月の輪通信 日々の想い
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朝。 早々に家事を切り上げて工房へ。 昨日、あと一息のところで中断していた個展の案内状の発送準備。さっさと仕上げて集荷に来てもらわなければ。 父さんはまだまだ出品作品の制作に追われているし、前売りの作品の発送の準備も進んでいる。 皆があわただしく走り回る月曜の朝。
2階の居間で、義父と義母の話す声がして、そのあと私は義兄に呼ばれた。 ひいばあちゃんの体調が悪いらしい。いつも通院の送り迎えをしている義兄は、今とても手が放せる状態ではないので、代りに近所の医院まで送っていってくれないかとのこと。 「よし来た、合点」と急いで車を取りに自宅へ戻り、玄関先に車を止めて、その間3分。 さあ、ひいばあちゃんを連れてきて・・・と思って中に入ると、体調が悪いはずのひいばあちゃんがゆっくりゆっくり階段をおりてこられる。
「おばあちゃん、これから仕事に降りはるつもりらしい。 とりあえず病院行きはもういいわ」 ひいばあちゃんのあとを追うように降りてくる義父と義母。 あらら、せっかく車もってきたのに、キャンセルですか。 ひいばあちゃん、なにやら「兄ちゃんから頼まれた仕事をせんならんから・・・」言い張っておられるらしい。 近頃は、仕事場へ降りてこられることもぱったりとなくなって、昼間は寝たり起きたり、ぼんやりしておられることの多くなったひいばあちゃん。 何ヶ月ぶりかで土仕事をしようかと言い出されるくらいだから、多分体調もさほど悪くないだろうということで、病院行きはとりあえず中止。
さて、急にひいばあちゃんが仕事をなさるとなると、これまた大変。 ひいばあちゃんが長年指定席としていた作業場は、最近では見習いパート職人である私が間借りして使わせてもらっている。 ひいばあちゃんがいつ降りて来られてもいいように、ひいばあちゃんの仕事用の前掛けや専用の道具類はできるだけもとの場所に置いたままにしてはいるが、仕事が立て込んでくると、ついついそれを脇に寄せて作業スペースに借りることも多くなる。とくにここ数日は、数物のお皿の仕上げ仕事が立て込んでいて、新しい釉薬の容器や塗りかけのお皿があちこちに山積みになっている。 大慌てで仕事場に先回りして作業台をあけ、新しい粘土を用意してひいばあちゃんを迎える。それでもひいばあちゃんが腰掛けたときには作業台の脇に片付け切れなかった釉薬の容器がいくつか残っていて、 「なんやら、ようけ置いてあるな。」と軽くお小言。 はいはい、今片付けますとおおわらわ。
ああびっくりした。 普段うとうとと居眠っておられる事の増えたひいばあちゃんの、突然の仕事場降臨。 てきぱきと身の回りの道具類を整えて、がっちりと土塊を掴む手は力強い。何ヶ月も仕事場から離れていたというのに、つい昨日の続きの仕事に取り組むようにすんなりと土をひねり始める。作業が始まるともう、周りの人間に気を取られることもなく、ただただ作ることに没頭していかれる。 いったい、何がひいばあちゃんを仕事場へ呼び戻したのか。 どんな神様が、眠れるひいばあちゃんを揺り起こしたのか。 あっけに取られる思いで、ひいばあちゃんの写真を撮った。
近頃ではひいばあちゃんの耳はほとんど聞こえていない。 朝と夜の区別があやふやになって、大昔のことをつい昨日のことのように話されたり、今さっきあったことを忘れていらっしゃったりする。 しょっちゅう顔をあわせる人のことも、誰だかわからなくなっていることも多い。 今年で100歳。 年相応に、順調に、老いを極めていっておられるということなのだろう。
