月の輪通信 日々の想い
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夜剣道。 ゲンを道場へ送り届け、指導の先生が来られたのを見届けてからいつものとおりスーパーへ。閉店前の特売品を物色しながら、土日の食材をあれこれ買い込む。 行きつけの肉屋のおばちゃんが自分のうちの夕食の買い物をしているのに遭遇。箱いっぱいの山椒の実を買うか買うまいか迷っていたようなので声をかけたら、おばちゃんは笑って山椒の実の調理方法を教えてくれた。 「あんたたち若い人らには、それほど美味しいもんじゃないかも知れんけどね。」 確かに、箱一杯分煮て食べたいほどではないけれど・・・。 ふとおばちゃんのかごの中を見ると、焼き魚や練り物など、半額シールのついた特売品が数点。あ、やっぱりお肉は買わないのねと納得。可笑しかった。
最後にパンを買って・・・とうろうろしていたら、正面からどこかで見覚えのある男の子がずんずん近づいてくる。ずいぶんくたびれた歩き方だなと思ったら、オニイだった。部活で帰りが遅くなったけど連絡できなかったのでもしかしたらここに母さんが来てるかと思って立ち寄ったとのこと。
嘘つけ! このスーパー、君の通学路からはずいぶん外れているじゃないか。 遅くなったと思ったら、回り道なんてせずにさっさと家へ直行すればいいのに・・・ さては、寄り道してジュースの一本でもせしめようという魂胆か・・・。
次々問い詰めたら、あっという間にオニイの返答はしどろもどろになった。 「や、違うっすよ。」 「そんなこと考えてないっす。」 「はい、わかってます。・・・でも、あの、今日、財布忘れてきちゃったンすよ。出来たらちょっと小銭を貸してもらえると嬉しいンすけど・・・。」 ははは、やっぱり目的はそこか。 馬鹿だな。 変な言い訳したから、ジュースは無し。 お金も貸さないからさっさと家まで走って帰りな。 残念でした。
片道9キロの起伏の多い通学路。 厳しい部活の練習を終え、腹ペコでこぐ自転車のペダルは重かろう。 毎日いっぱいいっぱいの体力で通学していくオニイを、心配しながらも「頑張っているなぁ」と見ていたけれど、意外と寄り道する余裕も出てきているんだなぁ。 自転車で遠出をする機会も増えて、彼なりの寄り道コースもブレイクポイントもいろいろ開発し始めているのだろう。 しゃぁないなぁ。 高校生だモンねぇ。
ところでスーパーの食品売り場で立ち話をしたオニイ。 最初から最後まで、変なニュアンスの敬語で喋っていたことに気がついた。 多分、部活で先輩たちに話しかけるときの体育会系の敬語なのだろう。 学校でもない、家でもない。中間地点のスーパーで母と話すとき、今さっきまで先輩たちに使っていた独特の敬語で喋ってしまうオニイの狼狽が楽しい。 今まで聞いた事のないオニイの体育会系敬語。 母の知らない世界、母の知らない人間関係がどんどん広がっているのだろうなぁ。
昨日、ようやく、毎年恒例のお茶会が終わった。 今年のお客様は、80人近く。 心配していたお天気も奇跡的な晴天。お客様の足元を濡らすことなく、工房の新緑をお見せすることが出来て何より。 子どもたちもそれぞれにお役目を果たして、よく働いてくれた。
仕事が終わって、ゆるゆるとけだるさを残したまま後片付けをはじめる。 お茶室のお道具類の乾燥やゴミの始末、点心席で使ったタオルや布巾類の洗濯など、まだまだ仕事は山積み。 「なんだか気合が入らないわねぇ。」と笑いながら、一つ一つ片付けて仕事場やお茶室を少しづつ通常モードに戻していく。 楽しいお祭りのあとのちょっと寂しい脱力感。 宴のあとのけだるい朝をだらだらと味わいながら、仕事を終えた。
夕方、長らく即席ご飯やお急ぎランチで切り抜けた台所で、久々にゆっくりと夕餉の支度。頂き物のグリーンピースで豆ご飯を炊く。家庭菜園で丹精して実ったというその豆は、サヤを割るとぷくぷくとした実がみっちりと手をつないで仲良くつまっていて、青い畑の匂いが春の実りの嬉しさを伝えてくれる。台所のテーブルにざるを持ち出して、次から次へと豆を剥く。 子どもらを呼んで「むいてちょうだい」と頼んだら、にぎやかに楽しい皮むき作業が出来るだろう。 でも、台所に隅に座って一人で、じっくりと豆をむく。そんなゆっくりした時間もおんなじくらい私は好き。 だから今日は、あえて子どもらを呼ばずに一人で豆の皮をむく。
