月の輪通信 日々の想い
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このところかかりきりだったDMの印刷の仕事が手待ちになったので、久しぶりに工房の手伝いに行く。 とりあえずCMC(ふ糊)の補充をと工房のドアを開けたら、珍しく仕事場にひいばあちゃんの姿があった。 あら、珍しいと父さんが声をかけたら、「こないだから頼まれてて気になってた仕事があるから・・・」と、お仕事をなさるつもりらしい。 父さんは急いで新しい土を用意して、傍らによけてあった道具をそろえ、ロクロをきれいにぬぐってひいばあちゃんの仕事の準備をした。 ここ数ヶ月、ひいばあちゃんが仕事場に降りてこられることはめっきり少なくなって、自分の部屋で休んだり居間でTVを見ながらうつらうつらしておられる時間が多くなっていた。時間の感覚も少しおかしくなってきて、昼夜の区別があいまいになっていたりする。 97歳という年齢を考えればそれも当然のこと。 目も耳も手も衰えて、本当はもう、ひいばあちゃんがこしらえたものの多くはそのままでは使えない。作りかけのまま濡れタオルで囲って長いことそのままになっている作品もいくつか溜まっている。
最近ひいばあちゃんの仕事場は、私が白絵がけの作業に使わせてもらっていた。長年ひいばあちゃんが担当してきた釉薬がけの仕事を私が習うようになり、ひいばあちゃんが何十年も仕事をしてきた作業台に居心地悪く間借りして、ひいばあちゃんと同じように背中を丸めて白絵掛けの仕事をする。 ブーンとうなる乾燥庫の前の席で一人で仕事をしていると、何だか自分がこの席で仕事をしながら、ひいばあちゃんの年齢にまで年老いていくような錯覚に陥ってはっとすることがある。 それは決して嫌な感じのする予感ではなくて、どちらかというと暖かいほっとするような充実した予感。ひいばあちゃんのようにこつこつと、父さんや息子たちの下で職人仕事をこなしながらゆっくりと年齢を重ねていく。そういう老いの日へのかすかな憧れ。
ひいばあちゃんの仕事の邪魔をしないように、CMCの準備だけを済ませて間借りの新米職人は早々に退散することにした。ひいばあちゃんは長いブランクなどまるでなかったかのように、何十年と変わらぬスタイルで作業いすに腰を下ろし、新しい土くれをひねり始める。その堂々たる姿が何だか触れ難く、でも何となくうれしくて不覚にも涙がこぼれそうになる。 この感覚はどこから来るものなのだろう。
お昼前、父さんと買い物に出かけた帰り道。 車窓からぼんやり外を眺めていたら、駅前の道端で一人のハイカーらしいおじさんが立っていた。民家の庭からあふれるように咲く八重桜を見上げながら、おもむろにコンビニ袋からあんぱんを取り出し、ばりっと袋を破ってムシャムシャ食べ始めた。 「わ、なんか、あのおじさんのあんぱん、おいしそう! 平日のこんな時間にあんぱんかじって、花見しながらぶらぶら歩くのって、なんかとってもいいなぁ」 と私が言ったら、父さんもちょうどおんなじことを考えていたらしくって、「気が合うねぇ」とケラケラ笑う。 もうちょっと余裕が出来たら、いつか行こうね、あんぱん持ってお花見。 大忙しでバタバタ走り回っているうちに、今年もソメイヨシノも八重桜も花の盛りを見逃してしまったけれど。
