月の輪通信 日々の想い
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土曜日に中学校、今日、小学校の運動会が終わった。 「二日連続運動会は参るわねぇ・・・。」なんて、お母さん友だちとしきりに言い交わしてはいたものの、うちの場合は今年から幼稚園生がいなくなってノルマが一つ減ったので楽チン楽チン。 それも2日連続で怒涛のように片付いてしまう。 今年は雨の心配もせず、両方とも晴れやかにすっきりと開催されてまずはめでたしめでたし。
初めての生徒会役員で、競技そのものより事前の準備に奔走して燃え尽きていたアユコ。 体格がいいばっかりに土台役ばかり当たる組体操に、文句も言わずニコニコと取り組むゲン。 入場のダンスがお気に入りで、家の中で何度も踊ってはじめての小学校での運動会を心待ちにしていたアプコ。 この数週間、一日中微妙にハイテンションな子ども達のペースに巻き込まれて、何となく家の中がざわざわと落ち着かなかった。 スポーツで人と競い合ったり、みんなと一緒に盛り上がったりする事が苦手なオニイだけが少々トーンダウンしていたようだが、これも斜に構えてクールな風を装うことを好むこのお年頃にはありがちなことか。 そうは言いながらも、アプコに「オニイちゃんにもダンスとかけっこ、見てもらいたいの」とせがまれて、不承不承小学校の運動会にも自転車で駆けつけてくれて、カメラ片手に撮影係を引き受けてくれた。 これはもう、兄というよりは親バカの心境。 甘えん坊姫のアプコにとっては、よきおにいちゃんだ。
さてさて、運動会体育祭が終わると、次は剣道の市内大会、中学校の文化部発表会、地域の秋祭り、来月初めの市の文化祭とこれまた怒涛のごとく大きな行事が続く。 それぞれが自分の活躍の場を見つけて爆走していく秋は忙しい。
父さん不在3日目。 アプコがしきりに「お父さん、いつ帰るの?」と聞く。甘えん坊のアプコがやっぱり最初に寂しくなってくるらしい。私もそろそろ、一人で食べる昼ごはんにも飽きたし、こまごまと父さんの指示が必要な事柄も溜まってきて、「早く帰ってこないかな」の気分になってくる。 甘えん坊の末娘、依存心の強い妻・・・。
TVで話題の新人議員が記者会見していた。 棚ボタ当選後の軽率な言動を謝罪して、今後の所信表明をおこなうという。 右も左もわからないという新人議員一人に大げさな事と思いつつワイドショーの画面を眺める。 普通の若者が振って沸いた当選で舞い上がってしまっているのもよくわかるし、寄ってたかってそんなにいじめてやりなさんなという気持ちと、こんな素人の若者を公費を使って国会議員に育てていかなければならないという歯がゆさと・・・。
新人議員は26歳。 いまどきの若者としては、印象も悪くない好青年。 「金さえあれば何でも手に入る」「選挙なんか一度もいったことがない」と公言しながら、立候補するIT社長さんなんかよりはよほど正直で誠実な若者といっていいだろう。 26歳の青年を見るときに、自分の26歳の頃のことを思い浮かべるよりも、我が家の子ども達が26歳になったときの姿を重ねてしまうのは、私も年をとったということだなぁ。 少なくとも子ども達が大きくなったとき、自分がどんな生き方をしたいのか、どんな役割を果たそうとしているのか、たとえ付け焼刃の知識ででも、自分の言葉で語れる青年に育ってくれたらなぁと思う。 そういう意味では、高校の生徒会選挙並みに安易に国会議員になってしまった青年のこれからを、周りがあんまり面白がってつぶしてしまって欲しくないなぁという気もする。
