月の輪通信 日々の想い
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朝から工房であわただしく仕事。 数物のお皿の釉薬掛け。新しい釉薬の調合。 来月末の窯元でのお茶会とそれに続く地元百貨店での襲名展に向けての作品作りに、父さんは相変わらず追われている。 パート職人の私も、最近新しい作業を一つ二つ覚えた。 いずれも昔はひいばあちゃんが一人でコツコツ行っていた下職(したじょく)仕事。少しでも早く要領よく仕上げられるようになりたいと思う。
午後の作業からふと顔を上げると、はやアプコの下校時間。 パタパタとエプロンをはずして、迎えに出る。 1,2年生の時には、毎日決められた下校時間に合わせて学校の近くまで迎えに行くようにしていたが、3年生になってそろそろ一人で登下校を・・・と言うことで、最近は途中の道で行き会うように少し遅めに迎えに出るようになった。 新緑の坂道を下っていくと、ずっと先のほうからピョンピョン跳ねるように上がってくるアプコの姿が見える。 朝着ていった上着を腰に縛り、Tシャツの袖をひじまで捲って、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、気ままに歩いてくるアプコ。 遠くから私の姿を見つけると、「おっ!」と立ち止まって、タッタカタッタカ駆け寄ってくる。足音は、まだまだパタパタと子どもっぽくて、その幼さがいとおしい。
「おかあさん!」 すぐそばまで駆け寄ってきたアプコが、突然校帽の中のものを私に向けてぱっと宙に放った。 ハラハラと舞う花吹雪。 駅前で満開の八重の桜を拾ってきたのだろう。校帽をお碗のように空にむけて受けたまま歩いていたのは、拾った花びらがいっぱい入っていたから。 私に散々振りかけても、まだ校帽の中には砂混じりの花びらがたくさん入っていて、アプコは楽しげにそれを道路や水路にパラパラと撒き散らしながらゆっくりと歩き始めた。
「今日はね、音楽の授業もあったしね。」 「えっとね、今度の遠足はまた、うちのお山に登るんだってよ。」 「給食のカレーうどん、すっごく美味しくってね、お代わりしようと思って大急ぎでパン食べたんだけど、ちょっと遅くってあたしの前の人で終わりになっちゃった。残念!」
アプコの毎日は、一日一日驚きと喜びに満ちている。 学校での楽しい時間を終えて、「セルフ花吹雪」を一人でたのしみながら帰って来るアプコ。 そういえば先日は、音楽の教科書をパタパタ振りながら、大きな声で「春の小川」を独唱しながら帰ってきた。 「お母さんのお迎え」を卒業して、ひとりでたどる家路にも、楽しい遊びがそこここに見つかるのだろう。
パラパラと風に踊って、アプコの手を離れていく淡いピンクの花吹雪。 それは母の手元からいつの間にか飛び立っていく、幼いアプコの気まぐれにも似て。
BBS
久しぶりの休日。うららかな好天気。 朝から、「そうだ!こいのぼりを出さなくちゃ!」と言うことになって、父さんとゲンが工房の庭で作業を始めた。
金属のパイプを地面に打ち込み、よいこらしょと支柱を立てる。 オニイが生まれたとき、「鎧兜はいらないから、とにかく大きなこいのぼりが欲しい」と実家の父母に買ってもらったこいのぼり。 ずいぶん色あせて、昔はキラキラと輝いていた矢車の飾りもすっかり赤錆色になってしまったけれど、今年も上げる。
はじめてこいのぼりをあげたとき、ハンマーを振り上げて支柱の杭を打ち込んだのは義兄と父さんだった。支柱を立てるときには、そのときにはまだ腰も曲がっていなかった義父も加わってえいやっと持ち上げた。 真新しいベビーカーにオニイを乗せてキラキラ輝く矢車を見上げる私は、ヒラヒラのエプロンをつけた初々しい新米ママだった。 真鯉のお腹に輝かしく染めこまれた家紋を指差して、「立派な鯉が上がった」と、ひいばあちゃんが手を叩いて喜んでくださった。
