月の輪通信 日々の想い
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最近、父さんが朝食前に出かけていく。 いつもの工房での朝駆けの仕事ではなくて、ペットボトルのお茶を持ち、古いジョギングシューズを履いて、1,2時間。 どうやら近所の山を歩いているらしい。 先日、父さんは家に送られてきた旅行会社のパンフレットを眺めていて、突然、「来月、富士山に登ってくる。」と言い出した。 富士山は、これまでも父さんの作品製作のテーマの一つになっていて、遠景としては何度か取材に出かけて写真もたくさん撮っているのだが、実際に自分の足では登ったことがないということが、昔から気になっていたらしい。パンフレットには初心者向けの登山ツアーが載せられていて、これなら行けそうと判断したようだ。その日のうちに忙しい仕事の予定をやりくりして、お盆あとの2泊3日のコースを申し込み、ガイドブックまで買い込んで来た。 朝の登山はどうやら、その富士山登山に向けてのトレーニングで、日ごろの運動不足と筋力低下を促成栽培で解消しようと言う目論見らしい。 恐るべき行動力。 新しいことを始めるのが億劫で、つい始める前に躊躇してチャンスを逃してしまいがちな私には、まぶしいばかりの決断力だ。 見る前にとりあえず跳んでみる。 実現するために、一つ一つ小さなことから取り組んでいく。 その堅実な行動力が父さんの作品や生き方を支える一番太い柱なのだと私は思う。
「自分がやりたいこと、自分が欲しいものを手に入れるためには、ああいう決断力や行動力って大事だよね。」 私と同様、「逡巡派」のオニイに自戒を交えたお説教。 進路のこと、将来の仕事のことなど、物思う事の多いオニイには、未明からの一仕事を済ませて靴を履き替え、せかせかと山歩きに出かけていく父さんの後姿はどんな風に映っているのだろう。 思い立ったが吉日とばかり、ふいと新しい目標を見つけて歩き出す父さんを「あらまぁ、なにやってんだか・・・」と見送る私。 クワガタやカブトムシに熱中し、勝手に次々と飼育ケースを増やし、いつの間にか周りを巻き込んでいくゲンを、「ある意味、うらやましい奴だな。」といいながら見守っているオニイ。 私とオニイは、多分同じようなまぶしい目をして、誰かの「無鉄砲」を見上げている。 「私もいつか跳んでやる。」 「僕もいつか見つけてやる」 胸の中の深いところで、ふつふつと燃える小さい青い炎を抱きながら・・・。
キャンプから一時帰宅して、小学校の和太鼓の練習に行くゲン。 小学校の御神楽の踊りの練習に、OBとして先輩風を吹かせに行くアユコ。 初めてのキャンプの楽しい寝不足分を一気に爆睡するアプコ。 新しく紹介していただいたデッサンの先生に初対面のご挨拶に行くオニイと父さん。 相変わらず今日も、みな思い思いに散っていったり、「暑い、暑い」ともどってきたり、なんとなくあわただしい。
そんなバタバタの合間を縫って、短時間、父さんの仕事場に入る。 焼きあがった作品の「目あと」取りやシリコン塗り、白絵の釉薬掛けや透明の釉薬の下塗りなど、こまごました用事を二つ三つ片付ける。 これまで、ひいばあちゃんが仕事の合間にちょこちょこ片付けてくれていた簡単な雑用のうちのいくつかを、最近私も少しづつ習い覚えるようになった。 今日の作業は、数物の食籠の透明釉がけ。 いつもひいばあちゃん手際よく釉薬掛けをしている作業場に、なんとなく居心地悪く腰を下ろして、大きな刷毛で釉薬を塗る。 「こうやって、手のひらで少しづつ回しながら、塗りムラや荒い刷毛目が見えないように、まんべんなく・・・」と父さんが、鮮やかな手つきでお手本を見せてくれるのだけれど、なかなかそううまくはいかない。 器の中に手のひら全体をすっぽりと入れ、そのまま左手だけで器を滑らせるように回転させながら、まんべんなく塗る。 刷毛を操る右手よりも、手の中でリズミカルに器を回転させながら支える左手の動きの方が難しくて、いつも一旦、刷毛を置き、あいた右手を添えて器を回す私の作業はやたらとモタモタして、みっともない。
「ねぇねぇ、父さん、器を回すとき、器の中で父さんの手は一体どうなってるの?」と聞いてみる。いつも、お手本を見せてくれる父さんの手。 ただ見ているだけでは器の中の左手が、どんな風に動いているのかがよくわからない。 「どうなってるのって言われても・・・」 といいつつ、改めてもう一度お手本。 よく見てみると、べったりと手のひらを器の底につけて支える私と違って、父さんは指を立て、5本の指と親指の付け根のところで器全体を支えている事が判明。なるほど、指先をたてて使ったほうが、手際よくスムーズに回転させる事ができそうだ。 「ああ、なるほどね。」 理屈が分かると、すぐに私にもできそうな気がして、さっそく器を手に取る。 フンフン、プロのコツって、言われてみれば結構単純なものなんだ。 ・・・と素人はすぐに調子に乗る。