「全国会議員の中で自分が誇れるのは、これまでやってきたアルバイトの職種の豊富さだ」と、お詫び会見の中で口にしていた。さぞかし、いろんな職業を経験されたのだろう。若者ならではの経験と感覚を政治の場に生かして行かれるといいと思う。 ただ、ああそうかと思ったのは、そういう豊富な職業経験をもってしても、その役職にふさわしい自重した態度とか、慎重な発言とか、そういうものを習得してくることが出来るとは限らないのだなという事。 「自分らしくやっていく」 「ありのままの気持ちを話す。」 「自分のやりたいことをやる。」 という若者の特権のようなこの言葉は、大人の社会でいつでも通用するわけではない。自分の気持ちをまげて外目を繕ったり、正直な本音は胸のうちに収めたりという、回り道も必要だ。 もしかしたら、「フリーター」とか「ニート」という人たちは、そういうい妥協を嫌って自分の気持ちだけに正直で、大人の社会に足を踏み入れるのをためらう人たちなのかもしれない。 そういう意味では、先輩議員やマスコミにもみくちゃにされた彼が、それでも自分自身を見失わずに政治の世界を泳ぎ渡るすべを身につけていったなら、それはそれで足踏みをしている多くの若者達のための何かのエネルギーになるのではないだろうか。 苦し紛れに、そんな期待を寄せてみたりする。
昨夜遅くに、アプコの友だちのKちゃんのお母さんからのメール。 「お米のお買い上げはいかが〜?20キロ五千円になります。明日届きます。」 Kちゃん母の実家は農家。 時々「田舎から送ってきたよー」と山盛りいっぱいのジャガイモやお茄子をおすそ分けしていただく。 新米の季節を前に、去年からのお米が古くなる前に一掃処分したいのだという。去年もちょうどこの時期にたくさんのお米を格安で分けていただいた。 「いつもわるいねぇ、迷惑だったら断ってね」と気を使ってくれるKちゃん母に、「とんでもない、美味しいお米を格安で分けていただいて、大助かり!」と二つ返事のメールを返す。
Kちゃん母は実家から定期的にお米が届くので、めったに市販の米を買うことがないという。その代わり、里帰りの折などには、「送料代わり」と弟嫁さんに金一封渡してくるのでどっちが安くつくかわからないなんて、笑うけれど、なんだかちょっとうらやましい。 経済的なことは別として、毎日食卓に欠かせない白米という形で、遠く離れた故郷の土や水といつもつながっているというぬくもりが、なんかいいなぁと思う。 だから、今年のお米もKちゃん母の生まれ故郷に匂いをお相伴するような気持ちで分けていただく。 「同じ釜の飯」ではないけれど、おんなじ田んぼのお米のぬくもりがちょっと楽しい。
今朝早く、父さん、韓国出張。4泊5日。 大阪工芸協会の親善事業で、現地で展示会を開くのだという。 オープニングセレモニーでお抹茶のお接待をするからと、スーツケースに羽織袴と抹茶茶わん、お手前の道具を詰め込んで、大荷物で出かけていった。 日韓国交正常化40周年という事で、民間でも色々な交流事業が行われているようだ。たまたま父さんは、それに引っかかって、来月には引き続いて再び視察旅行の予定が入っている。こちらは春に竹島問題で一時中止になった隣市の交流事業の一環だ。 我が家にもかなり遅れてやってきた「韓流」というところか・・・。
ここ数日、父さんはさまざまな荷物の梱包と不在中の仕事の段取りで大忙しだった。最後の最後まで窯出しをし、こまごましたお手前の道具をそろえ、ここより気温の低い現地にあわせた衣類をかばんに詰める。 さあ、これで準備万端ととのったといいたいところだが、唯一後ろ髪引かれる思いを残していったものがある。 それは、月下美人の開花。 夜のほんの数時間しか咲かないという一日花。 去年、父さんが教室の人から大きな鉢植えで頂いてきた。 なかなか開花の兆しがなくてやきもきしていたのが、最近になってようやく小さなゴマ粒のようなつぼみをつけ、大きく膨らんできた。 そして、もう今日明日にも開花という所で、韓国行きの日を迎えてしまった。 「帰ってくるまでには、きっと咲き終わってるねぇ。」 ライオンの尻尾のような形に育ったつぼみを惜しそうに眺めて父さんは笑う。 「絶対、写真撮っておいて。」と、父さんはアユコに一眼レフの使い方を教えて、カメラアングルまで決めていった。
それがなんとまぁ、忘れてしまいましたよ。 私も、アユコも・・・。 昨夜はアユコとゲンが笛の稽古やら、父さんのいない「お子様ご飯」やら何となくせわしなくて、早くにベランダの雨戸も閉めてしまったので、ころっと忘れてしまいました。 あぁあ、あんなに楽しみにして待っていたのに、なんとまぁ、おバカなこと。
