月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
早朝、北海道へ修学旅行に行くオニイを送って駅へ。 昼間はまだ小さい子達は半袖で駆け回っているのに、ここ数日で急に朝は初冬の冷ややかさ。 学校では、「あちらは、当地より10度気温がひくい」と教えられたそうな。家族より一足先に冬物の衣類を引っ張り出し、できる限りの防寒対策を旅行かばんに詰め込んで、オニイは出かけていった。 「ほい、行ってくる。母さんありがと」 集合は伊丹空港。 いつも単独行動の多いオニイにしては珍しく、友達と待ち合わせて空港に向かうという。 充実した高校生活を楽しんでいるのだな。 行ってらっしゃい。 存分に楽しんで帰っておいで。
日曜だけど父さんの工房仕事には休みがない。 襲名の記念品の仕事もまだまだ残っているし、年末の干支の仕事も本格始動。窯は毎日のようにフル稼働しているし、釉薬に溶くCMC(ふのり)のビンも次々にカラになる。 いつもいつも何かに追われるように、タイマー片手に駆け回る。 これが我が家の年末体制。 それにしても今年は年末体制に突入するのが、おっそろしく早かった。 襲名披露の準備を始めた夏からずっとこの忙しさ。 気がつけば、乾燥室や窯の熱気がほのぼのと暖かく心地よく感じる工房の冬。 私も今日は、仕事着を袖の付いた冬用の割烹着に変えた。
夜。 真っ白な大根をさくさくと剥いて、こんにゃくとともに圧力鍋で煮た。 ふろふき大根にするつもりが、お子様向けに冷蔵庫にあった練り物をすこしいれたらたちまちおでんもどきになってしまった。 冷めないように土鍋で煮なおしてそのまま食卓へ。 あつあつとろとろの大根は、もうすでに冬の大根の味。 また冬がやってくる。
Mail
父さん、九世襲名披露の日。
直前まで、不眠不休の仕事が続いていた。 250名余りのお客様にお持ち帰りいただく記念品の陶額。 直前まで電気窯フル回転で焼成したまだほの温かい作品を、当日の朝、薄様で包んで包装する。 「松月」の名にちなんで、半月の夜に静かにたたずむ3本の松。 コバルトの吹き付けで描いた夜明けの空が、心なしかばら色に明けつつあるように見えて、最後の一枚を包む手がしばし止まった。 間に合った。 今日の良き日。
襲名を祝ってくださる大勢の方に囲まれて、和やかに宴が始まった。 紋付羽織袴で、緊張した面持ちの父さん。 宴席の仕様や進行の手順は、ほぼ結婚式と同じ。 だから、あとから遅れて宴席に入場してくる父さんのことを、思わず「新郎入場」と言い違えそうになって、何度も笑う。 けれどもそれはまさに、結婚式の晴れがましさ。 私も久々に着慣れぬ和服を着せていただいて、2度目の結婚式さながらの嬉しさをともに味わう。
「ゆくゆくは、松月の名を襲名して・・・」と言われながら、義父や義兄の名前の下で仕事をする年月が長かった。 父さん自身、果たして自分が襲名することが、窯にとって、自分自身の仕事にとって、本当にプラスになるのかどうか悩むことも多かったようだ。 その逡巡は今こうして襲名披露を終えたあとにさえ、ずっとずっと続く。「九世」という名前の重さは、これから父さんが年齢を重ね、仕事を積み重ねていくうちにますます重みを増していくことだろう。 ただ、一つ確かなことは、重い名前を背負って歩く父さんの後ろには、それをまぶしく見上げながらついていく、私や子どもたちがいると言うこと。
宴席の座興に、映像の専門家に作っていただいたVTRを流した。窯の歴史や父さんの仕事中の姿、義父や義兄との歓談の様子などを十数分にまとめた短い映像。 薪窯を焚く父さんの傍らに、頭に手ぬぐいを巻き、軍手姿で見守る子どもたちの姿も入れていただいていた。 会場で初めて映像をみた子どもたち。思いがけないところで自分たちの姿が映し出されて、思わずくすくす照れ笑いが漏れた。 そのすぐあとに流れた、義兄や父さんの子供時代からの古い写真。 大学生の父さんが一心に制作に取り組む横顔を写したセピアカラーの映像は、ちょうど今のオニイにそっくりで息を呑んだ。 いつかはこの子どもたちが、父さんや義兄のように助け合って窯の火を守ってくれる日が来るのだろうか。 そのとき父さんは、そして私は、どんな生き方をしているのだろう。
