月の輪通信 日々の想い
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数日前から家の周りで子猫の声がしていた。 手のひらに乗るほどの小さい斑の迷い猫で、我が家のクーラーの室外機の下で寒い夜をやり過ごす事に決めたらしい。勝手口の扉の下や和室の履き出し窓の下のブロックに座り込んで、いつまでもいつまでもふみ―ふみーと哀れっぽい声で鳴いている。 近頃うちの周りでは野良の猫の姿も余り見かけなかったから、誰かがわざわざ近所に捨てにきたか、駅前辺りの野良さんの子をハイキング客か誰かが気まぐれに抱いてあがってきて放置して行ったものだろう。
当然のことながら動物好きのアプコが一番にその愛らしい鳴き声にめろめろになった。みゃーみゃーと取って置きの猫なで声で子猫を呼ぶ。小さなパンのかけらや鰹節を手に、子猫との距離を警戒する子猫との距離をすこしづつ縮めていく。 「飼う気はないんだから、あんまり構っちゃダメよ」と言いながら、他の兄弟たちも子猫の愛らしさとアプコのあまりの喜び様に、むげに叱る事もできず遠巻きにしながら一緒に子猫の様子を見守っている。 「ありゃー、おかあさん、ダメだよ。アプコ、もう、猫、抱いちゃってる。」 アユコが呆れたような、でも嬉しそうな声で報告してくるまでに30分もかからなかった。
我が家には、既に雑種の犬が居るし、家の中にはアプコのペットの金魚も居る。私も父さんも、ペットに犬を飼ったことはあるけれど、猫を飼った経験はない。おまけに私は家の中で動物を飼うのが好きではない。 このまま、子猫が我が家に居ついて、ずっと我が家で飼う羽目になるのは困るなぁと思う。 かといってこれからの寒くなる季節。 小さい子猫をこのまま放置しておけば、凍えて死んだり、カラスや野犬の餌食になってしまう可能性もある。 通学や庭遊びのアプコの目に付く場所で、この子猫が無残な有様になったりしたらきっとアプコはいたく傷つくだろう。 飼って飼えない事もないけれど、エサだけ与えて気まぐれに可愛がって、そういう中途半端な飼い方になりそうで、それも無責任な感じがする。 「野良の子はなかなか人に懐かないから、きっと家猫にはならないよ」と言う人もあるし、名前をつけて「うちの猫」にしたとたんにふらっと居なくなってしまってもアプコの落胆を思うと忍びない。 困った事になったなぁ。
そんな母の迷いを察してか、それまで眺めるだけで子猫には触れようとしなかったアユコやオニイまで何となく気持ちを緩めてアプコの抱く子猫を撫でたりパンのかけらをあたえたりするようになって来た。 子猫のほうも次第に子ども達に懐いて、小さなツメで網戸をかりかり引っかいて窓の下でみゃあみゃあと人を呼ぶように鳴くようになって来た。そればかりか、隙あらば履き出し窓に小さな前足を掛けて暖かい室内に入ろうとするようになって来た。 「アプコ、外で猫と遊ぶのはいいけど、家の中に入れたらアカンよ。まだ、その猫はアプコの猫じゃないんだから・・・」 母の叱責を諮ってアユコがアプコに注意する。 「その『まだ』ってなによ。うちじゃぁ、猫は飼わないよ。」 と言いながら、アユコも私も父さんもオニイも何となくこの子猫がうちに居ついてしまう事を仕方なく容認して行く雰囲気になってきたようだった。
朝、雨戸を開けたら、子猫の姿がなかった。 昨日までなら、人の気配を感じるとすぐにふみーふみーと鳴き声をあげて姿を見せたはずなのに、今日はその声すら聞こえない。 夜のうちに、もっと寝心地のいいねぐらをみつけたのか。 それとも誰かに拾われていったのか。 何となく物足りない思いで一日を過ごす。 鳴き声が聞こえた気がして窓を開けたり、近所の草むらをそれとなく探してみたり。 「昨日の夕方、子猫の鼻先で雨戸を閉めて追い出しちゃったから、もう他へ行っちゃったのかなぁ」と昨日最後に子猫を見送ったアユコがしきりに気にしている。 「近くに居ると『困ったなぁ』って感じなのに、やっぱり居なくなると寂しいね。」と父さん。 「お友だち見つけて、どっか行っちゃったんじゃない?」 とアプコの反応が意外とあっさりしていたのが、せめてもだった。
