月の輪通信 日々の想い
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2006年06月25日(日) 嫁入り先

父さん、心斎橋大丸で展示会会期中。
茶釜、蒔絵、木工、組紐などの先生方との5人展。
ジャンルも作暦も違う先生方との合同展は何かと気の張ることも多いようだけれど、会場に来てくださるお客様の中には、思いがけないご縁で繋がっている方がいらしたりして、色々と触発されることも多いようだ。
昨日はアユコとオニイが会場を訪れた。
今日は、朝剣道の送迎を終えてから、私が会場を見に出かけた。
いつもの展示会とは違って、陶芸以外のいろいろな種類の工芸の作品を一度にみせていただいて新鮮な刺激を受けた。

昼食は百貨店を出て、にぎやかな飲食店街で久々の外食。
父さんが前からぜひ一緒に行きたかったという老舗のうどん屋さんを目指す。その店は久中座のとなりの「今井」。かつては亡き藤山寛美さんも贔屓にしていた店だという。
2002年の中座の火事の際に延焼の被害を蒙って、店舗の上階が焼け、秘伝の秘伝の料理分量帳も焼失したと聞く。
実は十年ほど前からこのお店の店内に父さんの作品が飾られていることを人づてに聞いていて、父さん自身も何度かそのお店に「偵察」に出かけたりしていた。大きな一抱えもある山並の花器で、季節の花を模した造花がふんだんに活けてあったという。
中座の火事の一報を聞いたとき、父さんが真っ先に気になったのは、その自作の花器のことだった。いつも店内に飾られていたという。果たして焼けずに持ち出してもらえたのだろうか。
翌年、営業を再開されたと言うことはニュースで聞いたが、再びその店を訪れることなく数年が過ぎた。

陶芸家がいったんお客様の手に渡り、時間の経った作品の行く末を耳にしたり、自分の作品が飾られている現場を訪れたりする機会は意外と少ない。
精魂込めて作り出した作品もひとたびお客様の手に渡ると、木箱に入れたまま大事にお蔵にしまわれているのか、いつも人の目に触れて愛しんでいただける所にかざっていただけているのか、はたまた破損したり持ち主を失ったりして不遇の余生を送っているのか、確かめるすべはない。
まさに大事に育てた愛娘を連絡も取れない遠い異国に嫁にやる親の心境。
それだけに、火事で焼け出されたという悲運な所在を追う事のできた「山並花器」の消息が格別気になっていたのだろう。

お昼時の活気のあるその店内に入ると、
「あった!」
奥行きのある細長い店内の中ほどにの小さな飾り台の真ん中に、父さんの作った花器は確かに飾られていた。
色とりどりの紫陽花の造花をたっぷりと活けられて。
「よかったなぁ、助け出してもらえて。」
「まだ、いい場所に飾っていただけているんやなぁ。」
嫁入り先で不遇の災難にあった愛娘の穏やかな「現在」にほっとする父さん。
頂いたきつねうどんのちょっと甘口のおだしの味が、ひときわ美味しく暖かく感じられた。


2006年06月23日(金)

「額屋、行くけど、乗ってく?」
と父さんが帰ってきて言う。
展示会に出す陶額用の額縁の注文のために、いつもの額屋さんへ行くのだと言う。最近父さんの展示会では小型の陶額がよく出るようになって、そのたびにこの額屋さんで特注の額縁を注文する。額屋のOさんは父さんの大学の後輩で、締め切り間際の滑り込みの注文にも陶額仕様の無理なカッティングにも丁寧に対応してくださって、ありがたい。
金曜日がそのOさんの出勤日ということで、展示会前の金曜日にはなんとなく「額屋ドライブ」の機会が増えるのだ。

格別買い物があるわけではないけれど、「うんうん、乗ってく!」と家事をいい加減に切り上げて父さんの車に便乗する。
個展前で徹夜続きの父さんの運転の見張り番を口実に、気分転換がてらの小ドライブ。
必ず持って出るのは父さん用の買い置きの缶コーヒー。

