月の輪通信 日々の想い
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2006年11月13日(月) 手をつなごう

父さん、昨日から韓国出張。
四泊五日、帰宅は木曜日。
朝、子どもたちの目覚まし時計役を務めてくれる父さんがいないと、朝の準備や朝食がやけにあわただしい。
フライパンでお弁当のウインナーを炒めながら、「おおーい、おきろー!いそげー!」と雄叫びをあげる母。
参った。

今朝はことさら火の気が恋しい朝だった。
「コタツは、師走になってから」と厳しく片意地を張る私に、子どもたちのラブコールは頻繁になる。
「コタツがダメならストーブ出そうよ。そろそろ洗濯物も乾きにくくなってきたみたいだしさ。」
う〜ん、台所の大きなガスストーブ。
ホンワリ柔らかな暖かさと上に懸けたやかんの湯気の優しい潤い。
子どもたちが集まってきて、ホットミルクを沸かして・・・。
冬の台所の楽しみを思い出してほっとうれしくなる。
でも、まだまだ。
お楽しみは後に取っておかなくては。
あと少し、やせ我慢。

あわただしく子どもたちを送り出して、ふと点けたTVのワイドショーでの特集番組。
「もう一度手をつないで見ませんか。」
街頭で、結婚して年月を経た夫婦に「手をつないで歩きませんか」と提案して、テレながら手をつなぐ夫婦の姿を追う。
「恥ずかしいから、いや。」「何をいまさら」と照れて嫌がっていた夫婦が、一旦手をつないで見ると案外まんざらでもなくて、笑顔になっていくのが面白かった。
恋人同士や新婚の頃には何の気なしにつないでいた手。
そういえばつながなくなるなぁ。
出演者のひとりが、「手をつながなくなったのは、3人目の子どもが生まれて、夫婦のうちどちらかが両方の手を子どもに取られるようになってからかなぁ」と発言していたのが、「そうそう、そのとおり!」と納得がいって、可笑しい。
番組のなかで、どうやら独身らしい女子アナが「いいなぁ、繋げる手があるって、なんかいいなぁ」と漏らして、他の出演者に茶化されていた。
手をつないで二人で歩く。
そんなたわいもないことを、羨ましく眺める若い女子アナのため息はほほえましいけれど、そういう自分だってもう何年も父さんと手をつないで歩いたことはない。
それどころか、子どもたちが大きくなって一人で外を歩いても危なくなってからは、子どもたちとすら手をつなぐことは少なくなった。
手の中にすっぽり納まる小さな幼児の手、泥んこ遊びやクレヨンの匂いのする子どもの手、そしてがっちりと守られている気持ちになる父さんの手。
いつもすぐそこにあって、その気になればいつでも触れることのできる夫や子どもたちの手のぬくもりをもうずいぶん味わったことがないのに気がついた。
いつものように父さんが隣に座っていて、一緒にTVを見ていたら、きっとどちらからともなく「ちょっと手ぇ貸して」とその感触を確かめ合うんだろうなと思うと、父さんの数日の不在がちょっぴり寂しくなった。

夜、部活を終えて自転車を飛ばして帰ってきたオニイの頬はかすかに赤い。
これから寒くなると、行き帰りの自転車はきついだろうなぁ。
今朝オニイは初めて通学に手袋をしていった。
今年オニイのために少し早めに調達した手袋は、防水防寒特殊加工つきのちょっぴり高級品。
出がけに「かあさん、そろそろ手袋いるんだけど」といわれて、そら来た!とばかり渡したんだけど、意外とオニイの反応は薄くて、なぁんだとちょっとつまらない想いがしたのだけれど。

腹ペコで帰ってきたオニイに、夕飯の汁物を温めなおしていたら、オニイがお箸を取りにきて、ついでにちょこっとつぶやいていった。
「ああ、かあさん、あの手袋な、あったかいわ。」
そう、よかった。
手をつなぐぬくもりの代わりに手袋を渡した母の思いを、きっとオニイはわかってくれていたのだろう。


2006年11月11日(土) 音楽の力

木々の紅葉は今一つ進まないのに、朝夕は急に肌寒くなって、子どもたちから「そろそろコタツだそうよ」と声が上がるようになってきた。
我が家のコタツは毎年12月解禁。それまでは母もやせ我慢。(痩せてないけど・・・笑)
「まだまだ、もう一頑張り。それよりちゃんと靴下はいて上着を着なさいよ。」
寒い寒いと言いながら、半そでTシャツを着ていたり、靴下を脱ぎ散らかして素足でぺたぺた歩いていたりする子どもたち。
ただただ、「コタツみかん」や「ストーブ前でゴロゴロ」の楽しい時間が恋しいだけだったりして。

