月の輪通信 日々の想い
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ようやく近畿の梅雨も明けたらしい。 例年なら「あぢーっ!」と顔をしかめる暑さも、お肌の敵の強い日差しもなんとなく今年はちょっと有難い。 降ったりやんだりがずっと続いて、部屋干しの洗濯物がいつまで経っても湿っていた長雨のあとだから、干したそばから乾いていくタオルやTシャツがパリンと気持ちよく仕上がってそれだけでもうれしくなる。 この夏、いつものように洗濯干し大臣を務めてくれてるアユコも、ついつい「これも洗っちゃおうか」と自分で洗濯物を増やして、日に何度もベランダで干し物をしている。 あらら、中2にしてもう、ささやかな主婦の家事の楽しみを会得してしまいましたか。
運動不足の解消のために、近頃また父さんが近所の山へ登るようになった。うえの広場まで上っていって、降りてきて約一時間。 登山用のズボンもシャツもパンツも頭に巻いた汗よけのバンダナもびしょびしょに汗にまみれて帰ってくる。はい、これで洗濯機、一回分。 「しょうがないなぁ、干す場所まだあるかなぁ」といいながら、ワシャワシャとお洗濯。脱水が終わったら、再びアユコの物干し隊が出動だ. その後ろを助手のアプコがコバンザメのようについていく。
山からの帰り、父さんは近所の湧き水を汲んで帰ってくる。大きなペットボトル3本分。 で、仕事の合間や食事のときにその水をがぶがぶと飲んでいる。夏の仕事場は窯や乾燥機の熱でとてつもなく暑いから、そのくらい水分を取らないと脱水症状になりそうなんだとか。 父さんはそのペットボトルを仕事場と家の冷蔵庫に分けて入れておいて、何度も何度も水を飲む。 子どもらも冷蔵庫にでんと据えられたペットボトルの水には一目置いていて、普段飲むプーアル茶ならがぶがぶ馬鹿みたいに飲み干すくせに、「父さんの水、ちょっとだけもらってもいいかな。」と変に遠慮して、もったいぶって飲んだりする。 別段何の効能があるというわけでもない、普通の湧き水。 だけど、父さんが朝から大汗掻いて汲んで来た水ということで、その有難さに水の甘みも増すのだろう。
時々、父さんが山へいけなかったときには、「ちょっといってくるわ」とゲンがペットボトルを担いで山へ駆け上がる。リュックサックにペットボトルを詰め込み、裸足にサンダル履きでぴゅーっと飛び出していく。 ゲンにとっては山の水汲み場も我が家の庭のようなもの。彼の虫取り、川遊びの縄張りのうちだ。 「3本も入れたら帰りが重いよ。一本減らしておきな。」と呼び止めても「平気、平気」と後ろ手に手を振って駆け出していく。 なじみの山に登ってくるいい口実が出来てうれしいのだけれど、それ以上に父さんの水を汲んで来る任務を仰せつかることがうれしくてたまらないのだ。
「ぼくが汲んで来た水、冷蔵庫に入れておいてね。」 長い遍歴の旅の末に大事な人の命をつなぐ魔法のアイテムを手に入れて帰ってきたRPGの勇者のように、ゲンはずっしりと重いリュックを下ろす。 「重かったね、ありがとう。」 「ゲンの汲んできてくれた水は、格別おいしいよ。」 その水は確かに今日一日の父さんの労働を支える命の水。 ゲンが得意の鼻をピクピクさせて胸を張るのも無理はない。
