月の輪通信 日々の想い
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夜剣道。 早めの夕食を取ったゲンを道場に車で送る。 暑くなってきたので、持参の水筒はペットボトル2本分。 それに帰りの栄養補給にラップで包んだ大きな梅干おにぎり。 中学生になって大人稽古にも出ることが許されるようになったゲン。 結局同じ道場から大人稽古に残るようになった中学生はゲン一人で、そうそうたる大人の剣士達に混じって、こてんぱんに揉まれて帰って来る。 「今年はいまんとこ、まだ皆勤やで。絶対休まへんねん。」 と、重い防具袋をひょいと担ぐ。ここ何ヶ月かでずいぶん体格も良くなった。 偉い高段者の先生達にもそこそこ可愛がってもらっているようだ。 ゲンはゲンなりに、オニイとはまた違った感覚で道場通いを楽しんでいるらしい。
道場に着いて、車を止めたところで、「そういえばな」とゲンが話し始めた。 何の脈絡もなく「そういえば」で新しい話題を始めるのはゲンの口癖。どうでもいい話のような振りをして、結構誰かに聞いてもらいたい大事な話をするときに使う言葉だ。 「最近な、やたらと『平等』って言いたがるヤツって、多いよな。」 どうやら今日の「聞いてもらいたい話」は愚痴らしい。 「そうかな。たとえばどんな時?」 と聞き返して、即座に「シマッタ!」と思う。 ちょうど車のエンジンを切って、ゲンがシートベルトをはずした所。込み入った愚痴話を聴くには微妙に時間が足りない。私が無意識のうちにせかすような口ぶりで聞き返したせいで、ゲンは「ま、いろいろな。」と適当に話を切り上げて、車を降りて行ってしまった。
学校で何かトラブルでもあったかな? それとも兄弟げんか? ゲンの稽古が終わるのを待つ間、買い物をしながら、車を走らせながら、何となくゲンの言う「平等」という言葉の意味が気になって、ふっと考え込んでしまう。。 ゲンはいったい、どんな「平等」のことを憤っているのだろう。
日常生活の中で、人が強く「平等」を主張するとき。 それは、自分自身が不利益を蒙らないように身構えるときや、他人より自分がちょっとでも得をしたい、「ええめ」をしたいと思っているときが多いような気がする。 「平等に」といいながら、その実、自分だけが損をすることがないように、自分と他人の立場を天秤に載せ抜け目なくその傾きに目を光らせて、あわよくば自分の取り分を少しでもかさ増ししようとする、そんな小狡さが見え隠れしていたりする。
このところ、私自身、「割に合わない」とか「不公平」とかそんな言葉がしょっちゅう頭の中で浮き沈みしてしまうことがたびたびあった。 だから、不意にゲンからポンと投げ渡された「平等って言いたがるヤツ」という言葉が、小さくて痛いトゲのようにいつまでも心を刺した。
「私ばっかり、しんどい思いをしてるみたい」 「あの人だって、ここまで負担してくれなくちゃ、不公平」 「平等」という言葉を盾にして、自分のもっている荷物をほかの誰かに振り分けようと愚痴る私は醜い。 私は私の、あの人はあの人の、できる範囲の最大限のことをする。 たとえ、それが等分の負担ではなくても、公平だと考えればいいじゃないか。
結局、ゲンの「平等と言いたがるヤツ」というのは、友達との些細な口げんかから出た愚痴話だったらしい。 自転車通学のゲンが徒歩通学の友達A君のかばんを荷台に載せた。 後からB君がやってきて、自分のかばんも載せてくれと言う。 ゲンが断ると、B君が「Aのかばんは載せてやるのに、自分のかばんを載せてくれないのは不公平じゃないか。そんなの、平等じゃない」と絡んできたのだという。 口げんかの苦手なゲンは、とっさに理屈で切り返すことができなくて、口惜しい想いをしたようだけれど、その分、自分自身の中で「平等」とか「不公平」とか言う言葉を何度も頭の中で転がしてあれこれ考えていたのだろう。 「おかあさん、『平等』って必ずしも正しいこととは限らないよな。 仲のいいA君のかばんを載せてやるのは、気にならないけど、嫌なヤツと思ってるBのかばんは載せたくない。それって、悪いこと?」 帰りの車の中で、ゲンは珍しく雄弁に語った。