昨日は、ゲンのクラスの音楽の参観とアユコの学校の合唱コンクール。
そして今日は、アプコとゲンの授業参観。
大忙しの2日間だった。



ゲンの音楽は、私が和太鼓を教えていただいているT先生の専科の授業。
T先生の授業の楽しさには定評があって、参観に来る人の数もとても多かった。子どもたちが先生の元気なピアノに合わせてとても気持ちよさそうに大きな声で歌っていた。

中学の合唱コンクール。
最近校内が荒れていて、どうなることかと心配されていたけれど、実際にはそれほど大きな混乱も見られなかった。気になったのは、生徒席の後ろのほうで明らかに皆から離れてだらしなく座り、前の座席に足を上げたり携帯電話で遊んだりしている男子生徒の一団がいたことくらい。明らかに制服ではない崩れた服装で表情もすさんでいる。
合唱はどのクラスもきちんとまとまってなかなかの出来で、各クラスが最優秀賞、グランプリを目指して協力し合って頑張ってきたことが感じられた。
件の男子生徒たちはどうしているのかと見ていると、自分たちの出番近くになると知らぬ間にちゃんと制服に着替えており、クラスのほかの子どもたちに混じって舞台へと出て行った。
コンクールの審査には、服装、態度がきちんとしているかどうかと言う基準もあるので、さすがに乱れた私服では出させてもらえなかったのだろうが、それにしても遠目でみる分にはどの子もちゃんと口をあけて歌っている様子。グレた服装をしていてもちゃんとクラスの仲間の輪の中には入っているらしい。

小学校、アプコの参観。
算数と図工なんだけれど、授業を早めに切り上げて、運動会のとき雨でちゃんと見てもらえなかったチアダンスを再度披露する時間がとられた。
図工の後片付けの途中から、先生がBGMにダンスの曲を流し始めると、早く終わった子達がそれぞれに自分のポンポンを手に踊り始め、遅れた子達も早く踊りたくて大急ぎになった。
どの子もとても楽しそうで、みている保護者もニコニコ頬が緩んだ。


最近あちこちで、いじめや自殺のニュース。
アユコの通う中学でも、ゲンの小学校でも、いろいろと問題アリとの殺伐とした話が耳に飛び込んでくる。
身の回りの子どもたちの中にも、「なんとなくイライラしている」とか「急に反抗的になったりふさぎ込んだりする」とか、不安定な様子がみられるという声も聞く。
普段近所で見かける子どもたちの中にも、暗澹たる怒りややり場のない苛立ちの芽が育っているのかもしれないと言う不安が薄暗い闇となって漂っているような気がしていた。
けれども、昨日、今日と子どもたちが心から音楽を楽しむ姿を見て、なんだかとても救われる思いがした。
大きな声で歌うことで、友達と一つの曲を演奏することで、ワイワイ笑顔で踊ることで、もやもやした気持ちやイライラした気持ちを発散することができる。
そんな音楽の力を改めて感じた参観授業だった。


2006年11月08日(水) 落書き時代

小学校の学級園のサツマイモが収穫時期を迎えた。
学校で焼き芋大会をして、そのあとアプコがお土産用にもらってきたのはでっぷり太った大芋が一個とコロコロ小さなお芋が4つ。
「おかあさんとこどもたちみたい!」とアプコが笑う。
・・・・それってうちのこと?
悪かったわね、ぷん!

学校帰り、ごろごろお芋を後部座席に積んだまま、直接習字の稽古に向かう。
今月の競書の結果が返ってきていて、私もアユコも「かな」や「硬筆」の段級が少しずつあがった。一人、前回の段級のまま足踏み状態なのはアプコ。
「元気があって、いい字なんだけどねぇ。
2年生になると少しずつ丁寧さとかバランスのよさが評価されるようになるからね。」と先生の談。

一字一字、ゆっくり丁寧に書くアユコと違って、アプコの習字はささっと素早い。鼻歌なんかを歌いながら、気まぐれに筆を走らせ、絵を描くようにちゃちゃっと仕上げる。字の大きさも揃わないし、半紙の枠組みからはみ出しても気にしない。
よく言えば「のびのび」、悪く言えば「奔放」。
子どもの字としては見て楽し良い字だと思うが、素のまんまで丁寧さは感じられない。
そのためか、最近競書の成績は少々伸び悩み気味だ。
先生はそのことを気にして、「ゆっくりね、ていねいにね。」と口をすっぱくして指導してくださるが、気まぐれなアプコはいっこうに気にする気配がない。ちっとも級が上がらなくて、同じ頃に習い始めた同級の子がどんどん昇級していっても「あ、そう」と言うだけで羨むわけでもない。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、バンバン書きなぐる。書いてる最中のアプコはとても楽しそうだ。