最後のお客様を見送って、大急ぎで更衣室に走り、帯を解く。 身軽な服装に着替えて、後片付けに加わる。 お呈茶席に使った大量のお茶碗や銘々皿。 会場に展示し十数点の作品。 予備に持参していた記念品や衣装の風呂敷包み。 それに当日会場に届けられたあふれんばかりの花籠の数々。 それらの荷物を積み込み、家族がそれぞれに乗り込むと、3台の車はぎゅうぎゅう詰めの大混雑になった。 いろいろ忙しかったけれど、きっと数々の不手際や不調法はあったのだろうけれど、とにかく今日の一日が無事終わった。
宴席のあとで、会場のスタッフの方々がお客様のテーブルに飾ってあったたくさんの花をいくつもの小さな花束にしてとっておいて下さった。 コスモスやガーベラを集めた可愛らしい花束。 あまりにたくさんありすぎて家には飾りきれないから、すこしだけいただいて残りは処分していただこうかと相談していたら、アユコが「全部持って帰りたい!」という。 これまで準備の間も、宴席の間も、文句一つ言わず黙々と手伝ってくれていたアユコ。最後にたった一つの少女らしいおねだりだ。後ろからアプコも、欲しい欲しいというので、全部持ち帰ることにする。 「それなら、自分で運んでね」というと、二人は嬉しそうに花束を抱えて車まで運ぶ。 「途中、誰か人に見られたらちょっと恥ずかしいね。」ときゃあきゃあ言いながら、ホントは腕いっぱいの花束を抱えてロビーを歩く、その行為そのものが嬉しくてたまらないのだ。
埋もれそうなほどたくさんの花を抱えて、花のように笑う娘たち。 これもまた、父さんの襲名の日を祝う、取って置きの贈り物。 父さん、受け取ってくれましたか。
ご参列いただいた皆様、 どうもありがとうございました。
夜剣道。 早めの夕食をあわただしく詰め込み、ゲンを車で道場まで送る。 6時半からの子ども稽古、8時からの大人稽古。9時まで2時間半、ぶっとしの稽古に休まず通いつめるゲン。 残暑厳しい今の季節、稽古を終えると分厚い剣道着は汗を吸ってじっとりと重く、それでもまだゲンの短い髪から顎にかけて、玉の汗がじわりじわりじわりと流れ落ちたりする。 頑張っている、ゲン。
ゲンが車の中で話してくれたこと。
ゲンの友達のO君は4人兄弟。 もうすぐ5人目の弟か妹が生まれるらしい。 小さな賃貸マンションに住んでいて、「7人家族になったら、あの家じゃきついだろうなぁ。」とゲンが要らぬ心配をしている。
O君は忙しい両親に代わって、弟妹たちの面倒もよく見ていて、放課後は保育所に幼い妹をむかえにいって連れて帰って来るんだそうだ。簡単な料理もできて、両親がいないときは自分で晩ご飯を作って、弟妹たちに食べさせることもあるらしい。 中学に入って入部したラグビー部も、練習時間が長くて家の用事をするのに差し障るからと1学期で退部したのだそうだ。 「あいつ、偉いなぁ。家のことは何でもやって、弟妹たちの面倒も見て・・・。」
ゲンはその話のときに、小学校での友達のA君のことを話してくれた。 Aくんの家は大きなお屋敷で、Aくんの部屋は「うちのリビングと台所をくっつけたくらい」広い。大きなベッドを置いても部屋の中でプロレスができそうなんだそうだ。 比べて、O君ちは、6畳くらいの小さな部屋にOくんと弟の大きな2段ベッドと二つの机がおいてあって、遊びに行ったらベッドの上に座ってゲームをするしかないのだという。 「でもな、何でも持ってるAくんより、O君のほうが僕にはなんだか幸せそうに見える。」 とゲンは言う。
ゲン。 あんただって、よそんちの子と比べたらずいぶんいろんなことを手伝ってくれるし、アプコの面倒もよく見てくれてると思うんだけどな。 焼そばだって、ちゃんと作ってくれるし。 近頃では、部活で留守がちなオニイにかわって、工房の手伝いやちょっとした力仕事やってくれるようになった。 ありがたいと思ってるよとゲンに告げる。
それでもゲンは 「僕な、なんかOくんのこと、尊敬してんねん。」 とまっすぐな目で言う。 中1の少年が、いつもつるんで遊んでいる同級生の友達のことを「尊敬している」と表現できる。 そのこと自体、ゲンも偉いなぁと私は思う。