父さんが額屋で打ち合わせをする間、私は近くのスーパーに下ろしてもらって買い物。
普段あまり立ち寄ることのないスーパーの棚に並んだ食品は、見慣れた商品でもなんとなくものめずらしく感じたりして、日頃買うことのないスモークサーモンだとか、紫玉ねぎだとか妙な物ばかり脈絡もなく籠に入れているのに気がついて一人で苦笑する。
大盛りキュウリと青ねぎを買い足して、店を出たところでふと目に付いたのは急な雨に備えて売られているカラフルな雨傘。
安売りのペットボトル飲料や缶詰の棚の間にこそっと置かれた傘のなかには、婦人用の傘に混じって子供用の小さいサイズのビニール傘も並んでいる。ちょうどアプコが新しい傘が欲しいと言っていたのを思い出して、白地に赤やピンクのさくらんぼ模様の傘を選んだ。
さっき通ったばかりのレジに支払いに行くと、レジのおばさんが「まぁ、かわいい傘!」とにっこり笑った。
「いいわねぇ、うちは女の子がいないからこういうものを買う楽しみはなかったわ。」
「そうねぇ、男の子はしょっちゅう傘壊してくるけど、買うのは色気もそっけもない傘だものねぇ。」
とこちらも笑って応える。
ほんとにそうだなぁ。
こういうかわいいものを気まぐれに選ぶ楽しみ。
娘あってこその楽しさだったなぁと改めて思う。

アプコが今使っている傘はアユコのお古の赤いタータンチェックの傘。
アユコがとても気に入って大事に使っていた傘は、2代目のアプコに引き継がれてもまだまだきれいでどこも壊れていない。
「アユ姉ちゃんの傘」を大事に使っていたアプコも、そろそろ自分好みの新しい傘が欲しくなって来たらしい。
さくらんぼ模様のパステルカラーの傘はまさにアプコ好みの愛らしさ。きっと喜んで、明日の朝の雨を楽しみに待つことだろう。
そういえば、いつもお下がりのアプコにとっては、この傘は初めて自分用に買い与えられる傘。
気に入ってくれるといいなぁ。


2006年06月20日(火) 行方不明

久々に七宝教室。
道中暑くて参る。
都会の街路はなんて暑いのだろう。コンクリート詰めの固い地面も埃っぽい排気ガスだらけの空気も、じりじりと焼けるようで、その人工的な気配すらする異常な熱さに空恐ろしくなる。
まだ梅雨時だというのにここのところの晴天続き。
クールビズとかいうけれど、ネクタイ背広のおじさんたちも結構いて、都会の人は辛抱強いなぁと思う。

七宝のF先生は、86歳になる老婦人。オフィス街の真ん中に一角だけ取り残されたような一軒家で一人暮らし。
「あんまり暑いんで、今日は水茶にしてみましたよ」
と3時に出してくださったのは鶴屋八幡の焼き菓子と氷水で立てたお抹茶。ありあわせのガラスの器に涼やかに氷を浮かべて。
「氷はさっき裏の冷蔵庫まで取りに行ってきたのよ。」
裏の冷蔵庫とは近所のコンビニのこと。こいう当意即妙のもてなしが出来るのはやはり都会の人の特権だなぁ。

5時過ぎ、Kちゃんちで遊ばせてもらっていたアプコを連れて帰宅すると、珍しくアユコとオニイも揃って帰ってきていた。お土産に買ってきたサンドイッチをみなで分けて食べようと思ったらゲンがいない。
居間にランドセルとプールバッグが乱暴に投げ出してあるのでいったんうちへ帰ってきたことは確かだが、オニイもアユコも姿は見ていないという。
どうせその辺で遊んでるんだろうと思って放っておいたら、6時過ぎても一向に帰ってくる気配がない。
門限もかなりすぎているのでどうしたことかと心配になって外へ出る。自転車も置いてあるので遠くに行ったのでもなさそうだ。