・・・で、ものの数分で思い知ったこと。 指先だけで器を支えるためには、私のお子様仕様のずんぐり短い指では、いまいち安定感がないということ。 そして重い食籠を片手で支えて、しかもくるくると回転させるためには、ぐわっと大きな手とともに、その重さに耐える強靭な指の力が必要なのだ。 残念ながら今の私には、そのどちらをも持ち合わせていない。 私の職人修行もなかなか前途多難だなぁとため息をつく。 いつも、さほど疲れた様子も見せず、子どもが戯れるような軽い手つきでなれた作業を次々にこなすひいばあちゃんの節くれだった手を思う。 決して大柄ではないひいばあちゃんの手指は、思いがけなく大きくぱっと開く。あの指なら、きっと重たい器も左手だけで軽々と支える事が出来るのだろう。 仕事の年輪が、そのまま、作業に適した職人の手を作る。 「年季」という古めかしい言葉の重みを感じる。 にわかパート職人の私には、なかなかたどり着けない道のりでもある。
ところで、過酷な農作業や連日の水仕事の苦労も経験しない、マメもささくれもひび割れも知らない甘やかされた専業主婦の手。 ふわふわと頼りない、指輪もマニキュアも似合わない、ずんぐりと短い指の私の手は、いったい何に適した手なのだろう。 ざくざくと米を研ぎ、洗濯物をたたみ、時には子どもたちの頭をわしゃわしゃと撫で回す、そういうことの得意な手であればいいと思ったりする。
夏休みに突入して、どっと増えたこと。 洗濯機でざぶざぶ洗うタオルの枚数。 三度の食事のたびに炊くお米の消費量。 「かたづけなさい!」「ごろごろしない!」「パソコン中止!」と繰り返す小言の数。 そして、日に何度も沸かしては冷ます冷茶用のお湯の量。 昨日はついに一日に5回、お茶を沸かした。 「ただいま!」と帰ってきては、冷蔵庫に直行、がぶがぶと流し込む冷たいお茶。炎天の元、外出する子どもたちには水筒のお茶も必需品だ。
「そろそろ、なくなる頃じゃないの?」と実家の母から電話が掛かってきたのはつい数日前のこと。 そして今朝一番に、実家からの待望の小包が届いた。 子ども達の喜ぶ小さなお菓子をよけると、包みの奥から出てくるのは大きな枕のようなビニルの包み。 神戸南京街のプーアル茶の茶葉の包みだ。 我が家の冷茶は昔からずっとこのプーアル茶。実家の母がわざわざ南京町で買って送ってくれる。決して上等のお茶ではなくて、1kgの大袋が1000円ちょっとの徳用品だ。このお茶っぱは、ほんの一つまみでやかん一杯分のお茶が取れるので、たくさん使っても大袋ひと袋で数ヶ月の使い出がある。 近所でも、よく探せばティーバッグになったプーアル茶を店頭でみかけることもあるけれど、やっぱりたっぷり入った大袋からざっくりと大雑把にすくって使う気軽さがいい。 だから小出し用の茶筒の残りが少なくなると、「お母さん、そろそろお願い!」とおねだりの電話をする。母のほうも心得たもので、買い物のついでにいつも同じ店の同じ包みの買い置きしておいてくれたりする。 毎日毎日子ども達ががぶ飲みするお茶のほぼ全てを、母が送ってくれるこのプーアル茶でまかなう。
「アプコのプールは今年も皆勤だ!」 「オニイは学校、アユコは習字に出かけてる・・・」 「ゲンはまた虫取りに行っちゃったよ。」 あちこち飛び回って忙しい夏をすごす子ども達も成長を、遠くからそっと見守って、「そろそろ、なくなる頃でしょう?」と定番のお茶の心配をしてくれる。そんな母の心遣いが嬉しい。 新しいお茶っぱの封を開ける。 香ばしいお茶の香りと共に、実家の両親と我が家の子ども達を結ぶ穏やかな暖かい絆を想う。 有難いと思う。
近頃、オニイが妙な言葉を発する。 「オニイ、まだいかなくていいの?遅刻するよ!」と声をかけた返事が「むう。」 「オニイ、洗濯物だしといてね。」と階下から呼んだ返事も「むう。」 「馬鹿だな、何やってんの。しっかりしなさいよ。」と説教をした返事も「むう。」 「お兄ちゃん、アンパン食べよ」と機嫌よく擦り寄ってきたアプコへの返事も「むう。」 「うん」とか「はい」という意味の「むう。」だったり、「わかってるよ、うるさいなぁ」という不服そうな気配のする「むう。」だったり、「わかったわかった、ありがとね。」という意味のやさしい「むう。」だったり。
「変なの。そんな返事の仕方、流行ってんの?」 と聞いても、あいまいに笑うばかり。 別に友達間で流行しているのでもなく、愛読する劇画の主人公が使う言葉というわけでもないらしい。 はっきりした肯定や拒絶の意味でもなく、かといって無言で無視するのでもなく、あいまいに意味を濁してオニイの口から漏れる「むう。」という言葉。 「変なの」といいながら、なんとなく気の抜けたユーモラスな響きを持っ「むう。」という言葉がいつの間に家族の生活の中にひたひたと入り込み、気がつくと、私までオニイの口癖が感染して、「おかあさん!おかあさん!」と呼ぶゲンに「むう。」と緊張感のない返事をしていたりする。 「やだなぁ、感染っちゃったよ、オニイの『むう。』が。」 ぐちぐち文句を言う私に、オニイが相変わらずの無表情で「むう。」と答える。 「そんなこといわれたって、知らねぇよ。」の「むう。」