ゲンにはゲンなりの、堅実な価値観が育ってきているのだろう。 急に背が伸び、声変りが進み、日に日に大人びてくるゲンの成長が頼もしく嬉しく感じられる。
夕方、工房での仕事を終えてエプロンをはずす。 釉薬で汚れた手をざぶざぶと肘まで洗う。 今日仕上げた仕事は5板分。 ずらりと並べた作品を乾燥庫にしまう。 「ああ、おなかすいた。もう5時やね」と熱心に絵付けをしている父さんの背中に声をかける。
今日は一日、父さんもずっと座り詰めで作業をしていた。 襲名に向けての作品作りが山積みで、毎日追われるように土に向かう。 昼間は電話や来客など制作以外の雑用が結構多くて、今日のように丸一日土を触っていられる日があると、父さんはそれだけでほっとしたように延々と続く制作の仕事にのめりこむ。 今日も夜遅くまで仕事を続けるつもりだろう。
夕方5時には作業を終えて、先にうちへ帰れる「パート職人」のあたしは幸せだ。 一休みして、子どもらと一緒に虫養いのおやつを食べて・・・。ちょっと気楽な一休みが待っている。 「悪いねぇ、父さん、先に帰るよ。まだまだ、仕事する?」 絵付け仕事に熱中する父さんは、左手に作品、右手に絵筆を持ったまま、肘だけでバイバイと手を振って、返事をする。
「父さんの仕事はエンドレスだねぇ。エライエライ。私にはとてもとても勤まらない」 とからかうと、 「いやぁ、それほどでも・・・」と父さんは笑う。 「それよりも、毎日毎日何年も、『今日は何を作ろうか』って、晩御飯の献立を考えて料理する主婦の仕事のほうが、エンドレスだと思うけど。 僕にはとてもとても勤まらない。」 「あら、そう?じゃあ。ほめて、ほめて。」 「ああ、エライエライ」
ありがとう、父さん。 毎日毎日、寝ずに仕事をしてくたびれて、それでも主婦の当たり前のルーティンを「エライエライ」と褒めてくれる。 ゆるゆると嬉しい気持ちのままうちへ帰り、いつもよりも力を込めて夕飯の米を研ぐ。
10月に父さんの襲名披露の催しが決まった。 その段取りや引き出物としてお渡しする記念品の制作で、大忙しの日々。 父さんも私も、昼夜なく工房と自宅を行き来して、あれやこれやと走り回る。働いても働いても山積みの仕事と逃げ出したくなるような難儀を前に、唸りながら這いずるように一日が暮れる。 そんな毎日。
2学期になって、アプコの下校の迎えにいけない日が増えた。 工房での仕事が立て込んで、アプコの下校時刻にあわせて手が離せなかったり、送迎にかかる2〜30分の時間が惜しいこともある。 また、3年生なって下校の時間が日によって予定表より遅くなったり、お友達の家に寄り道して帰ってくることも増え、1,2年生の頃のような「毎日お迎え」はそろそろ難しくなり始めたせいもある。 「一人でもだいじょぶだいじょぶ!もう3年生だもん」 とアプコなりの自尊心も芽生えてきたらしい。 一人で鼻歌など歌いながら、ひょこたんひょこたんと楽しげに帰ってくる日が多くなった。
今日もアプコの下校時間、私は家で小物の仕上げ仕事をしていた。 玄関のあく音がして、アプコが帰ってきたらしい。 「お帰り」と声を掛けたが、玄関から答えはない。 あれれと思って立っていくと、アプコが玄関の扉を半分開けたまま、俯いて立っている。 「どしたの?こけちゃった?」 ううんと首を振るアプコの目が見る間にウルウルと濡れてくる。 「ありゃりゃ、お母さんが迎えにくると思ってた? なんか怒ってる? 一人で帰ってくるのが、さびしかったの?」 と立て続けに訊く私にアプコはいちいちブンブンと首を振る。そして靴を脱いでうちへ上がると、ランドセルも下ろさぬまま、ゴツンと私の胸に顔を埋めた。 このごろぐんと背も伸びて、アユねぇの口真似をして生意気な物言いもするようになったアプコ。こんなふうな突然の泣きべそは久しぶりだ。 いくら聞き返しても首を振るばかりで、泣きべその理由はちっともわからないので、ご機嫌直しに車で夕飯の買い物に出ることにした。