夏休みに入ったけれど、オニイは夏期講習だの文化祭の練習だの部活だので毎日学校へ行く。 朝、普段とおんなじ時間にでかけていって、早ければ昼過ぎ、遅ければ夕方まで帰ってこない。 本来なら学校が閉まっている休みの日にも、部活だの友達との付き合いだの、自転車をすっとばして出かけていく。 「明日はお昼、どうするの?お弁当は?」 夏休み中の家族の昼ごはんつくりにぶうぶう文句を垂れてるくせに、いつまでもオニイの世話を焼きたい母は毎日毎日オニイに尋ねる。 「いらね。食べられる時間ないかもしんないから。」 お弁当より「昼ごはん代」って500円玉一個もらえるほうが有難いお年頃なんだろう。 「あ、そ。じゃ、らくちんでいいや」といいつつ、世話焼きの機会を失って母、ちょっとしょげる。
「あっじー!参った。はらへった!」 と、オニイがアブラギッシュな顔で帰ってくる。冷蔵庫を物色するオニイの背中からは湯気が揚がっているみたい。 起伏の多い坂道を40分かけて自転車で帰ってくるのだ。 オニイの汗の匂いは、最近大人の男の人の匂いになった。 「お昼のチャーハン残ってるよ!」とか「カレーパン、買っておいたよ!」とか、母はここぞとばかりに用意しておいた虫養いの軽食をすすめる。 「あ、チャーハンか。いいや、とりあえず水分補給。」とオニイはガブガブとお茶ばかり飲む。 「わ、うまそう!」とがつがつ食べてくれるのを期待していた母は、またちょっと拗ねる。
「なんかこう、一口で甘くて癒されるモノ、ないかなぁ」 とオニイが台所へやってくる。 待ってましたとばかり、冷蔵庫の一番上の棚に隠し持っていた上等のチョコレートの箱を出してくる。金色の宝石箱のような入れ物に入ったとりどりのチョコレートをむしゃむしゃ食べてオニイ、とろける顔になる。 「うんまいなぁ。天国やわぁ。」 普段無愛想な息子が至福の笑みを浮かべると、自分で買ってきたチョコレートってわけでもないのに、「どうだ、参ったか。」と母、自慢の鼻がピクピクと伸びてくる。
幸せな結婚生活を継続させるためには「男の胃袋を掴んだ者が勝ち」とかいうと聞く。 それは親子の間でも同じこと。 あほやなぁと思いつつ、スーパーでふと手が伸びるのはオニイの好きなスナック菓子。父さんの好きな焼肉の缶詰。ゲンの好きなスイカやメロン、女の子たちの好きな芋ケンピ。家族の関心を引き戻したいとき、ついついその人の好物を買い物籠に入れてしまう馬鹿な女。 最終的には、母は息子の食欲を満たすことで、わが子への愛を語るしかないのかしらん。
昨日(21日)のこと。 実家の母から新ショウガとしいたけを甘辛く煮詰めた佃煮が届いた。 母にしてはちょっと濃い目の味付けが暖かいご飯には絶妙の相性で、近頃お疲れ気味の我が家の食卓には欠かせない味となった。 遠く離れてすむ母には、娘の倦怠が通ずるのだろうか。 胃袋を通じる母との絆に、ちょっとうれしくなったりする。
さぁ、夏休み初日。 といっても、またお天気悪そうだなぁと外の雨の音を聞きながらPCに向かっていた。連日の雨で裏の川の流れる音が高い。家の中は乾ききらない洗濯物でいっぱいだ。 今日は小学校の陶芸教室。父さんの助手として出勤予定。 あと、生協荷受、ゴミだし、夜剣道。 忙しくなりそうだなぁと雨戸を開けていたら、電話が鳴った。 義父の声。 義母がうめき声をあげて苦しがっているという。 飛び起きた父さんが、駆けつけて救急車を呼んだ。 私も急いで着替えて、出動。義母に付き添って救急車に乗った。 幸い、病院で応急措置をしてもらってまもなく小康を得た。 心不全だということでそのまま入院が決まった。
救急車に乗るのは、これでもう何度目だろう。 年寄りを3人も抱えていると、救急車のお世話になる機会も当然多くなる。 ここ数年でもう3回。義父のときもひいばあちゃんのときも私が救急車に同乗した。 付き添うといっても何が出来るというわけでもない。 既往症やかかりつけの医師、発症の状況などを救急隊員に告げて、あとは、ただただ、患者の手足をさすって「大丈夫?がんばって。」と声をかけるのみ。 救急車への同乗がいつのまにか私の役目となったのは、「こういうときには女手のほうががいるだろう」ということと、救急車のあとを追いかけて見知らぬ病院へ車で駆けつける運転能力と土地勘が私にはないという理由。