そういえば、先日は中秋の名月も見損ねた。 いつもなら、ささやかながらお月見ダンゴにススキの真似事ぐらいは忘れず用意していたというのに、今年に限ってはそれすら、ころっと忘れていた。 かねてから、四季のおりふしを忘れない生活をしたいと心がけていたいと思っていたのに、2度にわたるこの失態。 なんだか心に余裕のない生活をしているのかな。 反省反省。
工房の前の桜が落葉し始めた。 昨日、竹箒で掃き集めたばかりなのに、今朝はもう、赤く色づいた落ち葉がアスファルトの上にたくさん散っている。梢にはまだ青々した葉っぱもいっぱいついているのに、もう散っていくんだな。 また、毎日落ち葉掻きに追われる季節が来る。
アプコを迎えにあわてて玄関を出た。すぐ前をハイキング帰りのご夫婦が歩いておられた。ご主人のほうはは足がお悪いようで、杖を突いて右足を引きずっておられる。奥さんはその少し後ろを控えめに寄り添うように歩いていかれる。ご主人は手ぶらなのに、奥さんは赤いリュックに日傘、大きな水筒を肩から下げて、大荷物だ。 二人のすぐ後ろを歩き始めて、聞くともなく聞いていると、なんだかご主人の方が随分怒っているようで、ずんずん先を歩きながら、半歩後ろの奥さんに向かってコンコンとお説教している。奥さんの方が、「そうですかぁ?でもねぇ・・・」とおっとりと受け答えをしているのに対して、ご主人のほうはえらく高飛車な物言いで、三回に一回は最後に「バカ!」が入る。 「そんなわけないだろう、バカ!」 「くだらない、バカ!」 「うるさい、黙ってろ、バカ!」 いまどき珍しい亭主関白だなぁ。
私はちょっと急いでいたので、ご夫婦を追い越して先へ行きたかったのだけれど、このご主人、歩きながら時々、小学生のように自分の杖を振り回して道端の石ころをはじいたり、突き出た木の枝を振り払ったりなさるので、なかなかその横をすり抜けることができなかった。 そのうち、後ろを歩いている私に奥さんの方が気がついて、ご主人の服の袖をちょっと引いて、道の脇に避けてくださった。ついでに傍らの岩に腰掛けて、一休みする事になさったらしい。 肩から提げた水筒を下ろし、ご主人に先にコップのお茶を渡しながら、追い越して先へ行く私に、「すみませんねぇ」というように奥さんがちょっと会釈してくださった。
駅の近くまで大急ぎで降りて、いつもの角でアプコをしばらく待っていたら、上のほうから下って来る人がある。 随分早足だなぁと思ったら、さっきのご夫婦の奥さんの方が一人でずんずん、坂道を下ってくる。立っている私に、「どうも」というようにちらっと視線を移して、でも、少しもスピードを緩めることなく歩いていく。 あらら、大人しい奥さんもとうとうご主人の高飛車にキレちゃったのかなと、見ていたら、しばらくして先ほどのご主人がテコテコとせわしなく杖を突いて、奥さんの後を追うように歩いていく。随分慌てた様子だ。
大きな荷物は奥さんが全部持っていて、ご主人のほうは手ぶらの軽装だったから、もしかしたら、奥さんが怒って先に帰ってしまったら、ご主人は切符の一枚も買えないのかも知れない。 いつも半歩後ろを歩いていて、決して口答えをしない大人しい奥さんの突然の逆襲に、慌てふためいているご主人の様子が、まるで母親においていかれた小さい子どものようで、思わずくすっと笑ってしまった。
実を言うと午前中、私は父さんと買い物に出かけて、くだらないことで軽い言い争いをした。 待ち合わせの場所が違った、違ってないという程度のつまらない諍いで、すぐに解決はしたけれど、色々言い合っても結局の所、お互い心の中では「自分の方が正しかったのに・・・」と心底納得していないのはよくわかっている。 だから、大慌てで奥さんの後を追うご主人の醜態ににやりと笑って、奥さんの突然の逆襲に拍手を送りたくなった今日の私。 意地が悪いなぁと思いつつ、なんだかすっきり気分よくなって、口笛でも拭きたい気持ちになった。