「どうせまた、山なんじゃないの」とアユコがいうので、遭難でもしてやしないかと見に行ったら、果たして、滝の手前の浅瀬でかがみこんでいるゲンを発見。
川に入って何かを一心に獲っているらしい。
「こらぁ、ゲン!何時だと思ってるんだよぉ!」
と遠くから呼んだら、ゲン、ビクッっと飛び上がるようにして顔を上げた。
「うわっ、ビックリした!魚獲るのに夢中だったから。
・・・え、もう6時過ぎたの?明るいからまだ5時前かと思った。」
聞けば、学校に小さななまずを持ってきた子がいて、なまずは肉食だからエサ用の魚がいるといわれて魚とりに来たのだという。小さなめだかのような小魚を短い網で追いかけているうちにこんな時間になってしまった。
「でもちっちゃいちっちゃいナマズなんだ。こんな魚、きっと食べられないよねぇ」といいながら、バケツの中の釣果を嬉しそうに見せてくれる。
屈託のない笑顔に叱るのも忘れてしまう。

よく「日が暮れるのも忘れて遊び興じる」というけれど、今日のゲンはまさにそれ。竜宮城で楽しく遊んだ浦島太郎のように、顔を上げて見ればすっかり門限を過ぎてしまっていて愕然としている。
「行き先も言わないで、いつまでも遊びほうけていたら心配するじゃないの」と一応は叱ってみるものの、時間を忘れて魚とりに熱中するゲンの天真爛漫が愉快で仕方がない。

先週末、「心を入れ替えて勉強するわ。」と自ら宣言したオニイが、その舌の根も乾かぬうちに友達と遊ぶ約束をしてきて、「ちょっと自転車の修理に行ってくる」と嘘をついて遅くまで帰ってこなかった。ついでにつかなくてもいい些細な嘘をいくつか重ねて吐いたものだから、父さんと二人でコンコンと説教をした。今朝になってもまだ、オニイの不機嫌は名残を残していたように思う。。
親の意向を先の先まで慮って、従順に育ってきたオニイにもまた「反抗期」という奴が到来しそうな雰囲気だ。
高校に入って、行動範囲も友達関係も広がって、親の知らない世界を自由に泳ぎ回ることがだんだん楽しくなってくる年齢だ。オニイの行動の全てを把握して、親の管理のもとにおくのは無理な話。
大人半分、子ども半分の高校生は、その引き綱の長さの加減が難しい。

「ゲンはええなぁ。一日遊びほうけて、楽しそうやなぁ。」とオニイがゲンを恨めしげに眺めている。
時間を忘れて川遊びに興じ、「腹減ったー!」と晩御飯を山ほど喰らって、眠くなったら寝る。
野生児ゲンの道楽な一日が、忙しいオニイには極楽にみえるようだ。
アンタだってほんの数年前まで同じ様なことをして能天気に生きていただろうに。
多分オニイにとってうらやましいのは、ゲンの徹底した遊びっぷりではなくて、そんなゲンの門限破りを叱りながらもどこかで面白がって見守っている母の鷹揚なのだろう。
仕方がないよ。
なんと言ってもゲンはまだ小学生だ。


2006年06月19日(月)

風呂上りのほかほか湯気のあがるアプコを捕まえて爪を切る。
何故だかアプコは爪が伸びるのが特別早い気がする。
ちょっと油断をすると、桜色の薄い爪がにゅっと伸びて「鬼の爪!」になってしまう。
毎月一度の体重測定の日には、保健室の先生が爪のチェックもなさるのだけれど、「アプコちゃん、爪切っておいで。」と指摘されることもしばしば。
ありゃりゃ、ごめんごめんと慌てて爪切りを探すことになる。

