月の輪通信 日々の想い
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2007年01月20日(土) 負け試合

オニイ、朝から剣道の試合。団体戦。
初戦の対戦相手は私立の強豪校。

あまりの強敵に、先輩たちは
「おれ、先鋒」「俺、次峰」と、てんでに自分の対戦順位を決めた。
遅れてやってきたオニイに残されていたポジションはなんと「大将」
ありゃあ、一年生のオニイが強豪校相手に「大将」ですか。

「こてんぱんにやられる?」
とオニイに訊いたら、
「『こてん』にもならない。」
なのだそうで。
「一矢報いるっていうのかなぁ、そういうのも無理?かすりもしない?」
「多分無理。」
という相手なんだそうだ。
「そんなすごい相手と対戦するの、怖くない?」
と訊いたら、
「怖いさぁ。」
と、むすっと答えた。
がんばってるんだなぁ、オニイ。

朝、まだ真っ暗な中、オニイを車で駅まで送る。
「負けと決まってる試合に臨むのは、しんどいね。」といったら、
しばらく考えて、一句。
「寒い朝 母を走らせ 負けいくさ」
いいよいいよ。
駅までの送迎ぐらい、走ってやるよ、気にするな。
君なりに頑張っているもんね。
爽やかに負けてこい。




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2007年01月16日(火) 一緒にご飯

先週からようやくオニイが携帯電話デビュー。
高校入学当初から、「そろそろ要る?」「うん、でも、まだいいよ。」と携帯無しで頑張ってきたオニイ。そろそろ部活の仲間との連絡や中学時代の友人たちとのメール交換に、欲しくなってきたらしい。
あれこれ、迷ってようやく手に入れた高校生必須アイテム。さっそく友人たちのアドレスを登録したり、着信音をあれこれ変えてみたりして楽しそう。
「さぁ、これで彼女にも心置きなくメールが出来るね?」とからかっていたら、諸事情によりオニイの携帯初メールは母のPCアドレスへのテストメール。
あらら、初メールが母親宛なんて、気の毒なことで・・・。

オニイ、高校で剣道部に入ってから、毎日お弁当のほかにあんぱんを一個持参する。
お昼にはがっつりお弁当を食べても、部活を終える頃には腹ペコでへろへろ。自転車をこぎながらあんぱんを食べて帰って来る。
「おにぎりとか、惣菜パンとかのほうがいいんじゃないの?」と訊いても、「稽古のあとは、とりあえず糖分が欲しいんだ。」
というので、来る日も来る日も私は買い物に行くたび、オニイのためにあんぱんを買っていた。

「かあさん、いつも買ってくれてるあんぱんって、いくらするの?」
と昨日オニイが訊いた。
「さあ、安売りのを買うことが多いけど、まあ、100円前後でしょうね。」
「んじゃね、ちょっと提案があるんだけど。」
いつも腹ペコだからあんぱんを持たせてもらってるのはとても助かる。でも最近は帰りが遅くて寒いから、あんぱんは冷たくてちょっときつい。
出来たらパン代を半分でもいいからお金で貰って、コンビニの暖かい肉まんを買って食べちゃいけないだろうか。
そういうことだった。

まあね、お腹もすくだろうしね、冷たい風の中自転車をすっ飛ばしていたらホカホカ湯気の上がるコンビニの肉まんの誘惑にはついついクラクラしちゃうだろう。仲間たちとのお付き合いもあるのかもしれないしね。
生真面目なオニイにも部活帰りの買い食いの楽しみを味わってもいいかなぁと思ってOKを出した。
ホントのことを言うと、買い物に行くたび、翌日のオニイのためにあんぱんを選ぶ習慣がなくなるのはちょっと寂しいような気もするのだけれど。

ここ2週、剣道の対外試合が続く。
試合前の猛特訓で帰宅がさらに遅い。学校での部活を終えた後、よその道場への出稽古なんかもあったりするらしい。
帰りが遅くなると、家族の夕食には間に合わない。みんなが食べ終わった食卓で一人分だけ暖めなおして食べる日が増えた。

今夜の夕飯は肉じゃが。
「オニイの分は取ってあるからね」と大皿盛を取り分けてみんなで食べた。
遅くに帰宅したオニイ、着替えもそこそこに一人で夕食をとったのだけれど、あとで流し台を見ると一人だけレトルトカレーを食べた形跡がある。どうやら肉じゃがには、箸をつけなかったらしい。
肉じゃががお気に召さなかったのか、ガツガツとカレーを食べたい気分だったのか。
どちらにしても遅れて帰ってきて、用意してある献立に手をつけないで、一人だけレトルトカレーを暖める所業にカチンと来た。
よってお説教。
「何故みんなが食べたおんなじものを食べないで、自分だけちがうものを食べるの?
携帯電話も持って、帰りが遅くなっても少々寄り道をしても叱られなくなって、自由が認められてるような気がしてるかもしれないけれど、まだまだ君は子どもよ。うちの家族は、みんな一緒におんなじものを食べるの。それが我が家のルール。
自分の好きな時間に、自分の食べたいものを勝手に食べる自由なんて、君には十年早いよ。」

