月の輪通信 日々の想い
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アプコが一人で密かに作っていた九九の表。 苦手の九九の練習をして、誰かに丸をつけてもらうつもりらしい。 裏面に 「がんばれじぶんあとひとがんばりだよ」と書いて、消しゴムでゴシゴシ消した跡がある。
今日は算数プリントの間違いが少なくて、先生に「あとひとがんばりね。」と赤ペンで書いてもらってきたようだ。 それで嬉しくなって、こんな表を作っていたのらしい。 ま、意欲は買うんだけど、この表を作るのにかれこれ小一時間。 肝心の宿題プリントに取り掛かったのは、夕食後、眠くなってから。 はぁ、ぼちぼち頑張ろうね。
絵を書くのが得意な子。 漢字を覚えるのが得意な子。 卵を焼くのが得意な子。 友達を作るのが得意な子。 同じように育てていても、決しておんなじには育たない。 それでいいのだと思う心と、なぜ出来ないと焦れる気持ちと。 迷う母の気持ちを、元気で力強いエンピツ書きの線がふっとほころばせてくれる。 これがアプコの才能。
12月17日、オニイの誕生日。 16歳。 おめでとう
「もう、『盗んだバイクでは〜しりだす♪』が出来ない年齢になったね。」 と昨日からゲンが何度も同じ歌を歌う。 そうか、あの孤独な目をしたロック歌手は、オニイの年齢の時にはもう、そういう主張を発信していたのだったか。 大きく曲がりもせず、かといって無理なジャンプをしたり破天荒な方向転換をしたりすることもなく、淡々と成長していくオニイ。 それでも母にとっては、何かと気にかかる第一子。 よくぞここまで大きくなったなぁという思いと、これからどんな青年に育っていくのだろうという思いと・・・。 気がつけば、今日、オニイは父の背丈をこっそりと追い抜いていた。
誕生日のご馳走のリクエストは、「石狩鍋」 TVの料理番組を見て急に食べたくなったという。 どんな鍋だかよく知らないけれど、いつもの寄せ鍋に切り身の鮭と冷凍の牡蠣を投入したら、うまいうまいとたくさん食べた。 「16歳になってもケーキは要るの?」と訊いたら、 「やっぱりケーキがなくちゃぁ・・・」とチョコレートのカットケーキが御所望。小さなケーキに自分で16本のキャンドルを立てて、兄弟たちの歌うハッピーバースディに歌に照れながら、ふーっ!
まだまだ、お子様だなぁと笑う母。 「『今年の誕生日は彼女と過ごすから』って、言えるようになるのはいつのことなの?」と毎年のように茶化すけれど、冗談ではなくもう数年すればオニイは家族と離れて暮らすようになっているかもしれないし、家族以外の大事な誰かと誕生日の夜を過ごしたいと思うようになるかもしれない。 あと何回、こうしてオニイのケーキふーっを家族一緒に祝うことが出来るのだろうと思うと、ふっと寂しくなるときもある。 もしかしたらオニイはそんな母の感傷を察して、わざわざ律儀に16本のキャンドルを林立させるのだろうか。
今日、父さんは午後から高校の同窓会で出かけていた。 ちょうど昨年の今頃、父さんの同級生が一人亡くなった。自殺だった。 その人の命日を兼ねて、開かれた同窓会だった。 ほろ酔いで帰ってきた父さんは、取っておいたマロンのケーキを食べながらオニイの身長を柱に刻み、「まぁ。しっかりやってくれ。」とオニイに言った。 「あいつらと一緒に過ごしたのは、ちょうどオニイと同じ年齢の頃やったんやなぁ。」 そのころの若い父さんたちは、40年後の自分をどんな風に思い描いていたのだろう。 家族や仕事、重い荷物を背中に一歩一歩唸るように進んでいく坂道がおそらくはオニイの未来にもある。 今はまだ好物のチョコレートケーキに頬緩むオニイにも。
子どもの誕生日の祝福に、ちょっぴり感傷が混じる歳になった。 父さんも私も。 ほんの一匙、淡い感傷ではあるけれど・・・。
小学校の個人懇談。 修学旅行の時の「野球拳」事件が話題になるかなぁと半ば心配、半ば期待に胸を膨らませているゲン。 連日お持ち帰りのやり直しプリントのことで叱られるかなぁと小さな胸を痛めているアプコ。 母もドキドキワクワクで昼下がりの教室に向かう。