今日、ハンマーを振るう父さんや義兄の労働を気遣って、ゲンが始めてハンマーを握った。 アプコが父さんたちの間をちょろちょろ走り回って、工具を手渡したり小さなねじを集めたりして、忙しく立ち働いている。 支柱を持ち上げる役には、ゲンとすっかりくたびれたおかあちゃんになった私が加わって、セーノで持ち上げる。 義母がひいばあちゃんの手を引いて、作業の見える2回の窓に導いた。ほとんど耳が聞こえなくなったひいばあちゃんに、身振り手振りでこいのぼりを指差す。
庭の樹木が大きくなって、せっかくこいのぼりを上げても鯉がゆうゆうと泳げる空は小さくなった。吹流しや鯉の尻尾が木の枝に引っかかったり、支えに張ったロープに絡まったりして、下ろすのに苦労することも多くなった。 子どもたちも大きくなって、「もう今年で終わりかな」といいつつ、末っ子アプコがもうちょっと大きくなるまでは・・・と頑張ってこいのぼりを上げる。 子供たちのためというよりも、年老いた義父母やひいばあちゃんが「やぁ、今年もこいのぼりがあがったよ。」と喜ぶ顔を見るために。
いつも、毎日のこいのぼりの上げ下ろしを手伝ってくださっていた義父は、数日前、家の中で転倒して骨折、入院。 要手術の事態となった。 82歳の高齢のため、術後の回復や歩行機能の維持に心配が残る。 子どもたちは大きくなり、年寄りの老いは進む。 若い樹木のみずみずしい成長と、年を経て色褪せていく鯉のぼりの対比に、しばし物思う春の空である。
BBS
襲名展が終わって、ゆるゆるとお仕事態勢に戻りつつある父さん。 珍しくロクロ仕事に入ったようだ。 制作しているのは、注文のあった数茶碗。 同じ形の抹茶茶碗を次々にひねり出す。 普段は手びねりで作ることが多いので、父さんの仕事場で水引きロクロが稼動していることは珍しい。 おばあちゃんちへ遊びに行っていたアプコが、工房にもぐりこんで興味しんしんで父さんの仕事振りを眺めていたらしい。
台所で夕食の支度をしながら、アプコのおしゃべりを聴く。 「あのね、お父さん、今日はいつもと違うお仕事してた。 こないだ、オニイちゃんがやってたアレよ。ぐるぐる回しながら、作るやつ。」 「ああ、ロクロ、してたのね。アプコ、見てたの?」 「うん」 ヌルヌルつやつやの土の塊から、あっという間に器の形が立ち上がる。父さんのロクロ仕事は、子どもでなくもついつい見入ってしまう不思議で楽しいパフォーマンス。アプコが息を呑み、父さんの手元を見つめる様子が思い浮かぶ。 「あのね、今日のお父さん、ちょっとかっこイかったよ。 お父さんすごいね。」 そっかそっか。 仕事をしている父さんは、そんなにかっこよかったか。 アプコ、父さんに「かっこイかった」っていってあげな。 きっと父さん、嬉しくてバリバリお茶碗、つくっちゃうぞ。
今朝、父さんは小さく切りそろえた新聞紙に墨で何枚も絵を描いていた。 数物のお皿に描く松の文様。 あれこれデザインを変えて、何枚も何枚も描き散らす。 描き損じた新聞紙が何枚も仕事場の机の上に積み上げてある。 お昼過ぎ、工房にもぐりこんだアプコが、それを見て父さんに一言。 「納得のいく絵は描けたの?」
・・・・「納得のいく」?! エライ言葉を使えるようになったんだなぁ。
遊びの合間にちょろちょろ工房に出入りして、働く父さんの背中を見るともなしに見聞きして育つアプコ。 何度も何度もやり直し、よりよい作品を目指す父さんの厳しい仕事振りをを、幼いなりに何となく理解できるようになってきたのだろう。 うれしいね、父さん。
BBS
昨日、始業式。 今年は子どもたち4人ともクラス替えの年。 新しい友達、新しい先生に一喜一憂、賑やかなこと。