ちょっと前まで‥‥、そう、上の3人の子どもたちがまだ幼い頃には、それこそ2日にいっぺんは誰かの爪を切ってやっていたような気がする。
テレビの前にどっかと座り、丸いゴミ箱を抱え込んで、「ちょっとおいで」と手近な子どもを引っ張ってきて、パチンパチンと爪を切る。
つい2,3日前、誰の爪を切ったんだか判らなくなって、「あ、アユコじゃなかった。じゃあ、オニイかな。」と交代したり、片方の手の爪を切ったところで誰かに呼ばれて、もう片方の爪を切り忘れたままになってしまったり、取り合えず毎日のように誰かの爪を切っていたように思う。
あの頃、オニイやアユコの爪もまだ薄く小さくて、赤ちゃん用の小さな爪きりでも十分切れそうな儚さだった。そして、子どもたちの手も小さくて、ぎゅっと握ると私の手の中にすっぽりと納まる暖かい手だった。

いつの間にか、子どもたちは自分で自分の爪を切るようになり、オニイやアユコの手をぎゅっと掴んで爪を切ってやることはなくなった。時々ゲンがアプコに便乗して「ついでに僕のも切って」とにゅっと手を出すこともあるけれど、がっちり大きくなったゲンの手はもう私のちんまりした手の中には納まり切らない。幼児の手の心地よい丸さはなくなり、ごつごつといかつい指は少年らしい楽しみをたくさん知っているたくましい手になった。

母として、始終チェックして短く爪を切ってやらなければならない手はたった一人分になったというのに、なんでアプコの爪はしょっちゅう切り忘れるのだろう。この辺がやはり、末っ子育児のいい加減さの表れだろうか。それとも本当にアプコの爪の伸びるスピードが、他の兄弟たちより格別早いのだろうか。
おまけに、アプコの爪の先はいつ見ても黒い。
寸暇を惜しむように遊び戯れるアプコの爪の先には、なんだか知れない黒い汚れがいくら洗ってもしょっちゅう挟まっていたりする。

「お母さん、なんで、爪の間に黒いの溜まるのかなぁ」
短く切りそろえたばかりの爪の先をしげしげ眺めながら、アプコは小首をかしげて私に訊く。
「さぁねぇ、たっぷり遊んでくるせいかしらんねぇ?
それとも、汗を掻く季節になって、アトピーさんをぽりぽり掻くせいかしらんねぇ?」
アプコの問いを笑ってはぐらかしながら、私はアプコの黒い爪がいとおしくてならない。それは毎日泥んこ遊びやおままごとなどの外遊びを楽しみ、工作やお絵かきに熱中する子どもらしい時間をたっぷり味わって日々をすごしていることの証。
こんな風に幼い手をぎゅっと掴んで爪を切ってやることも、いつ見ても黒く汚れた爪先を見ることも、あと数年で終わりになるだろう。
それは我が家の子育てのステージが、また一つ幕を下ろして新しい場面に移ると言うこと。

この間、居間で思いがけず堅い棘を踏んだ。
おそらくは子どもたちのうちの誰かが飛ばした爪切りの爪。
すっかり大人の爪の堅さで、私の足の裏にささやかな痛みをもたらした白い三日月はオニイの足の爪だったのだろうか。
日ごとに青年らしい気難しさを増していくオニイの堅い爪もまた、アプコの薄い爪と同様、いとおしい。


2006年06月14日(水) パス券

アユコが持ち帰ってきた愉快な話。

学級レクレーションでグループ対抗のリレーとクイズ大会が行われたそうだ。その優勝チームへの賞品として、担任のK先生が「パス券」なるものを提案されたのだと言う。
授業中、先生にあてられても、一回に限り発言を「パス」することが出来る免罪符。
折りしも、今週土曜日は参観日。
参観授業に当たっている社会科の時間に「パス券」が利用できるようにと、学級委員の子どもたちに社会科の先生と直接交渉してくるようにおっしゃったのだと言う。
茶目っ気たっぷりのK先生の提案とそれを大真面目に交渉に赴く学級委員を面白がって、社会科の先生からのOKも出てたらしい。
レク当日、K先生手製の「パス券」が本当に発行されたという。
優勝チームに渡された「パス券」には、トレードマークであるドラえもんのイラスト入り。
参観日の社会科の授業でこのパス券が本当に効力を発するのかどうか、子ども達以上に母は楽しみにしている。