出がけにざぶざぶと冷たい水で顔を洗って、泣きべその痕跡を洗い流した。 助手席のちょっと恥ずかしそうにアプコが笑う。 「今日ね、帰りの荷物がとっても重くて、途中で手とか足とか、痛くなっちゃった。」 アプコがポツリポツリと話し始めた。 「それからね、お隣のIさんちの近くの草むらでね、ガサガサって、大きな音がしたの。」 「それがこわかったの?」 「こわくないけど、ちょっとね・・・」 「なんの音だと思った?犬?それともへび?」 「う〜ん、へびかなと思った。」 「ニシキヘビみたいなでっかいへび?」 「まさかぁ!でも、そのくらいおおきな音、したよ」 そうかそうか。 たった一人で歩いて帰る山道。 ガサガサとなる草むらの音が、こわい大蛇ののたくる音に思えて、アプコは怖かったんだな。 大人の目から見れば、アプコの行き帰りの送迎は不審者や不測の事故を心配してのことだけれど、幼いアプコにはもっとほかにもこわいものがいっぱいあるんだな。 しっかりしてきたようでもまだちっちゃい女の子なんだ。
「でもさ、アプコはへび、見てないんでしょ? もしかしたら、ねことかウサギだったかもしれないよ? 野鳩かもしれないし、たぬきかもしれないよねぇ。」 「あ、そっか。ねこだったら、もっとちゃんと見てくればよかった。」 アプコは初めて気がついたように、ほっとして笑う。 「うん、ねこだったらお母さんも一緒に見たかったな。」
「だったら、明日はお迎えね。」 そうそう。 明日は早めに仕事を切り上げて、久しぶりにお迎えに行こう。 二人で取り留めのないおしゃべりをしながら、だらだらと長い坂道を一緒に歩こう。 まだまだ幼いアプコと一緒に見たいものがある。 忙しさにかまけて、忘れてかけていたことがあった。 反省反省。
この夏、ゲンの声変わりが始まった。 風邪でもひいたのかなと思っていたら、時々声が裏返っちゃうことが増えて、いつの間にか普段の声もぐんと低くなってきた。 「おかあさん、おかあさん!ぼくの水槽の金魚がな・・・」 と楽しげにおしゃべりしてくれる内容はまだまだお子様の可愛らしさなのに、その話す声のトーンとのギャップが可笑しくて、ついつい調子が狂ってしまう。 そして気がつくと、ほんの数週間前まで13年間も毎日普通に聞いていたげんの子どもの声がどんなだったか、もう、あいまいにしか思い出せない。 舌っ足らずでちょっと甘えるような、いつもユーモアを含んだ愛らしいゲンの声。 永久保存版のディスクに入れて、ずっとずっと大事に持っておけばよかった、あの声の記憶。
オニイのときにもそうだったけれど、声変わりが終わると男の子たちは汗の匂いもガラリと変わる。 「大人の香り」といえば聞こえは良いが、実際には生臭いオスのケモノの匂い。もっといえば、そう、「おじさんクサ〜イ!」というヤツだ。 朝、3時間の剣道の稽古を終えて、「あち、あちー!」とゲンが車に乗り込んでくると、小さな軽自動車の車内はぼとぼとに汗を吸った剣道着から発する匂いで一瞬にしてむせ返る。 発酵の進んだ果実ととろろ昆布を混ぜたような、なんともいえない饐えた臭いだ。 「窓、開けてぇ!」と後部座席から悲鳴が上がる。 「そんなに臭いかなぁ。道場の中はみんなこんな臭いだから、自分じゃわからないけど・・・」とゲン自身は車窓からの風を受けて、涼しい顔でぐびぐびとペットボトルのお茶を飲み干す。 この子もこうして青年になっていくんだなぁと、まぶしく思う。
うちへ帰ると、「おかえり〜!」と走り寄ってきたアプコが、うぇーっと鼻をつまむ。 ひるまず、冷蔵庫の前へ直行するゲンの背を押しやって、 「とりあえず、剣道着脱いで、シャワーでも浴びといで。頭も洗ってね。」と、追い立てる。 「ゲンにぃ、くさ〜い!」と、アプコがゲンの歩いた後をスプレー消臭剤をシュウシュウやりながら、ついて行く。
そういえば、昔TVで流れていたこの消臭剤のコマーシャル。 疲れて仕事から帰ってきたご主人の背広に、「なにをおいても」の勢いでシュウシュウと消臭剤を振りまく主婦。 あれって、感じ悪いなぁ。 一日しっかり働いて、くたびれた旦那さんの汗。 あんなに嫌そうな顔しなくっても・・・って、眉をしかめて見ていた私。 あらら、でも、今、アプコがゲンにおんなじことしてる。 これってやっぱり感じ悪い?