先日の個人懇談の内容もあまり思わしくなくて、志望校のこと、将来の仕事のこと、兄弟や父母との関係のことなど、近頃とみに思い煩うことが増えているらしいオニイ。 虫取りに興じ我を忘れて遊びまわるゲンや、クラブのほかに生徒会活動にも積極的に取り組み、そのくせ学業のほうもそこそこの点数を取ってくる出来のよい妹を横目に眺め、毎日バリバリと仕事をこなす偉大な父の背中を見上げて、オニイの中にざわざわと心騒ぐ複雑な思いがあふれそうになっているのがよくわかる。 だからといって、親に向かって反抗的な言葉を吐くわけでもなく、弟妹たちに威圧的な態度を示すわけでもない。意味なく周りにあたったり言い争ったりすることを嫌う心優しいオニイは、「ああ、ああ。判りました!僕が悪かった!ごめんなさい。」と先に謝って些細ないさかいを丸めて飲み込んでしまおうとする。ちっとも自分のほうが悪かったなんて思っても居ないくせに。 これもまた、思春期の男の子たちが経験する無愛想や反抗や激しい感情の爆発のオニイなりの形なのだろうか。
「うるさい!」 「駄目!駄目!」 「ばかやろう!」 「そうじゃないんだ、ほんとはね・・・」 「判ってよ、僕のこと」 気の抜けた、おどけた響きを持つ「むう。」という言葉の中に、オニイが親や兄弟に向かってはっきりと投げつけることのできない激しい感情や訴えの気持ちのかけらがポロリポロリとまぎれて光る。 友達も兄弟も、TVのタレントも劇画の登場人物も使うことのない「むう。」というオニイだけの言葉の中に、彼自身のオリジナルな自分を主張するささやかな自負の気持ちが、混じっているようにも思われる。
「今日は調子いいね。」 珍しくご機嫌よく、弟たちと遊び興じた後のオニイに声をかける。 「むう。」 それはちょっと照れくさそうな、上機嫌の「むう。」 にやっと笑うオニイの、思いがけない幼さの名残が見える笑顔に、母は少しほっとしたりする。
7月17日、アユコの誕生日。 誕生祝いとしてアユコが選んだのは、隣市の新しいショッピングモールでのお買い物。 安い洋服を何枚か選び、かわいい雑貨の店を時間をかけてみて回り、お昼のスパゲティーのあとに甘いクレープを頬張って、うれしそうに笑っている。 最後に、いつもよりちょいと上等の洋菓子屋さんで自分のバースディケーキを選ぶ。 ごくごくささやかなウィンドウショッピングの一日。 ついこの間まで、「格別欲しいものもないし・・・」といっていたアユコも、娘らしいショッピングの楽しみがわかり始めたようで、「楽しかった。」「ありがとう、またつれて来てね。」と何度も繰り返す。 普段は、ご近所のスーパーにアプコ連れで出かけたり、父さんの車で家族そろって出かけたりする買い物が多く、こういう女の子の当てもないぶらぶらショッピングの楽しみがアユコには新鮮なのだ。 ようやく娘とこういう時間を一緒に楽しめるようになった母も楽しい。
自分の楽しみのための買い物のさなかにも、 「これ、オニイに似合いそう・・・。」とか「きっとアプコが欲しがるよ」と家族の顔を思い浮かべるアユコはやさしい。 「でも今日はアユコの誕生祝なんだし。」と、お互いに首を振って、アユコのための買い物に専念しようとするのだけれど、ついついまたゲンの半ズボンを選んでいたりする。これもまた、兄弟が多いことのいいところだったりもする。
アユコが今日買った服は、インド綿の半そでシャツ1枚。白地にイラスト入りのTシャツ1枚。カットソー1枚。白地に花柄のスカート一枚。 どれもアユコ好みのブルーやグリーンの淡い色合いのボーイッシュな感じのものばかり。 冒険はしない、人目を引く華やかさは求めない、それでも自分の好みの線は堅く曲げない。そういうアユコの気真面目さそのままのチョイスだった。 服のサイズも、子供サイズの150と大人の婦人サイズのSが入り混じる。 大人以下、子ども以上の微妙なお年頃なんだなぁと思う。
アユコ13歳。 おめでとう。
小学校、校区懇談会。 PTAの主催で地域の集会所に保護者が集まり、先生方も交えて子ども達の日常や学校生活について話し合う恒例行事。 課題は昨年に引き続いて、「子どもの安全について」 子どもを持つ人たちが今一番心に留めている事は、子ども達が犯罪や事故にあうことなく、元気に学校に通える事。 こんな田舎の小さな町にも子どもを脅かす小さな心配の種はそこここに落ちている。「水と安全はタダ」といわれたのは、もう過去の話。 「地域で子ども達を守ろう」がスローガン。 ホントに喜んでもいいのやら。
と言うわけで、今年は地域の交番のおまわりさんが出張講師としてやってきて、地域の犯罪発生状況や防犯の心得をいろいろ講義してくださった。 講師は、ごく最近まで警察学校の教官のお仕事をなさっていたと言う元気なおまわりさん。 「えー、私の名前は、タカミツといいまして・・・」 と元気よく自己紹介をなさる。ホワイトボードに「高光」と大きな文字で書いて、その隣にマッチ棒のような人型を添える。そしてその頭の部分にご丁寧に赤いチョークでピカピカと後光のように光り輝くしるしを書き込む。 このあたりになって、お話を聞いているお母さんたちのなかからクスクスと笑いが起こった。 「高く光る。高い所が光ってる。ホンマに見たマンマの覚えやすい名前でしょう?」とお巡りさんは笑って頭をかいた。 そう、講師役のおまわりさん、まだまだお若い口ぶりなのにてっぺんの方の御髪がかなり寂しい。ゆで卵の様なつややかなヘアスタイルで笑っておられたのだ。そのあっけらかんとしたアピール振りが楽しくて、その場のお母さんたちの雰囲気もぐっと柔らかくなった。 「ツカミはOK」と言うヤツだなぁ。