子どもたちが小さい頃から、夕食はたいてい家族全員がそろって一緒。そんなささやかなルールも、子どもたちが大きくなってそれぞれの世界が広がれば帰宅時間も揃わないし、一緒に食卓を囲める日も限られてくる。
遅ればせながら我が家にもそういう時期がきているのだなぁとそろそろ覚悟はしていたのだけれど。
家族が一人一人、好きな時間に自分の食べたいものを勝手に食べて平気でいる。自由で気楽で快適なようだけど、そんなのは家族じゃない。

朝、送り出したら、遅くまで帰ってこない。
ヘロヘロにくたびれて帰ってきて、ガツガツと夕飯を食べて、知らぬ間に寝てしまう。
そんな息子と母をつなぐのは、毎日買うあんぱん。
「オニイが好きだよね」とついつい買ってしまうスナック菓子。
「少しでも暖かいうちに」と用意する晩御飯。
「お袋、胃袋、堪忍袋」というのは結婚式の定番スピーチの題材だけれど、結局最後まで家族をつなぐのは胃袋のつながりなのだなぁと思う今日この頃。
だから、「あんぱんはもういいよ」といわれると寂しい。
「肉じゃがより、レトルトカレー」といわれるとカチンと来る。
ただただ、巣立ちの日の近い息子の成長が寂しい母の感傷に過ぎないのだけど。



と、ここまで書いたところでオニイからのメール、受信。
「今日は早く帰る
おそらく普通に飯が食えそう」

で、すぐに返信。
「了解、鍋にしようか?」
ああ、あほらし。馬鹿な母親。






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2007年01月13日(土) 工作

先日、食品庫の整理をしていたら、中から何故かラップの芯が一本。
なんだか場所ふさぎだわとゴミ箱に棄てておいたら、しばらくしてアプコが「これ、貰っていい?」と嬉しそうに拾ってきた。
「いいよ、何に使うの?」と訊くと、「内緒、内緒。」と逃げていった。

昨日、夜剣道から帰ってきたら、居間のコタツの上に3センチくらいの輪切りになったラップの芯がコロコロしてる。
「はぁ、何か作り始めたな。」
コロコロのわっかの切り口の片方は、丸く切ったコピー用紙で丁寧に蓋がされていて、そのうち一個には短く切った割り箸が貼り付けられている。
ちょうど短くなったアイスキャンデーの有様。

「これ、なに?」
子どもたちが寝間へ上がったあと、父さんに訊いて見る。
「なんだと思う?」
硬いラップの芯は子どもの力ではどうにも切れなかったので、父さんが小型ののこぎりで輪切りにしてやったのだという。
「これ、ヒント。」
と父さんが紙くずの下から引っ張り出したのは、ちょうど子供用スリッパの底のような形に切ったボール紙。
ご丁寧に2枚張り合わせて補強したのが二つ。これはアプコが自分でギコギコ鋏で切ったようだ。

「もしかして、ローラースケート?」
「当たり!」
短い割り箸の両端に輪切りにしたラップの芯を貼り付けて車輪にし、それを二組づつ貼り付ければ確かにローラースケートっぽい形は出来る。
「でも、それじゃ、車輪は動かないでしょ?」
「うん、でも本人はまだ、そこんとこ、気がついてない。」
「車軸だって割り箸だし、第一、車軸を支えてるホイルキャップは コピー用紙よ。」
「ま、すぐ、壊れるだろうね。」
二人でお腹を抱えて笑う。

それにしても、ずいぶん細かい作業がしてあるぞ。
コピー用紙のホイルキャップは、丁寧に切り口の形を鉛筆で写し取ってから切り取ってあるし、糊代には細かい切込みを入れてある。
底板部分は、自分のスリッパの型を取って作ったのか。短く切ったセロテープで丁寧に2枚のボール紙を張り合わせてある。
こんな細かい作業が一人でちゃんとできるようになったんだなぁ。
一本のラップの芯から、びゅんびゅん疾走する手作りローラースケートをイメージして、そそくさと鋏を動かすアプコの愉快さ。
まだまだ、楽しい笑いを提供してくれそうだなぁ。

で、今朝のアプコ。
今度はコピー用紙を細く切って、また何か熱心に拵えている。
丸めた支柱、蛇腹に折った階段、なだらかなスロープ。台紙になる用紙は黄緑の色鉛筆で一面塗りつぶされている。
「なんだと思う?」
「滑り台?」
「当たり!」
コピー用紙で作ったものだから、強度には問題はありそうだけれど、その形は完全に公園にある滑り台そのもの。
なかなかの出来。