10年前、亡くなった次女の転院のとき、はじめて救急車の前の席に乗った。 一度も信号で止まることなく、バンバン車線変更して猛スピードで一般車の間をすり抜けていく救急車は本当に怖かった。それからしばらくトラウマになって、ピーポーピーポーという救急車のサイレンの音が聞こえると急に胸がドキドキして、落ち着かない気持ちになったものだった。 時が過ぎ、なんどかお役目を果たすうちに、次女のときの救急車のトラウマはいつの間にか消えているに気がついた。
度重なる救急車体験で、ずいぶん知恵がついた。 救急車に乗り込む前にしなければならないこと。 ・搬送先の病院名を家に残る者に必ず告げておいてもらうこと。 ・子どもたちに留守中の食事や予定の確認をしておくこと。 ・自宅と義父母宅、両方に留守番、連絡係を手配しておくこと。 必ずバッグに入れなければならないもの。 ・財布。携帯電話と10円玉。 ・保険証。老人医療証。常用している薬の袋。 ・本人の靴とめがね、寒いときなら余分の上着。 最後の項目などは何度か失敗したあと、ようやく学習した体験に基づく知恵。くだらないことだが、緊急の時にはなかなかそこまで頭が回らなくねるので、書き留めておく。
幸い、義父のときもひいばあちゃんのときも「大事に至らなくてよかったね。」で済んだ。今回の義母の症状も次第に落ち着き、緊急入院時のドタバタを一緒に笑えるくらいに快復しつつある。 年寄り3人の暮らしに添って過ごすということは、こういうことの繰り返しなのだろうなぁと思う。
アユコ、誕生日。 背が伸びた。
近頃、アユコは感情の起伏が激しい。 意味もなくケラケラ笑い、アプコと手をとりあって踊り狂っていたかと思うと、急に不機嫌になって部屋のドアに当り散らし、そのくせ一人で隠れて涙ぐんでいたりする。 心と体の変化のスピードが速すぎて、自分でももてあましている感じ。
近頃、アユコは本の虫。 いつも図書館で借りてきた分厚い本を読んでいて、大きな声でアユコを呼んでも返事ができないくらい熱中している。 アユコの頭の中では、竜や妖魔の物語と明日の水泳の授業の憂鬱がぐちゃぐちゃ混じっていつもぐるぐるめぐっている。
近頃、アユコは大人を見てる。 母が洗ったお皿の小さな洗い残しをアユコは見逃さない。 疲れて帰った父さんのわずかな不機嫌の影を見逃さない。 大人の小さなずるさや賢さを目ざとく見つけて評価する。 アユコの評価基準はきわめて厳しい。
ケーキ屋さんで家族の人数分のカットケーキを選んだ。 フルーツやチョコレートを飾った色とりどりのケーキの中で、アユコが選んだのは地味な色合いのチョコレートのシフォンケーキ。 「申し訳ないけど、お誕生日用のろうそくもつけてね。14歳なんだけど・・・」といったら、そばからアユコが 「えーっ、『ケーキふうっ』はもういいよ。」 と照れた。 「何言ってるの、そのためのケーキじゃないの」とろうそくをもらった。
大きなろうそくが一本、小さなろうそくが4本。 14才。 大人半分、子ども半分。 14才というのはそういう年齢。
台所にGが出没する季節になった。
新婚のころ、「わ、Gがでた!」というと、父さんが急いでやってきて、殺虫剤で退治してくれた。 自分で退治することができないわけではなかったけれど、新妻というものは夫の背後に逃げ込んできゃあきゃあ言っていればいいものだと思っていた。 新妻をGから守り抜いた夫は勇者の顔で胸を張った。
