月の輪通信 日々の想い
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2005年10月21日(金) 流行らせ屋

家の中のあちこちで輪ゴムを拾う。
TVのある居間の座敷机の下で、素足に何か痛いものがあたる。拾い上げてみると白い割り箸の削りカス。
傍らには使いっぱなしで放り出されたカッターナイフ。
犯人はゲンだ。

このところゲンは、割り箸を使ってゴム鉄砲を作るのに熱中している。
最初は、学校のイベントにゴム鉄砲を使った的あてはどうだろうと、試作品を一つ作ってみたのが始まりだった。割り箸3本を組み合わせて輪ゴムで縛り、引き金を引くとぱちんとのばした輪ゴムが飛ぶと言う昔ながらのおもちゃ。単純なつくりだがなかなかよく飛ぶし、結構狙いもつけやすい。
「どうせだったら、もっと大きいのを作ったほうがおもしろいよ。」と私が要らぬ茶々を入れたら、さっそくネットでもっと銃身の長いゴム鉄砲の作り方を見つけてきて、ライフル銃のような大型のゴム鉄砲も作ってしまった。
こちらは輪ゴムを二つ結び合わせて飛ばすので、最初に作った基本形よりはもう少し威力があるらしい。
ためしに紙で的を作り、狙ってみるとこれがまた面白い。
あと一丁・・・もう一丁と新しく改良を加えたゴム鉄砲を次々に拵える。
買い置きの大袋入りの割り箸が2,3日のうちにごっそりと減った。
そして、家中に輪ゴムと割り箸の削りカスの散乱という始末だ。

ゲンには時々、こんな風に突然職人魂に火がつく事がある。
それは紙飛行機作りだったり、ブーメラン作りだったり、グライダー作りだったり・・・。
つい最近は、牛乳キャップで作るブンブンゴマがマイブームだった。給食の牛乳のキャップを2枚張りあわせ、糸を通して両手で廻すと糸が唸ってブンブンと音を立てる。
キャップにとりどりの色を塗っておくと回転にしたがって、微妙に色が混じり合って視覚的にも面白い。ボタンやもっと大きなボール紙をコマ代わりにしたりして、さまざまなバリエーションを考える。
これは学校でもちょっとした流行になって、友だちからいくつも「作ってほしい」と頼まれたのだと言っていた。

「これで的あてをしたら、きっとみんな面白がるよ。低学年と高学年で、ゴム鉄砲の大きさを変えたり、的までの距離を変えたりしたら、小さい子でも楽しめるし・・・。」
と、ご機嫌だったが、ちょっと待て。
「これ、ホントに学校へもっていっても大丈夫かなぁ。」
こんなにかっこいいゴム鉄砲だ。きっと皆がほしがるはずだ。
きっとブンブンゴマのときのように、「僕にも作って。」と言う友だちがいっぱいやってくるだろう。
教室のあちこちでゴム鉄砲の飛ばしあいっこが流行し、もしかしたら授業中に飛ばしたり、人を狙って打ったりする奴が出て来はしないかい?

流行らせ屋のゲンには既に何度かの前科がある。
何年か前、折り紙の紙飛行機を流行らせたときには、教室中に飛ばしっぱなしの飛行機が散乱するようになって、クラスに「折り紙拾い係」が新設された。
別の時には、よりにもよってゲン自身が紙飛行機に友だちへの悪態を書いて飛ばして呼び出しを喰らった
ゲンが何かを流行らせると、後から何かしら厄介ごとが舞い込んでくる。
大流行の予感を感じさせる魅力たっぷりのゴム鉄砲は、なんだかまたまた不穏な雲行きをも予想させる。
「あんたが何か流行らせると、後からいろいろあるからねぇ・・・」とほのめかすと、ゲン自身も過去の苦い経験を思い出して、考え込んでしまう。
「そうやなぁ、きっと僕に『作って!』って言ってくる奴もいっぱいいるやろうしなぁ・・・。う〜ん、やっぱり学校へ持って行くのはちょっとまずいかぁ・・・」

もしかしたら、つい最近世間を騒がせた改造エアガンという奴も、最初の最初は「もうちょっと性能のいいエアガン、作ってみたいな。」というマニアのちょっとした職人根性から始まったのかもしれないねぇ。
それも自分ひとりで楽しんでおけばよかったものを、「見てみて!こんなすごいの、作ったんだぜ。」と誰かに見せる。
「俺にも、作って!」と頼み込む奴がいる。
空き缶を狙って打つより、小動物を狙って打ったほうが面白いぜと思いつく奴がいる。
「これって、使えそうじゃん。」と犯罪に使おうとする奴がいる。
こうなるともう、「もっとかっこいいエアガン、作りたい。」と熱中していた最初の人の楽しさや嬉しさはどこか遠くのことになってしまう。
そんなふうにして、元来おもちゃのはずのエアガンが危険な凶器に姿を変えていくのかもしれない。