つい最近、私も「どこぞの女の人が来たはるよ」と言われた。 そばに居た義兄が私を気遣って、「ひいばあちゃんは、こないだうちの子の顔もよく判らなくなってたみたいだよ。」と言いつくろってくださった。けれども、私は義兄が思いやってくれるほど、ひいばあちゃんの言葉に傷ついたわけではない。 ひいばあちゃんの小さな頭の中にたくさん積み上げられた記憶の引き出しのうち、だんだん錆び付いて開けなくなった引き出しが増えてくる。多分、私のことを記憶してくださっている引き出しも、きぃきぃ軋んで次第に開かなくなっていくのだろう。けれども、引き出しの中身は決して消えてなくなってしまうわけではなくて、ひいばあちゃんの頭の奥の奥で私との記憶は眠りにつこうとしているのではないかと思う。 それならばせめて、泡のように消えていく今日のひいばあちゃんの記憶に残る「私」は、「なんだかニコニコしてて、気のよさそうな仕事場のおばちゃん」「来てくれるとなんとなく心地よいどこぞの女の人」でありたいと心から思う。 この家に嫁いできて17年。 厳格な先代夫人、生涯職人を貫く偉大な師匠として、ひいばあちゃんから学ばせていただいたものは、とてつもなく大きい。 そのことに報いるために私ができることは、ただ黙々と土に向かうひいばあちゃんの姿をこの目と耳と心で自分の記憶の中にしっかりと書き留めておくこと。 そんな気がしている。
BBS
春休み、前半戦は男の子組。 早々に修了式を終えて部活もお休みのオニイと、卒業式が済んで「小学生でもなく中学生でもない」宙ぶらりんなお休みを楽しむゲン。 いつもより少し寝坊して、いつもどおり登校していくアユコやアプコをパジャマで見送る。 のたりのたりと、春。
力持ちの男の子二人。遊ばせておくのももったいないと、あれこれ仕事を見つけては二人に割振る。 案内状の葉書印刷のプリンター番。 工房の土作りの力仕事。 陶芸教室の準備や片付け。 荷物運び。 そこそこ役に立つ手伝い手になって来た息子たち。
昨日からゲンが取り組んでいるのは、アプコの自転車の整備。 以前から乗っていた幼児用の自転車がすっかり小さくなって、裏の物置においてあったアユコのお下がりの自転車を引っ張り出してきた。 くもの巣がはってハンドルは錆び錆び、タイヤはぺちゃんこで、パステルカラーの前籠もなんだかちょっと煤けてる。 大丈夫かなぁ、乗れるかなぁ。新しい自転車を買わなくちゃ駄目かしらんと迷っていたら、ゲンが整備を引き受けてくれた。
くもの巣や埃をぬぐい、あちこちに油を差し、ペダルやブレーキの状態を確認する。チューブくらいは入れ替えかと見積もっていたが、タイヤに空気を入れてみたら、意外とパンクもしていないらしい。特別遠出もせず、家の周りで乗る分には、十分用が足りそうだ。 今朝は早くから、父さんにサンドペーパーを貰ってきて、ハンドルやスタンドの錆び落としをはじめた。真っ赤に赤錆びたハンドルが、薄皮をはぐように本来のシルバーの素肌をさらしていくのが面白くて、ついつい時間がたつのも忘れて作業にのめりこむ。 唇を尖らせて、ためつすがめつしながら作業に熱中するさまは、すでに立派な頑固な職人気質。最初はそばで一緒に手伝っていたアプコも、あっという間に邪魔にされて、どこかへ消えてしまった。
「どう?すっごくきれいになったやろ?」 赤錆で汚れた手をぬぐいながら、得意満面のゲンが一日の仕事の成果を皆に披露した。 ハンドルも荷台の金具もびっくりするくらいきれいになって、新品のようとは言わないまでも、ずいぶん見られるようになった。 さっそくアプコがやってきて「わぁ、ありがとう」と無邪気に喜んで乗ってみる。 その辺をぐるりと一周して、リンリンと鳴らしてみて、また降りて・・・。 「ちょっとスタンドが硬いみたい」 と言い残して、ふらりと遊びに行ってしまう。 末っ子姫の気ままさ全開。
「・・・一日、自転車磨いてやったのに、感想はそれだけかい」 ぶうぶう言いながらもスタンドのあちこちに機械油をさしてみるゲン。 いいおにいちゃんになったなぁ。
BBS