今日の自由課題は「空」
半紙の真ん中に大きく一文字。
楷書、行書、草書、隷書、篆書。
さまざまな書体のお手本の中から、自分の好きな文字を選んで書く。
アプコのお気に入りは篆書。
絵文字のようなユーモラスな線が楽しいらしい。
珍しく唇を結んで真剣な顔で書いていたアプコが、にっと笑って筆をおいた。
「あのね、これに落書きしていい?」
あんまりうれしそうな顔でいうので、「いいよ、何を書くの?」と先生からお許しが出た。
アプコ、名前書き用の小筆に墨を含ませ、「空」の字の穴かんむりと工の字のあいだにマッチ棒のような人形を一つ。穴かんむりの「儿」の下にタラリと2本の曲線。
「それなぁに?」と聞くと、
「あのね、これ(「工」の部分)が舞台でね、上(穴かんむり)から幕が下がっててね、女の子が歌を歌ってるの!」

はぁ、なるほど。
アプコには篆書の「空」の字がそんな風に見えるんだな。
もしかしたら、お絵かき好きのアプコには他の字もみんな、絵のように見えているのかもしれない。
柔らかな筆の感触を楽しみながら鼻歌交じりに字を書くアプコは、落書き帳にいたずら書きをするような気持ちで習字をしているのかもしれない。

その日の課題を全部書き終えると、いつもアプコは「好きなもの、かいていい?」と余分の半紙をもらって、落書きをする。動物や花の絵をかいたり、好きなお菓子の名前や思いついたことばを書き散らしたり。
絵手紙のような「作品」をさらりと書いて、「お父さんにみせる!」と大事に持って帰ったりする。
アプコにとってお習字は、まだまだ楽しいいたずら描きの延長線上にあるのだろう。
それはそれ。
まだまだたっぷりとお絵かきを楽しむ時間も必要なのだろう。

帰りにスーパーで買い物。
立ち寄った文房具売り場でアプコは面白い色鉛筆を見つけた。
赤黄緑青といろんな色がマーブル状になった芯の入った色鉛筆。
「うわぁ、これって、どんな風に描けるんだろう。」
はじめて見るマーブル色鉛筆にアプコは一目ぼれ。
「行くよ」と促されて一旦食料品売り場に下りたものの、やっぱりさっきの色鉛筆が欲しくて欲しくて、もう一度売り場に戻って、ねだり倒した。
「虹色鉛筆で虹を描いたら、どんな色になるんだろう」
帰りの車中でワクワクドキドキ色鉛筆を握り締めているアプコ。
まだまだ「落書き時代」でいい。
そんな気もする。


2006年11月06日(月) ハッピーアイスクリーム

朝、子どもたちを送り出してから、居間の机で土仕事。
今年も干支の内職仕事が回ってきた。
手の平大の石膏型にギュウギュウ粘土を詰めて、香合(小さな蓋物)の型を抜く。これを少し乾燥させてから父さんが仕上げをかけて焼き上げるのだ。
型抜きは従業員のHくんの仕事だが、年末仕事が立て込んでくると父さんのお持ち帰りの仕事となり、やがて臨時要員である私の内職になる。毎年の恒例。

来年の干支はイノシシ。
父さんはかわいいうり坊のデザインの香合を作った。
ぶひっと上を向いた鼻がキュートだけれど、型抜きの時にはその鼻の部分にきっちり粘土を詰めるのが難しい。で、鼻先が少しでも欠けてるとなんとなく豚っぽく見えてしまうから厄介だ。
う〜ん、久々の型抜き。
勘を取り戻すには少し時間がかかりそうだ。

夕方、台所仕事をしていたら、早く帰っていたアユコがちょろちょろ傍へやってきて、○○がこんな面白いことを言ったとか、○○の授業がうるさくてぜんぜん判らなかったとか、ぴーちくぱーちくお喋りがとまらない。
今週末、アユコの学校では合唱コンクールが行われる。全校生が参加するクラス対抗の合唱祭。学業はともかく体育祭や宿泊学習などイベントのときの団結力は学校随一と言われるアユコのクラスでは、2年生ながらも全校優勝を目標にしてガンガン盛り上がっているらしい。
毎日のように学校に残って練習や準備にのめりこむアユコは、学校での高揚した気分をそのまま家に持ち帰ってくるので、家の中では場違いなハイテンションを自分でもコントロールしかねて、ついつい饒舌になるのだろう。
なんでもないことにコロコロ笑い出して、「きゃあ、アタシっておかしい。笑いがとまらなぁい!」と、騒ぐアユコ。
「箸がこけても・・・」のお年頃だ。