やいのやいのというけれど、ホントは私自身はゲンの汗の匂い、そんなに嫌じゃない。 藍の剣道着の背中が真っ黒にかわるほど搾り出したゲンの汗。 日に日に少年から青年に成長していく若いゲンの勲章のような気がして、臭い臭いといいながら、なんとなく誇らしい、嬉しい気持ちも確かに含まれているとは思うのだけれど・・・。 シュウシュウと脱臭剤のスプレーで兄の背を追うアプコには、多分そんな複雑な母の思いは伝わっていない。きっとそれはアプコ自身が母となり、その子どもが自分の背丈を追い越す少年に成長する頃まで、たぶん気がつかないことなのだろう。 「アプコ、もう良いよ。そんなにいっぱい撒いちゃ、もったいないよ」 とりあえず、きゃあきゃあ騒ぐアプコからスプレーを取り上げる。
「ああ、さっぱりした!」 と、短い髪からぽたぽたシャワーの雫を落としながらやってくるゲン。 ゆで卵のようなきれいな顔に、石鹸の匂い。 まだその頬はふわふわと幼い子どものやわらかさで、こわい髭の生えてくる気配もない。 「アイス、もう残ってなかったかな」と冷凍庫に頭を突っ込むしぐさもまだまだ子どもであっけらかんと屈託がない。 男の子の成長というのは、面白いもんだなぁと、思う。 汗でどっしりと重くなった剣道着を、ガラガラと洗濯機で洗った。
夏、陶器屋の仕事場は暑い。 連日フル稼働の焼成窯の熱。 施釉した作品を乾かす乾燥庫から漏れる熱。 じっとりと湿気を含んだ埃混じりの空気が、どよんと沈むように溜まっている。 もちろん仕事場にはクーラーは無し。 何もしなくてもジワジワとにじみ出る汗に、どんどん体内の水分を奪われる。 「ご家庭で気軽にサウナが楽しめます」と言うところか。 冗談抜きで暑い。
仕事場での私の定位置は、乾燥庫のまん前。 背後には窯場。 工房の中では一番暑い。 熱気を含んだ空気をジワジワと背中に受けながら、のろのろと釉薬仕事をやっつける。 唯一の冷房装置は大型の扇風機が一台。 作業によっては、急激な乾燥や埃の舞い散りを嫌うため、その扇風機すら使えないこともあるが、それでも工房の少し離れた場所で扇風機が回っていれば澱んだ空気がある程度循環されるためか、心なしか涼しくなったような気になれる。 「毎日、こんなにサウナ状態のなかで仕事してるのに、ちっとも痩せないのは何故?」 と愚痴る私に、見かねた父さんは笑って扇風機を引っぱってそばへ寄せてきてくれる。 「ああ、極楽じゃ〜」 首振りの扇風機の風が通過するごと、気持ちばかりの涼を分け合う。
翌日、朝の家事を終えて遅めに仕事場に入ると、若い職人のHくんが型抜きの仕事をしている。薄い板状の粘土を石膏型に当て、数物の器の生地を作る作業。寡黙なHくんは、耳元でFMラジオの音楽を小さく流しながら、来る日も来る日もただ黙々と型抜きの作業を繰り返している。 いつもの場所に座り、昨夜の続きの仕事にとりかかる。 「あっつー!」 しばらくして、乾燥機の扉の吐き出す熱気に顔を上げる。 そこではじめて、昨日父さんが引き寄せてくれた扇風機が、再びHくんのそばの定位置に戻されていることに気がついた。今朝、始業のときに、Hくんが元の位置に戻しておいたのだろう。扇風機は小さな唸りを上げながら、さして涼しくも感じられない仕事場の熱気をかき回している。 作業台や乾燥機、窯場をしょっちゅう行き来する私や父さんの作業には、のんびりと首を振る扇風機の風は、さして用を果たさない。埃を嫌う釉薬掛けにも、大雑把にそこらじゅうの埃をかき回す直近の風は禁物だ。 だからこそ、扇風機の定位置は一日じっと同じ場所に座って作業を続けるH くんの近くになんとなく定まってはいるのだけれど・・・。
夕方、定時に仕事を終えたHくんが立ち上がり、道具を片付け、エプロンをはずして帰っていく。 「お疲れ様です」 と帰り際、自分のそばのラジオを切り、扇風機のスイッチをパチッと切った。
ああ、そう。 扇風機のスイッチも切っていくのね。 私も、父さんも、あと何時間かこの暑い仕事場でずっと作業を続けているのだけれど。
あえて言葉にして指摘するまでもない、 けれども何かしらイラッと誰かの心を刺した微かな苛立ちに、 若いH君は気づいていない。 一日中、ほとんど言葉も交わさず、ただ黙々と型抜き作業に没頭していた彼には無理からぬこと。いまどき、この暑さに扇風機に頼って涼をとる職場なんてねぇ。