ゲン 教室へ入ると開口一番、 「いろいろ頑張ってもらってて、助かってます。 ゲン君を担任させていただけて、良かったです。 ありがとうございました。」 と担任のT先生が褒めてくださった。 最近はいい感じでクラスのムードメーカーの役割を務めているらしい。 そういえば、とてもとても楽しそうに学校へいってるもんなぁ。 クラスの中で自分の存在がちゃんと受け入れられている、居場所がちゃんとあるという安心感が、ニコニコ楽しい学校生活を支えてくれているのだろう。 来春は中学入学。 荒れる中学への進学には不安も多い。 けれども、小学校でしっかり自分の存在を受け止めて頂けた経験は、きっとしっかりした命綱になるだろう。 有難いなぁと思う。
アプコ 「アプコちゃんにはねぇ、いろいろ頑張ってもらわなきゃならないことがあるんですよ」 と、M先生。 もちろん、算数の足し算引き算、九九のこと。 「判ってないわけじゃぁない様なんですけどねぇ」と先生と二人、首をかしげる。 ま、練習不足と集中力、注意力の欠如でしょう。 冬休み、頑張ってもらいましょう。 「でもね、苦手の体育はずいぶん頑張りましたよ。音楽もとっても楽しそうにいきいき歌ってますね。 アプコちゃんは優しいところが一番いい所なんだから、それで十分!」 お小言の倍くらい、フォローを頂いて帰ってきた。
うちへ帰るとオニイやゲンが 「アプコの懇談、どうやった?」 と口々に訊く。 アプコが連日算数のやり直しプリントを持ち帰ってくるのを見ているものだから、アプコの懇談の結果をそれとなく心配してくれていたようだ。 もしかしたら。お母さんがM先生にたくさん叱られて、凹んで帰ってくるんじゃないかと思ってたらしい。
平気平気。 自分ちの子が「算数が出来ない」と叱られるくらい、なんでもないことなんだよ。 「誰かにいじわるした」とか、「ずるい嘘をついた」とか、そういう事で叱られたら、きっと悲しくなると思うけど。 先生たちは二人とも、「優しくていい子です。」といってくださったから、母はうれしい。
・・・と、アプコにも聞こえるように、説明しておいた。
昔、小学生の頃、私は母が自分の個人懇談から帰ってきたら 「先生になんて言われた?叱られた?」 と懇談の内容をしつこく訊いたものだった。 母はたいがい 「とてもいい子ですとほめてもらったよ。」 と答えた。 母はわが子のマイナス評価になることは、何一つ私に伝えなかった。「忘れ物が多いです」とか「給食食べるのが遅いです」とか、きっと小さなお小言もたくさん言われてきていたはずなのに・・・・。 おかげで私は自分自身の子ども時代を、「特にこまった問題点もないいい子」「先生にいつもプラス評価していただける優等生」だったと疑わずにイメージして大人になった。
いま、自分が母の立場になって自らの子ども時代を振り返ってみると、あの日の母は懇談での先生のお話から、お小言やマイナス評価の部分はすっぱりと棄てて、褒めていただけたことばかりをピックアップして伝えてくれていたんだろうなぁと思うようになった。 「先生がいい子だって言ってたよ。」と何度も何度も聞かされることで、私は「誰かに評価されている自分」「いい子だと思ってもらっている自分」のイメージを刷り込まれて行ったのだろう。 それは、もしかしたらはかない虚像だったのかもしれないけれど、成長の過程で確かな自分の立ち位置を確認していくためには、なくてはならない有難い虚像だったのかもしれない。 子どもの成長には、「誰かに無条件に愛されている自分」という確かなイメージの支えが必須なのではないかなぁと思ったりする。
「で、アプコ。今日の宿題は?」 「あるある!算数のやり直しプリント。今日は2枚!」 明るくピョンピョン跳びはねながら、赤ペンのいっぱい入ったプリントを振り回すアプコ。 懇談が無事に終わって嬉しいアプコは、昨日まであんなに気にしていた赤ペンプリントなのに、今日はちっとも凹んでいないようだ。 それにしても、ありゃりゃ、この点数って・・・。 やれやれ、ちょっとプラスイメージを抱かせ過ぎたかもしれない。 8の段の九九を唱えながら、母はそっとため息をつく。
朝、あわただしく子どもたちを起こしながら、目玉焼きを作る。 熱したフライパンにパカン、パカンと卵を割っていたら、最後の一個をコンロのかどにカツンとやったところで、殻がぐしゃっとつぶれて中身が床に流れ落ちた。 ありゃ、やっちゃった。 ぶつぶついいながら、慌てて拭き掃除。 ああ、もったいない。
なんだかとても殻の脆い卵だった。 「500円以上お買い上げの方、お一人様1パック限り」の但し書きつきの大安売りの卵だったせいかしら。 いつも生協からくる卵はとても殻が固くて、黄身の色も濃い。 それを割るのと同じ力加減でカツンとやったものだから、脆い卵はフライパンに載る前に床に流れて自滅してしまったのだろう。
