月の輪通信 日々の想い
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2006年03月12日(日) 流れに紛れ込む知恵

朝、ゲンを剣道に送る。
普段は小学校の体育館を借りて稽古しているけれど今日は市の武道館での合同稽古。市内のほかの道場の子や先生たちが大勢集まっている。
比較的早い時間に人数のそろったK道場の子達が、正方形の4隅から対角線状に2人づつ面打ちを始めた。多分そこの道場ではいつも稽古前の準備運動代わりにこの方法を採用しているのだろう。まだ防具もつけていないような小さい子も、自分の身支度を終えると物怖じすることなく自分のポジションに入り込むことが出来ているようだ。
ところがわがA道場のメンバーにとっては、それはこれまでおそらくみたことがない練習方法。どのポイントにどのタイミングで入っていけばいいのかわからなくて右往左往している。小さい子達はいつもよりさらにモタモタと胴や垂れをつけなおしたりして、様子見に終始しているようだった。
外で見ている母たちは、子どもたちの躊躇がもどかしくて仕方がない。
「早く竹刀持って立ち上がりなさい」
「どこでもいいから、早く紛れ込んじゃえばいいのに」
と、口々に言うが子どもらにはその声は聞こえない。
やがてA道場で一番年長だったゲンがそれとな〜くK道場の練習の波にもぐりこみ、それに続いて下級生たちがパラパラと面打ちの列に紛れ込んだ。

こういうときに、さりげなく紛れ込む間合いをはかったり、流れに遅れないように回りを観察しながら行動したり、こういうことって今の子どもたちにはとっても大事な勉強。
「周りの空気を読む」ってヤツかな。
世の中に出て行けば「さぁ、どうぞ、ここからお入りください」と親切に手招きして迎えてくれる所ばかりではない。
ちょうどスキーのリフトや観覧車に乗るときのように、自分でタイミングを計ってその場の流れを乱さぬように要領よく渡っていかなければならない場面がいっぱいあるのだ。

「今日の稽古はさすがにきつかったわ。」
稽古を終えたゲンの剣道着からは久々につんと汗の匂いがした。今日は本物の春みたいに暖かい日だったからね。


2006年03月11日(土) 耳をすませば

昨日の夜、テレビでアニメ「耳をすませば」を放映していた。
アユコがジブリアニメが大好きなのでこれまでにも何度か見たことはあるけれど、用事をしながら断片的に見る。
懐かしいカントリーロードのメロディーに、はるか昔、自分が中学生だった頃のことをあれこれ思いだす。
あの頃私も、本家ジョンデンバーのカントリーロードの歌声が大好きで、習い始めたばかりの英語の発音をおぼつかないカタカナ英語に直して鼻歌代わりによく歌っていた。
あのLPレコードはまだ、実家のどこかに眠っているのだろうか。

図書館への近道の急な階段を全速力で駆け下りていく。
物語の創作に熱中する深夜、机の下から夜食のパンらしきものを取り出してぼそぼそと食べながら原稿用紙をめくる。
退屈な授業の合間に、自作の原稿を熱心に書き綴っていて、教師に不意つかれる。
図書館の貸し出しカードに書かれた顔も知らぬ異性の名前に、あれこれ空想をめぐらせてほのかにときめく。
ああ、こういうことがあったあった、私にも。
そのときにはきっとなんとも思わずに過ごしていた些細なことが、大人になった今、こんなに懐かしくきらきらと輝いて見えるのはなぜなんだろう。
胸がきゅんとなるような、鼻の奥がぐっと熱くなるような切ない気持ちになるのはなぜなんだろう。

少年少女時代の真っ只中を生きているオニイやアユコには、きっとまだこういう大人のノスタルジックな感慨を理解することは出来ないだろう。
大人になってしまった私たちが、今の彼らにとって大事だと思えるもの、キラキラ輝いて見えるものの美しさを本当に共感してやることが出来ないように。
そういう意味ではこのアニメは、今少年少女の時代をリアルタイムで生きている子どもたちのためではなくて、かつて少年少女だった大人たちのための童話なのかもしれない。