ゲンの通う剣道の道場では、段位や年齢、剣道歴の長短によって席次が決まる。 教える側も教えられる側も暗黙の席次によって、挨拶の順序や座る場所、防具や荷物を置く場所も定まっている。 特別格に偉い先生のためには、一番上座に場所があけられていて、稽古が終わると若い門弟が駆け寄っていき、防具袋や竹刀袋の荷物を下駄箱のところまで運び、最敬礼で送り出す。 新米ペーペーのゲンの席次はいつも間違いなく一番末席。稽古後の挨拶に行くのも寸評をいただくのも一番最後。完全な縦社会だ。 そこでは「平等」という概念はないけれど、技量や年齢、経歴に基づく厳然たる格差を重んずる長幼の序が存在する。
「平等じゃないけど公平ってこともあるよね。 誰かにとっての10の重さが、他の誰かにとっては5の重さだったり、20の重さだったりってこともあるもんね。」 ゲンの話にあいづちを打ちながら、その実私自身に言って聞かせるように「平等」と「公平」の意味を思う。
朝、週一回のデイサービスに出かけるひいばあちゃんの髪を結う。 いつもの定位置で熱心にTVを見ているひいばあちゃんに、「髪結いさんがきましたよ。」と声をかける。 長年きゅっと結い上げていたために、すっかり薄くなってしまったひいばあちゃんの白髪を、ブラシで掻き上げ、ゴムで結い、くるりとねじって小さなお団子にし、Uピンとヘアピンを何本も差して纏め上げる。 「はい、出来上がりました。べっぴんさん」と、わずかながら聞こえるほうの耳のそばで言うと、今まで眠っておられるのかと思っていたひいばあちゃんが「はい、おおきに」と笑って答えてくださる。
このところ、怒涛の日々だった。 義父の転倒、入院。 先月末のお茶会。 義父の退院と入れ替わりに、義母の体調不良、入院。 そして、父さんの襲名展。 工房の仕事と2件分の家事、子どもたちの学校行事。 せかせかと走り回り、あっちの仕事こっちの用事をやっつけ、ブイブイ愚痴をいい、泥のように眠る毎日だった。 ようやく父さんの襲名展をおえ、ゆるゆると普通の日常が戻りつつある。 今週末には義母の退院も決まった。 まだまだ完快というわけではないので、年寄り世帯の家事や介護の負担は減るんだか増えるんだか。 じわじわと背中に重いものを感じながら、今日も惑い歩く。
毎年、5月のお茶会の前には、1年間伸ばしっぱなしの髪をばっさりと短くしてくるのがここ何年かの習慣だった。ところが今年はお茶会の準備や工房仕事に追われ、とうとう美容院に行く機会を逃した。 苦し紛れに伸びきった髪を固く結び、くるくる巻いて高く留めた。父さんが誕生祝にとこっそり作って贈ってくれた月夜の風景を刻んだ陶のバレッタで結い上げたお団子を飾る。 きゅうきゅうと固く結った髪型はぼんやり主婦の穏やかな日常には不似合いだったけれど、工房仕事に家事にと忙しく飛び回るには、とりあえず機能的で都合がいい。ひいばあちゃんに倣って、昔懐かしいUピンを買ってきて、束ねたお団子にグサグサ挿した。 気がつけばそれは、ひいばあちゃんとおんなじ髪型。 黙々と、ひたすら工房の職人仕事をしながら窯の火を支えてきた、明治の人の気概をも倣わなければとしみじみ思う。
朝、アプコとともに、登校班の集合場所への道を下る。 新緑の道は晴れ晴れとして、気持ちのよい風が吹いているのだけれど、この間から大量発生中の青虫毛虫がそこここにぶら下がっているので、注意深くひょいひょいと避けながらの下り坂。
昨夜、おじいちゃんちの犬のコロの突然の死に、アプコはわんわんと声を上げて泣いた。おじいちゃんと一緒に散歩をさせたり、「お座り」や「待て」を教えたりして、アプコもとても可愛がっていた犬だった。 泣きながらコロの名を呼び続けるアプコに、私は「生きてるものはみんないつか死んじゃうものだから」とか「お星様になるんだよ」とか、お決まりの慰めを言うことが出来なかった。 ついさっきまで元気に餌を食べていた犬が、急にあっけなく動かなくなってしまうということの不条理が、私自身、すぐには消化し切れなかったためだろうか。 アプコは、たくさんたくさん泣いて、「あたし、生まれてはじめて。こんなに泣いたのは・・・」と、真っ赤に腫れたまぶたを冷やしながら眠った。
そうして今朝。 コロのことは忘れてしまったかのように、爽やかに目覚めたアプコ。 「ひゃぁ、こんなトコにも毛虫!」 と、いつもの笑顔でピョンピョン跳ねながら坂道を下っていく。
