月の輪通信 日々の想い
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夏休みに家族で私の実家に里帰りしたときの事。 お昼ごはんに「ぶっ掛けうどん」をと、母が用意してくれた。 湯がいて冷水で冷やしたうどんに、温泉卵と天カスをのせ、ジャブジャブとお出汁を直接注いで、ネギやショウガの薬味を載せていただく。 簡単な一皿だけれど、、我が家ではあまり食卓に上らない温泉卵が子ども達には珍しくて、「うまかったなぁ」と大好評。 「おかあさん、おかあさん、おばあちゃんちで食べたトロッとした卵、近くで売ってる?」とアプコにせがまれて、スーパーの店頭で3個パック120円也の温泉卵を買い込んでくる羽目になった。
オニイは野菜嫌いのくせに薬味にうるさい。 朝ごはんに好物の納豆を食べるにも、必須の二つの条件がある。 ご飯は、その朝炊き立てのご飯である事。 小口に細かく刻んだネギがあること。 どちらが欠けても、「今日は納豆やめとくわ。」と決して間に合わせの納豆は食べようとしない。おまけにわざわざ茶わんによそっておいたご飯を炊飯器に戻し、おもむろに納豆にネギやたれを入れて十分に混ぜ合わせてから、新たに熱々のご飯を自分で茶わんによそいに立つ。納豆をこねている間に茶わんのご飯が冷めるのが彼の厳しい嗜好にそぐわないのだという。 薬味のネギも刻んだものが用意していなければ、時には包丁を握ってわざわざ自分で刻んだりもする。 玉ねぎも白ネギも嫌いなはずのオニイなのに、青い細めの刻みネギには格別のこだわりがあるらしい。
加古川での「ぶっ掛けうどん」のとき、オニイは母が刻んだまな板の上の薬味のネギをみて感嘆した。 「うわっ。感動的なネギやなぁ。」 母が用意したのは、裏庭で育てたという細い細い青ネギ。 それを細かく丁寧に刻んであって、我が家でしょっちゅう見かける「お手手つないで」の切りそこないが一つも混じっていない刻みネギだった。 「何を大げさな・・・」といいながら、きれいな直径2ミリの輪っかの揃った刻みネギはそれだけで丁寧な「仕事」を感じることの出来る見事な出来ばえ。日頃、包丁やまな板のせいにして「お手手つないで」のネギをいい加減の食卓に乗せる我が家の刻みネギのぞんざいさを恥じる。
いつもは母の「お手手つないで」を特別文句を言うでもなく口に運ぶオニイにも、自分で育てた青ネギを丁寧に刻んで食卓に乗せるおばあちゃんの料理の細やかさを「感動的」と評する事が出来る美意識が育っている事に少なからず驚いた。 「食は大事」といいながら、雑事にまぎれて、食材に対する真摯な感謝や自分の作った料理を食べてくれる家族への細やかな想いを、ついついおざなりにしてしまいがちな主婦の怠慢をチクリと指摘されたようで胸が痛んだ。
八百屋の店先に並ぶたくさんのネギ。 細ネギ、あさつき、九条ネギ、やっこネギ、万能ネギ・・・・ いつもは特別注意もせず、一番お買い得の大束のネギに手が伸びるのだけれど、今日は一番細くて青々ときれいに束ねられた一束を選ぶ。 それでもあのときのネギのような満足のいく繊細な切り口には出会えない。 多分、母は庭に植えた、まだ育ちきらない幼いのネギを葉先だけ寄せ集めるように摘んできて、食卓に供したのだろう。 結局、八百屋の店先に満足の行く繊細さを見つけることができなくて、とうとう、ホームセンターの種苗売り場で細ネギの種を買い込んできた。 145円也の小袋の種から、我が家に「感動的なネギ」を導入する事が出来るだろうか。 とりあえず、今は家にある菜切り包丁を丁寧に研いで、買って来た細ネギをいつもより数倍丁寧に、つながらないように小口に刻む。 なるほど、心を砕いて刻んだネギは、確かに味が違うと自分では思うのだけれど、はてさて、薬味にうるさいオニイの舌は、母の刻みネギの変化に気がつくだろうか。