「で、さあ。昨日作ってたローラースケートはどうなったの?」
「ああ、あれ?もう作るのやめた。」
さては、根本的な問題点に気づいたらしい。
ダメだと思ったらさっさと放り出して、新しい課題に熱中するのもアプコの性格だ。
「あ、いいもの作れそう!」とひらめいて、あれこれ工夫して鋏を動かしているその過程こそが楽しくて、成果の良し悪しはそれほど問題ではないのだろう。
その屈託のなさがまだまだかわいい。




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2007年01月12日(金) 朝の月

朝、雨戸を開けたら、まだ明け切らぬ向かいの山の稜線近くに半月が出ていた。
薄く輪切りにし損ねた大根の一切れのような、半透明の儚げな月。
すっかり葉を落とした木々の小枝のシルエットに青白い月のワンポイント。

「父さん、父さん。
ほらほら、ここから見ると、まるで絵に描いたみたいだよ。」
と、父さんを起こす。
夜中の仕事を終えてくたびれて仮眠中の父さん。もう少し寝かせておいてあげたいところだけれど、残念、もうタイムアップ。
子どもたちも起きてくるし、朝の仕事の段取りもある。
「どれどれ。いやぁ、ほんと。きれいやな」
寝ぼけ眼でぼさぼさ頭のまんま、それでも父さんは起きてきて、寒いベランダから一緒に月を眺めた。

限界ぎりぎりの徹夜続きの朝にも、あわただしい仕事の移動の車中でも、美しい風景や面白い景色に出会うと父さんはしばし足をとめる。
時には、そそくさとカメラを出して、一瞬で移り行く空の色を何枚も写真に収めたりする。
「それも仕事のうち」といえばそれまでだけど、美しい風景に出会う瞬間のためにふと立ち止まる労をいとわないのが、この人の愛しいところだ。
「月がきれいよ。」という一言で、朝の忙しい3分間をともに空を見上げることに費やすことが出来る。
ささやかではあるけれど、この人と一緒に暮らせてよかったと思う理由の一つだ。



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2007年01月10日(水) じっと手を見る

乾いた洗濯物を畳んでいたら右手の親指の先がピリッと痛んだ。
あ、まただ。
つめの端のかどの部分のひび割れ。
この季節、工房で土の仕事や釉薬のポット洗いの日が続くと、必ず指先の爪の端っこがひび割れる。
小さな傷だけれど、何かするたびぴりりと痛んで、治りかけたかと思うとまた何かの拍子にぱっくりと口をあける。

私の何倍も土を扱い釉薬に触れる父さんは、いつも私より何日も早くひび割れを作る。
指先の繊細なタッチが必須の仕事柄、指先の傷は困りもの。
液体絆創膏という名のピリピリ沁みる接着剤のような塗り薬を重ねて塗って、急場をしのぐ。
「イタイ、イタイ」といいながら、ひび割れの指に沁みる薬を互いに塗りあう。バカダナァと二人で笑う。

無理やり閉じた傷が重なり、父さんの指先はますます硬くなる。
硬くなった指先が、手品のように丸く柔らかな曲線を造る。

最近スーパーに買い物に行って気がついたこと。
スーパーで貰うレジ袋の口が開き難くなった。
親指と人差し指で袋の口を何度も何度もひねるのだけれど、ぴったりと密着した袋はなかなか口をあけようとしない。
仕方がないので袋詰め台の隅においてある濡れ布巾でちょいと指先を湿して袋をひねると、袋はあっけなく口を開く。
ああ、いやだな、指先に潤いが足りないのだなと思う。
昔、少し年配の女性がレジ袋の口を開くのにぺろりと指先を舐めているのを見て、「いやだなぁ、おばさんって」と思ったことがある。あの頃の私はまだまだ若くて、年齢を重ねると指先の潤いがなくなると言うことが判らなかった。
今、あの人たちと同じような年齢になって、ようやくレジ袋の口がなかなか開かなくて、思わず指先をぺろりとやりそうになるじれったさが判るようになった。さすがにまだ、指先ぺロリには抵抗があって、手近に濡れ布巾を探す恥じらいはかろうじて残ってはいるけれど。

若いオニイやアユコの手は美しい。
いつもみずみずしい果実のような潤いを持って、これから初めて触れるもの、初めて掴むものへの期待が満ち満ちている。
幼いゲンやアプコの手は、ぷくぷくと柔らかく、触れるものを優しく包む。
子どもらの手に触れると、冬の風の中を自転車で走ってきた冷たさや、ホットミルクのマグカップを大事にくるむように抱えていたぬくもりが、ダイレクトにこちらに伝わってくる。
私にもこんな屈託のない潤いにみちた手をしていた時代があったのだろうなと、寂しく思う。