「あたしねぇ、考えたんだけどね、おかあさん。」 くるりと振り返ったアプコが言う。 「コロが死んでたくさん泣いたけど、ホントは一番悲しいのはおじいちゃんよね。おじいちゃん、とってもコロをかわいがってたし、おじいちゃんの犬だもん。」 「そだね、おじいちゃん、病院から帰ってきてもコロがいないから寂しいだろうね。」 「おじいちゃん、かわいそうね。」 と、今度はおじいちゃんのために顔を曇らせてうなずく。
「おかあさん、あたし、これからコロの分まで頑張らなあかんなぁ。」 と、急にアプコが大きな声で言ったので、 「『コロの分』って、何の事かな? アプコがコロの代りに『待て』とか『お座り』とか、練習するのぉ?」 と訊いて、アプコを笑わせる。 「違うよぉ!あたし、練習しなくてもできるもん!」 と、まともに切り返して笑うアプコ。 良かった。 アプコもコロのことを笑ってお話しすることができるようになった。
それにしても、アプコ、昨日わんわん泣いていたときには、まだまだ幼いチビちゃんに見えたのに、ずいぶん大人びたことが言えるようになったなぁ。 自分の悲しみばかりでなく、おじいちゃんの悲しみを思いやって、自分がどうすればおじいちゃんの傷心を慰められるか、一生懸命考える。 そんな優しいいたわりの気持ちが、ちゃんと育ってきているということだろう。 なんだかとってもいとおしくて、駆けていくアプコの背中を追っていってぎゅうっと抱きしめてしまいたい気持ちになる。 「わぁ、遅くなっちゃう!」 と走り出すアプコの足は思いがけず速くなって、重たい体でモタモタあとを追う母にはなかなか追いつくことのできないスピードになってはいるけれど。
工房は次の日曜日に迫ったお茶会の準備と来月始めの襲名展に向けての準備でおおわらわ。 お客様にお料理を載せてお出しする四方皿の制作が間に合わない。 お茶席の道具類の制作もギリギリまで食い込みそうだ。 ましてや、襲名展の作品つくりまでにはなかなか手を出せない。 食事と短い仮眠の時間以外は、一日のほとんどを工房ですごす父さん。 私もほぼフルタイムで仕事場に入る。 毎日毎日ひっきりなしに続く釉薬掛け、焼成、釉薬掛け。 ついこの間作ったばかりのポットの釉薬が、あっという間にカラになり、釉薬に合わせて使うCMC(ふのり)の瓶が何本も空く。
義父が骨折で入院して約1ヶ月。 手術後、何日か意識が混乱して、一時はどうなることかと心配された義父の意識もようやくはっきりして、足のほうのリハビリも順調に進んだらしい。 そろそろ退院のめども着き始めたようだ。 一方、ここのところ、義母の体調がとても悪い。 体のあちこちの痛みを訴え、起きられないほどの苦痛が続き、早朝、電話で父さんを呼ぶ。精神的なストレスや疲労による症状だと医者は言う。 義父が入院して、夜はひいばあちゃんと二人きり。自分自身の体調不良や不安も重なって、義母の気力は萎えていってしまうのだろう。 義父母が二人して衰えると、それまで一日のほとんどを自室で寝たり起きたりして過ごすようになっていたひいばあちゃんのテンションがにわかに上がり、横になってどんよりしている義母を力づけに行ったり、自分の食べた食器を自分で洗おうとなさったり。そうかと思うと、突飛な言動や思いがけない失敗で周囲を慌てさせたりする。 以前「この家の3人の年寄り達は、お互いによっかかりあい、補い合ってバランスをとって生活しているのだ。」と医者が言ったそうだ。 「若いモンたちにはまだまだ・・・」とひいばあちゃんが頑張る。「ひいばあちゃんの面倒をちゃんと見なくちゃ」と義母が頑張り、「お母さんをささえてやらねば」と義父が気遣う。その微妙なバランスの上に高齢者家族の日常は危なっかしく立っている。ひとたび、誰かが倒れるとたちまちそのバランスは崩れ、他の誰かの日常もバタバタと脆く崩れてしまう。 そんな恐ろしい予言が、少しづつ少しづつ現実のものとなりつつあるのだろう。
いよいよ、3人の高齢者を本格的に担がなくてはならない時期が来ているのだなぁと思う。 幸い、義父母の家は工房の2階で、昼間はいつもだれかしらにそこにいる。介護のほとんどのことは息子である二人が中心になって担ってくれているし、私も外に勤めに出ているわけではないので時間の融通はきく。 けれども一方、父さんも義兄も、そして私も、仕事と余暇の区別のないフルタイムワーカーだ。老人達の介護や通院に時間をとられれば、その分の仕事は先送りになり、余暇や休息の時間を削って取り戻さなければならなくなる。父さんも義兄も、なんとか時間をやりくりして仕事と介護を両立させようと頑張っているが、もうぎりぎりいっぱいといったところだろう。