物語の執筆に熱中するあまり成績が下がって母や姉から叱責を受ける主人公。
「勉強より大事なものっていったい何よ」と問い詰められてうなだれる主人公に父親は「ま、なんだか一生懸命やっているみたいだし、気の済むまでやってごらん」という。
娘が何にそれほど熱中しているのか根掘り葉掘り聞かない。
娘が受験より大事と思っているものの大事さが、大人になってしまった自分の価値観では同じ目線で共感してやることが出来ないことを父親はきっと知っていたのだろう。
子どもを信頼すると言うことは、子どもの行動を一から十まで把握して同じ目線で共感してやるばかりではない。大人には絶対踏み込むことの出来ない子どもたち自身の心の王国の平安を、離れた場所から静かに見守る勇気もまた親としての度量と言うものなのだろう。

「お母さんもアユコくらいのとき、このアニメの子みたいに長い長い物語を書いていたよ」
とアユコに初めて教えた。
「うそ?!どんな話?もう書いたもの残ってないの?」
とアユコが飛びつく。
あの頃書いていた物語のノートは、結婚の荷造りの合間に全部燃やしてしまった。
あの時から私はこちら側の人間になったのだろう。


2006年03月09日(木) 懐かしい街

所用で大学のあった街へ出かけた。
久しぶりの都会の街。
のどかな田舎暮らしのおばさんには、駅の雑踏も繁華街の賑わいも久しぶり。ごちゃごちゃといろんなにおいの混じったよどんだ空気もどこにも土の見えない汚れた硬い地面も懐かしい。
学生時代にはこの街はまさにきらきらと輝いていて、私はその中を我が縄張りとばかりに得意げに飛び回っていたのだったなぁ。
昼間の環状線は比較的空いていて空席はたくさんあると言うのに、遠足に行くはしゃいだ子どものように電車のドアに寄りかかって立ち、車窓を流れていく雑然とした都会の町並みを眺めてすごした。

あの頃、若い私が「これがなければ生きていけない」と思っていたもの。
新刊の文庫本が発売日に店頭に並ぶ大きな本屋。
一杯のコーヒーで何時間でも気兼ねなくおしゃべりの出来る喫茶店。
知的に刺激しあえる気の合う友人たち
誰にも邪魔されずに瞑想したり物書きしたりするだけの孤立した時間と場所。
贅沢過ぎない程度に自分の欲しい服、自分の好きな本を買える程度の収入。
一生続ける価値のあるやりがいのある職業。
お互いの意志を尊重しあえる好ましい伴侶。
それからそれから・・・

田舎の専業主婦のおばさんである今の私。
あのころ、私が欲しいと思っていたもの、なくてはならないとかたく思い込んでいたものの多くは、今の私の手の中にはない。
なくても平気で生きている。
平気どころか、結構今の自分に満足して生きている。
あの頃の私なら、電車のドアによっかかって、久しぶりの街の風景をキョロキョロとおのぼりさんのように眺めているおばさんをどんな風にみていただろう。
日々の生活だけに埋没した、可哀想なくたびれたおばさん。
そうね、外見はね。
でもそれだけじゃないんだな。
喉から手が出そうなくらいに欲しいもの、これがなくちゃ生きていけないと思うものは減ったけど、決して手放したくないもの、いつまでも大事に手の中に暖めておきたいと思うものはたくさんある。
懐かしい街があのころのようにキラキラと輝いて見えないのは、若さや自由や未来を失ったからではない。
多分、今の私は自由な学生だった頃の私より、ずっとたくさんのものを持っているのだろう。
そんな気がする。


2006年03月07日(火) 選択

夜中、東京での一週間の個展を終えて父さんが帰ってきた。会場の片づけを済ませ、作品をワゴン車に積み込んで、義兄と交替で運転しながら7時間のドライブ。お疲れさん。
たった一週間の不在だったのに、朝起きて居間のいつもの場所に父さんの姿を見つけて微妙に照れくさそうな子供たち。
おばかだなぁ。