笊いっぱいをおおかた剥き終えた頃、ぱちんと割ったサヤの中から青い豆粒がはじけるように指の間を転がり落ちて、テーブルの下へ見えなくなった。 ちょうど外遊びから帰ってきたばかりのアプコが「うわぁ、お豆さんが走っていった!」と言ってテーブルの下へもぐりこみ、こぼれた豆を拾ってくれた。 「元気なお豆さんだねぇ。豆ご飯にするの?」 アプコはグリーンピースの豆ご飯が大好き。 たくさんお替りして食べてくれるだろう。 ちょっと目を離すと、ぱちんと弾けて駆け出していくグリーンピースの元気さは、ちょうど今のアプコとおんなじ。
「子どもを育てるのと同じで、手抜きはしているが、野菜は自分の力で何とか成長してくれる楽しい存在です。」 菓子箱いっぱいのグリーンピースを送ってくれた人の骨太な手紙の文字が、暖かく嬉しい豆ご飯だった。
五月晴れの朝。 私の誕生日。 祝ってもらって嬉しい年ではなくなったけれど、誕生日の朝がからりと晴れた青空だととても嬉しい。 5月生まれで良かったと思う。 私を5月に生んでくださった父上様、母上様。 ありがとう。
「で、いくつになったんだったけ?」 今日のランチは父さんのおごりで外食。向かい合って座って、父さんが聞いた。 「さぁ?42?・・・43?・・・44だっけ?父さんは今いくつ?」 「えっと、いくつだったっけなぁ。53?・・・52?うそ、54じゃないよね。」 私と父さんはちょうど九つ半違い。お互いの年齢を比べるときには9をひいたり10を足したりして計算する。それも時々ごっちゃになって、どっちが何歳だか訳が分からなくなってしまう。 とうとう父さんがかばんの中から電卓を取り出して、西暦の引き算をして私の実年齢を計算してくれた。 はぁ、自分の年ぐらい電卓無しで覚えておこう。 でも出来ることなら永遠の30歳あたりで・・・。
今日から一週間、オニイ、高校での初中間テスト。 先週はテスト一週間前で、入学後ずっと続いていた部活が全面お休み。怒涛のように始まったオニイの体育会系高校生活もほっと一息という感じか。母にとっても、息子が外が明るい時間に帰宅するのは久しぶりで、むしろ「部活骨休み週間」って感じだった。 今週は朝の弁当つくりもまるまるおやすみ。こちらもちょっとほっとする。
「かあさん、やっぱり高校生の本分は勉強やな。 剣道も大事やけど、僕、もっともっと勉強するわ。」 初日の試験を終えて帰ってきたオニイがしみじみと語る。 ほう、さすがに高校生になると、しっかりしたことをいうようになったなぁ。 ・・・なんて感激していてはいけない。 勘の良い母は即座に切り返す。 「で、何の試験が悪かったの。」
「・・・・物理。」 そんなことだろうと思ったよ。 ま、明日も頑張れ。
秋田でまた小学一年生の男の子の受難。 連日の報道に胸が痛む。 なぜ、幼い命がこんなにあっけなく絶たれるのだろう。 聞けば、自宅のすぐそばの公園で友達の親子と別れてすぐに消息が分からなくなったのだという。 その距離、たったの80メートル。 バイバイと手を振れば見通せる距離。 そんなわずかな間隙にどんな悪魔が潜んでいたのだろう。
「ちょっとおばあちゃんちへいってくるね。」と斜め向かいの工房へいそいそとでかけていくアプコ。 下校途中「おしっこしたいから、先に走って帰るね!」と駆け出すアプコ。 公園で「先に帰るよ!」と呼んでいるのに「お願い!ブランコ、一回だけ!」と帰りを渋るアプコ。 そのとき、私とアプコの間の距離は何メートル? 我が子との距離を「不安」というメジャーで何度も何度も測ってしまう。 いやな習慣がここのところ染み付いてしまって抜け出すことが出来ない。