近頃、アユコと一緒にいて、あれっと思うことが多くなった。
たとえば、煮あがったばかりの煮物を鉢に移そうとお鍋を持ち上げたとき、すっとアユコが鍋敷きを置いてくれたりとか、テレビのチャンネルをかえようと立ち上がったらすぐ横にいたアユコがリモコンでパシッとかえてくれたりとか、そういう些細なこと。
「よく気が利く」とか、そういうんじゃなくて、たまたま私が思っていることとアユコの思っていることが一致していて、偶然行為が重なったと言う感じ。
多分、もともとわたしとアユコは物事の段取りとか思考の成り行きがよく似通っているのだろう。長年親子をやっていれば、その行動形式や思考が似てくるのは当たり前のことだけど、最近になってそのことを自覚できる瞬間が急に増えてきて、「あ、また、かぶっちゃった。」と偶然の一致を数えては可笑しくなる。

たとえば、冷蔵庫に中途半端に一個だけ残ったチョコレート。
「え〜い、内緒で食べちゃえ」と思ったら、いつの間にかアユコが横にいて、「あ、いいな。」と言う。
片足だけ裏返しで洗濯機にかかって来たオニイのジーンズ、表返しにするのが面倒だなと思った瞬間、「両方裏返しにして干しちゃえ!」とすかさずアユコがささやく。
そういう些細な一致が、不思議で楽しい。

昔、「ハッピーアイスクリーム」というたわいもない遊びが流行ったことがある。
二人の人が偶然同じタイミングで同じことばを言ったら、すかさず「ハッピーアイスクリーム!」という。先に言ったほうが勝ちで、負けた人は勝った人にアイスクリームを奢らなければならない。
実際にそれでアイスクリームを奢ったとかご馳走してもらったと言う記憶はないけれど、仲良しの友達と「ハッピーアイスクリーム!」と言い合ってケラケラ笑った楽しい思い出は鮮明に残っている。
あれはちょうどわたしがアユコくらいの年齢の頃だったのではないだろうか。

近頃のアユコとの偶然の一致は、さしづめ「ハッピーアイスクリーム」の行動版。何が面白いではないけれど、たまたま何気なく思ったことやしたことが、誰かのそれとぴったり一致すると言うことの可笑しさは、ちょっと幸せでなかなかいいものだ。
アユコにこの遊びのことを話したら、しばらく家の中で「ハッピーアイスクリーム」の遊びが流行った。
「外は寒くなっってきたけれど、あったかい部屋で食べるアイスもいいなぁ。」とアユコが言う。
アユコが一番好きなのは、カップに入ったプレーンなバニラアイス。
アイスの好みも母と娘できっちり一致している。
まさに、ハッピーアイスクリーム。


2006年11月04日(土) 記念日

秋の3連休2日目。
オニイは早朝から剣道の試合。まだ暗いうちに車で駅へ送っていく。
「んじゃ、行ってくるわ、ありがと」と短く言って、後ろ手にひょいと手を上げるのは、父さんと同じ仕草。
いってらっしゃい。
爽やかに、負けてこい。

残りの3人を連れて、市の文化祭を見に行って、お昼ごはん食べて、その後父さんは立て続けに個展の打ち合わせや会合でおでかけ。
庭掃除をしたり、片付け物をしたり、冷凍庫の大整理したりしていたらもう夕方。
2件の駅への迎えが重なって、右往左往していたらあっという間に夜になってしまった。
あわただしく過ぎていった今日の一日。
ふと気がつくと今日は11月4日。
父さんと私の結婚記念日だった。

もう何年になるんだろう、父さんと一緒にすごすようになって。
結婚の翌年に生まれたオニイがもうすぐ16歳になるのだから、17年目?
「卒業してから○年」とか「仕事に就いてから○年」とか、自分に起きた事柄ではなく子どもたちの年齢や成長から、自分の歴史を数えるようになって久しい。
「父さんと出会ってから○年」という数え方を、もう一度思い出してみようかと思ったりする。

