともできない。



結局、男の子は苦し紛れに母親が差し出したアイスだか飲料だかに誤魔化され、お菓子の箱を手放した。
あっけなく泣き止んで、ベビーカーとともにレジの列に消えていった。
結局当の本人も、激しく泣き喚き要求を通そうとすることにくたびれはて、すぐ手に入る手近のアイスで折り合いをつけたということだろう。
そういう選択も、子どもはいつか学んでいく。
せめてあの頃、数百円で買えるおまけ付きのお菓子くらいなら、思うまま買い与えてやる事だってできたのにと、わが子育て時代を振り返る。
苦い想いの今日の一こま。






























2008年07月20日(日) 必殺仕事人

じりじりと暑い昼下がりの茶の間。
だらだらと寝そべって、網戸から抜けていく僅かな風を求める。
見るとはなしに見下ろした畳のへりに、芥子粒のような小さなアリが三々五々、まばらな行列を作っている。
酷暑と言われる気候のせいか、今年の我が家はことさらにアリの侵入がひどい。例年ならシーズン初めに何度か駆除剤を置くだけで、小さな侵入者達の侵攻をそこそことどめることも出来たのだが、今年はそれも無為に終わったらしく、部屋のそこここに芥子粒の行列を見つける。殺虫剤を撒いてみたり、掃除機で吸い込んでみたり、果ては指先でプチンプチンと潰してみたり・・・。
山と緑に囲まれた我が家。ムカデに蜘蛛、アリもマムシも言わばこの地では先住民。「しゃあないなぁ」と、数に任せた敵さんの猛威にほとほとあきらめモードになりつつある。

「わ、アリがすごいもの運んでる!!」
隣で寝そべって文庫本を読んでいたアユコが、急に大きな声を上げた。
2,3匹のアリが、爪切りバサミからパチンと飛んだらしい誰かの爪を運んでいるのだと言う。
白く乾いた三日月を神輿のように掲げて、芥子粒の兵隊達がカーペットの毛足の難路を行きつ戻りつしながら進んでいく。
「いつもなら、アリを見つけたら、すぐに殺虫剤撒いちゃうんだけど、なんかこんな風に一生懸命食べ物を運んでるアリだと、殺せないんだよね。」
と弱った顔でアユコが言う。
自分達の身の何倍もある大きな獲物を、よろよろよろめきながら引きずっていく小さな芥子粒。確かに怯まず殺虫剤を吹きかけるには躊躇う健気さだ。

「餌を運んでる途中のアリはちょっと殺せない。」
確かこのあいだ、ゲンも同じような言葉でこぼしていた。
一心不乱に働く者への共感と畏敬が、この子らの中にもきちんと育ちつつあると言うことだろうか。

       ・    ・    ・


数ヶ月前から、長く伸びた髪をかんざしで結い上げることを覚えた。
まとめた髪をぐりぐりとねじって持ち上げ、根本に太目の金属のかんざしをさしこみ、ぐるりとひねって結い上げる。ゴムもピンも使わないのに、多目の髪がかっちり小さくまとまり、一日の途中で結いなおす必要もほとんどないので重宝している。

「さあ、仕事、行ってこ」
朝の片付け物を終え、バタバタと着替えて髪を梳く。
愛用のかんざしを口にくわえて、後ろ手に髪をねじ上げる。
横で見ていたゲンがククッと笑う。
「ナントカ仕事人みたいやなぁ」

そういえば昔、美形の殺し屋がかんざしを口に咥え凄みを利かせて見得を切る、そんな時代劇があったような無かったような。
あいにく、汗だくのTシャツ姿でうだうだと髪を結うおばさんには、艶めく色気も鬼気迫る緊迫感も望むべくもないけれど。
今日の私の工房仕事は素焼きの掃除、釉薬掛け、釉薬ポット洗い・・・。
窯と乾燥機の吐き出す熱風のこもる蒸し暑い仕事場で、今日も地味でちまちました仕事が山ほど私を待っている。
ねじった髪を痛いほどきつくギリギリと締め上げて、ぐさりとかんざしを挿して出来上がり。
修羅場に踏み込む殺し屋の決意で家を出る。
展示会を間近に控えた父さんも、もう何時間も寝る間も惜しんでの仕事詰め。
まさに必殺仕事人の形相だ。
食事と短い仮眠のためにだけ束の間帰宅する父の疲れた表情にも、働きアリの勤勉と誠実を、子ども達は感じ取ってくれているだろうか。

















2008年07月04日(金) 選択眼を養う

朝、アプコとともに坂道を下る。
今日も駆け足。
朝の支度が遅くなって、とうとうアプコの髪を結ってやる時間がなくなってしまった。寝癖のついたおかっぱヘアを通学帽にぎゅうと詰め込んでニッとアプコが笑う。
「ゴム、持ってるから、学校で自分でくくるね。」
それができるんなら、いつももうちょっと早めに起きて自分でやんなさい。
ピンコピンコと向きたい放題にはねたアプコの髪に、きらきら朝の光が絡む。
今日も暑くなりそうだ。

「好きな男の子?いるよ。クラスの子。名前はおしえてあげな〜い。」
何日か前、そっと耳打ちしてくれたアプコ。
4年生になって、幼い丸顔がちょっと面長になり少女らしいはにかんだ表情が時折見られるようになった。
まだまだちっちゃい子と思っていたら、いつの間にかこんなおませなことを言うようになったんだなぁとほほえましく聞いていたのだけれど・・・。