アユコの担任のK先生は楽しい人だ。
時々、こんな風に思いがけない提案をして、生意気盛りの中学生たちを驚かす。その発想は、ユニークで、どちらかと言うと教師というよりやんちゃ坊主のいたずら感覚。その愉快さがまた子ども達の興味を引くらしい。
そのユニークな発想や生徒たちの心を掴む掌握術が、教師としての優れた指導能力からくるものなのか、それとも天然のいたずら心からくるものなのかはまだ判らない。K先生のとっぴな言動をいちいち面白がって報告してくれるアユコにも、そこのところの判断がつきかねているらしい。
つまるところ、K先生自身の持つユーモアや愉快なお人柄がそのまま日々の指導に生かされているということなのだろう。
ああ、愉快、愉快。

いやだなぁと思ってることや、ちょっと面倒だなと躊躇してしまうこと。
日常生活の中のたわいもないストレスをにっこり笑って拒絶できる免罪符。
そういうものが本当にあったらいいなぁと思ってしまう今日この頃。
どなたか私にも「パス券」、ください。


2006年06月12日(月) マイク無し

アユコ、一泊二日の宿泊学習から帰ってきた。
琵琶湖でカヌーやカヤックなどウォータースポーツを体験して、夜は花火や肝試し。二日目のお昼ご飯にはパエリヤを自分たちで作って食べた。
すばらしく楽しかったらしい。
ちょっと日焼けして帰ったアユコ。
「洗濯物がいっぱいあるんだけど」と開いたカバン。
「うわぁ、琵琶湖の匂いがする!お母さん嗅いで見る?」
遠慮しとくよ。
その匂いが「琵琶湖の匂い」と思えるのは、琵琶湖の明るい日差しと水しぶきの楽しさを十分に味わってきたあなただけ。
お母さんには、ただの汗の匂い。

で、少し前のことだけれど、この宿泊学習の保護者向けの説明会でのこと。
お知らせのプリントをもらって体育館に集まってきたのは、学年の三分の一くらいの保護者だったろうか。広い体育館にパイプ椅子が並べてあって、ほぼ満席だった。

学年主任の先生が前に立って、話し始めた。
「ここに、マイクはあるんですが、あえて今日はこれを使わないでお話しようと思っています。
と言うのは、今年の2年生の生徒たちは、集会などのとき、この同じ場所で5クラス全員入ってもマイク無しでちゃんと最後まで話が聴ける子どもたちなのです。やんちゃなヤツやうるさいヤツも中にはいますが、全体として素直なまとまりのよい学年だと思います。」

近頃は、小学校でも中学校でも、参観や説明会など大勢が集まる場での保護者の私語や携帯電話の着信音などの基本的なマナーがひどいときがある。先生方も、生徒相手と違って保護者を大声で叱ることも出来ず、歯がゆい想いをしていらっしゃるだろうなぁと思うことも多い。
この学年主任の先生も、子どもたちのことを褒めるような形をとりながら、さりげなく説明会に来た保護者の私語を最初に制しておくつもりだっったのだろう。けれどもその話の展開には、さりげなく自分たちが教えている子どもたちへの信頼も感じられ、何となく好感の持てる話し振りに思われた。

後日、他の集まりである保護者がこの説明会での先生の態度を不快だったと評しておられるのを聞いた。
「保護者は生徒ではないのだから、大勢人が集まる場ではマイクぐらい使うのが常識だろう。先生の物言いにも、保護者まで『教育してやろう』という意識が見え隠れして、傲慢な感じを受けた。」という。実際後ろの方の席では付き添ってきた幼児がむずかったりして、先生の話はさっぱり聞こえなかったのだそうだ。
私自身は席が前から2列目だったから先生のお話は全てよく聞こえると思ったのだけれど、当日2,3列後ろにおられた別の保護者も話の内容が聞き取りにくかったのだと言う。