だけど、だけど。 これがオニイだったら、どうだろう。 オニイは、暑い作業場に一台きりの扇風機の風の行方に、気がつくことができるだろうか。 これがゲンだったら?アユコだったら?アプコだったら? 形だけでも、「扇風機、そっちへ向けましょうか?」と、言うことができるんだろうか。 そもそもこんな、わざわざ教え込むまでもない些細な気遣いの機微は、誰が、いつ、どんな風にして、躾けていくものなのだろう。
「おなか、すいたね、今夜は何を食べようか?」 夕食の支度まで、あと1時間弱。 今日の作業をきりのいいところまで片付けてから終わりたい。 再び、扇風機を引っ張り寄せてスイッチを入れ、わずかな風を感じながら、最後のひと板の白絵掛けに取り掛かる。 「そろそろ、カレーとか食べたいね。」 仕事場の顔から家族の顔に戻った父さんと、再び埃っぽい扇風機の風を分け合う。 今日もよく働いた。
夏休みもそろそろ終盤戦。 ツクツクボーシの声がちらほら混じる。 外出すると、子どもたちは決まって「宿題済んだ?」と声をかけられる。 「う〜ん」と歯切れの悪い返事。 もうじき夏も終わる。
明日は地蔵盆。 工房の隅にある小さなお地蔵さんの祠に子どもらの名前の書かれた赤い提灯を飾り、お菓子や果物を供えて、お寺さんにおつとめに来ていただく。 ごくごく身内だけでお守りするお地蔵さんだけれど、祠をお掃除したり、新しい前掛けを作ったり、あれこれこまごまとやることがたくさんあって、なかなか手ごわい一大行事。 おまけに今年は、同じ日に京都の義妹家族の遅めの里帰りが重なった。 工房の教室では定例の陶芸教室の予定も決まっている。 おいおい、スペシャル3連チャン? ううう、とうなりながら、お供え物や宴会料理の買い物に駆けずり回る一日。
たまたま、大きい子どもたちの外出の予定も重なっていて、頼みの労働力が期待できない。 「ねぇねぇ、お母さん、これ、どこへ持ってくの?」 唯一家に残ったアプコがちょろちょろ後ろを付きまとって、あれこれ質問攻めにする。 「うんうん、ちょっと待ってね。」 とやり過ごしながら、あちこち走り回っているうちにふと気づいた。 さっき、お供えするつもりでちょっと傍らにのけて置いた果物が見当たらない。 あれぇ?と私がきょろきょろしている気配を感じて、アプコが「あ、果物、お地蔵さんとこ、置いてきたよ。」とすかさず答えた。 見ると、さっき紙袋のまんま置いておいた果物が、ちゃんと小さな丸盆に積み上げて、お地蔵さんの前にちんまりとお供えしてある。 アプコが一人でやっておいてくれたのか。
末っ子のゆえに、いつまでも幼い幼いと思っていたアプコ。 上のオニイオネエたちが何かと細かく気を回して手際よく手伝ってくれるようになり、ついつい働き手として期待してしまえるようになったこのごろ、おちびのアプコはいつまでたってもアユコの後ろにくっついて、形だけ「お手伝い」させてもらうだけのことが多い。 けれども、よく考えてみればアプコももう3年生。 「小さい母さん」でもあるアユ姉さんの薫陶のおかげで、ずいぶんいろんな家事や手伝いが器用にこなせるようになってきた。もしかしたら、同じ年齢の頃のアユコよりも上手に出来ることもあるのかもしれない。
一人で薄焼き卵が上手に焼ける。 おなかがすいたら、自分で卵入りのインスタントラーメンくらいは作れる。 洗濯物を干すときに、ぴんと皺を伸ばして干すことが出来る。 階段の隅っこのゴミまできれいに掃き清めることが出来る。 アユコの時には私が一から一つ一つ教え込んだ家事の一こまを、アプコは、上の兄弟たちのすることを見ているうちに、いつの間にか自然に一人で上手にできるようになった。 末っ子っていうのはこんな風に、知らぬ間に大きくなっていくものなのだなぁ。
末っ子育ちの強みは、周りの状況を見回して要領よく自分の出番を察知して立ち回ることが出来ること。 出来ないところはさっさと誰かの助けを借りて、「できました!」のええかっこしぃだけはちゃっかり自分の手柄にする。 アユコやオニイの不器用な生真面目さと比べれば、その日和見主義の要領よさがなんとなくイライラと神経に障ることもあるけれど、それはそれで末っ子なりの自然と身についた世渡りの術。本人はいたって単純に、なんの衒いもなくニコニコと笑っている。
