月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
オニイ、試験初日。 アユコ、試験2日目。
午前中、工房で荷造り仕事をしていたら、試験を終えて帰ってきたアユコの姿がチラッと見えた。自転車を押して、誰かと一緒に歩いている。 あれ?オニイと一緒に帰ってきたのかな?と首をひねっていたら、友達と一緒に帰ってきたらしい。 「おかあさん、仕事場のコピー、借りていいかな?」 友達に試験にいるプリントをコピーしてあげるのだという。
一緒に帰ってきたHちゃん、去年同じクラスだったのだけれど、今年は不登校気味で、なかなか学校へ出て来れなかった。 アユコはHちゃんのことをとても気にしていて、休み中の授業のノートを家まで届けたり、「学校、おいでよ」と電話をかけたりしていたらしい。 幸い、今回の試験にはHちゃんもなんとか出席できたようで、まずは一安心。 「駅まで送ってくるよ」と再び自転車を押して出かけていくアユコの表情も明るかった。
夜、オニイが心配そうな顔でやってきた。 「今、友達から電話あったんだけど、なんか大変なことになってると言ってるんだ。」 何が大変なのかは言わないのだという。 中学のときの友達。別々の高校に進み、時々連絡を取り合っていたようだけれど。昨年末には、どうやら成績不振だか出席不足だかで留年の危機にあるときいて、オニイはえらく心配していた。 その友達から突然かかって来た不審な電話。ちょうど学年末試験の時期だけに、もしかしたらいよいよ留年決定かとオニイもいたたまれない想いでいたようだ。 結局、「大変なこと」の内容は不明で、どうやらオフザケの電話だったらしいのだけれど、「ハラハラして損したよ」と笑うオニイの顔には、まだ、心配の陰が残っている。 「どうすんだろうなぁ。あいつ・・・。」 自分自身は部活や勉強にと楽しんで高校生活を送っているだけに、どうしても気になる友達の窮状。心配な気持ちがなかなか相手に伝わらないもどかしさが、やりきれないようだ。
友達の心配ができるということは、自分自身の学校生活がそこそこ充実しているということか。 学年末試験をめぐって、たまたまオニイとアユコに重なった友達の問題。 その明暗をただただ見守るしかない母であった。
2月だというのに春のような陽気。 昼下がり、上着も着ずに薄手のセーター一枚でアプコを迎えに出る。 少し歩くともう汗を掻くかと言う暖かさ。 学校のほうからかけてきたアプコは、朝着ていったトレーナーをうるさそうに腰に結んで、Tシャツの袖をひじまで捲り上げて笑っている。
「きょうはKちゃんと遊んでもいい?」 とアプコが言うので、とちゅうで一年生のKちゃんちへ寄り道。 「お母さんもよかったらお茶でもどう?」というお言葉に甘えて、母も久々にKちゃん母と井戸端会議。 ここのところ、工房での仕事やPTAのお役目に追われて、バタバタと走り回る日々が続いて、友達とのんびりおしゃべりを楽しむ時間もすっかり忘れていた。 大きなマグカップに入れてもらったコーヒーに、たっぷりのミルクとお砂糖を入れてくるくる混ぜる。子どもたちがTVの画面に向かってコントローラーを振り回す例の最新のゲームを楽しむ間、たわいないおしゃべりに花を咲かせる。 楽しい時間だった。
帰り際、Kちゃん母が「こんなの食べる?」と、ワシャワシャとナイロン袋に入れてくれたのは青いお豆。田舎からおくってもらったお豆だそうだ。水で戻してさっとゆでて浸し豆のようにして食べるといいという。青大豆というのかな。 冬の間、ストーブの上で長い時間コトコト煮ていた普通の大豆と違って、青豆は短時間煮ただけで青々した色を少し残してさらっと煮上がる。 生煮えのお鍋から一粒二粒つまんでみると、青臭い香りがしてさっくりした歯ざわりが楽しい。 乾燥豆のことだから、いつが旬というわけでもないのだろうけれど、まさに春のお豆だなぁと嬉しくなる。