用意された席の真ん中あたりで聞き取りにくいというなら、やはりマイクは必要だったのだろうか。
生徒たちの集会でなら、最後尾の生徒にまでマイク無しの声が通るというのに、何故保護者だと聞こえないのだろう。
そもそも、本当に生徒たちは普段、マイク無しの先生の声をちゃんと聞き取れているんだろうか。
先生が保護者に対して「お静かに」と釘を刺すのは、ほんとに「傲慢」なんだろうか。

私自身は「マイク無しで話を聞ける生徒たち」のお話で、先生方と子どもたちの信頼関係を「嬉しい」と思って聞いていただけに、「傲慢」と受け取った保護者が結構いたということがちょっと意外だった。
ま、受け取り方は人それぞれ、いろいろあるということか。


2006年06月10日(土) 深夜の声

夜中、一人でPCの前に座っていたら、すぐ後ろで寝ている父さんが奇声をあげた。
「おーぅ、おーぅ、おーぅ」
と獣が吼えるような長いうなり声。
ああ、ビックリした。
すぐに父さんの寝言だとわかったけれど、その声は普段聞いた事のない不気味な感じの叫び声で、ドキドキして聞いてるほうまで怖くなった。
急いで父さんを揺り起こしたら、「誰かが椅子を振り上げて・・・」とあいまいな夢の中身を説明しかけて、すぐまたストンと寝てしまった。
きっと怖い夢を見ていたんだな。
昼間の疲れやストレスが、短い仮眠の夢の中に怖い影を忍び込ませるのだろう。内面に秘めた焦燥や切迫感を、寝言という形で振り払おうとする父さんの頑張りを痛ましいと思ったり、いとおしいと思ったり。

また個展が近い。
昨日あたりから追い込みモードに入ったらしい。
外出する用事や外からの電話を避けたがり、食事と仮眠の時間以外はほぼ工房に行ったきり。
話しかけても答えが上の空だったり、そのくせくだらないお笑い番組に過剰なくらい馬鹿笑いしていたり。
肩こり、腰痛、眼精疲労。
お決まりのフルコース。
そして夜中の寝言は、数年に一度のオプションだ。

結婚して15年余。
ようやく個展前の父さんの心理状態と行動パターンが予測出来るようになってきた。
この時期にはあたらず触らず、仕事三昧をそっと放置しておくのが吉。
夜食用のスナック類とスタミナ補給のニンニク。
そしてもう2,3日もすれば、ここ一番のドリンク剤。
私が世話を焼くことが出来るのはせいぜいその程度。
あとは黙って見ているしかないのだ。
年齢を重ねて、若い頃ほどの徹夜仕事は出来なくなったとこぼす夫の後姿をただただ見守る。


2006年06月08日(木) クワガタムシ再び

誕生プレゼントとして、念願のカラフルな外国産クワガタムシをゲットしたばかりのゲンに、再びサプライズなプレゼントが届いた。
黒光りする大型のアンタエウスクワガタのペア。
昨日もらった小型のパプアキンイロクワガタも嬉しかったけれど、こちらはオークションなどでも高値の花と思っていた希少品種。ずっしりと持ち重りのするボディは良く出来た精密機械のようで、昆虫好きにはたまらないかっこよさ。
・・・らしい。
(ゲンのおかげで母もずいぶん外国産の昆虫の長い名前を覚えた。・・・だからって、とくべつに毎日の生活が豊かになるってわけでもないけれど・・・。)

プレゼントの贈り主は父さんの大学時代の同級生Oさん。。
最近父さんは同窓会の幹事役をつとめていて、その名簿作成のために十数年ぶりに連絡を取ったのだという。
「やぁ、久しぶり、どうしてる」で始まって、仕事のことやら子どものことやら話しているうちに、ゲンの昆虫好きが話題に上った。
すると、何とOさんは陶芸の仕事の傍ら、趣味で外国産の昆虫を繁殖させてたくさん飼育しているという。
電話したのがたまたまゲンの誕生日だったというので、その人は奇縁を面白がって秘蔵のクワガタをゲンのために送ってくださることになった。
通販サイトなどを通じて、外国産の昆虫のビックリするような高値を知ったあとだけに、いただいてよいものかどうか父さんも困惑していたのだけれど、結局「誕生日なんだから」と気前よく譲ってくださるOさんのご好意に甘えることになった。