自分のことにしろ他人のことにしろ、その容姿や外見のことをあからさまに口に出して言うことは何となくはしたない気がして好きではない。自分の容貌や体型についてのコンプレックスを人からとやかく言われたくないという気持ちでもあるが、たとえそれが人から褒められるべきよいほうの事柄であっても、そのことをおおっぴらな話題にするのが何となくはばかられる。 「最近ふとったんじゃない?」とか、「やあ、お互いすっかり白髪になっちゃったね」とか挨拶代わりの軽い言葉にも、小さな棘を感じてウッと嫌なものを呑み込むことがある。 そういうことが話題に上ること、その外見が普段人から見られ評価されている事を思い出さされること自体が、イヤなのだ。
よくTVに出てくるタレントで、太っている事とか頭髪が薄いこととか容貌が著しく劣っている事とか、そういう自分の外見上の「欠点」を売り物にして笑いを取ったり、人気を博したりする人たちがいる。 ああいう世界の人たちだから、自分のコンプレックスや外見のウィークポイントを他人から「イジッて」もらって知名度を上げることも、仕事のうちなのだろう。 そのあっけらかんとした開き直りはまぶしくもあり、周りも盛り上がって他人の欠点を嘲笑する事で笑いが作られる。他人の容貌や外見を笑うとき、人は実に楽しそうな嫌な笑い方をする。その人に対する自分の優越を腹の中でひそかに暖めながら。 人から「デブ」と弄ばれ自分も高らかに笑っているタレントの中に、時々コンプレックスを衝かれた人の淡雪のようなかすかな痛みの表情がすっと通り過ぎるのを発見することがある。 私はその種の悲しみが嫌いだ。
今日の講演のお巡りさん。 壇上に立ったとき、瞬時に会場の人の目が自分の頭髪に注がれ、軽い笑いの空気が流れた事を感じられたのだろう。これまでの人生の中で何度もそういう空気を経験してこられたに違いない。お話を聞けば子どもさんもまだ小さく、ヘアスタイルから察せられる年齢よりはずっとお若い。いわゆる「若**」というヤツなのだろう。 頭髪の悩みを人知れず抱えてコンプレックスに感じる男性は多い。 このお巡りさんも、日焼けして汗の光る額に年齢相応の前髪が垂れていたなら、もっと若々しい男前に見えたに違いない。ご本人も日に日に薄くなっていく自分の頭髪のことを憂鬱な思いで惜しむ事もあっただろうと思う。
「名は体を表すといいましてね・・・」 と、マッチ棒人形の後光を2,3本描き足して、ささっと名前ごと消してしまったお巡りさんの笑顔には、微塵の卑屈さもコンプレックスも感じなかった。こういう自己紹介をもう何十回もいろんな場面でなさってきたのだろう。 けれどもそのあっけらかんとした明るさは、慣れや諦め、開き直りによるものではない。 「286、この数字が何の数字かわかりますか。 明治以来この大阪での警察官の殉職者の数です。 警察は日々、命懸けで地域の安全や安心のための仕事をしています。」 冗談やユーモアの間に、「命懸け」などという強い言葉をおざなりなスローガンとしてではなく、真摯な言葉としてさりげなく織り込む事の出来る強さ。 それは、この人の仕事に対する強い使命感や誇りという、その心棒の確かさによるものなのだろう。
巷では警察官や教師、政治家など、人から信頼されるべき立場の人たちの不祥事や事件が溢れる中、淡々と職務を守る人のさわやかな強さを見つけた。 私はこの人の普段のお仕事振りを知っているわけではないけれど、どこか少しホッとできる気がした。
従業員のNさんが急病で入院して、十日あまり。 いつもはNさんが一手に引き受けてくれていた荷造り仕事に追われる一日。 梱包用の包装紙や宛て紙を裁断したり、桐箱用の織紐を切りそろえたり。 義母と一緒に荷造り場にフルで入っていた頃にはイヤと言うほどやりなれた作業ではあるが、Nさんが荷造りの仕事を取り仕切ってくれるようになってからここの仕事は少々ご無沙汰気味。 仕事場の道具の配置やら、荷物の発送の手順やら、梱包のやり方が微妙にNさん方式に変わっていて、どうしても「ヨソの職場」で作業をしているような違和感が抜けない。
作品梱包用の黄色い布地を裁断する。 大きな作業台の上に布地の束を広げ、作品の大きさに合わせてピンキング鋏でジャキジャキと布を切り分ける。折りたたんだ線の通りに鋏を当て、滑らせるように軽快に切り進んでいきたい所だが、どうも調子が悪い。ピンキング鋏の刃先三分の一程度のところで必ず引っかかって、くっきりしたジグザグの裁断面がガチャガチャと乱れる。 しばらくこの仕事から遠ざかっていたので、手勝手が鈍ったかとも思ったが、どうもピンキング鋏そのものが切れにくくなっているらしい。 新しい作品を送り出すたびに、同じ布地だけをジャキジャキ切るためのピンキング鋏。その使用頻度は結構高い。見た目は汚れも壊れもしていないのだけれど、そろそろ研ぎが必要な時期なのだろう。 以前この作業をしたときにはそれほど「切れが悪い」と感じた記憶もないので、それだけ私がこの作業から遠ざかっていて、Nさんがたくさんたくさんこの鋏でお仕事をしてくれていたと言う事だろう。 気になって、Nさんが前もって切りそろえて準備しておいてくれた布の裁断面を確認してみたら、私がやったようなガチャガチャに乱れた裁断面は見つからなくて、きれいなジグザグの線が続いている。Nさんは日々の作業の中でこの鋏のくせをちゃんと頭に入れて、それなりの使い方で布地を切り進めていたのだろう。 ピンキング鋏の切れ味で、自分の荷造り作業のブランクの長さを感じる。 やはりここはNさん主導の仕事場になっているのだなぁと思う。