今日、義父が可愛がっていたビーグル犬のコロが死んだ。 朝、いつものとおり元気に散歩にでて、ウンチをし、ガツガツとドックフードを食べて尻尾を振っていた。 その数時間後には、お地蔵さんの前のアスファルトに横たわって死んでいた。まだ体は温かかったけれど、何匹かのハエがすでに飛び始めていた。 義父の入院中、コロの散歩はゲンとアプコの仕事だった。 最初アプコはぐいぐいコロの綱に引っ張られて走っていくのが精一杯で、ウンチの処理までは一人では出来なかったのだけれど、最近ではちゃんと一人でナイロン袋で拾ってくることが出来るようになった。 「コロのウンチ、ほかほかでぬくかったよ」と、アプコは笑った。 おじいちゃんのいない間に、餌の前の「待て」と「よし」を覚えさせようと、父さんと何度も号令をかけた。ようやく最近、お座りして待つことが出来るようになって、「早くおじいちゃんに見せたいね」といっていたばかりだった。
学校から帰ったアプコは、急に冷たくなったコロを撫でながらわんわん大きな声で泣いた。 コロとのお別れに駆けつけてきた従姉妹のHちゃんとキャアキャア笑いながらボール遊びをし、コロの遺骸を裏山に埋める段になって、再びまた号泣した。アユねえちゃんに肩を抱いてもらい、ゲンに慰めてもらいながら、何度も何度もコロの名前を呼んで泣いた。 いつまでも泣き止まないアプコに、アユコは夕方のおやつ代わりにラーメンを作って、「食べる?」とアプコを誘った。涙で真っ赤になったまぶたで、「食べる」と頷くアプコ。 二人で一つのラーメンを分け合って、横から割り込んできたゲンにちょっとだけ食べさせたり、取り合ったりして、アプコはようやく泣くのをやめた。 「おかあさん、いっぱい泣くと目が痛くなるね。こんなにいっぱい泣いたの、はじめてや」と、アプコは言った。 ほんとにね。 どうしようもなく悲しくて、わんわん大きな声で泣いてしまうとき、ちゃんとそばにいて、あれこれ慰めてくれるお兄ちゃんお姉ちゃんがいてよかったね。
義父の怪我。 義母の体調不良。 さらに高齢のひいばあちゃんの介護。 お茶会。 父さんの襲名展 そのほかにも山積みの仕事。 そしてコロの突然死。 なんでいちどきにこんなにあれこれ重なるかなぁ。 重苦しく、暗澹たる空気が工房に流れる。 今、私達はまた大きな険しい山を乗り越えていかなければならない時を迎えているのだろうなぁ。
だけど。 この前、私達が乗り越えた大きな山は、生まれたばかりの次女の闘病と臨終を見守った重苦しく辛い数ヶ月だった。 まだ上の子供達も幼くて、「しっかり者のお兄ちゃん」だったはずのオニイもたった5歳のチビちゃんだった。 あの頃、なにかと手をかけてやらなければならないお荷物だった子供達が、今度の山越えには、あれこれ手伝ってくれ、支えてくれ、ともに泣いてくれる存在としてそばにいる。 幼いアプコですら、義父の愛犬の死を自分の責任のように悲しんで、おじいちゃんの落胆を気遣う優しさも見せられるようになった。 あの時、父さんと二人で歯を食いしばるようにして乗り越えた道のりを、今度は大きく成長した子供達とともに手をつないで歩んでいくのだろう。 この子達がいてくれてよかった。 きっとこの山も越えられる。 そんなことを思う。
BBS
中学生、中間試験中。 中3になって、一応受験生モードのアユコ。 夜遅くまで起きて机に向かい、なにやらごそごそやっているらしい。朝の寝起きが悪いこと、悪いこと。 「夜型なんて駄目だよ。要領よく切り上げて、ちゃんと寝なきゃ」とか、「ラジオ聴きながら、CD聴きながらのながら勉強はやめて。集中してやんなさい」とか、学生の頃自分が散々聞かされたお説教はとりあえずなしの方針。 自分の思うようにやって、自分で悟りなさい、夜鍋一夜漬けのムダ。
中学に入って、はじめての定期試験に何となく浮かれモードのゲン。 試験前に渡された一週間分の「試験前学習計画表」の冒頭には、「一日の学習時間目標1日最低2時間。」と華々しく自己目標を掲げた。 で、その次の行の「期間中の合計学習時間」の自己目標は「7時間」 ??? 一日最低2時間学習する人が、一週間で合計7時間? う〜ん、すでに掛け算、間違ってません?