結婚式の朝は、今日みたいに爽やかな秋晴れだった。
家を出る時に、父が「帰ってきてもいいぞ」と言ったのを思い出す。
「嫁に出したからと言って、それで子育てが終わりになるわけじゃなし。」
親として、まだまだ娘の行く末の心配の種は尽きたわけではないと、言いたかったんだろうか。
あれから17年。
子どもたちが生まれ、大きくなって、私も家庭や地域でいろんな仕事や役割を果たすようになって、この場所にどっかと根っこをおろした。
もし私が「帰りたい」と言っても、父は「いいんだぞ」とは言わないだろう。
もう、私の場所はここなんだろうなぁ。
逃げ出す場所は、他にはないんだろう。

夕方、父さんとオニイを駅まで迎えに出て、薄暗闇を歩いてくる二人の姿が遠めには「父と子」には見えなかった。
学生服のオニイはぐいっと背が伸びてちょうど父さんとおんなじくらい。親子と言うより「二人の男の人」が歩いてくるなぁっていう感じで。
「かあさん、ハラヘッタァ。晩御飯なに?」
母を頭上から見下ろしてしゃべるようになったオニイの笑顔が、17年のごほうびということで。
今日も淡々と一日が過ぎた。


2006年10月28日(土) グラタン大盛り

曇り空。
ついこの間「もう秋なのに暑いね」とぼやいていたのに、今日はストーブが恋しい日だった。
ちょっと寒くなると、急に冷蔵庫のお茶の消費量が減り、常に2本づつ常備の牛乳の減りが遅くなる。
昨日生協荷受けでまた2本届いたから、冷蔵庫は牛乳でいっぱい。
「ではそろそろ」と久々に今日の夕飯はグラタンに決定。

大鍋いっぱいのホワイトクリーム。
玉ねぎ、お芋、マカロニ、チキンに海老。
牛乳も一本半消費した。
焦げないように力を込めてかき混ぜていたら、木杓子もつ手がピクピクと攣りそうになった。
まるで給食のおばさんみたい。

8つのグラタン皿と2つの大き目の耐熱皿に分け入れて、ピザ用チーズをトッピング。あらら、これもかるく一袋使い切った。
これをオーブンレンジとオーブントースターと魚焼きグリルで焼き目をつける。
みんな一緒に熱々を食べようと思うと、使える熱源は総動員。
食卓の準備も整い、総員集合が整ったところで恭しく「あっちっち」を一つずつ運ぶ。
「お、グラタンかぁ。」と、子どもたちの頬が緩む。

「かあさん、このお皿、小さくなったなぁ。」
自分のお皿の分を食べ終わって、お代わり用の大皿に手を伸ばしたオニイが言った。長年使い込んだ耐熱の大き目のグラタン皿。子どもたちが小さい頃にはしょっちゅう食卓に上っていた。
まさか陶器のお皿が小さくなるはずはないんだけれど、がっしりと大人の男の手に成長したオニイがもつと、確かに一回り小さく見えるようになった。
大鍋いっぱいのグラタンを一晩でぺろりと平らげるようになった子どもたち。
食欲旺盛はうれしい成長の証。


2006年10月26日(木) ダジャレンジャー

玄関先のつわぶきが咲いた。
いつも通る場所なのに、黄色い花弁がこぼれるように開くまで気がつかなくて、毎年毎年はっとする。
もう、冬がくるんだなぁ。

仕事を早めに置いて帰ってきた父さん。
今日はなんだかお疲れの様子。子どもたちのおやつタイムに加わって一休み。
このあいだネットオークションで買った懐かしのサンダーバードのプラモデルをぼんやり眺めながら、ゲンやアプコのにぎやかなおしゃべりを聞いていた。
こんなとき、子どもたちも何かを感じるのか、アプコはすりすりと父さんの背中に擦り寄っていき、ゲンはことさら愉快な話題を探して父さんの気を引こうとする。

「ねぇ。お父さん、知ってる?
サンダーバードを日本で始めて訳した人はね、女性の地位向上にもとても貢献した人なんだよ。」
へぇ、そうなんだ。
ゲンは、ずいぶん物知りになったんだなぁ。話題もなんとなくアカデミックになってきた。
と感心していたら、ゲン、悪戯っぽくへらへら笑っている。
「あのさ、あのさ、その人の名前はね、平塚雷鳥!」
あ、そうか!
雷鳥ね。
うまい!座布団一枚!