今回の猫騒動。 ちょっと面白かったのは、ゲンの反応。 たしかに子猫は可愛いというし、撫でたりエサをやったりするのだけれど、兄弟の中では一番クールな対応。カブトムシやクワガタの飼育ケースをいくつも抱え込み、おじいちゃんちの犬の散歩係もつとめる動物好きのゲンが子猫をうちで飼う事については一番消極的だった。 自分ひとりで何匹もの虫を管理し、たびたび犬の散歩を頼まれて呼ばれていくゲンには、ペットを飼うという事の楽しい場面ばかりではなく、めんどくさかったり辛かったり、嫌になっちゃうことだったりが身に染みてよく分かっているのかもしれない。 「野良は野良。自由に生きている動物に気まぐれに手を貸したり、その場限りの愛撫を与えない。」 人懐っこいゲンの中にある、意外に冷静で割り切った動物観。 こういった部分は、多分に情に流されやすい父や母よりも、よほどしっかりと鍛えられている気がした。
ここ数日、TVのワイドショーでは白血病で急逝した女性の追悼の番組が続く。 アイドルから実力派のミュージカルスターへ。努力の人であったというエピソードと共に、遺影の若く美しい笑顔が何度も繰り返し映し出される。私はこの人の歌う歌をちゃんと改まって聴いた事はないけれど、葬送の日のレポートのバックに流れる「アメイジンググレイス」は透き通った張りのある美しい声で、まさに天使の歌声。随分訓練を積み重ねてこられた方なのだろうなぁと思い量る。 そしてここまで鍛え上げた歌声が、肉体の死によって永遠に封じ込められ、2度と聴く事ができなくなると言う当たり前の事実のはかなさが、なんともやり切れない現実として心に迫る。
この秋、父さんが長い間師事してきた南画家の直原玉青先生が101歳の長寿を全うされた。晩年まで精力的に絵筆を取られた巨星の逝去だった。 ただただ筆が動くのを楽しむ子どものように、年老いてもなお純粋に描くことを楽しんでおられたと言う仙人のような画業の偉大さが、父さんの語るなんでもないエピソードの中からでさえ、ひしひしと伝わってくる、そういう方だった。 私には水墨の絵の良し悪しはちっとも分からないのだけれど、小柄で飄々とした老画家の手から生まれた作品の筆の運びは、それと分からぬほど活き活きとした力に溢れ、勢いに満ちている。高齢の画家の肉体の中に秘められた静かなエネルギーの豊かさに圧倒されるような思いで拝見していた。 その方が亡くなられて、101年間の間に培われた絵の技術や豊富な知識や感情や記憶や、そして溢れるような創作のエネルギーが、丸ごと全部、命絶えた画家の肉体の中に封じ込められ、埋葬されてしまう。 かけがえのないものを失ってしまう、そんな現実の酷さに茫然とする。
仕事場で、97歳になるひいばあちゃんの仕事振りを眺める。 最近では、仕事場に入られる時間もめっきり減って、同じ土塊を何日も何日も触っておられる事が増えたが、それでもしわくちゃに大きくゆがんだその手指には、熟練の職人の地道な手つきが頑固に染み付いている。五感が鈍ってその技術があやふやになっても、人が呼吸の仕方を忘れる事がないように、土をこねロクロをまわす長年の作業の手順はしっかりとその肉体に刻みこまれて褪せることがない。 そういうひいばあちゃんの手に残る技術や、もはや改めて語られる事も少なくなった先代さんの時代の思い出の記憶、作品に対する美意識、感情・・・。そういったものは全て、ひいばあちゃんと言う小さな枯れた肉体の中にあって、いつの日かそこに封印されたまま永遠に開かれる事のない場所へ行ってしまわれるのだという事実。 そのことを心から「惜しい」と思う。 人の死を『惜しむ』と言う事は、その人に肉体にこめられた感情やら記憶やら技術やら愛情やら、そういうもの全てが永遠に封印されてしまう事のもったいなさに通じている。
それでも歌姫には、天使のような歌声のCDやテープが残り、人の記憶に歌が残る。 老画家の死後には、膨大な数の力溢れる遺作の数々が残る。 生涯裏方の職人に徹したひいばあちゃんには、自分の名前を記した作品は何一つ残らないかもしれないけれど、毎日無言で土に向かい淡々と立ち働く姿の記憶は私や子ども達の頭の中にしっかりと刻まれて消えることはないだろう。 それでは、なんでもない市井の人の特別な事もない生涯の終わりには一体何が残るのだろう。 42歳の今の私。 一体何ほどのものが培われているのだろう。