定期試験一週間前になるとクラブ活動はいっせいにお休みになる。 久々に小学生並みの早い時間に帰って来て、たっぷり時間があるのがうれしてたまらない。いつも部活で遊べない近所の同級生たちも、結構ふらふら遊んでたりする。
山は緑。水遊びにもちょうどいい日より続き。半袖、ショートパンツの軽装はいつもの山遊びスタイルだ。 野生児ゲンの魂はうずく。 大発生の青虫毛虫を狙って、勢いづく野鳥たちの声。 小川はさらさらと歌うように流れ、蛙の声も聞こえてくる。 柔らかな腐葉土の中では、夏の友達である甲虫達の幼虫がごそごそうごめき始めている頃だろうか。 こんな素敵なお天気の日には、春に生まれた小魚の卵から透き通るような稚魚が川の浅瀬で泳ぎ始めるのが見えるかもしれない。 ああ、川がぼくを呼んでいる。
昼間、私が自宅に戻ったとき、玄関にはとっくのまえに帰ってきているはずのゲンの靴がなかった。 「あらら、試験前なのに帰りが遅くなっちゃったのかしら」と気にも留めず、アプコと習字に出かけた。 帰ってきた私にさっそくアユコが密告。 「おかあさん、ゲンさぁ、試験中なのに川へ魚取りに行ったみたいだよ。」 ぬぁにぃー! ゲンに問いただすと、「べつにー。いってないよー」とあいまいな返事。 「行ってないって言ってるよ」とアユコに言ったら、 「だって、ゲンのメダカの水槽に今までのと違う小さい魚が増えてるよ。」 と重ねて指摘。
「ねぇねぇ、魚、増えたんだって?どれ、どれ?」 再びゲンの部屋に戻って訊いてみたら、 「ほら、この底の方にいる小さいの。それからこっちにも・・・。」 と、得意げに水槽を指差すゲン。 「で、その魚、いつ増えたの?」 「・・・う〜ん、・・・今日」 あっけなく自白。 ゲンって単純。 「試験中に魚取りに行くような呑気な子は、はじめてお目にかかったよ。」 とかる〜くお説教。
まあいいか。 まだはじめての定期テストだもの。 まだまだ、川の流れの呼ぶ声に、そわそわ誘われていってしまう野生児のゲンのほうが面白い。 そのうち何度か痛い思いをすれば、「そうだ、試験勉強しなくっちゃ!」と目覚める時期も来るだろう。 ああ、いつの日になるのやら。
BBS
新緑のまぶしい季節。 工房の周りの山の木々が、一日一日わっと盛り上がるような勢いで緑の量を増す。冬の間、すっきりと空を見通せた頭上もすっかり若葉に覆われて、緑のトンネルの様相。まるでミシミシと背伸びする木々の成長の音が聞こえるようだ。
・・・いや、違う。 この音は、木々が成長する音ではない。 青々と伸びだした柔らかな新緑の若葉を狙って、何千何万の虫たちがうごめきあう音。 そう。青虫、毛虫、尺取虫のシーズンになったということ。 今年もやってきた。虫のシーズン。
ちょっと外出すると、洋服の肩に尺取虫。 外に止めてある車のフロントにも青虫毛虫。 遠足で近くを訪れる小学生の群れが、頭上の木からぶら下がる尺取虫にきゃあきゃあと悲鳴をあげる。 緑のトンネルは、即ち青虫毛虫のトンネルでもあるということ。 ああ、憂鬱なシーズン。
ジョギングのおじさんが、毛虫除けにと枯れ枝をワイパーのように振りながら走ってくる。 散歩のおばさんたちは、雨も降っていないのに、傘をさして歩いてくる。 子どもたちは、互いの肩に着いた尺取虫を指先でピンとはじいて飛ばしあう。 青虫毛虫は山の木々ばかりではなく、庭の花木や家庭菜園の野菜、プランターに植えた草花にももれなくやってくる。丹精した庭木や、芽吹いたばかりの花芽をやられて頭にきた植物愛好家たちは、地面に落ちた虫たちを憎憎しげに踏みつける。 それでも虫は減らない。 ああ、憂鬱。
そんな青虫騒ぎとは関係なく、工房仕事、限りなく続く。 お茶会関係の数物の仕事が山積み。 父さんは、一日のほとんどを工房で過ごす。 ちょっと帰ってきて、食事をしたらまた仕事。 「疲れた」とごろりと横になり、少し仮眠を取ったかと思ったら、また仕事。 夜中、むくむくと起き出して来たら、また仕事。 学校から帰ったアプコの甘えん坊に少し付き合っているかと思えば、また仕事。 いったいこの人は、いつになったらゆっくりちゃんとした休養が取れるのだろう。
父さん、今日は久々に外出。電車の駅まで車で送る。 降りしなに、ふと見ると父さんのジャケットの袖に、青々した小さな芋虫。 「ほら、ついてるよ。車の外で払ってね」と言ったら、車を降りた父さんは改札口とは反対のほうに向かって歩き出す。 そして、わざわざ傍らの植え込みのところまで行って、袖の芋虫をピッと飛ばした。 「ここで落としたら、すぐに車につぶされちゃうからね。」 と笑って手を振る父さん。そのまま走って改札口へ入っていった。
