月の輪通信 日々の想い
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明日から地元の百貨店での展示会がはじまる。 年末からお正月休みも返上で焼き上げた作品の搬入準備。 荷造りの合間に展示室のたなのそばを通りかかると、静かに冷え切った空気の中でピキピキとささやくような音がする。 窯から出たばかりの作品が外気に冷やされて、その表面に細かい貫入の入る音だ。いわば焼き物の産声とも言えるようなささやかな音に心躍る思いで耳を澄ます。 今日窯から出たのは、お抹茶茶わんや小さな香合。そのまま梱包して明日の展示会に出品する作品だ。手の中に収めるとまだわずかに窯の火の温みを残して、ほのぼのと暖かい。
仕事場では父さんがまだ、明日の朝滑り込みで持ち込む予定の作品の窯詰めをしている。開場時間には間に合わないけれど、手持ちで持ち込んで途中から展示するつもりなのだ。本当に最後の最後まで引っ張るなぁ。 けれども、「あと一点・・・」「もう一点・・・」という粘り強い繰り返しが、父さんの仕事の原動力。 綱渡りのような夜なべ仕事の連続も展覧会前のイライラ、ピリピリもすべて作品の中に注がれて色彩と形に姿を変える。 今年も毎月のように各地での展示会の予定が組まれた。そのたびに父さんの修羅場のような夜なべ仕事が続く。 願わくば、健やかに充実した制作の日々が送れますように。 祈る気持ちで貫入の音を聴く。
里帰りから戻って、我が家で食べる今年最初の朝ごはん。 朝寝を楽しむお寝坊の子どもたちを放置して、相変わらずの夜なべ仕事から戻った父さんのために朝食を準備する。 炊き立ての白いご飯にお豆腐の味噌汁。お漬物。 正月明けの空っぽの冷蔵庫になぜか豊富に残った卵を気前よく使って、父さんの好きな出し巻き卵を焼く。
父さんの好みはだし汁大目の薄味の出し巻き卵。 銅の玉子焼き器を熱し薄く油を引いて卵を流しいれ、焦げ目の出ない程度にじっくりと焼いて巻き上げていく。普段何の気なしに焼いている玉子焼きも少し気合を入れて丁寧に調理すると、ふんわりと柔らかくじわりとだし汁の染み出すやさしい一品になる。 暖かいうちに厚めに切って朝食の膳に載せる。
「お、旅館の朝ごはんやな。」 思わずほころぶ父さんの笑顔。 一目みて、玉子焼きに込められた心持を感じ取ってくれたらしい。そのことをちゃんと言葉にして伝えてくれる夫をありがたいと思う。 年末からこっち「お急ぎご飯」やおせち料理など、間に合わせのお料理や誰かに調理してもらったご馳走の食事が続いて、それはそれでおいしく楽しくいただいたのだけれど、こうしてゆっくりと誰かのためにいつもどおりのお惣菜を調理する楽しみも捨てがたい。 当たり前の家事を、時には立ち止まってしっかり心を込めて味わう気持ちを大事にする一年にしたい。 そんなことを改めて心に記する、今日の朝ごはん。
「元旦には窯に火は入れない」 永らく守られていた定めを破って、今年、父さんは元日の朝から窯を焼いた。 年明けに持ち越された干支のお茶碗と6日からの地元の百貨店の展示会への出品作品。例年通りの年末仕事に年頭早々の展示会が重なって、毎日のように徹夜仕事が続いてもまだまだ山積みされた仕事は終わらない。 釉薬のしみだらけの仕事着姿でアルコール抜きの御節を祝う。 これが今年の我が家のお正月。
父さんと受験生のオニイを残して、下の3人の子どもたちと電車で加古川へ里帰り。 東京と大阪の弟たち家族もそろって、普段静かな実家に子どもたちのにぎやかな声が満ちた。アプコは久しぶりに会う小さい従妹達相手に得意のお姉さんぶりっ子。かわいいおしゃべりの始まったYちゃんがパタパタ駆け回って愛嬌を振りまく。幼稚園児のAちゃんの歯切れのいい東京言葉があっという間に感染して、変な標準語をしゃべっているアプコが可笑しい。
実家のお正月料理も最近ではずいぶん簡略化した。 今年はお重箱も出ていなくて、大皿に母のお煮しめを盛り合わせての簡易版。恒例のお餅つきもお休みで、それぞれが持ち寄ったお土産が食卓に上った。 そんな中でも母は棒鱈だけは、今年も忘れず用意しておいてくれた。年末から何度もぬるま湯を入れ替えて漬けておいたと言う乾鱈を、甘辛く煮る。しっかりした歯ごたえを残したままホロホロと崩れるように煮た母の棒だらは子どもの頃から私の大好物。下準備に手間のかかるこの料理を母は毎年「お姉ちゃんのために」と格別に用意してくれているらしい。 父母の下を離れて嫁いで16年。いっぱしの母の顔をして年齢を重ねた私が、年に一度、誰かの娘に戻ることの出来る嬉しい一皿。ジワジワと惜しむように噛み締める。 有難いこと。