子どもたちが生まれて、父さんの仕事が忙しくなると、今度は母になった新妻が殺虫剤も持ってGに立ち向かった。 殺戮の現場を見せないように、殺虫剤を含んだ空気を吸わさぬようにと、幼い子らを別室に避難させて、母は雄雄しくGと闘った。
近頃、「わ、Gがでた!」と母が騒ぐと、「どれどれ、どこにいる?」と息子たちが駆けつけてきてくれる。 オニイが殺虫剤のボトルを持ち、ゲンが丸めた新聞紙と回収用のティッシュペーパーの箱を持って・・・。 キャアキャア騒ぐ母を尻目に、オニイがGをすばやく狙撃し、ゲンが重ねたティッシュで回収する。 オニイは丸めたティッシュをゴミ箱に入れると「南無阿弥陀仏」と片手で拝む。
「ああ、頼もしい息子たちを産んでおいてホントによかったよ。」 母はことさら大仰に息子たちの勇敢な戦いぶりを褒めちぎる。 「これくらい、なんでもないさ」という顔をして、オニイが訊く。 「僕たちを産んでよかったことって、その程度?」 そうねぇ、台所の戸棚の土鍋を下ろしてもらうときとか、買い物荷物を持ってもらうときとか・・・。 ああ、やっぱりその程度?
あと何年かしたらオニイもゲンも、夫となり父となる。 多分、愛する妻や子どもたちのために、Gとの闘いを自ら買って出るだろう。 いつの日か、心優しき夫、強くたくましい父となる息子たちの勇姿を母は頼もしく見守っている。
今日は七夕。 私たちの住む町は「七夕ゆかりの地」が自慢の町。古くからの地名や遺跡にも「星田」「天の川」「織物神社」など星や七夕にちなんだものがたくさん残っている。 地域や学校など七夕にちなんだイベントがあちこちで行われる。いろんなところで短冊が配られ、子どもたちはたくさん願い事を書いて、あちこちの笹飾りにつけさせてもらう。 去年からは小学校のすぐ近くで、市の主催の大きな七夕イベントが開催されるようになった。模擬店が出て、近くの天の川沿いに手作りの竹の灯篭がずらりと並んで点灯される。
アプコはずっと前からこの日を楽しみにしてきた。 学校では、七夕集会が行われて各学年が日頃練習してきた合唱や合奏を披露する。 夜はお祭りに行って、模擬店のかき氷が食べられる。 折り紙や金モールを惜しげもなくもらって、七夕飾りや短冊をこしらえるのも楽しくてたまらない。 アプコにとって七夕は、なくてはならない夏の一大イベント。 「早く七夕にならないかなぁ。」と指折り数えてその日を待つ。
一方、母にとっては今年の七夕は大忙しの殺人的スケジュールの一日だった。 朝から小学校の七夕集会参観。 午後からはオニイの学校の保護者懇談会。 夜はゲンの剣道送迎。 これにゴミ出しだの生協の荷受けだの、些細だけれど抜けられない雑事もあれこれ目白押し。 おまけに夜のお祭りに行かせるためには、行き帰りの送迎も必要だ。 頼みの父さんは個展中で協力は望めない。 お祭りも剣道も行かせてやりたいし、七夕集会も懇談会も出席しておきたい。 どうする、どうする。
昨日一日、この日の時間のやりくりに四苦八苦していた。 一日のスケジュールを紙に書き出して、誰かに代わってもらえるところは代わりの人を手配して、練りに練ったこの日の行動スケジュール。 分刻みの綿密な予定表を手に考えた。 「いっそ、ゲンが『剣道休んでお祭りに行きたい』と言い出してくれたらなぁ」 「いっそ大雨が降って、七夕祭りが明日に順延になったら助かるのになぁ。」 天気予報によると7日午後からの降水確率は50パーセント。 これもまた微妙なところ。