このごろアプコのしぐさや物言いが、驚くほどアユコに似ていて笑ってしまうことがある。 私の家事のちょっとした手抜きを目ざとく見つけて「だめじゃん」と笑うタイミング。 「あ、今ちょっと手を借りたいな」と思っているときに寄ってきて、「呼んだ?」とさりげなく手を貸してくれる要領のよさ。 きっとアプコそのうちに、今のアユコのような「使えるムスメ」に成長していることだろう。 たまの駄々っ子、でれでれ甘えん坊はご愛嬌。 第2の「小さい母さん」の出現が嬉しく待たれる末っ子姫だ。
アプコ、誕生日。
朝、普段のお寝坊には珍しく、早く起きてきたアプコが擦り寄ってきて、 「おかあさん、ありがと」とはにかみながら言う。 「?」と、聞き返したら、 「だって、今日はあたしの誕生日やモン。ほら、おかあさん、言うてたヤン」と笑っている。
ちょっと前のこと。 誕生日の何日も前から、「プレゼントには何をもらおう?」「バースディケーキはどこへ買いに行こう?」と、事ある毎にしつこいほど語るアプコに辟易してこんなことを話した。 「あのね、アプコ。 お誕生日が楽しみなことはよくわかるけど、お誕生日は誰かからプレゼントをもらったり、ご馳走を食べたりするためだけにあるのかな? ゲンにぃはいつも自分の誕生日には、お母さんに『産んでくれてありがとう』って、言ってくれるよ。 お誕生日は、命を授けてくれた神様や家族やまわりの人たちに『ありがとう』の気持ちを伝える日でもあるんじゃないのかなぁ。」 ふうんと納得のいかない顔で聞いていたアプコだけれど、ちゃんと覚えていたんだな。 アプコ、9歳。 賢い子どもに育った。
そんな風に、楽しみに迎えた誕生日の朝なのに、だらだら朝寝を貪って遅く起きてきたオニイ、オネエからは、「おめでとう」の言葉がもらえなかった。部活に、稽古事にと忙しく走り回る中高生達は、幼い妹の誕生日をすっかり忘れてしまっていたらしい。 「でもねぇ、アプコが生まれたのは12日のお昼過ぎだからね。きっとお昼から『おめでとう』って言ってくれるんじゃないの?」 ととりなして、とりあえずアプコのご希望のバースディケーキを買いに出かける。 イチゴのたくさん載ったホールのケーキにするか、それぞれの好みで選ぶとりどりのカットケーキにするか、散々悩んでいるので、 「お誕生日の人だけ、カットケーキ2個ってのはどう?」 というオプションをつけたら、2種類のショートケーキを即座に選んで満足顔。 きっと、夕食のすぐ後のおなかには、2個のショートケーキは入りきらないだろうに。 欲張りだなぁ、アプコ。
ケーキ屋からの帰り道、小さな産婦人科医院のまえを通る。 我が家の5人の子どもたちが生まれた病院だ。 「ほら、アプコの生まれた病院よ。」 と言ったら、「え?うそ!ほんと?」とびっくりしている様子。 何度も何度も車で通ったことのある道。 そのたびに子どもたちには、「ここがあなたたちのうまれた病院よ」と教えてきたはずなのに、アプコはそのことを今日の今日まで知らなかったらしい。 考えてみれば、アプコ以外の上の子達は、自分より下の兄弟の誕生のときにこの病院を訪れたことがあって、「あなたがうまれたときにはね・・・」と自分の誕生のときのことを聞かされて育っているはず。 当然のことながら末っ子姫のアプコだけ、そういう経験がないまま、大きくなってしまったということだろう。
「ねぇ、アタシが生まれたとき、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちもここへ来たの?」 と訊くので、アプコの誕生の日のことをぽつぽつと話した。 アプコの生まれる日の朝、ベランダの朝顔が満開だったこと。 だから、アプコの名前は、朝顔の「あさみ」なのだということ。 早くから帝王切開が決まっていたので、アプコの誕生する日は産婦人科の先生と相談して決めたこと。 アプコの生まれる2年前、アプコのお姉さんに当たる小さな赤ちゃんが、生まれて3ヶ月足らずで亡くなっていた事。 そして、亡くなった赤ちゃんの代わりに生まれてくるアプコのことを、家族みんなが楽しみに待ち望んでいたこと。