けれどまた、今年で100才になるひいばあちゃんの手も美しい。
節くれ立って青く血管が浮き、曲がった爪は黒く大きい。
それでも、長年コツコツと職人仕事に埋もれてきた100年の年輪が穏やかに刻まれている。
誰にも真似の出来ない、誇りにみちた美しい手だ。
階段や車の昇降に手を貸す、そんな時にふっと触れ合うひいばあちゃんの手は冷たくて小さいけれど、がっしりと力強く私の手を掴む。
私も将来、もっともっと年をとったら、こんな手の人になりたいとそのたびに思うのだ。

じっと手を見る。
今日もまた。




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2007年01月07日(日) 個室

自室でイヤホンで音楽を聞きながらハンバーガーを食べる青年。
その手元からポタリとケチャップが落ちた瞬間、背景が電車の中に変わって、ひとごみの中、青年は平然とハンバーガーを頬張り続ける。
そんなCMがTVで流れている。

電車の中でのヘッドホンステレオが何故いけないのか、長いこと判らなかった。
確かにシャカシャカ耳障りな音はするけど、普通の会話よりは小さな音だし、狭い座席に足を広げて座る人や大きく開いた新聞を読む人ほど物理的に邪魔になるわけでもない。なのに、なぜあのシャカシャカ音が妙に癇に障るのだろうか。

工房で、いつも寡黙に自分の仕事をコツコツこなす従業員のHくん。
彼は仕事場に入るとまず自分用のCDラジカセのスイッチを入れる。流れてくるのはFMの音楽番組だったり、自分で持ち込んだCDの音楽だったり。
私自身受験生時代には、ラジオの深夜放送を聴きながら学んだ世代だから、音楽を聴きながら仕事をする習慣そのものはそれほど嫌いではないはずだ。父さんと私とHくん、3人が同じ仕事場でそれぞれに別々の作業に没頭し、一言も言葉を交わさない何時間か。その沈黙の気まずさを埋めるために、軽い音楽が流れているのも悪くない。
なのに、時々、H君が流す音楽が妙に癇に障ることがある。
特にそれが彼の好みの、そして私の好みではないレゲエの明るい音楽であるときには。

オニイが最近、ロックに目覚めたらしい。
借りてきたCDの音楽を居間の共用パソコンに落として、ネットをしながらイヤホンをつけて聴いている。気分の乗ったときには、イヤホンの音楽にあわせて小声でぼそぼそシャウトしている。
周りでTVを見ている家族には、イヤホンの中身は聞こえないので、アカペラでシャウトするオニイのぼそぼそだけが耳に入る。
最初は「ほほう、オニイもちょっと渋いのを聴くようになったんだな」と笑ってみていたんだけれど、だんだんそれも不快に感じることが多くなってきた。
大きな声でキャアキャアはしゃぐアプコや、肩までコタツにもぐりこんでのうのうとかさばるゲンに比べれば、オニイのぼそぼそシャウトなんて別に何の邪魔にもならないんだけど、それでもなんだか癇に障る。
何でだろう。

そんなことを考えていた。

実家からの帰りの車中。
後部座席からオニイがちょっと遠慮がちに差し出したCD。
「ナビ、使わないんだったら、CD聴いてもいいかな。」
かけてみると、中身はオニイが最近ヘビーローテーションで聴いているロックミュージック。
あ、嫌だなと思ってすぐにスイッチを切った。

電車の中で聞こえるヘッドホンのシャカシャカ音が嫌なのも、仕事場で聴くH君のレゲエミュージックが嫌なのも、オニイのぼそぼそシャウトが癇に障るのも、根っこおんなじなんだなぁと言うことにようやく気がついた。
自分の近くにいる人の好みや気分を推し量ることなく自分の周囲を好みの音楽で満たすことは、そこにいる他の人の存在を無視して勝手に自分の個室にこもること。
公共の場であろうが団欒の場であろうが、どこでもお構い無しに居心地のいい自分だけのシェルターを作る。
その身勝手さが癇に障るのだ。

そんなことをあれこれ説明して、オニイにCDを返した。
君の好きな音楽は、君一人で聴け。
みんなで一緒に聞くときには、みんながいいと思う音楽か、少なくとも誰もが不快だとは思わない曲を聴こう。
同じ空間にいる自分以外の人のことも、ちゃんと意識してすごそう。
これから大人になる君には、それもとても大事なこと。

そういえば、超小型のヘッドホンオーディオ、携帯電話、携帯ゲーム機。
若者たちが欲しがるのは、どこでも簡単に自分だけの空間に没頭することのできるお手軽な機械ばかり。
いつでもどこでも快適に過ごせる自分だけの個室を持ち運ぶことのできる自由。周囲からの干渉に耳をふさいで自分の世界にこもることを心地よいと感じる気質が、若者たちのコミュニケーション下手につながっているのかもしれない。

お正月、実家で過ごした数日間。
弟たち家族と一緒に、久々に父の厳しいお説教を喰らった。
4つの家族が久しぶりに集う食卓。
身内ばかりの水入らず空間ではあるけれど、周囲の人の状況を常に意識して、必要な気配りを忘れてはいけない。
子どもの頃から何度も何度も叱られて、叩き込まれた家族のルール。
それぞれに家族を持ち、子の親となって帰ってきた私たち兄弟に、父は久々に大きな雷を落として、忘れかけていたルールを思い出させてくれた。