ふと見るとさっきまで折り紙で七夕飾りを作っていたアプコが、ティッシュペーパーを丸めてなにやら熱心に拵えていた。 「それなぁに」ときくと、「てるてる坊主。明日お天気になりますようにって。」という。 「お母さんは雨が降ったほうがいいかもなぁ。お祭りが8日になったら、みんなでゆっくり見にいけるもん」 といじわるをいったら、アプコ、急に生真面目な顔になって、こんな答えが返ってきた。 「だって、織姫と彦星は一年に一回しか会えないんでしょ? 雨が降ったら会えなくなっちゃうからかわいそう。」
そうでした、そうでした。 七夕は織姫と彦星の遠距離恋愛がたった一日かなえられる大切な日。 お祭りも七夕集会も、本来はそのおまけだったね。 忙しい忙しいにかまけて、肝心のことを忘れてました。 アプコにとっての七夕は、きらきらの笹飾りや模擬店のかき氷の楽しみだけじゃなかったんだね。 そうでした、そうでした。 母、猛烈に反省。
今日、アプコは夕方までKちゃん母にお祭りに連れて行ってもらって、夜はアユねえといっしょに模擬店でヨーヨーつりや金魚すくいをした。 夜道のお迎えは、オニイが買って出てくれた。 ゲンにいちゃんと一緒にお風呂に入って、あて物でもらった水鉄砲で遊んでもらった。 母が忙しく走り回っていても、アプコはオニイオネエに守られて七夕のお祭りを存分に楽しんでくることができる。 楽しいはずだね、アプコの七夕祭り。
心配したお天気もてるてる坊主の効果てきめん。 笹飾りも濡れずにすんだ。 空の天の川では、年に一度のランデヴーが果たされただろうか。
父さん。個展初日。 先日の5人展からあまり日があいていないので、さすがに少々グロッキー気味。 頑張れ父さん。もう一頑張り。 しっかりテンション挙げていこうぜ。
午後、アプコを迎えに行く途中、工房の前で私の目の前を何かの虫がぶ〜んと飛んで道端の木に止まった。よく見ると小型のクワガタムシの雄だった。ゲンが喜ぶだろうなと思ったけど急いでたのでそのまま通り過ごした。 途中ゲンにあって、「クワガタいたよー」と言うと、ゲンは家まで走って帰って探しに行ったらしい。 アプコを迎えて帰ってくると、ゲンがオニイの自転車に乗ってやってきて「どの木ー?どこにいたのぉ?」と訊く。一緒に見に行ったけどもうクワガタはいなかった。
3人で家に帰るとオニイがプンプン怒っていた。どうやらゲンはオニイの自転車を勝手に拝借してきていたようだ。 オニイの自転車は今日ちょうどブレーキワイヤが切れていて、修理に行こうと思って外に出たら自転車がなくてビックリしたらしい。 「クワガタが気になってとっても急いでいたから」と言い訳していたけれど、珍しくオニイはとても腹を立てていて、ゲンをきつく叱った。 ゲンはクワガタを取り逃がしたのと思いがけずオニイにきつく叱られたのとで悔しくて、プンプンしていた。
オニイが自転車やへ行っている間に、ゲンに何故オニイがあれほど怒っていたのか、あれこれ話をする。 玄関先に止めた自分の自転車が消えていたらビックリするし、たまたま今日はブレーキワイヤが切れていた。知らずに乗ったゲンが怪我でもしたらと心配もしただろう。 いろいろ話して、ゲンもようやくオニイの激しい怒りを納得して、オニイが帰ったら改めて謝ると言った。
帰ってきたオニイはすっかり怒りも醒めていて、ゲンのごめんなさいを聞くと「ん、じゃ、この話はもう終わり」と話を切り上げた。 あとからゲンがやってきて、「お兄ちゃんって、ぐずぐず尾を引かないでさっと話題が変えられるところがすごいよな。さすが高校生、大人じゃんって感じ。」と感心して言う。