結局、ゲンが登校していった後、居間の机の上には作ったばかりのゴム鉄砲が全部並べておいてあった。
コイツを流行らせるのは、もうちょっと慎重に・・・とゲンなりに考えたのだろう。
うんうん、何度かの失敗を糧にちょっとは何かを学んだな。
それにしても、ゲンのゴム鉄砲、なかなかによくできている。
こんなにすごいの、日の目を見ないのはちょっと惜しいなぁと思う気持ちが母の中にもほんの少しだけある。
ゲンには絶対内緒だけれど・・・。


2005年10月20日(木) ブランコ

昼過ぎ、ウォーキングを兼ねてアプコを迎えに行く。
いつも授業が終わると時間通りにそろって帰ってきていた一年生も、2学期になって下校の時間がまちまちになって、近頃は学校近くの曲がり角でアプコの帰りを待つ時間が長くなった。
校門を出て、友達とふざけたりよそんちの飼い犬と遊んだりジャンケンしたりしながら下校してくる子ども達はなんだかとても楽しそうだ。男の子も女の子も入り混じって、突然鬼ごっこが始まったり、大きな声で歌を歌ったり、毎日が遠足のようなにぎやかさだ。
小学校時代って、いいなぁと思う。
なんてことのない毎日だけど、きっと楽しい予感やワクワクがいっぱいあるんだろう。

「おかあさぁ〜ん!」
アプコが大きな声で呼びながら走ってくる。ランドセルがバッコバッコと踊っている。
「あのね、あのね、すごいねんで。」
と、息せき切ってお喋りを始める。
「あのね、Hちゃんがね、今日始めてブランコに乗れてん!あたしがずーっと教えてあげたん。」
Hちゃんはアプコのクラスにいる軽度の自閉症の女の子.
アプコは入学当初から何かとHちゃんが気にかかっていて、いつも一緒に遊んだり、Hちゃんの苦手な事を手伝ったりしているらしい。
最近はアプコの会話の中であまりHちゃんの名前を聞かなかったので、別の子と遊んでいるのかなと思っていたけれど、そうでもなかったんだな。

「あのね、Hちゃんは今までブランコは手で押すだけでのれなかったん。
でもね、今日、『ここに座って』って何回も言ったら、座って乗れたんよ。
Hちゃんと一緒にブランコできてたのしかったぁ。」
本当に嬉しそうなアプコ。
ちょっと前までアプコ自身もブランコの立ち乗りができなくて、アユ姉に根気良く教えてもらってようやく立ってぶらんこをこぐ事が出来るようになったばかり。きっとアユコの懇切丁寧な口ぶりを真似て、Hちゃんにブランコの乗り方を熱心に教えていたのだろう。
Hちゃんが怖がらずにブランコに乗れるようになったことを、「たのしかったぁ。」と我が事のように喜ぶ事の出来るアプコは天真爛漫。
いいなぁと思う。

4人兄弟の末っ子アプコの周りには、何かとすぐに手を貸してくれるおにいちゃんおねえちゃんがいつもいる。
登校するときはゲンにいちゃんが「はやくしろよー」と足踏みして待っていてくれるし、お祭りの付き添いは中学生の大きい兄ちゃんが照れくさそうに付き合ってくれる。ひらがなの書き順もその日の洋服のコーディネートもみんなアユ姉に教わった。
みんなに教えてもらったり、手伝ってもらったりする事が当たり前の末っ子姫は、甘えん坊で依存心の強い子どもに育つのではないかと心配した事もあるけれど、必ずしもそうとは限らないのだなぁということが最近になってよく分かる
誰かに優しく教えてもらって何かができたという嬉しさは、今度は自分が誰かに教えてあげたいといういたわりの気持ちになる。
誰かに助けてもらって助かったという嬉しさは、今度は誰かを手伝ってあげようという優しい気持ちになる。
誰かから十分に与えられたやさしさは、決して本人を甘やかしたりわがままに育てたりするだけの物ではないのだなぁ。
「Hちゃんと一緒にブランコに乗れて楽しい。」というアプコの素直な喜び方は、決して「障害のある人には親切に」という妙な義務感や嫌な使命感をちっとも含まない純粋な嬉しい気持ち。
そういう気持ちを素直に何気なく口に出来るアプコの無邪気さがいい。