高校で剣道部に入ったオニイ。放課後の部活に加えて片道8キロの自転車通学で帰宅はいつも7時過ぎ。だらだら続く長い上り坂を上りきって、よれよれのヘロヘロで帰ってくる。 「腹減った〜。くたくただぁ。」 この春オニイのために買ったお弁当箱は結構大きめサイズ。 ご飯もおかずも気合を入れてぎゅうぎゅう詰めるのだけれど、それでも下校時間まではもたないらしい。部活の初日には、あまりの空腹に途中で2回も寄り道をして「うまい棒」と飴玉一個を買い食いして、エネルギー補給してようやく家までたどり着いた。 「どうする?お弁当、もっとたくさん入れようか?それともおにぎりでも別に持っていく?」と訊くと、とりあえず「糖分」が欲しいのだと言う。 それまで、「甘いおやつはいらない、パンも惣菜パン系のほうが欲しいな。」といっていたオニイなのに、あっと言うまにおやつの嗜好も変わってしまったらしい。 翌日からオニイは、いつもの弁当のほかに、袋入りのあんぱんと大玉の飴玉をカバンに詰め込んで登校していくようになった。
厳しい稽古を終えて、腹ペコでムシャムシャ食べるあんぱんはさぞかし甘いことだろう。 夫婦でお花見がてらのあんぱんはこの先食べる機会もあるだろうけれど、若い食欲で頬張るあんぱんの味はもう味わうことはないのだろう。 そう思うと、ヘロヘロのよれよれで自転車をこぐオニイの若さが、たまらなくいとおしく感じられたりもする。 今日もあんぱんを買う。
小学生組、家庭訪問。 アプコもゲンも担任の先生は持ち上がりなので、家庭訪問は本当なら「ことしはもういいですよ」とご遠慮申し上げてもいいのだけれど、「今年もよろしく」のご挨拶のつもりで来ていただく。 すっかりおなじみさんの先生方なので、学校での様子など楽しくおしゃべりさせていただいて、家庭訪問無事終了。
アプコ、今日もおともだちのKちゃんが遊びに来てくれて、子ども部屋で折り紙などをして遊んでいたのだけれど。 途中からKちゃんがひとりで下りてきて、「アプコちゃんが一人でたまごっちばっかりしててつまらない」と訴えてきた。 アプコを呼んで問いただすと 「だって、たまごっちが呼ぶから、今、○○しないと・・・。」とか「Kちゃんにも見せてあげようと思って、××してたのに・・・。」とか、ふくれっつらで言い訳をする。 「せっかく遊びに来てくれているのに、アプコが一人でたまごっちをしてたらKちゃんはつまらないじゃないの」 と叱ってたまごっちを取り上げたら、珍しくアプコが抵抗して取り返そうとする。「たまごっちと、お友達とどっちが大事なの」というと、反抗して「たまごっち!」と言い返したりするので、「じゃあ、一生一人で遊んでいなさい。」とさじを投げる。アプコはぷいとふくれっつらしてそっぽを向いてしまった。
状況を察したゲンが、Kちゃんを外に誘い出してくれてリモコンカーや紙飛行機で遊ばせてくれて、助かった。Kちゃんとゲンが楽しそうに遊んでいるのをみて、アプコはますます面白くなかったようだ。 こういうときに素直に「ごめんなさい」がいえないへそ曲がりはアプコの弱点。末っ子姫のわがままだろうか。 オニイやゲンも、同じ年頃のころにはゲーム機をめぐるこういう些細なトラブルはしょっちゅうあって、そのたびにうんざりするほど宥めたり叱ったり愚痴を聞いたりしたものだけれど、アプコもちょうどその年代に入ったのだろう。 親にとっては4回目の「そろそろきたか」の反抗期だけれど、アプコにとっては初めての通過点。根気よく付き合ってトンネルをくぐっていくしかないのだろう。 「今日のアプコはちょっとあかんよなぁ」とお兄さんぶって母の耳にささやくゲンにも、一度は同じトンネルを通り抜けた時があったのだった。
Kちゃんが帰っていって、台所で一人でおやつを物色していたアプコが急にわっと泣き出した。 「はち・・・蜂に刺された。」 見ると台所のマットの所に小さなミツバチが瀕死の状態で転がっている。電子レンジを使おうと踏み台に上がったアプコが、降りしなにマットの上に止まっていた蜂を踏んづけてしまったらしい。足の裏が痛いというが針も残っていないようだし、腫れてくる様子もない。 「あーらら、かわいそうに・・・蜂。」 と、泣き顔のアプコに意地悪もいえる程度の軽傷。それでもアプコのふくれっつらはぺしゃんとへこんで、ようやく「ごめんなさい」の言葉が漏れた。