先日のアプコの遠足のときのこと。 朝、我が家の前のハイキングコースを皆と一緒に通過していったアプコ、しばらくして一人のお友達を連れて駆け戻ってきた。 すぐ先の集合場所で引率の先生から「トイレについて行ってあげて」と頼まれて、お友達を案内してきたのだという。たまたまその場所での引率の先生の手が足りず、仕方なく近所に住んでいて地理に明るいアプコが案内役に起用されたのだろう。 ちょうど私が外に居て、走って戻ってくる二人を見かけたので、「あそこのトイレは汚いし怖いから、うちのを使いなさい。」と自宅のトイレを使わせた。 この日の「トイレ拝借」は合計3回。3回とも先生の引率は無しで、アプコが同じく低学年の女の子と手をつないでやってきた。
先生が指示したトイレはひと気も無く、普段余り利用されていない薄暗い公衆トイレ。たまたま私がアプコの姿を見かけたから自宅のトイレを使わせたけれど、そうでなければアプコはお友達と二人であの公衆トイレに入っていたことだろう。普段から「あのトイレには近づいちゃ駄目よ」と言い聞かせている場所だけにぞっとする。
こんなことでいちいち口うるさく言うのはどうかなぁとためらいつつ、アプコの帰宅後学校に電話を入れた。電話口の教頭先生に状況を話し、トイレを貸したことに苦情ではなく、低学年の女の子だけでひと気の無い公衆トイレに行かせることへの不安を訴えたいのだと念を押した。その時点では教頭先生はこちらの意図する所をちゃんと汲み取ってくださったようだった。多分他の先生方にもちゃんと伝えて置いてくださったのだろう。 後日、学校に顔を出した折に何人かの先生方から「先日はどうも・・・」と声をかけていただいた。たいがいの先生にはこちらの意図は通じているようだったけれど、中にはやはり、自宅のトイレを貸したことへの苦情ととっている先生もあったようで、その辺の危機管理意識の溝はあるなぁと感じた。
ここ数年、幼い子どもが攫われたり、意味も無く突然殺されたり、わけの分からない事件が続く。親が安心して子どもの手を離して歩ける距離がどんどん短くなっていくような気がする。 同じ年齢のときのオニイやアユコには「一人で行ってごらん」と言えた距離が、「ちょっと待って、お母さんも一緒にいくから」と言わざるを得ない距離になる。 「一人で行けて偉かったね。」といえた場所が、「危ないから一人で行っちゃ駄目。」の場所になる。 今回の「トイレ拝借」の事だって、指示を出した先生にとっては「これくらいなら大丈夫」の距離、私にとっては「子どもだけでは行かせられない危険な場所」という微妙な危機意識のズレの問題だったということだろう。
集合場所から公衆トイレまではそれこそ80メートル余り。 この短い距離を「安全」と思えない私は、臆病な母なのかもしれない。
昨日に続いてアプコのお話。
父さんのコーヒー用のシュガーポットのグラニュー糖が残り少なくなったので、代わりに小粒の角砂糖をポットいっぱいに詰めてテーブルの上に置いておいた。 「あ、コーヒーの砂糖、角砂糖になったんやね。」 と帰ってきたアユコが目ざとく見つけた。 「うん、かわったんよ」 と答えるのを、傍らでアプコがフムフムと聞いている。その生真面目な様子がおかしかったので、ちょっとからかってやろうと思って 「昨日、新しいお砂糖を入れてね、蓋を閉めるのを忘れたら、一晩で固まって角砂糖になっちゃったのよ。」 といってみた。 アプコ、一瞬目をまん丸にして、ぐっと一息飲み込んでから、 「そ〜ぉ?」 と、のどかなお答え。 決して母のほら話を頭から信じたわけではない。 かといって「うそ!」と直ちに切り返すわけでもない。
近頃、「そ〜ぉ?」はアプコの口癖。 一昔前のおっとりした良家の奥さんのような、のんびりと間延びした響きがなんともかわいくて、母はひそかに気に入っている。
「今日は長袖の上着着ていったほうがいいよ」 「そ〜ぉ?」(アタシは半袖で行きたいんだけど・・・。)
「菓子パン食べる?おなかすいてるでしょ?」 「そ〜ぉ?」(別にそうでもないけど、一応もらっといてあげる)
「アプコの絵、上手ねぇ」 「そ〜ぉ?」(それほどでもないんだけどね、照れちゃうわ。)