暴風警報は出なかった。 「もしかして学校、お休みかも・・・」と不埒な期待をしていた子ども達も、がっぽがっぽと長靴を履いて登校していき、気まぐれに降るシャワーのような通り雨を浴びながらもこの夏最後のプールにも入り、蒸し暑い晴天の元、下校してきた。 風で落下して砕けた木の枝や青いまま吹き飛ばされた未熟な柿の実をピョンピョン避けながら、アプコが坂道を登ってくる。 プールバックと雨傘をうるさそうに肩に担いで、なんだかとっても楽しそうだ。 迎えに出た私の姿を遠くから見つけると、ランドセルをバクバク言わせながら走ってきて、「お母さん、みてみて!」と手にしたビニール袋をブンと突き出す。
「あのね、泥んこでね、泥だんご作ってん。 さらさらの砂で何べんもまあるくしたから、硬くって、つやつやして、こんなにきれい!」 見ると本当にきれいな球形に作られたピンポン玉大の泥だんご。 「あのね、泥んこのたまに乾いたさらさらの土をかけて転がしてね・・・」 と新しく聞き覚えた泥だんごの製造方法を熱心に母に語る。 「あたしのが一番まん丸にうまくできたよ。○○ちゃんのより△△ちゃんのよりアタシのが一番ツヤツヤにできたの・・・。ほらちょっとだけ、触ってみてもいいよ。」
ああ、いいなぁ。 泥だんごに熱中する年令の子どもがまだ身の回りにいつもいるという事。 ワクワクする楽しい気持ちを、一番に母に伝えずにはいられないアプコの幼さ。 「えーっとな、えーっとな。」といいながら、友だちから伝授された泥だんごの秘密の製法を教えたくて仕方がないアプコの素直さ。 オニイが受験生になり、アユコが思春期の気難しいお年頃になり、ゲンが母の知らない科学キットに夢中になる少年に育っても、まだまだ我が家には泥だんごと水遊びと棒つきキャンデーが似合う幼いアプコがいる。
泥だんごの楽しさは、泥んこの塊りが自分の手の中で転がし、磨き、また転がしているうちに、だんだん只の泥んことは思えない、硬くてつやつやした玉に育っていくその過程にある。 今、私の手の中でコロコロと甘えて転がってくれるアプコという泥んこは、どんな宝玉に育っていくのだろう。
大型の台風が近づいている。 学校からは、「台風接近時の対応について」とのプリントが配られた。 午前7時段階で暴風警報が出ていたら、自宅待機。 午前10時段階で解除されていたら、登校。解除になっていなければ、休校となる。また、登校後に警報が出たときは集団下校。時間によって、給食は時間によって、食べないで下校する。 あ〜らら、これじゃ、どっちにしても明日の久しぶりの七宝教室はキャンセルして母も自宅待機だわ。 小学校では明日予定されていた参観日も早々に金曜日への延期が決まった。 新学期早々、番狂わせだなぁ。 取り合えず明日、給食だけは食べて帰ってきてくれるといいのだけど。
つけっぱなしのTVの台風情報を見ていたら、ニュースキャスターの木村太郎さんが台風中継をしていた。 暴風吹き荒れる街頭でレインコートに身を包み、叩きつける雨にさらされながら、小型の風力計を曝して、「あ、いま、風速40メートルに達しました!」とか、中継している。あまりの強風に飛ばされそうになり、ふわりと後ずさったりたりしているのが、いかにも危なっかしくて、「もういいよ、わかったよ。やめておうちの中に入んなよ。」と言いたくなった。 本来こういう体当たりの台風レポートは、駆け出しの新人アナウンサーとかがっしり体力勝負の若手記者が請け負うのが普通だと思っていたのだが、ここの局では最近古株の須田 哲夫アナウンサーもどこやらの台風中継に出ておられたから、重鎮クラスの人に雨風の中でレポートしてもらうのが流行りなのだろうか。
我が身の危険を顧みず、必死の形相で風雨の強さを突撃レポートする台風中継。そんなことしなくても、安全な場所からの的確な取材報告だけだって台風の猛威を視聴者に知らせる事はできそうなものなのにと思いつつ、ついついその中継画面に見入ってしまう野次馬根性。 確かに、迫力ある風雨の中継になると視聴率という奴はぐんと上がるらしい。 高波の押し寄せる海を見にわざわざ危険な防波堤まで出かけて行く若者や、水かさの増した水路に棒っ切れを差し込んで濁流の勢いを測って遊ぶ子どものように、普段と違った顔を見せる自然の猛威とその圧倒的な破壊力をこの目で見たいという欲求は老若を問わず共通のものらしい。 そういうい視聴者の心理をつくという点では、あの体当たり台風中継も報道番組には必須の要素なのだろう。