例年通り、年内最終日までもつれ込んだ年賀状書き。 工房の仕事上の年賀状は、事務所のPCと我が家のPCをフル回転で刷り上げる。プリンターへのはがきの補給やインクの補充などPC番は数年前から子どもたちの仕事になった。 大掃除やPC番の合間に私や子どもたちは自分の分の年賀状を手書きで仕上げる。今年は一年生になったアプコも近所の友達や学校の先生にかわいい犬のイラストの賀状を何枚か書き上げてご満悦。 「これ、今からKちゃんちへ持って行ってポストに入れて来てもいい?」 駄目駄目。今日はまだ大晦日。 いくらご近所だからって、まだ配達しちゃ駄目じゃん。
「できた!これでどう?」 ゲンの年賀状には、小さな2匹の動物のイラスト。 その下に「サルは去るのみ・・・」の文字。 ああ、考えたね。 サルから犬へのバトンタッチか。イラストもかわいいし、上出来じゃん。 皆に褒められて、上機嫌で宛名を書くゲン。 子どもたちの年賀状もぎりぎり年内に仕上がったようだ。
「・・・・でもなぁ、」 父さんがあとからこっそりささやいた。 「やっぱり投函する前に言っておいてやったほうがいいよね。・・・戌年の前はサルじゃなくて、酉年なんだけど。」 あああ! そうでした! ゲンの即妙の駄洒落に気をとられて気がつかなかったけど、今年は酉年だったっけ! 「ねぇねぇ、オニイ。」と聞いてみたら、実はオニイもゲンの勘違いに気がついたけれど、あんまりゲンが仕上がりに満足そうなものだから言い出しかねていたらしい。 う〜ん、駄洒落の思いつきはよかったんだけどねぇ。 「言ったらきっと、ゲン、へこむよね。」
結局、投函寸前になって父さんがゲンに伝えた。 「あのな、ポストに入れる前に教えておいたほうがいいと思うんだ、年賀状のことだけどね。ゲン、十二支を始めから順番に行ってみ。」 きょとんとした顔のゲン、ね、うし、とら、う、・・・と唱えていって途中で「ああーっ!」と自分の勘違いに気がついた。 快心の出来と大得意だっただけに、ショックでしばし言葉を失う。 「もっと早く教えてくれたらよかったのに・・・」と半べそ状態だ。 「そんなに落ち込むことないよ。デザインは面白いし、全然駄目ってわけじゃないじゃないから・・・。」 皆が傍からいろいろフォローしたけれど、ゲンのショックは大きかったようだ。
それではと、父さんと一緒に考えておいた苦肉の策をゲンに授ける。 「じゃあね、『サルは去るのみ』のあとにね、『とりあえず』っていれてみ。なんとか誤魔化せるんじゃない?」 ゲンはしばらく考えてから、年賀状に筆ペンで「とりあえず」の文字を書き加え、「とり」のうえに傍点を付け加えた。 よしよし、ご機嫌が直ってなによりなにより。
それにしても一年の終わりを思いがけない失敗で笑わせてくれるゲンの愉快さ。 「とりあえず」は、凹んでも気持ちを切り替えるのが得意なゲンのいつもの口癖だ。 「サルは去るのみ」の駄洒落年賀状は「とりあえず」の5文字を加えてよりゲンらしいエピソードに満ちた楽しい年賀状になった。 「とりあえず」で暮れていく一年も、それもまたよし、ということか。
工房の仕事も大詰め。干支の仕事がようやく一段楽して、雑用係の私にはぽっかりと手待ちの一日が出来た。クリスマス気分のまま、家の中でぐうたらしているアユコとゲンを動員して、工房周りの落ち葉掻きにせいを出す。 山の木々も八割がた落葉を終えた。見上げると裸になった木々の枝振りがくっきりと空に浮かんで、冬の空の青さが明るく見通せるようになった。まだまだ、名残の落葉は続くけれど、大掛かりな落ち葉掻きのピークはこれで終わりになるだろう。
先日の焼き芋大会のときに壊れてしまったと思っていたブロワーが、今日もう一度試してみたらあっさりと使えたので助かった。多分配線のどこかが接触が悪くなっていたのだろう。 木々の根元や庭石の間の落ち葉を掃除するためにはブロワーは必須アイテム。とりあえず使えるようになって助かる。ガーガーと音がうるさくて無粋だけれど、これがないと冬の落ち葉掻きはたちまち麻痺して困ってしまう。 「しょっちゅう空回りしてガーガーうるさいけど、いないと家事が立ち行かない。誰かさんみたいだねぇ。」 誰かさんって誰のことよ! え!誰のことよ!