今日は工房のお茶室で炉開き。 男性限定のお稽古なので、いつもは義兄や父さんが準備から後片付けまですべてを取り仕切ってやっているのだが、今日はたまたま二人とも朝から不在。 朝、「先生が来られる時間までには、必ず帰ってくるから・・・」と出かけていく父さんを送り出して、さぁ!と腕まくり。 圧力鍋でお接待用のおぜんざいの小豆を煮ておいてから、工房の庭掃除に出動する。 落葉の季節になって、工房の玄関や茶室周りは木の葉でいっぱい。熊手や竹箒を駆使し、ブロワーを導入して木の葉を集める。庭木の株元やつくばいの石組みの間に入り組んだ落ち葉は膝をついてつまみ出し、箕に集めて道向こうの谷に捨てる。 風が吹くたび、頭上の梢からははらりはらりと舞い落ちる落ち葉。 きれいに掃き清めたあとの地面には、すぐにまた木の葉が散っている。
この間、夕方の子供向けの番組で、お寺のお坊さんが小学生くらいの男の子を相手に、庭掃除の極意を教えていらした。 「お寺では、庭の掃除も大切な修行の一つです。一番大事な事は、箒を使うときには自分が箒になりきる。道具になりきって掃除をするということです。」 確かに、誰とも口を利かず、一心に舞い落ちてくる落ち葉をかき集め、集めては運ぶ作業を続けていると、心はいつか修行僧の境地になってくる。 時折巻き上がる風が、風向きによっては竹箒の後押しをしてくれたり、せっかく集めた落ち葉の山をいたずら小僧のように引っ掻き回していったり・・・。 そんな気まぐれに惑わされる事なく、ひたすらに竹箒を運ぶ。 竹箒になりきる。 なるほどなぁ。
「コンを詰めて掃除をしても、すぐにまた落ちてくるよ」 義母が笑いながらやってきて、そのくせ自分も私が掃いたばかりの地面の落ち葉を癇症に一枚一枚拾って歩く。 なんだかなぁ・・・。 掃除が済んだら、父さんたちが帰ってくるまでに、お茶花を調達し、おぜんざいのお椀やお膳を準備して、それからそれから・・・ ああ、まだまだ悟りの境地は遠い。
アプコの習字からの帰りが遅くなって大慌てで帰ったら、玄関にまだオニイの自転車が帰っていなかった。あららと家に入ると、先に帰っていたアユコとゲンが駆け寄ってきて、お兄ちゃんが怪我をしたと言う電話があって、父さんが学校へ行ったと告げる。 なになに、それ、どう言うこと?とパニクっていたら、父さんから電話が入った。
下校時間、帰ろうとしていたオニイに同級生の二人がしつこいちょっかいをかけた。それを発端に2対1の取っ組み合いになり、オニイも必死に反撃したが何度か顔面を殴られて、めがねが壊れた。そこで知らせを受けて駆けつけてきた先生方が止めてくださったのだと言う。 目の下を殴られたオニイは、念のため病院へいったが、幸い大事には至らなかったとのこと。 アユコに留守番を頼んであわてて学校へ飛んでいったら、校長室のソファーに父さんと項垂れたオニイが待っていた。先生たちも大勢残って下さっていて、相手の二人の保護者も別室に呼ばれているという。 先生から改めて経緯を聞き、オニイからも詳細を聞き出したりして、二人の生徒と保護者からの謝罪を受ける。
オニイに関しては、小学校の頃からこういう場面は何回もあった。 相手の子が「もうしません、これからは改めます。」と言い、その親たちは「子どもには厳しく言って聞かせます」と言葉を重ねて謝罪する。 何度も繰り返される似たような言葉。 最近では正直な所、私自身は加害者の子どもがこれからどう改心していくのかと言う事のほうにはちっとも関心が行かなくなってきた。 親や先生がどれほど目を光らせ、優しさを説いたところで、度を越えたふざけや特定の子に対するしつこいちょっかいは遊びの感覚で昔から子ども達の世界に散乱している。 ターゲットになりやすい子は用心深く友だちを選び、やられたら訴える事のできる信頼できる教師や大人の存在を確保し、護身術でも習う他ないのだろう。
オニイは話の間中、殴られた頬を冷やしながらうつむいてあまり言葉を発しなかった。 二人の加害生徒の方が、だらりとだらしない制服の着方でふらふらと腰の定まらぬ姿勢であごを上げて立っていて、偉そうにみえる。なんだか、それが私にはあまりにも歯がゆくて「オニイ、あんたが下を向くことはない。胸を張りなさい。」と言いたくなった。