ゲンのダジャレが最近冴えている。
「数打ちゃ、当たる」のオヤジギャグから、ちょっとひねった自信作まで、次から次から披露しては、周囲の反応を楽しんでいる。ニタニタ笑いを必死で隠しながらしゃべりに来るので、「あ、来たな」とすぐにわかる。
食事の最中や剣道に向かう車の中、帰宅後の第一声。
ゲンのダジャレは神出鬼没。
いつもいつもゲンの頭の中にはダジャレのネタが渦巻いているということがよくわかる。面白いやつだなぁと思う。

それにしても今日のサンダーバードは秀逸。
当意即妙のタイミングもさることながら、よく平塚雷鳥の名前が思い浮かんだなぁ。たぶん、学校の社会科の授業で習ったのだろうけれど、そのことを彼なりの方法で自分の知識として消化吸収しているのだろう。
こういう独特の方法で情報の出し入れができるのがゲンの面白いところだと思う。

ダジャレの話題、もう一つ。
「あのな、今日、T先生に修学旅行のときの野球拳の話をしてん。
それでな、そのあと、『今日はうちの晩御飯、お鍋やねん』って話をしたら、T先生がな、『すっぽん鍋?』って言わはってん。」
スッポンポンのすっぽん鍋ですか。
翌日、ゲンの連絡帳に
「夕飯は予告どおりお鍋でしたが、スッポンは入ってませんでした」
と書いたら
「修学旅行で出し尽くしたんですね」
とお返事が返ってきた。
こういうユーモアあふれる素敵な先生にも、我が家のダジャレンジャーのセンスは磨かれている。


2006年10月23日(月) 疑惑

久々に雨。
秋の雨もいいなぁ。
気温もぐっと下がって、そろそろ紅葉が進む。
昨日、アプコとたくさんどんぐりを拾った。一番大きなどんぐりの取れる秘密のクヌギの木は今年はどんぐりお休みの年らしい。けれども代わりに工房の近くでクヌギに似た小ぶりのかわいい実をつける木を見つけた。
何をするでもないのに、アプコはまたポケットいっぱいにどんぐりを詰め込む。
冬支度をするリスのようだ。

スーパーで買い物中、ゲンの友達○くんの母に会った。
○君母は「ゲンちゃん、この間大変だったそうね」と話しかけてきた。
「何の事?」と聞いたら、いいにくそうに「ゲンちゃん、友達にパンツを下ろされかけてたって・・・」という。
いじめか?
実はゲンは今の担任の先生に変わる前、それに近い経験をしているし、○君もどちらかというと「いじめられっこ」の範疇にいる子どもだ。さてはまた再燃かと思ったけれど、考えてみればこのところのゲンは絶好調。毎日ニコニコして元気だし、ちょっとハイテンション過ぎてうるさいくらい。
オニイと違って、いやなことがあればすぐに顔に出る子だから、何かあったらすぐわかるはずだがなぁといぶかしく思いつつゲンの帰りを待った。

案の定、「へ?何のこと?」ときょとんとするゲン。
全然思い当たるふしがないらしい。
「う〜ん、なんかふざけっこしたりぐらいはあったかもしれないけど、べつにいやな思いをしたってこともないし、あったとしても忘れてるぐらいだから平気だったってことじゃないの?」
という他人事のようなお答え。
「それならいいんだけどね。」
といいつつ、しつこくゲンを問いただす。
「なんで、○くんはそんなこといったんだろうね。周りから見て、そんな風に見えるかもしれないなぁと思えるようなことはなかった?」
「ウン、ないと思うけど」

「じゃぁ、君じゃなくて、○君がいやな事されたりとか、そういうことってなかった?」
友達に起こった事のようにして、自分の窮状を母親に訴えることだってあるかもしれないと、さらに問いただす。
「う〜ん、僕にはよくわかんないけど、ないと思うよ。」
考えすぎか。
でもそういう話題が出るということは、多分どこかで「誰かが誰かのパンツをずらそうとする」という事象が起きていたということは間違いないのじゃないかしら。
さらにしつこく問いただす。

「あ、そうだ」
ゲンがさも今思いついたかのように、恥ずかしそうに告白する。
「実はな、修学旅行の夜な、すっごい盛り上がっちゃってな、調子に乗ってな、野球拳やってな、・・・・最後までいっちゃった。」
さ、最後までですかぁ?
何をやっとるんだ、馬鹿者!

はぁ、調子に乗っておバカやるのもいい加減にしなさいよ。
でも、多分○君が訴えたのは、そのことじゃないと思うよ。そんなくだらない馬鹿騒ぎのこと、だれが心配するもんですか。
あ〜ほらし。
○君母の話を発端に、内緒の馬鹿話を告白する羽目になったゲン。照れくさそうに笑ってる。
そんなくだらないことで盛り上がってるくらいなら、たぶんゲンは大丈夫なんだろう。
その馬鹿馬鹿しさがおかしくて、「いじめ疑惑」追及はそこで立ち消え。
あとからあとから、思い出し笑いが沸いてきて困った。