アユコとゲンはジャンケンで落ち葉を運ぶ順番を交代したり、運動会のゲームのように落ち葉を捨てに行く速さを競い合ったりして、いつの間にか落ち葉掻きの仕事を楽しい遊びにしてしまっている。 ほんの数年前までは、褒めたりおだてたり、時には息抜きの遊びを仕掛けたりしてやっとの思いで子どもたちを作業につなぎとめていたというのに、今では子どもたちだけに任せておいてもそこそこ纏まった作業を楽しみながらやっておいてくれるようになった。 成長しているんだなぁと思う。
結婚したばかりの頃、毎日工房の仕事を手伝っていてよく思ったこと。 窯元の仕事というのは作品の制作ばかりでなく、営業や販売、荷造り荷送、教室の運営と多岐にわたる。それに加えて、お客様の接待、お茶だし、庭掃除など周辺の些末な用事も山ほどある。これらの仕事を家族だけで支えるには、人手はいくらあっても多すぎるということはない。 「作品を作る子、商売をする子、荷造りをする子、お客様の接待をする子・・・。工房の仕事を我が家の子どもたちに割り振るには、8人くらい子どもを産まなくっちゃね。」 荷造り場で義母と一緒に作品の包装をしながら、よくそんな冗談を言ったものだった。 実際には現在我が家には4人の子どもたち。 オニイは最近、父の仕事を継ぐことを将来の目標として思い描き始めているらしい。アユコは学校で茶道や華道を習い、お茶だしやお接待の助手を立派に務められるようになって来た。ゲンやアプコも何かと工房へ入り浸り、おじいちゃんおばあちゃんたちの手伝いをしたりできるようになって来た。 このまま、いつまでも子どもたちを手元にとどめておくことができるとは思っていないけれど、取り合えず今は子どもたちが工房の一員としての何らかの役割をそれぞれに自覚して果たせるまでに成長して来たということだろう。
午前中いっぱいかかって三人で運び出した落ち葉が大きな山になった。 山から降り注いだ膨大な量の落ち葉も、こうして積んでおけばそのうち雨風に打たれて、柔らかな腐葉土となって土に返る。 毎年毎年、繰り返す落ち葉掻きの作業。 その中で子どもたちの成長を確認できるということのありがたさ。
2005年12月25日(日) |
クリスマスプレゼント |
今年のサンタクロースは、いつもの屋根裏収納の小窓からではなく、玄関からやってきたらしい。 朝、起きてきたゲンとアプコが散々屋根裏部屋を探し回る物音を、父さんと私はコタツ布団に隠れてくすくす笑いながら聴いていた。 「今年はサンタ、来なかったのかなぁ」と心配顔のアプコに「じゃあ仕方がないね。悪いけど新聞取ってきてくれない?」と軽いいじわる。しぶしぶ外へ出たアプコがオニイの自転車の籠にのせられてあったプレゼントを見つけて「あったよ!あったよ!」と歓声を上げた。
ゲンにはチラシで目をつけていたラジコンカーのセット。 アプコには「ウォータービーズ」とかいう子供向けのアクセサリー制作セット。 中学生のアユコとオニイはさすがにサンタクロースを卒業して、「受験生だから図書カードでいいよ。」「この間ジャケット買ってもらったばかりだから、あんまり期待してないから・・・」とそれぞれ大人の発言。いつの間にかクリスマス準備のスタッフサイドに昇格するつもりらしい。こういう卒業の仕方もいいなぁと思う。 二人には常着のトレーナーやパーカーの包みを用意しておいた。
子どもたちへのプレゼントとは別に、父さんから「いつもごくろうさん」と、陶製のバレッタを貰った。忙しい年末仕事の最中にいつこんなものを拵える暇があったのだろう。 夕空にシルエットになった裸木の梢。 作品の一部を切り取って配したような飴色のバレッタは、温かみのある丸っこい形がかわいらしい。 暖かい父さんの心持をさっそく纏めた髪に飾って装う。 ありがとう。 (左右逆に貼り付けた金具はご愛嬌ということで・・・。)