優しいなあ、この人は。 連日の仕事続きでくたびれて、おまけに数日来の風邪で自分自身がグロッキー状態だと言うのに、なんでこの人はあんな小さな青虫の命を愛しむのだろう。 時々こんな風に見せる、ピントはずれなまでの度を越した、この人の優しさ。時折、子どもたちが小さな虫や植物に見せる気まぐれな優しさにも似ている。 自分自身がとてもとてもしんどいときにも、そんな子どものような優しさが思わずふっとこぼれでてしまう。 それがこの人の、いとおしいところ。
BBS
2007年05月06日(日) |
竹垣プロジェクト(その2) |
「お茶室の竹垣を架け替えよう」プロジェクト、いよいよ始動。
実践編 1、竹材の値札剥がし。 買ってきた竹材には一本ずつバーコードシールが張ってあって、それを手分けして擦り落とす。これ、意外と面倒で時間を喰った。
2、防腐剤の塗布 資材に水性の木材保護材を塗る。これは主にアユコとわたしの仕事。
3.竹材の裁断 100本近くの竹材を寸法に合わせて裁断。2本ののこぎりで分業してやったら、結果、出来上がった竹の長さがまちまちで少々焦る。 横軸用の長い竹材は、途中で継ぎ足して使うが、その継ぎ目部分の処理に悩んでしばし作業を中断。
4.傷んだ古い竹垣の撤去。
5.支柱の打ち込み 以前から使っていた木杭の支柱それほど傷んでいなかったので、ほとんどはそのまま再利用。数本だけ取替え。
6.横軸の取り付け 支柱に横軸となる長い竹材を釘で打ちつけ。竹材は直接釘を打つと割れやすいので電動ドリルであらかじめ穴を開けてから釘を打ち込む。
7.縦軸を結びつける間隔をメジャーで測ってしるし付け。
8.縦軸の取り付け。 オニイとゲンが打ち付けた横軸に、縦軸となる竹材を棕櫚縄で結びつける。 アユコと私の作業。
作業は「総監督」であるゲンの指示で進められた。 「お前に『やれ』といわれた仕事だけやるようにするから、ちゃんと指示を出してくれ」と、オニイの一言で作業が始まった。 ゲンは自分でやる鋸やド電動ドリルの作業の傍ら、次に行う作業の段取りや他の「職人」たちの作業配分を考えなければならないので、そっちのほうが大変だった様子。 「次はどうするの?」「ここんとこ、どうしよう?」とあれこれ訊かれて、「ちょっと待って!、今考えてるねん」と、パニクること数回。 そこであえて口を出さず、ゲンの采配を待っているオニイとアユコはさすがにオニイオネエの貫禄か。
作業途中で気がついた最大の失敗。 竹垣の縦軸の竹材は本来、節ぎりぎりのところで裁断して利用するものらしい。(でないと竹の空洞部分に雨水などが溜まって、竹材が傷みやすい。) そのことを考えずに、必要な長さ分だけの竹材を購入したので、節目に合わせて裁断するゆとりが持てず、結果、節目の不ぞろいなまま制作に踏み切った。 見た目、不恰好だが、まぁこれもゲンの初棟梁の采配の結果と言うことで・・・。
連休4日目は雨。 男の子たちは朝から一日、剣道の試合と言うことで、作業は一時中断。 残りは放課後や次の休日にと言うことで、現在プロジェクト続行中。
2007年05月05日(土) |
竹垣プロジェクト(その1) |
連休はどこへも行かない。 ゲンは毎日朝剣道。 父さんは連日工房篭もり。今月末のお茶会に向けて食器や記念品つくりでおおわらわ。 合間を縫って、近所のショッピングセンターやホームセンターをぶらぶらしたり、近所の山に登ったり。 まことにお金のかからない、「働け、働け」のゴールデンウィーク。
この連休のメインイベントは、工房のお茶室の竹垣架け替えプロジェクト。 数年前専門家に架け替えてもらった竹垣が傷んで古くなったので、今回は我が家の子どもたちを中心に架け替えてみようと言う試み。 最近、ペンキ塗りや小さな木工仕事で力をつけつつあるゲンを、このプロジェクトの総監督に任命。 半月くらい前から、すこしづつ準備に取り組んできた。
準備編 1、今ある竹垣の大まかな寸法を測量。作図。古くなった竹垣の一部を壊して、支柱の杭の状態や棕櫚縄の結日方などを確認。 (さあ、大変。もう後戻りはできなくなったぞ)
2、ホームセンターで資材の下見。竹材・杭の規格や値段を調べる。 (メモ取れ、メモを!下見に来るのに、筆記用具くらいもってこい!)