アプコは、3年生。 ピッカピカの新任のM先生が担任になった。 1,2年の担任だったベテランの先生も大好きだったけれど、優しいお姉さん先生のフレッシュさがくすぐったいほど嬉しいらしい。 初日から自己紹介代わりに楽しいゲームをして楽しかったと嬉しそうに帰ってきた。
「おかあさん、おかあさん、今日はね、とってもラッキーな日だよ。 体育の授業はドッジボールだしね、初めてT先生の音楽があるよ。」 3年生からは、音楽の授業が担任の先生ではなく専科のT先生の授業になる。楽しく元気と定評の授業だ。アプコはずっと前からT先生の授業をとてもとても楽しみにしていたのだ。 「あのね、きっとクローバーのおかげだね」とアプコが笑う。
2,3日前、アプコは自治会費の集金に来た近所のおばさんから四葉のクローバーの押し花を貰った。 なんでも、園芸種のクローバーらしくて、ふつうのより高い確率で四葉が出るのだそうだ。おばさんはその一つ一つを丁寧に押し花にして小さなカードに貼り、集金の領収書に添えて配ってくださったのだ。我が家では「女の子だけね。」と私とアユコとアプコの3人分。アプコはもらった押し花を大事に筆箱に入れた。 それで、給食に好物のゼリーが出たことも時間割が好きな授業ばかりだったことも、みんなみんな四葉のクローバーのおかげと言うことになっているらしい。 これはまた、霊験あらたかなお守りだこと。
「クローバーをM先生に見せたらね、『いいなぁ、きっと幸せのクローバーだね』って言ってくれたよ。 だからね、あたしのクローバー、先生にあげたの。 私は、今日、ラッキーなことがいっぱいあったからね。 明日はM先生にいっぱいラッキーがあるかな?」
アプコはM先生のこと、好きなんだね。 きっとM先生にもラッキーがいっぱいやってくるよ。 よかったよかった。 お母さんの分のクローバーはアプコにあげる。 きっとアプコが持っているほうが、クローバーの効き目はあるようだから。
BBS
朝、ゲンを道場へ車で送る。 春の暖かい日差しに誘われて車の窓を開けると、柔らかな風とともにどこからか桜の花びらが舞い込んできた。 助手席の剣道着姿のゲン、もう上着は要らないという。 足元は素足にゴム草履。 ほんの1,2週間前まで、足の親指をすり合わせて寒そうにしていたゲンの薄着も、今日はやせ我慢に聞こえない。 数日前に散髪したクリクリのスポーツ刈りが、青々してちょっとかわいい。
先月末、卒業式を終えてから、ゲンは剣道の大人稽古に参加するようになった。 小中学生向けの子ども稽古のあとに行われる大人対象の1時間の稽古。 一応中学生以上が参加できる事になっているが、実際には錚々たる上段者が居並ぶきつい稽古だ。 子ども稽古の中では体格も大きく、がっしりと年下の子どもたちの打ち込みを受けてやっていたゲンも、大人の先生方の中に入ると巨大な猛獣の群れに紛れ込んだ羊の様相。 あちらこちらで、突き返され、打ち畳まれ、弄ばれて、転がされる。 あれよあれよと言う間に足元がフラフラと危なくなってくる。
この春、同じ道場から中学生になったのは3人。 そのうちゲンがいつもライバル視していたSくんは、一年間の受験勉強休みを経て、私立中学への進学が決まった。Sくんの進む中学には剣道部があって、入学祝に新しい防具一式を新調してもらって道場へもどってきた。 一方、ゲンの進む地元の公立中学には剣道部がない。剣道を続けるなら、学校では他のクラブに入って、今までの道場で週2回の大人稽古に参加するより仕方がない。 そのことでゲンにはちょっと悔しい思いもあったらしい。 だから、少しでも早く大人稽古に入れていただきたくて、ちらちらと先輩や先生方の顔色を伺いながらの入門だった。
