月の輪通信 日々の想い
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2006年10月18日(水) 嘘つき2

10月19日分の続きです。

Kちゃん母から聞いたアプコとゲンの様子を父さんに話して「ゲン、参っただろうね。」と二人で笑う。
「宿題をズルするなんて誰でも一度は通る道だけどね。アタシも思い当たる節あるわ、小学生の頃。」
やはり苦手の計算ドリル。毎日1ページの宿題を溜め込んで、涙なみだで答えを書き写した苦い記憶がよみがえる。今から考えると、小学生の浅知恵。先生や親にばれなかった筈はないのだけれど、激しく叱られた記憶も残っていないので、よほどうまくやったか、あっさり忘れて反省の機会とはならなかったということだろうか。

「父さんは?アプコみたいなズル、やったことある?小さいとき・・・」
と聞いてみたけれど、父さんはそういうズルはやったことがないように思うという。
ふ〜ん、そうだろうなぁ。アタシと違って、この人はまっすぐ真面目ないい人だもんなぁ。
「一度だけ、テストの時に隣の答案が見えちゃって、カンニングしそうになったことがあったけど、あれもおんなじかなぁ?」
「で、その見えちゃった答えを、答案に書いたの?」
「いやぁ、忘れちゃった。
書いたかもしれないし書かなかったかも・・・。」
多分幼い日の父さんは、隣の子の解答を自分の答案に書き写すことはしなかったのだろう。もし、ズルをしていたのなら、きっとその記憶が薄れて「どうだったかなぁ」と思うことはないだろう。
父さんはそういう人だ。
「でも、小さい頃にはだれでも一度や二度は経験することだろうと思うよ。アプコは、よほど計算プリントに追い詰められてたんだね。」
わんわん泣きながらゲンのあとを追っていったアプコの小さい足音がいとおしくなった。


午後、いつものように迎えに行くと、ニコニコ笑って駆け寄ってくるいつものアプコに戻っていた。
「あのね、今日はやり直しプリント、もらわなかったよ。
間違い、二つしかなかったの!」
計算プリント、一発合格は久しぶり。
満点ではないけれど、落ち着いてやればちゃんとできるんじゃん。
「で、朝のプリント、どうしたの?やり直し、した?」
「・・・」
アプコ、舌を出して笑ってる。
「あ〜っ、ズルのまんま、出しちゃったの?」
ウン!っと笑うアプコ。
ちっとも反省してないじゃん。
ま、いいか。


2006年10月17日(火) 寝坊の理由

オニイ、中間試験期間に入り、今日はお弁当もお休み。
いつもより少しゆっくり目に朝のPCを楽しみ、7時になったので子どもたちを起こす。
「お〜い、7時だぞぉー。起きろー。」
と階段の下から声をかけ、上から順番に子どもたちの名前を呼んで、寝ぼけ声の返事が帰ってくるのをひとりずつ確認した。

お揚げと玉ねぎのお味噌汁を作って、アプコの好きなねぎ入りの玉子焼きもお皿に盛って、学校へ持ってく水筒の準備をして時計を見たら20分。
ありゃりゃ?おかしいぞ。
誰も降りてこないぞ?
いつもなら一番早起きのゲンが「おはよー」と絡み付いてきたり、寝癖頭のオニイが朝ごはんのおかずを偵察にきたりする時間だというのに、二階の子ども部屋は妙に静まり返っている。
さては2度寝だな。
「お〜い、20分だよぉ。だいじょ〜ぶ〜?」
ともう一度声をかけたら、ドドッっと誰かが跳ね起きる気配がした。

「かあさん、あのな、7時に起きてな、
ご飯喰って新聞読んで歯ぁ磨いて、
靴はいて、自転車にのって出かけたと思ったら、夢やったわ。」
と頭をかきながらやってくるオニイ。
残念やったね。

「目覚まし時計が止まってたよぉ!」
とグチグチいいながら、靴下を履いてるアユコ。
電池切れかな?
ご愁傷様。

「みんなが起きないから、ボーっとしてたら遅くなっちゃった。」
と、憮然としてるゲン。
人に頼らない。
自分で時計を見て起きろ。

最後に悠然と降りてきて、すっかり用意の整った朝食の席に着くアプコ。
「早く起きなきゃ、だめじゃないの。」
といったら、
「起きてたよ。寒いからお布団の中にいただけよ。」
・・・それは、寝てるのと一緒。
さっさと起きなさい!