若いペーペーのアナウンサーが雨風の中で、拭きちぎられたぺーパーを片手に泣きそうな形相でレポートしている姿には、「おお、新人さん、頑張ってるなぁ。こういうきつい体力勝負の仕事をいくつも経験して、偉くなっていくんだろうなぁ。」と半ば応援するような気持ちで見ていたりすることもある。 けれども、重鎮といわれる年齢に達し、政治や厳しい社会情勢について重々しく発言しておられるこのクラスのキャスターが、わざわざ新人君たちの修練の場とも言える体力勝負の現場にしゃしゃり出て、その翻弄される様を衆目に曝すというのはどうなんだろう。 「若い人の仕事の場を取ってやるなよ。」とか、「いい年して台風ではしゃぐなよ」とか、「若いモンも、こんなおじいちゃんにこんなきつい仕事させるなよ。」とか、なんだか消化の悪い嫌な感じがいつまでも残る。
年齢を重ねても、厳しい現場に立つことを厭わないジャーナリスト魂。 それはそれでご立派な事だけれど、人にはその役割相応、年齢相応の職域というものがある。 自然の猛威のすさまじさや台風被害の深刻さを語りながら、どこか、はじけちゃった老人の浅はかさが曝されているようで気持ちが悪い。 それとも、あの二人の台風中継は、舞台裏での何かの罰ゲームかなんかだったんだろうか。
いつもより早起きして、ランドセルを持って降りてきたアプコがそっと耳打ちする。 「今日は加古川のおじいちゃん、学校へくるのかな」 はぁ、何のこと?と意味がわからないでいたら、アプコがもどかしげに説明してくれた。 「あのね、加古川のおじいちゃん、夏休みに『新学期になったらアプコちゃんの小学校へ挨拶に行こうかな』って言ってたでしょ。昨日は忙しくてこられなかったから、今日は来るのかなぁと思って・・・」
私が子どものころ、実家の父が運動会や参観などの行事のたびに吹き込むほら話。 「明日は、お父さんがステテコに腹巻まいて見に行くぞ。担任の先生に大きな声で『いやぁ、どうもどうも。いつも娘がお世話になってます』と挨拶してこよう。ええか?」 子どもたちが困った顔をしていると、どんどん話はエスカレートして、 「足にはゴム草履はいてな、おなかをぼりぼり掻きながら行くぞ。ほんとに行ってもいいか?」 ととんでもない話になってくる。 またいつものほら話だと思いつつ、「もし、ほんとにそんな格好でお父さんが来ちゃったらどうしよう?」とほんのちょっぴり心配になったりして、行事のたびにちょっとどきどきしたものだった。 我が家の子どもたちが大きくなって、幼稚園や学校に通うようになると、今度は父は孫たちを相手にあの日と同じほら話をする。 オニイにもアユコにもゲンにも、そして今度はアプコにも。
「絶対来ちゃ駄目!」と父のほら話をさえぎったあの日の私たち兄弟と、孫である我が家の子どもたちの反応はちょっと違う。 「う〜ん、来てもいいけど・・・」 「いいよ、いいよ、いつ来るの?」 「ほんとに来てくれる?」 普段離れて暮らしている祖父への親しみの気持ちや、ちょっとした遠慮の気持ちもあって、「絶対来ちゃ駄目!!」という反応にはなかなかならない。 また、核家族、企業戦士だった父は年に一度、運動会の時くらいしか学校に足を運ぶことがなかったのに対して、今の我が家では、父さんがしょっちゅう小学校へ出かけて行くし、運動会には祖父母やひいばあちゃんまで一緒に観戦することもある。父親や祖父母が学校へ顔を出すこと自体に対する抵抗感があまりない。 さすがに「ステテコ、腹巻着用」はちょっと困るけれど、おじいちゃんが学校へやってきて「担任の先生にご挨拶」するのは、それほど困った事態ではないのかもしれない。 「おまえんとこの子どもたちは育ちがええから、ほら話が通用せんわ。」といつも父は笑う。