「アプコは末っ子だから、兄弟みんなに迎えられて生まれてきたんやね。 末っ子って、幸せやねぇ」 今朝のオニイオネエはアプコの誕生日をすっかり忘れていたみたいだけれど、あの日、幼いお兄ちゃんお姉ちゃんたちは確かに、ワクワクドキドキしながら新しい赤ちゃんの到来を指折り数えて待ち望んでいた。 もちろん、お父さんも、お母さんも・・・。
あれこれ話しながら運転していて、大きな交差点で信号待ち。 じわじわと湧いてきてしまう涙をアプコにばれない様に手の甲でぬぐう。 アプコの生まれた日。 あの日もこんな風に暑くて日差しのまぶしい一日だった。 アプコ、お誕生日おめでとう。 生まれてきてくれてありがとう。
BBS
朝からアプコはお菓子作りの教室。ゲンは剣道朝稽古。 二人ひっくるめて車で送る。 今日も暑い一日。
アプコの教室が終わって、ゲンを迎えに道場へ。 3時間の稽古でクタクタのゲンが乗り込んでくると、小さな軽自動車の車内にむっと汗の匂いが充満する。 最近ゲンの汗の匂いが変わった。グイッと背が伸びて、いつの間にか私やアユコの身長も超えた。声変わりも近いようだ。 稽古のあとの汗の匂いも、オニイと同じように、大人のオトコの獣臭いにおいに変わっていくのだろう。 次に竹刀を新調するときには、一サイズ長い大人用のを買うのだという。 ケラケラとよく笑う天真爛漫のイタズラ坊主のゲンも、これから少しづつ気難しく無愛想なたくましい青年に成長していくのだろうか。 なんだかまぁ、嬉しいような寂しいような。 これが男の子の当たり前の成長。
途中のスーパーで昼ごはんの買い物を選んでレジに並ぶ。 「喉が渇いた」と物欲しそうなゲンとアプコに、 「大サービスで、ジュース。二人で一本選んでおいで」と小銭を渡す。 普段は水筒持参でめったに外では買わないペットボトル飲料。ま、厳しい稽古に頑張ったゲンと外の暑さに免じてのサービスだ。 それなら一人に1本づつ好きな飲み物を選ばせてやればいいようなものだけれど、そこはケチンボ母さんの意地の悪いところ。 あえて二人で1本。お互いの嗜好をすり合わせて一本の飲み物を選ばせるのが面白い。 炭酸好きのゲンと柑橘系嫌いのアプコが二人で選んだのはファンタグレープのボトルだった。
子ども達がまだ小さかった頃、この手の「わけあいっこ」は楽しい遊びの一部だった。 2人に缶ジュースを1本ずつとか、3人で一つのアイスクリームとか、わざと一人1個ずつ買い与えないで、子ども達に自分達でわけあいっこをさせる。ひどいときには4人にマックシェイク3つとか、4人に5個のドーナッツとか、わざと分けにくい数の好物を買って来て渡したりする。 子ども達は小さな頭をそれぞれに思い巡らせて、公平な分け方を考え込む。 一本のボトルをグルグルとみんなで回し飲みしたり、じゃんけんぽんで残りの一個を取り合ったり、わずかな出費でずいぶん長い時間楽しむことが出来たものだ。
車に戻って、久々にゲンとアプコの「半分こ」 どんな風に分けるのかなとみていたら、助手席に座ったゲンがキュッとペットボトルの蓋を開け、後ろに座ったアプコにひょいと渡して 「ホイ。アプコの好きなだけ先に飲みな。残った分をボクが飲むから」 と、いう。 お、ちょっと大人の発言じゃん。
年下のアプコと本気でじゃんけんをするでもなく、それでも先にアプコに飲ませてやればまさかアプコが自分の分よりたくさん飲み干してしまうことはないだろうということを十分に計算に入れて、兄さんぶって妹に先を譲る。 アプコはアプコで、少しでもたくさん自分が飲みたい気持ちと稽古で汗をかいてきたゲンにぃにたくさん飲ませてあげたい気持ちを天秤にかけて、チビチビと甘いジュースを味わう。 二人の微妙な気持ちの駆け引きがそれとなく伝わってきて、「上手に分け合える兄弟」に成長したのだなぁと嬉しくなる。 たった100円の炭酸飲料。 ゲンとアプコの互いを思いやる優しい気持ちと、「半分こ」を楽しむ遊び心の成長が見られた分、とってもお買い得の100円だった。
BBS
|