大人稽古に来られている先生方や先輩剣士たちの中には、色々と新参者にはわかりにくい決まりことがあるらしくて、その経験や段位によって居並ぶ位置や、かかり稽古を受けていただいていいレベル、ご挨拶の順番など、その場の空気で対応していかなければならない暗黙のルールとなっているらしい。 稽古が終わり面を取り、一斉に礼を済ませると、剣士たちはさっと分かれてその日稽古をつけていただいた先輩剣士たちに順繰りに挨拶に行き、講評を伺って、頭を下げる。その順番も、もちろん経験や段位の高い者からペーペーまで、何となく決まっているらしくて、一番末席のゲンはキョロキョロ周りを見渡して、自分が割り込んでいい場所を素早く判断してご挨拶に行かなければならない。最初のうちはすぐ上の若い先輩剣士Mさんがいっしょに引っ張りまわしてくれた。 そのあと、道場のモップ掛けや片付け。これもゲンとMさんの仕事。 一番高段者の先生がお帰りになるときは、Mさんがモップを放り出して先生のかばん持ちに駆けつけ、先生が靴を履かれたところで防具袋と竹刀袋を恭しく差し出す。ゲンもその後ろにくっついていって、ピョコリと頭を下げる。
いい勉強をさせてもらっているなぁと思う。 剣道の技術や技はもちろんのこと、長幼の決まりごとや礼儀作法、周囲の状況をよく見て自分の身の置き場を判断するバランス感覚。 学校と言う「みんな一緒。」「みんな平等」の中では磨くことの出来ない微妙な社会規範の一端を、今ゲンは学ばせていただいているのだろう。
「ありがとうございましたぁ!」 明かりを消した道場に向かって、ゲンは頭を下げる。 その言葉づかいはずいぶん大人びてきたけれど、まだ声変わりしない子どもの声だ。 ここ一年あたりで、大人の声になるのだろうか。 くりくり頭の少年剣士には、まだもう少し子どもの声のままで居て欲しいきもするのだけれど。
BBS
ゲン、中学入学式。 早朝ギリギリに、お下がり制服のズボンの裾あげも仕上がった。 お隣のお兄ちゃんから頂いたお下がり。オニイの時にはダブダブででか過ぎだったのに大柄なゲンにはウエストぴったりで、裾はかなり長め。悲しいかな。 バタバタしていると珍しくゲンが早くに起きてきて、 「なんだかドキドキするわ」とそそくさと制服に着替え始めた。 ズボンのベルトの通し方がわからなかったり、セーターの下に着たポロシャツの裾をズボンの中に入れるのかどうか迷ったり。初々しい右往左往。 でも、君。出かけるまでにはまだ2時間もあるよ。
学校まで徒歩では30分。「15分くらい余裕を見てでるといいよ」のアユコのアドバイスで、「うんうん、あと30分したら出るよ」と余裕で2階へ上がるゲン。 バタバタと朝の片づけをして、アユコにお昼ご飯の段取りを伝えて、ふと思い立って実家の母に電話して、「うん、そうなのよ。今日はゲンの入学式。もうとうに出かけて行ったよ。天気もまあまあだしね・・・。」とおしゃべりをして。 「さぁ、そろそろ、私も支度を・・・」と思ったら、階段のところに出かけたはずのゲンの通学カバンが置いてある。 え、まさか、カバン忘れた?あ!靴もある! 「わぁ〜!しまった!ぼ〜っとしてた!」 と2階から怒涛の如く転がり降りてくるゲン。 え?え?初日から遅刻ギリギリですか? あんなに早くから準備できていたのに? しょうがないから駅まで車で送って、「ここから走れ!」と置いてきた。 甘甘なおかあさん。
ゲンが行く公立中学には、近隣の3つの小学校から生徒が集まってくる。ゲンの母校からも3クラス分が進学するのだが、最近は私立に進学する子も増えた。この春ゲンの仲良しさんたちの多くが私立へ行った。 「なんたって生徒数が倍になるんだもの。きっとまた気の合う友達が出来るよ」と言いながら、私自身は密かに気にかかっていた。 中学になると男の子は部活つながりで友達を作ることも多いが、ゲンは剣道を続けるので運動系のクラブに入るつもりはないらしい。唯一候補に上がっている美術部は今のところ女子部員ばかりだ。 ゲンはここでもちゃんと友達を作れるだろうか。