見た目はどれもおんなじ卵。 大きさの大小や形の違いはあるけれど、卵は卵だから、ついつい同じ力加減でカツンとやって、1年に1回か2回、今日のような失敗をする。 で、毎度毎度、同じようにびっくり仰天する。 見た目は同じ卵だけれど、乱暴にカツンとやってはいけない卵も、中にはあるという事だ。
アプコ、このところまた、算数プリントに四苦八苦してる。 繰り上がりくり下がりの足し算引き算。 掛け算の九九。 学校でやったプリントはすぐに採点され、間違った数が赤ペンで「−3」とか「−12」とか書かれて返されてくる。で、間違いの多い子は、新たに同じプリントがやり直しプリントとして宿題になる。 ここ最近、アプコはまたやり直しプリントの常連さん。
オニイやアユコやゲンの時にも、こんなに算数で苦労したことってあったっけかなぁ。 バタバタと忙しい時期だったから、しっかり宿題を見てやった記憶もないし、だからといって「今日もやり直しプリントもらっちゃったぁ。」なんてこともなかったはず。 放って置いても学校の授業の内容くらいはそこそこ出来ていたように思うんだけどなぁ。
アプコも決して授業の内容を理解していないわけではない。 50問の引き算の問題を5個ずつ10回に分けて、少しづつ丁寧にやらせてみると、10回全部満点が取れるのだ。 多分50問いっぺんに与えられると、問題の多さに舞い上がってしまって一つ一つを丁寧に見直すことが出来なくて、誤答が増えるのだろう。 大雑把でせっかちなのは母譲り。 許せ、アプコ。
アプコもだんだん、嫌気が差しちゃって、ふと気がつくとやり直しプリントを貰ってくるたびに、 「おかあさん、ごめんなさい」と申し訳なさそうに目を伏せて謝るようになっていた。 たかが算数が出来なかったくらいで、たった8歳の子が「ごめんなさい」なんていわなくていいのに。 九九の答えを間違えるたびに、しょげてうなだれるアプコはほんとに小さい。昨日はとうとう、ポロリと涙までこぼれた。 お調子者アプコの突然の涙に、ちょっとびっくりした。 まだまだこの子はお絵かきと鼻歌とお料理ごっこの好きなチビちゃんだったのだなぁと改めて思う。
4人の子どもたちは皆それぞれに違う個性を持った一人一人の人格。 納豆が大好きな子もいれば、あのネバネバを見るのもいやという子もいる。 朝、すこぶる寝起きのいい子もいれば、いつまでたっても布団から出られなくて泣きべそまで掻く子もいる。 片付け上手で几帳面な子もいれば、どんなに散らかっていても平気でその上に寝そべる子もいる。 同じ父さん母さんから生まれた4つの命。 見た目はそれぞれ似ているけれど、やっぱり違う命なのだ。 同じ力加減でカツンとやっても、平気な卵もあれば、フライパンの外で壊れてしまう脆い卵もある。 みんなおんなじ力加減ではダメなのだ。 そんなことを思う。
昨日今日と地元の小学校で5年生の陶芸教室。 36人2クラスの子どもたちと一緒に抹茶茶碗を作る。 1日目、陶芸の歴史や焼き物の種類について簡単なレクチャーと水引きロクロの実演の後、抹茶茶碗の成形。 2日目は、一日置いて少し硬く乾燥したお茶碗に高台つけ。 出来た作品は来年1月までじっくり乾燥をかけて、学校のすぐ近くのレクレーション施設で素焼き、釉薬がけ、本焼きを行う。
今年の5年生2クラスの担任は、ベテランの元気な女の先生と今年先生になりたての若い男の先生。 実はこの新人先生、赴任のご挨拶のときに「すごくかっこいい先生が来たよ!」とアプコがうれしそうに教えてくれたイケメン先生。サッカーがお上手だそうで子どもたちにもとっても人気のある先生らしい。学生のような若くて元気のいい先生なので、子どもたちにはお兄さんのように慕われているのだろう。 父さんがデモンストレーションとして水引きロクロの実演をやって見せたときにも、イケメン先生は子どもたちに混じって歓声を上げたりほほうと頷いたりして、子どもたち以上に身を乗り出して楽しんで下さっているようだった。こういう子どもたちと近い目線で授業を楽しむことのできる若い教師というのもなかなかいいものだなぁと思う。