義母の台所でごくたまに料理をする事がある。 最近では、義父母やひいばあちゃんと3人で食卓をかこむことが増え、食事の量自体が減った事もあり、義母自身の体調の不良などもあって、義母の台所仕事は少し減ってきている。 代わりに義父が買い物ついでに出来合いのお惣菜を一つ二つ見繕ってきたり、義兄がレトルトや冷凍食品の簡単な調理をしていったり、私が自分の台所で作った夕飯メニューの一品をおすそ分けしたりして、義父母宅の食卓を満たす。そんな事が多くなった。 元来義母はこまめにお料理をする人だ。 昔風のお惣菜、ことに白和えやなますなどちょっとした小鉢のお料理が上手で、新婚の頃、義母が作る少し甘めの胡瓜もみやたっぷりの黒ゴマを擂って青菜を和えるおひたしの味を真似ようと何度も研究したものだった。 何事にも大雑把、見た目より実質第一の私とは違って、義母は「ゴマは脂分が染み出てくるまでしっかりと擂る」「胡瓜の輪切りはつながることなくスパッと美しく刻む」「盛り付けは一人分ずつ小奇麗に、必ず天盛も添えて」とかっちりと生真面目な料理の基本を身につけた人だ。 あの頃、義母の包丁はいつもこまめに研ぎが入っていて、柔らかいトマトでも青々とした浅葱の束も怖いくらいの切れ味ですっぱりとよく切れたものだ。そのころ、包丁研ぎの役目は義父と決まっていて、義母に頼まれて義父がせっせと研いでいたものだろう。 「お義母さんちの包丁はよく切れる。」 あの頃の私にはそういう思いがしっかり頭に染み付いていて、義母の包丁を拝借するときには軽い緊張感を毎度毎度感じたものだった。
最近、義母の台所でお料理をする機会があって、その台所の変化に戸惑った事がある。 ガスコンロの着火が悪くなっていたり、サラダ油や薄口醤油など頻繁に使っている調味料の買い置きが切れたままになっていたり・・・。 主婦が台所から少し遠ざかったり、主婦以外の人が台所仕事の一部を分担したり、そういうことが増えてくると台所と言うのはたちまちにその主婦のカラーを失っていくものなのだなぁと思う。 何よりショックだったのは、あれほどいつもギンギンとよく切れた義母の包丁が情けないほど切れなくなっていたことである。研ぎ手である義父も高齢になり、義母の台所周りの用事にまで手を出さなくなってきたせいもあるだろう。母自身もすこしづつ自らの台所道具に常に張り詰めた切れ味と使い勝手を求めるだけの気概を失いつつあるのかもしれない。 米びつの米の消費量が日に日に増えていく台所、大皿盛の惣菜があっという間に空っぽでご馳走さまとなる食卓こそが、勢いのある上り調子の家族の証ともいう。 子ども達が巣立ち、年齢を重ねて老夫婦の食もだんだんに細くなり、扱う食材の量も減っていく義母の台所は、少しづつ緩やかな坂を下っている所なのだろう。主婦が毎日手にする包丁の切れ味に、家族の勢いが如実に映しだされる、そんな気がして胸が痛む。
ところで我が家の包丁は近頃とてもよく切れる。 長い間、我が家の包丁研ぎは義父母の例に倣って、父さんの仕事だった。 何ヶ月かに一度、私が頼むと父さんが大きな砥石を持ち出して家中の包丁を研いでくれる。男の人は何故だか刃物を扱うのが好きなようだ。何度も何度も試し切りをしながら、研ぎをかける。全部の包丁を研ぎあげると、下手をすると半日仕事になった。 最近では父さんの仕事も多忙になって、「そのうちね」と包丁研ぎの依頼がなかなか引き受けてもらえなくなって、とうとう私は簡単に包丁が研げるという簡易包丁研ぎを購入した。砥石の間に開けられた溝に、手持ちの包丁をはさんで何度か往復させるだけで包丁が研げるという便利グッズ。使った後の包丁を、何日かに一度、こまめにこの装置にかけるだけで、そこそこ満足のいく切れ味が維持できるようになった。 「トマトはね、とりあえず、よく切れる包丁で切ることよ」 完熟のトマトをすっきり輪切りにしながら、アユコにいう。子ども達が使うには、切れ味の鈍った包丁よりは怖いぐらいにすっぱり切れる研ぎたての包丁の方が仕上がりもよく、怪我も少ないようだ。 気持ちよくすっぱりと切れる包丁の切れ味をひとたび知ると、鈍った刃物に感じるもどかしさは耐え難い。 刃物の切れ味を保つ心遣いは、どこかその仕事に対する思いや勢いに通ずるものがある。そんな気がして、今日、また包丁を研いだ。
昨日書いたアプコの個人懇談の席でちょっと気に掛かった事など。