ゲン、卒業式。 朝、窓を見たら雪。 この冬初めてじゃないかしら。 ついこの間までトレーナー一枚で出かけられる程のぽかぽか陽気だったというのに、何この寒さは? 在校生が工夫を凝らして飾りつけた体育館はしんしんと冷えて、卒業式らしい張り詰めた空気が懐かしい。 卒業式日和の寒さだった。
身に添わぬ卒業式のおめかし服で身を包んで、ゲンも卒業生の列に並ぶ。 やせっぽちのオチビさんで小学校を卒業したオニイに比べて、体格だけは大柄に成長したゲン。着慣れない紺のセーターに子ども仕様のインスタントネクタイを締めただけでずいぶん大人びて見える気がする。 名前を呼ばれ、壇上に上がった卒業生は一言ずつ中学校生活に向けての抱負や将来の夢を語ってから卒業証書を受け取る。 「中学に入ったら、勉強と部活を頑張ります。」 「大きくなったらパティシエになって美味しいお菓子をみんなにたべさせたいです。」 決められた卒業式の演出とは言うものの、幼い子どもたちがまっすぐに自分の将来の夢を語り、大きな声で決意を表明する姿はすがすがしく美しい。 たとえ何年か後には、照れ笑いやほろ苦さとともに思い出すことになる夢や決意であっても。 ちなみに、ゲンの言葉は、 「僕は大きくなったら陶芸家になりたいです。」 思わず、隣の席の父さんと顔を見合わせ、「あらら、言っちゃった」と肩をすくめた。 嬉しくもあり、ちょっと気恥ずかしくもあり。 父と母。
大らかに育んでくださる先生方に恵まれ、広大な学級園や裏山など野生児ゲンの感性を満たす自然環境に恵まれ、支えたり支えられたり気持ちを通い合わせることのできる友人たちに恵まれ、ゲンにとっては本当にいい小学校だった。 卒業おめでとう。
BBS
工房では、お皿の釉薬掛け下塗り。 自宅に帰れば、箸置きの型抜き、成形。 ここのところ、私の「パートのおばちゃん」業もほぼフルタイム。 てきめんに手の荒れが進んだ。 土の仕事を終えて、荒れた手にたっぷりとハンドクリームを塗ってから、 「ああ、晩御飯・・・」 とそのたび、舌打ち。 塗ったばかりのクリームを洗い落として夕餉の支度。 そんな毎日。
手の平を広げたほどの丸い菓子皿に透明の釉薬を塗る。 最近になってようやく任されるようになった釉薬仕事。私が一度塗りをしたものを、乾燥後父さんが同じ釉薬で仕上げ塗りをする。 透明の釉薬を使うのは、少々塗りむらが出てもそのあとの仕上げ塗りである程度修正が可能なため。新米パート職人の私には、扱いの難しい色釉や仕上げ塗りの仕事はまだまだ任せてもらえない。
元はひいばあちゃんの仕事場であった、キコキコ音のするオンボロいすに腰掛けて、素焼きの皿にたっぷり釉薬を含んだ刷毛を落とす。皿に乗った釉薬が乾いてしまう前に素早く刷毛を動かして、刷毛目が残らぬように均等に塗り広げる。 刷毛を動かすタイミングと、釉薬とCMCの調整具合が難しくて、なかなか思うように上達しない。 「いったい、何年ぐらいやったら、一人前に釉薬掛けの仕事が任せてもらえるようになるのかしら?」と、父さんに訊いたら、 「毎日その仕事ばかりやっても、3年くらい」と厳しいお答え。 家事の合間に、釉薬掛けも型抜きも荷造り仕事も雑多に請け負う雑用パートの私には果たして何年かかることか。 最初に比べていくらか上手になったかと密かに喜んでいた鼻柱を、ポキンと折られて、ちょっとガックリ。 修行の道は厳しいのだ。
今年100歳になるひいばあちゃんは、ほんの数年前までこの場所で釉薬掛けや作品の下地作りの仕事を現役でバリバリこなしておられた。最近では、耳も遠くなり、足腰も衰えて、時には昼と夜との区別がつかなくなって、仕事場に下りてこられることは滅多にない。それでも少し前までは、突然ふらりと仕事場を覗きに来られて、急に思い出したように土をひねるといわれることがあった。 そのために、ひいばあちゃんの釉薬掛け用の前掛けは今もひいばあちゃんの仕事場に置かれたまま。カンナやたたき棒などの入った道具箱も埃や土くずにまみれて、最後にひいばあちゃんが使われたときのままに置いてある。 間借り人の私は、いつも遠慮しながらひいばあちゃんの道具を少し脇へ寄せて、釉薬掛けのためのスペースをあける。そして仕事が終わると、「お邪魔いたしました」と脇へ寄せた道具箱を元の場所に戻す。 まだまだここは、ひいばあちゃんの仕事場なのだとそのたび思う。