ちゃんと成長してるのかなぁ、この子どもたち。


2006年10月09日(月) 武士の風格

男の子たち、朝から剣道の市内大会。
昨日、部活の先輩たちと昇段試験に出かけていったオニイ。
実技合格、形不合格の「めでたいような、めでたくないような」微妙な結果。気を取り直して、古巣の道場の剣道大会の試合に臨む。

ゲン、小学生高学年の部、2回戦で負け。
最近不調を自覚しているゲン、悔しそう。

オニイ、高校一般2段以下の部に参戦。
まさかの2勝。思いがけず3位に入賞。
先日来の「剣道漬け」の特訓が功を奏したのだろうか。
久々に見るオニイの剣道。
たった半年見ていなかっただけなのに、切り込むスピードは速くなり、鍔迫り合いになっても力負けしない粘り強さが見られるようになり、そして何よりも気合を入れる掛け声が獣のような太い唸り声に変わっていた。
中学時代には、体も小さく、なかなか勝てなかっただけに、見ている親も感慨無量。
一勝目をあげたあと、下がってきたオニイが親指を立てて、小さなガッツポーズを作って見せた。
ホントは勝ってガッツポーズは、剣道では反則なのだけれど。

今日の試合には、オニイが小さい頃にお世話になっていた老剣士K先生が見に来ていらっしゃっていた。
小学1年のオニイに、竹刀の持ち方から礼の作法まで入門の手ほどきをしてくださったK先生。今はご高齢で道場の稽古でお見かけすることはなくなってしまったけれど、オニイはこのK先生を尊敬していて、今日もいろいろとアドバイスを頂いて感激していた。
K先生もまた、オニイが高校に入っても剣道を続けていることを聞いて、とても喜んでくださっていたようだ。
「とにかく続けることだ。途中でやめたらあかんぞ。続けていれば、必ず実る。」
K先生は古武士のようないかつい手で、オニイやゲンの肩をワシワシと叩いて、励ましてくださった。


6年生のゲンは、このごろ同じ道場の後輩たちの剣道や練習態度などに対する愚痴や不満をよく漏らすようになってきた。
「○○は普段の練習には来ないのに、試合の時だけ来るのはずるい」とか「××はわざと防具のないところに打ち込んでくる」とか・・・。
近頃、道場には低学年の初心者が増え、ゲンたちのすぐ下の世代の子たちの上達が目覚しい。先輩としてにらみを利かせる役目が回ってきたゲンたちには、居心地の悪いこともあるのだろう。
それも自分の成績不振への焦りの裏返しでもあるのかもしれない。

毎回、ゲンのグチを聞いていると、親もついつい、
「いくら強くったって、ちゃんと地道な練習や先輩後輩への気配りを軽んじてちゃダメよね。」とか
「やっぱりサボりがちの子は、太刀筋が荒れてくるわね。」
とか、慰めモードに入ったりしてしまうのだけれど、でもそれはそれ。
本当に強くなるためには、どこかなりふり構わず自分の道を守る部分も必要なのかも知れない。
小学生のゲンには、まだその辺の割りきりがなかなか難しい。

少し前のオニイなら、同じような立場に立ったとき、母が「おー、よしよし、アンタの言うとおり。しょうがない子達だねぇ」なんて一緒に愚痴ってやると素直に慰められていたものだった。
でも、今日、同じことをゲンに言ったら、横で聞いていたオニイがびしっと言った。
「あいつらはあいつら。
そういうスタイルなんだから。
グチグチ言っても自分が強くなるわけじゃないよ。」
母、びしっと叱られてしまった。