「ふふん、まさに、バチが当たったね。」 「これがホントの『泣きっ面にはち』だね。」 ゲンと二人、あとでこっそり駄洒落を飛ばしてクックと笑う。 末っ子姫の反抗期を、こうして他の兄弟と一緒に笑って見守ることが出来る。これが4人兄弟のありがたい所。
アプコのたまごっちは、この間加古川のおじいちゃんにおねだりして買っていただいたもの。父は「おまえんちの教育方針に反していないか?」と電話で訊いてくれた。 <父への私信> これも子育ての通過儀礼の一つですから、決して買っていただいたことに文句を言っているわけではないのですよ(笑)アプコ、とてもとても喜んで遊んでいます。ありがとうございました。
朝剣道。 高校の剣道部に入部を決めたオニイは、これまで通っていた道場の先生方に退会の挨拶に行く。すでに防具類を学校の部室に預けてきたので、今日はもう、稽古にも参加しない。 オニイの道場卒業の日は、あっけなくやってきた。
小学生の半ばでこの道場に編入させてもらって、6,7年になるだろうか。 入ったばかりの時にはまだ面の紐を締めるのもうまく出来なくて、「家で一日一回ずつ面付けの練習をするように」と叱られたりしたものだった。 月例会でなかなか思うようにライバルに勝てず、悔しかったこと。 一番怖かったT先生が、急逝なさって愕然としたこと。 入門のときからお世話になっていた老剣士K先生が引退なさって寂しかったこと。 唯一の剣友、癒し系Tくんとのほのぼのとした友情。 あれこれ思うこともあったのだろう。 道場へ向かう車の中、オニイはいつもより無口だった。
子どもたちの稽古が終わって後片付けをなさっている先生方のところへ進んでいって、オニイはぴょこりと頭を下げる。二言三言、言葉を掛けていただいて、オニイは何度も頭を下げて帰ってきた。 あっけないお別れの挨拶。 先生方とはこれからだって、他の道場や試合の会場などでお会いすることがないわけではない。いつか再びこの道場で剣道をやらせていただく日もあるかもしれない。 一応の一区切り。 オニイや先生方、剣士たちにとっては道場卒業はそれだけのしばしの別れだったのかもしれない。
帰りに、ゲンとオニイを引き連れてスーパーで昼ごはんの買い物。 毎回定例になっていたこの買い物も次回からはゲンと二人連れ。 汗臭い稽古着姿の男の子を二人、用心棒のように引き連れて食料品売り場を歩き回る、密かな母の楽しみもおしまいになる。 軽自動車に汗臭い男の子たちを積み込んでの送り迎えも、ゲン一人となるとぐっと静かになるだろう。 週2回、いつまでも永遠に続くかのように思われていた剣道の送り迎えも、いつか終わりになるときが来るのだということが、改めて胸に響く。 なんだか寂しい。母の方が・・・。
子どもたちは成長して、あっけなく手の内から飛び去っていく。 前だけをむいて、振り返りもせず羽ばたいていく子どもたち。 からになった巣を見回して感傷にふけるのは、母だけなのかもしれない。
ソメイヨシノが散り急ぎ始めたかと思うと、駅から工房への道のあちこちにやまつつじの濃いピンクがにぎやかになってきた。 駅前のMさんちの八重桜も工房の入り口の交野桜も開花はこれから。 学校帰りのアプコが校帽を空に受けて、はらはらと落ちてくる桜の花びらをキャッチして笑っている。 一度道路に落ちた花びらは、あまりに薄くて繊細でどんなに気をつけて拾ってもすぐに傷つけて醜くなってしまうから。 「おかあさん、これ、どうしたらずーっときれいなまんまでもっていられるんだろ?」 そっとハンカチに包んでも、コップの水に浮かべても、散った桜のはかなさをずっと手元にとどめておくことは出来ない。 そのことはちゃんと判っているくせに、何度も何度も散り急ぐ桜を追いかけるアプコ。 その幼い姿の愛しさは、どうしたらいつまでもとどめておくことが出来るのだろう。