結婚前には、そのあまりの窮屈さに「早く独立して抜け出したい」と思うこともしばしばあった父の言葉を、気がつけば今、自分の子どもたちに語っている不思議。
嫌だ嫌だと思っていた父のルールが、知らぬ間にわが血肉に深くついているということに気づく嬉しさ。
そして、ともすれば慣れ合って緊張感を失ってしまいがちになる日常を、「それでいいのか」と叱ってくれる人のいる有難さ。
そんなことを思う正月を過ごした。




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2007年01月01日(月) 覚え

元旦。

・父さんはゲンとアプコをつれて、地域のご来迎登山へ。
集合場所まで車で送り、帰りにコンビニを5,6件はしごして、昨日買い忘れたお祝箸を探す。
年頭から、お間抜けな買い物。
昨晩、遅くまで工房の仕事をしていて、結局年越しのお仕事は何もしなかった。夕飯にバタバタと年越しのおそばを食べ、紅白を小耳に聞きながら「あ、お祝箸、買うの忘れた!」と、気がついた。
我が家のお祝箸は毎年年末に、義父が伏見稲荷にお参りした折に頂いて来たものをみんなで使う。最近義父は長時間の歩行が難しくなり、毎月の月参りにもいけなくなり、お箸を頂いていなかったのをすっかり忘れていた。

・おせち料理の準備もほとんど何も手をつけていなかったので、朝から鶏肉団子やらから揚げやらお子様向けのオードブルのようなものを拵えてお茶を濁す。
義母も、年が明けてからようやくお煮しめを何種か煮ただけで、あとは出来合いのおせちセットと蒲鉾やだし巻き卵をお重に詰める。
あとは、義姉が作ってきたおせち料理を一緒にテーブルに並べて。
重箱は、長年使い込んだ2組の陶器製。先代さん作。

・一日のお雑煮は、白味噌仕立て。
具は雑煮大根、金時人参、さといも、焼き豆腐。
お雑煮に入れる野菜は「円満に」と言う意味で丸く輪切り。
もう何十年もこの家のお雑煮を拵えてきた義母が
「大根はどう切るんだったっけねぇ、短冊でよかったのかしらん?」と私に訊く。
「せっかくお雑煮用の大根を買ってきたんだから、わっかに切りましょうよ。」と答えたけれど、義母はなんとなく納得がいかなかったようだ。
最後の味付けも、白味噌を解いて何度も味見しながら、
「甘すぎるかしらんねぇ」と首をかしげる。
「少し赤味噌を足して見ましょうか」
白味噌ベースで少し赤味噌を足すのも、義母から何度も伝え聞いた雑煮の味。忘れてしまわれたか。

・山から帰ってきた父さんがいつも箱書きに使う硯をきれいに洗って、新しい墨を磨り細筆をそろえ、義父を呼んでお祝箸の箸袋に家族の名前を書いてもらう。
3家族12人分。
余分の3膳は取り箸用、「海山」と書く。(海のもの、山のものを取り分けるという意味で)
ついでにお年玉用のぽち袋にも孫たちの名前を書いて貰う。
最近、義父の箱書きの文字が少し小さくなったように思う。本人も、筆文字が億劫になってきたようなことを漏らしておられた。

・遅れて起きてこられたひいばあちゃん。
「おお、なにやらご馳走やなぁ。」と第一声。
「今日はお正月だからね。」と子どもたちがひいばあちゃんの耳元で大きな声で言う。
「ほほう、そうかいな。」
と初めて気がついたようなご様子。
昨日、お重箱が出してあるのを見かけて、「あした、ここへご馳走詰めるんやなぁ」と楽しみにしておられたのに、そのことも忘れていらしたらしい。
ひいばあちゃんは、今年のお誕生日で100歳。
このくらい長生きしたら、「気がついたら、今日がお正月だった」っていう朝を迎えるのも、悪くないね。

ひいばあちゃんや義父母も年を重ねて、子どもたちも大きくなって、我が家のお正月の朝も少しづつ変化しつつある。
来年のお正月はまた、今年とは違うもののなるだろう。
覚えのために、ここに書き留めておくことにする。




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2006年12月31日(日) 円を描く

最終日まで工房でお仕事三昧。
大掃除もお正月準備もずれ込んだ年賀状印刷も子どもらに委ねた。
我が家の年明けは君らの働きにかかっている。
頼んだぞ。

正月早々の百貨店での即売会の荷造りと釉薬掛け。
ぎりぎりいっぱいの攻防が続く。
数物の銘々皿の裏の白絵掛け。
布目を刻んだ素焼きの栗茶の生地に白絵土をさっとかけ、濡れタオルでゴシゴシかけたばかりの白絵土をぬぐう。乾燥にかけてから透明の釉薬を重ねて掛ける。
焼きあがると、栗茶に白の布目模様がくっきりと浮かび上がる。
釉薬掛け見習い中の私に任される数少ない職人仕事の一つだ。