そうそう、それがオニイのいいところ。 偏屈そうに見えて、あれで結構弟妹たちには優しいんだよ。 でもね、怒られた訳を理解できたら「ちゃんと謝ろう」といえるゲン、アンタもえらい。 お兄ちゃんのことを「大人じゃん」って素直に思えることもね。 ああ、ほんとに賢い兄弟。 母さんはうれしいよ。
朝、大雨だったので、「今日は長靴はいたら?」と勧めた。 「今日はきっと一日中雨よ。」と渋るゲンにも長靴を履かせた。 アユコも自転車をやめて歩いて登校していった。 オニイも自転車の前カゴのカバンをしっかりナイロン袋で武装していった。 ・・・と思ったら、このお天気。 からっと晴れたり、曇ったり。 しょぼしょぼ降ったり、また晴れたり。 わずかな晴れ間でも洗濯は干したいところだけれど、がっぽがっぽと長靴を鳴らして出かけていったゲンに申し訳ないので、今日は部屋干し。
父さんの個展。 昨日、搬入完了。明日、初日。 ぽっかり空いた今日は久々の休日? 「今日はなにして遊ぶのぉ?」と訊いたら 「ちょっと出かけてくるかも。調べたいこともあるし、大きい本屋へも行きたいし。」というお答え。 あ、そうと聞き流していたら、お昼過ぎ、ほんとに父さんはふらっと出かけていった。いつもなら「駅まで車で送って」とか言うのに、今日は黙って一人で徒歩で。 なんか変だなぁと思ってた。
夕方、帰ってきた父さんを車でお迎え。 「実はね、映画観てきた。ダヴィンチコード・・・。」 前からぜひ見たかったんだとか、明日から個展が始まるとまた時間が取れないからとか、ビデオ化されるまで待てないんだとか、父さんの言い訳が続く。 いいじゃん、映画くらい。休みの日に一人で観にいったからってそんなにあれこれ弁解しなくたって。
決まった休日というものがない職業。 皆が眠っている時間にもこつこつ夜なべ仕事が続いたり、世間が忙しく働いている平日の昼間にぽっかりと窯待ちの休みができたり。 やってる仕事の内容も、見ようによっちゃぁ、日がな一日好きなことを気楽にやってるようにいわれちゃうこともある。 ホントは働きアリみたいに歯を食いしばって仕事をしていることもあるのにね。 だからたまの休みに映画を楽しむくらいくらい、誰にも気兼ねせずに堂々といけばいいのに。
家族とか、窯とか、仕事とか、地域や社会のしがらみとか。 今の父さんには、自由な気晴らしを縛るものがたくさんあるんだろうなぁ。 「好きにしていいよ」 「たまには遊んでこなくちゃ、いいものが作れないよ。」といいながら、父さんの両肩にずっしりしがみついているに違いない私や子どもたち。 多分、私たち家族が父さんにとって一番重い首枷だろう。 すまないねぇ。 夫を自由に泳がせて、悠然と家庭を守る内助の功にはまだまだ程遠い。 妻にはちょっと苦い。 夫の内緒のお出かけ。
いい天気。 朝から干し物に忙しい。 子どもたちの靴、傘、バスマット、アプコのおねしょ布団。 貴重な洗濯日和だというので、人数分のバスタオルも全部洗った。 まだ洗濯機がガラガラ回っている。
「ああ、そうそう、今日はゴミの日!」 家中のゴミを集めて回収場所に出して、それから工房とおばあちゃんちのゴミを出しに出る。 回収場所と工房の間をあわただしく走り回っていたら、お隣のMさんが 「おはようございます。あれもせんならん、これもせんならんで忙しいことですねぇ。」 と笑っている。 「日が照っている間にあれもこれも干したいもんだから、ついつい走り回ってしまうんで・・・。」と私も笑って言い訳をする。 よほどせかせか忙しそうに見えたんだなぁ。
ジーンズもシャツも靴下も干した。 ベランダは満艦飾。 えいやっと居間の敷きマットも洗った。 グラウンドに翻る応援旗のように、大きなマットが風にはためいている。