敬老の日が9月15日ではなくなったのは、いつからだったっけ。 思わずフライングしそうになって、父さんに笑われた。 去年に引き続いて、こちらの義父母とひいばあちゃんにはアユコと一緒に「敬老弁当」を拵えた。 小さな3段のお重に、豆ご飯や焼き魚、サトイモのコロッケやしし唐のジャコ炒め、アユコ作の玉子焼きなどをぎゅうぎゅう詰めて、夕餉の時間にアプコが配達。ひいばあちゃんが喜んで、「是非、写真を撮っておいて」といってくださったそうだ。 お粗末さまでございました。
つい数日前、今年日本で最高齢となった112歳のおばあさんの様子がテレビに出ていた。ニコニコとお元気そうな様子で、おだやかないいお顔をしていらした。 「日本最高齢になりましたよ。」といわれて、「そげんになるかね。ありがたいこと」とはっきり返事なさったという。 もうこのくらいの年令になると、正確な自分のお年は意識なさらないものなのなのだろうか。昔の人は実年令の他に、数え年などというややこしいものもあったりするので、周りのものにもなかなか本当の年令がわかりにくかったりする。父さんが水墨画をお習いしていた南画の大家の先生は、確か今年で102歳になられるのだが、100歳になる数年前から自分で「百歳翁」と署名しておられたし、90代後半からは「半年に一つくらいお年を取られる」というぐらい、自分の年令を多めにサバを読んでいらっしゃったのがなかなかチャーミングだった。 さすがに1世紀も生きてこられると、1歳2歳の違いなんてあってないようなものなのかもしれない。 それはそれでおめでたいことだ。
日本人の平均寿命は男性78.6歳、女性は85.6歳だそうだ。 私はこの春42歳になったので、平均寿命の半分を生きた事になる。ちょうど人生の折り返し点というところか。これまで生きてきた時間よりも、残りの時間の方がどんどん短くなっていくのだという事に愕然とする。 「お母さんは120歳まで生きて、意地悪ばあさんになって威張るからよろしくね。」と子ども達には宣言している私だけれど、体や心の変化は間違いなく「成長」ではなく「老い」の方向に下っていくのだろうなぁということを近頃実感する事が多くなった。 決して今日明日すぐに老け込んでしまうという訳ではないけれど、登りきった山には必ずくだりの坂道がある。そのことが平均年齢85歳という数字にはっきりと思い知らされる。
112歳。 どういう心持で毎朝、新しい朝を迎えられるのだろう。 もしかしたら今日、目覚めぬまま、逝ってしまっても不思議ではない。 明日、お迎えが来ても、「大往生」と称えられる。 そんな奇跡のような112年目の朝を、当たり前のように淡々と迎えるお年寄りの表情がおんなに穏やかで楽しそうなのは何でだろう。 誰でもが迎える事が出来るわけではない112歳のお年寄りの気持ちをのぞいてみたい気持ちになる。
「ありがとう」「サンキュ」が口癖なのだそうだ。 長寿を誇るお年寄りの話になると、よく「口癖は『ありがとう』」とか、「長寿の秘訣は感謝の心を忘れない事」とか言われる事がある。 あれはどうなんだろう。 何事にも「ありがとう」という気持ちでいれば長生きできるということなのだろうか。 それともたまたま「ありがとう」を口癖とするような気のいい人が長生きするという事だろうか。 あるいは、年令を重ねて体も衰え、誰かに世話してもらったり手伝ってもらったりする回数が増えるから、必然的に「ありがとう」の言葉が増えるのか。 もしかしたら、年老いてなお、周りの者に感謝の心を忘れない完成した人格としての老人を理想とする、人のささやかな願望が、長寿の人の「ありがとう」という言葉をことさらに拾って「口癖」にさせているのかもしれない。 どちらにしても、「大往生」と呼ばれる年令になってなお、「ありがとう」といえる朗らかな気持ちと、周囲の心遣いを認知できる理性を持ち合わせたまま、年老いて行きたいと心から思う。
男性の長寿日本一は110歳のおじいちゃんだという。 90歳代になってから始めたカメラが趣味で、老人ホームのお友だちや職員の方の写真を撮ってはは現像に出すのを楽しみにしておられるという。 110歳になってもおおらかに遊んでおられる無邪気さがいい。