箸置きの型抜き仕事に使う削り用のナイフが欲しいと思っていた。 薄い鋼の板を砥いで尖らせただけの陶芸用のナイフ。 父さんの仕事場にもたくさんあるのだけれど、ひょいと借りようとすると「あ、それは駄目」といわれたりする。何度も砥ぎを重ねて自分の手に合うように慣れ親しんだ手元の道具。傍目にはどれも同じに見えるのだけれど、使用する本人にとっては微妙な使い勝手というものがあるのだろう。 型抜き仕事をたくさん請け負うようになって、私もそろそろ自分の手に合う自分の道具が欲しいと思うようになった。
埃だらけのひいばあちゃんの道具箱の中身に初めて触れた。 土のついたままのカンナやヘラの合間に、先が丸くなるほど使い込まれた肥後守刀や板状のナイフも何本も見つかった。 板状のナイフのもち手部分には、ガーゼの布が巻きつけられビニールテープで補強されている。使い勝手がいいように、ひいばあちゃんが自分で工夫してつけられたものなのだろう。ひいばあちゃんの手の形に持ち手が汚れたナイフは、いい具合に磨耗して使い心地がとてもよさそう。 長年使い込んだ道具の親しさが、手に優しい。
「このナイフ、もらってもいいかなぁ。」と父さんに訊く。 もう何年も触れられていないひいばあちゃんの仕事道具。 そろそろ、ぺーぺー職人の私が譲り受けてもいい頃かもしれない。 「ナイフ一本くらいなら・・」とのお許しを受けて、ひいばあちゃんのナイフを自分の道具箱に移した。 「ナイフ、借りてくね」と声を掛けても、その言葉が聞こえているんだかいないんだか、ひいばあちゃんはにこにこ笑って頷いておられる。 「そろそろ、いいよ」の笑顔なのか、「早く一人前になりな」の頷きなのか。 ありがたく押し頂いて、大先輩の道具を譲り受けた。
BBS
冬に逆戻りの寒さ。 アプコが熱を出した。といっても38度を超えたり超えなかったり。 ゴロゴロしてはいるが、意外と元気そうで食欲もあるのでインフルエンザではないと勝手に判断。学校へは「風邪」と連絡しておいた。 小学校ではすでに学級閉鎖が3クラス。
昼間、スーパーで夕飯の買い物。 ワゴンに積まれていた3割引シールのついた青菜を籠に入れる。 他にも牛乳やらお肉やら、数点選んでレジに並んだ。 比較的短い列に並んだが、前に進むのが他より遅い。 なんでかなと覗いたら、レジ係は多分アルバイトの新人さん。それも、見るからに学生アルバイトらしい、若いかわいいおにいちゃんだ。
私の番が来て、バイト君はマニュアルどおりのご挨拶を恥ずかしそうにつぶやきながらバーコードのある商品をレジに通し始めた。手際はよくないが、初心者の真面目さで品物の扱いは丁寧だ。むしろ丁寧すぎるくらい。 で、最後に3割引シールのついた菜っ葉を手にしたところでバイト君の手がぴたりと止まった。 周りを見回し、他の先輩店員の助けを求めるようなそぶりをしたが、それもやめて、手打ちのほうのボードをあちこち眺めている。 3割引の処理の仕方がわからないのかなと思っていると、バイト君、ちょっと節目がちにこちらに菜っ葉を差し出して、 「すみません、これ、なんですか」
「あ、それは小松菜。」 生鮮品の野菜はバーコードのついていないものが多く、レジ係りの人が手打ちのボードのほうで商品名を探して打ち込む事になっているらしい。 バイト君、その菜っ葉の名前がわからなかったのだ。 「す、すみません。」 急いで小松菜の名前を探すバイト君。 すぐ後ろに並んでいたおばちゃんが、 「にいちゃん、勉強せなあかんなぁ。」と茶々を入れて笑う。 恐縮してレジに向かうバイト君の猫背が妙に可愛らしくて、 「ま、きっとうちの息子も、知らないと思うよ。」 と、笑いをこらえてフォロー。 なんだかとても楽しい気持ちになった。