入学式を終えて1年生の教室へ。 担任はオニイの時に見覚えのある英語の女の先生。 真新しい制服のまだ幼い顔つきの子どもたちがワイワイがやがやと新しい教科書を数えている。 次から次へ配布物が配られて、連絡事項が伝えられている。 新学期のなじみの風景。 ゲンはと見ると、出席番号順に割り当てられた一番後ろの席で、隣の小柄な男の子とひそひそ話をしたり、笑ったりしている。 「ねぇねぇ、あの子、うちの小学校の子だったっけ?」 と隣にいた同じ小学校区のおかあさんに訊く。 「いや、見かけた顔じゃないし、他の小学校の子じゃない?」 「でも、なんだかとっても仲良しさんみたいなんですけど?」 なにやらとても楽しそうで、見ているとひそひそ話に気を取られて一つ二つ先生の指示を聞き逃した模様。 おいおい、大丈夫か。
心配するこたぁ、なかった。 あとで聞くと、隣の男の子とはやはり初対面で、だけどなんだかかなり気の合いそうな子なんだとか。 人懐っこく、何事にも「第3の道を切り開く男」のゲンのことだ。 新しい環境に入っても、そこそこ居心地のいい場所を自分で見つけてしっかり根を下ろす。友達もきっとたくさん出来るだろう。 親がいちいち心配して、手を引っぱってやるお年頃でもなくなってきたらしい。 「おかあさん、なんかワクワクしてきたわ。」 これから始まる中学校生活に、胸を膨らませるゲン。 入学おめでとう。
BBS
父さんのいない一週間。 子どもたちと囲む夕食。どうしてもお子様中心のメニューが続く。 あまり目新しいものもないので、父さんがいないのをよいことに先日友達から教えられたジャンクフードっぽいメニューを試すことにした。
材料は、にんじんと某激辛系スナック菓子。 にんじんをこまかい千切りにしてスナック菓子をトッピングし、マヨネーズでガーッとかき混ぜて食べる。 それだけ。 びっくりするような取り合わせだけれど、スナック菓子のピリカラとカリカリした食感が楽しくて、ついつい生のにんじんをたくさん食べてしまう面白メニューなのだという。
買ってきたスナック菓子は、いつもの場所においておくとたちまち誰かに食べられてしまいそうなので、用心のため冷蔵庫の野菜室に隠しておいた。 でも、あっという間に、目ざとく見つけたのはゲン。 「あ、こんなところにスナック菓子、みっけ!食べてもいい?」 というものだから、 「駄目!それは晩御飯にたべるから」 と答えたら、 「ひぇーっ!おかあさん、ついに育児放棄?! 晩御飯がスナック菓子やなんて!!」 と悲鳴を上げる。 ・・・・・出来るものならやってみたいわ。 育児放棄。
BBS
お風呂に入る前、アプコが発泡スチロールの食品トレーを持ち出して工作を始める。 底の平らな部分を四角く切り取って油性ペンで絵を書き、それを細かく切って即席のジグソーパズルの完成。これをお風呂に持って入って、タイルの壁に張り付けパズルを完成させる。アプコがもっと小さいとき、ゲンが教えたお気に入りのお風呂遊び。 一人でお風呂に入るようになってからもアプコは時々思い出したようにパズルを作る。で、ひとしきり遊んでからはパズルを引き上げて洗面台の蛇口のそばに置いていく。アプコにとってはパズルのピース、アプコ以外のものにとってはただのゴミにしか見えない発泡スチロールのかけらがいつまでも洗面台周りに残されることになる。
それがあまり続くとこちらも嫌気が差すので、 「次々新しいのを作るのもいいけど、使わなくなったパズルはさっさと棄ててね。」 とたびたび小言を言う。 子どもの制作意欲をそぐのは気が引けるので、「しょうもないモンばっかり作るな」ともいえない。 しょうがないから、「そうやって切っちゃたらリサイクルに出せないじゃない。もったいないよ」と脅す。(これ嘘。多分切り刻んだトレーも回収に出していいはず。) 「え?出せないの?」とアプコが後ずさる。 「そうよ、そうよ。もったいないわ。そんなのエコじゃない。」 と、状況を察したアユコが目配せしながら畳み掛ける。