うわっ、かっこいい。
武士の風格、あると思わない?
周りに惑わされて、羨んだり愚痴ばかりいっていても仕方がない。
要は、自分自身がどれだけ厳しく鍛錬していくかということ。
オニイはそのことを、厳しい部活動の稽古のうちに学びつつあるのだろう。
慰めるだけの母親が教えることのできなかったことを、ちゃんと学ばせてくださる環境をとてもありがたいと感じた。


2006年10月07日(土) 夜道

オニイの剣道の昇段試験が近い。
6月の審査会では、オニイは初段不合格だった。一緒に受けにいったほかの部員も屈辱の全滅で、大いに奮起した監督先生は、今回審査会に向けて特別猛特訓メニューを用意してくださったらしい。
よって、このところオニイの帰りが遅い。
放課後の練習を終え、片付けや着替えを済ませて、自転車で40分。
帰宅時間は、8時過ぎ。
家族の夕食はすでに終わっていて、「お一人様」で食事を済ませてバタンキュー。
いったい予習復習はいつやるのという突っ込みは、この際無し。
運動音痴ぞろいの我が家の家族に、こんな体育会系のハードな毎日が訪れたこと自体が驚きで、「また、遅いの?」と心配しつつ、面白がって何度もオニイに問う。
「たぶんね。」と、クールに答えるオニイ。
その声もずいぶん野太くなった。

「かあさん、明日はすっごく帰りが遅くなると思う。
もしかしたら、日付が変わってからになるかも・・・。」
と昨晩オニイが言った。
えーっ、夜遊び?と思ったのだけれど、学校での稽古のあと、自転車で隣市のほかの道場の稽古に出てくるだという。9時過ぎに稽古が終わって、先輩たちと晩御飯食べて、自転車でほぼ2時間。なるほど、計算はあってる。
折りしも外は雨。学校のカバンのほかに重い防具袋、竹刀袋に傘。
おまけに深夜のサイクリング。
「大丈夫?やめたほうがいいんじゃない?」
と言いたい気持ちをぐっと抑え、荷物の雨よけ用のナイロン袋と夕飯代を渡して送り出した。

宣言どおり、オニイの帰宅は12時過ぎ。
玄関に入るなり、防具袋をズダンと投げ出して、座り込む。
「さすがにきつかったわ。」
と言葉少な。口を利くのも億劫なくたびれよう。
とりあえず、さっさとお風呂に入って寝な。
「あ、かあさん、明日の朝も早出。道場の鍵預かってきちゃったから、一番に開けに行かなきゃ。」
はいはい、ご苦労さん。一年生部員は辛いねぇ。

夜の塾通いも友達との夜遊びもほとんど経験したことのないオニイ。
生まれてはじめての深夜の帰宅。
ワクワクドキドキの大人気分だったのだろうか。
それとも・・・
「ねぇねぇ、こんな時間に知らない道を自転車で走るの、怖くなかった?」と聞いてみた。
すると、いつも無愛想なオニイから「実は、かなり怖かった。」と、驚くほど素直な返事がかえってきた。
「あのな、タバコの自販機のランプがみんな赤になっててさ、普段普通の信号機が点滅信号になってんの。あんなのはじめて見たよ。妙に怖かった。」

ちょっと興奮した口ぶりで夜のサイクリングのスリルを語るオニイ。
その言葉には、少しも強がったところがなくて、小さな冒険をとげた小学生の素直さ。
ちょっぴり大人の体験をして帰ってきたのに、いつもの強がって大人ぶった口ぶりが消えていたのはなんでなんだろう。
「今度はもうあの道場の夜稽古にでるのは、やめとくわ。
遠くてさすがにちょっときつい。」
そういって、寝しなに甘いアイスココアを飲み干して寝間へ上がっていくオニイはまだまだ幼い。
「夜遊びで朝帰り」にやきもきさせられるまでには、まだ数年かかりそうだ。


2006年10月01日(日) 雨の運動会

小学校の運動会。
朝からあいにくのお天気。
登校して出て行く頃からポツリポツリときはじめていた。
天気予報では、午後からの雨。午前中だけでももってくれればいいと願っていたのだけれど。
とりあえずお弁当を拵えて開会式に間に合うように駆けつけたけれど、その頃には冷たい霧のような雨がコンスタントに降り続けていた。
プログラムを大幅に変更して、組体操やダンスなど主要な演目をピックアップしての決行。結局、2時間ほどでプログラムの半分弱を消化して残りの演目は水曜日に延期されることになった。
最初から最後まで傘をさしての観覧。ぬれねずみの子どもたちはかわいそうなことだった。