今年、父のほら話のターゲットになったアプコは 「新学期になったら、おじいちゃん、アプコちゃんの学校へ行くぞ。ステテコに腹巻してな、アンタとこの担任のM先生にちょっと挨拶してくるわ。」 というおじいちゃんの言葉を真に受けて、始業式の日にはもしかしておじいちゃんが姿を見せるかもと密かに期待していたと思われる節がある。 先日、そのことを電話のついでに父に教えたら、「すまんすまん、9月1日の日は他に予定があるから行けないと伝えておいてくれ」と笑っていたが、それを聞いたアプコは「じゃぁ、2日の日には来てくれるのかな。」と思っていたのだろう。 アプコの単純な思い込みが可笑しくて、すぐにまた実家に電話して母と笑う。
そういえば、父のほら話の伝統を受け継いで、毎年私が吹くほら話。 「明日のマラソン大会、お母さんは横断幕持って応援に行くからね。短いチアガールのスカート履いて、ポンポン持って踊るけど、行ってもいい?」 これにはさすがに我が家の子どもたちも「絶対駄目!」と期待通りの反応を見せて笑わせてくれた。 さすがに、高学年になってくると「ほんとにやってみたら・・・?」とニヤニヤ笑って反撃するようになったので、ここ数年、このほら話は封印してきたけれど、今年はアプコが一年生。 久々に「明日チアガールの格好で応援に行くよ」とほら話を楽しむことができそうだ。 ただ、末っ子姫で一番単純なアプコのこと。 「ホント?どんな服着てくるの?ポンポン持ってるの?」 とあたまっから真に受けて、期待されてしまうかも知れない。 それもちょっと困っちゃうのよね。
新学期が始まった。 「宿題全部持った?上靴は?通知表、判押した?」 慌しい朝がまた始まる。 そして、子ども達が散って行った後のつかの間の静寂。 ようやく戻ってきた主婦の時間。 ああ、めでたい。
最近、ゲンの仕事が一つ増えた。 おじいちゃんちの愛犬コロの散歩。 普段はおじいちゃんが朝夕欠かさず散歩に連れて出ておられるのだけれど、実は先月の半ばから急な病気で一二週間の入院ということになり、コロの散歩係が必要になったのだ。 兄弟の中でも一番コロの扱いに慣れていて、日頃から工作や飛行機作りの知恵を借りたりしておじいちゃんに一番お世話になっているゲンを名誉あるコロの散歩係を任命する。 ちょっとだけ「参ったな」という顔をしながらも、むげに嫌とも言わず、「行ってくるわ。」と引き受けてくれたゲン。 夏休みの10日あまり、朝夕欠かさずコロの散歩と排泄物の始末、えさやりなどを続けてきた。
「悪いなぁ、よろしく頼むよ。」と懇願されて引き受けた仕事も、何日か続けると当たり前の役割のようになってしまって、嫌になってしまうことがある。 周囲の者も、初めは「ごめんな、悪いな。」と感謝していたのに、慣れてしまうとやってくれて当たり前というようなぞんざいな態度をとってしまう事もある。 散歩の時間が遅れると「今日はもう、散歩、行ったの?」とか、「まだ行ってないの?」とオニイやオネエに指摘される。 散歩が終わったはずなのにコロの鳴き声が聞こえたりすると、母が「散歩が足りなかったんじゃないの?」と注意する。 しまいには年下のアプコや従妹のHちゃんにまで「コロちゃんの散歩は?」と偉そうにいわれて、プリプリ怒り狂うこともあった。 「日頃お世話になっているおじいちゃんのために・・・」と快く散歩係を引き受けたゲンも時折嫌になってしまうこともあったようだ。
新学期になると、登校前に朝の散歩を済ませるためには、いつもより早起きが必要になる。夏休みのお寝坊に慣れた体に、皆より30分早い起床は厳しい。 それでもなんとか今朝は、新学期初日の朝の散歩を終わらせて、帰ってくるなり、「おかあさん、あのな、コロ連れて歩いていたら、知らない人に『えらいな』と褒めてもらったよ」とゲンが嬉しそうに教えてくれた。「早起きは三文の得だねぇ」と喜んでいたら、ちょうど朝の仕事から帰った父さんが「コロの散歩、どうした?」と不用意に訊いた。 せっかくの嬉しい気持ちに水を差されて、ゲン、悔しい顔をする。 あ〜あ、タイミングの悪いこと。
善意で引き受けた仕事なら、周りからどんな風に言われても最後までいやな顔をせずに機嫌よく役割を果たしてもらいたいとも思う。 けれどもその一方で、ほかの兄弟たちには、自分たちを代表して役割を受け持ってくれたものに対するねぎらいや感謝の気持ちを忘れないでいてほしいとも思う。 ぷいと拗ねた顔のまま、あわただしく登校して行ったゲンを見送ったあとで、のこったオニイとアユコにお説教。 「せっかくゲンが気持ちよく散歩係を引き受けてくれたのだから、ちゃんとそれに対する感謝の気持ちやねぎらいの言葉を忘れないようにしてやろうよ。ゲンは彼なりによく頑張ってるんだよ」 それは直ちに、「ゲン、コロちゃんの散歩、まだ?」と当たり前のように催促するようになってしまった私自身への戒めの言葉。