言われたことに納得しての返事でもない。 だからといって、「いや!」とむげに拒絶するわけでもない。 「別にいいけどね。」とか「そういう手もあるわね。」とか、ゆるゆると擦り寄るような鷹揚な返事が、おっとりマイペースのアプコらしい。
「角砂糖って、ほんとにサラサラのお砂糖を置いといたら勝手に出来るの?」 しばらく間をおいてから、アプコがおずおずと尋ねてきた。 「まさか、そんなこと」とは思いながら、母のほら話に「もしかして、ほんとに?」というひとかけらの疑念がアプコのなかに残っていたらしい。 「さぁね、どうだかね。」 意地悪い母は、最後までほらの種明かしをしない。
間延びしたアプコの「そ〜ぉ?」をもう一回聞きたくて。
和太鼓の稽古に行く。 明日、小学校のPTA総会でデモンストレーション演奏をさせてもらうので、その最終練習。なかなか出演者が決まらなくて右往左往したものの、ようやく今日全員そろっての練習になった。 太鼓を叩くのはたのしい。 一人で叩いても楽しいけれど、大勢で叩くともっと楽しい。 こういう種類の楽しさを、私は若い時にはあまり充分には味わってこなかったように思う。おばさんの年齢になってから、子どもたちの学校や地域の人とのつながりの中で、こういう楽しみを経験できたということがうれしい。
で、その帰り道。 助手席のアプコが憂鬱そうに話し始めた。 「あのねぇ、おかあさん、このごろだ〜れも遊んでくれないの。休み時間はいっつも一人で遊んでるの。学校行くのちょっと嫌になっちゃう」 はぁ、今さっきまで同じクラスのMちゃんと一緒に仲良く遊んでいたじゃないの。学校の帰りは大勢のお友達とふざけっこしながら楽しそうに帰ってくるし、うちに帰ったら1年生のKちゃんとお互いの家を訪ねあってしょっちゅう遊んでる。 アプコがそんな事で悩んでいるなんて思っても見なかった。
「○ちゃんとはこのごろ一緒に遊んでないの?」 「うん、○ちゃんはいつも×ちゃんと遊んでる」 「△ちゃんとはどう?」 「△ちゃんはいつも一輪車ばっかりしてるから、一緒に遊べないの」 「じゃ、◇ちゃんは?」 「◇ちゃんは△ちゃんの友達だから一緒に遊べないの」 はぁ、なかなか複雑ですね。 特別ケンカしたというわけでもない。いじめられてるとか、仲間はずれにされているというわけでもない。 要するに、自分がやりたいと思う遊びに付き合ってくれる友達がいない。自分に調子を合わせて「遊ぼう」と誘ってくれる友達がいない。そういうことらしい。 末っ子姫のアプコはオニイ、オネエにちやほやされて、自分のペースにあわせて遊んでもらう経験が多かった。年下のKちゃんと遊ぶときにはお姉さんぶって遊びの主導権はアプコが握っていることが多い。 自分から「遊んで」と声をかけたり、自分の不得意な遊びに付き合ったりするのはアプコの苦手とするところ。 きっとアプコのいう「一人ぼっち」は、そういうことなんだろうと思う。
「どうしたらいいと思う?」 夕食前のあわただしい時間になっても、まだ悩ましげに擦り寄ってくるアプコ。 「自分から『いっしょにあそぼ』って声をかけたらどう?」 そんなありきたりの答えでは解決しそうにないので 「アユ姉ちゃんに聞いてごらん」と振ってみた。 そういえば、今は積極的なアユコだって、ちょうどアプコぐらいの時近所の仲良しさんが転校していってしまって「お友達がいない、学校へ行きたくない」とぐずぐずしていた時期があるはず。
「いいやん、一緒に遊ぶ友達がいなかったら、一人で本でも読んでたら・・・。一人で遊ぶのだって、別に悪いことじゃないしね。」 アユコの答えは単純明快で意外だった。友達を作る努力をしなさいとか、自分から声を書けるようにしなさいとか、お説教めいたことは何にも言わなかった。 「そ〜ぉ?」と納得の行かない顔で首をかしげるアプコ。 確かにね。 いつも元気にたくさんのお友達と一緒に遊べることも大事だけれど、無理してそうしなきゃならないって訳でもない。一人で遊ぶ時間を楽しめることだって決して悪いことじゃない。 そういう発想が、生真面目で社交的なアユコの中に育っていることの意外さが驚きだった。