昔読んだ小説で、長い冬を雪に閉ざされた山中の小屋で暮らし、春を目前に食糧不足と壊血病でピンチに陥る白人家族のお話があった。 いよいよ駄目かという時に、突然訪れてきたインディアンがなけなしの食料を分けてくれ、その中に一握りの豆が含まれている。そして豆はそのまま煮て食べるのではなくて、発芽させてその芽をたべて壊血病を防ぐのだと教えられる。 長く厳しい冬をやり過ごすインディアンの知恵。 そんなことを思いながら、Kちゃんちの青豆を煮た。
ネットのニュースを見ていたら、「ケセラセラ」という歌の原詞の作者がなくなったという。 ドリスデイが歌って映画の主題歌に使われ、日本ではペギー葉山などが訳詩で歌って流行した曲。 幼い頃、母がよく鼻歌で歌っていた。 ゆったりした曲調とのんびりした歌詞が、おっとりした専業主婦だった母にはよく似合っていたように思う。
「私がお嫁に行く人はどんな人?お金持ち?それとも、貧乏絵描き?」 と問う娘に 「ケセラセラ なるようになるわ 先のことなど わからない」 と母親が答える。 母と娘のたわいない夢物語の会話を、自分もまた子どもたちに語り継いでいるという繰り返しの不思議。 何度も何度も耳にした母の歌声を、気がつけば台所でトントンとお菜っ葉を刻みながら、口ずさんでいることの可笑しさを思う。 「貧乏絵描き」とまでは言わないものの、決して「お金持ち」とはいえない伴侶とともに、家庭を営む今の私。 「なるようになるわ」と、やや投げやりにも聞こえる言葉が、程よいエールとなって耳に残る。
先日、実家の父の手術に立ち会うために郷里へ帰った。 日々体を鍛え、趣味やボランティアにも奔走する元気な父の初めての手術だ。「大丈夫」とは言うものの、5時間もかかるという開頭手術。 心細い思いのまま、母とともに手術の進む時間を待った。 父は手術に際し、その立会いに離れて暮らす子どもたちがくることを母に怒ったという。子どもたちにはそれぞれの家庭があり、仕事があるのだから、わざわざ呼び寄せることはない。母がただ一人で待っていてくれればいいのだという。常に自分に厳しく、母にもその厳しさを求める父らしい言い分。
とは言うものの、長い手術の時間中、心配してやきもきしてただただ時計を見ながら待っているのは母。長時間の手術に耐える父自身の肉体もがんばっているには違いないが、なんと言っても麻酔で眠って夢の中なのだ。 父の手術に子どもたちが駆けつけるのは、もちろん父の病状を心配してでもあるけれど、不安な時間を一人で耐える母のそばに付き添うためなのだと私は思う。
長い長い待ち時間の間、母はせっせと編み針を動かし続けていた。手術の終了予定時間を睨みながら、「お父さんと競争よ。」と言いながら、残り少なくなった毛糸の玉を繰る。 そして日に日に気難しくなってきた父との日々を熱心に語リ続けた。 子どもたちが巣立ち、同居していた祖母を見送って、久しく続く夫婦二人の生活。積もる愚痴もあるのだろう。 親しい友に語るように夫婦の機微を語る母に、娘の私もまた親しい友のようにただ相槌を打つ。 私も母とこんな会話をもてる年齢になった。
予定時間をかなりオーバーして、父の手術は終わった。 母はとうとう最後まで編みきれなかった解けた毛糸をくるくると巻いて片付け、「お父さんに勝てんかったわ」といいながら、手術室から出てくる父の寝台を追った。 手術は成功、経過もよいだろうとの執刀医のお話。 麻酔から醒めた父とも一言二言言葉を交わして、無事を確認。 ホッとした。
帰りのバスの車中、「愚痴をいっぱい聞いてくれてありがとう」と母は笑った。 「いろいろあるけどね、自分で選んで結婚した人だしね。 もし生まれ変わっても、またこの人と結婚してもいいかなと思ってるのよ。」 はぁ、愚痴の締めくくりはおのろけですか。 「でもね、今度はもっとうまくやるわ。」 確かに人生には「あの時、こうしておけばよかった。」と振り返るポイントがいくつかある。別の選択をしていたら自分に訪れたかもしれない別の人生を夢想して、今の自分を笑って認める。 ケセラセラの母もなかなかシタタカなものだなぁと、感心しながら帰路に着いた。