ゲンは、組体操と南中ソーランの踊り。
高学年ならではの力強い演技でさすがに見ごたえがあった。
毎年恒例の演目だけれど、重みに耐えながら踏ん張る子、土台となってくれる友達を信頼して上に載る子、それぞれの頑張りにウルウルと涙腺が緩む。
今年はゲンも小学校最後の運動会。
夏以後急に重量感を増した体で、友達と協力し合う姿にたくましさが感じられるようになった。

実はゲン、運動系はどれも不得意だが中でもダンスは大の苦手。
今回の南中ソーランも速いテンポで進む躍動的な踊りになかなかついていけず、苦労していたようだ。夏の予備練習のときから自主的に参加して熱心に練習してきたのだが、どうも踊りに切れがなく、いつまでたっても振りが覚えられない。本人はそれなりに必死で頑張っているのだけれど、周りからはふにゃふにゃしているように見えたりして、最後の練習の時には「ふざけるな、まじめにやれよ」と指導係をしている仲良しのI君になじられたのだという。

人には得手不得手というものがある。
同じだけの努力をしても、誰もがその努力に引き合う上達をするとは限らない。
「努力すれば努力した分だけ、必ず報われる」
そう教えられて育った子どもたちには、頑張ってもなかなかうまくならない人の痛みがわからない。

「僕だって、ふざけてるわけじゃないんだけど。
必死でやってもなかなか速いテンポについていけないんだ。」
と言っていたゲン。
踊りがうまく出来ないことよりも、友達に「ふざけている」と見られていたことに深く傷ついているようだった。
「みんな一生懸命やっているから、僕の踊りが下手なのが目立ってしまうんだろうけど、なんでそれをふざけてるって思うのかなぁ。」

応援団やクラスでの役割を積極的に引き受けて責任を果たそうとしているまじめなゲンだから、踊りの指導係の友達がなんとかクラスの踊りをレベルアップしようと一生懸命になっている気持ちもよくわかる。
出来ることなら自分もその友達の期待に応えて、じょうずに踊れるようになりたいと思うのだけれど・・・。
気持ちだけでは、うまく踊りは踊れない。

「たとえばね、ゲン。
君が友達に紙飛行機やゴム鉄砲の作り方を教えたとき、君は友達の工作を見て
『なんで、こんな簡単なことがうまくできないんだろ』とか
『なんで、もうちょっと丁寧にやらないんだろう』とか思って、歯がゆい思いをしたことがあったじゃないの?
君にとっては、簡単なこと、できて当たり前と思うことでも、誰かにとっては一生懸命やってもなかなか出来ない難しいことだってことも、きっとあるよね。」
「上手にできる」ということは、「できない人のことがわからない」ことの裏返し。
自分が「できない」になって初めて、できない人の悲しみがわかるんだね。

「再チャレンジ」という気持ちの悪い言葉が、省庁の名前に使われるようになった。
困難に挑戦しよう、苦手を克服しようと自ら努力する姿は尊い。
けれども、すべてを持っている者から見下ろすように「チャレンジしろよ」「頑張ってここまで上がって来いよ」とかけられる叱咤の声は、時には小さな棘になって誰かの心を傷つける。
「チャレンジ」と言う言葉はあくまでも、上をむいてすすんでいく人のための言葉であって、下を見下ろしている人が使って美しい言葉ではないのだなと言うことに改めて気がついた。

雨の中、直前の組体操で汚れた手足のまま、子どもたちが縦横に舞い踊る南中ソーランは圧巻だった。
上手な子もそうでない子も、同じリズムに乗って楽しげに飛びはね、空を仰ぐ。
たくさんの子どもたちの間からチラチラと見え隠れするゲンの姿。もたもた遅れがちのリズムながらも、楽しげにニコニコ笑って踊っているのが見えた。この笑顔がもしかしたら、「ふざけている」と見られる原因だったのかもしれない。
でも、母にはわかってるよ。
その笑顔が、また一つ何かを理解し、克服した喜びの表情だと言うこと。
ゲンは本当に大きくなった。
身も心も。