確かになぁ。 毎日口にしている野菜だけれど、自分でお料理しない若者たちに小松菜とほうれん草の区別はつかないわねぇ。 あとでオニイやゲンにも訊いてみよ。
BBS
毎朝食べる卵。 今日はぽっかり卵。甘辛く味付けしただし汁にぽっかりと卵を割って、そのまま半熟に煮て器に盛る。 幼い頃、実家の母や祖母がよく作ってくれた懐かしい味。
ところがなぜかゲンはぽっかり卵が苦手。 目玉焼きも炒り卵も好きなのに何故かぽっかり卵だけは嫌いらしい。 今朝もお鍋の中を覗き込んで、「わ、もしかしてぽっかり卵?」と顔をしかめた。
まぁまぁ、そんな嫌そうな顔しないで。 もしかしたら、きみが年をとって、お母さんもいなくなった頃に 「ああ、もう一回、母さんのぽっかり卵、食べたいなぁ・・・。」 なんてこと、思う日が来るかもしれないよ。
・・・って、いったら、 はぁ、そうですかとすごすごと引き下がった。
「あ、おかあさん・・・。玉子焼きじゃない。」 遅れて起きてきたアユコが、食卓のぽっかり卵を見てつぶやいた。 「なんで?」と訊くと、 「昨日の晩、『明日は玉子焼きが食べたい』って頼んでたのに」 あ、忘れてた。
・・・なんだか誰にも歓迎されなかった今朝のぽっかり卵。 美味しかったのに。
BBS
朝、起きてきたアプコが台所へやってきて、 「おかあさん、指んトコ、痛いの」 という。 見ると、人差し指の爪の付け根のところに小さな逆剥け。 「あ、こりゃイタイね。」と絆創膏を貼ってやる。
「あのね、アプコ、昔から、逆剥けができるのは『親不孝』のしるしっていうんだよ」 と、言ったら、 「おやふこうって何?」 と首をかしげるから、 「お父さんやお母さんに迷惑をかけたり、心配をかけてるっていうこと。アプコはどうかなぁ?」 と説明した。 ふうん・・・と、考え込んだアプコ、 「おかあさん、これ持ってく?」 と、お碗に注いだばかりのお味噌汁を指差す。
「あ、あったかあ〜い」 両手でお碗を包むように持って、嬉しそうにアプコがつぶやいた。 家族みんなで、朝の暖かい味噌汁を食べる幸せ。 そんな些細な嬉しさを思いがけず思い出させてくれるアプコのつぶやきの愛らしさ。 それだけでもう十分の親孝行。
「逆剥けは親不孝」はきっと嘘だね。
BBS
一雨ごとに春になるというけれど、今日の雨は暖かくていい雨だった。 まだ裸木の梢にプツプツと顔を出し始めた新芽が、たっぷりと雨粒を溜めてキラキラ光っている。 傘をさそうかさすまいか。 迷うほどの小雨がまたいい。
ゲンが悔し涙をいっぱい溜めて帰ってきた。 また、I君とケンカをしたらしい。 I君は幼稚園からの付き合いで、調子のいいときには一緒に虫取りをしたり、焼き芋大会やロッジのキャンプにも遊びに来る仲良しだが、なにか気に入らないことがあると、決してやり返さないゲンや体の小さい他の友だちをターゲットにして暴力を振るう。 先週の金曜日にも、遊び半分からつかみ合いになって、上着のファスナーを壊されて帰ってきた。担任のT先生に連絡して、Iくんの家庭に電話をしてもらい、さて、今日はどうかと思っていたら、校門を出たところで激しい取っ組み合いになったようだ。
I君の家に電話をしたが、I君母の反応は薄い。 「遊び、ふざけの延長」「子どものケンカ」と軽く受け取って、「一方的暴力」という認識はないようだ。 時々口にする謝罪の言葉も、この場を納めるためにしょうことなしに口にしているというような薄っぺらさ。 自宅へ謝罪に来られて、I君母がI君にかけた第一声が、 「ほら、ちゃんと自分の言葉で言わな、いつまでたっても終わりにならへんで」だった。 「この人には通じない」 そんな気がした。