夏休み最終日。 タラタラと夏休みの宿題の取りこぼしを片付ける子ども達にハッパをかけるのに倦んで、父さんの仕事場をのぞく。 父さんは目前に迫った梅田での窯展の作品を制作中。 教室の大きな机に、陶額用に拵えた生地を傍らに置き、その型紙にする白いボール紙になにやら一心に線を引いている。 中央にそびえる美しい台形と水面に逆さに映ったなだらかなその稜線。 一目で富士と判る緩やかな曲線を父さんは何度も何度も繰り返して描く。 「ああ、いよいよ取り掛かるのだな。」と、しばし見入る。
この夏、父さんは富士山に登った。 これまでにも、父さんは作品の題材として富士を選び、遠景としての富士は何度も取材に出かけて写真も撮ってきていたのだけれど、やはり一度は自分の足でその頂上を目指したいと、かねてから念願の初登頂だった。 二泊三日の富士登山バスツアーに申し込み、登山用具を揃え、体力増強のために近くの山に毎朝登って登頂に備えた。 修学旅行に出かける小学生のように、意気揚々と出かけていった父さんは、「ああ、くたびれた。さすがにきつかったわ。」と重いリュックを引きずるようにして帰ってきた。 登山シーズンの富士山は登山客も多く、山小屋はすし詰め状態。軽い高山病や突風にも見舞われたものの念願のご来迎も見ることができ、充実した登山体験だったらしい。
父さんがさっそく現像して見せてくれた旅行中の写真には、肝心の富士山の姿がない。当たり前の事だけれど、富士山に登っている最中には富士山の姿は見えないのだ。あえて言うなら、登山服姿の人物の足元に写る黒い大地こそが富士山そのもの。 「山に登っている人には、山はみえない。」 なんだかとても意味深な比喩のようだけれど、確かにまだかすかに興奮の残る父さんの語る土産話の中からは、古来さまざまな絵画に描かれた神々しい富士の雄姿はうかがわれない。 ごつごつした岩や荒地、人を拒む希薄な大気。 それがあの雲を抱いて優雅に裾野を広げる富士の本当の姿なのだという事を思い知らされる。
登山に当たって、実家の父に借りた登山用具。 分厚い登山靴や完全防水の登山ウェアを返却すべく荷造りをする。 旅の同伴者として、ともに富士山の土を踏んで履きなれた靴やウェアを愛しげに箱に収める。 準備段階から始まって一月あまり、この夏の最大の「初めての富士登山」プロジェクトの終了を惜しむように、ぐずぐずと何度も荷造りをやり直す。 「ほんとは、まだ、富士登山が終わって欲しくないと思っているんじゃない?」 父さんの珍しい優柔不断振りを笑う。 下山直後には、「もう、登りたくない」と思ったという厳しい行軍も、数日たてばすぐに「また、登りたい!」という憧憬に代わるのだろう。 それが多分、登ったものにしか分からない山の魅力でもあるのだろう。
「借りていた装備を送り返すよ。ありがとう」と実家に電話したのは数日前。 それから、何となく送り損ねていた荷物を「明日送るから」と再び連絡。 「でもねぇ、来月もう一度登山の機会があるので、登山靴だけもう少し貸してほしいなぁって、言ってるんだけど。」 あんまり父さんが返却する装備をいとおしそうに眺めているものだから、おねだりの意味を込めて父に頼む。 父は、父さんの気持ちを察して、 「わかった、それじゃぁ、登山靴はそっちで履きつぶせ。」 と、愛用の登山靴を父さんに払い下げてくれた。 電話口の後ろで聞いていた父さんの顔が子どものように緩む。 一ヶ月間の「プロジェクト」ですっかり気の合う相棒となった登山靴を発送準備していた段ボール箱から出してくる。 あらら、ほんとにうれしそう。
新たに父さんが陶板に刻む富士山の雄姿。 初めて登頂の経験を境に、荒れた岩肌の力強さや頬を打つ冷たい突風の厳しさはどんなふうにその作品に生かされていくのだろうか。