天国へ行ったもう一人の娘のためには、今年も小さなガラス細工のクリスマスツリー。 毎年あの子のためにと買い集めたガラス細工はもう何個になったのだろう。 生きていれば3年生。流行のおもちゃやおしゃれな靴をねだる年頃になっていただろうか。 この間、子どもたちのプレゼントを買いに街に出た時、ふいにあの子のことを思い出してわっと涙があふれそうになって困った。あの子が逝ってからもう10年近く経ったというのに、まだこんな風に激しい感情が不意に降り注ぐことがあるのだと驚いた。「忘れないで。時々は思い出して」と母の心を揺さぶりにきたのだろう。 そんな不意の涙すら、なんだかありがたいという気がするのは、10年という年月の距離のせいだろうか。
クリスマスのプレゼントは、子どもら本人の手で開封されてこそ嬉しい。 父にも、母にも・・・。
今年は冬休みが妙に長い。 22日が終業式で、1月10日が始業式。 18日間。 ちょっと長すぎない?
冬休みの宿題は一月中に終わらせるよと張り切って計算ドリルをやっつけていたゲン。 今日、ふと見ると新しい5ミリ方眼の算数ノート、一番後ろのページから逆送りに使っている。 「ゲン、それ、反対じゃない?」 「え、うそ!」 あらら、もう5,6ページも逆送りのままで書き進んでいる。 「どうしよ。このまま、ノート一冊終わるまで、逆のままでいこか?」 「それはちょっとね。」 オニイ、オネエもよってきて、ゲンの失敗を見つけて笑う。 「途中で気がついてもよさそうなものなのにね。」 「全然きがつかなかったの?」 困った顔のゲン。
「ぼくはちょっと前に気がついていたけどね。」 と、横から口を挟むオニイ。 こらこら、気づいていたんなら、もっと早目に教えてやんなさいよ。 人から言われるまで失敗に気づくことが出来なかったゲンもゲン。 弟の勘違いを、知ってて教えてやらなかったオニイもオニイ。 おばかだなぁ、もう。
夕飯は餃子。 材料は前日に買い込んでおいて、子どもたちに包んでもらおうと思っていたら、あらら、主要戦力として見込んでおいたアユコとゲンは笛のクリスマス会で夕方から外出するという。 「どうする?」と父さんが心配顔で言うので、「大丈夫よ、アプコがいるから。アプコ、手伝ってくれるよねぇ。」と答えたら、傍らで聞いていたアプコの得意の鼻がピクピク動いた。 「うん、大丈夫。」 さっそく腕まくりをして、餃子包み臨戦態勢。 なかなか頼もしい。 我が家では餃子は大量に拵えてホットプレートでいっせいに焼くイベントメニュー。いつもバット2杯分の餃子を準備する。 市販の餃子の皮に具材を乗せてやると、アプコはいつもより格段に真剣な顔つきで包みはじめた。いつもならオネエのそばで「お団子餃子」や「せんべい餃子」を作って遊んでいるのに、今日は責任重大。遊んでなんかいられない。 私自身も次々に餃子を包みながら、合間合間にアプコのお皿に具材を載せた皮を用意してやるのだけれど、アプコもそのペースに負けないように片意地のように忙しく手を動かす。しまいには、おしゃべりの一つもしなくなって、二人して「餃子包みマシーン」と化す。 「ねえ、シューマイ餃子、作ってもいい?」 一杯目のバットが一杯になった頃、ようやくアプコがいつものお遊び餃子をつくりたがった。ずいぶん、熱心に手伝ってくれたので「いいよ」と答えたら、こんどは楽しそうに「これはシューマイ餃子、これは春巻き餃子、これはショーロンポー」といろんなアレンジ餃子を作り始める。 結局、残り半分はノーマルな餃子よりアプコのオリジナル餃子のほうが多くなってしまい、参ったなと思いつつ準備を終えた。