アプコのクラスに一人軽い自閉症の女の子がいる。 入学当初から、アプコはHちゃんの近くの席になることが多くて、一緒に遊んだり、あれこれお手伝いをしたりする機会も多かったようだ。 「Hちゃんはね、時々ひまわり学級へ行ってみんなと違うお勉強をするの。」 「今日はHちゃん、ジャングルジムの一番上まで登っちゃって降りられなくなって困ったよ。」 「Hちゃんは自分からはちっともお話しないけど、絵がとっても上手なの。ビックリするくらい上手、ほんとに上手なの。」 「Hちゃんに『名札のお名前、読んで』っていったら、名前呼んでくれるンよ。」 アプコにとっては障害を持つお友だちとのはじめての出会い。「他の子とちょっと違うらしい」と気づいただけで、意外と抵抗なくすんなりと寄り沿うようにお友だちになっていく様子が微笑ましかった。
Hちゃんのお母さんはHちゃんが普通学級にいることで、他の子どもの邪魔をしたり迷惑を掛けたりしないかとかなり気にしておられたようだ。だからアプコが始終、Hちゃんのそばにいて一緒に外で遊んだり、配布物を配るのを手伝ったりしていることをとても喜んでくださっていると聞いた。 私自身もまた、家では末っ子姫の甘えん坊のアプコが、お姉さんぶってHちゃんの世話を焼いたり、そのくせHちゃんの絵の才能に素直に感嘆して「すごいねんで!」と我がことのように得意になったりしていることを嬉しく思っている。アプコが「障害のある友だち」との出会いを、きわめて自然な微笑ましい形で経験することができたことをありがたいと感じているからだ。
先日の個人懇談の席で、M先生の開口一番の一言は、「アプコちゃんにはほんとにいろいろ手伝ってもらって、助かってますよ。」だった。 Hちゃんもアプコのことをいくらか気に入ってくれているようで、先生や他の子が促しても聞かないことをアプコが「一緒にやろう」と手を差し伸べると、意外とすんなり受け入れてくれたりすることがあるのだそうだ。 だから、障害学級の先生までも、「ちょっとアプコちゃん、おねがい!」とアプコを呼ぶことがあるのだそうだ。 まぁまぁ、あの甘えんぼのアプコが・・・・と、半信半疑ながら、アプコの事を頼りに思ってくださる事は母として誇らしい。 「せいぜい、何でも言いつけてください、家でのアプコはまるっきりお姫様ですから・・・」と、笑顔でお答えしておく。 とりあえず。
・・・取り合えずと言いつつ、少し気になったM先生の言葉。 「アプコちゃんはHちゃんの『扱い方』がとてもうまいんですよ。」 「Hちゃんの『面倒』をよく見てくれます。」 「Hちゃんの『お世話係』ですね。」 障害のある子どもに、適当な子どもを「お世話係」として割り振って、身の回りの世話や遊びのサポートを任せるのは、昔からよくあることだ。私も小中学校の間はそういう「お世話係要員」だったし、アユコもそうだ。そのこと自体、私は悪い事だとは思わないのだけれど。 ただアプコ自身はまだ、Hちゃんとブランコで遊んだり、Hちゃんに歯磨きカードに丸をつけさせたり、Hちゃんの席に配られたプリントを代わりに後ろへまわしてあげたりする事を、「面倒を見る」とか「お世話をする」とは感じていない。 「ちょっとだけ変わったお友達」と一緒に遊んで、時々お手伝いもしてあげるくらいに感じているようだ。 障害のあるお友だちに、せっかくそういう自然で素直な出会い方をする事のできたアプコに、あんまり「お世話する」とか「面倒を見る」とか、ましてや「扱い方がうまい」なんて言い方を聞かせないで置いて欲しいなぁと思う。 M先生自身は、アプコとHちゃんの関係を純粋に褒めてくださっていて、その労をねぎらう意味での言葉なのだと言うことはよくわかる。けれども、今のアプコにHちゃんのことを「面倒を見てあげなければならないお友だち」「お世話してあげる子」と思う認識はまだまだ持たせたくないと思う。
そうでなくてもいつか、アプコはHちゃんの抱える「障害」と言うものの意味に気づいていく時が来る。 自分にはできてHちゃんにはできない事、自分にはわかるけれどHちゃんには理解してもらえない事があるということ。 そういう障害があると言うことで、Hちゃんのことを邪魔に思ったり意地悪をしたりする人もいるということ。 それでもなお、自分とHちゃんの中に共通する同じものが流れていると言ういうこと。 そういう大事なことをアプコは、これからの長いHちゃんとのお付き合いの中で少しづつ学び取っていくだろう。 それは出来ることなら、誰かから言葉で教えられるのではなく、アプコが自分自身の経験や自分自身の感情のなかから学んでいって欲しい。 私はそう思う。
「お世話係」 「面倒を見る」 「扱いがうまい」 何度も出てくるM先生のその言葉には、誰に対する悪意もない。 Hちゃんのことも上手にクラスに受け入れていらっしゃる先生だし、アプコのことも充分配慮して見ていて下さっているのがよくわかる。 だからこそM先生の言葉に感じるかすかな違和感の意味を、はっきりと形にすることもできないまま、表向きはニコニコと笑顔で頷きながら懇談を終えた。 なんだかとても苦いものを、繰り返し繰り返し、呑み込んだ気がする。
数日前のこと。
小学校の個人懇談。 赤いランドセル姿もすっかり板について、毎日楽しげに登校していくアプコ。 体も気持ちも充実して、学校生活にも家での過ごし方にも「旬」の勢いのあるゲン。 二人とも、大きな心配事もなく、これといって先生に叱られてくるネタも思い浮かばない。ましてや、偏差値とか志望校とかいう言葉も出てくることのない小学校の個人懇談というのは、まことに心安らかに迎えられるものだ。