「おかあさん、あのね、すごくかっこいい先生がおるねんで。」 二人で歩く帰り道、アプコが楽しそうに話してくれた。今度新しく来られた若い先生の中にとても素敵な男の先生がいらっしゃるのだそうだ。 「あのね、サッカーがとっても上手でね、サッカーの人(選手?)みたいな服着てるの。」 「ふうん、何年生の先生?」 「わかんない。」 「名前は?」 「しらない。」 「若い先生?」 「うん、たぶん。」
はなはだ頼りないお返事なのだけれど、アプコのちょっと無邪気なワクワクぶりがかわいくて、続けていろいろ聞いてみる。 「髪型は?」 「うんとね、つるつるじゃない坊主頭」 「???短いの?」 「うん、そんでサッカーの人みたいにしましまの服着てるの。」 「あ、ユニホームみたいなやつね。背は高いの?」 「うん、でも遠くで見たからよくわからん」 「アプコはサッカー選手みたいなスポーツマンが好きなのね。で、その先生のどこがかっこいいと思うの?」 「顔とサッカーの服。」 ・・・・・アプコはイケメン好みらしい。
「K先生とその先生、どっちがかっこいい?」 「じゃあさ、T先生とだったら?」 アプコのしっているほかの男の先生の名前を次々挙げて、その先生とどっちがかっこいいか聞いてみたけれど、アプコの好みは断然サッカーの服の先生に軍配を上げる。 だんだん愉快になってきて、アプコをからかう。 「そっか、そんなにかっこいい先生なら、今度参観の時にでもしっかり見てこなくっちゃ。アプコ、握手してもらってきたら?」 「あかん、あかん。見るだけでいいの。」 「じゃ、サイン、もらってきてあげようか?」 「ダメ!恥ずかしいから絶対ダメ!」 必死に答えるアプコの純情がかわいい。
「ねぇ、これは最後の質問。ゲン兄ちゃんとその先生、どっちがかっこいい?」 ・・・・・しばしの沈黙の後のアプコの返事。 「ゲン兄ちゃん」
これって、どうなの? ゲン兄さん、喜んでいいのか。 それとも、新人先生のイケメン度はたいしたことないのか。 それともアプコのイケメン尺度が微妙なのか。 とりあえず今度、ゲンにしましまのラガーシャツを着せてやろうと思う親ばかな母であった。
昨日、習字に向かう車の中でアユコがポツリポツリとしゃべっていた。クラスの「学級代表」がなかなか決まらないと。 立候補も無かったし、多数決の投票をしようというと「そんな決め方はイヤだ」と主張する人が出た。結局その時間には決まらなくて、次回に延期ということになったのだそうだ。 「アユコ、立候補すればよかったのに・・・」というと 「うん、それも考えたんだけど・・・」と言葉を濁す。 昨年度末、アユコは生徒会の役員選挙に出て落選した。一年間、生徒会活動を一生懸命やって、2期目を目指す選挙だった。 よほど自分に人望が無かったのかとか、一年間の活動が評価されていなかったのかとか、あれこれ悩んでいたようだ。 「いいよ、今年はクラブ活動の方に力を入れるから。去年は生徒会のためにずいぶん抜けたから。」 とようやく気持ちを入れ替えての4月なのだ。
今日、帰宅したアユコが「お母さん、『おめでとう』っていって!」とニコニコしている。 学級代表、就任決定だそうだ。 結局、立候補推薦なしの多数決になって女子の代表はアユコに票が集まったという。 「で、学級代表って何する人?」ととぼける母に 「『起立、礼』の号令とか、ホームルームの司会とか・・・。あー、これが一番苦手なんだよな。人前にたって、司会とかするの・・・」 と畳み掛ける。 苦手だとか、いやだなとかいいながら、やっぱりちょっとうれしいんだな。 「アユコなら、きっと出来るよ。それもきっといい経験になるよ。頑張れ、頑張れ。」 とおだてあげているところに、電話のベル。 「かあさん、アユコの担任の先生から。」