昨日の成形では作業時間が押してしまって、イケメン先生のクラスの授業が給食の時間に食い込んでしまった。 まだ、仕上げ作業に熱中している子もいる中で、早く仕上げた子達は自分の席の道具や残り土をざっと片付けて、三々五々教室へ帰っていった。先に帰って、教室で給食の準備を始めておくつもりなのだろう。 ちょうど片付けの手伝いに来てくださったベテラン先生が、その様子を見て、「終わりのご挨拶もなしで子どもたちを帰してしまったのね。」というようなことをイケメン先生にささやいていたようだった。 「あ、予定外の授業延長のせいで、イケメン先生、叱られたな。」とちょっと気の毒になった。
で、今日の高台付けの作業も、マラソン大会の後の時間に無理やりねじ込んで作った短時間の授業だったので、昨日と同様、イケメン先生のクラスの授業が給食時間に食い込んだ。 「作品を前に出した人から帰ってもいいよ。」 と昨日と同じような指示を出した。 仕上がりの遅れた子の手直しをしたり、子どもたちの使った道具類を片付けたりしていると、片づけを終えて子どもたちが2人、3人と私や父さんのそばへやってきて、作業の手を止めさせないように気遣いながら「ありがとうございました」と頭を下げて、教室へ戻っていく。 そして最後まで後片付けに追われるイケメン先生の周りには、数人の男の子たちが残って、机を拭いたり道具を運んだりして、てきぱきと片づけを手伝って行ってくれた。
みんな揃って「ありがとうございました」の挨拶は出来なかったけれど、一人一人がさりげなく頭を下げて挨拶をして帰る。 きっとイケメン先生は、昨日ベテラン先生から指摘されたことをうけて、すぐに彼なりの言葉で子どもたちに帰りの挨拶のことを子どもたちに指導なさったのだろう。 子どもたちと同じ目線で、一緒に驚き、一緒に楽しむ。 失敗して学んだことは、すぐに次の子どもたちへの指導に生かす。 子どもたちとともに学んで成長していく、新米先生ならではの爽やかさだなぁと思う。
出来上がった作品は一ヶ月かけて自然乾燥させ、来月、近所のレクレーション施設の陶芸窯で素焼き、釉薬掛け、本焼きを行う。 いい作品になりますように。
うっとおしい天気が続く。 洗濯物がちっとも乾かないまま、どんどん部屋干し生乾きの山が増えていく。あちこちの鴨居やカーテンレールに懸けられたジーンズは大小取り混ぜて10本あまり。まるで回転の悪い古着屋の様相。 近所のKちゃん母は耐えかねて、最近近所に出来たコインランドリーに行ってきたという。やはり乾燥機が大混雑だったとか。 神様、サンシャイン、プリーズ。
一ヶ月ほど前から近所に野良猫が出没するようになった。 虎縞の愛嬌のある顔をしたヤツ。雌猫なんだそうだ。 尻尾の先がクイッっと二つ折りになっていて、きれいなブルーアイ。 人懐っこくて誰にでも擦り寄って行くので、アプコが夢中になっている。 「居ついたら困るから餌はやっちゃダメよ」ときつくいってあるのだが、それでもうちの界隈が気に入ったらしく、居座っているようだ。
この猫、最初はえんりょがちに軒下で雨宿りしたりしていたのだが、最近ではだんだん態度がでかくなってきた。まるで古くからの家猫のような顔をして、門灯の上で昼寝したり車のボンネットの上であくびをしたりしている。ガレージに車を入れようとすると、駐車スペースの真ん中で日向ぼっこしていて、「何?退くの?」とでも言わんばかりの不満げな顔でゆっくり背伸びをしておもむろに重い腰を上げる。しっしっとやってもなかなか退いてくれない。
昨日は玄関の金木犀の木の枝に猫が登った。 この木は夜になるといつもムクドリがねぐらにしている木だ。どうやらそのムクドリを狙っているらしい。 細い金木犀の梢にミシミシ音を立てながらもぐりこみ、狩りの構え。 バサバサッと音がして、ねぐらに帰ったばかりの鳥たちが慌てて夕闇に飛び立っていった。 やだな。 「ふみゃー」と媚びるような声で擦り寄ってくる猫が、なんとなくうっとおしく思えるようになって来た。
つくづく私は犬派だなぁと思う。 つい最近までアプコと一緒になって猫に構っていたアユコも私と同じ口らしく「この猫、だんだん厚かましくなってきたみたい。」と、言いに来た。 気まぐれな猫の同じ仕草が、猫派のアプコやオニイには「うーっ、かわいい!」と感じられ、犬派の私やアユコには「うっとおしー!」と感じられるのが不思議なところ。 あ〜あ、あの猫、知らないうちに、どっか、行かないかな。