「山に登っている人には、山は見えない。」 ともいうけれど、 「山に登った人にしか、山は見えない。」 のかもしれない。
夏休みもあと数日というのに、怪しげな空模様。 生徒会の招集日で自転車で登校して行くアユコ、出掛けに自転車のタイヤに空気を入れながら「雨降ったらやだな。」と浮かない顔。 この夏、我が家の子ども達はよく、雨に降られた。 突然の夕立とか、思いがけない天気雨が格別多かったのだろうか。 その中でもアユコは特別当たりが悪い。 自転車でたまたま遠くの図書館へ出かけていて、帰りにびしょぬれになったり、友だちと待ち合わせして楽しみにしていたお祭りへ向かう道中にひどい集中豪雨にあって、雨宿りした駅で足止めを喰ったり。 「アタシが自転車で出かけると、必ず雨が降る。」と、グチグチとくさるアユコ。 うんうん、確かに今年の君は立派な雨女だ。
中学生になって自転車通学が始まってから、アユコの行動範囲はぐんと広がった。これまで、必ず車の送り迎えが要った図書館や習字の稽古のほかにも、遠くのショッピングセンターや大きい図書館、友だちの家、大きなお祭りのある神社など、それまで「一人では行っちゃ駄目」だった所にも足を伸ばす事が増えた。 市街地からちょっと離れた所にある我が家から、外の世界に出て行こうとするときには、子ども達にとって自転車は恰好の交通手段。坂道をギーコギーコと漕ぎつづける脚力さえあれば、今まで父母に連れて行ってもらうしか方法がなかった場所に、自分の好きな時間に好きなだけ出かけていくことが出来る。親の手元から離れて、一人で行動出来る楽しさにアユコは目下夢中である。
けれども、ひとたび雨が降れば、傘を差して自転車に乗るのがヘタクソなアユコは直ちに自由な足を失う。 出掛けに降られて、渋々傘を差して徒歩で出かけるのはまだいい。 出先で雨に降り込められたとなると、傘を差して自転車に乗る事もできないし、電話で迎えを頼むわけにも行かない。母の軽自動車にはアユコの自転車は積めないし、仕事中の父さんがいつでも大きい車で出動してくれるとも限らない。 雨宿りした軒先で、「もう、やむかなぁ。もうちょっと小降りになったら、濡れるの覚悟で突っ走っちゃおうかなぁ。」とあれこれ思い悩むアユコの困った顔が目に浮かぶ。
母の送迎の車の助けを借りずに、自分の自転車で好きなときに好きな場所へ出かけていく楽しさには、もしかしたら突然の雨に降り込められて行くか戻るかの思案を強いられる、そういうリスクも含まれている。 この夏のアユコは、何度も何度も雨に降られて、親の手を離れて一人で行動することの楽しさとしんどさを文字通り身に染みて感じた事だろう。 「お母さん、今日、降りそうかなぁ。」 出かける前にアユコは必ずその日の天気を訊くようになった。 「さあね、お母さんは予報士じゃないからわかんない。」 と、毎度毎度母は意地悪く繰り返す。 空模様を読むのも、雨に備えるのもあなたの「自由」のうち。 しっかり悩んで、濡れてきなさい。
昼下がり、最後に残った工作の宿題をやっつけながら、アプコが鼻歌を歌っている。小学校に入ってはじめての夏休みを堪能したアプコには、「あと数日で夏休みも終わり。もっと遊びたかったなぁ。」という感傷も、「もう一回くらい海かプールへ行きたかったなぁ。」という心残りも、「あと一日で読書感想文、終わらせなきゃ」という焦りもない。 「今日は何をしようかな、」と「今日のお昼ご飯はなにかな。」で一日が始まり、「ああ、今日も一日、楽しかったな」と「明日の朝ごはん、なにかな」で一日が終わる。 淡々と、何の疑問もなく、今日の日の刹那を味わいつくして、夏を見送るアプコ。