今年、ゲンの担任は、オニイが5,6年の時に担任していただいたT先生。 そして、アプコの担任は、アユコが2年生の時に担任していただいたM先生。 当然、どちらのお話の中でも、「オニイ君の時にはね・・・」とか「アユコちゃんだったらね」とか、兄弟で比較する話題がどちらからともなくでてくることが増える。ちょうど年齢的にもよく似たあたりで担任していただいているので共通する事柄も多く、どうしても引き合いに出して話す事が多いのだ。なんだか、途中からどの子の懇談をやってるんだか、わからなくなってしまうようなこともよくある。
理屈屋のオニイよりずっと人懐こく、気持ちがストレートに表に出るゲン。 生真面目でストイックなアユコと、甘えん坊でちょっとえー加減なアプコ。 親の目から見ると性格的にもかなり違って見える兄弟だけれど、ふとしたときにゲンの声は声変わり前のオニイの声にそっくりだし、おかっぱにしたアプコは低学年の頃のアユコに見た目はそっくり。おまけに着ている服まで、お下がりだから同じものだったりする。 先生たちにとっては、やっぱり入り口は「似てる」なんだろうなぁと思う
ゲンの担任のT先生は、さんざんオニイのときの思い出話やら、ゲンとオニイを比較しての話で大笑いしたあとで、 「でもね、ゲンちゃんにはお兄ちゃんと絡めての話題はあまり持ち出さないようにしているんですよ。」と教えてくださった。 4人兄弟の3番目。家族の中にいれば、どうしても誰かの弟、誰かの兄という立場に置かれてしまうゲンに、せめて教室の中ではゲン自身がゲンとして呼吸できる場所を確保していただいているのだなぁと有難かった。 ことに最近のゲンにとって、兄は面白い遊び相手であると同時に、いろいろな意味での「ライバル」でもある。隙あらば、オニイより高い所へ揚がってやろうと虎視眈々と狙っているような節も見える。 そんなゲンにとって、オニイの影を投影することなく、純粋にゲン自身を見つめて面白がってくださるT先生の存在は、ゲンにはとても居心地のよいものなのだろう。 近頃のゲンの絶好調ぶりは、そういうよき理解者の存在の賜物なのだなぁと思う。
一方、アプコの担任のM先生は開口一番、「アプコちゃんにはほんとにいろいろ手伝ってもらって、助かってますよ」と言われた。アプコが同じクラスの自閉症のHちゃんの面倒をよく見てくれるのだという。 「おねえちゃんもS君の面倒をよく見てくれてましたねぇ。アユコちゃんの小さい頃とよく似てますよ。」 ちょうど、アユコの時にも、クラスに軽い学習障害の男の子がいて、アユコが何かと手伝ったり、かばったりしていた。アユコと違って末っ子姫の甘えん坊のアプコに、Hちゃんのお世話係がホントにちゃんと務まっているのかどうか私には半信半疑なのだけれど、アプコは他のどの子よりもHちゃんの「扱い方がうまい」のだそうだ。 「口ぶりまでアユコちゃんそっくりで、しっかりしたもんです。」 といわれてようやく合点が行った。アプコは多分、自分がオネエに何かと面倒を見てもらっている、そのやり方をそっくり真似てHちゃんに接しているのだろう。だからその口ぶりまでアユ姉にそっくりなのだ。 M先生は入学当初から、アプコの上に幼い頃のアユコの印象を重ねて見ていらっしゃるように感じられるところがあって、「大丈夫かな、アプコにとって、アユコの影が重荷にならないかな。」と少し心配したりもしたのだけれど、結果としてアプコにはそれも杞憂に過ぎなかったらしい。 幼いアプコにとって、6つ違いのアユ姉は、絵を描くのもお料理するのも上手、いつも上手に遊んでくれて、母さんよりもずっときめ細かく面倒を見てくれる、いつでも頼りになる憧れの存在。 そのアユ姉に似ているといわれたら、それだけで舞い上がって嬉しくなって、お手伝いの一つでもしてやろうかという気になってしまう。 「一年生!」とひときわ胸を張って登校していくアプコには、「アユコちゃんそっくり」というM先生の言葉が、重荷ではなく心地よい励ましに思われるのかもしれない。 結果として、姉と同じような生真面目な優等生振りを期待するM先生の視線は、アプコにその実力以上に背伸びしたお姉さん振りを発揮させるエネルギーとなっているのだろう。
4人兄弟。 「あ、似てる、似てる」とすぐにいわれてしまう「そっくり兄弟」だけれど、母の目から見ればそれぞれ違う個性的な子ども達。 人から「似てる」と言われる,そのこと自体取ってみても、すぐに反発してしまう子もいれば、嬉しくて舞い上がってしまう子もいる。 今年はたまたま、その特性に合った先生がそれぞれの担任にあたってくださったということか。 これもまたラッキーというより他ない。
昨日、一日中、私は原因不明の高熱で壊れていた。 正確には、原因不明ではない。 父さんの個展前後のお疲れやら、工房での穴埋め仕事やら、子ども達の学校や稽古事の行事の多忙やら、オーバーヒートの原因として思い当たる事は山ほどある。それが全部、私の最大のウィークポイントである歯と目に押し寄せたに違いない。 「母のことは捨て置け。そなたらは、自分の身の振り方を自分で考えて、強く生きていけ。」 と言い残して、38度の熱の海を一日ふらふらと浮き、彷徨っていた。
