月の輪通信 日々の想い
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8月も半分終わった。 暑い暑いといいながら、朝一番にさっと流れ込んでくる風に、過ぎていく夏の背中をみつけたような。
ひいばあちゃん97歳。 近頃少し、工房での仕事から遠ざかっておられたが、「今日はちょっと、せんならん仕事があるんや」と宣言して仕事場に入られた。 多分、義兄か義父に頼まれた作品の下地作りの仕事でもあるのだろう。 蒸し暑い工房の長年の定位置にこじんまり座り、一心にろくろに向かうお仕事モードのひいばあちゃんを久々に見る。 あるべき場所にあるべき人の姿がある気がして、随分ホッとした気持ちになる。
ここのところ工房では数物の仕事が続いていて、私も白絵や釉薬掛けの下仕事の手伝いで仕事場に入ることが多かったのだが、これは本来はひいばあちゃんが長年一人でこつこつと引き受けておられた職人仕事。この春の突然の入院以来、さすがに仕事場へ降りてこられる時間が少なくなったひいばあちゃんに代わっての苦心のピンチヒッターだ。 ひいばあちゃんの席を借りて、モタモタとおぼつかない手つきで釉薬をかける。 ごくごく簡単そうに見える下仕事でも、ひいばあちゃんの年季の入った鮮やかな手仕事の領域にはなかなか近寄る事すらできなくて、もどかしい思いがする。 仕事中、たまに仕事場の様子を見に降りてこられるひいばあちゃんに、 「おばあちゃんの場所、使わせてもらっててごめんね。」とことわって、頭を下げる。 いつかは誰かが引き受けていかなければならないひいばあちゃん仕事の職人仕事。 父さんは将来その後継を務める新人材をあれこれ模索しつつも、なかなか生涯現役の偉大なるひいばあちゃんからその仕事を取り上げる事もできないでいる。だからあくまで私の工房での役割は、臨時の代打要員というスタンスを取ってきた。 それでもひいばあちゃんは、ノタリノタリと不器用に刷毛を動かす私の手元を機嫌よくしばらく眺めては、だまって工房を出て行かれる。「ようやく、私のあとに入る気になったか」と思ってくださっているのか、「まだまだモノになりそうにないなぁ。」と呆れておられるのか、身の縮まる思いがする。 それだけに、ひいばあちゃんが以前のように、工房のいつもの席に座り、いつもの仕事を始められるとなんともいえない嬉しいホッとする思いがする。ひいばあちゃんにはいつまでもいつまでも現役で仕事をしていていただきたいと思う。
この夏の帰省のとき、父さんは実家の父母にひいばあちゃんから託った「快気祝い」の品を携えていった。ひいばあちゃんが手びねりで形を造り、義父と父さんが仕上げをしたひいばあちゃん作の抹茶茶わん。 これまで、ひいばあちゃんは長年の仕事の中でおそらくは何千という数の作品の荒型を拵えてこられた。ひいばあちゃんがあらかた作っておいた茶わんや水指などの形に義父や義兄が削りをかけたり、絵を描いたりして作品に仕上げるのだ。義父や義兄の名を刻印した作品のなかには、そんなふうにひいばあちゃんの手を経て生まれ出てきた作品がたくさんあるが、ひいばあちゃん自身の名前が外に出ることはない。ひいばあちゃんの仕事はあくまで、無名の人の職人仕事なのだ。
そのひいばあちゃんが、この春入院のお見舞いを送った実家の両親への「お祝い返し」としてお茶わんを一つひねって下さった。ひいばあちゃんの手の跡をしっかり残して義父が仕上げをし、父さんが飴釉をかけて焼き上げる。 箱書きには義父がひいばあちゃんの名前を箱書きして「吉向」の小印を押した。 数え切れないほどたくさんの作品をこつこつと拵えてこられたひいばあちゃんの、本当に数少ない「名入り」の作品。我が家にとっては誠に希少な宝物でもある茶わんが父母の元へ行く。「ずーっと将来、内緒でアタシにちょうだいね」の気持ちを忍ばせて、風呂敷に包む。
帰省から戻って2日。 実家の父からの電話があった。 子どもや孫達が帰っていって静かになったので、ひいばあちゃんのお茶わんを使って夫婦でお抹茶を楽しんだのだそうだ。義父を通して、ひいばあちゃんにもお礼の電話をかけておいたという。 「じっくり落ち着いて見てみると実にいい茶わんやなぁ。ひいばあちゃんの人柄や長年の生き方が現われている気がする。」 としみじみと父は語ってくれた。 父が、ひいばあちゃんが作った一個の茶わんのなかに、無名の職人として生涯現役を貫いてこられたひいばあちゃんのひたむきな仕事ぶりに対して、今私が抱いているのと同じ驚嘆や尊敬の思いを抱いてくれたという事が嬉しい。 自分のことでもないのに、「そうなのそうなの!うちのひいばあちゃんは、すごいのよ!」と自慢したいような、こみ上げる思いを抑えることができなくなる。