小さい頃から、やられても決してやり返そうとはしないオニイ。 暴力は嫌いなのだと言う。 決して、強い奴にかかっていけない臆病なのではない。 自分より力の弱い弟や妹達にも決して手は上げない。 「やられたら、たまには一発やり返しておいで!母が許す!」と挑発しても決して乗らない。 私にはそのことが、歯がゆくてたまらなくいなるときがある。 今回、オニイが凹んでいたのは、殴られて自分が怪我をしたからではなく、自分が相手を殴り返してしまった事に対する自責の念からだったという。殴り返した相手の子には怪我はなかったことを知らされて、心底ホッとした様子のオニイ。 なんと徹底した非暴力主義。
人との争い事を嫌う「平和主義」は父さん譲り。ひとたび事があれば、理詰めで相手を問い詰めまくし立てずにはいられない私と違って、殴り返した自分を責めて自らを縛る厳しい「非暴力」を貫く頑固さは、父さんそっくりだ。 「決して人と争わない」 その穏やかで静かな態度は、傍目には臆病に見えたり、歯がゆく思えたりすることもある。他人から受けるしつこいからかいも、おそらくはそういう争いごとを嫌ってじっと耐える姿が、決して反撃してこない軟弱な弱虫に見えるからだろう。 しかし、自分にも他人にも「争わない」を貫き通すためには、強い忍耐と意思の力が必要なはずだ。そのことに気付く人は少ない。 あえて、そんな風に自分を縛る生き方は、多分世間では気楽に生きていき難い、あまり得にはならないやり方なのだろう。 私はそう思う。
「かあさん、心配かけて悪かったね。」 そんなことをさらりと言える様になったオニイは、思いがけなく大人だった。 多分、もう、「やられたらやり返しておいで!」とけしかけても、「母が怒鳴り込んでやる!」と怒り狂っても、オニイはへらへらと曖昧な笑顔を浮かべて、「かあさん、もうええよ。」と首を振るのだろう。 これはこれでオニイの強さの証なのだと、ようやく母も理解出来るようになった。
朝、台所の雨戸を開けていつものように犬のロッキーを呼んだが反応がなかった。いつもなら、のろのろと小屋から顔を出した所へ、好物のジャーキーを投げてやるので、可笑しいなと思って外へ出たら、小屋の中には犬用の鎖と首輪だけしかなくて、ロッキーがいない。みると、長年つけっぱなしの首輪の金具が壊れて外れてしまったようだ。
門の外に出て、ロッキーの名を呼ぶと遠くの茂みの方から物凄い勢いでロッキーが駆けて来て、私の足元を掠めるようにして反対側に逃げた。 普段はいつも鎖か散歩用の紐でつながれているロッキーは、ある朝突然にふって沸いた自由に興奮して、それこそ見たことのないような速さで駆け回リ、跳躍し、転げまわる。ご近所で飼われている犬全部に挨拶をしに行っては吠え付かれ、草むらに飛び込んでは体中に草の実をくっつけ、何度も何度も私のすぐそばまでやってきては、すり抜けていく。 慌てて捕まえようとするのだけれど、肝心の首輪がないと犬というヤツはなんとも掴まえ所がない。ジャーキーやエサで釣ろうとしても、器用にエサだけ掠め取って、首輪を掛けようとすると素早く後ずさって逃げてしまう。
それにしても動物が疾走する姿ってきれいだなぁと思う。 ロッキーは芝犬を一回りか二回りほど大きくしたくらいの雑種だが、その走る姿は精悍な野生動物が狩りをするときのように俊敏でしなやかだ。普段、1,5メートル半径の行動範囲の中で一日中、うな垂れたり、しっぽを振ったり、吠え立てたりしているだけの家庭犬が、ひとたび鎖を放たれて自由を得たらこれほどにも早く走れるのかと愕然としてしまう。いつも私の夜のウォーキングにつき合って、坂道をフーフーいいながらあがって来るダメダメぶりは、世を偲ぶ仮の姿であったと言う訳か。 たまにはこのくらい、思いっきり走らせてやらなくっちゃねぇ・・・。
見ているとロッキーは、何度も何度も私の足元へ戻ってきては、様子を伺うようにして今度はもう少し遠い所へ駆け去っていく。決して矢の様に遠くへ逃げ去って行ったきりになるわけではない。自分の自由の範囲を少しずつ確認しているようだ。 それでも、その行動半径は一回ごとに少しづつ遠くなっていて、そのうちに、近くの山の斜面を登っていってしまって見えなくなってしまいそうな気がする。 いつでも繋いだ鎖の範囲内にいて、顔を見せれば尻尾を振り、与えられたエサを文句も言わずに食べ、日に一度の散歩で満足して眠る。そんな従順な動物がひとたび自由を与えられると、一直線にかけていって二度と戻ってこなくなるのではないかと言う不安。 これって、なんだか子育てに似ているなぁ。