2005年10月19日(水) 糸ひき飴

中学校、創立記念日でお休み。
父さんは旅行中だし、オニイも朝から友だちと出かけるという。
これ幸いとアユコと二人、街へショッピングに出かける。
ついこの間まで、お買い物に行っても「別にほしいものないよ。」「歩くのくたびれたぁ」とあまり乗り気でなかったアユコも、洋服や雑貨など女の子らしい買い物の楽しみを覚えて、尻尾を振ってついてくるようになった。
今日は特別に買わなければならないものの予定もなくて、いつも足手まといのアプコも居ないので、ゆっくりとアユコのペースにあわせて広いショッピングセンターを歩き回る。

近所にはない大きな本屋。
かわいらしい雑貨や食器の並ぶ均一ショップ。
アユコ好みのボーイッシュな服の並ぶウィンドウ。
「あ、これ、可愛い!」
「これ、ちょっといいね。」
と指差して笑うだけで、ことさらおねだりするでもなく嬉々として渡り歩くアユコ。
何かを買ってもらうというよりは、他の兄弟たちと一緒ではなく、母と二人で街を歩く事自体を喜んでくれているのがよくわかる。そのアユコのはしゃぎぶりが、母にとってもほのぼのと嬉しくて、「娘を産んでホントに良かったなぁ。」と心が躍る。

遠慮深いアユコが最初にねだったのは、とりどりのキャンデーやチョコレートの並ぶ駄菓子やさんの福袋とレジの近くにおいてある糸ひき飴。
もうとっくに籤つき飴なんか卒業のはずのアユコが赤いいちご味の飴を引き当てて、ニコニコと笑う。
「ねぇねぇ、今、食べてもいいかなぁ。」
「ええ?口から糸垂らしたまんまで歩くのぉ?」
「いいじゃん、いいじゃん」
大きな飴玉を口に含んで、もごもごしながら歩き始める。

これがアプコと一緒なら、アユコはきっとお姉さんぶって、糸ひき飴をくわえたまんまで街を歩くなんてことはしなかっただろう。
そういえばアユコは私と二人で買い物に出たときには、よく甘いお菓子をねだる。棒つきのキャンデーとか、きれいな色のついたアイスとか、外国製の三角のチョコレートとか。
しっかり者のアユコの中に確かに残る甘えんぼの気持ち。お姉ちゃんでも長女でもない、「たった一人の私」を楽しんでいるのだなぁ。
そういう幼さがまだまだ愛しいアユコである。


2005年10月17日(月) 韓国再び

父さん、明日から今年2度目の韓国行き。
例によって、出発間際まで荷物の整理と留守中の仕事の段取りに追われる一日。
朝、ぼんやりとTVをつけていたら、小泉首相靖国参拝のニュース速報。
「ありゃぁ、参った」と父さん。
実は今回の旅行は隣市の交流事業の視察旅行。本当なら春に出かけるはずが、例の「竹島問題」で実施が延期になっていたものだ。
一度ケチがつくと、どこまでもつまずきが残るものだなぁと一緒にため息。

今回はさすがに実施延期とはならないようだけれど、なんだか気持ちよく送り出せないなぁとうっとおしくなる。
首相が靖国神社を参拝することの是非、他国の人が首相の慰霊の形にいちいち干渉する事の是非は私にはわからない。
けれども、TVの映像で、かの国の群集が首相の写真や日の丸を燃やして日本への怒りをあらわにする映像を見るにつけ、私たちはこの人たちをここまで怒りをぶつけられるようなどんな過ちを犯したのだろうと暗澹たる気持ちになる。
戦後、60年。日本の人口の多くが「戦争を知らない子ども達」で占められるようになった。
父さんが先日、工芸会の交流展で訪れた韓国の地では現地の人から暖かい歓迎を受け気持ちの良い旅をさせていただいたという。
個人対個人のレベルでは、静かな歩み寄りが進んでいるように思われる二つの国に、外交レベルではいつまでも喉に刺さった痛い骨があり続ける。
このことの矛盾を改めて思う。

ところで、前回の韓国旅行で父さんが買ってきたお土産は、キムチ味のインスタントラーメンや唐辛子入りチョコレート。
「韓国イコール辛い食べ物」という単純な認識しかない私には、過去の贖罪も靖国も語ることはできない。
ただただ、我が夫の旅行が穏やかな実り多い旅となりますように・・・。