小学校低学年参観懇談。 今年度、最後の参観。 アプコの学年は2クラス合同で「かさこじぞう」のオペレッタをするという。アプコの役は、「ゆきんこ」の役。一人で言うセリフがない替わりに、一見バレエのような可愛らしいダンスの場面が割り当てられていて、その中で数人の子どもたちが揃って側転を披露する。 「ゆきんこの役はね、きれいな側転ができる子しかなれないんよ。」とゆきんこ役を当てられたアプコは得意満面。 鉄棒も跳び箱も苦手で、何度もべそをかいて授業放棄していたアプコが、何故か側転だけは最初から上手にできた。それを見て担任のM先生は、アプコにこの役を割り振ってくださったのだろう。 ナイスキャスティング。 くるりと側転を決めて、思わず満面の笑み。 幼い子どもたちが声をそろえて歌い、楽しげに踊るオペレッタはなかなかの出来栄え。卒業式でもないのに、うっかりウルウルしてしまった。 不覚。
で、帰りの車中での会話。 「ねぇねぇ、ゲン兄ちゃん、どうしてこのごろ機嫌がいいの?」とアプコが言う。 「卒業まであと○日」と秒読みの始まった6年生。残り少ない小学校生活を堪能するまで味わい尽くそうとするかのように、近頃ゲンはすこぶる機嫌がいい。その、なんとなくそわそわするようなハイテンションの空気が、幼いアプコにも伝わっているのだろうか。 「なんで、そう思うの?」と聞き返したら、 「ゲン兄ちゃん、このごろいつもニコニコしているよ。学校にいるときも、いつも笑ってる顔ばっかりだし。」 と、アプコも笑う。
きっと毎日楽しいことがいっぱいあるんだね。 上機嫌のお兄ちゃんを見て、一緒に嬉しくなっちゃうアプコもかわいい。 いいこと教えてくれてありがとう。
午後から工房で仕事。 昨日やり残していた釉薬掛け、CMC作り、洗い物、黒無鉛釉の調合などなど。 新しい釉薬をあわせるたび、父さんは細長い端紙に計量する釉薬の量をメモして渡してくれる。私は作業が終わると、そのメモを仕事場用の大判の手帳にはさんで保管している。 もう、かなりの種類の釉薬の調合を経験したから、メモの数も増えた。 ちゃんとまとめれば、ちょっとした釉薬帖ができる数になったはずだ。 釉薬の調合比は一応門外不出の企業秘密。だから調合の仕事は窯元の主婦の仕事で、家族以外の者にはさせないことになっていたらしい。 ペラペラの端紙のメモは、いわば機密文書のようなものなのかもしれない。
「もし、父さんと別れて出て行くようなことがあったら、私はこれを持って息子を一人もらって連れて出て行こうかな」と笑う。 「釉薬だけ作れたって、うちのやきものを他で作る事なんかできないよ。」と父さんも笑う。 釉薬や窯が揃っていても、作る人の技術や経験がなければ作品は出来ない。 代を継いで仕事をしていくということは、家族がその技術や経験を受け継いでいくということ。一緒じゃなきゃ駄目なんだ。
夕飯はキムチ鍋。 今までうちではアプコが小さかったので、辛いお鍋は控えていたのだけれど、「私も辛いの、食べてみた〜い」と言うので、今日がアプコ、キムチ鍋デビュー。 辛い辛いと大騒ぎしながら、アプコが一番最後までお鍋を突付いていた。 ちびっ子アプコもちょっと「大きい人」の仲間入りか。
で、辛いお鍋のあとは甘いデザート。 生協で買ってあった「特盛アイス」という、カップ麺の丼のような入れ物に入った大盛りアイス。これにスプーンを一本だけ添えて、家族みんなが交代にグルグル隣へ送りながら一口ずつ食べる。 「あ、こぼした!」とか、「一口なのに、多すぎ!ずるい!」とか、大騒ぎ。たった一個のアイスでまぁ、賑やかなこと。
「これやってると、うちの家族ってやっぱり仲がいいんだなぁって、なんとなく思っちゃうよ」 とアユコ。 ホントにね、楽しいね。 アユコもそういう嬉しさ、わかるようになったんだね。 これもちょっと、大人の仲間入り。