なんてのんびりしている場合ではない。 ハイキング客や犬連れの散歩の人たちがどんどん上がってくる時間までにさっさとロッキーをつないでしまわないときっと厄介なことになる。 山盛りいっぱいのドッグフードを用意して犬の名を呼び、玄関の土間に誘い込んで閉じ込めていそいで首輪をはめる。 ほんの数十分の自由を満喫して、興奮していたロッキーは首輪が掛かると急に憑き物が落ちたようにペションといつも従順なペットに戻り、とぼけた顔でドッグフードをむさぼっている。
「かあさん、朝ごはん・・・」 ひと騒動終えて家に入るとこれまたのんびりした子ども達の顔。 母の作ったご飯を食べ、母の用意した衣類を身につけて、母の見守る範囲の中で育っていく子ども達。 この子等もいつか、鎖を放たれて、少しずつ自分の自由の範囲を確認しながら飛び去っていくのだなぁ。オニイなんかは、もうそろそろ助走の準備を始めている頃か。 そう思うと何となく子ども達の顔がひときわ愛しくなって、今朝はお茶わんのご飯を心もち山盛りに盛ってみた。
2005年10月26日(水) |
赤いお茶わん その後 |
工房で久しぶりに釉薬掛けを手伝う。 父さんが使うさまざまな色の釉薬を水とCMCというフノリで溶きなおし、汚れた筆や刷毛をまとめて洗う。 秋も深まって、工房の水道の水もずいぶん冷たくなってきた。夏の間、あんなに暑くてたまらなかった乾燥室から漏れる熱が、冬も近くなった今ではほのぼのと暖かくて気持ちがいい。 年末の干支の仕事も本格的になり、制作途中の小さな犬の香合やユーモラスな顔の犬の置物が乾燥室の棚板にずらりと並んでいる様は何度みても楽しい。同じように制作してもどうしても一つ一つの表情やしぐさが微妙に違って見える犬たちがいとおしくてたまらなくなる。
父さんの脇で白絵がけをしていたら、ひいばあちゃんが仕事場へ降りてこられた。この間、アプコが壊したお茶わんの代わりのお茶わんの仕上げにこられたのだろう。 ひいばあちゃんは「おはよう」といったきり、ことさら言葉を交わすでもなくて、いつもの前掛けをつけ、自分の仕事場を整え、濡れタオルで囲っておいた生のお茶わんを裏返しにロクロに載せる。その形をしばらく眺めておいて、おもむろにカンナを握る。 今日の作業は、高台の周りの削りの作業。手回しのロクロを少しづつ回転させながら、半乾きのお茶わんにカンナを掛ける。 静かに黙々とひいばあちゃんの手仕事が始まった。
自分の仕事に戻ってしばらくして振り返ると、ひいばあちゃんはまだ同じお茶わんを削っておられる。カタカタとロクロを廻しながら、2度3度カンナを入れ、しばらく眺めてはまたカンナを入れる。 その手つきは確かなのだけれど、よくよく見ると高台の付け根の部分に暗い陰の部分が見える。 ああっ・・・と思った。 削りが深くなりすぎてお茶わんの胴に穴が開いているのだ。 素人さんでもめったにしないような失敗なのに、ひいばあちゃんはそれでも削りの手を慌てて止めることもなくて、相変わらず同じ所を削っておられる。もしかしたら、穴が開いていること自体ひいばあちゃんには見えておられないのかもしれない。
97歳。 まだまだ現役で釉薬掛けやひねりの仕事をこつこつとこなすひいばあちゃんは我が家の自慢の存在だ。 この間、ひいばあちゃんが見せたきびきびした手びねりの手順は矍鑠としていて、まだまだ元気に仕事をこなしていかれそうに見えた。 けれども熟練の職人の手にも「老い」と言うのは確実に訪れる。 目も耳も指先の感覚も、確実に老いていくのだ。 父さんにそのことを告げたら、父さんはもうずっと前からひいばあちゃんの仕事の手の衰えを感じていたという。 「茶わん一個仕上げるのにも、四苦八苦してはると思うよ」 そうか、年をとると言うのはそういうことなのか・・・。 胸を衝かれて、悲しくなる。
ひいばあちゃんのお茶わんは、そのうちぽっかりと大きな穴が開く。 そうなってようやく失敗に気付いたらしいひいばあちゃんは、やはり慌てず騒がず手元にある新しい土で穴を埋める。そんな風に取り繕っても一度穴をあけてしまった生地は、きれいなお茶わんには仕上がらない。素人の私にもそんな事は分かるのに、ひいばあちゃんは特別困ったようでもなく黙々と穴を埋める。 そしてまた、同じ所をカンナで何度も削り始めるのだ。