オニイの後期入試。
今朝、公立後期の受験希望調査の結果が新聞に発表になっていた。
オニイが受験を勧められたAB二つの学校。校風も学力レベルも通学距離もよく似た学校だけれど、B校は微妙に定員割れ。
「ねぇねぇ、定員割れだったら全員合格ってこと?」と微妙に心が揺れる。
A校にほぼ志望を固めつつあったオニイ、困った顔をしている。
担任の先生は「出願期間は3日間あるから、出願状況を見て最終日に願書を出すといいよ」と言われたそうだ。
「A高校だったら電車通学もできるよね。」
「でも、自転車通学だったらB高校のほうが近いよね。」
迷うオニイに、いじわるな母は面白がって立て続けに茶々を入れる。
「いったい母さんはどっちへ行って欲しいの?」と言いたげなオニイ。
今日は学校帰りに自転車でB校へ下見に行ってくるという。
迷え、迷え。
どっちの学校を受けよう?
そういう前向きの悩みはたっぷり味わうといい。過ぎてしまった失敗をいつまでも悔やんでいるよりずっといい。
「絶対この学校!」と自分で決断できるまで、母はもっともっと横から茶々を入れてあげる。

オニイの帰宅後、再び担任の先生から電話。
新聞の発表では定員割れになっていたB校。その後志願者がどっと流れ込んだらしい。「今のところA校のほうが有利らしい。」とのこと。
なんだか、株価情報に踊らされて右往左往する新米投資家のようで笑ってしまう。
高校入試は子どもにとってはもしかしたら一生の問題。よそ事の顔をして笑っている場合ではないのだけれど、それでもやっぱり「たかが高校」じゃないか。他の志願者があっちに流れた、こっちにぎりぎりまで情報に翻弄されてうろたえるのも浅ましい。
オニイ自身ももしかしたら同じ想いを抱いたのだろう。
「母さん、僕はやっぱりA校を受ける。倍率が少々変わっても、もういいや。初日に願書、出してくる。いいかな?」
ときっぱりと言う。

後でオニイに何故A校を選んだか聞いてみた。
「B校は街中で空気が悪い。A校は回りも田舎で空気がいい。
僕、空気の悪いのは苦手なんや。」
それでいい。
時にはそういう直感で選んでもいいんだよ。
大事なことは君自身が自分で選んだと言うこと。
もう一回頑張って来い。
不合格でも、道はある。
父さん母さんは、通帳片手に私学の学費の算段でもしながら応援する。


2006年03月05日(日) 確認

朝一番に起きてきたゲンが、「おはよう」と笑いながら擦り寄ってきて、私の左の腕をおずおずと掴んだ。
「何?なんか用?」
と訊くと
「なんでもないよ。」
とへらへら笑ってまたぎゅっと私の腕を掴む。

変なの・・・。
なによなによとしつこく訊いたら、
「あのな、昨夜怖い夢見てん。ちょっと言いにくいんやけど・・・。」
と口ごもる。
「わかった。お母さんが居なくなる夢、見たんでしょ。」
「うん、そう。お母さんのお葬式の夢。」
「あらら、死んじゃったか。」
「うん、運動場で火葬してた。怖かった。」

5年生にもなって、まだまだ怖がりのゲン。
怖い夢から覚めて、朝の母の顔を見て、ぎゅっとその腕を掴んで存在を確認してみたくなる。そんな気持ちの揺らぎをそのまま行動に移してしまうゲンの幼さ。
一週間の父さんの不在が、何かしら不安な気持ちを掻き立てたのだろうか。
オニイの受験結果とその後のオニイと私のオロオロやイライラが、怖い夢を誘ったのだろうか。
私は4児の母。
どの子にも等しく4倍の愛で・・・と思うけれど、時には一人のことでいっぱいいっぱいになって、他の子たちに知らず知らずのうちに不安な思いをさせてしまうことがある。
ここ数日の不安定な気分の名残を悔いる。

「で、さ。お母さんは天国へ行ったと思う?地獄へ行ったと思う?」
「多分、天国と思うけど。」
「あ、そう。よかった、地獄じゃなくて。」
「うん、よかった。」
「それにね、お葬式の夢を見るといいことがあるっていうよ。ゲン、今日はなにかいいことあるかもしれないね。」
「ホント?ほんとにそうだったらいいのになぁ」
調べてみると葬儀の夢は、自分の中の古いものが終わって新しいものが生まれてくる再生を意味するのだそうだ。