たまたまゲンの誕生日に父さんが十数年ぶりに電話した友人が昆虫好きで、これまた偶然息子の昆虫好きが話題に上って・・・。
いくつものラッキーな偶然が重なって送られてきたバースディプレゼント。
「好き」も高じるとこんなふうに、知らぬ間にラッキーな偶然を招き入れてしまうエネルギーが生まれてくるものなのかもしれない。
まさに「棚からぼた餅」でやってきた幸運にゲンは天にも上る心地のようだ。
お礼にかけた電話では、直接Oさんから頂いたクワガタの特徴や飼育方法を
いろいろ伺ってまたまた大喜び。ゲンにとってOさんは、すっかり「気前のいい昆虫の神様」になってしまった。

こうしてゲンの学習机には、大きな飼育ケースがまた一つ増えた。
漢字ドリルや計算ドリルをやっつけながら、夢見る瞳でうっとりと飼育ケースを眺めるゲン。
「繁殖しやすい品種らしいから、いっぱい卵を産むといいな。」
「大型種は餌をかなり食うらしいから、また昆虫ゼリーを買っておかなくては・・・」
と頭の中はクワガタのことでいっぱい。
「コイツ、幸せそうやなぁ。ここんとこ、クワガタ三昧やなぁ」
オニイが呆れてため息をついた。
そうそう、昆虫シーズンはまだ始まったばかり。
至福の夏はこれからやってくるのだ。

・・・近頃、ゲンの机のそばによると森の匂いがする。
気のせいだろうか。


2006年06月06日(火) クワガタムシ

ゲン誕生日。12歳になった。
夕食は「でかいエビフライ」
ケーキは「フルーツのいっぱいのったホールケーキ」
誕生日プレゼントは通販の「パプアキンイロクワガタ
学校からはクラスのみんなが書いてくれたバースディカードをもらってきた。ついでにアプコの友達のKちゃんからもかわいい絵の描いたお手紙をもらった。
12歳のゲンは幸せいっぱいだ。

4人の子どもたちの中で、自分の誕生日に対する期待度が一番高いのはゲンだなと思う。
「誕生日のプレゼント、何がいいと思う?」
「誕生日のご馳走、何をリクエストしようか。」
その日の数週間前から、熱心に自分の誕生日の計画を語るゲン。熱意のあまり、周囲がすっかりうんざりして「はいはい、そうね」といい加減な生返事になってもいっこうにお構いなし。
今年は外来種の昆虫をゲットしたいとずいぶん前から計画していたようで、ネットの通販サイトやオークションで熱心に情報収集をしていた。
「誕生日まであと何日?」
毎日毎日、指折り数えて自らの誕生日への期待を膨らませ、ニヤニヤ一人笑いをしているゲンの天真爛漫をいとおしいと思う。

思案の末、ゲンが選んだのはニューギニア産の小型のクワガタムシのペア。赤青緑と多彩なメタリックカラーが特徴というその虫は、思いがけなく軽い宅配便の段ボール箱で届いた。
さっそく飼育ケースに移して学習机の正面に据えた。
ゲンの夢見る夏が始まったようだ。


2006年06月05日(月) 母の憎しみ

秋田の小1殺害事件の犯人が逮捕された。
事件の一月前に娘を亡くした近所の母親の犯行だったという。
「何故、そんな身近な人が・・・」と思う気持ちと「やっぱりその人だったか」という気持ちと。
本人はまだ殺害自体は自供していないという。
ニュースでは、犯人の生い立ちやら職歴やらあれこれ引っ張り出してきては、「犯行の動機」やら「事件の背景」やらを推理し始めている。家事もあまりしていなかったとか、人付き合いが良くなかったとか、わが娘にも虐待や育児放棄があったのではないかとか、近所の人の談話やコメンテーターと称する人たちからの情報でそれらしい母親像が作り上げられていく。
嫌だなと思う。
「わが子を失った悲しみのあまり、元気な隣家の男の子に妬んで、刃を向けた。」
そういう母性におぼれた愚かな母のままで、置いておいてくれないかなぁと思ったりする。