2005年10月10日(月) 赤いお茶わん

アプコが自分でわざわざお茶菓子を用意してきて、おじいちゃんおばあちゃん達にお抹茶を振舞うという。
アプコはお抹茶を立てるのが好き。父さんやおばあちゃん達がお客様にお抹茶をおだしするのを見て、お抹茶の点て方を習った。最近になってようやくお茶筅を細かく動かして美味しいお抹茶を点てる事が出来るようになってきて、時々おじいちゃんやひいばあちゃんに自分で立てたお抹茶を振舞う。
アプコにしてみれば、贅沢なリアルおままごと感覚なのだけれど、ひいばあちゃんがババ馬鹿全開で褒めてくださるので、アプコはお茶の時間が大好きなのだ。

今日もひいばあちゃんたちにお抹茶をお出しして、仕事場の父さんにもお抹茶を運んでアプコは上機嫌だった。
下げてきたお茶わんの洗い物をする私の横で、あれこれお喋りするアプコの声のトーンが高い。ちょうど階下に見えていたお客様にもお煎茶を運んで、「お利巧ね。」と褒められたりして、かなり気持ちが高揚していたのだろう。「何か他にすることない?」というので、洗ったお茶わんを拭いてもらう事にする。
「落とさないように気をつけてね。」とアプコに洗った抹茶茶わんを手渡す。「うん、わかってる。このお茶わんはね、アタシの大事なお茶わんだから、きれいに拭くね。」
と大事に布巾に包むようにしてお茶わんを拭く。

赤い大振りのお茶わんは最近、ひいばあちゃんがアプコのためにわざわざ拵えてくださったもの。最近仕事場に降りてこられる時間がめっきり減ってきたひいばあちゃんの貴重な最新作。底にはアプコの名前も彫りこんである。97歳の熟練の手がひねり出すお茶わんは、本当を言えば我が家では家宝級の一品なのだけれど、ひいばあちゃんはそれをアプコのお茶道ごっこに惜しげもなく拵えて下さる。アプコにもその貴重さはよくわかっていて、「赤いお茶わんは私のお茶わん」と大事に大事に扱っていたはずだった。

「あ!」
と、声と同時に赤いお茶わんがアプコの手から離れた。
布巾で拭き終わったお茶わんを、アプコは私に手渡そうとしたのだろう。たまたま二人のタイミングがあわなくて、赤いお茶わんはアプコの手から離れ、台所の床に転がった。アプコがそれを追うように床に這い、手を伸ばすのがスローモーションのように見えた。
恐る恐る取り上げたお茶わんを見ると大事な呑み口の部分が大きく欠けている。アプコの目にみるみる大粒の涙が溜まり、唇がわなわなと震えた。
「大事なお茶わんなのに・・・どうしよう」
欠けた破片を拾い上げて茶わんにあわせて見るけれど、柔らかい楽のお茶わんは細かく砕けて修復のしようがない。
「どうしようねぇ、困ったねぇ。」
私はわっと泣き出したアプコをぎゅっと抱きしめる事しかできなかった。

割れたお茶わんをそっと袋に入れて、こそこそと仕事場に持って下りて、父さんに見せる。父さんはパテや瞬間接着剤を持ってきて、なんとか修復を試みてはくれたのだけれど、破片が細かくてなかなか難しい。
アプコは、出来ることなら、父さんにうまく修復してもらって、何事もなかったかのように、黙っておきたかったようだけれど、それはまず、無理だろう。
「ねぇ、アプコ。これはもう元には戻らないよ。父さんがどんなに上手に直してくれたとしても、ひいばあちゃんにはお茶わんが欠けた事はすぐにわかっちゃうよ。だから、ひいばあちゃんに『ごめんなさい』と謝って、もう一回作ってくれないか頼んでみようよ」
と何度も言うのだけれど、アプコは出来ることならひいばあちゃんには知らせたくないらしい。
どうしようもないことはわかっているけど、何とか何事もなかったかのように元通りに修復したい。
そんなアプコの気持ちが痛いほどわかって、なんだかこちらまで、切ない気持ちになってしまった。