「あのね、席替えがあってね。」
早足でぴょんぴょん跳ねるように歩きながら、アプコが話し始めた。
「好きな男の子がいるって言ってたでしょ?あの子が私のお隣の席になったの」
「ほほう、それはラッキーだったね。」
「でもね、それがね。」
とアプコの表情が曇る。
「その子ね、前からとっても物知りなんだけどね。
授業のときとか、何かっていうと、『こんなことも知らんの?』とか、『あほやな、常識やん。』とかって、知ったかぶりするねん。
なんか、いやんなっちゃった。」
今まで「好き!」と思っていたのに、隣の席になったら途端に嫌気が差してしまったんだという。
「まあね、男って言うのは女の子の前ではええかっこしたがる動物だからね。」と、こみ上げて来る笑いを噛み潰してアプコの話を聞く。

「離れた席の時には『かっこいいなぁ』と思ってたのに、なんで隣の席になったら急に嫌いになっちゃったんだろ。」
とまじめな顔でいうので、
「テレビの中のイケメンの素敵な男の人だって、もしかしたら身近にいて毎日一緒に暮らしてみたら実はイヤーな奴だったりすることもあるのかもね。
ま、いい男を選ぶ目をしっかり養いなさいってことだね」
と茶化してみる。
「そっか、そだよね。」
と大真面目に頷いているのが可笑しい。

Nさんのトウモロコシ畑のそばまできたら母の送迎サービスはおしまい。
登校班の集合場所までさらに下っていくアプコを見送る。
「ま、いい勉強になったと思って、新しい恋を探しなよ」と駆けて行くアプコの背中に声をかけたら、アプコがくるりと振り返って笑う。
「もう、他にかっこいい子、見つけた!」

・・・この変わり身の早さがアプコのアプコたる所以。
だからぁ、
男は見た目で選んじゃダメなんだってば!


2008年06月22日(日) 引退試合

雨の朝。
寝坊助のオニイを起こす。
階段の下から何度も何度もオニイの名を呼ぶけれど、ああとかううんとか、歯切れの悪い声が戻ってくるばかり。
挙句の果てには、「わ、参った!」と慌しく駆け下りてきて、用意した朝食に見向きもせずに、靴を履く。

「携帯持った?財布は?昼ごはん代持ってる?」
母のお決まりの世話焼きをうるさそうに振り払って、
それでも朝ごはん代わりに手渡す板チョコだけはしっかりズボンの後ろポケットに突っ込んで、自転車を駆って出かけていく。
こりゃきっと、遅刻だな。
今日はオニイの引退試合。

小学校1年生から始めて11年と少しのオニイの剣道歴。
運動が得意なわけでもない。
体格的にも体力的にも、決して恵まれたものを持ち合わせたわけでもない。
格別大きな勝ち星をあげるでもなく、ただこつこつと地味な稽古に励んできた11年。
「男の子にはぜひとも剣道をやらせたい」
そんな勝手な母の願望から始まったオニイの剣道修行。
よくぞここまで続いたなぁ、よく頑張ってくれたよなぁと思う。

高3になって、オニイは剣道部のほかに新たに美術部に入部した。
剣道部の練習を減らして、その分美術部で油絵を描いてきているらしい。
来たるべき進路対策にそろそろ美術の勉強が必要になったのに加え、剣道部の部長の役責や、監督や後輩たちとのしがらみに散々悩んだ結果の路線変更なのだろう。
帰宅したオニイの制服のシャツは、男臭い稽古の汗ではなく、油絵具のカラフルな染みをたくさんつけて帰ってくるようになった。
さらさらの若い汗の汚れとは違って、こちらはもうしっかり生地に染み付いてしまって、洗っても洗っても薄まる気配すらない。

先日、懇談で訪れた学校でオニイが油絵を描いている姿をたまたま見かけた。たたみ半畳もある大きなキャンパスの前に立ち、首を斜めにかしげて絵筆を握るオニイの姿は、はじめて見る新鮮なものだった。秋の発表会に向けての制作だと言う。
とりどりの絵具をちりばめたオニイの作品が、技術的にどうなのか評するだけの眼は私にはない。けれども「ま、たのしくやってる」と語る控えめなオニイの言葉からは、絵を描くことを十分に楽しんでいる空気が感じられる。
本当ならオニイには、汗にまみれて竹刀を構えるよりも、絵具の匂いやカラフルな色彩の中にいるほうが彼本来の居心地のいい場所だったのかもしれないなぁとふっと思ったりする。
そこには、幼いオニイに初めて麻の葉模様の剣道着を着せた母として、ピリッと刺さる痛みが残る。

「遅くなって御免」
夜、試合から帰ったオニイはさばさばとした様子だった。
後輩たちが唯一の3年生であるオニイの引退をねぎらって会食の場を設けてくれたのだという。
「で、試合のほうは?」と訊くと、
「二回戦で負けた。」
1勝1敗。
まぁ、オニイらしい結果なんだろう。
最後の試合でとりあえず一つ勝ち星を上げることができてよかった。
よく頑張ってくれた。
母は嬉しい。











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