朝、いつも近所をウォーキングにこられるご婦人とおしゃべりしていたら、件の猫がすりすりと寄ってきて、ご婦人の足元に甘えるように体を摺り寄せた。 「まぁ、人懐っこい猫ねぇ。野良さんなのに・・・」 とご婦人は目を細められた。 「ちょっと人懐っこすぎるくらいなんですよ。すっかり居ついてしまって、ちょっと油断すると家の中まで入ってこようとするんですよ。」 と笑っていたら、 「あらそう、こんな小さい動物でも人に甘えて生きていく術を知っているのねぇ」と感心された。 「餌を貰うためにはこんな風に懐っこく擦り寄っていくのがいいと知ってるんやねえ。こんな小さい者でも、ちゃんとうまく立ち回って生きていく方法を身につけているのにね。 近頃、子どもたちに間ではいじめだの自殺だの、いろいろあるけど、今の子ども達もこんな風に上手に身を摺り寄せて生きていくことが上手になればいいのにねぇ。」 と、しみじみといわれた。
いじめられる子に「もっと上手に立ち回って生きればいいのに」といっておられるように聞こえて、なんだかなぁ・・・とも、思ったけれど、ご婦人の真意がどこにあるかは、はかりかねた。 聞けば、その方も、昔、お身内の子どもが友達にいじめられた経験がおありだという。 「今はなんでもなく、元気に過ごしていますけどね。」 その子はどんな風にしていじめの経験を克服されたのだろう。 朝の短い立ち話では、そんな立ち入ったところまで突き詰めてお話しすることも出来なかった。 「ほんとにねぇ。」とあいまいな相槌を打ちながら、なんとなく消化不良なままお話を終えて、さよならをした。
今日も猫は陽だまりに停めた我が家の愛車トッポのボンネットの上にだらりと寝そべって、まるで家猫のような貫禄でふわぁっとあくびをしたりしている。 いつのまにか自分の居場所をそこと決めて、のうのうと生き延びる野良猫の厚かましさも、強く生きるためのたくましい知恵なのかもしれないなぁと思いつつ、手箒でしっしっと猫を追う。 このまま、居ついてもらっても困るのだよ、猫君。
ここ数日の急な冷え込みで、あっという間に落葉が進んだ。 工房の玄関の傍のもみじが瞬く間に赤くなって、わっと散った。 「今年はいつまでたっても寒くならないから、ちっとも紅葉しないね」なんて言っていたのに、あっという間に冬の樹木の形がくっきりと現れた。 毎年恒例の工房の庭での焼き芋大会も、例年通り12月最初のお休みに開けそうだ。
父さんの工房仕事がどんどん差し迫ってきた。 毎年の干支の仕事に加えて、年明け早々の個展の仕事、春に決まった襲名展の準備・・・。次から次へと押し寄せる仕事の山にアップアップしながら、振り絞るような形相で工房へ出かけていく。 今年はいつもの年末態勢に入るのがずいぶん早い。まだ11月だと言うのに。 少し休んで欲しい。 でなければ、ほんのひと時でも息抜きをと思うのだけれど。
乾燥機の熱でほんわか暖かい工房で父さんが干支の置物の釉薬掛けをしていた。そのすぐ横に作業椅子を引っ張ってきて、作業を手伝う。 濃い釉薬をかけるまえに薄く水で溶いた釉薬(水ぐすり)を下塗りする作業。 不器用な私の手でも手伝える数少ない仕事だ。 台座の上でクイッと鼻を上げた若いイノシシ。素焼きの生地に薄めた飴釉の水ぐすりを塗るとなんとなくピンクの豚さんに見える。 ぶひっ、ぶひっと鳴きまねをして、父さんと笑う。
「あれっ!あ〜っ、しまった」 と突然父さんがうめく。 「・・・・印落ちや。」 作品の裏には、素焼き前の生の状態で作家の名前の印を刻む。 印落ちはその作家印の押されていない作品のこと。 たくさん作品の削り仕事をしているうちに、ふとした拍子に印を押さずに素焼きに回してしまったらしい。一旦素焼きしてしまった作品に、今から印を刻むのは不可能だ。 そして印無しでは残念ながら、売り物にはならない。
ごくごくたまにしか起こらない珍しい失敗。 ところが、今年の干支ではもう印落ちの失敗が2件目。 きっと疲れているんだな。普通なら遅くとも窯詰めの前には気がついて、修正して焼くことが出来るはずなのに。この失敗で売り物にならない作品になると言うことは、型抜きをしてくれた職人のH君の労働も夜中に削りや仕上げをかけた父さんの手間もぜんぶ無駄になると言うことだ。 自分でもそのことがわかるだけに、父さんはうなだれて悔しそうに印のない台座を何度もなでる。
「こんなにたくさん仕事をしているんだもの、そんな失敗もたまにはあるよ。印落ちでも焼き上げておけば、進物用か、うちでの陳列用にでも使えるんじゃない?」と思いつく限りの慰めを並べてみる。 すると、少し気を取り直した父さんが面白い話を教えてくれた。