「エコじゃない」 これって、今流の脅し言葉。 昔だったら、「もったいないの神様に叱られる。」とか「無駄にしたらバチがあたる」とかって、叱られた。 学校で幼い頃から「リサイクル、リユース、リデュース」とか「再生資源」だとか習ってくる子どもたちにとっては、もったいないの神様に叱られることより、周りの人から「エコじゃない」となじられることのほうが耐え難いことらしい。
ま、いいけどね。どっちでも。 物は大事にいたしましょう。 で、使ったものはさっさと片付けてね。
BBS
朝、起きたらやけに寒くてびっくりした。 窓の外にはきれいな春の青空。 と思ったら、急に真っ暗になって雨が降り出したり、冷たい風が突風のように吹きすぎたり、そしてまた暖かな日差しが戻ってきたり。
父さんの上京で工房の仕事はほぼ休業状態。 我が家にもようやく春休みらしいのんびりした時間を楽しむ余裕ができた。 今日は午後から、アプコと近所のKちゃんをつれて近くの植物園まで出かけるつもりだったのだけれど、あまりの天候に急遽中止。家の中で遊んでもらうことにした。 それでも、にわか雨と交互にやってくる申し分ない暖かな晴天に、子どもたちが「植物園行けばよかったなぁ」と焦れるので、近所の空き地で目立ち始めたヨモギの若葉を摘んでこさせて、急ごしらえのヨモギ団子作り。
「ヨモギの葉っぱは裏が白いの。」 アプコはヨモギの見分け方を学校の生活科の授業で教えていただいたらしい。近所の草むらにはヨモギとよく似た形の葉っぱの植物が何種類か生えているようで、二人で額を寄せ合って摘んだ葉っぱをより分けている。 それでも時々判別のつかないものもあるようで、「おかあさ〜ん、これどっち?」と訊いてくるので、「ちぎって、クンクン匂ってみ?ヨモギのにおいしてるかな?」といちいち答える。 「あ、そうか」と、今度は二人で鼻を寄せ合って葉っぱをクンクンしている様子がかわいい。
子どもの頃、実家ではヨモギ団子やお彼岸のおはぎを作るのは同居していた祖母の仕事だった。 大きなざるで摘んできたヨモギを水にさらして、他の雑草や汚い葉っぱを選り分ける。 ヨモギ摘みと言うと、私たち子どもは手っ取り早く、大きく育ったヨモギを茎ごとブンと引きちぎって集めて回ったものだけれど、祖母ははいつも、新茶の若芽を摘むように、先のほうの若くて柔らかい葉先ばかりを器用に長さをそろえて摘んでいた。 あのころ、祖母はいったいいくつだったんだろう。 今頭に思い浮かぶヨモギを摘む祖母の手は、晩年のシワだらけで節の立った老人の手なのだけれど、よく考えてみればあの頃確か祖母は50代後半か60歳ちょっと。まだまだそんな高齢者ではなかったはず。 母とともに家事をこなし、お針仕事や庭の作業も達者に楽しんでいた祖母。 たまに思い出したように、お団子の粉を捏ねたりわらび餅のお鍋をガーッとかき混ぜたりしてくれた。あれは季節の変わり目の楽しい気分を孫たちと分かち合うおばあちゃん流のレクレーションだったのだろうか。 出来たお菓子はたいてい小さな金色のお皿に載せて、お仏壇に供えてチ〜ンとリンを鳴らすのが習慣だった。
アプコとKちゃんが拵えたヨモギ団子はぜんぶで15個。大小さまざまなジャガイモのような不定形。 「おばあちゃんたちにあげてきて。」と、まず小皿に3個。 そして「Kちゃんちは何人家族だったっけ?」と家族の分だけお土産用にパックに詰める。 あとはみんなで一つずつ。余ったのはジャンケン争奪かな? 春の香りのヨモギ団子。 それでもまだ、幼い日の祖母の手がどんなだったか、よく思い出せなくて、物思いながらお茶を入れた。
BBS
2007年03月27日(火) |
2000円晩御飯再び |