3、棕櫚縄の結び方を研究。加古川のおじいちゃんに電話して、資料を送ってもらった。
4、全体の作業に必要な資材の量を割り出し、下見してきた価格をもとに見積もり表を作る。 (ここ、一番ゲンの苦手な作業。 金額は、桁数をそろえて書け!)
4、見積書を出資者であるおじちゃん(義兄)に提出。許可を得る。 (「大将、これはお買い得でっせ」と安さをアピール)
5、父さんとともに再びホームセンターへ。必要な資材を注文。商品到着は一週間後。 (3メートルあまりの長尺物はどうやって運ぶ? 配達料800円をどう削ろうか)
6、竹材の到着を待つ間に、棕櫚縄の結び方の研究。 (これ、意外と難問。 結局、最初にマスターした母とアユコに結ぶのはお任せ。)
7、注文した竹材が届いたとの連絡。 おじちゃんの大きいワゴン車で長尺物も無事積載。 そのほかに防腐処理剤、支柱用の杭、栞戸、棕櫚縄などを購入。 (帰宅後、あ、釘、忘れた!支柱が足りない! ヲイヲイ。 その都度、母、走る。)
思いつきや勢いで「やっちゃえ!」と作業を始めてしまうのが得意なゲンにとっては、この準備過程が意外としんどかったらしい。何度も何度も現場に足を運んで、ああでもないこうでもないと、頭を抱えていた。 メモの取り方、かんたんな企画書や見積書の作り方など、当然知っていそうで経験したことのなかった事柄が色々見つかった。 ことに面白かったのは見積書の数字の書き方。桁数の多い数字の間に打つカンマの位置が「3桁ごと」と言うことをゲンは知らなかった。学校では習わなかったっけ?
準備編はここまで。 以下、次号。
BBS
「夏も近づく八十八夜、 野にも山にも若葉が茂る♪」 おばあちゃんと一緒に、玄関先をお掃除しながら歌っているらしい。 調子っぱずれのアプコの声に、か細いおばあちゃんのソプラノが混じる。 近頃義母は、アプコの一緒の時くらいしか、歌う声を聞かない。
近頃アプコはすっかりおばあちゃん子だ。 しょっちゅうおばあちゃんの台所にもぐりこんでは、怪しげなお菓子をこしらえたり、おうどんを作ったり。気がつけばおばあちゃんの周りにまとわりついて、本人はお手伝いをしているつもり。 おばあちゃんのほうも、アプコがいるとあれこれ気が紛れるらしいのだが、ご本人は子守りをして下さっているつもり。 ひいばあちゃんの介護とおじいちゃんの入院でお疲れめの義母と、連休なのにどこへもお出かけの予定のないアプコのささやかな利害の一致。 「摘めよ摘め摘め、摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ」 そうそう。 働け働け。 やきもの屋の窯にゴールデンウィークはない。 今日もフル稼働。
父さんから面白い話を聞いた。 アプコが工房に通りすがりのお客様を招きいれ、一人でお抹茶を振舞ったのだと言う。 数日前、アプコが近くの川へ遊びに行ったときの事。 ハイキング客らしいご夫婦が遊んでいるアプコに声をかけた。 「昔、このあたりに売店があって、アイスクリームを買ったのだけれど、もう売店はやっていないのかしら。」 ハイキングコースの入り口の売店はずいぶん昔に閉めてしまったし、近所においてあった飲み物の自動販売機も今は稼動していない。 アプコがそう答えると、ご夫婦はたいそうがっかりした様子だったのだと言う。
「だからね、『お抹茶でよかったら、うちで飲みませんか』といって、連れて行ってあげたの。」 「で、お茶はおばあちゃんが入れてくれたの?」 「ううん、あたしが自分でお抹茶、立てた。」 「お菓子は?」 「ちょうど和菓子が二つあったから、それをだした。」 「アプコ一人で?」 「うん、自分で。ちょっとおばあちゃんに手伝ってもらったけど」 ・・・・はぁ。