「よし、ひいばあちゃんのところへ一緒に行こう。」
修復作業を諦めた父さんが立ち上がった。
「アプコ、行くか?」と父さんが訊くと、アプコもこっくり頷いて立ち上がっる。
ひいばあちゃんは、お茶の時間が終わって、寝間へ戻ってちょうど休もうとしておられる所だった。耳の遠いひいばあちゃんに、父さんが大きな声でゆっくりと事情を話す。ひいばあちゃんの寝床の傍らに立ったアプコがまたぽろぽろと泣き出した。
「大事にしてたんだけど、落としちゃったの。・・・お茶わん割れちゃったの。」としゃくりあげるアプコの様子に、ようやく仔細をのみこんだひいばあちゃん、
「そない泣いたらアカン、お茶わんくらい、なんぼでも作ったるがな。泣いたらアカン、泣いたらアカン。」
とアプコを慰めてくださる。
そして「お茶わんくらい、すぐ作ったるがな。」といって、本当に寝間から起き出して、仕事場へ降りて行かれる。
父さんと私も大急ぎで仕事場へ降りて、ひいばあちゃんの仕事場に新しい土とろくろを準備する。

ひいばあちゃんのひねりの仕事を間近で見るのは久しぶりだった。
長い職人としての年輪を刻んだ手が、新しい土塊をひねり、千切り、展ばす。普段、居間で食事をしたりTVを眺めたりしておられるときには見られない、きびきびとした無駄のない手の動き。その手の中から本当に魔法のように作り出されるお茶わんの形。
ひいばあちゃんの傍らに椅子を持ち出して、アプコがその手の技をじっと見つめる。大事なお茶わんを欠いてしまった悲しさも忘れて、身じろぎもせずに見つめるアプコ。
ひいばあちゃんは、普段、仕事中にはほとんど話をしない。耳が遠いので、こちらから話しかけても、返答はない。
そのひいばあちゃんが作業の途中で、「お茶わん、落としてしもたんか。」と訊く。アプコ、こっくり頷く。
しばらくしてまた、「お茶わん、二つ作っとこうか・・・。」と訊く。アプコ、こっくり頷く。
その様子を扉の陰からそっと眺めていて、私は不覚にも涙がこぼれそうになった。

耳の遠いひいばあちゃんと声を出して返事をしないアプコの間に、周りの者を寄せ付けない深い理解と共感があるのは何故だろう。
近頃では仕事場に下りる時間よりも寝間で休息する時間が増えてきたひいばあちゃんを、寝床から引っ張り出し新しいお茶わんをひねらせるエネルギーって、何なんだろう。
そして、移り気でものに執着しないアプコの心をこれほどまでに揺り動かすひいばあちゃんの作品の力ってどこから来るのだろう。
それが、ひいばあちゃんからアプコへの深い愛情であるならば、毀れた赤いお茶わんは、アプコや父さんや私に、もったいないほどの大事な大事な時間を運んでくれた事になる。


2005年10月09日(日) 絶妙の間

朝、お寝坊して起きてきたばかりのアプコが、台所仕事をしている私の脇にぴたっと立つ。
カシャカシャと卵を混ぜたり、おネギを刻んだりしている私のそばにぬーっと立ったまんま、じっとしている。
何にも声をかけずに、しばらく慌しく立ち働いていたら、おもむろにアプコが私の腕をツンツンと突付いて、
「おかあさん、『おはよう』は?」
と言う。
「あ、ごめんごめん、アプコ、おはよう」
「ん、おはよう」
あ、こちらから声を掛けるのを待っていたわけですか。
別に、あなたから「おはよう」といってくれてもいいんですよ。
いつも、「おはよう」と声をかけても三回に一回はニマーッと笑うだけで、「おはよう」の声が出ないアプコ。
それでも毎朝、母からの「おはよう」は要るのですね。
挨拶を交わして用が足りたアプコ、後ろに手を組んで、校長先生のように偉そうにのっしのっしと着替えに上がって行った。

朝食も終わりかけたころ、アプコ、急に立ち上がって父さんの脇に立つ。
「なに?海苔がいるの?それとも、お醤油?」
父さんがあれこれ聞いてくれるのに、アプコはまじまじと父さんの顔を眺めるばかりで答えない。
「なぁに?なにか言う事があるの?」と父さんがアプコのほうに向き直って訊ねたら、アプコ、「これ」と手に持った小さなものを父さんに見せる。
いつも冷蔵庫に張り付いている小さなマグネット。
「これ、お父さんのほっぺたにくっつくかなぁと思って・・・。」
はぁ?
ご飯の間じゅう、そんな事考えてたの?
アプコって、おかしなこと考えるなぁ。

気のいい父さんは、アプコのマグネットを受け取って、ほっぺたにくっついて取れなくなったお芝居をしてアプコをげらげら笑わせる。
アプコはおでこを父さんの胸にごっつんして、甘えて笑う。
末っ子って得だなぁ、甘えんぼしていいなぁとおにいちゃんおねえちゃんたちは思っているに違いない。