「お母さん、見てみて」 とアプコがところ構わず側転をする。 今度の参観日、「かさこじぞう」の音楽劇をすることになって、3学期になってからずっと練習していたらしいのだけれど、アプコはどうやら「ゆきんこ」の役らしい。 「あのね、ゆきんこの役はね、側転が上手にできる子だけしかできないの。」 跳び箱も鉄棒も大の苦手のアプコ、何故か側転だけは上手にできるらしい。 「私もアプコの年のころには上手にできなかった」なんて、アユコがちょっと得意の鼻をくすぐるようなことを言ったりしたもんだから、アプコはうれしくてたまらない。 学校からの帰り道でも、狭いリビングの床でも、何度も何度も側転をする。 クルリ。 クルリ。 スカートが捲くれて、パンツ丸出し。 ありゃりゃぁ・・・。
この間、アプコが困った顔でやってきた。 九九のカードをなくしたという。 「トレーナーのポケットに入れて帰ってきた筈なのに、無くなってるの。今日、九九カードが宿題なんだけど、どうしよう。」 2学期からずっと使っている九九カード。ずいぶん苦労したけれど、もう、九九は大体覚えてしまって、カードの助けは要らなくなって来ているのだけれど、学校ではまだ復習のために九九カードの練習の宿題が出る。 困ったなぁ。 「あっちこっちで、側転やってるから、きっとポケットから落ちたんでしょう。駄目ねぇ。ちゃんとランドセルに仕舞って帰ってこなきゃ」 とついつい小言がでる。 しょうがないので、100円ショップで単語カードを買って来た。膨れっ面で一枚ずつカードを書き込むアプコ。全部の九九を書き込むのは思った以上に面倒でぶうぶう文句を言っていた。
翌日、アプコは先生から新しい単語カードを頂いたと喜んで帰ってきた。 先生への連絡帳で 「九九カードありがとうございました。 ところ構わず、側転の練習をしていてどこかで落としてきたらしいです。」 とお礼を書いたら、 「ポケットに入れていつも頑張ってくれているのだと嬉しくなりました。」 というお返事が帰ってきた。
2学期中、九九や繰り上がりの足し算引き算で苦労していたアプコ。 来る日も来る日も、赤ペンで名前を書かれたやり直しプリントを貰ってきて、正直親子ともどもうんざりしていたこともあったのだけれど・・・。 今学期になって、アプコの算数はようやく皆のペースに追いついてきたらしい。100点花丸の着いた答案を持ち帰ってくる事も多くなった。
アプコが皆より遅れて、少しずつ九九をマスターしていく様子を、担任のM先生はきっと心配しながら見守ってくださっていたのだろう。 「九九カードをポケットに入れていて、失くした」と聞いて、「嬉しくなりました」といってくださる先生の眼差しがとても暖かくありがたく思えた。
小学校陶芸教室、本焼きの日。 朝、九時に電気窯に火を入れ、保護者の窯当番の人たちとともに窯の番。 1時間半ごとの交替で、入れ替わり立ち代り2〜5人のお母さんたちがやってきて、トタン造りの狭い窯小屋にこもる。 窯番といっても、30分ごとにデジタル表示の温度を折れ線グラフに記入していくだけなので、後の時間はお茶を飲みながら、おしゃべりに花が咲く。 学校のこと、子どもたちのこと、先生たちのこと。 防寒のためシャッターを閉じた狭く薄暗い空間は、心地よく噂話をする恰好の隠れ家のようで、ついつい当番の時間を過ぎても長居してしまう人もいたりして・・・。 今年の5年生には知り合いは比較的少なかったのだけれど、ついつい私も皆のおしゃべりに加えていただいて、長話。子どもたちが下校したあとは、担任のK先生も窯当番に加わってミニ懇談会の様相。学校での子どもたちの様子を聞いたり、ふだん気になっていることを相談したり。
「先生、うちの子、最近、学校から帰って来るとすごく疲れてるんです。『くたびれた〜』って。」 と切り出したのはAさん。 「なんだか、何でもきっちりやらないと気がすまないらしくて、学校でいろんなことをきちんきちんとやろうと緊張しているようなんです。それで、家に帰るとどっと疲れが出るらしいんです。 もうちょっと気を抜いて、気楽にやってくれるといいと思うんだけど」 横から「あ〜ら、うらやましい。うちなんて、気、ぬきっぱなしよ」とすかさず茶々が入る。 けれどもAさんは、そんな横槍には耳も貸さずに。