2006年09月25日(月) ツユクサ

秋晴れのいい天気。
朝から張り切って、洗濯物をバンバン干す。
干し物には、夏のカンカン照りもいいけれど、爽やかな風を含んだ秋の日差しもいい。はためくシーツの影が躍っている間をついとトンボが横切って行ったりする。
勢いに乗って、家中をガーガーと掃除機で回る。
休み明けの朝はどうしてこんなにも綿ぼこりがたまっているのだろう。
階段の隅にたまった埃の中には、昨日食べたチップスのかけらやアプコが遊んだ小さなビーズの取りこぼしがかすかに混じる。こどもたちが遊んで食べた名残の綿ぼこりなのだなぁ。
遠くから、小学校の運動会練習の音楽が切れ切れに聞こえてくる。
いい朝だなぁと思う。

「おかあさん、おみやげ!」
と駆けてきたアプコがブンと突き出すのは、ツユクサの花束。
帰り道の道端で摘んできたらしい。
朝、登校の時には瑞々しい朝露を含んで青く輝いて咲いていただろう露草は、アプコが下校してくる時間にはすっかりしぼんで、花の名残をぶら下げた残骸になっている。
コップの水に挿しても、回復するのは青々とした大きな葉っぱばかりで、青い花弁は元の鮮やかさを取り戻すことはない。
何度も何度も花摘みをして、アプコはツユクサの花弁のはかなさはよく知っているはずなのに、それでも懲りずにツユクサの花束を作る。その幼さがいとおしい。
「ありがとね」と言いつつ、受け取った花のないツユクサを食卓に飾る。

昔一度、私は「おかあさんが好きな花よ」とツユクサの名をアプコに教えたことがある。
それだけの理由で、アプコは何度もツユクサを摘む。

父さんの仕事場へ行ったら、小さなコップにここにもツユクサの一枝がさしてあった。
アプコが持ってきて、置いていったのだと言う。
ふと見ると、傍らのスケッチブックに父さんの描きかけのスケッチ。
「そのうち何かの役に立つかと思って」
と、父さんはいたずら描きのスケッチに照れて笑う。
複雑な枝ぶりや滑らかな葉っぱの流線型を正しく写した父さんのスケッチのツユクサには、今はもう干からびてしまった青い花弁が瑞々しい輝きのまま元の姿で咲いている。

父さんには、しぼんだあとの葉っぱばかりの枝に、青い花弁のツユクサの花が見えるのだな。
「おかあさんのために・・・」と夢中で花を摘んでくれたアプコの気持ちが見えるように。
そのことを、スケッチと言う目に見える形に表現して残すことのできる父さんをうらやましく思う。
だから今日、私は花のないツユクサのことをここに記す。


2006年09月21日(木) 頼りになる人

月下美人が咲いた。
一度に6つも。
今年3度目の開花。
いつもは深夜に咲くのだけれど、今回は夕暮れ時から少しずつつぼみがほころびかけたので、子どもらも一緒に開花の過程を楽しむことが出来た。
「夢みたいにきれい。」
と誰かがつぶやく。
ガラス細工のような繊細な花びらは数時間の命。
朝になるとシュンとしぼんで、見る間に朽ちていく。
また一つ、季節を見送る。

いつもより少し遅めに帰宅したアプコが思い出したように
「おかあさん、今日の宿題ね、『おうちで生き物を捕まえてくること』!」
と言う。
聞くと、捕まえた虫や魚を絵にかいて、短い詩をつけて作品にするのだと言う。この間から学校へ虫取り網や虫かごを持っていって「生き物探し」をしていたようだけれど、結果が芳しくなくて「おうちで採集」という宿題になったのだろう。
「でね、あたし、川へサワガニ捕りに行こうと思うんだけど・・・」
いまからですかぁ?
母、うんざり。
もう日は翳りかけているし、水遊びにはちと寒い。それに川べりは蚊も多いしなぁ。
「今からサワガニなんて見つからないよ。その辺の草むらでバッタでも捕まえたらどう?」
と、適当にあしらって取り合わないでいた。