「お茶わんくらい、すぐに作り直したるわ」とアプコにおっしゃったひいばあちゃん。確かに若い頃のひいばあちゃんの手に掛かれば、お抹茶茶わんの一つくらい、仕事の片手間にすぐに仕上がったものだろう。けれども、耳も目も手指も足も年令相応に衰えたひいばあちゃんには、ちょっと前には簡単にできたことが、四苦八苦の大仕事になる。 この間アプコが壊してしまった赤いお茶わんは、もしかしたらひいばあちゃんが一人で作ることの出来た最後のお茶わんであったのかもしれない。きっとひいばあちゃん自身はそのことにはちっとも気がついておられないのだけれど・・・。 そう思うと、なんだか泣けてくる気がした。
ひいばあちゃんが何度も穴をあけては埋めなおした苦心のお茶わんを、父さんはひいばあちゃんのいないときにそっと引き取って、分からないように修復して窯に入れた。 途中で壊れることなく、無事に焼きあがってほしいものと祈る。
近所の道路で工事が始まった。 我が家の前はハイキング道の入り口への細い一本道。 途中の道路で工事が始まるとたちまち車両通行止めのお達しが出る。 今回の通行止めは合計5日。工事時間の9時から5時まで全ての車両の通行を止めると言う。かなわんなぁとぶうぶう愚痴る。
若い健脚の持ち主なら「たまにはいい運動だわ」と歩けばよさそうなものだが、しょっちゅう通院する年寄りやたくさんの荷物を下げた買い物帰りはそうとばかりも言っていられない。宅配便やプロパンガスの車、し尿処理やゴミ処理の車など一日たりとも抜かす事のできない車両もある。工房へのお客様の送迎や作品の搬入搬出等、仕事上の車両も日に何度も往復する。 この道を断たれるとたちまちに陸の孤島となってしまう我が家のご近所さんたちはみな工事通行止めというとピリピリと神経を尖らせる。
工事の種類や業者によっては車が通るたびに作業を中止して、工事箇所に厚い鉄板をしいて通行を確保してくれたり、工事の時間を夜間に廻して対応してくれた事もある。工事箇所の近辺に住民用の駐車スペースを確保して、とりあえず工事開始前に車をそこまで移動させておけば昼間車が使えるように配慮するのが普通である。 けれども今回の工事に関しては、「9時から5時まで全面通行止め。」しかも緊急用に用意したと言う駐車スペースは徒歩で20分あまり先にある会館の駐車場。わざわざ徒歩で車を取りに行くような場所ではない。しかも、もっと近くにある私有地の駐車スペースや道路には、工事関係者が乗ってきた車や作業用車両が一日中だらしなく占領しているのだ。「一応代替手段については配慮しておいてやったぞ」というポーズだけが目だって、何となく腑に落ちない。
工事開始の前日にはいつもより大目の買い物を済ませて、習い事の送り迎えや年寄りの通院の算段をつける。工房の従業員の通勤や荷物の出入りの都合もやりくりする。そうして、昼間には車で外出しなくてもすむように十分考えたつもりなのに、いざ通行止めの時間帯になるとなんとなく息苦しくなってきた。 急ぎの買い物があるわけでもないのに、車でしかいけないホームセンターだの本屋だのに行きたくてたまらなくなる。普段はめったに外食する事はないのに、父さんとランチデートに出かけたくなる。めったに行かない遠くのスーパーの特売のチラシがやけに目に付く・・・。 ああ、こういうのって「閉所恐怖症」の一種かもしれないなぁと思う。
実はこのイライラする閉塞感は私だけに限った事ではないらしい。 ご近所の奥さんたちも、「何の用事があるってわけでもないんだけど、車がつかえないとツバサをもがれたようで、イライラして落ち着かない」と口々にこぼしておられた。 夕方、工事の終了時間を待って車を出そうとしたら、義父も車でちょうど買い物に出かけるという。「ちょっと牛乳だけ買ってくるわ。」と声をかけたら、珍しく父さんも一緒に乗ってくると言う。 近所のスーパーに入ったら、お向かいのおじさんが空っぽのかごを持ってぶらぶらしている。「格段買うものもないんだけど。」と、これまた「用もないのにとにかく外出」ということらしい。 ご近所さんたちの多くが、みんなそれぞれに、おんなじ閉塞感、おんなじもやもやした不自由さや不満を抱えて、今日の一日を過ごしていたのだということが分かって、なんだかとても可笑しくなった。
ゲンと話していて、面白かったこと。