今朝、子ども達と共に一日遅れでお盆の経木を燃やしにいったとき、ひいばあちゃんにお茶わんのお礼と父母が大変喜んでいた旨を改めて伝えて置いた。 「ああ、あんなものはなんの造作もない。喜んでもらえば、それはなにより。」とひいばあちゃんは平然と笑っておられる。 自分の手から生まれた作品に対して何の衒いもこだわりも未練もない。 さらりと見事に手離してしまう職人技の潔さ。 「お見事!」といった観がある。
しばらくして、なんの脈絡もなくオニイがポロリとこぼした。 「ひいばあちゃん、随分嬉しそうやったなぁ。」 「何のこと?」と問うと、「お母さんがひいばあちゃんにおちゃわんのお礼を言った時さ・・・」という。 オニイもあの時、ひいばあちゃんの笑顔に浮かんだ職人魂の確かさをちゃんと感じる事ができたのだな。 うんうん、この子も随分大人になったと、今度はわたしが嬉しくなった。
久しぶりにとうさんと二人で買い物にでる。 帰省を前に、冷蔵庫の掃除を兼ねて在庫一掃処分をしたので、野菜室が空っぽ。力持ちの父さんがいるのをよいことに、大盛りキュウリや丸ごとキャベツなどをまとめ買い。 重くてごめんね。
八百屋の店先にはいろいろな夏野菜が並んでいる。 いつも定番の茄子やトマトと共に、ラップでくるっと巻かれた大ぶりの一束。 芋茎(ずいき)だ。 とうさんはミョウガやふき、破竹やうどなどちょっとレトロなマイナー野菜が好物。「昔はこういうものの煮物がしょっちゅう食卓にのぼったなぁ」と懐かしそうにいう。 京都生まれの義母の料理は「京のおばんざい」が基本スタイル。とうさんにとってのおふくろの味はこういう昔ながらの野菜の煮物の味なのだろう。 春の筍、夏のミョウガ、冬のキョウイモなど、とうさんの希望に沿うべくわが家の食卓にもそういう旬の味覚をと努めてはいるつもりだが、実は私、「ずいき」という物を食べた事がない。 いや、もっと正確に言うなら、どこかで出されたお料理でそれを「ずいき」と認識せずに口にしたことがあるかもしれないので、私は「ずいき」という野菜を自分で調理してたべたことがないのだ。実家の母の料理のレパートリーにも、「ずいき」という食材は入らなかったように思う。 「芋茎」という漢字を当てるだけあって、見るからにごつそうな赤い植物の茎。コレといって香りもない。 お値段を見ると、ごっそり一括りが68円。なに?このお値段・・・。 好奇心と冒険心で、とにかく一束お買い上げ。
「で、お義母さんはどんなふうに料理してくれたの?」 帰宅して父さんに聞く。 「どんなって・・・普通の煮物だったように思うけど。薄く皮をむいて、椎茸だかお揚げだか、そういうのと一緒に煮てあったんじゃない?」 と、とうさんもあまり覚えてないらしい。 とりあえず、蕗のように手で薄く皮をむいて水にさらす。ごつごつした感じの外見とは裏腹に、若い山蕗のようにしなやかで柔らかい。 「前にお義母さんに聞いたときも『普通に煮るだけ』って言われたのよね。でも、どんな味なんだか食べた事がないから見当もつかない・・・」と愚痴っていたら、とうさんがそそくさとネットで検索してくれた。
「へぇ。生の芋茎だけじゃなくて、乾燥芋茎なんてのもあるらしいね。」 といいながら、あちこちレシピを探してくれたが、なかなかこれといった情報に行き当たらない。どうやら、芋茎は煮物よりは湯がいて酢の物にするほうが一般的らしい。 「えーっ、確か煮物だったと思うけどな。酢の物だったのかなぁ。」 とだんだん自分の記憶に自信がなくなってきたらしい。 それにしても、あんなに懐かしがっていた味が、酢の物だったか煮物だったかすら覚えてないって、どういうこと? それが「おふくろの味」ですかぁ? 「ちょっと待って、訊いて来るよ」 とお義母さんの所にもそれとなく訊きに言ってくれたが、やっぱりお義母さんの答えは「普通に煮るだけ」 はぁ、そうですか。「薄味で」とか「甘めの味で」とか、もうちょっとヒントをくれませんか。 そういえば、お義母さんの得意料理といいながら、私はお義母さん自身が芋茎を料理しているのも見たことがない。
ままよっと、だし汁に甘めのしょうゆ味を薄めに仕立てて、下ゆでして一口に切った芋茎と薄揚げの刻んだのをざざっと煮る。 繊維質だけの塊りのような灰汁の強い野菜が、すぐに半透明の柔らかな煮物に変わる。蕗の煮物にも煮ているがそれほどくせの強い味でもなく、かすかにシャリシャリした食感が心地よい。 そうか、これがずいきだったのか。 「こんな味?」 お味見用に熱々の一片を父さんの口に。 「うんうん、こんな感じ、こんな感じ。この味だよ。」 ついでに小皿に取り分けて、お義母さんにもご意見を聞いてみてもらう。 大体の合格点はもらえたらしい。