そこへ帰ってきたのはゲン。
もう4時を過ぎているのと言うのに、今からO君が遊びに来ると言う。
Oくんは、家でザリガニをたくさん飼っているといって、その生餌用の小魚を掬いにうちの近くの川へたびたびやってくる。ゲンはよほど気が合うらしく、連日のようにOくんとともに魚とりに興じている。
今日もまた、川へ遊びに行くつもりだろう。
「ねぇ、ゲン。アプコが明日サワガニを持って行きたいといってるんだけど、アプコも一緒に川へ連れて行ってもらうのは無理よねぇ」
とダメもとで聞いてみたが、ゲンもやっぱり困った顔で「う〜ん、勘弁して」といって、そそくさと出かけていってしまった。

次に帰ってきたのはアユコ。
「おなかすいたぁ。体育祭の練習、しんどかったぁ。早く、お花、生けてこなくっちゃ。」
と帰ってくるなり、部活で頂いてきた花材を抱えてバタバタしている。
「アユねぇちゃん、あのね、サワガニね・・・」
と擦り寄るアプコのおねがいはアユねぇにもさらりと流されてしまう。

頼みのアユねえにも見放されて、アプコはぷいとふくれて家の前の空き地の草むらで虫探しを始めた。
いつもならかまきりだの、こおろぎだのすぐに見つかる草むらなのに、宿題で探すとなるとしょぼいショウリョウバッタの赤ちゃんくらいしか見つからない。
「つまんない、つまんない・・・。サワガニじゃないと、つまんない」
アプコはへそを曲げて、やけくその鼻歌を歌いながらどこかへ言ってしまった。

日が暮れて、夕飯の下ごしらえを済ませて、そろそろゲンも帰ってくる時刻と外を見ると、前の空き地に父さんがいた。
手に持ってるのは懐中電灯。
「あらら、なにやってんの?」
と声をかけたら、父さん、びくっと飛び上がって、オロオロしてる。
「いやぁ、アプコがうるさく言うから、ちょっと・・・。」
どうやら父さんはアプコにせがまれて、虫探しに行こうと仕事を中断して帰ってきたらしい。
まぁ、気のいいことで・・・と笑っていたら、ちょうどゲンとO君が山から帰ってきた。

「大漁大漁!」と持ち帰ったゲンのバケツの中には、Oくんのザリガニ用の小魚に混じって、大小3匹の元気なサワガニ。
「わ、ゲン!サワガニ、とってきてくれたの!」
「うん、まぁね。」
さすがは、ゲン。やるねぇ。
アプコも大喜びで飛んできて、サワガニを受け取った。
ゲンは、小さい飼育ケースに砂利を敷き、川の水を汲んできて、サワガニを移し、アプコが学校へもって行きやすいように準備をしてくれた。

アプコ、優しいお兄ちゃんがいてよかったねぇ。
それに、お仕事をおいて虫取りに付き合ってくれる優しいお父さんも・・・。
やっぱりいざと言うときに頼りになるのは、アユねぇや母さんじゃなくて、父さんやゲンにぃだねぇ。
アプコは飼育ケースの中のサワガニをつんつん突付いては鼻歌を歌っている。
やっぱり私はお姫様。
困ったときにはきっとどこからか王子様がやってきて私を助けてくれる。
サワガニだってバッタだって、きっと誰かがちゃんと持ってきてくれるのよ。
末っ子姫として育ったアプコ、もしかしてそんなことを考えてるんじゃないだろうなぁ。