「ねぇねぇ、おかあさん。明日はKちゃんちに遊びに行くんだよね。」 夕食を済ませて満腹になったアプコは上機嫌でおしゃべりをしている。どうやらアプコの「一人ぼっち」もまだそれほど深刻ではないらしい。 「みんな仲良し」もいい。 でも「一人ぼっち」も悪いことじゃない。 アユコが投げたなぞなぞを、アプコはすぐに忘れてしまうだろうか。 それならそれで、今はよし。
中間試験初日のアユコ。 昨日も遅くまで勉強していたらしい。 朝、他の兄弟たちが起きてきて、朝食の食卓につく時間になってもアユコだけがなかなか降りてこない。何度呼んでも「う〜ん」とあいまいな返事が返ってくるだけ。 兄弟の中でもアユコはことさら朝に弱い。 そうでなくても思春期の女の子ってのは、何故だかとっても眠いものだ。 試験勉強で睡眠不足が続けば、朝の寝起きがこじれるのは当たり前のこと。
寝坊したアユコは、とっても機嫌が悪い。 誰に怒っているわけでもない。 ちゃんとやれない自分、「あと5分だけ・・・」とうじうじ布団にしがみついていた自分に腹を立てているだけ。そのことは自分でも良く分かっているくせに、なんだかツンケンしてふくれっつらでご飯を食べる。 のんびり味噌汁の椀をつついているアプコが気に障る。 朝から駄洒落を飛ばすゲンの無神経に腹が立つ。 「はよ、起きろよ」と意見するオニイにむかつく。 こんな日に限ってうまく結うことの出来ないヘアスタイルに苛立つ。 しまいには、どんより曇った空模様にイラつく。 自転車置き場に置かれた邪魔になる移植ゴテを蹴飛ばしたくなる。
そういえばアタシにもこんな時期ってあったよなぁ。 本を読んだり物書きをしたり、夜遅くまで起きて何かごそごそやっているくせに、朝がなかなか起きられなくて、イライラツンツンしていたことが・・・。 大人になってから実家の母に、 「この子はこんなにいぎたなく寝てばかりで、ちゃんと主婦業や母親業が務まるのかしらと心配していた。」とまでいわれたことがある。そんなにしょっちゅう寝坊していたのかなぁ。 「いぎたない」という言葉、「あさましい」とか「ひどい」とか言う意味だと思い込んでいたけれど、さっき調べてみると「寝穢い」という字をあてて、寝ること限定の形容詞だったのらしい。 そういう意味ではまさしく、ある時期私は「いぎたない青春」を生きていたのだろうなぁと思ったりもする。 でも大丈夫。 夜中の授乳もちゃんとできたし、朝の弁当つくりだってちゃんと起きられる大人になったよ。 安心してね、おかあさん。
「いってきます」も言わないで、玄関のドアにぶつかるように走って出て行ったアユコ。 今日は雨降りだから自転車に乗れない。 唇をへの字にまげて、ぽろぽろ零れ落ちる涙をぬぐいもせずに、鬼のような勢いで、バリバリ坂道を下っていったのだろう。 いってらっしゃい、アユコ。 お友達に会う前には、ハンカチで涙を拭いてね。 明日はあと五分、早く起きようね。
ゲン遠足。 バスで奈良明日香の遺跡めぐり。 お天気はいまいち。レインコート持参。 おやつは例によって「うまい棒15本」 飽きないねぇ。 今回はなじみの駄菓子屋さんがお休みで15種類のうまい棒を買い集められなかったのが痛恨。 何軒かのコンビニを回ってようやく7,8種類買い集めてきた。やたらカサの高いおやつ包みをリュックに詰め込む。
で、お弁当。 前回の遠足では「ビックリするお弁当」とリクエストがあって、いろいろ考えた末、お弁当箱の底におかずを敷き詰め、上から白ご飯をべったり被せるように詰め込んで、ふりかけで大きなハートマークを描いた。 一見、「え?ふりかけご飯だけの弁当?」というビックリ弁当。 古典的な方法だけれど、面白好きのゲンにはかなりウケた。 「で、今度はどんなビックリ弁当?」 と次を期待されて四苦八苦。