あとで
「本当にそんなことがあったら、すぐに母さんか先生に教えてよ。
君じゃなくて他の子(特に○君)のことでもね。」
と念を押しておいた。
あったら困る事だけど、知らなかったらもっとこまることだしね。


2006年10月20日(金) 修学旅行

ゲン、本日修学旅行から帰宅。
広島倉敷1泊2日。


旅行前
・「絶対絶対、これって決めてたんだ」と2日で400円分のおやつは40本のうまい棒にした。パフパフで軽いけどかさが高いので、旅行用のリュックに入りきらなくて困った。
おバカ・・・。

・着替え、水筒、おやつ、お弁当、雨具・・・・先生に言われたとおり自分で荷造りをしてチェックした。「おかあさん、これ、どうしよう?」と聞きにきたのが「生理用品」
多分あなたには必要ありません。

・お小遣い3000円。
「こんなに使わないから2000円でいいよ。」
まあまあ遠慮しないで3000円持っていきな。きっと使いたくなるからさ。残りは回収するから、気合入れて使っておいで。・・・といわなければ本当に使わずに帰ってきそうなけちんぼのゲン。

・「僕が行ってる間、晩御飯何食べるの?」と訊くゲン。○○と○○と○○は食べないでねと大好物メニューをいっぱい挙げていった。
ぜ〜んぶ食べてやろ・・・。


旅行後

・ゲン、着替えのパンツを忘れていってたんだって。
で、履いていったおんなじパンツ、履いて帰ってきたんだって。

・買い物用の小さいリュックに入れなければならない財布を着替えの大きいリュックに入れたままにしていて、ショッピングタイムのとき先生に迷惑かけたんだって。

・遊園地のお化け屋敷で、ビビッて途中の非常ドアから外へ出ちゃって、残りの半分が見られなくて損しちゃったんだって。
もう一回おんなじドアから入りなおせばいいのにって言ったら、「あ、そうか」だって。

・うまい棒40本はやっぱり食べ切れなくて、みんなに配って歩いたんだって。 やっぱりね。

・お土産の買い物。3000円も使うの初めてだったんでドキドキ興奮したんだって。
ありがとう。きびだんごは美味しかったよ。



帰宅第一声、「たのしかったぁ。おかあさん、修学旅行、行かせてくれてありがとうな。」
修学旅行なんて学校行事だから、行って当然と思っててもいいものなのに、「ありがとう」といえるゲンは賢いなぁ。ちょっと感動した。

修学旅行のとき、事前におうちの人がわが子に手紙を書いて先生に託し、宿舎での夜の集いのときにそれぞれの子どもに渡す習慣がある。結構感動のお手紙タイムで、泣いちゃう子達もいるのだそうだ。
私もゲンに手紙を書いた。
ゲンが生まれてきたときのうれしい気持ち。
元気に成長してくれることを喜ぶ気持ち。
便箋を何枚も反故にして、一生懸命手紙を書いた。

「ゲン、泣いた?」と聞いたら「ちびっとな」と答えた。
「そうだろうそうだろう、ゲンを泣かしてやろうと思って感動の名文を苦労して書いたからな、まんまとはまったか」と照れ隠しで茶化しておいた。
でも、ホントの気持ちだよ。


2006年10月19日(木) 嘘つき1

毎日なぁんにも考えていないかのように遊びほうけているアプコにも、近頃ちょっとした悩みがある。
算数の計算。
2年生のアプコの算数は、2桁のくりあがり、くり下がりの足し算。
わら半紙に鉛筆を舐めなめ筆算の式を書いてやる、あれである。
担任のM先生は、子どもたちに毎日のように50問の足し算引き算のプリントを課して、間違いの多かった子には新たに同じプリントを宿題としてお渡しになる。
算数の苦手なアプコはここのところ、このおまけプリントの常連さん。
「おかあさん、ご免。またもらってきちゃった」とうんざりした顔でランドセルを開ける。くしゃくしゃのわら半紙プリントには、「○○さん」と先生の赤ペンで書かれたアプコの名前の横に8とか9とか数字が書かれていて、どうやらそれが、アプコの間違えた問題の数らしい。

目の前でやらせてみると、決してやり方がわかっていないわけじゃない。ゆっくり時間をかけてやれば、たまに間違いもするものの、手順そのものはきちんと理解しているらしいことが見て取れる。
「いつも学校でやるときは、急いでパーッとやっちゃうの。でないと全部は書けないし、遊びにいけないから。」
悪びれずにこたえるアプコ。
「早くやっても間違いだらけでやり直しになってたらしょうがないでしょ?」というのだが、どうもピンとこない様子。ためしに
「20問の問題があるとするでしょ。大急ぎでやって全部答えを書いて10個間違えるのと、ゆっくり丁寧にやって15問しかかけなかったけれど全部正解なのとどっちがいいと思う?」と聞いてみたら
迷わず「全部書けるほう!」と答えが返ってきた。
うわ、この大雑把な性格は誰に似たのだろう。(・・・私です。ごめんなさい。)