「小さいときはもっとぼんやりしたところもあったんです。先生のお話をちゃんと聞いてこなかったり、忘れ物をしたり。『ちゃんとせなあかんよ』と叱ったりもしてたんだけれど・・・」 Aさんの話をそこまで聞いて、私はあっと思い出した。 そうそう。以前、私が小学校のPTAで広報の委員長をしていたとき、確かにAさんも広報委員だった。自分の担当記事をコツコツと丁寧に作ってきてくれる、とても生真面目な人だった。
その年の夏休み、Aさんが急にうちに電話をかけてこられてたことがあった。http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=56450&pg=20040720 夏休みに学校で開かれる夏期講習。 いくつかある講座の中から好みの講座を自由に選択して受けるのだが、Aさんちでは子どもが自分の受ける講座のスケジュールを良く聞いてこなかった。翌日何の講座を受けるのかわからないので、もしかして役員なら知っているかと思って問い合わせの電話をかけて来られたのだ。 あいにく私はそのとき、講座の参加者のリストまでは持っていなくて、お役には立てなかった。 学校もしまっている時間で、他に問い合わせる手段もなくて、 「しょうがないから、とりあえず明日は申し込んだ可能性のある講座3つともの準備をして行かせたら?」といったのだが、Aさんは「それでは子どもの荷物が多すぎて、かわいそう」と困っておられた。 ああ、あのAさんだったのか。
そうかそうか。 翌日の講習の予定が判らなくて困っていたあの子が、何でもきちんとやらないと気がすまない几帳面な子どもに成長したのね。 Aさん、それはあなたの教育の賜物じゃないの。 いい子に育ってよかったね。 ・・・と、口から出そうになって、やっとの事で踏みとどまった。
Aさんの悩みに対して、K先生は「学校ではそれなりに楽しそうにしてますよ。おうちに帰ってホッとして「くたびれた〜」というのはどの子も同じ。それでちゃんとバランスが取れているなら、それでいいんじゃないですか」というもっともなお答え。 Aさんはまだまだちょっと言い足りない顔をしていたけれど、別の話題に流れていってこの話はそのままになった。
子どもというのは存外、親が「こうあって欲しい」と望んだ道筋どおりに成長していこうとするものなのかもしれない。良かれ悪しかれ、子どもは親が育てたように育つ。 「うっかりさんでは困る。なんでもきちんとできる子に育って欲しい。」 そう思って育てた子が、なんでもきっちりやらないと気がすまない几帳面な子に育った。 けれども、今度は「もうちょっと気を抜いていければいいのに」と母は言う。 どちらも子どものために良かれと思って口にする悩みだけれど、いちいちそれに応えて行く子どものほうも大変だなぁ。
親が子どもに望むことは、時には親自身の「こうありたい自分」「こうありたかった自分」の投影であったりもする。 そのことに気づかぬまま、子どもらに身に合わぬ晴れ着をとっかえひっかえ着せてしまう親のエゴを私は笑えない。 せめて子どもらに、気に入らない親からのお仕着せを払いのける気概が育っていてくれることを祈るばかり。
個展終えて一週間。 ホッと一息と思いきや、父さんの仕事はまだまだ目白押し。 春の個展の図録やDM用の写真撮りの期日が迫っているらしい。 「少しは休んで・・・」という家族の想いとは裏腹に、父さんの仕事振りはどんどん鬼気迫って追い詰められていく。 夜昼構わず工房にこもり、黙々と土と闘う。 家族の食事の時間にも、なかなか戻ってこなくなり、そのままでは食べることすら忘れてしまいそうなので、埃だらけの仕事場におにぎりやインスタント味噌汁を配達することも増えた。 皆がおきてくる時間に仮眠を取っていたり、皆が寝静まった時間にこそこそと仕事に出て行ったり。 まるでわがまま放題の受験生生活。 嗚呼。