で、しょうがないから私がかました「はったり」 「ゲンはこれまでもできるだけやり返さないように我慢してきたけれども、私はゲンに『これからはやられたらガンガンやり返していい』という。 この子は本当に我慢しきれなくなると、思いがけない反撃に出るよ。そちらがどんな怪我をして帰る事になっても知りませんから。 最近、中学では今回のような暴力には警察の介入もあるようだから、今後何かあったら、そういうことも覚悟しておいてくださいよ。」
完全なる「はったり」だ。 ゲンには、そこまでやりかえす勇気も愚かさもないでしょう。 ただ、横で聞いているゲンのためにも、「闘う母」の姿は見せておかなければならないので。
一方的暴力を繰り返す子どもの親は、概して子どものちょっとした暴力に対する認識が甘い。 「ちょっとふざけが過ぎただけ」「遊びの延長だった」と暴力を正当化する。 ふざけも遊びの延長もやられた側が「嫌だ」と思った瞬間、「いじめ」になる。叩いた本人がどんなつもりで叩いたかなんて、いじめか否かを判断するときには、ただの言い訳にしかならない。 そんな当たり前のことが、共通認識としてもてない人とは、いくら言葉を重ねても分かり合えない気がして空しい。
BBS
午前中、寝坊の子どもたちを追い回して居間の片付け。 押入れの奥から雛人形の大きな箱を引っ張り出すl 我が家ではいつも3月3日に雛人形を出して、4月3日に片付ける。 そして、そのときに一緒に台所の大きなストーブを仕舞う。 3月3日が我が家の春の入り口。
アプコが今年も散らし寿司を作るとやかましい。 「きゅうり、こうやどうふ、しいたけ、にんじん、ちくわ・・・」 小さな文字で材料の名前を書き連ねたメモ用紙を渡されて、昨日から買い物に回った。野菜や高野豆腐を煮て、おばあちゃんちで大きな飯切りを借りてきて、準備完了。 台所のテーブルにまな板を置いて、アプコが延々と具材のみじん切りをはじめた。
近頃アプコはちょっと目を離すとおばあちゃんちへもぐりこんで、おばあちゃん相手にお料理ごっこに余念がない。 チャーハンだとか、みたらし団子だとか、ありあわせの食材でごちゃごちゃと思いつきのお料理を作っては小皿に入れて持ち帰ってくる。どうやらおばあちゃんもアプコのやりたいように勝手にやらせてくださっているらしい。 正直なところ、お味のほうはあまりほめられたものではないのだけれど、包丁の扱いやコンロの火の調整などは確実に上達したようで、去年の夏にはなかなかうまくできなかった薄焼き卵もずいぶん上手に焼けるようになった。 同じ年の頃のアユコに比べて、いくらか不器用かなと思っていたアプコだけれど、今日の薄焼き卵はまずまずの及第点。
出来上がったお寿司を小型の重箱に詰めて、錦糸玉子や青みのものをきれいに飾りつけて、得意満面でおばあちゃんちへおすそ分け。 風呂敷にきれいに包んで「もっていって来るわ!」と飛び出していくフットワークの軽さは、アプコの本領。 上手に甘え、上手に相手を喜ばせる、ストレートな人懐っこさがいいのだ。 得な性格である。
BBS
朝、雨戸を開けたら、遠くで鳥の声がした。 ケッホ、ケッホ・・・。 ヘタッピィの新米ウグイス。 何度何度もおんなじところでつっかえていて、じれったい。 春だなぁ。
大きな声で子供らの名前を呼んで起こす。 ゲン、オニイ、遅れてアプコ。靴下を履きながら、髪をとかしながら、のろのろと起きてくる。 「アユコは?まだ寝てる?」と訊いたら、いつもは「知らん」とそっけないオニイが「なんか調子悪いんちゃう?」と珍しくまともに応えた。 皆が朝食を終える頃、フラフラと降りてきたアユコは半泣き顔で、いつもの朝の低血圧に貧血のクラクラが同時にやってきたらしい。 「ありゃりゃ、ほんとにしんどそうやわ。アユコ大丈夫?」 青ざめた顔で座り込むアユコ。おでこに触れると熱はないようだけれど、頭がいたい、喉がいたいと答える。 それでも、「今日は休む?」と訊くと元気なく頭を振って、休みたくないという。 今日は茶道部がある日だし、なんと言ってもアユコは中学校ではまだ皆勤賞。ちょっとやそっとじゃ休めない。 それじゃあせめて、少し休んでから登校しなさいと学校と友達に遅刻の連絡。 他の子達を送り出して、ホットミルクと小さいおにぎりの朝食を用意して、アユコの体調が落ち着くのを待つ。