このごろ急に背が伸び、ちょっとふっくらしてきたゲン。
まだまだ、お子様のやわらかさを残したゲンの頬をぎゅっと摘んでくしゃくしゃにする。
体をよじって逃げていくゲンの笑顔が今日の私の活力になる。
いいお天気の春の一日。


2006年03月03日(金) 薄焼き卵

桃の節句。
義母に大きい半桶を借りて、散らし寿司を作る。
朝、NHKの料理番組でも薄焼き卵ですし飯を包んだ春らしい袱紗寿司の作り方を放送していた。アシスタントのアナウンサーが薄焼き卵をうまく作るコツをたずねたら、講師はにこやかに答えた。
「薄焼き卵っていうのはね、不思議なものでイライラしたりせかせかした気持ちで作るとその気持ちが伝わってしまうみたいなんですよ。だから、ゆっくり丁寧に、のんびりした気持ちで作るのが何よりです。」
なるほど、実感だなぁ。
としたら、今日の卵はうまく焼けそうにないなぁと思っていたら、果たしてそのとおり。厚くなったり薄くなったり、千切れたりしわくちゃになったり。
いいの、いいの。
刻んでしまえばそれでもいいの。

午後からまたみぞれ混じりの冷たい雨。
オニイは学校の帰りに残り二つの学校の下見に出かけているはずだ。
朝の好天にだまされてオニイはまたしても傘を持たずに出かけた。知らない町をまた一人で雨にぬれながら歩いているのかなと思うと、心が痛む。
こうしてもがいたりうめいたりしながら、子どもは母の手元から飛び立つ準備をしていくのだろう。
もどかしいけれど、親が代わりにもがいてやることは出来ない。
いつもどおりの顔をして、いつもどおりの夕食を用意して子どもらの帰りを待つ。
出来るのはそれだけ。


2006年03月02日(木) 頑張れ

朝からねじり鉢巻で部屋を片付け、雛人形を出す。
我が家では例年、3月3日から4月3日まで雛人形を飾る。いつもなら父さんが工房から緋毛氈を持って帰ってきて、お飾りスペースを作るのを手伝ってくれるのだけれど、今年はそれも私一人で。

昼過ぎ、公立前期の発表を見に行っていたオニイからの電話。
落ちた。
事前の進路指導では「まず大丈夫」と言われていた学校だけに、親子で絶句。
はぁ、こういうことってあるんだなぁ。
朝のうち、あんなにいいお天気だったのに、午後から急に降り始めたみぞれ交じりの雨。オニイは今日、傘を持って出かけなかった。
冷たい雨の降る駅への道のりを、どんな気持ちで帰ってくるのだろう。
すぐにも傘を持って抱きしめにいってやりたい気持ちと、「うそでしょ、なんで?」と言う気持ちでしばし呆然。
父さんにメールで伝え、それでも誰かに訴えずにはおられない気持ちのままに実家に電話をかける。

珍しく電話に出たのは母ではなく父だった。
父は私の声を聞くといつものように「ん、お母さんに代わろうか」と言う。
以前に父が「お前はほんとに参ってるときはすぐに『お母さんに代わって』と言う。父親はお呼びでないらしい」と冗談を言っていたのをふっと思い出して、「オニイがね、不合格だったらしいの」と父に告げる。
「そうか。で、どうする。」
「私立はとおってるけど、もう一つ公立を受けると思う」
「ま、いろいろあるわ。頑張れ」
父との電話は、あっけなく短かった。

そうだった。
私が大学受験に失敗したとき、採用試験に落ちたとき、そして弟たちが大学受験でおもうような結果が出せなかったとき、父はいつも「うん」と頷いて決して結果を責めなかった。
「で、どうする。」
責めない代わりに、父は凹んだり泣いたり恨み言を言ったりする暇をあたえず、次に起こすべき行動を問うた。そんな父の強引な導きについて行けない思いで反発したこともあったけれど、今思うとその強さがなければ私は次に踏み出すきっかけを見失っていたのではないかと思う。
失敗にうなだれているわが子を引きずり起こし、「立ち止まるな、次の道を探せ」と促す父の心のうちはどんなだったのだろう。
親になって初めて思いはかる父の心境。
そうだった。そうだった。