「今日の餃子はアプコの特製餃子だよ。」 ホットプレートにずらりと並んだ餃子を得意そうに見せるアプコ。 「ショーロンポーも作ったよ!」と苦心のアイデア餃子をオニイやオネェに説明する。 2階から降りてきたオニイは 「ふ〜ん、アプコもやるね。」と一応は感心して見せたが、そのあと「でもなぁ、ノーマルな餃子よりアレンジ餃子のほうが多いのはちょっとなぁ。」といらぬ批評を加えた。 そこへ、台所にいたアユコがアプコの反応も見ずに、「アプコもそろそろ、普通の餃子の包み方を覚えなくちゃね。」と追い討ちをかける。 せっかくとはりきっていたアプコ、オニイとオネエに文句を言われて、みるみるへこんでわぁわぁと泣き出した。
「あ〜あ〜、せっかくアプコが頑張って作ってくれたのに・・・。」 外から帰って、食べるだけの人が寄ってたかって文句を言うことはないじゃないの。 しまったと気づいたオニイとアユコが、あわててアプコのご機嫌をとるけれど、今度は横で聞いていた私のほうがご機嫌が悪くなる。。 オニイもオネェも決して悪気があっての言動ではないけれど、一人で一生懸命餃子係を務めたアプコの嬉しい気持ちをもっときちんと見つけてやってほしかったなぁ。
「お、うまそうな餃子やな。なんか、変わった包み方のもあるね。」 仕事場から帰った父さんは、ホットプレートの上でジュージュー焼ける餃子を見つけて嬉しそうに席に着いた。にわかにご機嫌の直ったアプコが、父さんに自分の作った餃子を一つ一つ嬉しそうに説明する。 ああよかった。 さすが父さん。 女の子を嬉しがらせるツボを心得ている。 オニイ、よく見ておきなさいよ。
夜半からの雪。 凍えるような寒さだけれど、朝はまだ雪もうっすらと道路を覆う程度。 今日が終業式の子どもたちは、ちょっとワクワクしながら早めに家を出た。犬コロのように走り出す子どもたちのあとを「ちょっと送って行ってくる。」とデジカメを持った父さんが追う。夜なべ仕事の後だというのにまぁ、元気なこと。まだ父さんも嬉しいのね、雪が。51歳にして。
子どもらが出て行ってしばらくすると急激な吹雪のような雪。 「まだ、車、大丈夫よね。」 今日は9時に歯医者の予約。 「まだ行けるんじゃない?」 という父さんの判断を頼りに、決死の覚悟で車を出す。 まだ轍の後も少ない新雪の上を踏みしめるようにジワジワ徐行で進む。ようやく駅前まで出て、もう大丈夫だろうと思っていたら、周囲の車はほとんど這うような最徐行。坂道で立ち往生して停止灯を点滅させている車もある。 ありゃぁ、これじゃ駄目だわぁと思ったとたん、愛車のトッポがジワリとスリップしてゆっくりと回転しながら坂道を滑った。 あれよあれよとハンドルを握り締めて、フリーズしてしまう。 結局滑った距離はほんの数メートル、歩行者も他の車も周囲にいなかったので、車は道沿いの駐車場の入り口付近にとまった。もうそこからは怖くて車を動かすことも出来なくて、とりあえず駐車場に車を置いてすごすごとうちへかえる。 初めての雪道運転、距離にして1キロ弱。 どっと疲れた。