朝、いつものスーパーに出かけて、福引をひいたら、3等2000円の買い物券が当たった。 「あららー。おめでとうございます!」とカランカランと鐘を鳴らしてもらった。鐘が鳴るほどのあたりを引き当てるのはひさしぶりだったので気をよくしていたら、隣でくじを引いたおばさんが、2等5000円の買い物券を引き当てた。 「まあ、続きで大当たり!」と、係りの人がもう一回、さっきより派手に鐘を鳴らした。 せっかく、3等賞をあてたのに、なんだかちょっと損をしたような気分になった。 なんでかな。 買い物券でいつもよりちょっと上等の牛肉を2000円分、バンと奮発して気を取り直して帰ってきた。
いつも大盛り野菜が大安売りの八百屋さんのレジに並んだ。 朝、まだ早い時間なのに随分レジが混んでるなぁと思っていたら、新人のアルバイトの女の子がモタモタとレジを打っている。 レジ待ちの列が長くなったのを見かねて、品出しをしていたベテランのおばさんが隣のレジに立った。 「さぁ!隣のレジがなんやら元気ないから、こっちは大きい声だしていこか!」と、お客さんに大きな声で話しかけながらテキパキと商品をさばき始めた。 「ちゃんと、声、出していかなあかんで!若いんやから!」とレジを打ちながら隣の新人さんに小言を言う。生真面目そうな女の子がきゅっと小さくなって、振り絞るような声で返事をした。 「若いから恥ずかしいんやねぇ」といらぬ助け舟を出したら、 「恥ずかしい言うてたら、仕事にならへんがな。遊びに来てるンちゃうネンから」と、今度は私がおばさんに叱られてしまった。
いつもここの八百屋さんでは、店員さんが皆元気のいい声でお客さんと冗談を飛ばしたり、レジの値段を読み上げたりして、商売をしている。いつもよく見かける茶髪の若いアルバイトのお姉さんは、さっき小言を言ったベテランのおばさんとも掛け合い漫才のような軽快なお喋りでお客を笑わせたりして、にぎやかに立ち働いている。 確かにそういうお店の雰囲気の中では、いっぱいいっぱいの緊張で生真面目に手元ばかりを見つめてレジを打つ新人さんはやっぱり思いっきり浮いている。 多分、教室でならきちんとノートを取り、急に先生に指されてもソツのない回答ができ、決して校則違反もしそうにない生真面目なお嬢さん。その分、なれぬ仕事に恥ずかしさが先にたって、「いらっしゃい!」の声が上げられないのだろう。 自然な振る舞いのままでベテランおばさんと丁々発止のやり取りの出来る茶髪のお姉さんと違って、普段の自分の殻を破って大きな声を出すには、随分エネルギーが必要なのだろう。
「恥ずかしいゆうてたら、仕事にならへんがな。」 ベテランおばさんのお説教は、乱暴なようだが金の教え。 仕事というものの基本的な厳しさを端的に突いている。 ちょっとおしゃれなアルバイトや、「やりがい」とか「自分の能力を生かせる仕事」とかなんとなくかっこいい感じのする職業では、なかなか面と向かってこういう基本的な仕事のルールを教えてもらうことはできない。 こういう厳しさを苦もなく克服して楽しげに立ち働く茶髪のお姉さんと、振り絞るような声で「いらっしゃい!」を練習する新人さん。 学校や塾では優等生であるはずの女の子も、八百屋さんの店先では厳しいダメ出しを喰らう。 面白いなぁと思う。 人間が豊かに生きていくための力としては、どちらの優等生が必要なんだろうかなぁ。
「ほんとにねぇ。そのとおり。」 新人さんに厳しいお説教をするおばさんに媚びるように、相槌を打ちながら小銭を払う。 「いつもありがとね!」 威勢のよい声で、送り出してくれるおばさんのレジは確かに活気があって気持ちがいい。 ペシャンコに凹んで、泣きそうな顔でレジうちを続ける新人さん。 果てさて、このバイト、長続きするのかな。