2005年10月08日(土) おせっかい

朝、たまたま早起きして来たゲンが、朝の山登りに出かける父さんにあれこれ世話を焼く。
「とうさん、雨上がりだから足元、悪いんじゃない?大丈夫?」
「途中で雨が降ったらどうする?雨ガッパもって行ったほうがいいんじゃない?」
近場の山はオレさまの縄張りとばかり、父さんに色々とアドバイス。気のいい父さんがフンフンと聞いていると、ますますこまごまとウルサイ、ウルサイ。
なんだかんだといってるうちに、結局父さんと一緒に山に登ってくる事になったらしい。二人で出かけていった後を見ると、あんなに人にうるさく言ったくせに、ゲン自身は何の雨支度もしなかった様子。
つくづく、雨には備えない男だなぁ、ゲンは・・・。

遅めの朝食に帰ってきたゲンと父さん。
さて、食卓に着こうとすると「とうさん、手、洗ったほうがいいよ。」とこれまたゲンのおせっかい。
「今日さぁ、父さん、もうちょっとで蛇を踏みそうになったんや。僕が言わなかったら絶対父さんは踏んでたと思うね。父さん、僕がついていって良かったでしょう?」
父さんがフンフンと調子を合わせてくれるのをいいことに、コイツちょっと調子に乗っている。おまけに、こまごまと口うるさいその偉そうな口調が誰かさんにそっくりだぁ(私?)

「なぁ、ゲン。このごろあんたは何かと父さんの世話を焼いてるつもりだろうけど、父さんもう立派な大人なんだから、いちいち偉そうに指摘しなくてよろしい。
父さんは君に調子を合わせてくれているだけで、なんだって君より100倍も上手に出来る人なんだから。」
と私がゲンに言うと、「ホントかなぁ・・・」と疑わしげな表情でへらへら笑っている。
「あったりまえじゃないの。父さんは君の4倍以上も生きてるんだよ。君がおぎゃーおぎゃーと泣く事しかできないときに、父さんは君のオムツを取り替えてくれたんだから・・・。」
と、ここは父さんの年の功を重ねてアピール。長幼の序を重んずるオニイも加わって、ゲンにコンコンとお説教。

二人のお説教に、自らの父を軽んずる無礼を悟って、シュンとなるゲン。
・・・・というところで、キッチンのほうで、
「あちゃー、コーヒー、こぼした!」と父さんの声。
ああ、もう!父さんったら!
父の威厳というものを壊さないで下さい。

・・・・って、そこが父さんの素敵なところ。


2005年10月07日(金) 菊人形

朝から雨がふりそうな怪しげな天気。
楽しみにしていた秋の遠足に出かけるアプコもリュックの中にレインコートをしっかり準備。オニイやオネエも、帰りの雨支度に慌しかったというのに、子ども達が出て行った後で見てみると傘立てにはゲンの傘。
「雨、降るよ。ちゃんと傘、持ってね・・・」と何度もアナウンスしても、子どもが4人もいると誰か一人くらいは必ず漏れる。
かなわんなぁ。

案の定、お昼ごろには通り雨。
ダメ元で外に干していた洗濯物を慌てて取り込んで、ホッと一息。
かわいそうに、アプコたち、降られちゃったなぁ。
アプコの遠足の行き先は、枚方パーク。
菊人形を見て、遊具に二つ乗って、アスレティックで遊ぶのだという。
今頃ならちょうどお弁当を広げている頃か。雨宿りできる所があればいいけど・・・。
このまま降り続くようなら、帰りの時間を見計らって迎えに行ってやろうかなと算段していたら、予定を繰り上げて早めに解散したアプコが一人で帰ってきた。
「雨、大丈夫だった?ぬれなかった?」
と聞く私に、アプコはちょっとハイテンションで一気に喋る。

「あのね、お弁当食べてるときに雨が降ってきたから、大変だった・・・食べてる途中で移動したから、おにぎり一個落としちゃったヨ・・・デモね、よかった、あのおにぎり、ちょっと辛かったよ。アレ、何味?・・・で、おかあさん、おかあさん、今日私、枚パーで初めてのとこ、二つも行ったよ。
一つはね、アスレティックでね、もうひとつはね、・・・あ、お母さんは枚パーのアスレティック、行ったことある?・・・ふうん。でもアタシは行った事ない・・・そんでね、アレがすんごくきれいだった・・・って、あれ、なんていうんだったっけ。お花でね、着物とか人間とか、作るヤツ・・・ああ、そうそう、菊人形ね。お母さん見たことある?・・・すんごいすんごいきれいなんよ。ぜーんぶ、お花で作ってあるネン・・・でも手とか顔とかは、花と違うんやけど・・・。
あれ、どうやって作るんやろ?いっぱいいっぱいお花があったら家でも作れる?いっぱいいっぱい花がいるなぁ。・・・あの花の名前?知らん。・・・あ、そうか、菊か。だから菊人形って言うんやね。・・・お母さん、うちに菊の花ある?」