私が白絵掛けの作業をするのはこれまで長いあいだひいばあちゃんの作業場だった乾燥室前の小さなスペース。
来年の誕生日で100歳をむかえるひいばあちゃん。ほんの少し前までひいばあちゃんはこの席で釉薬掛けや作品の下地作りの作業をばりばりこなす現役の戦力だった。さすがに最近は工房へ下りてこられることはぐっと減って、代りに見習いパートタイマーの私がひいばあちゃんの作業台に間借りすることが増えた。
それでも何ヶ月かに一度、ひいばあちゃんが思い出したようにふらりと工房に下りてきて、まるでつい昨日やりかけた仕事の続きをするかのようにこの場所にお座りになることがある。
そんなときのために、ひいばあちゃんの長年愛用の煤けた前掛けはいつも畳んで作業台の前に置いてある。
長年ひいばあちゃんが一人でコツコツ行ってきた白絵掛けの仕事を、私が代りに任されるようになって一年余り。少しは要領も良くなって、調子のいい釉薬の粘り加減も、透明釉の下塗りの刷毛さばきもいくらか覚えた。
それでも、ひいばあちゃんの前掛けがここにおいてある限り、まだまだ私はこの場所の間借り人。
少女のころから職人仕事にうもれてきたひいばあちゃんの偉業をまえに、落ち着かない見習い職人の私は、半分前のめりに腰を浮かせつつ釉薬掛けを行う。

丸い銘々皿の裏面と表側のふち数ミリの部分に透明釉を刷毛で塗る。
真っ白で練乳のようにぽってりした釉薬をたっぷりと刷毛に含ませて、素焼きの生地の上に塗る。
「塗るのではなく、置くように。手早く、むらなく。」
父さんから何度も教えられて、少しづつ覚えた釉薬掛け。
最近になってようやく、左手の指先でくるくる生地を回しながら、同時に刷毛を手早く走らせるコツがなんとなく判りかけてきた。
お皿のふち塗りは、息を詰めて出来るだけ長いストロークで。
ギコギコ躊躇しながら塗ると一箇所に釉薬が溜まったりはみ出したりして仕上がりの見栄えが悪い。
刷毛に十分な釉薬を含ませて、出来るだけ手早く円を描く。
ずいぶん上達したとは思うのだけれどやっぱり途中で息継ぎが2回。つまり全円を3回のストロークでようよう描く。
ひいばあちゃんは現役時代、これよりもっと大きなお皿のふちでも、さっと一息のストロークで鮮やかにほぼ全円を描くことが出来たのだという。

養護学校に勤めていた頃、美術の時間に絵を描かせていて、先輩の先生から聞いたこと。
幼児のなぐり描きは最初は点や短い直線。それに肘の動きが加わると長い弓形やぐるぐる描きができるようになり、手首を上手に使えるようになるときれいな丸が描けるようになっていくのだという。
手首を使って上手に閉じた丸を描けるようになるのが、通常の発達段階で言えばちょうど3歳児の頃。
そのころ教えていた子どもたちは、年齢的には中学生だけれど、知的な発達は1,2歳児からせいぜい小学校低学年程度。「絵を描く」といっても、教師が手をそえてぐるぐる描きするのがやっとの子どももたくさんいた。
そんな子どもたちにクレヨンを持たせて、毎日毎日「お絵かき」を楽しんでいたが、ある日、いつもぐるぐる描きに終始していた男の子が偶然きれいに閉じた丸を描いた。
「やったね、M君、ようやく3歳児の壁を越えた。」
と先輩先生は手を叩いて喜んだ。
知的な障害があり、傍目には体ばかりが大きくなって知的にはあかちゃんのまま成長が止まっているように見えていた障害児のM君。
そんなMくんにも、ゆっくりながらも確かな成長の瞬間がある。
その発達の証が、Mくんが初めて描いた、きれいな閉じた丸。
先輩先生はM君が描いた大きな丸の画用紙を、きちんと畳んで連絡帳にはさんでおうちの方に届けられた。Mくんの成長を喜ぶお手紙をつけて。

閑話休題
今回注文のあった銘々皿は合計100枚。
同じ円を100枚分描いても、なかなか新米見習い職人の円は閉じない。
100歳の熟練職人の見事なふち塗りのテクニックを、ちゃんと習っておけなかったことを心から残念に思う。
ひいばあちゃんの席に居心地悪く居候しながら、いったい何枚のお皿を塗れば及第点の釉薬掛けができるようになるのだろう。。
そんなことを思いながら、一年の終わりに繰り返し繰り返し、円を描いた。