・・・・PTAのクラス委員をお願いできませんか。 だそうです。 はぁ、今度は母ですか。 ま、中学の役員もそのうちくるだろうとは思っていましたが。 本当ならこの忙しいのに、Pの役員なんてやってられないところだけれど、さっきのアユコの「就任おめでとう!」の勢いで、何となくむげにお断りする気持ちにもならなくて、「お受けいたします。」と返事してしまった。 あっけなく決まって、担任の先生がほっとしておられるのが声の調子で感じられる。きっと他の委員さんたちがなかなか決まらないのだろう。
ええい、ままよ。 アユコとダブル就任だ。親子でクラスを牛耳ってやろう(嘘・・) ということで、今年の我が家にはオニイも含めて3人も「委員さん」がいる。
オニイ、今日、自転車初登校。 ずいぶん早めに用意をしていたけれど、外にでると天候が怪しくて、雨合羽だの何だのとバタバタ慌てふためく。 「タオルは?カバンのナイロン袋は?」と世話を焼きたがる母をうるさそうに振り払って、ギーコギーコと自転車を漕ぎ出す。 もう、帰りの雨の心配なんかしてやらなくてもいい年齢になったんだということを、オニイの後姿を見送ってからようやく思い出す。 そうそう。 まだ、うちにはそういう心配をしてやらなければならない子どもが、ごろごろしている。
今日、オニイは剣道部の練習を見学してきたらしい。多分、そのまま入部するつもりだろう。明日は防具や竹刀を持ち込むという。 クラスでは、どういうわけか推薦されて、「何の因果か」学級委員就任決定だそうな。 おまけに、「かあさん、剣道部と美術部、両立は無理やろか・・・」とさらに手を広げそうな勢いだ。 中学からの知り合いもほとんどいないまっさらの環境の中に飛び込んで、あれもこれもやってみよう、挑戦してみようときょろきょろ周りを見渡しているのだろう。 そして、どうしちゃったのというようなハイテンション。 いいよいいよ。 そのテンションが続いている間は、あれもこれもとりあえず手を広げてみるといい。 無理になったらそのとき考えよう。そのくらいでちょうどいい、君の生真面目さには・・・。
「かあさん、腹減った! 帰り道の途中でさ、どこかの家の台所から夕飯のコロッケでも揚げてるような匂いがしてさ、たまらんかったわ。 一瞬『ヨネスケになりたい!』と思ったわ。」 ・・・・隣の晩御飯ですか。
昨日に続き、今日も雨。 オニイの自転車通学は、とりあえず明日からということで、電車通学に変更。車で駅まで送る。 朝のお弁当作りも今日から始動。 あわただしい朝が始まった。
昨日の始業式。 アユコは、仲良しの友達とことごとく違うクラスになったと凹んでいたが、担任は楽しい先生と評判の高い先生。きっと楽しいクラスになるだろう。 アプコとゲンのクラスは今年は持ち上がり。担任も去年と同じ先生が受け持ってくださることになって、まずはバンバンザイ。
今日、小学校ではよその学校へ転任になられる先生方の離任式が行われたそうだ。オニイ、アユコ、ゲンが以前に担任していただいたおなじみの先生方が3人もよその学校へ移られることになり、なんだかちょっと寂しい。 ことに新卒で始めてやんちゃ盛りのゲンのクラスを受け持っていただいたI先生は演壇の上で大泣きしておられたそうな。 アプコの大すきな「赤レンジャー」校長先生も市内の別の小学校に転任になられた。
新しく来られた校長先生のお名前は「小泉先生」。 他にもたくさんの新しい先生が転任してこられたそうだ。 「おかあさん、新しく来られた先生たちって、やっぱり『小泉チルドレン』って呼んでもいいかな?」 とニタニタ笑うゲン。 うまいっ! 座布団一枚!