学校への報告を終えて、雨の中自転車で帰ってきたオニイ。
しゅんと凹んで無愛想で、痩せた肩がいつもより小さく見える。
あれこれ聞いてもむっとして答えない。
ほっといてよ。ちょっと黙っててよ。
そんな言葉ばかりが返ってくる。
さあ、今度はこの子をどうやって引っ張り挙げようか。
親としての力がまた試されている気がする。

学校で、担任の先生や進路指導の先生との懇談の結果、公立後期で受験可能な学校を3つ提示された。ここ数日の間に3つの学校を実際に見に行ってきて、いろいろな条件を考慮して受験する学校を最終決定するという。
懇談の帰り、「とりあえず、今から一番近いT高校を一人で見ておいで。」と電車賃を持たせてオニイを最寄り駅へ置いてきた。
頑張れ、頑張れ。
へたり込むのはもうちょっと先にしよう。


2006年02月28日(火) 身につまされる

暖かい春の気配に、いつもは肩までたらしている髪を高くまとめてくるくる巻いてお団子にしてバレッタで留めた。
ものめずらしそうにアプコが寄ってきて、「あ、そのくくり方、ひいばあちゃんと一緒や!」と指差す。
明治生まれのひいばあちゃんは、白髪ばかりになった髪をゴムできゅっと縛ってお団子にしてグサグサとヘアピンでさしてまとめている。
若い頃の丸髷の名残だろうか。ゴムを解いて髪を降ろしたところを見たことは無いのだけれど、ひいばあちゃんの髪は見かけによらず結構なロングヘアなのだ。
工房仕事の大先輩、いくつになっても仕事の手を休めようとしないひいばあちゃんに髪型だけでもちょっと真似っこ。
悪い気はしてない。

「パン、全品3割引」のチラシにつられて朝からスーパーへ出かけた。
男の子たちがおやつ代わりに食べる惣菜パン、アプコの好きな甘い菓子パン、昼食用のテーブルロール。パン屋さんが出来そうなほどレジ籠にパンを詰め込んでレジに並ぶ。
どのレジにも2,3人ずつ並んでいる人がいて、一番空いていそうな列に並んだら、すぐ前に老齢の婦人が並んでおられた。
ご婦人の籠には一人用のお刺身のパックや500mlの牛乳パック、にんじんが一本・・・・いかにも一人暮らしの夕食らしい食品が6,7点。我が家の毎日の膨大な買い物量に比べたら、なんとささやかなお買い物。高齢者の一人暮らしの食卓とはこんなものなのかなぁと思いはかる。
レジ係のお姉さんが手早く商品をレジを通し支払い金額を告げると,
おもむろにバッグの中の小銭入れを引っ張り出し、硬貨を一枚づつ台の上に並べ始める。
ご婦人の買い物額は900円足らず。始めに500円玉を出したもののそのあと続いて出てくるのは10円玉や5円玉など茶色い硬貨ばかり。どうやらお金が足りないらしい。
「ではどれか減らしましょうか?」
レジ係の女性はご夫人を気遣って、声をかける。ご婦人はしばらく考えて佃煮の小瓶を返すことにしたが、計算しなおした買い物額でもまだ数百円お金が足りない。こんどは小さなお醤油のビンを返して、財布にありったけの小銭を払ってようやく足りたようだった。

「お待たせいたしました。」
ご婦人のレジを終えて、私のレジ籠に手をかけたレジ係の女性が頭を下げた。3割引のパンだらけの籠ににっこり笑ってレジ打ちを始める。
ところが先ほどのご婦人は支払いを終えた籠を袋詰め用の台に運ばずに、同じレジ台の端っこでそのまま商品を袋に詰め始めた。そして、小さなふくろに数点の品物をつめると、空のレジ籠を手にキョロキョロ周りを見回してから、「この籠、ここに置いていっていいかしら」とレジ係に訊く。
レジ係はちょっと困った顔をしたけれど、「いいですよ、置いていってください」と答えた。ご婦人はレジ係の答えを聞くまでもなく、レジ台の端に空の籠を置いて立ち去ってしまった。
レジ係の人は会計を終えた次のレジ籠を送り出すスペースを奪われて、ちょっと戸惑ったようなので、私は「いいよ、一緒の片付けとくから、重ねておいて頂戴。」と申し出た。
「すみません、お願いします。」とレジ係さんは私のレジ籠を老人の空のレジ籠に重ねておいた。