「若いっていいわねぇ。ちゃっちゃと思うように動き回れて・・・。年をとってくるとやらなければいけないことはいっぱいあるのに、もたもたしてちっとも片付かないわ。」 そんなに悲観するようなお年でもないのに、Mさんはゴミ袋をさげてタッタカ走る私をみてまぶしそうにそういわれた。 「ちゃっちゃと」なんてとんでもない。 モタモタ、トロトロで片付かないからせかせか走り回っているだけなのだけれど、年配のMさんからみると「若いっていいわねぇ。」と見えるのだろう。 忙しい忙しいといいながらも、これといって病気をするでもなく、あわただしく家事にに走り回れることの幸いを改めて思う。
今日は父さんの次の個展の搬入日。 昼からは、焼きあがった作品に出品リストの番号を貼り、梱包材で包んで荷造りをする大仕事が待っている。 ちゃっちゃと家事を済ませて工房へ出動しなくては。
ベランダの応援旗はたった30分でもうほとんど乾いてしまった。 大きく風を含んでこいのぼりのようにふわりと泳いだ。 「今日も元気。」 お日様、ありがとう。
父さん、新しい個展の締め切り間際。 滑り込みの本焼きの窯の合間に、額屋へ出かけたりDMを配りに出たり。 いつものことだけれど、最後の最後まで粘る、粘る。 この間の5人展からまだそれほど日も経っていないのに、新しい作品に次から次へと手を出して、 「時間が足りない!新しいアイデアがどんどん沸いてくるのに、それを形にする時間が足りないんや!」と釉薬や埃でくたくたになった髪をくしゃくしゃ掻き揚げながらこぼしている。 父さんの場合、アイデアの神様はいつも締め切り前ぎりぎりの数日前に突然降りてくるらしい。 出品リストができ始め、額装の手配や荷造りの準備であわただしくなる頃になってようやく、「もっと作りたい!」「もう一回、試したい!」が怒涛のように沸き起こるらしく、七転八倒しながら搬入日を迎える。
「アイデアって言うのは、なんか違うこと考えてるときとかに、いきなりボワッと浮かんでくるものやからな。」 とわかった風なことをいって父さんを慰めるのはゲン。 確かにゲン自身の発想の面白さは、なんでもないところから突然沸いて出たかのような意外性の賜物。「いきなりボワッと」は彼自身の実感なのだろう。
「とりあえず間に合わなかったアイデアは次の個展のときのために置いておいたら?」 子どもの駄々っ子を諭すように、理屈のとおった提案で父さんの嘆きに応えるのはアユコ。何事にもきっちり事前に計画を立てて、決して無理をしない変わりに大きな失敗もしない。かっちり几帳面なアユコには父さんの気まぐれな芸術家魂は理解できない。
「ねぇねぇ、おとうさん。あたしね、こういうの作るときれいやなぁと思うの」 父さんの焦りやイライラを介さずに、あっけらかんと自分で考えた新しい作品のアイデアを父さんに提案するアプコ。 オイオイ、場を読め、アプコ。
「まぁ、ありがたいことやね。 『アイデアが枯れて、次の創作意欲も沸いてこない』なんてのより、ずっと贅沢の悩みじゃないの。」 私はいつものように、父さんのくしゃくしゃになった髪を撫で付けて言う。 「あーだこーだといいながら、結局父さんは最後の最後でちゃんと間に合わせることができる人なんだから。 大丈夫、大丈夫。 たくさん働いて、偉い、偉い」
もう十分に走りきって、これ以上頑張りようもないのに、あと一歩、あともうちょっとに手が届かないもどかしさ。 個展のたび、毎度毎度やってくる締め切り前の父さんのジレンマ。 これといって手を貸すこともできず、よしよしと父さんの頭をなでる妻。 進歩のない夫婦だなぁ。
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