自分でも食べた事がない初めての食材を調理するのは、面白い。 たまには調理法を調べながら、試行錯誤で料理するのも楽しいものだ。 それともう一つ、思ったこと。 昔いつも食べていたものの味の記憶というものは、案外いい加減ですぐに忘れてしまっているものだということ。 長い年月を経て、再びその味を口にすれば、「そうそう、この味、この味。昔食べたのはこんな感じの味だったよ。」と記憶を新たにすることは出来るけれど、実際に頭の中だけで記憶している「おふくろの味」とか「懐かしい味覚」とか言うものは、案外いいかげんでよく覚えていないものなのかも知れない。 今も毎日、当たり前に何度も食卓にのぼり続けている味。 それが結局の所、「懐かしい味」なのだろう。
アプコ、7歳の誕生日。 ちょうど帰省の日程と重なったので、恒例の「ろうそくフーッ!」はおばあちゃんちの近くのケーキ屋さんでケーキを買って、加古川のおじいちゃん、おばあちゃんや、おじちゃん、おばちゃん、ちいさい従妹のYちゃんたちにも一緒にも祝ってもらう。 大勢で歌ってもらえる"ハッピーバースディ"は、格別嬉しい。 おめでとう、アプコ。
おばあちゃんちへ向かう途中、アプコの御所望で須磨の水族館へ行く。 私の子どもの頃には、しょっちゅう学校の遠足で行ったところだし、オニイやアユコも小さいときには一度は連れて行ったところ。 本当はアプコもベビーカーに乗ってる頃に来た事があるはずなのだが、まるっきり覚えていないという。 私には、前に来たとき、幼いアプコが着ていたチェックのジャンバースカートのとやら、展示室の暗いところをアプコが怖がった事、イワシの群れの遊泳を見てアユコが綺麗ねぇとため息をついた事など、鮮やかに思い出されるというのに、7歳になったアプコにとっては、ここははじめての場所なのだなと思い至る。 兄弟が多いと、それぞれの年齢に応じて同じ遊園地へ行ったり、同じようなイベントに参加したりするたびに、「また同じ場所か・・・」と思う気持ちもあるけれど、一人一人の子どものとってははじめての場所、初めての経験、初めての楽しさなのだ。
ザブザブと水しぶきを浴びる前列で賢いイルカ達のショーを観たアプコ。 感激して「賢いねぇ。イルカって可愛いねぇ。」と何度も繰り返す。 「お家でイルカが飼えるといいなぁ。」とため息をつくアプコに、 「水族館の人に頼んで、おじいちゃんちの鯉の池で飼えないか聞いてみようか」と冗談を飛ばす。 ああ、この冗談もたしか以前にアユコと一緒に来たときに、同じようにどこかで言った記憶がある。 「だめ、だめ。おじいちゃんの池は小さすぎて、イルカが困ってしまう。」 あの日のアユコと同じように、生真面目に否定するアプコはやっぱり「始めてのアプコ」。 この子自身の新しい「今日」を、楽しんで、味わって、生きているのだという事がよく分かる。
それぞれの子が、単なる繰り返しではなく、それぞれの「今日」を生きているという事。 それだからこそ、母にとっては、一回一回が新しい「今日」なのだ。 ありがたい。
夏休みの前半戦、部活やプール、キャンプやお祭りの日程も順調に消化し、お盆休み前のゆるゆるとした一週間をすごす。 母も前半のハイペースをやっつけて、少々グロッキー気味だ。 「今のうちに宿題を片付けなさいよ。」と昼間の数時間、階下の一部屋だけクーラーをつけて、学習室にかこつけて、子どもたちに提供する。 座敷机で子ども達が夏休みのプリントに取り組む間、極楽極楽と涼をとる。 ああ、おとなになっててよかった。 少なくとも大人の夏には宿題プリントがない。
オニイ、今年は一応受験生。 「夏休みは相当の覚悟で頑張らなくっちゃね」と個人懇談でしっかり念を押されただけあって、例年よりは少しは気合が入っているらしい。とりあえず宿題だけは、いつもより速いペースで片付けているようだ。 家庭の方針(というより、経済的理由?)により、塾も夏期講習もない中三の夏。どんな風に時間を使い、何をどれだけ学んでいくのか、それを自分で決めて自分でこなしていくのは難しい。 「受験生がそんなのんびりした事でいいのかしらん?」という思いと、「まずは本人のやる気から・・・」と期待する思いと、複雑に入り混じった思い意で、オニイの夏を見守っている。