「おかあさん、おかあさん。」とひっきりなしに下らない質問やおねだりやダジャレ、駄々っ子を繰り出す子ども達の相手に倦んでPCの画面に没頭していたら、アプコがツンツンと私の肩をつついて、「ねぇ、回ってる?」という。 「なにが回ってるって?」 アプコの言葉の意味が分からなくて何度も聞き返す。 「だからぁ・・・回ってる?お母さんも回ってる?ほらほら、回ってるでしょ?」 とアプコは首をかしげて部屋の壁やら天井やらを指差す。 「このおうち、まわってるでしょ?回ってない?まわってるよね?」 ??? 「あー、止まってきたよ。いま、止まってるよね?」 ????? 「うん、止まってる。もうまわってないね。」 と「?」だらけの頭で相槌を打ったら、「でもこうやったら、また回るよ。」とアプコがたたみの上でくるくると回り始めた。ハムスターのようにちょこまかとその場で何べんも何べんも足下がふらふらするくらい回ったら、「ほら!見て見て!すっごい回ってる!」という。 ああ、それはお家が回ってるわけじゃありません。あなたの目が回っているだけです。 ・・・と、いつもなら、一言で片付けてしまうところだけれど、小走りにくるくる回るアプコが本当に楽しそうだったので、 「うわぁ、ホントだ。すっごい回ってる!アプコがまわしてるの?」と調子を合わせてみた。 「うん、今さっきね、ちょっとやってみたら、お家がまわってん。このお家、よく回るねぇ。」 と、得意げにいうアプコ。
どうやら、「目が回る」という現象を、アプコは今日はじめて「発見」したらしい。そして冗談ではなく本気で、自分の力でこの家を廻していると感じているのだろう。自分がくるくる回ると、自分の視界の中で回っている母も、自分が見ているのと同じ「回る室内」の映像を一緒に見ることが出来ていると信じているらしいのだ。 自分が世界の中心に立って、くるくる走り回る事で世界を廻している。 そんな天動説の世界を普通にアプコは生きている。 幼いアプコの世界には、まだまだ、大人とは違う時間、違う世界観がながれている。 そのことがなんともかわいらしくて、「それは『目が回る』っていってね・・・」と説明する事をせずに、「ほんとだねぇ、すごく回ってるねぇ。」と調子を合わせて驚いてみせる。
これがオニイやアユコの時だったら、早々に理屈を教えて「天動説」の迷妄を晴らすところだけれど。 子ども独特の不思議な世界観を、もう少しそのまま身の回りにおいて暖めておきたい。 そんな気持ちで、くるくる回るアプコの無邪気を楽しむ。 確かに今日、母の視界も回って見える。
八月も20日を過ぎると、さすがに子ども達の周りに何となく憂鬱な空気が流れ始める。 プールや楽しいレジャーの計画もほぼ消化した。 虫取りや水遊びにも、いまいち真夏の輝きを感じない。 父さん母さんは盆明けあたりから、お子様サービス期間を終了して、通常のお仕事モードに戻りつつある。 そして残っているのは、見るもうっとおしい放置したままの宿題・・・。 今年は毎年の例に反して、受験生のオニイが夏休み前半で学校からの課題を終えた。中学最初の夏休みの課題の量にアグアグしているアユコ。感想文、工作、ポスターの3点セットを残して唸っているゲン。そしてあさがおの押し花を忘れてたと慌てるアプコ。 やっぱり毎年この時期にはこうなっちゃうんだなぁ。
今日、明日と、地蔵盆。 工房の入り口にあるお地蔵さんの祠をきれいにして、赤白の提灯を下げ、新しい前掛けをこどもたちの数だけ縫った。今年は父さんの登山や家族の急病などで、ぎりぎりになるまで準備ができなくて、大慌てでお供え物を買い揃えた。 お昼過ぎ、子ども達が椅子を並べたり、木魚やお焼香盆を運んだりしてくれている最中に、お寺さんが約束の時間より30分も早くお見えになった。いつものおなじみのご住職ではなくて、ずいぶん年若いお坊さんだ。 大人たちがご挨拶もそこそこに間際の準備に駆け回っている間に、お坊さんは子ども達に「何人兄弟?」「お兄ちゃんは何年生なの?」とこどもたちに声をかけながら、あれこれ準備を手伝ってくださっている。一番年かさのオニイが、若いお兄さんのようなお坊さんとなにやら親しげに言葉を交わしているのが見えた。 そしていつもの住職さんなら、おじいちゃんやひいばあちゃんにむけて大人向きの挨拶をなさって読経に入られる所を、「今日はね、子どもを守ってくださるお地蔵さんの日だからね、特別心を込めて手を合わせてみてね。」と 子供向けの短いお話をして席に着かれた。 お経の声も、ご住職の朗々と歌うような名調子ではなく、生真面目で涼やかな若いお声の南無阿弥陀仏だった。