やっぱりうちでも菊人形を作る気ですか。
枚方の菊人形は、制作する「菊士」の高齢化と後継者不足などのため、今年で90年余りの歴史を閉じるという。
もう少し待ってくれれば、我が家から女菊士が生まれたかもしれないのに、本当に惜しい事だ。
その昔、枚方パークの周辺に一大自然公園作ろうとの壮大な計画があり、菊人形もそれにあわせて誘致されたものなのだそうだ。義父の昔語りに寄れば、うちの窯元が枚方市へ窯を移したのも、実はこの公園計画の一端としての意味合いもあったものらしい。
そういう意味では何となく我が家とも縁の深いものとして、親しく感じていた菊人形の閉幕。何となく寂しいものである。
我が家の一番ちび助が、最後の菊人形にいたく感激して帰ってきたのが、せめてもの慰めかとも思ったりする。


2005年10月06日(木) 華やかさとわびしさと

久しぶりに歩いてスーパーへ。
昨日は雨で肌寒いくらいの一日だったのに、今日はまた晴れやかな好天気で、暑いくらい。ウォーキングを兼ねて、早足でテッテコ歩くとさすがにまだ汗が出る。まだまだ半そでのTシャツでも正解だなぁ。

このスーパー、最近は古くからのテナントが抜けて空き店舗が増えたり、怪しげな安売りの店が入ったりいして、何となく元気がない。お客さんも子ども連れの若いお母さんよりは、シルバーカーを押した年配の女性の比率がだんだん高くなってきているよう気がする。
今日、久しぶりに店舗に入ると、この前までがらんと空きスペースだった所に、100円ショップが店を広げていた。急ごしらえの簡易な陳列台にいろんな品物をゴチャゴチャと並べて、おじさんが一人、気乗りせぬ顔つきで店番をしている。
品揃えも何となく旧式で、格別欲しいと思うものもなかったのだけれど、見るでもなく封筒の束やら洗濯バサミやらを眺めていたら、二人の老婦人がやってきた。

二人は平台に置かれた段ボール箱に乱雑に並べられている造花に目を留めた。硬いビニル製のけばけばしい色彩の造花の中からあれこれ引っ張り出しては、ああでもない、こうでもないと花束を拵える。
やがて、手持ち無沙汰に座っていた店のおじさんもよっこらしょと乗り出してきて、二人の造花選びに加わった。
「この年になってひとりで住んでいるとねぇ、家のなかに赤い色のモンがなんにもなくてねぇ。すすけた色ばっかりで、気が滅入るんよ。」
というおばあさんに、連れの女性もうんうんと頷く。
「だからって、庭に花を植える元気もないし、たんびたんびに生のお花を買いに来るわけにもいかないからねぇ・・・。」
だから、造花がいるというわけか。
いかにも安っぽい色彩のどこにでもある人工の花。
こんなもの、わざわざ買ってかえって自分ちの居間に年中飾り続けている人なんてあるのだろうかと常々思っていたのだけれど、これにはこれでそれなりのニーズというものがあるのだなぁと変な感心をしてしまった。

「こんなものでどうやろう」
店のおじさんが、極彩色の造花の山の中から二人の老女のために選び出したのは、意外にも淡いピンクのコスモスだった。同じ色のコスモスを3本ばかり束ねて、老女達のほうに掲げて見せる。
「ちょうど季節もいいし、このくらいのあればちょっと豪華に見えるやろ?」
「ああら、ほんと。随分華やかなこと・・・。」
と、二人はうんうんと頷いた。
おじさんは同じコスモスの花束を二つ分、くるりと紙に包んで二人に渡す。
お揃いの花束を買ったおばあさん達はそれぞれに300円ずつ支払った。

「これでちょっとは家の中が明るくなるわ・・・」
と店を出ながら、一人のおばあさんが嬉しそう呟いた。
もう一人のおばあさんは、それにはいはいと相槌を打ちながら、誰にともなくそっと付け加えた。
「でもねぇ、秋のコスモスが冬になっても春になっても家の中で咲いているって言うのは、考えようによっちゃわびしいモンやねぇ。作り物の花って言うのは枯れないから余計わびしいねぇ。」