義兄や父さんたちの仕事の都合で、工房の留守番が必要になった。 ちょうどいい、行っておいで・・と、オニイに声がかかった。 うるさい弟妹達や母の小言、蒸し暑い子ども部屋を離れて、ガンガンにクーラーの効いた教室を独り占め。コレはちょっと美味しい話。 「受験生でござい!」とカッコつけて、問題集や参考書を持って出かけていって小一時間。はてさて、勉強ははかどっていたのかな。 よもや涼しい教室で広々とお昼寝って事はあるまいね。
帰ってきたオニイのかばんから、大判のおせんべいが2枚。 留守番中にひいばあちゃんが差し入れてくれたのだという。 よほどオニイが真面目にお勉強しているように見えたのだろうか。 いつものお仏壇の前のお菓子の缶から、子どもの好みそうなお菓子を見繕って運んでくださるひいばあちゃんのすり足の足音が思い浮かぶ。 「時々、ひいばあちゃんがくれるこのおかき、うまいんだよな。」と、オニイ、目を細めて大事そうにかばんにしまう。
普段、激辛スナック菓子大好きのオニイが、そんな素朴なおしょうゆ味のおせんべいを格別好きなのだとは知らなかった。 きっと、オニイが「旨い」と思うのは、おせんべいそのものの味ではなく、「僕が勉強に励んでいたらそっとお菓子を差し入れてくれるひいばあちゃん」というシチュエーションが、ありふれた醤油せんべいに格別ありがたい、やさしい味付けをしてくれたものだろう。 そういう事の嬉しさをしみじみと感じる事の出来るオニイもまたやさしい。 母もちょっと嬉しい。
一昨日、市のお祭りの金魚すくいで、6匹の小さな赤い金魚を貰ってきた。 去年、同じお祭りでもらってきた金魚は、たった一年で15センチばかりの立派な体格に成長して、小さな水槽から飛び出さんばかりの勢いだ。近頃では、エサを撒くとバシャバシャと水しぶきを上げてピラニアのように寄ってくるし、暑くなると食べ残したエサや糞で水槽の水があっという間に汚れてしまう。もう今の小さい水槽で飼うのは限界かなということで、新しく小さい新人金魚を迎えて、育ちすぎた金魚たちにはおじいちゃんちの鯉の池に昇格してもらう事にする。
新しくきれいな水を張った水槽に新人さんたちを放すと、まぁ、なんとその小さいこと。以前の金魚たちがひしめくように泳いでいた同じ水槽とは思えないほどの空間がなんとも涼しげ。 早速先輩たちのお下がりのエサをぱらぱらと撒いてみたら、粒が大きすぎて新人さんたちの小さなおちょぼ口にはあわないらしい。アユコがご丁寧に粒えさを細かくすりつぶして与えている。 そういえば、あの先輩金魚たちもここへ来たばかりの頃は普通の粒えさが大きすぎて、何度も食べあぐねていたものだったなぁと思い出す。 ほんとに生き物の成長って、早いものだなぁと感慨無量。
つれてきた6匹の小さな新人金魚たちの中には、一匹だけ片目のない金魚が混じっている。 怪我や病気で片目を失ったのではなく、先天的な奇形で最初から片目がなかったものらしい。出来上がったぬいぐるみに最後にボタンを一つ付け忘れたように、眼球のあるべきところがただの空白になっている。ぱっと気がつくたび、ぎょっとする異様さではあるが、泳ぐ力もえさを食べる勢いもほかの金魚たちと比べて何の遜色もなく、いたって普通の元気さだ。
本当はアユコは金魚すくいのお店をでてすぐに、その金魚の奇形に気がついていた。まだ、ついさっき受け取ったばかりだったし、お店の人に言えば、普通の五体満足な金魚に取り替えてもらう事もできたと思うけれど、アユコはそうしなかった。そして、「新しい金魚さんが来たよ」と喜ぶアプコにもそのことを知らせないまま、片目の金魚を黙ってうちにつれて帰ってきた。 うちに帰ってきてきれいな水槽の水に移し変えてからはじめて、アユコはアプコにその金魚の奇形を告げた。
「なんでこの子だけお目々が一個しかないの?」 生まれつきの障害とか、奇形とか、そういうものに対する認識のないアプコに、アユコはどんな説明をしたのだろう。 その場ですぐに、もらった金魚の異常に気づきながら、どうしてアユコはお店の人に交換してもらわなかったのだろう。 そこには多分、障害や病気を持ち合わせて生まれてきた生命へのアユコのやさしいいたわりの気持ちが流れているのだろう。 そのことをアユコがどんな風にアプコに教え諭すのか、是非とも聞いておきたかったのだけれど、ほかの用事に紛れてつい聞き逃してしまった。
「おかあさん、この金魚だけ名前をつけたよ。メナちゃんって言うんだよ。」 とアプコが教えにやってきた。 目がないからメナちゃん。 まんまだねぇ。 でも、ほかの5匹の金魚を差し置いて、一番にかわいい名前をつけたということは、アプコが片目の不自由な新人金魚を自分のペットとして受け入れたということだ。 ほかの金魚たちにいじめられはしないか、十分にえさを食べているかとことさら大事に見守っていく事だろう。 「メナちゃんって言う名前はあんまりねえ・・・。」 とアユコは笑って、首をかしげる。 「独眼竜って誰のことだっけ。ああ、そうそう、丹下左膳なんて人もいたっけねぇ。」 結局、オニイとアユコ、二人して密かにメナちゃんに「タンゲ」という、男らしいあだ名をつけた。 どっちにしても、水草の間をチラチラとすばやく泳ぎまわる隻眼の小さな赤い赤ちゃん金魚にはあまり似つかわしい名前とは思えない。