「なんか身につまされちゃいますね。」
それまでお仕事仕様のスマイルで応対していたレジ係さんがふっと表情を緩めてささやいた。
「ほんとにね、歳をとるって辛いね。」
と私もうなづく。
混んだスーパーのレジで手際よく支払いを済ませる敏捷さも、自分の所持金と買い物総額をあらかじめ確認しておく気構えも、自分の後ろに並んでいる人への気兼ねも、年齢とともに衰える。そして自分が周囲の流れと微妙にずれていることにさえも気づくことができなくなる。
そういう老いの悲しさを彼女もきっと感じたのだろう。
きっとこの人も自分の身近に年老いていく人を抱えているのではないだろうか。
忙しい買い物の最中の些細な一こま。
名前も知れないレジ係の女性との間に、何かしら柔らかなぬくもりに似た繋がりを感じて、ほっと心が緩んだ一瞬だった。


2006年02月27日(月) お付き合い

朝、父さんと義兄はワゴン車いっぱいに作品を積み込んで東京へ向かった。
父さんの出て行った後、明かりの消えた工房に入る。
つい昨日まで汚れた刷毛や釉薬の容器が所狭しと転がり、ポットミルや乾燥庫の運転音がなり続けていた工房はきれいに片付けられ、しんと静まり返っている。最後の窯出しを待つ間にさっぱりと片付けておいたのだろう。ここ数日の怒涛のような苦闘の跡がうそのようになくなっている。
父さんの作業台に残された釉薬まみれのエプロンをくるくると丸めて持ち帰り、洗濯機を回す。
これから一週間、父さんは東京の個展会場に連日詰める。
子どもたちと父さんの留守を守る一週間。

アユコ、学年末試験初日。
居間のコタツで試験勉強を始めたけれど、すぐに困った顔をして教科書を閉じた。
「おかあさん、どうしよう。ノート、友達に貸したまま返してもらうの忘れてた。明日試験なのに・・・」
はぁ?のんきなことで。早く連絡して返してもらってきなさいよ。
「でもメールアドレスしか知らないし・・・」
近頃学校ではクラスの連絡網が廃止されたので、普段仲良しのクラスメートでも電話番号を知らないこともよくあること。
「メールアドレスならわかるんだけど・・・」
とおもむろにPCを開いてメールを送るが、相手もPCなので相手がすぐにチェックしてくれるという確証もない。
電話帳を調べてもそれらしい番号が見当たらない。
「どうしよう。」
とうなだれて考え込むアユコにしばしお説教。

ちょうど昨日の日曜日の朝、別の友達がアユコに借りていたノートを返しに来て、昼過ぎまでなにやら部屋でしゃべりこんで帰っていった。
試験ぎりぎり前だというのに、友達にノートを貸したり自宅でおしゃべりに付き合ったり・・・。そんなことをしていられるほど、余裕があるの?
朝はお寝坊しているみたいだし、TVを見たりPCを触ったり、ちっとも試験に集中していないようじゃない。
昨日もそんなお説教をしたばかり。
だいたい、試験前日になって手元にノートがないことに気づくってどういうこと?借りたまま返さない子も悪いけれど、そんなことくらいちゃんと自分でチェックしておかないでどうするの。
仲良しこよしはいいけれど、ちゃんとやっておかなければならないこと、守らなくてはいけないルールというものもあるんじゃないの?

「友達はちゃんと選びなさいよ」ともう一言、言ってしまいそうになるのをぐっと堪えたところで、メールの返事が返ってきた。
「あ、今日持って行ったのに渡すの忘れてた」
「ごめん」の一言もなければ、「すぐに返しに行くわ」の気配もない。
電話と違って「すぐに返して!」と返事をすぐに返すことの出来ないメールのもどかしさ。
アユコはその文面にがっかりして、私が飲み込んだ言葉の意味を自分で察して唇を噛んだ。
「もう、絶対あの子にはノート貸さない。」
アユコの頬に大粒の涙がこぼれた。