2006年09月18日(月) 乙女の気持ち

新学期疲れ、運動会練習疲れがついにアプコに来た。

ちょっと風邪気味かな・・・と思ったら、昨夜からの発熱。

幼稚園をお休みしてぐだぐだ過ごす。

ぽってりと熱を含んで、大仰にはぁはぁして「しんどい」を繰り返すアプコに、オニイが言った。

「かわれるものなら、かわってやりたい。」

ちょっと待て、それは普通、親のセリフじゃ。



うちには、もう一人、お疲れさんがいる。

運動会の応援団。組み体操の中の「太極拳」の指導係。「御神楽」の指導係。それに村の秋祭
りのお囃子。

一人でいくつも役職を抱え込んで、ひーひー言っているアユコ。

それでなくてもプレッシャーに弱く、ストレスがきわまると自家中毒の発作が始まるというのに、
この時期、アユコは意地のように次々と新しい事に挑戦している。

「だって、誰もやらないんだもん。」

きまじめなアユコは、誰も立候補しない役職を「しょうがないなぁ」と次々いただいてきてしまっ
たようだ。



「しんどいわぁ。明日学校行きたくない。」

体力的にもきつくなってきたか、家ではごろごろしていることが増えた。

「んじゃ、明日さぼっちゃえ。君がいなくても一日ぐらい何とかなるよ。」

と、私がけしかけても

「う〜ん、1.2時間目は○○があるし、中休みには××の打ち合わせがある。お昼休みには
□□の練習だから抜けられない。あ〜、ダメ。明日は休めない。」

自分が必要とされている項目はしっかり把握して、スケジュール管理しているアユコ。

偉いねぇ。

でもね、そんなに頑張り過ぎなくていいんだよ。



朝、通販で買ったアユコの下着が届いた。

初めてのブラジャー。

やせっぽちのアユコの胸はまだまだぺったんこで、「寄せて上げる」ものもないんだけれど、そ
れでも、素肌に直接着たTシャツの胸に、微妙な尖りが見えるような見えないような。

クラスの女の子達にははやナイスバディの片鱗が見えてきている子もいて、「そろそろ、ブラの
着用を・・・」とのお達しがあった。

「まだまだ要らないとは思うんだけどね。」

と言いつつ、一番小さいサイズのスポーツブラの幼さがかわいくて、親の方が大乗り気で選ん
で買った初ブラジャー。

薄いパットを外すと、短めのタンクトップと変わらぬ感じで、さほど違和感もなさそうだ。

「アユコ、アユコ!いいもの買ったよ。みてごらん!」

帰って来たばかりのアユコにさっそくみせる。

「かわいいよ、ちょっと着けてみてよ。」

「えーっ!」

恥ずかしがるアユコ、かわいい!初々しい少女の恥じらい・・・。



・・・と、思ったら、ぽろぽろとアユコの目から大粒の涙。

「あらら、どしたの。泣かなくてもいいじゃない。別にイヤだったら着けなくていいよ。気に入らな
かった?」

激しくアタマを振るアユコ。

「まだ、すぐに着けなくてもいいのよ。イヤなら、引き出しに仕舞っておいで。」

ますますこぼれ落ちるなみだ、なみだ。

ありゃりゃ、こんな筈じゃなかったのに。



そういえば、私自身の初ブラジャー。いくつの時だったっけか。

アユコと違い、ぽっちゃりタイプで初潮も早かったから、意外と早い年だった気もする。

ブラウスの背中に、ブラのラインがでるのが恥ずかしいような得意なような・・・。

甘ずっぱい匂いのするはるか昔の思春期の思い出。

白いブラに小さく縫い取られた小花の刺繍が嬉しかったのを思い出す。



連日のお忙しと責任感で、いっぱいいっぱの力を振り絞っているアユコ。

たぶんその緊張の糸を、オトナの匂いのする新しいブラジャーが、ぷつんと切ってしまったのだ
ろう。

全く間の悪い事であった。

アユコが、これから一生、おそらくおばあさんになるまで着け続けるであろうオンナだけの下
着。

その初めての出会いを、楽しい嬉しいものにしてやれなかった自分のとんまに、腹が立つ。

ごめんね、アユコ。

乙女心の微妙な機微を、母はすっかり忘れていたよ。(なにせ、太古の昔のことゆえ・・・)