今日は節分。 オニイは朝から部活。 ゲンのたってのリクエストで、恵方巻きはテイクアウトお寿司屋さんの手巻き寿司を買ってきた。 アプコは 「今日は父さん、鬼、やってくれるかなぁ。」 と朝からしきりに気にしていた。いつもなら鬼のお面をつけて、ふざけて子どもたちの豆まきに付き合ってくれる父さん。今年はとてもそんなことを言い出せそうな雰囲気ではない。お気楽極楽のアプコですら、ここ数日の父さんの異常な仕事振りには気がついているのだろう。
夕方、日も暮れた頃になって、オニイからの帰るコール。 「ごめん、ごめん。もっと早く帰るつもりだったんだけど。」 「気にするな。でも、帰ってきたら君が鬼役ね。アプコが待ってるよ。」 今年の鬼役決定。 自転車で息を切らして帰ってきたオニイが、学生服のまま、面をつけて玄関先に立つ。 「早いとこ終わらせてくれ」と突っ立ったまんまの無愛想な鬼にゲンとアプコがと煎り豆を投げる。 キャアキャア飛び跳ねながら、オニイの周りを駆け回るアプコ。 次第に熱中して、力任せに豆をぶつけるゲン。 憮然としたまま弟妹たちの豆を浴び続ける兄。 いい奴だなぁ。
北北西の恵方に向かって、巻き寿司をかじる。 「食べ終わるまで、おしゃべりしちゃだめ」 家族全員が同じ方角を向いてお寿司にかぶりついているのが可笑しくて、笑い上戸のアユコがクスクス、ケラケラ、弾けるように笑う。
福は内。 福は内。 仕事の鬼さんも、今日はおうちで晩御飯。 少し休んでから、仕事に行ってね。
父さんの個展3日目。 一日中、百貨店のギャラリーに缶詰。帰宅後、早朝に工房で仕事。 会期前よりさらにハードワークな毎日が続く。 頑張れ。
で、私は午後から和太鼓の練習日。 戻ってから早めの夕食をとらせて、夜剣道。 ゲンを道場に送って、その足で中学の学年懇談会。 途中で抜け出して、ゲンの迎え。 帰宅後、今度は父さんの迎え。 こちらも時計を睨みながらのハードスケジュール。 参った。
アユコの中学は、今年度に入ってから校内が荒れている。器物損壊や授業妨害、教室でのお菓子の飲食などなど、時にはパトカーだの消防車だのが出動するような事件も起こっている。 先生方もPTA役員たちも、本当に心を尽くして、一生懸命対策に走り回って下さっているのだけれど、一度転がり始めた玉を押し戻すのにはそれなりの時間と労力が必要なわけで、一朝一夕に学習環境の改善とまでは行かないようだ。
今日の学年懇談で学年委員さんたちが保護者に向けて提案されたのは3つのチェックポイント。 「携帯電話を学校へ持ち込ませない。飴やお菓子類を持ってこさせない。茶髪で学校に来させない。」 まともな中学生にとっては、馬鹿馬鹿しいようなルールなのだけれど、実はこんな単純なことが、格別不良というわけでもない普通の生徒たちの間でもなかなか守られなくなってきているのだという。
懇談では特に子どもの携帯電話についての話題が白熱した。 校則ではもちろん中学生の携帯電話の校内持ち込みは禁止。 けれども実際には、かなりの子どもが持ってきていて、校内で授業中のメールのやりとりをしたり、ゲーム、音楽を聴くなどの現場が見つかっているという。 また、女の子たちの間ではメールの返事が遅かったの、傷つく言葉を送られただの、些細な事でいざこざが起きる。 日に何時間もくだらないメールのやり取りで時間を費やす生徒もいる。 夜間や授業中にメールでの呼び出し。 悪質サイトへのアクセス。 携帯電話を介しての子どもたちへの悪影響は、大人たちの想像以上に深刻になってきているらしい。 塾や稽古事の行き帰りの連絡や防犯上に必要との名目で子どもに携帯電話を持つことを許している家庭も多いと聞く。 「子どもの安全のために」という大義名分で買い与えた携帯電話には、こんなに多くの弊害もまた付随しているのだというお話だった。