クワガタやカブトムシなど自分のペットのことに手一杯で金魚のことにまで気が回らないゲンも含めて、我が家の4人の子どもたちの中から誰一人として、奇形の金魚を捨ててしまおうとか、交換して来ようとか言う者が居なかったことがちょっとうれしい。 たとえ障害があっても、先天的な病気があっても、「この子は我が家に来るのが運命の子」と甘んじて受け入れる。そういうやさしさがちゃんと育っているということだから。 独眼竜の小さな金魚がそのことを母に教えてくれた。
2005年08月04日(木) |
夏の子どもたち 2題 |
起き抜けのアプコがすりすりと寄って来て、おはようもいわずに何を言うかと思ったら、 「おかあさん!ティッシュってすごいねん!一枚取っても、ぜったいすぐにまた次のが出てくる!」 それって、いま目覚めて、はじめて発見した事ですか? はぁはぁ、すごいねといい加減なあいづちを打っていたら、 「ねぇねぇ、知ってる?ティッシュってみんな、2枚重なってるねんで。」 とご丁寧に、引き出したティッシュを丁寧に裏表、2枚にほぐして広げて見せた。 ほー、それはすごいねと言ってやったら、ようやく得心してティッシュをひらひらさせながら、どこかへいってしまった。 お嬢さん、ティッシュはあなたが生まれる前から、ずーっと2枚がさねですよ。 それにしても、あなたの朝は初めての驚きに満ちているんですね。
ことし受験生のオニイ、部活の日程も消化して、いよいよ夏休みの後半戦に入る。 暑い自宅でのダラダラ生活を打破しようと遠くの図書館へ学習室の偵察に出かけていった。意気込みだけは買うが、この炎天下に図書館への道のりは自転車で30分。行きかえりの暑さだけで既にくたくた。 すずしい図書館で涼をとって、再びサイクリング30分。なんだかとっても効率が悪い気がするんですが・・・。 おまけにオニイ、問題集を入れていった紙袋にはちきれんばかりのたくさん本を借りてきた。 はぁ、受験勉強をしにいって、その推理小説の山はなんですか。 それをいつ読むつもりですか。 なんだかとっても効率が悪い気がするんですが・・・。 「ほっといてくれ、久しぶりに大きな図書館へ行ったら読みたいと思ってた本がいっぱいあったから、はしゃいでしもたんじゃ。」 母の皮肉に決まり悪そうにへしゃげるオニイ。 フンフンそれもよし。気持ちは分かる。 受験生とはいえ、「やりたい事がな〜んにもない、退屈じゃー」ととぐろを巻くよりも、「読みたい本がありすぎて困ってしまう!」と凹むオニイの方が好ましい。 ま、勉強もしっかりな。
アプコ、連日のプール通い。 オニイ、オネエの小さい頃から、我が家の夏休みの前半は意地のように皆勤に、村の小さな低学年用のプールへ通う。 若宮のプールは村の運営で毎年小さい子ども達に無料で開放されており、毎日お母さんたちが交代でプール当番や掃除に携わる。幼児から3年生までの小さい子達のためプールだ。 本来ならアプコはもう一年生なので一人でいってもよいのだけれど、行きかえりの道中の心配もあって、相変わらず母の付き添いつきだ。大きな浮き輪とプールバッグを車に積み込み、ブルルンとプールへ向かう。 青いプールで嬉しげにはしゃぐ子ども達を見ながら、母は木陰で2時間、「暑い暑い」と愚痴りながら無為の2時間を過ごす。 こんな夏がもう、9年も続いている。
一年生になった今年、初めて学校でバタ足や伏し浮きなど水泳らしきものを教えていただいてきたアプコ。 去年まで大事に抱えていた浮き輪を手放し、何度も何度もプールの端から端へと往復して、自己流の泳ぎの練習に余念がない。 「おかあさん、みてみて!」 と大きく腕を廻し、バタバタと派手な水しぶきを上げてバタ足をして、そろそろと進む。どうやらクロールのつもりらしい。そのフォームは自己流なので腰は曲がってくねくねと半分沈んでいるし、腕も終いには犬掻きのようになって、傍から見ていると「溺れたか?!」と見紛うような動きだが、アプコははじめてのクロールの感覚が嬉しくてたまらない。 近頃では、幼児の頃からスイミングスクールに通う子が多くなった。一年生でも驚くほど綺麗なフォームのクロールですいすいと泳ぐ姿を見ることも多い。学校の水泳指導でも、既に上手に泳げる子が多くなって、昔ほど「水に慣れる」「水に顔をつける」等と言う初歩的な段階で躓く子は少なくなっているのだろう。全体として、その年齢で期待される泳力の到達基準と言うのは上がってきているようだなと感じる。 アプコのように真っ白な頭で、バシャバシャ水遊びの状態から学校の授業ではじめて泳ぎを習う子は少ないのかもしれない。