一日の工房仕事を終えて、あたふたと自宅へ帰る。 ああ、晩御飯何にしよ? 今日も買い物に行けなかった。冷凍庫になんか、ささっと作れるものはないかな。 そんなことを考えながら、居間の戸を開けたら、子どもたちが仲良くコタツでゴロゴロしてる。テーブルの上には、子どもたちが適当に見繕って食べたおやつやスナックの残骸。お昼の洗い物もまだ流し台に残っていたりする。 「おかあさん、おかえり〜」 「今日は晩御飯、なに〜?」 ゴロゴロ寝そべったまま、屈託のない笑顔で訊く子どもらに、カチ〜ンと来た。 「一日ゴロゴロしてたヤツが、グダグダ言うな!さっさと起きて片付けろ!洗濯物は取り込んだの?お風呂洗いは? お昼の片付け、頼んでいかなかったっけ? 春休みだからって、勉強もしないで一日ゴロゴロしてるばかりで、それでいいの!」 落雷、一発。
子どもらが一日、ただグダグダと怠惰な時間を過ごしていたのではないこともよく知っている。 朝、洗濯機3杯分の洗濯物を干してくれるのはアユコだし、お風呂洗いやお布団干しの仕事はアプコやゲンがいつもどおりやってくれてる。部活で毎日出かけていくオニイも、時間が空けば工房の仕事を手伝ったり、弟妹たちの日常をしっかりサポートしてくれている。 春休みというのに、お出かけの一つもせず「忙しい、忙しい。」と工房にこもる父母に文句を言うわけでもなく、疲れて帰った父さんに仮眠用の枕をさっと用意してくれる。 私が一日たっぷり工房仕事に専念できるのも、春休みで家に居る子どもたちがあれこれ家事の一部を分担してくれているおかげだ。 判ってはいるのだけれど、そこそこ何でもできるようになってきた「家庭内労働力」をぐうたら遊ばせておくのも癪に障る。 と、言うことで、「2000円晩御飯」の提案。
子どもたちが小学生の頃、よくやった休日の遊び方。 子どもたちに2000円渡して、その範囲内で家族6人分の夕食を作ってもらう。もちろんメニューを決めるのも買い物に行くのも子どもたち。2000円以内ならお惣菜を買うのもデザートを買うのもOK。 大人は一切手を貸さない、口も出さない。 今は上の子達は大きくなったので、一人一回、一食全部を一人で作ること。 ・・・・これで母は3日間、夕食作りから開放され、子どもたちには絶好の「暇つぶし」ネタを提供するという一石二鳥。
「オムライスが食べたいな。」 と、いち早く、自分が食べたいものを選んだのはアユコ。 大量のチキンライスを一度に作るのは予想以上に難題だったようで、少々薄味。けれども、薄焼き卵でチキンライスをふんわり包む手順はなかなか上手になっていて、アプコに助手を頼んでつぎつぎに手早く仕上げていく。 見た目も上出来。 材料もほとんど冷蔵庫にあるもので調達したので、費用も格安で済んだ。
「僕、シチュー!」 と最初に得意メニューをキープしたのはゲン。 買い物にも自分で行って、 「こっちのほうが安かったから」と、お買い得見切り品3玉100円のキャベツをぶら下げて帰ってきた。 大振りに切った野菜がゴロゴロ入ったクリームシチューはなかなかの出来。 ご飯の炊き方もしっかり覚えたらしい。
「何を作るかは内緒」と 最後までメニューを明かさなかったオニイ。 結局選んだのは、我が家では最近ほとんど作ったことのない「皿うどん」 子どもたちが小さい頃には、何となく子どもに不評なメニューだったのに、「それほど嫌いなわけじゃないんだけどな。」とのこと。 「キクラゲと鶉卵は必須条件。ヤングコーンが見つからなかったのは残念」とこだわりのお買い物。 野菜たっぷりの皿うどん。 上等上等。
手近に居るアプコをしっかり助手につけて要領よく仕事を進めるアユコ。 お買い得見切り品を目ざとく物色してくるゲン。 調理中に誰かが口出しすると、たちまちご機嫌が悪くなる傾向にあるらしいオニイ。 それぞれの癖や傾向がうかがわれて、なかなかに面白い晩御飯作りだった。
BBS
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