アプコのお友だちのKちゃんが遊びに来たので、ナイロン袋とおやつをもって、周辺の山でどんぐり拾い。 毎年、大きな太っちょどんぐりが取れるクヌギの木を見に行ったが、まだ時期が早いのか、先日の風で飛ばされた硬い帽子のなかで丸まっている未熟などんぐりや折れた小枝にくっついたままの青いどんぐりばかり。 いつもの秋ならおもちゃのバケツに山盛りいっぱい、大きなどんぐりが拾えるのにね。今年はどんぐりの「生り年」ではないのかもしれない。アプコはちょっとがっかり。 それでも、初めてここへ来たKちゃんは、青いどんぐりや子どもの小指の爪の先ほどの小さいどんぐりをたくさんビニル袋に入れてご満悦。あちこちにニョキッと生えたきのこを見つけたり、水路に木の葉を流して競争させたりして小一時間、秋を探す。
Kちゃんは、アプコより一つ年下の幼稚園生。 同じ通園バスで通った仲良しのご近所さんだ。 年の離れたお姉ちゃん達がいるのでお母さん同士の年齢も近い。さばさばと「男前」の気持ちのいいお母さんだ。 アプコもKちゃんも同じ学年の他のお友だちの家へはあまり遊びに行く事がなく、いつでもお母さん同士がメールでお約束して、お互いの家へ代わりばんこに遊びに行く。 アプコが学校で私の知らないお友達と遊びの約束をしてきて、送り迎えやらお土産の心配をするよりも、勝手の分かったKちゃんと遊んでいてくれるほうが何かと都合がいい。 先週は、アプコはKちゃんちで「みたらしダンゴ」を作らせて貰ったと喜んで帰ってきた。Kちゃんは、うちへ来ると絵の具で絵を描いたり、草花を摘んだり、おばあちゃんちへもぐりこんでおやつをせしめたりするのを面白がっている。 なかなかのコンビネーションだ。
アプコと同じ年令の頃、私にもKちゃんと同じような毎日一緒に遊ぶお友達のAちゃんがいた。 赤い大きなリカちゃんバッグをぶら下げて、代わりばんこにお互いの家を行き来したものだった。どんな遊び方をしていたのか、どんなお喋りをしていたのか、ほとんど覚えてはいないのだけれど、Aちゃんのお母さんが広島の人で、時々出る聞きなれない広島弁が面白かったのを思い出す。 そういえば、Kちゃんのお母さんも関西の人ではなく、関東、それも栃木の訛りが時々出る。 「ちょっと変なの」といいながら、ときどきアプコのお喋りの中にKちゃんのお母さんのお国の言葉が混じる。 こういう些細なことを、大人になってからアプコもふいと思い出したりするんだろうか。
夏休みから、アプコが本格的に習字を習う事になった。 真新しい朱筆のお手本をもらい、大筆にたっぷりと墨汁を吸わせて、白い半紙に大きなひらがなを書く。 筆遣いも、半紙の裏表さえも習わぬアプコが初めて書いた「うみ」という文字。モタモタとぎこちない手つきながらも、おおらかに半紙を埋める大きな文字にアプコのあっけらかんとした素直な気性がそのまま映し出されているようで、なんだか見ているほうまでほんわか嬉しい気持ちになってくる。 いい字だな、と思う。 「こういう文字は、子どもにしか書けないねぇ。大人が真似しようと思っても決して書けない」と、先生のTさんも言う。 褒め上手なTさんにおだてられて、アプコは何枚も何枚も得意げに「うみ」の二文字を書く。きゅっと唇を結んで、小首をかしげるように半紙をにらんで、はみ出さんばかりの大きな文字を書く。そして、小筆でサラサラと自分の名前を書きおえるとようやく緊張した表情が解けて、ニコニコと楽しげな笑顔が戻る。 子どもの、こういう集中した表情っていいなぁと思う。
私やアユコが習っている小さな書道教室。 実を言えばアプコはここへは私のおなかの中にいるときから、くっついて一緒に通っている。大きい子達が習字をしている間、隅っこで絵を書いたり、我流のひらがなをなぐり書きをしたりして、帰りにはアユコと一緒にご褒美の飴玉を貰ってくる。そういう「プレ書道教室」状態がもう何年も続いていたから、アプコがここで習字を習い始めるのはごくごく自然な成り行きだった。 アプコがひらがなを書けるようになったのは幼稚園の年長さんの頃。 幼稚園の女の子達の間に「お手紙ごっこ」が流行りだして、アプコも見よう見まねでひらがなを覚え始めた。