クラスである活動をするのに、グループ分けをした。 ゲンとおんなじグループにあまり相性のよくない3人が配置されたのだと言う。ゲン自身は3人のそれぞれの子とは仲が悪いほうじゃないらしいが、その3人はお互いに何となく気が合わないのだそうだ。 「う〜ん、むっちゃ仲、わるいんや。そうやなぁ、なんて言うかなぁ。 そうそう、ジャンケンで言うたらグーとチョキとパーみたいな関係やな。」
お互いに相容れない相性の悪い3人組の事を 「グーとチョキとパーみたいな関係」 なんか可笑しいから、ちょっと流行らせたい、この喩え。
夏の終わり、父さんの大学時代の恩師M先生から一通メールが届いた。 80歳になられて全てから引退する事にして、蔵書の整理をなさると言う。ついては、陶芸関係の本は父さんに、美術関係の本は美術の先生をなさっている父さんの同級生のAさんに譲ってくださるとのこと。 大学の教壇を降りられて数年になるとはいえ、退職後もアフリカでの小学校建設に尽力なさったりして、若々しく活動なさっておられた方なので、「引退」と言う文字があまりに唐突で、父さんと二人、首をかしげて顔を見あわせた。 大切な蔵書をお譲り頂くのはとても名誉な事だけれど、まだまだお元気な先生にいつまでも現役で活躍していただきたいと思う。その先生が早々と身辺整理を始めてられるのは、何となく切ないような、心を急き立てられるような思いがする。長年お仕事に使われてきた蔵書を一度に手放してしまわれては、先生自身もお寂しい思いをなさるのではないだろうか。 いろいろ考えた末、「本当に頂いてよいのでしょうか、まだまだお使いになるのではありませんか?」と言う旨をお返事して、幾日かが過ぎた。 そして、今月になってM先生から再びのメール。 「先日、Aさん一家がきて、美術関係の本は持って帰った。そちらはいつ取りにくる?」 ああ、やはり蔵書を整理されると言うのは本気でいらしたんだなぁと、あわててお宅に頂きにあがる日程をお知らせする。
今日、ようやく父さんはM先生のお宅へ伺う事ができた。 お供したのは、荷物運び要員としてのオニイと近頃父さんにべったりモードの甘えんぼアプコ。M先生と奥様は、子連れの父さんを我が孫が訪れてきたかのように歓迎してくださったそうだ。 「かあさん、M先生のお宅はなんか感動したわ。すごいねん。『紳士の住まい』って感じやなぁ・・・。」 先生から頂いた分厚い本の束を車から降ろしながらオニイが話す。自他共に認める活字の虫のオニイにとっては、近くの図書館ではなかなか見かけることのできない陶芸の専門書の数々に感激している。 「うん、これなんかは、芸大を卒業した頃に自分でも欲しくて、古本屋を探し回った本やなぁ。」と父さんも年季の入った大冊を手に感慨無量。 「陶芸大辞典」「世界陶磁全集」「探訪日本の陶磁」・・・・ 貴重な書物の一冊一冊を繙きながら、長年のM先生の業績の豊かさを知る。
ところで、おまけでついていったアプコは、M先生の奥様から紙袋いっぱいにクリスマス用のオーナメントを頂いてきた。キラキラ光り物が大好きなアプコは、頂いたパールホワイトのモールの飾りをネックレスのように体に巻きつけて、上機嫌でアユコに見せる。 奥様はお花の先生をしていらっしゃるので、お仕事に使われるきれいな飾りのなかからアプコに好きなものを選ばせてくださったものらしいけれど、アプコは夢のようにきれいな物を惜しげなく分けてくださるのがとてもとても嬉しかったらしい。 「ねぇ、どうしてあそこのおうちにはこういうクリスマスのものがたくさんあるのかなぁ?」と訊くアプコの耳にちょっと耳うち。 「あのねぇ、ないしょなんだけね、実はね、M先生ね、クリスマスになるととっても忙しくなるあの人なんだよ。」
実を言うと我が家の子ども達はみんな小さいころ、白いお髭と日本人離れした立派な体躯のM先生のことを、みんな本物のサンタクロースだと信じて育った。わははと豪快に笑われる笑顔も子ども達の頭をワシワシとなでてくださる大きな手も確かに絵本に出てくるあの人そっくりの方なのだ。 アプコは今日、物心ついてから初めてM先生にお会いしたのだけれど、奥様のクリスマスグッズの効果もあって、本当に本物のサンタクロースと信じ込んでしまったらしい。 「絶対絶対、お友だちとかに言っちゃダメだよ。あの人は、サンタクロースの日本支部長なんだよ。」 「赤いお洋服着たら、サンタさんそっくりだと思うでしょ?」 「だからおうちにたくさんのクリスマスの飾りがあるんだねぇ。」 オニイやアユコまで調子に乗ってアプコに「M先生サンタ説」を吹き込む。きらきらの飾りを眺めながら、アプコがしばらく無言で考え込んでいたようだ。