「お坊さんにも あんなに若い人もいるんやなぁ。」 とオニイが後から話してくれた。 「何となくお坊さんといったら、年寄りのイメージがあったんだけど。 若いお坊さんというのもなんかいいね。」 「ふうん、そう。じゃあ、将来はお寺のお坊さんになるってのはどう・・・?」 「う〜ん、悪くないけど・・・。でも鶏のから揚げや明太子が食べられなくなるのは辛いな・・・。」 「・・・なに、それ。お坊さんだって、肉も魚も食べるし、結婚もするよ。宗派にもよるけどさ・・・。」 「あ、そうなの?知らなかった。」 こういうあっけらかんとしたマヌケ振りがまだまだ可愛い。
近頃、オニイが周囲の大人を見上げる視線の方向はなかなかに渋い。 炎天下の駐車場で踊るような手振りで車を誘導するじいちゃん警備員だったり、スーパーの食品売り場で朗らかにくるみパンを試食販売するおじさんであったり・・・。 そういえば数日前、「ちょっと面白い人を見たよ」と教えてくれたのは、行きつけの図書館の男性職員のこと。 静かな図書館で目に余る騒々しい振る舞いをする小学生達を大きな声でガツンとしかりつけたのだそうだ。他人のルール違反やちょっとしたズルがいちいち癇に障るオニイには、そういう毅然とした態度を取れる大人の姿がすっきりと気もちよく見えるのだろう。 そういう見方が出来るオニイも「なんかいいね」と母は思う。
「富士山に登るぞ!」と父さんが突然宣言したのは、一ヶ月前。 思い立ったその日に初心者向けのバスツアーに申し込み、ガイドブックを買い込んで準備に取り掛かる。 毎朝、4時半におきて近所の山歩きを2時間。 山登りの装備や準備物をしらべ、登山用具店をはしご。 同時に、留守中の仕事の段取りをつけ、あちこちに不在の根回しをする。 その精力的な行動力には、舌を巻く。
登山用具の多くは数年前に富士山にも登ったという実家の父が、「上から下まで同じサイズ」のよしみで貸してくれることになった。完全防水の登山服やらずっしり底厚の登山靴、トンネル工事の人のような頭に付けるライトやら大きな登山用のリュックまで、どーんと詰め込んだ小包が届いた。 これらの借り物を中心に、残りは何度も何度もあちこちの登山用具店に足を運び、こまごまと自分用のものを買い揃える。買い物には、家族に秘密裏にこそっと出かけていって、さりげなく「好日山荘」のロゴの入った紙袋を提げて帰ってくる。 汗止めのバンダナ、特殊な素材のアンダーウエア、高山病予防のための小型の酸素ボンベ、山小屋での安眠のための耳栓など、思いもつかない小物がどんどん増える。チョコレートだのカロリーメイトだの、見慣れぬ登山食も買い揃えた。 「初心者の登山にコレだけは必要!」 「あると便利、登山裏技グッズ!」 をいっぱい詰め込んで、父さんのリュックはみるみる大きく膨らんでゆく。 「ほんとにそれ全部要るの?」とは誰もいえない。出発当日である今日になってはじめて、本人があまりのリュックの大きさに気づき、何度もパッキングをやり直していたりする。 それも良し。 遠足前の楽しみの一つ。
父さん、51歳。 何を思っての突然の富士登山か。 作品作りの参考に一度は自分で登って見なければとは、長年思っていたらしい。「いつかはきっと・・・」と思っていることを好機を逃さず「今!」と実行に移す力。それは不器用な職人気質な父さんが、芸術家としてのひらめきをつかむための大事なエネルギーなのだろう。 傍目には衝動的とも見える計画を立て、バリバリと準備を重ねていくときの子どものように嬉しそうな父さんの熱中振りを見ているのは楽しい。 父さん自身は、そういう自分の熱中や数日間の不在や予定外の出費を、家族が「難儀やなぁ。」と辟易しているのではないかとしきりに気にしているようだけれども、「そればっかりでもないんだよ。」という事をまっすぐに夫に伝える事は難しい。 「頑張っていってらしゃい。でも、その分、帰ってきたらいっぱい働いて、家族サービスもお願いね。」と、憎まれ口で父さんの背中を押す。 アタシは可愛げのない妻である。
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