けれども「正式に文字を習うのは、小学校一年生の教室で・・・」という親の勝手な教育方針で、私はアプコに積極的に文字を教えるという事はしなかった。鏡文字や意味不明のカナ釘文字も満載のままアプコは小学一年生になった。 「今日は、『あ』を習ったよ。」 「今日は、『さ』の字を習ったよ」 一学期のアプコは、先生が黒板に一文字ずつ書いて教えてくださるひらがなを、いかにも嬉しそうに毎日母に報告してくれた。 そうして学校で、ひらがなの50音を全部習い終わるのを待って、ようやく秋からの書道入門の運びとなった。長い間、稽古に通うアユコの傍らで、「アタシも早くお習字習いたいな。」というのを、たっぷり待たせてからの入門である。
これがオニイやアユコの時だったら、「就学までにせめてひらがなの50音は教えておかなければ。」とか「簡単なたし算くらいはくらいは出来るようにしておかなければ。」と、前もってあれこれ教え込んでいた所だけれど、さすがに4人目ともなると、「そんなにいろいろ先走って教え込まなくても・・・」という余裕も出てくる。 いつまでも続く鏡文字や手指を使ってのたし算にも、「そのうち、わかるよ」と笑ってみていられるようになった。 そんな事よりも、息を詰めるようにエンピツを握り締めてワークブックに取り組む姿や、はじめてもらった花丸に嬉しさを隠せないでピョンピョン飛び回る姿になんともいえない愛しさを感じる事がある。 子どもがはじめて読み書きを習うという事は、本当はこんなふうに喜びに満ちた楽しい経験なのだなぁということに改めて気がついた。
アプコが学校のノートに書いてくる文字は、割合筆圧も強く、大きくおおらかな素直な文字だ。小さい時からこつこつと几帳面な文字を書いたアユコと違って、間違いや「ちゃら書き」の文字も目立つが、アプコの文字はいつものびのびと背伸びをしている。 字を書く事、それ自体が楽しくてたまらない。 そういう楽しい季節をアプコは今、生きているのだと嬉しく思う。
小学校参観日。 本当は火曜日の予定が台風のせいで今日に延期になっていた。
5年生、国語の詩の授業。 黒板に、T先生が丸や四角の空欄をたくさんまじえた一編の詩を書いて、子ども達がグループごとに話し合って、その空欄を埋めていく授業。 子どもらはああでもない、こうでもないと、まるでクイズにでも答えるように虫食いだらけの詩を組み立てていく。畳み掛けるようなスピード感のある問いかけと子どもの好奇心を微妙にくすぐるヒントで、知らず知らずのうちに知的な遊びの楽しみに引き込まれていく魅力的な授業だった。 一つの作品をこうしてたくさんの子どもが一緒に読み解いていく、ゲームのような楽しさは、一人で本を読んで理解するのとはまた違った醍醐味があるなぁと思う。 その昔、私が中学の時に教えていただいた国語の先生も、こういう活気のある読解の授業がとてもお上手な先生だった。 この先生の鮮やかな授業に魅せられて教職を私は志したが、結局たった数年、養護学校の常勤講師として務めただけで結婚退職したので、一度も「国語の授業」らしい授業は経験できなかった。 教職を辞めて家庭の主婦になったことを悔いた事はないけれど、子どもの参観などで充実した上質な国語の授業を見せていただいたりする機会があると、「ああ、国語の先生になりたかったなぁ。」と思ったりすることがある。 今日もそういう授業。
一年生は、生活科でシャボン玉の授業。 炎天下の運動場にぱっと散っていった一年生が、思い思いにシャボン玉を飛ばす。一年生というのはまだまだシャボン玉遊びがよく似合う年齢なんだなぁと思う。 担任のM先生が、子ども達の前で団扇の骨組みを使って一度にたくさんのシャボン玉を作って見せた。 いつもしっかりした生真面目な授業で厳しい先生という印象のM先生が、くるりと小走りに輪を描いてふわりと小さなシャボン玉をたくさん宙にとばすと、子ども達がわぁっと声を上げて先生の周りに駆け寄っていった。 ああ、いいなぁ。 先生っていう職業の美味しい美味しい蜜の時間。
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