ニュースの言葉や時事ネタをいつの間にやら仕込んでおいて、思いがけないところで笑いのネタにする当意即妙はゲンの得意技。 ちっとも関心がないように見えて、結構新聞やTVのニュースからいろいろな情報を取り込んで消化しているのだろう。
長い春休みがようやく終わって、今日、小中学校は始業式。 そして、午後からはオニイの高校の入学式。 せっかくこの日まで咲き残っていた桜を散らす、あいにくの雨模様。 ちょっとがっかり。
時間よりずんぶん早めにオニイが新しい制服を着ておりてきた。 ちょっと古風な感じもする濃紺の詰襟学生服。 3年間での成長を期待して大き目サイズを選んだ上着の中で、なで肩細身のオニイの体がちょっと泳いでいる感じはするけれど、それでも急に大人びて高校生の顔に見える。 「記念の写真を」とカメラを構える父さんに、うるさそうにしかめっ面する無愛想もすっかり高校生だ。
学校へ向かう道中も、オニイはさりげなく母と距離を置いて歩く。 雨風の強い坂道をぐいぐい早足で歩いていく濃紺の背中が思いがけなく大きく見えて、ピンと張り詰めたオニイの心持がうかがわれる。 お天気は痛恨の雨降りだけれど、気持ちはやっぱり「晴れの日」だ。
オニイと別れて体育館の保護者席に着いたのは、開始期時間のずいぶん前だった。まだ着席している人もまばらな体育館の中では、吹奏楽部の生徒たちが、音あわせをしたり練習したりをしたりしている音が静かに流れていた。 扉のそばに立って雨にぬれたグラウンドをぼんやり眺めていたら、自分が高校生だった頃のことがなんとなく思い出されて、懐かしさがこみ上げる。。 中学の卒業式の時はまだこの学校の入試の前で余裕もなくて、卒業の感激に涙するきっかけを失ってしまったというのに、今日、入学式の前に吹奏楽部のチューニングの音を聞きながら、不覚にも涙腺が緩んでしまった。
ここでオニイも青春の3年間を過ごすのだなぁ。 新しい学校、新しい友達、新しい先生たちとの新しい生活。 充実した3年間になるようにと祈る。
4月になった。 朝、雨戸を開けたら、川向こうの咲き始めたばかりの山桜にちらほらと雪が舞っていた。 なんだか季節がちぐはぐだけれど、きれいだなぁ。
高校生になっても、剣道を続けるつもりらしオニイ。 愛用の剣道着がすっかり小さくなったので、実家においてある叔父さんの高校時代の剣道着を譲り受けることになった。 その了承を得るために、東京の叔父さんに電話をかける。 普段、改まった電話をかける経験の少ないオニイ、ピリピリ緊張して受話器を握りしめた。
出勤前のこの時間だったら・・・と教えられた時間に電話したら、すでに叔父さんは家を出たあとだという。緊張の糸が切れてますますしどろもどろになって、「どうしよう?」と困り顔。 「また後で電話していいですか」とか、「伝言をおねがいします」とか、適当な答えが思いつかなくてオロオロしていたら、叔母さんが気を利かせて叔父さんの携帯の番号を教えてくれた。 「ダメダメだなぁ、今の電話。高校生の電話とはいえないなぁ。今度はもうちょっと言いたいことを整理してから掛けなさいよ」 母にダメ出しされて、しばらく考え込んでいたオニイ、「今は出勤の途中かなあ。今、携帯に掛けてもいいかなぁ。」とあれこれ悩みながら再び電話をかける。
「・・・・はい、・・・はい・・・。 それで、あの・・加古川にある叔父さんの剣道着、使わせていただきたいと・・・。 ・・・はい、・・・はい。あ、ありがとうございます!うれしいです! はい・・・・ありがとうございます!」 受話器を握り締めて直立の姿勢になり、何度も何度も深々とお辞儀をしながら返事をするオニイ。 あはは、それ、電話だよ。お辞儀しても見えないよ。 そういいながら、最敬礼でお礼を言うオニイの生真面目が楽しい。
オニイが今着ている剣道着は、同じ道場の大先輩から譲り受けた洗いざらしの中古品。新品も欲しいけれど、強い先輩からのお下がりの剣道着や尊敬する先生からいただいた面タオルなどをことさらに有難がって、ここ一番の時には必ず元を担いで身に着けようとする。 オニイにとっては、東京の叔父さんも剣道の大先輩。その剣道着を譲り受けられることになって、思わず言葉遣いまで道場モードになってしまうのが可笑しい。 高校生になって、今の道場をやめ、学校の剣道部に入って続けようかと思案中のオニイ。中学時代、運動部の経験もなくていきなり高校の剣道部が着いていけるのかどうか、はなはだ不安に思うのだけれど、「新しいことを始めたい!」と背伸びをするオニイの心意気が感じられる。 最敬礼でいただいた剣道着が、ヘナチョコ剣士のオニイに力を与えてくれますように。
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