結局「古代のロマンを求めていくのだから。」とこじつけて、今日のゲンの弁当は竹の皮弁当。 頂き物の洋菓子のラッピングに使われていた竹の皮をきれいに洗って、お弁当箱代わりに使う。 大き目の海苔おにぎり。 フライやウインナーなど汁気の少ない定番おかず。 少しだけ古風を意識していつもはあまり入れない筍とにんじんの煮物。 これを竹の皮に包み、細く切った竹の皮の紐できゅっと括る。細い竹の皮にはそれほどたくさんの食材は入らなくて、結局二包みに分けての2段弁当になってしまった。 いつものお弁当ナプキンに包んでも、がさがさと収まりの悪いお弁当包み。 「うまい棒15本」と負けず劣らずカサが高くて、結局ゲンは一回り大き目のリュックに荷物を詰め替えて出かけていく羽目になった。
思うに、むかしの竹の皮弁当には、ウインナーとかフライとかバラバラ散らかるおかずはいれなかったのだろう。 大きなおにぎりにお漬物、くるりと竹の皮に包んで風呂敷包みに入れる。 それが本来の竹の皮おにぎり。 欲張ってあれもこれも入れた「エセ昔弁当」は、ひざの上に広げて食べるには余りにも不安定。「おむすびころりん」にならなければいいけど・・・とちょっと不安。 どうせなら中身もシンプルに、おにぎりオンリー弁当にすればよかったかしらん。
「お母さん!お弁当、面白かったで。」 帰ってきたゲンの第一声。 ・・・おもしろかった?おいしかったじゃなくて? 「おむすびころりんにならなかった?」 「うん、大丈夫。」 よかった。 果てさて、次はどんなビックリを仕掛けようか。 懲りない母・・・。
連休明けからひどい風邪を引いて、エッフォエッフォと咳ばかりして過ごした一週間だった。 くたびれた。 どーんと滞っている日記の更新は、ぼちぼちに遡りながら・・・。
夜剣道。 早めに仕込んでおいたカレーライスで早めの晩御飯。 ゲンを送って道場へ。 金曜の晩のお決まりコースにオニイが加わらなくなってずいぶんたった。 「前の席、取った!」 小さいトッポの特等席、助手席の取り合いでにぎやかにじゃんけんする光景も見られなくなった。その代わり、助手席に陣取ったゲンが途中の車中でひっきりなしにおしゃべりをしてくれる。 欲しいと思っているクワガタムシのこと、学校であった面白い話、新しく習得した剣道の技の話・・・。 週に一度、母を独り占めしておしゃべりをするドライブの時間をゲンはとても楽しんでいるように見える。
オニイ、来月始めに剣道初段の審査を受けられることになった。 数年前、1級に受かった後、「まだまだ早い。」となかなか受けさせてもらえなかった初段の審査。学校の剣道部で一緒に受けに行かせてもらえるのだという。そのための「形」の稽古を監督のF先生が部活の時間外にじきじきに教えてくださることになった。学校の部活を終えて帰り道に、通いなれたK小学校の道場の大人稽古の場所を借りてF先生の指導を受ける。 部活の後に道場のはしごでは、さぞかしおなかがすくだろうと、今日はでっかいおにぎり持参。自転車でやってきたオニイと合流して、とりあえずのエネルギー補給。
ゲンのけいこをが終わって帰り際、大人稽古に残るオニイの様子をのぞいていたら、監督のF先生となにやらお話をしていた。 小柄でご高齢のF先生、道場の喧騒の中ではオニイの声がよく聞き取れないのか、オニイの肩に手を回し、オニイの口許に顔を近づけて話を聴いておられる。 ちょっと背中をかがめて先生の耳元で喋っているオニイの姿も何だか「おじいちゃんと孫」みたいでほほえましくて、なんだかほんわか嬉しい気持ちになった。へなちょこ新入部員のオニイも、部の道場ではきっと、かわいがってもらっているのだろう。 新しい環境でも、「よき師」「よき先輩」に出会うことができたらしい。ありがたい。
結局、この日大人稽古を終えたオニイが自転車で帰宅したのは10時前。 稽古前に軽く夕食分のおにぎりは食べたというのに、「腹へったぁ!」と大盛りのカレーをがつがつと平らげる。 高校生の食欲って本当にすさまじい。 そういえば最近、オニイは平日家にいる時間がぐんと短くなったので、何だか四六時中「モノを喰ってる」姿しか見ていないような気がする。
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