そうでなくてもこの年頃の女の子たちのおつきあいは、微妙にべたべたしたりピリピリしたりして難しい。
一番の仲良しと思っている子から些細な事で裏切られたような気がしたり、不用意に傷つける言葉を発して仲たがいをしたり。
何かというとなぐったとか怪我をしたとかそういうい事態に発展する男の子たちとも違って、女の子には女の子の彼女らなりの微妙なお付き合いの難しさがあるのだろう。

「で、どうするの?ノートなしで試験勉強するの?泣いてたって解決しないよ。さっさと考えて行動しなきゃ。」
心を鬼にしてアユコのお尻を叩く。
「その子の家にあなたが取りに行くことは出来ないの?
もう一度連絡をとってみたら?
それが駄目なら、誰か近くの友達に借りるとか、他に方法はないの?」
いろいろ考えた末、近所の仲良しのAちゃんに30分だけノートを借りてきてコピーをとらせてもらう交渉をしたようだった。

授業中ちゃんとノートをとっていたアユコが試験直前に友達のノートを借りに走り、人のノートを借りっぱなしの友達が「あ、忘れた」と平気な顔をしてる。
これってなんか悔しい。
たった30分とはいえ、ノートを貸してもらったAちゃんにも、迷惑かけたことになる。
女の子にとって仲良しの友達って大事だけれど、だからこそ気持ちのいい友達づきあいのルールってヤツをしっかり考えてみたほうがいい。
とりあえず明日、相手の女の子に「昨日はノートが無くてとっても困ったわ。」と文句をいってごらん。彼女はもしかしたらアンタがいま、とっても悔しい思いをしてることに全然気がついていないかもしれない。それは彼女自身にとっても不幸なことだよ。

・・・そんな風にアユコを諭したのだけれど、多分アユコは明日学校に行っても彼女にそのことは告げないだろうと思う。いつものように笑ってノートを返してもらって、たわいないおしゃべりをして、でも2度と彼女にノートは貸さなくなるのだろう。
「あの子は、多分いっても気がつかないと思うから・・・。」
友達のためにあえて文句を言ってお互いに気まずい思いをするよりも、何事も無かったような顔をして一本線引きをした表面だけの友達関係を続けることを選ぶようだ。それが面と向かってぶつかりあうことを極度に嫌う今どきの子どもたちの、仲良しごっこの実態なのかもしれない。

アンタがそれでいいと思うんならそれでいいんだけどね・・・。
母はなんか違うと思う。
うまく説明は出来ないんだけれど。


2006年02月26日(日) 父さんの青

いよいよ個展準備最終日。
明日の朝には、たくさんの作品をワゴン車に積み込んで、父さんと義兄が東京へ向かう。
工房では最終の窯出し。出てきた作品が冷めるのを待って、華入の内側にシリコン溶剤を塗って防水処理をする。
霞にけぶる春の野山を描いた華入の淡い色合い。
いいなぁと思う。
窯から出たばかりの新作に描かれた穏やかな春の景色を誰よりも早く目にすることの出来る妻の特権。

午後から出品作品のリストチェックと梱包の作業。
義兄の作ったリストに従い、80点あまりの作品に品番シールを貼り、薄様とミラマットで梱包して段ボール箱に詰める。
今回は窯展ではなく、父さん個人の個展なので少し前に作った作品も出品する。数年前に作ったモンゴルの陶額や富士山の華入など懐かしい作品の包みも再び開ける。
毎回毎回、展覧会のたびに新しい作品を次々に生み出していく父さん。こうして以前の作品と最近の新作を並べてみてみると、扱う風景やテーマだけでなく、削りの技術や釉薬掛けの工夫も時を経るごとに変化して洗練されてきていることがよくわかる。

何点目かに開いたのは、沖縄の紺碧の海を切り取ったような平型の華入。
コバルトやうす青、紫などの釉薬を微妙に塗り重ねた海の色が、使い古した梱包材の中から現れると、その鮮やかな青に思わず作業の手が止まった.
私は沖縄の海をみたことはないけれど、夫の作る作品の青で南国の海の晴れやかな海と空を味わう。
これだけの作品を作り出す手が、今、私のすぐそばにいるこの人の手だということの不思議。


   吉向孝造  陶彩展 

   2006年 2月28日(火)〜3月6日(月)10:00〜19:30
               (最終日17時閉場)

   東京 池袋三越  4階 アートギャラリー


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