新品ブラはやっぱりもう少し大事に仕舞っておこう。

アユコが、晴れ晴れとオトナになる自分を受け入れられる日まで・・・。

もうすぐそこに来ている日のために・・・。




2006年09月17日(日) 孤立無援

強い風の音で目が覚めた。
台風が近いらしい。まだ雨は来ないようだ。
洗濯物を屋外に干して、バシバシと洗濯バサミで留める。
大きなシーツやバスタオルが、バタバタ旗のようにひるがえって、ものの一時間ですっきり乾いた。
本式に荒れ始めるのは明日以降だろうか。

朝、流し台の前に大きなムカデが出た。
「ギャー、助けて!」と息子たちを呼んだけれど、二人とも「ムカデは苦手だ」とそそくさと逃げた。
父さんもいないので、しょうがないから決死の覚悟で殺虫剤を乱射して、弱ったところをこわごわ割り箸でつまんで、顔を背けながら戸外へ投げた。
孤立無援。

近頃家の中でGがでてくると、頼りになる息子たちが飛んできて処理してくれるようになったと以前この日記に書いた
「息子たちを産んでおいてほんとによかったよ」とあんなにおだて揚げておいたのに、相手がムカデとなると話は違うらしい。
「見てみぬ振りしておけば、どっかへ逃げるんじゃない?」と見にくる気もなさそうなオニイ。
「僕が平気なのはせいぜい8本足まで。ムカデは足が多すぎる」と変な理屈で後ずさりするゲン。
なんだいなんだい、根性無し。
我が家の勇者たちの敵はたかだか8本足どまりかい?

ふん、アタシだってやれば出来るんだい。
所詮、子どもなんて当てにしてたらこんな風に裏切られる。
こんな時、父さんだったら、絶対助けに来てくれるのに。
やっぱり基本は夫婦。息子たちは、どうせいつかは他人の女のものになる奴らだ。
子どもなんかには絶対頼らないと、グチグチつぶやく母。

夕方、今度はトイレに小さめのムカデが出た。
見つけたアプコは、迷わずオニイではなくアタシに助けを求めてきた。
うううっ。
アプコ、アンタも早く大人になって助けに来てくれる男を作りなさい。


2006年09月16日(土) 友情

三連休初日。
といっても、父さんは朝から普通に仕事。
オニイは朝から部活に、私は市のPTAの広報紙講習会に。
ゲンは朝から友達と川へ魚とりに行く約束をしている。
お寝坊アユコとアプコに、洗濯干しと昼ごはんの段取りを言い置いて出かけた。

ゲンが今日、遊ぶ約束をしているのはクラスメートのOくん。最近一番気の合う友達らしい。
家でザリガニをたくさん飼っているとかで生餌用の小魚を取りに行く約束をしたのだと言う。
2,3日前にも放課後、二人して裏の川にざぶざぶ入って、小さな小魚を何匹か掬ってきていた。
ガラガラとバケツをぶら下げて、一人は長靴ガポガポ、一人はゴム草履ペタラペタラと引きずって意気揚々と川から帰ってくる様子は、まさに昭和の悪たれ坊主。
なんだかとってもいい感じなのだ。

Oくんのおうちは実は転勤族らしい。
何年か前、隣県から転校してきて、友達になったが、また最近、お父さんの転勤の話が持ち上がっているらしい。ここ一週間ほどの間に引越しするか否かが決まるのだと言う。
ゲンはその話をO君から聞いてから、本人以上にその結果を気にしている。
せっかく出来た川遊びの相棒を失いたくない気持ちなのだろう。
そういえばゲンはまだ、転校や引越しでの仲良しとのお別れを経験したことがない。
惜しむような気持ちで連日Oくんと川遊びに出かけたいゲンの想いがつたわってくる。

「ほら、こうすれば、自転車でもちゃんと持ってかえれるよ」
ゲンは掬った魚をお味噌の入っていたポリ容器に移し、ラップと輪ゴムでしっかり止めて、Oくんの自転車の前カゴに乗せた。
「もっと大きいのがいっぱいとれればよかったんだけど・・・」
そのもどかしさは、そのまま、O君への友情の想いをしっかり伝えきれない自分へのもどかしさ。
その不器用な表現が、いかにも今のゲンらしくて、なんとなく胸が熱くなった。


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