去年辺りから、サンタの存在に半信半疑になりかかっていたアプコにも、今年はしっかりとM先生の顔をしたサンタクロースが存在する事になるだろう。たくさんの貴重な蔵書と共に、父さんは我が家で最後のクリスマスのファンタジーもM先生から頂いてきたようだ。
2005年10月22日(土) |
「よろしくおねがいします」 |
オニイは受験生。 よって、保護者である私は公立高校の学校説明会に行く。 降りた事のない駅の行ったことのない高校の体育館。 ネットで学校の所在地を調べ、家からの所要時間を計算する。 私は自分で行ったことのないはじめての場所へ行くのが嫌いだ。遅刻しないようにと早めに出かけると、予定の到着時間より30分も早くついてしまってかっこ悪かったり、なんでもない路地で道を間違えて大汗かいて目的地へ駆け込む羽目になったりする。 幸い、今度行く学校は最寄り駅から一本道だし、迷いようのないほど詳細な地図もHPに掲載されていたから大丈夫と思いつつ、念のため地図をプリントアウトする。 これ一枚あるだけで、もう、目的の場所についてしまったような安心感があるからだ。
朝、私より先に剣道の稽古に出かけるオニイに、 「じゃ、公立高校の説明会、行かせていただきますよ。」と声をかけたら、 「ハイ、いってらっしゃい」といわれた。 おい、こら、まて! 「行ってらっしゃい」ではないだろう! 首根っこを捕まえるかのような勢いに、びびったオニイが慌てて言い直す。 「あ、ごめん!ありがとうございます!」 「それも違う!こういうときの正しいお答えは『よろしくお願いします』でしょう?一体誰のための学校説明会なのよ!」 「ああ、そうでした、そうでした。ごめんなさい。よろしくお願いします。」 さらに慌てて言い直すオニイに、こんこんとお説教。
大体、この説明会の案内の書類自体、ちゃんと持ってこなかったわねぇ。 本当なら、こういうものをもらってきたら、自分の調べてきてほしい学校の名前くらいメモをして、これこれの説明会があるので、お母さん、行ってきてくれませんかと頼みに来るのが筋じゃないの。 会場までの道のりだって、何でアタシが自分で調べて探さなくてはいけないの?君が事前に調べておいて、「ちょっと遠いけどお願いします」と地図を添えて持ってきてもいいんじゃないの? いったい、誰のための高校受験なのよ。 行きたい高校があるんなら、自分で積極的に調べて、自分で入る努力をするものではないの? 親や先生が適当に入れそうなところを選んでくれるわとでも思っているの? そんな事だから、お母さんが説明会に行くと言ってるのに、のうのうと「行ってらっしゃい」なんていうのよ。 馬鹿者! みるみるペシャンコにひしゃげていくオニイ。 ほらみろ、君はまだ屁理屈では母に勝てない。
進路を巡って、本人の希望する学校と現在の学力と我が家の経済的条件と通学に掛かる時間の折り合いがつかない。 「頑張ります」「今度こそは」と事あるごとに気合を入れる近頃のオニイだが、まだまだ、勢いだけが空回りしている感じがして歯がゆい。 堅実派のオニイは、そこそこ努力はするけれど、手の届かない目標に向かってとりあえずがむしゃらに手を伸ばして飛び上がってみるとか、荒唐無稽な目標を豪語して虚勢を張ることをしない。家族や周囲の人の期待しているものとか、自らの現在の実力とか、今の自分の立ち位置を頑固に固持したまま、自らの未来を思い描く。 そんなオニイの未来観に何となく物足りないものを感じたりもする。素直で家族思い、真面目で堅実なオニイに、ときには破天荒な大志や大胆な冒険精神を求めるのは、単なるないものねだりに過ぎないのだろうか。
初めての場所へ出かけていくときには、地図を調べ、時刻表を調べ、十分すぎるほど余分の時間を見越して出かけていく母。 手の届く範囲の目標に甘んじて、決して無理をしないように見えるオニイの慎重さを歯がゆく思いながら、そんな風にオニイを育ててきたのもまた、まぎれもなく私や父さんのこれまでの子育ての結果であるという事実。 なんだか少し凹む。
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