それにしても、アプコの嬉しそうな泳ぎっぷりはどうだろう。 日に焼けた小さい体を十二分に動かして、水にもぐり、水に浮かび、ことさらに水しぶきを上げて歓声をあげる。水の中で新しい動きを一つ、また一つと経験していく事が楽しくてたまらないのだ。 そんな楽しい遊びの中で「あ、いま、浮いた!」という発見や「アタシって今、いるかみたい!」という感覚や、水の中ででんぐり返って天地が混乱してしまう楽しさを一つ一つ獲得していく。 こういう泳ぎの学び方も、それはそれでなんだかいいよなぁと思ったりする。
水のなかで、しばし魚に戻るアプコ。 速く泳ごうとか、もっと遠くまで泳ごうとか、そんな目当てもなしにただただ水に親しむその楽しみだけのために泳ぐ幼いアプコの無心がなんともいとおしい。 いるかになったアプコの歓声を聞く。 そのためだけに、母は連日の猛暑をおして、プール番に出かけていくのだ。 親バカと笑うしかない。
ガスコンロが壊れた。 少し前から予兆はあった。 着火しにくかったり、過熱センサーがでたらめに働いて勝手に消火していたり。電池切れかと思って新しい電池に入れ替えたり、バーナーの掃除をしたりしてみたがなんとも頼りない。 一昨日の夕方、剣道の稽古のために、大急ぎで早めの夕食の準備に取り掛かろうとしたとき、ついにコンロは点火プラグのカチカチという音さえしなくなってしまった。仕方なく、ライターを探してきて手動で点火を試みる。 昔はよく、コンロを点火するために大きな箱のマッチを擦ったものだが、最近ではうちの中にマッチというものがない、ありきたりの百円ライターでは指先が炎に近すぎて火傷をしそうなので、ライターの火を使い古しの割り箸の先に移して、点火つまみを開く。なんとも面倒な作業だ。 おまけにてんぷら用の加熱センサーのついたほうのバーナーの火は、手動で点火してもつまみを放すとすぐに火は消えてしまうらしく、使い物にならない。 お急ぎご飯の準備の時間にとんだ番狂わせ。 ひどい目にあった。
翌朝、いち早く修理にやってきたのは、メーカー派遣の若いお兄さん。 「いやぁ、道に迷いました。」 と、汗を拭き拭きやってきた。 「修理に来ていただくんで昨日、久しぶりにコンロの大掃除をしましたよ。」と言う私に、「ははぁ、どこのお宅もそうおっしゃいますね。コンロ周りの掃除は面倒ですから・・・」と床にゴムのシートを引き、コンロ台の蓋を開けて修理に取り掛かる。 外側はきれいに掃除したつもりでも、コンロの内側には長年の油汚れやこぼれ食品のかけらがびっしりとこびりついていて、恥ずかしい。 自分ちの油汚れでもいやになっちゃうものだから、あちこち知らない家の油汚れや食べ物かすにまみれたコンロを修理に回る仕事って大変だよなぁと思う。 「奥さん、大変申し訳ないんですけど・・・」 長い事かかって、あちこち調べていたお兄さんが口を開いた。点火装置の部分に入っているコンピューターのようなものがこわれているという。部品を取り替えればいいのだが、他の部分も直すと部品代だけで2万円くらいかかりそうだ。ついでに新品の値段を訊くと、同じタイプのものが5,6万円。使用年数7,8年なら、買い替えも考えてもいいかも知れない。 どちらにしても、部品の在庫がないので、取り寄せには日数もかかる。 「ま、よくお考えになって、修理の場合はもう一度お電話下さい。どちらにしても部品はご準備しておきますから・・・」 と、いかにも申し訳なさそうに頭を下げる。 「今日の修理代は?」と訊くと、 「直りませんでしたから・・・。」とやはりまた頭を下げる。 あらら、申し訳ない。汗を拭き拭き苦心してくれたのに・・・。 代わりにと帰り際に冷たい缶コーヒーを渡したら、これまた「すみません、すみません」と何度も頭を下げる。 本当に腰の低いお兄さん。