ある一人の先生が言われた。 「私たちが生徒たちの年齢の時には、携帯電話なんて代物は身近には存在しなかったし、それを中学生の子どもが持つようになるなんてことは想像すら出来なかった。 でも今の子達は、生まれたときから当たり前に身の回りに携帯電話があった。メールのルールも携帯電話の弊害もちゃんと教えられないうちから、便利さだけを与えられてきた子どもたちです。 私たちもまた、子どもたちに携帯電話を持たせたらどういうことが起こるかということをきちんと学ばないうちに、買い与えていませんか。 世の中は各人一個の携帯を所持するのが当たり前というような風潮になってきています。 『中学生は携帯電話禁止』というのは、ある意味、子どもたちとの戦いというよりは、時代との戦いだと思います。 本当に闘う気があるなら、『学校へ持っていくのはダメ、家においていきなさい』なんて甘いことでは駄目。さっさと子どもの携帯電話を解約してしまうことです。」 保護者の間からは初めて拍手が起こった。
大人が子どもたちを叱らなくなったという。 「駄目なものは駄目なんじゃい!」という、頭ごなしの叱り方のできる大人がいなくなった。 子どもたちの話は最優先で聞いてやりましょう。 子どもたちの希望は出来る限りかなえてやりましょう。 そんな理解ある大人ばかりが子どもたちの周りに取りまいている。 「みんなが持ってるから」といわれれば、わが子にも同じものを持たさないわけには行かないと揺らいでしまう保護者。 「言っても聞かないから、学校で厳しく指導して下さい。」と学校にお鉢を預ける弱腰な保護者。 みんながみんな子どものよき理解者になってしまいつつある現代の弊害が、今の中学校の荒れに繋がっているのだなぁと改めて思う。
我が家の子どもたちはみな、校則違反もしないし、真面目でいい子。 荒れた中学校の問題も、どこか一歩引いたところで眺めてきた私。 「時代と闘う」という言葉を糸口に、親と子の関係を自分と家庭の中だけではなく社会全体の問題としての認識を迫られた気がして、目からうろこの落ちる思いがした。
BBS
父さん、神戸の個展の搬入日。 ここ何日か、締め切り間際の徹夜仕事続き。 カサカサに荒れた手。埃や釉薬で汚れた髪。しょぼしょぼと赤く血走った目。中途で倒れることなく、よくぞここまで。 それでも父さんはまだまだ自分の作品に納得がいかないで、梱包作業のギリギリまで工房の中を行ったり来たり。 「あと一点」「あともうちょっと」の攻防。
従業員のNさんがお休みなので、今日は一人で梱包作業。 出展する作品に番号のシールを張り、薄様(梱包用の薄紙)と緩衝材で包み、大型の段ボール箱にそっと詰める。 中腰の立ち仕事の上、何かと神経も使うしんどい作業だけれど、窯から出たばかりの新作に向かい合い一点一点丁寧に包むこの仕事は、一人で静かにやるのも楽しい仕事。 夕焼けの赤や晴天の青を真新しい薄様でふわりとくるんで、送り出す。 その嬉しさをじっくり味わう。
作品を満載した父さんたちの車を見送ったあと、うちへ帰ると食卓の上にオニイのお弁当箱。 ありゃ!オニイ、お弁当忘れた! PCを開いたら「今気付いた どうやら弁当を忘れたらしい」というメールが入ってた。
残ったお弁当は、帰ってきたアユコとゲンがハイエナのように群がって食べた。オニイの好きな塩鮭入ってたのにね。 お昼は非常食用(笑)のあんぱんとお菓子でやり過ごしたらしい。 部活もあるので、「腹ペコで倒れないように帰ってきなさいよ。寄り道するお金、持ってる?」とメールしておいたら、帰りに先輩とマクドナルドに寄ったらしい。
で、「今から帰る」の連絡があって、なかなか帰ってこないと思ってたら、「途中で自転車壊れた。今、自転車押して歩いてる」と 電話。 この寒空に真っ暗な道を、腹ペコヘロヘロで壊れた自転車をギコギコ押して歩くオニイ。 哀れ。 途中で自転車やさんが開いてて助かったというけれど、帰宅したオニイは疲労困憊のヘロヘロだった。
「ほら見てみ。母さんの弁当忘れていったら、ろくなことないでしょ。」 と笑う。 朝早く出かけていって、部活をおえて家族の夕食もすっかり終わった頃にようやく帰ってくる高校生。なじみの絵日記書きさんは「お弁当は母から子へののお守りのようなもの」とおっしゃるけれど、今日の災難続きでオニイもお弁当に込めた母の怨念を思い知ったことだろう。 明日はオニイの好物の魚のフライを入れてやろう。
BBS
|