ほんの少し休んだだけでずいぶん顔色もよくなって、まだ、今からなら一時間目に間に合うからと、車を出す。 登校の時間が過ぎて小中学生の姿の消えた通りを走りながら、助手席のアユコは「校門がもう閉まってたらどうしよう。インターフォン鳴らせばいいのかな?」と不安そう。そういえば皆勤賞のアユコは、当然のことながら始業のベルのなったあと、閉ざされた校門を外から見たことがない。 学校に近づくと、通学路の途中に一人、また一人、のろのろと歩いている中学生の姿が見えた。 「あ、他にも遅れてくる子が結構いるね。 なぁんだ、ちっとも急いでないなぁ。遅れて行っても平気なのかなぁ。」と半ば嬉しく、半ば呆れたようにアユコが笑う。
確かに、遅刻常習犯で少々遅れたくらいでは焦ったりもしなくなっている子もいるだろう。 けれども今朝のアユコのように、体調が悪くてどうにも定刻に学校へつけない子もいる。 何年か前のオニイのように、学校へは行きたいと思っているのに体が登校することを嫌がって、振り絞る思いで学校への道のりを歩いてきた子もいるかもしれない。 必ずしもサボって遅刻してきている子ばかりじゃないはずだよ。 いつも楽しく友達とおしゃべりしながら校門をくぐるアユコには、閉ざされた校門に向かってのろのろ歩いてくる友達の存在は、知ってはいるけれど見えてはいなかった事だ。 アユコにとっては楽しい学校も、辛くて辛くて這いずり回る気持ちで登校してくる子もいるんだね。 そんな話をした。
アユコの学校では、いま来年度の生徒会役員選挙の最中だ。 去年、まさかの落選で涙を呑んだ学年委員の選挙。もう一回挑戦するかどうか、アユコは今年一年、ずっと考えていたようだ。 生徒会の役はしなかったけれど、学級代表として茶道部の部長としてコツコツと頑張ってきたアユコ。担任の先生に「お前はみんなのために働きすぎ。もうちょっと手ぇ抜いてええから」といわれるほど生真面目に走り回った一年だった。 最近、仲良しの家庭科の先生に「家庭科部に入らない?」と誘われた。 茶道部、華道部の掛け持ち部員のアユコ、活動日は違うというものの3つ目の部活入部には少々悩んだようだ。 「3つも部活やったら、生徒会はできないし。どの部もやりたいけど中途半端は嫌だし」 生真面目なアユコ、先生方や友達から自分に期待されている役割にこだわっていっぱいいっぱい頑張ってしまう損な性格。そのことを自分でもよくわかっていて、ついつい無理をしてあれこれ引き受けてしまうアユコがいる。 この間初めて「生徒会はやめて、家庭科部に入ったら?」と具体的なアドバイスをした。 「みんなのため、クラスのためはもう十分やったから、自分の楽しみのためのクラブに入るのもいいんじゃない?」 翌日アユコはあっさりと家庭科部への入部届けを出した。
そんなあれやこれやが重なって、今朝の体調不良になったのかもしれない。 中学にはいってからずっと快調に飛ばしてきたけれど、そういえばアユコには以前精神的なストレスで偏頭痛や自家中毒を繰り返した前科がある。 ちょっと頑張りすぎていたのかもしれない。 始業時間をほんの10分過ぎただけの学校の門。 アユコが恐る恐る押したらまだ施錠はされていなくて、軽くすっと開いた。 バイバイと手を振って、校内へかけていくアユコ。 やっぱり学校が好きなんだなぁ。 多分、今日は早退なんかせずにしっかり部活までやって帰って来るだろう。 心配して損しちゃった。
BBS
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