陶器の作家が作品の裏に印を押すようになったのは、茶陶としての陶器が生まれてからのこと。それまでは陶器を作るのは職人の仕事であって、作家として名前を表に出すことはなかったのだそうだ。 また、上絵の美しい磁器の作品などには、書き印といって釉薬で書いた印が見られるが、それは上絵を書いた人の印。その生地を作るのは生地師といわれる職人さんだから、やはり表立って名前を刻むことはしないのだと言う。
それから、もう一つ。 むかし殿様などへの献上品には、作家の印は押さないのが一般的だったのだという。作品の目立たぬ場所に押された小さな印と言えども、「わたくしが作りました。」という自己表明でもある作家印。だから偉い方への献上品には、へりくだる気持ちを込めて、あえて印は押さずにさしあげたのだそうだ。
「それなら、この印落ちイノシシも、思いっきり偉い方への献上品につかったらいいんじゃないの?」 いろいろ話しているうちに、そんなジョークも言える位に父さんのご機嫌も治ってきた。 「そっか、献上品なぁ・・・。ま、そうも行かんけど、とりあえず最後まで焼いてみるか。」 父さんは再び手にしたイノシシに釉薬掛けをやりはじめた。 印落ちイノシシ君、危うく命拾い。
もうすぐ毎年恒例、小学校での5年生の陶芸教室が始まる。 子どもたちが苦心して作った作品の裏には、生の生地の状態で必ず自分のサインを彫りこむ。 「世界でたった一つの作品だからね、しっかり思いを込めて自分の名前を刻んでね。」と、子どもたちに言う。 作品裏の印は、作家の自己表明。 だからこそ父さんは印落ちの失敗が許せないのだろう。
もしかして、今回進物品として印落ちイノシシが届くお宅がありましたら、それは自分をへりくだって謹んで献上申し上げる、そんな気持ちの表れとご容赦下さいますように。 ひらにひらに、お願い申し上げます。
早朝から、オニイ、剣道の昇段試験に出かけていった。 初段認定、3度目の正直。ようやく合格。 うれしそうな声で会場から電話で知らせてきた。 電話口のむこうで、にぎやかな友達の声。 「○○で〜す、今夜は鍋パーティーお願いしま〜す。」 「オニイくん、うかりましたよ〜ん。」 オニイの背中から、ふざけて大きな声でメッセージを送っているらしい。 その楽しげな様子がなんともよくて、いい仲間と剣道やってるんだなと知れてうれしくなった。
この間の中学の学級懇談のときなどに思ったこと。
女の子たちのスカートが短くて困ると先生に相談なさったAさん。 娘のAちゃんが制服のスカートをウエストのところで巻き上げて、ミニスカートにして登校していくのだという。Aさんが注意すると「みんなやってるもん」と口答えして、ぷいとふくれる。しつこく、叱ると「無理!」と無視して行ってしまう。 「本来、子どものスカート丈を管理するのは家庭のしごとだということはよくわかってるんです。 こんなことで先生方の手を煩わすのは申し訳ないとも思いますが、『学校ではみんなやってる』と言われるともうそれ以上は強く言えないんですよね。学校のほうでもっと厳しく言ってもらえないでしょうか」
「『みんなやってる』って言うのは子どもの常套句ですねぇ。 いや、うちの息子もね、『ゲーム機買ってよ。みんな持ってるでぇ』って言うんですよ。『誰と誰と誰じゃい!』と説教するんですが・・・」 とは担任のK先生の弁。 暗に、「中学生にもなって幼児と同じ言い草じゃないですか」と皮肉っておられたのかもしれないけれど、Aさんは最後まで「すみませんけど、学校でも厳しい指導を」と繰り返して訴えておられた。
夏休みに息子B君が髪を赤く染めたがったというBさん。 「夏休みの間だけだから、いいじゃん。始業式までには黒に戻すから。」 と何度もねだられたという。 友達同士で毛染め剤を買って染めあいっこするのだそうだ。 「いくら休み中でも絶対ダメ!」と叱っていたんだけれど、「おかあちゃんだって染めてるやん、何であかんの」といわれたという。 「それをいわれちゃぁ、なんにも言えなくなるわよねぇ。」 とBさんは笑って言う。 そういえば、懇談会に残るお母さんたちの多くは、ほとんど髪を染めている。白髪染めだかおしゃれ染めだかは知らないけれど。