さてさて、2万円の部品代と6万円の新品のコンロを天秤にかける。 どちらにしても、この時期、予想外の出費は痛い。ちょっと前に家電の買い替えラッシュがひと段落したかと思っていただけに、ガスコンロとは予想外だった。父さんに相談すると、「もう買い替え時じゃない?」と即答してくれる。 いつもプロパンガスを入れてくれている業者さんに電話すると、その日のうちに製品のカタログを持ってきてくれるという。 夕方、これまた汗を拭き拭きやってきたガス屋のおじさん、カタログの一番安い標準型のコンロに赤丸がついたのを開いて見せた。 「どうせ買い換えるのなら、今度は両面焼グリルのもいいなぁ。だいぶ高くなるのかなぁ。」と呟いていると、横から父さんが「ちょっとぐらいなら高くてもいいよ。」と勧めてくれる。 訊いてみると、それだと2万円くらい高くなる。差額に躊躇していると、ガス屋のおじさんが口を挟む。 「ま、両面焼けるといっても、実際使ってみると途中でひっくり返したりせな、うまいこと焼けんという方もおられますなぁ。」 それもそうだと、「いいです、片面焼のほうで・・・」というと、今度は父さんが「せっかく欲しがってたんだから、両面のほうにしたら」と、押し問答になる。 それを見ていたガス屋のおじさん、 「奥さん、普通は逆でっせ。奥さんがグレードの高いのを欲しがって、だんなさんの方が大抵、安いのでええやないかとおっしゃいますわ。」と笑う。 あら、そう。 でも、おじさん、あなたも商売なんだから、値段の高い両面グリルを勧めたほうがいいんじゃないの?最初ッから一番安い標準型しか売るつもりなかったでしょ。 主婦のけちん坊とガス屋のおじさんの商売っ気のなさにかこつけて、結局片面焼ホーロートップのコンロを注文する事になった。
製品の取り寄せを待つ数日。 手動点火の不便さをやり過ごしつつ、お払い箱決定のコンロを磨く。 昔のステンレス製のコンロとは違って、ビルトイン式のホーロートップのコンロの汚れはちょっと念を入れて磨くと思いがけず綺麗になる。もう一段、掃除がラクという流行のガラストップコンロだと、どんなに綺麗になるんだろう。 けれども、本来の煮炊きの機能がだめになっても、表面の汚れが新品のように綺麗に落ちるコンロというのもなんだか悲しい。 昔のステンレスのコンロなら、お払い箱になる頃にはその外見も、こびりついた油やこぼれかすで相応にみすぼらしくなって、買い換えても惜しくない 気持ちになったものなのだけれど・・・。
夏場、窯に火が入っている時の工房は暑い。 埃っぽい扇風機の風も熱を含んで生暖かい。 乾燥室の扉の前のひいばあちゃんの釉薬掛けスペースは、窯にも一番近く、風の通り道からも外れているので、座っているとじわじわと熱気が溜まってくる。窯をあけたり、乾燥室の扉を開けたりすると、ぐわっと厚みのある熱風が押しよせて、さながらサウナ室の熱さだ。 そのくせ、隣接する玄関のスペースは、来客者を迎えるため、いつもかなりきつめの冷房が入っていて、出入りのたびにその強烈な温度差に頭がくらくらしそうになる。 製陶業の夏の暑さは厳しい。 傍らに置いたペットボトルの水分を何度も口に運びながら、父さんはもう何十回もこの仕事場で夏を過ごす。 目に見えない細かな埃状の土と釉薬がいつも空気中に舞っていて、汗で湿った肌や衣服にまとわりつくように積もっていく。 夜、帰宅した父さんが脱ぎ捨てる作業用のジーンズやエプロンは、汗と埃を吸ってどっしりと重い。
この間から、父さんが工房の天井を見上げてしきりに首をひねっていた。 築後30年近い工房の窯場部分の天井は、鉄骨むき出しの工場仕様。 長年の埃が積もった天井は煤だかなんだかで黒く汚れている。 「やっぱりこれもアレかなぁ・・・。」 TVや新聞で話題のアスベスト。 表面だけ見ていると、いかにもそれっぽい感じの繊維質のでこぼこが見えているし、それもかなり老朽化している。 これがホントにソレだったら、ここで毎日朝から晩まで仕事をしている父さんやひいばあちゃん達は、有害物質を長年にわたって吸引しまくっているなぁと空恐ろしくなる。 幸い義兄が工房建築当時の業者さんに改めて問い合わせてくれて、工房の天井材は石綿ではなくて、「ロックウール(岩綿)」と言われる比較的粒子の大きい建材が使われていることが分かり、ホッとする。こちらのほうは吸塵の危険性は当然あるものの、アスベストのような強い発がん性は認められていないのだそうだ。 それでも、見た感じはニュース映像で見るアスベスト建材とそっくりだし、工房においでになるお客様や見学者の心証もよくないというので、むき出し部分を新たな化粧板で覆う工事が近々入る事になったという。 この忙しい時期に、工房の動きを止めての改装工事も気の重い話ではあるけれど、とりあえず毎日工房で働く人に深刻な健康被害はなかったということで一安心。