ある日、突然わが子を失った母がいるとする。
お悔やみの言葉も慰めの言葉も山ほど聴いて、たくさん泣いて、それでももう手元に生きたわが子を抱くことができなくて、ふと窓の外を見るとついこの間までわが子と一緒に仲良く遊んでいた隣家の男の子が元気に走っていく。
「なんで、死んだのは隣のあの子じゃなくて、うちの子なんだろう。
あの家にはまだ当たり前のように元気な子どもが帰ってくるのに、なんでうちの家には子どもが帰ってこないんだろう」
とねたましい思いや憎しみの心が沸いてきたとしても、不思議じゃない。

少なくとも私はその母の気持ちが理解できる。
生後3ヶ月の娘を病気で失ったとき、街で同じくらいの月齢の赤ん坊を見かけると「なんでこの子じゃなくてうちの子が・・・」と心潰される想いで苦しかったのを思い出す。
それは、はっきりと憎しみだった。
「殺してしまいたい」とは思わなかったけれど、「見たくない」「消えてしまえ」と呪いの言葉を吐きたくなる、そんな時期もあった。
そんな時、周りの人たちからの慰めの言葉やいたわりの気遣いはただただ耳障りな雑音としか受け入れられなかった。
「死児の齢を数える」というと、考えても取り返しの付かない詮無いことを言う言葉だが、娘を失って10年近くたった現在でさえも、ちょうどその年齢ぐらいの子どもに対して「なぜこの子じゃなくて、あの子だったんだろう」と黒い想いがふつふつと沸いてしまうときもある。
その事を私ははっきりと自覚している。

事件の前に、少年の家族は母親に、生前の少女が自分ちの子どもたちといっしょに水遊びをしているビデオを渡したのだという。
娘を失った母をそこまで気遣ってあげたのに・・・という裏切られた想いが多分被害者の家族にはあるだろう。
でも、あれって微妙だなぁ。
失ったわが子の生前の元気な姿を、せめてビデオででも見てみたいという気持ちと、一緒にビデオにうつっている隣家の子どもたちは生きていてわが子だけがいなくなったというギャップに苦しむ気持ち。
それがどんなバランスでその時期の母親の心の中に位置していたかは誰にも分からない。
隣家の人々にとっては嘆きの母をいたわる慰めのつもりでも、生傷に塩を刷り込む残酷な贈り物になることもある。
少なくとも私は、犯行発覚前の報道でビデオの話が流れたとき、「善意とはいえ、それはキッツイ慰め方やなぁ」と複雑な想いがした。そういう「優しさ」を真正面から受け止めて「ありがたい)と感じられるためには、それなりの時間と十分な癒しが必要だったはずだ。

だからといって、隣家の子どもに対する妬みや憎しみを直ちに「殺意」に変換してしまうことが普通とは思わない。「憎しみ」と「殺意」の間には、常人ならめったに超えることのない高い障壁があるはずだ。
だから、犯人の女性を擁護したり、共感したりすることは絶対に出来ない。
それでもなお、この陰惨な事件を「愚かな母親がわが子を失った悲しみのあまり、隣家の男の子に殺意を抱いた。」という単純な動機で終わらせて欲しいと心のどこかで願ってしまうのは、私自身の中にかつて生まれたことのある暗い思い、そして今で心の片隅でひそかに息を潜めているに違いない憎悪の気持ちを正当化したい、あるいは普遍化したいという愚かな願望のせいかもしれない。
その事をまだ私はどうしても整理しきれないでいる。


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