熱の合間に、子どもらと父さんの声が聞こえた。 ああでもない、こうでもないと、レトルトスパゲッティーを調理している気配。 「お湯には、塩を入れてからスパゲッティーを入れるんよ。」 偉そうに父さんの指示を出すアユコの声。アイツ、言葉で指示はするくせに、自分ではあんまり動いてないみたいだな。 「かあさん、電話。」と3度もご丁寧に家庭教師勧誘の電話を取り次いでくれるオニイ。もうちょっと、電話の応対の仕方をちゃんと教えとかなアカンな。 「おかあさん、アイス食べる?プリン、たべる?」と、やたらやさしいアプコ。食べたいのはお母さんじゃなくてアンタでしょ。頼むから放っといて。 夕食後、遅くまでゲンが寝ずにうろちょろしていたのは、どうやら家の中でカブトムシが一匹脱走したらしい。だから、ちゃんと蓋をしておくようにいっといたのに。
子ども達が小さいときには、どんなにくたびれても熱を出して寝込むというような事はめったになかった。 「私が倒れたら、この子らの晩御飯はどうなる?」 そんな意地のような気力が、「母は強し」を習慣付けてしまったか。 最近、子どもらが大きくなって、一日くらい私がいなくても、何とか食べて寝るくらいの事は出来るかなという安心感ができたのだろうか。 時折忘れた頃にやってくる時限爆弾のような突然の発熱。 「年をとって、無理の利かない体に変わってきたのよ」といわれてしまえばそれまでの事。 子ども達が自分で生活できるように成長するということは、すなわち親も年をとるという事なのだ。
熱を出して一日家事を放り出しても、何とか家族が晩御飯を食べ、職場や学校へ出かけていけるようになったということ。 それは主婦にとっては、ありがたく心強い事。 けれども、毎日、お洗濯を干し、ご飯を作り、快適な寝床を用意するそれだけが仕事の専業主婦の私にとって、家族が放っておいても家事をちゃんとこなしていけるようになるということは、なんだか少し寂しくもある。 私自身の主婦としての存在意義って、一体なんなのだろう。 熱でもつれた頭には、重すぎる疑問がぐるぐる巡って、今朝の寝覚めも最悪だった。
今朝、目覚めたら、熱は37度台。 アプコから「七夕集会。見にきてね。」といわれていたけれど、「無理せんと、もうちょっと休んどり」と父さんに言われて断念。日の当たる所へ出ると目が回りそうになるので、やっぱり無理よねぇとうだうだしていたら、今度は父さんが 「急ぎの荷造り仕事があるんだけど、無理だよねぇ。」と困った顔で帰ってきた。 義兄は仙台、荷造り担当のNさんはこの間から急病で入院して病欠中だ。 お義母さんも体調がよくないらしくて、頼りにならない。 「やっぱり無理しちゃいかんよな。いいよ、やめとき、やめとき」 といいつつ、困っている様子はありあり。 「しょうがないなぁ」と勿体をつけてのろのろと荷造り場に入る。 先日の父さんの個展で売れた作品用の桐箱が仕上がってきて、その発送準備。 作品を包む布地を裁断し、紐を通したり、宛て紙をあてたり・・・。 微熱でぼんやりした頭では、今ひとつピリッと気合の入った荷造りができず、イライラしながら急ぎ分の仕事を何とか仕上げる。
うちに帰ってきたら、突然の夕立。 だんだん近づいてくる雷鳴に、アプコが「窓閉めようよ」と半泣きになる。 どうやらアプコはまだ、かみなりが鳴ると怖い鬼か何かが開いている窓から侵入してくると思っているらしい。 「大丈夫、なんにも来ないよ。」と呼び寄せて、傘を持たずに出かけた上の3人の心配をする。案の定、ぬれねずみが三匹。ワイワイと大騒ぎで帰ってくる。
夜、駅前で七夕のお祭り。 友だちと一緒に遊びにいく約束をしてきたアユコを送って駅まで。 とんぼ返りでアプコとゲンを連れて行く父さんを送って駅まで オニイと二人、静かな夕食の後、父さんたちを迎えに駅まで。 その後アユコを迎えに駅まで。 都合、4往復の送迎の運転。 短距離といいながら、呼ばれては飛び出す運転手役はしんどい。 ぶつぶつ文句を言いながら、出入りを繰り返す。
つい半日前には、「アタシがいなくても、家の中の家事が何とかなっていく寂しさ・・・」なんて拗ねていたのに、たちまちに「もうアタシを呼んでくれるな」 とお手上げ状態。 なぁんだかなぁ。 「アタシがいないとダメ」ということと、「アタシなしで勝手にやってくれぇ」という事の矛盾に右往左往しているうちに、朝からの微熱の曇りは気がつくとすっかり晴れてしまった。
夕立でびしょぬれになったシャツや父さんの作業エプロンを洗濯機に投げ込んでまわしていたら、カラカラと乾いた金属音がする。 慌てて洗濯機を止めて確認してみたら、濡れた洗濯物の下から、キラキラ光る500円玉と50円玉。 誰のポケットに入っていたものだろう? 「洗濯機の中から出てきた小銭は、洗濯担当者へのチップとみなす。」 それが我が家の鉄の掟。 丸一日の発熱と、微熱を押しての大忙しの一日へのお駄賃としてありがたく頂いておく事にする。
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