この季節には確かにハイキング途中のお客様が、工房の見学に立ち寄られることも多い。中にはじっくり話し込んでいかれる方もあって、そんな時、義母はありあわせのお菓子を見繕って、お抹茶を振舞うこともある。 いつもおばあちゃんのそばにいて、工房にはじめて立ち寄ったお客様にお茶を振舞う姿を間近に見ているアプコにとっては、売店の当てが外れて残念そうなご夫婦をお茶に誘うのはごくごく自然なことだったのだろう。 「だって、アイスクリームのお店がなくて、とてもがっかりしてたみたいだから」 「それがどうしたの?」とでも言いたげな、アプコの大人びた口ぶりに、「知らない人とむやみにおしゃべりしてはいけません」と、紋切り型のお説教をするわけにもいかなくて、「そりゃぁよかったね」というお話になった。
ご夫婦は、アプコの立てたお抹茶を召し上がって、工房内の作品をあれこれご覧になって、お茶会や展示会の案内状をお持ち帰りになったそうだ。 言わば、アプコのおもてなしは、はじめての「宣伝・営業活動」でもあったというわけで。意外とアプコには、こういうお人をもてなすお仕事が向いているのかも。 それにしても、子どもがいきなり連れてきた通りすがりのお客様に、慌てもせず鷹揚にいつもどおりのお茶を用意してくださった義母の大らかさにも感謝。 おかげでアプコはとてもとても嬉しい体験が出来た。
そしてご夫婦にも。 「昔ここにアイスクリームの売店があってね」とこの場所を訪れたご夫婦が、この次ここへいらっしゃたときには、「昔、この辺のやきもの屋さんで小さい女の子にお抹茶を振舞ってもらってね。」と、思い出話をして下さったら、ちょっと楽しい。 嬉しい出会いに感謝、感謝。
BBS
中学の家庭訪問。 3時にゲン、4時にアユコの先生。 小学校の先生は「お話は玄関先で」なのだけれど、中学校の先生はうちの中までお入りになってお話するのが通例。 よって、ふだん散らかり放題の和室を朝からバタバタと集中掃除。 破れが目立ってきていた障子は昨日アユコがきれいに張り替えてくれた。パソコン周りやTV周辺を片付け、いつもより念入りに掃除機をかけ、他の部屋に通じる襖をピタリと閉める。 よしよし、準備完了。 押入れ、襖は決して開けるな。
ゲンが中学生になって約一ヶ月。 自転車通学もそろそろ板についてきた。 あれこれ悩んだ末、部活動は美術部に決めた。 新しい友達もそこそこ出来た。 どういう成り行きからか、クラスの代議委員に就任した。 すごく面白い先生、すごく怖い先生、すごく頼りになりそうな先生たちにも出会った。 夢中になって読める長編の冒険小説にもめぐり合えた。 毎日毎日、新しいこと。 毎日毎日、新しい人。 毎日毎日、新しい驚き。 目覚めるたび、まぶしい一日がそこにある。
「かあさん、なんかなぁ、これって結構『華々しい日々』って感じやなぁ。」 朝のあわただしい時間、目玉焼きを焼く母のそばにやってきて、こそっとささやいていくゲンの楽しさ。 めまぐるしく駆け巡る、驚きと笑いにみちた日々が、ゲンの幼いボキャブラリーの中に、「華々しい」という単語を付け加えるのだろう。
そんなことを、ゲンの担任のM先生に話した。 「いいですねぇ、『華々しい』ですか。 そういうことが言えるゲンくん、とってもいいですねぇ。」 と、ニコニコ笑いながら頷いておられる先生。 「ほんとにね。13,14の少年時代ならではの言葉でしょ? 親のほうはもう、この年齢になったら、そろそろ『華』はお終いですもんね。」 とこちらも笑う。 和やかで楽しい家庭訪問となった。
近頃のゲン、フル稼働。 剣道の大人稽古の厳しさにも慣れてきた。 ペンキ塗りや鯉のぼりの支柱立てなど、工房での作業にもあれこれ活躍してくれた。この連休には、工房のお茶室の竹垣の架け替え作業を予定している。 そしてここ数日、「素直で大らか、いつもニコニコ」のゲンにも、そろそろ反抗期の兆し。 キラキラ輝く華々しい日々が、どこまでも続きますように。
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