昨日晩御飯のとき、アプコはまだ宿題が一つもできていないのにTVを見ていて、アユコやオニイにコンコンと叱られていた。お風呂のあと、ずいぶん遅くまで子ども部屋でガサガサしている音が聞こえていたので、きっとアプコが算数プリントをやっつけているのだろうと思っていた。
今朝、いつものように子どもたちを起こすと、アプコだけが朝食に時間になってもなかなか下りてこない。
「アプコ、起きてた?」と他の子たちに聞くと「宿題やってんじゃない?」という返事。さては、昨晩やらずに途中で寝てしまったな。
ま、平気でやらずにいくよりいいか。
ずいぶん遅くなっておりてきたアプコに宿題できたの?」と聞くと、「うん、いまできたとこ」と明るいお返事。
「昨日のうちにやっとかなきゃダメよ。早くご飯食べなさい。」
といい、アプコがご飯を食べている間にちょっと検算。

・・・おかしい。
全部あってる。
途中の筆算の繰り下がりの数字までちゃんと書いてはあるけれど、時間ぎりぎりにアプコが急いでやったプリントが全問正解のはずがない。
「アプコ、これ、ホントに一人でやったの?だれかに見直ししてもらった?」
「・・・」
「全部正解で偉いけど、なんかズルした?」
「・・・」
アプコのニコニコ顔がみるみる歪む。
「もしかして、前のプリント、写した?」
「・・・」
「全部?」
「・・・」
コックリコックリうなずくアプコ、目玉焼きを前にみるみる小さくなった。

算数の計算が苦手なのはいい。
毎日やり直しプリントをもらってくるのも許せる。
その日のうちに宿題ができなくて、登校前に慌ててやるのも百歩譲っていいことにしよう。
でも、こんな人を騙すズルはいや。
答えを写してズルをして、「宿題できたよ」と涼しい顔してる。
それは先生やお母さんを騙す嘘つきだよ。
アプコのことを大事に思ってる人に対する裏切りだ。
ああ、がっかりした。
お母さんはアプコのことが嫌いになりそうだ。

ちょっと芝居がかった声をだして、わぁわぁ泣き出したアプコにお説教。
そばでみていた父さんやアユコも一緒になってアプコの嘘を糾弾する振りをしてくれて、八方塞りのアプコはただ泣くことしかできない。
登校時間が迫ってきたので、号泣するアプコをランドセルとともに玄関の外に抱え出し、「いってらっしゃい、バイバイね」と締め出してしまう。
外で遅刻を気にして足踏みをして待っていたゲンに「ごめんよ、お願いね」の目配せを送る。
「参ったなぁ、勘弁してよ」とうんざりした表情で大泣きのアプコを連れて歩き出すゲン。
結局、アプコのズルのとばっちりはゲンが一身にひきうける羽目になった。

子どもたちが出て行ってしばらくして、玄関のピンポンが鳴った。
さては帰ってきてしまったかと一瞬思ったけれど、チャイムの主は愛犬の散歩中のKちゃん母だった。
「どうしたぁ?アプコちゃん、わんわん泣いていったぞ。
ゲンにぃとけんかでもしたかぁ?」
アプコの様子に心配してわざわざ散歩中に立ち寄ってくれたらしい。 

聞けば、ゲンが先に立ってものすごい勢いで駆け下りてきて、その後ろをアプコがわぁわあ泣きながら追いかけて行ったらしい。
近所の人や通りすがりの人が「どうしたの?」と聞いても、ゲンは「いろいろあるねん!」と不機嫌そうに答えるばかりだったそうだ。
号泣するアプコを連れていると、あたかもお兄ちゃんが妹を泣かしたような目で見られるし、いちいちかまって機嫌を取っていたらアプコは立ち止まって歩かなくなる。
後ろでアプコの泣き声を確認しながら、アプコがついてこれる程度の速度で坂道を駆け下りていくのが、ゲンの最大限の知恵だったのだろう。
悪かったなぁ、ゲン。
「ま、登校班に追いついてからは、女の子たちが慰めたり構ったりしたから、大丈夫とは思うけどね。」
事情を聞いたKちゃん母は、笑って帰っていった。


長くなりましたので、10月18日分日記に続きます。


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