AさんもBさんも決して子どものしつけに無関心なタイプの親ではない。 むしろ、学校での子どもの様子をよく把握しておきたいとPTA活動にも参加し、参観懇談でもよくお顔を見かける熱心なお母さんたちだ。 それにAちゃんB君だって特別問題があるって言うわけじゃない、普通の、ごくごく真面目なほうの子どもたちだ。 屁理屈や口答えはこの年齢の子どもたちならどこにでもあることなのかもしれない。
それにしても腑に落ちないのは、なぜAさん、Bさんが子どもたちに「ダメなものはダメ」と叱ることは出来ないのかということ。 「みんながやってても、うちはダメなの。」 「大人とこどもは立場が違うの。そんなに勝手なことがしたいなら、自分で稼ぐようになってからやりなさい。」 と何故いえない? 苦労して生んでやって、毎日ご飯を食べさせて、心配したりおだてたりしてここまで育ててやった子どもたちだ。 娘のミニスカートや息子の茶髪が許せないなら、「ダメったらダメ!」と叱ってもいいじゃないか。 AさんもBさんも「言えないわよねぇ。」と周りのお母さんたちに同意を求めるように笑っていたけど、そんな風に子どもの顔色をうかがって弱腰で叱るのが、本当に今の子育てのスタンダードになってしまっているんだろうか。 その上で、家庭で出来ない子育てを「学校で厳しく言ってもらわなければ」とお鉢を預けるのが当たり前になってきているとしたら、学校の先生方のご苦労はますます絶えないのだろうなぁとご同情申し上げる。
最近後を絶たないいじめや自殺。 何かというと頭を下げておられるのは学校の校長先生や教育委員会の偉い方。友達を自殺にまで追い込むいじめを行った加害者の子どもたちやその親たちが謝罪する姿が報道されることはない。 「いじめてはだめ」「いじめを見てみぬふりをするのもだめ。」「いじめられても死んではだめ」としっかり教えるのはまず家庭の責任。 いじめを見逃す学校教育のシステムにも問題はあるけれど、それがすべてではない。 「みんながやってるから」と大勢に流される子どもと、それを叱れないから「学校で厳しく指導して」と人任せにする保護者。 「ダメなものはダメ」と強く言える自信が家庭の中にもっと必要なのではないかと言う気がしている。 自戒をも込めて。
朝、TVのワイドショーを見ていたら、土砂崩れ防止のブロックに入り込んで降りられなくなった野良犬の救出作業の様子が中継されていた。 「たかが野良犬一匹に全国放送生中継なんて馬鹿馬鹿しい」と思ってもいいんだけれど、今にも転落しそうな狭い足場に蹲って悲しそうな声で吼える犬の姿はあまりにも切なくて、ついつい目が離せないでいた。
で、思ったこと。 「たかが野良犬」だって、あんなふうに「困ってるんだ、怖いんだ、助けて欲しいんだ」って悲しい声で鳴けば、「なんとか助けてやれよ」「落ちないように網張ってみたらどうかね」「レスキュー、早く来てくれよ」とたくさんの人が動いてくれる。 いじめとか自殺とか、暗い気持ちで悲しんで、毎日毎日悩んでいる人だって、本気で「嫌なんだ、怖いんだ、死にたくなるんだ。」と大きな声を出したら、「何とかしてやらなくっちゃ」と思って動き始めてくれる人もいるんじゃないのかな。
昨日、小中学校の子どもたちが「文部大臣からのお手紙」を貰ってきた。 文部大臣名でいじめをやってる子、いじめられている子、そして子どもに関わる大人たちに向けての3通の手紙。 ザラ紙に印刷されたいじめ撲滅、自殺防止のメッセージに、アユコは、 「なんか気持ち悪い文章だなぁ」といっていた。 いじめられた子の悲しみ、いじめる子の持つ不安、難しい時代の子育てに試行錯誤する親や教師の迷いを、心で受け止めることなく、通り一遍のことばで書かれた文章のいやらしさは、中学生のアユコにもすぐにそれとわかるのだろう。
「あんなに怖がってるよ。早く助けてやってくれよ。レスキューまだこないのかよ」と苛立った声を上げていた毒舌コメンテーター。 それだってTVカメラ用に用意された作り物のコメントに過ぎないのかもしれない。 けれど、日本中の小中学校で印刷されペラリと子どもたちに配布されたプリントよりも、悲しげな声で吼える痩せた野良犬のほうがよほど誰かの心の琴線に触れることが出来たようで、それはそれで棄てたもんじゃないと思ったりもする。
朝、小学校組があわただしく出て行った後、 「んもー!ゲン、また布団上げせずにいっちゃったぁ!」とアユコがぶうぶう。 朝の布団あげはゲンの仕事。寒くなってきて、みんなぎりぎりまでお布団を離れられないから、登校前に布団を上げる時間が足りなくなるのだ。 「いいよいいよ、久しぶりにお天気よさそうだから、お布団干しとくよ。」とアユコを送り出す。