老いの家に、一点の華やかさをと恋うる気持ち。
永遠に枯れない造花を「侘しい」と厭う気持ち。
孤独に暮らす老女達の複雑な思いに触れた気がして、戸外の陽光をことさらまぶしく感じた午後だった。


2005年10月03日(月) 先代さんの手仕事

一昨日、きんもくせいが咲いた。
新聞を取りに出たら、頭の上に涼やかな香りがあって、「ああ、今年もまた・・・」と嬉しくなった。
いつもきんもくせいは、ある朝突然思いがけなく咲いている。
子ども達の学校行事や工房の展示会が重なる一番忙しい時期に咲くからだろうか。

工房で古い資料を探していた父さんが、「こんなものを見つけたよ」とニコニコしながら見せてくれたもの。
それは、先代さんが作ったと思われる小さな判子。おそらくは陶器のなまの生地に装飾として押す「印花」として使われたものだろう。
印材は何かの道具の持ち手部分を転用したような硬い木材で、それにごくごく細い線で寝そべった犬の図案が掘り込まれている。印面はわずかに直径1,5センチくらい。周りを彫り落として、線の部分だけを残す「朱文」なので、かなり気の張る緻密な手仕事が推察される。
そのくせ、彫られた犬の表情は飄々とユーモラスで愛らしい。

印花と言うのは、例えば、よく土鍋の蓋などに小さな花柄等の印文を縄状に並べて刻んだ装飾を見かけるが、簡単に言うとアレに使う印のこと。
最近、私自身も小さな陶のアクセサリーを拵えたりしているが、その装飾用に1センチ角くらいの小さなスタンプ印を使う。近頃はネットで簡単にオーダーのスタンプも作れるようになったが、これも本来は職人が自分でちまちまと印材を削って作ったものだろう。父さんも、いまだに時折、石膏や木、素焼きの陶材等を削って、小さな印を拵えてつかう事があるようだ。

うちの窯では現在義父の跡を継いだ義兄が8代目。
けれどもここで言う「先代さん」とは、七世松月である義父の事ではなく、ひいばあちゃんの旦那さんである六世さんのことだ。
50年余り前に、50代の若さで亡くなった先代さんのことをもちろん私も父さんも知らない。けれども義父やひいばあちゃんの話す逸話や、残された作品や書簡の数々をみると、謹厳な、しかし作陶以外にも諸芸に秀でた、優れた文人の面影が察せられる。

その昔、出入りの下駄屋さんの話によると、先代さんの履かれた下駄の歯は決して片減りすることがなく、いつも水平の線を保ったまま均一に磨り減っていたのだという。先代さんの実直で几帳面な人柄と、すぐれたバランス感覚を伝える話として、何度も義父から聞かされた逸話である。
父さんが見つけてきた「印花」にも、確かな技術の几帳面さと、その硬さを和らげるかすかなユーモア感覚が現れているようで楽しい。

それにしても、半世紀前の陶芸家は一体どんなところにこんなかわいらしいイラスト印のような印花を刻んだのだろうか。古い印花には確かに陶器の生地に使われたらしい土の汚れも残っているので、賀状や書簡に捺す印として造られたのではない事は確かだ。
並べて捺して、何かの縁飾りに使ったのだろうか。
作家の印と共に茶わんの裏などに印したのだろうか。
それとも、干支のお守り印として、戌年の人への贈答品にでも捺したのだろうか。
明治の人のデザイン感覚の面白さに、あれこれ思いをめぐらせて見る。

犬の印花と共に、父さんはもう一つ面白いものを見つけてきた。
小さな青い松ぼっくりの形の陶器の玉。
裏返すと、その裏には小さな画鋲が彫りこんで貼り付けられている。今で言うフックピンという奴だ。
松ぼっくりのデザインは、うちの窯では古来香合などに使われる伝統的な意匠で、「松月」という窯元の名にもちなんだなじみの形。
それをわざわざ小さな画鋲の飾りに刻んで、青釉(みどり)や飴釉を施しておそらくは窯の隅っこに並べて焼いたのだろう。
なんでもない画鋲に、手の込んだ陶器の飾りをつけ、見る人に「ほほう!」と言わせて楽しんだその遊びの感覚が、偉大なる先代さんの隠されたユーモアというか、子どものようないたずら心を思わせる。
そして半世紀以上たった今、その子孫である父さんや私に「ほほう!」と言わせて、笑わせてくれる。物づくりの人の確かな技の力というものを改めて感じて嬉しくなった。


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