2006年12月26日(火) こわれもの

クリスマスも終わって、しばし脱力。
早朝暗いうちから工房にこもっている父さん。
部活に出かけるオニイ。
ついつい朝寝坊で、呼んでもなかなか起きてこない子どもたち。
朝ごはんが3交替、4交替制になって、いつまでも片付かないとイライラする私。

「年の瀬で忙しいんだから、いつまでもダラダラしない。
お母さんは仕事に行くから洗濯干しといてね。
朝ごはんもさっさと食べて、後片付けしておくこと。
それからクリスマスの飾りもいいかげんに片付けておいてね。」
工房の手伝いに加えて、年末の買い物、年賀状書き、大掃除。
さっさと片付けてしまいたいこと、子どもたちに手伝ってもらいたいことが山積みだ。それだけにいつまでも朝寝のお布団のぬくもりを貪る子どもたちが癇に障る。
「さっさと起きて働けーっ!」
だんだん声が荒くなる。

ガチャン!という乾いた音と、あ!というアユコの悲鳴が同時だった。
ぷっとふくれたまま、クリスマス飾りの片づけをしていたアユコ。
思いがけず手にしていたものを取り落としたらしい。
それは、よりによって小さなガラス細工がたくさん入った箱。
たくさん割れた音がした。

「ごめんなさい」といったきり、立ち尽くして泣き出すアユコ。
「たくさん割れたの?」
背後で音は聞いたものの、それを自分の目では確かめたくなくて、とがった声でアユコに訊いた。
「うん。」
と小さなアユコの声
胸がどきどきして、悲しくなって、ついつい、言いたくない言葉、言ってはいけない言葉が口から漏れた。
「大事なものなのに・・・。嫌々やってたんじゃないの?」

クリスマスのガラス細工は、私が毎年少しづつ買い集めてきたもの。
サンタクロースが子どもたちに運んでくるプレゼントに混じって、亡くなった次女へのプレゼントとして増やしてきた。
サンタクロースやクリスマスツリー、天使や雪だるま。
キラキラカラフルで、脆くて儚くて美しくて。
この世に縁薄く旅立っていった次女にふさわしいような気がして、毎年どの子よりも先に次女のためのプレゼントを選んだ。
一年にたった一度、あの子のために買うプレゼント。
一年にたった一度、カードに記すあの子の名前。
「今年も、なる姉ちゃんには、ガラスのサンタだ」とアプコが包みを開けて遺影の前に飾るのが毎年のお決まりだ。
高価なものではないけれど、一つ二つと増えてくるのを楽しみに結構大事にしていたものだった。
「壊れてしまったものはしょうがない。
それより早く片付けないと危ないから。
ちゃんと掃除機かけときなさいよ。」
それ以上その場に一緒にいたら、もっと鋭い言葉を吐いてしまいそうな気がして、台所仕事もそこそこに、洗い物で濡れた手を拭きながら家をでた。

工房での仕事を終えて、お昼に帰ってきたときには、割れたガラス細工は小箱に収められ、ふわりとハンカチがかけてあった。
うつむいて涙をぬぐっていたアユコも、今はけろりとしてアプコやゲンと笑っている。
お互いに壊れたガラス細工のことがとてもとても心の中にわだかまっているのに、そのことに触れない。
「ごめんなさい」がいえない。
「もう、いいよ」がいえない。
なんだかなぁ。

深夜、一人になってやっとガラス細工の小箱を開けた。
折れたツリー、欠けた星飾り、竪琴をなくした天使。
接着剤とグルーガンを駆使して、壊れたガラスをつなぎ合わせる。
パズルを組むように砕けたガラス片を組み合わせているうちに、アユコが見落としてしまうそうな小さな小さな破片まで丁寧に拾い集めておいたことが知れた。
涙が出そうになった。
亡くなった次女とは、ほんの数分しか触れ合ったことのないアユコ。
それでもアユコにとって、あの子は大事な妹だったのだなぁ。

長い時間かかって継ぎ合わせたガラス細工は、野暮ったくて不細工で。
それでも、ひとかけらも棄てることが出来なくて、もう一度小箱に収めてアユコがしたのと同じようにハンカチをふわりとかけておいた。
アユコは今日、つぎはぎだらけのガラス細工を見ただろうか。


2006年12月21日(木) 留年

ふと気づくと明日は終業式。
年末業務のバタバタと、朝から晩まで家の中に子どもがゴロゴロの日々が、また始まるのだなぁ。
家の窓拭き、毎日の落ち葉掻き、洗濯物干しに、昼食の準備。
せいぜい子どもらに仕事を与えよう。
サンタとの約束にかこつけて。

ひさびさに部活をサボって、明るいうちに帰宅してきたオニイ。
「いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」という。
「悪いほう」と答えたら、化学の答案を見せてくれた。
「からっきし判らなかった」2学期中間。
「頑張ったけどちょっと足りなかった」2学期期末。
つまり欠点だってさ。
冬休みに特別課題を出して、3学期もうチョイ頑張れば何とかなりそうな、ぎりぎりラインらしい。
で、いいほうのニュースは数学。
これも苦手なんだけど、今回は得意分野だったので、とんでもなくいい成績だったんだって。ま、足して2で割ってトントンということだね。