一日の仕事を終えて、夫が持ち帰ってくる汚れた作業着。 その汚れの具合から「ああ、今日もたくさん仕事をしたのだな。」と思いながら、ザブザブと洗濯機を廻す。ズボンのヘリやエプロンのポケットからは思いがけなく細かい粘土の粉や釉薬の粒子がざらざらとこぼれ出てくることもあって、まるで砂遊びを楽しんだ後の子どもの遊び着のようだ。 洗濯機の中にザラリと粒子の感触が残る事もあって、「うちの洗濯機の寿命はこのせいで短くなるのかもしれない。」と思ったりする。 そのくせ、膝までべったりとベンガラの赤が染み付いたジーンズやこぼれた釉薬でコーティング加工されてしまったエプロンを洗うたび、今日の日のとうさんの仕事が滞りなく終わり、充実した制作の時間が費やされた事を嬉しく感じたりもする。
アスベスト被害者の中には、直接アスベストを製造したりそれを使って仕事をしたりしていた人ばかりでなく、そういう仕事に携わる夫の作業着を毎日洗濯していたであろう主婦も複数含まれていると言う。 夫の一日の労働の成果を思いやり、ホッとする思いで洗濯機を廻し、パンパンと叩いて日なたに干し物をする。 そういうささやかな日常の一こまが、知らぬ間にヒタヒタと主婦の健康をも蝕み続けていたと言うことの悲劇を改めて思う。 なんだかとても他人事とは思えない。
午後からゲンとアプコを地域の集会所に送っていく。 子ども会で来週の市の夏祭りに出品する子どもみこしをこしらえるのだという。 昨年は、「えーっ、いくのぉーっ?」という感じで参加を敬遠していたゲンが珍しく自分から参加したいというのでアプコ番を兼ねて参加させる。 実際に行ってみると、集まってきているのは女の子たちが多くて、数少ない男の子たちも低学年の子たち。同学年の友達も居ないようなのでちょっとかわいそうかなと思ったけれど、本人はいたって平気らしい。子供会の役員さんたちの間に混じって、結構楽しく工作を楽しんできているようだ。 こういうゲンのこだわりのないマイペースぶりはなかなかいい。
今年のゲンは昨年に比べていろいろなことにかなり積極的だ。 これまで、苦手だな、面倒だなと思っていたこと、ちょっとだけ気後れして避けて通っていたことにも、「ちょっとやってみようかな。」と思い切って飛び込んでみる、そういう心意気というか、積極的な勢いが感じられる。 周りから自分が評価され、認められていると感じられることが、自信を持って新しいことに挑戦していく推進力になっているようだ。 そのてらいの無いまっすぐな一所懸命振りが気持ちいい。 この男、今が旬、輝いている盛りなのだなぁと思ったりする。
「ゲン、アプコを頼んだよ。なんかあったら、階下の公衆電話で電話かけといで。」 と、十円玉を数枚渡して帰る。 炎天下の山道を子供たちだけで歩かせたくないので、帰りのむかえを約束して帰ったのだけれど、なんだか思いがけなく早く終わったらしくて、ゲンとアプコが二人そろって、歩いて帰ってきた。 「電話、かければよかったのに・・・」 というと、 「あそこの公衆電話、こわれてたんだよ。」とか、「迎えに来るのも大変かなと思って・・・」とか、どうも歯切れの悪い答えが返ってくる。 ふぅん、そっか・・・と聞いていたんだけれど、忘れた頃になって、ゲンがポツリと呟いた。 「ねぇ、廻す電話ってどうやって掛けるの・・・」
廻す電話・・・。 あああっ!そうか。 会館の電話、旧式のダイヤルの電話なんだ! へ?もしかして、ゲン、ダイヤルの電話、掛けられないの? うん、だって、ほかで見たことないし・・・ そりゃそうだ。 ゲンが生まれた頃には、もう、世間の電話はほとんどがプッシュ式。 幼児が喜ぶ電話のおもちゃでさえ、電子音がピ、ポ、パとなるプッシュ式の電話ばかりだったじゃないか。
ダイヤルの廻したい数字の所に指を入れて、ゆっくりと廻す。 銀色のツメの所まで廻したら、指を離す。 ジーッとダイヤルが勝手にもとの位置に戻るのを待つ。 次の番号を廻す。 私たちが子どもの頃には、いたって当たり前だったダイヤル式電話の掛け方の手順をレクチャーしながら、ジーコ、ジーコとのんびり間延びしたダイヤルの戻る音を懐かしく思い出した。 ふーん、アレはもうゲンの世代の子ども達にとっては過去の遺物に成り果ててしまったのか。
それで、ゲンは電話が掛けられなかったのだ。 たかが公衆電話。 周りの大人に、「この電話、どうやって使うの?」とも言い出せなかったのだろう。 故障していたとかなんとか、電話が掛けられなかったことをあれこれ言い繕っておきながら、ちょっと時間が経つと、やっぱり「廻す電話」の使い方を母に問わずにいられなかったゲンのあふれる探究心。 これもまた、ちょっと可笑しくて、ちょっと可愛い。 いいよいいよ。 そのままで行け。
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