最後に家を出るのはオニイ。 「弁当持った?今日も遅い?」と玄関先で話していたら、下駄箱の取っ手に引っ掛けられたアユコの体操服袋。 今日は参観。これ、ないと困るよね。 「ん、貸してみ」 オニイがアユコの体操服袋をひょいと自分の自転車の前カゴに乗せた。 「多分途中で追いつくやろ。」 あら、すまないねぇというまもなく、オニイはひょいと自転車に跨り、ぐんぐん飛ばして坂を下っていった。 アユコ、優しいオニイがいてよかったね。
今日はアユコの中学の参観懇談。 アユコの学校は今年度になってから「荒れている」と言われている。それまでは市内で一番真面目で穏やかな中学と言われていたのに、急にガタガタと崩れ始めた。 校内でのお菓子などの飲食、授業のざわつき、器物の損壊、抜け出し、校則違反。毎日のようにあちこちで「事件」発生。 PTAも協力して落ち着いた学校環境を取り戻すべく、がんばってはいるのだけれど。
5時間目、社会科の授業。 あれ、いま、チャイム鳴ったんじゃなかったっけ? 授業が始まったはずなのに、まだ立ち歩いてる子がいる。後ろを向いておしゃべりしてる子がいる。机の上に大きなカバンや上着を置いたままの子もいる。教卓にはもう先生が立っていて、授業のプリントを配り始めている。 ザワザワした雰囲気のままで、ダラダラと授業が始まる。 「近頃授業があまり進まなくてツマラナイの」とアユコが言ってたのはこういうことなんだな。 以前はこんな風じゃなかったのに。 それでもまだ、授業中立ち歩いたり、授業を妨害したりする子がいないだけ、まだましか。 こういう状態で毎日授業を進める先生方。 大変だなぁ、ストレス溜まるだろうなぁと思う。
参観後は学年懇談。 学年主任の先生が言われた言葉。
毎日毎日、いろんなこまごまとした問題は起きています。きつく叱ってもそのすぐ後から同じことをやらかす。繰り返し繰り返し叱る。そんな毎日です。中2と言うのは、ある意味そういう年齢でもあるのです。 正直しんどくなることもありますが、むかし先輩の先生に言われたこんなことばを思い出します。 「お前な、こんなやつら(問題生徒)がいなければええのにと思たらいかんぞ。 世の中って言うのは、こんなヤツとかあんなヤツとか、もっとどうしょうもないあんなヤツがいて、成り立ってるんや。そやから面白いんやぞ」 しんどいこともありますが、どの子も大事。 ご家庭にとってはどの子も宝なんやと思って、一人一人の子どもたちに向き合って行きたいと思います。
そのあと、学級懇談で担任の先生が笑いながら話されたこと。
こないだね、アユコ君と二人の時にね、 「クラスの35人がみんなアユコ君みたいな生徒やったら、先生は楽やろうなぁ」と話してたんですわ。 クラス全員が真面目な子ばっかりだったら、今の給料、半分でもええなぁと・・・。 でもね、僕もね、養って行かんならん家族がいます。それには半分の給料じゃ、ちょっときっついなぁと・・・。 そう思たら、毎日毎日生徒を叱るのも、僕の給料のうちです。 いわば子どもらは僕の「飯の種」なんですわ。 そう言うてるうちに、クラスの子達がダラダラやってきてね、 「おらおら、飯の種がきたぞ」とアユコ君と二人で笑ったんです。 さぁ、また頑張って叱るぞってね。
なんとなく、ほっとするいい話だなぁと思う。 学校は荒れているけれど、少なくともこの先生たちは荒れてない。 胸の奥に暖かいものをもったまま、子どもらの学校生活を見守ってくださっている。
「飯の種」 乱暴なことばだけれど、ちょっとあたたかくてお茶目なことば。 「これも仕事だから」という割り切った投げやりなことばとはちょっと違う。一見ぶっきらぼうに見えるK先生は、毎日毎日真正面から子どもたちと向き合って、駆けずり回ってくださっているとても熱心な先生だ。 自分のクラスの生徒たちを「飯の種」と笑う裏側には、一人一人の子を「しゃぁないヤツやなぁ」と温かく見守り、決して見放そうとしない優しさがある。
お話を聞いた保護者の中には、「この期に及んで、何を呑気なこと言ってるの」と物足りない思いを抱いた方もあったようだけれど、先生方がその暖かい眼差しを失ったらそれこそ解決の見込みなし。 こんな先生たちが頑張ってくださる限りはまだまだ大丈夫。 そんな気がした。
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