で、もちろん欠点一個で留年って訳じゃなくて、留年は他校へ進学した中学時代のお友達の話。

「かあさん、友達がほぼ留年決定らしいんだ。
僕としてはヤツにしてやれることはなんだろう。」とオニイが真顔で聞く。
その友達、ほとんど学校に行ってなくて、出席日数も足りないし、テストもまともな点は取ってない。
昼間はなじみのゲームショップに入りびたりで、家ではネットのゲームにはまっているらしい。そのくせバイクの免許を取りたいとか、女の子と付き合いたいとか、結構それなりに楽しそうなんだけど・・・と言う。

中学のときにも、オニイの友達の中に不登校の子がいて、そのときには「せめてテスト前にノートでも貸してあげたら?」とか、「『お前が来ないとつまらないよ』って、学校へ来易い様に言ってあげたら」とかアドバイスした。
ちょうどオニイ自身も不登校から立ち直ったばかりの時期だったから、その子のことを放っておけなかったのだろう。
友達はまもなく学校へ来るようになり、高校に進学した。
オニイは今度も、私にそんな風な具体的なアドバイスを求めていたのだろうけれど・・・。

「小学校や中学校の時は、みんな向かっている方向は一緒。
元気に登校して、みんなと仲良く遊び、ちゃんと勉強して卒業することが『いいこと』だったけど、これから大人になっていくと『いいこと』の基準はみんな違ってくる。
一日一日が楽しければいいって子もいれば、真面目にコツコツ頑張って夢を掴むのがいいって子もいる。
お金さえ儲かれば何でもやるって大人もいれば、愛のためにはお金も何も要らないって大人もいる。

『ちゃんと学校へ通って、いい成績をとって、卒業する』のは、一般的に言って『いいこと』には違いないけれど、その子にとって一番いいことなのかどうかはわからない。
「頑張って学校へ行けよ」と励ますのもいいけれど、彼が何故学校へ行かないのか、学校へ行かずに何がしたいと思っているのか、留年が決まってどうしようと思っているのか、多分今の君にはわからないだろう。

中学で一緒に机を並べていた友達が、もしかしたらそのままドロップアウトしていくかもしれない。何とかしてやりたいと思う君の気持ちは良くわかる。
でも冷たいようだけど、それも彼の価値観だ。
君がこうあって欲しいと思う彼と、彼自身がこうありたいと思う彼とは、おんなじじゃないかもしれないんだよ。

そんな話をした。
オニイはちょっと意外そうな顔で私の話を聞いていた。
多分、私の答えがオニイの求めていた答えとは違っていたからだろう。

ほんとうなら、「学校に行くように励ましてあげたら」と促すのがいいんだろう。「友達なら、彼の話をよく聞いて手を貸してあげようよ」といってやるのが良識ある大人のアドバイスってもんだろう。
でも、私はあえてオニイにそう言わない。
いわないけどオニイは、「学校行けよ」とその子に言うだろう。
で、それからどうなるのかなぁ。
その子が更生して、学校へ戻ったら青春ドラマの美談だなぁ。

でも、多分、今のオニイの、幼くて狭い価値観で「学校へ行けよ」といっても、その友達には親や教師の説教と同じにしか響かないだろう。
学校行かずに面白おかしく遊んで過ごしている友達の気持ちは今のオニイには共感できないし、学校という枠から外れて自分の前のレールを失いつつある友達の不安もオニイにはわからない。
そこのところがちゃんとわからないまま、いい子ぶって友達にお説教してもお互いに傷つけあって帰ってくるだけなんじゃないかなぁ。
それに、オニイ自身、変に生真面目でドロップアウトしていくヤツのことが許せない質だから、その友達が自分の忠告にも関わらず崩れていってしまったらきっととても傷つくだろう。

実際のところ、かく言う私自身にもよく理解できないのだ。
「だるいから」という理由で学校へも行かず、留年決定してもへらへら笑って舌を出していられる子どもの気持ち。
子どもが学校へも行かず、日がな一日だらだら遊んで崩れていくのを「しゃあないな」と見捨てておける親の気持ち。
焦らないのかなぁ。心配しないのかなぁ。叱らないのかなぁ。
実際には、その子にもその子の親にも、複雑な葛藤や不安や焦りがいっぱいあるのだろうけれど、オニイからの又聞きで思い描く少年のおぼろげな輪郭の中からは、その胸のうちにあるものの正体を見留めることは出来ない。

結局そこのところがよく理解できてないものだから、私はオニイにも「人それぞれの価値観があるよ」ともっともらしい逃げ道を示しているだけなのかもしれない。
若くまっすぐなオニイには、母の腑抜けなアドバイスはずるい逃げ口上に聞こえていたことだろう。


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