昼前、アプコを迎えに小学校へ。 今日、終業式後に社会見学に出かける予定だった5年生も、雪で中止になって帰ってくるという。 「雪合戦したら、手袋ぬれちゃった」と、素手で赤い傘をさしているアプコの手は、すでに冷えきって真っ赤。雪の勢いも急に強くなって、帰りの山道を半分もあがらないうちにすでに「八甲田山雪の行軍」状態。 「おかあさん、あたし、雪、ちょっときらいになった。」 あんなに「早く、雪降るといいねぇ。」と楽しみにしていたのに、あっという間に半泣き状態。 一方、一緒に校門を出たゲンは、あっという間に糸の切れた凧のように雪合戦の群れの中に消えてしまい、気がつくと別の雪だるま作りのグループに合流していたり・・・。時々、後ろを振り返って見るけれど、ゲンはいっこうについてくる気配がなくて、どこかで夢中になって遊んでいるのだろう。 「犬は喜び、庭駆け回り・・・」というけれど、ほんとに戌年生まれだけのことはあるなぁ。
泣きそうなアプコを励ましながら、家の近くの地道まで帰ってくると、カーブの向こうに父さんの姿を見つけた。 雪を心配して迎えに来てくれたのかと思ったら、どうやらデジカメで近所の雪景色を撮影しに出てきていたのらしい。 「おやおや、妻と娘が雪で泣きそうになってるのに、写真撮影?」 とからかったら、 「いやぁ、こんな写真はめったに撮れないし、取材、取材。これも仕事のうちや」 と、やけにくどくど言い訳をする。 「はぁ、お仕事ね。それはご苦労様。」
どうやらゲンの「犬は喜び・・・」の血は父さん譲りらしい。
父さんの工房での仕事がいよいよ立て込んできた。 例年通り干支の置物や茶わん、香合の制作に加え、今年は新年の6日から地元の百貨店で茶陶展が開かれることになり、その作品作りも重なった。 いっぱいいっぱいの仕事を抱え、短い仮眠を取るだけで夜昼なく工房へ出かけていく父さん。 髪はいつでも仕事場の埃まみれ。手指は土に脂気をとられてカサカサで、指先にはいくつもひび割れが出来た。連日の寝不足で眼鏡の奥の瞳はいつもしょぼしょぼ。夜毎、茶の間で背中を丸め、香合の仕上げのノルマを消化する姿にも、「鬼気迫る」といった感がある。 毎年毎年の事とはいいながら、大変だなぁと思う。
高齢のひいばあちゃんの仕事場に入る時間が減り、義父も腰痛や持病のヘルペスでぐっと仕事量が減った。その分の仕事の負担も、ここ数年父さんの両肩にどんとのしかかってくるようになった。 新しい人を入れても、私が少々助っ人に入っても、熟練した技術や経験の必要な仕事はどんなに瑣末なことでも父さん以外の人に替わることは出来ない。そのことは父さん自身、一番よくわかっていて、だからぎりぎりいっぱいの体力で山積みの仕事を一つ一つ、砂山を突き崩すようにして片付けていく。 いったいいつまでこんな綱渡りのような仕事の仕方が出来るのだろうと、傍から見ているだけでも怖くなってしまうことがある。
この間、実家の母と電話で話していたら、ニンニクを食べると体が元気になると熱心に勧められた。瓶詰めのしょうゆ漬けのニンニクを日に数個食べ続けるだけで、父の体調がすこぶるよいという。毎年年末仕事の修羅場を知っている母は、ぜひ父さんにもニンニクを勧めなさいという。 うちでは普段料理にもあまりニンニクは使わないし、しょうゆ漬けのニンニクも買ったことはなかったのだけれど、元気が出るというのならとさっそく買ってきて小鉢に入れて食卓に上げた。心配したにおいもそれほどなく、漬物好きの父さんは食事の合間にぽりぽり口へ運ぶ。
「で、元気でたぁ?」 と問う私に、 「出た出た。なかなか効きそうや」 と力瘤のポーズをみせる父さん。 果たして、ニンニクの効果なのか、あまりの過重労働に吹っ切れちゃったカラ元気なのか、私にはわからない。かといって他に何が出来るわけでもなく、ただスーパーに行くたびに、まるでお守りでも買うように、あれこれ違った種類のニンニクを買う。 無力な奥さん。
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