月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
明日は、先週の雨で延期になった小学校の遠足。 今、外ではザーザー雨が降っているけれど、天気予報によれば明日は晴れるらしいので、ゲンもアプコもすっかりその気になって遠足の用意を再点検している。 遠足といっても、行き先は小学校近隣の山のハイキングコース。春の遠足の定番コースで、アプコに至っては一旦学校に集合してから、再び自宅の前を通過して山へ入る。帰りは多分アプコだけ、途中下車でウチへ帰らせてもらうことになるのだろう。
雨のため一週間お預けとなっていた遠足のおやつ。 そんなにひねくり回していたら、減っちゃうよというくらい何度も出したり入れたり、充分に楽しませてもらった。 高学年も低学年もおやつは一律150円。わざわざ、遠くの駄菓子屋まで遠征して選び抜いた駄菓子の数々。 ちまちまとゼリーやらガムやら小さなお菓子を念入りに選ぶアプコに対して ゲンは去年に続いて、制限額の全てをはたいて「うまい棒」15本という破天荒なチョイスに得意満面。「皆がどんな反応するか、それが楽しみなんだ。」と今からワクワクドキドキしている。 「きっと喉が渇くから、やめなよ。」という外野の声にも関わらず、去年は、自分の買って来た「うまい棒」を友だちのほかのお菓子とトレードしたり、違う味のをミックスして食べたり、結構楽しんで帰ってきたらしい。 「今年も絶対、うまい棒15本!」 ゲンの決意は堅かったようである。
「あのな、T先生にな、うまい棒のクイズ、出してん。」 とゲンが嬉しいそうに教えてくれた。 「T先生がな、うまい棒15種類全部いえたら、僕のうまい棒一本上げることになってんねん。だいぶ、ヒント言うたからな、あと二つになってんけど、先生、分かるかな?」 とまた自分の15本を広げて、数えて見せる。 さすが、T先生、子どもに調子、合わせるのが上手だなぁ。 数日後には、班ノートで「15本、ムキになって調べて書けたんだけど、今度は15秒間で言えといわれてショゲてます。」と先生のコメントがかえってきて、大笑い。 なんだかゲンもT先生もたのしそうだなぁ。 こんな風に、子どもの「くだらないけど譲れない」こだわりに、笑って付き合ってくださるT先生のおおらかさがなんとも嬉しい。
先日、バーベキュー大会に初参加してくれたUくんのこと。 Uくんはロッジにいる間中、いつもよりずっとハイテンションで大人たちやオニイやアユコとお喋りをしていて、「ここへ来てよかったよ、楽しいよ」と何度も何度も言ってくれた。 家族の事や塾のこと、学校の友だちのことなんかも初対面の大人にいろいろ話してくれて、その幼い口調にも関わらず、ずいぶんいろんな複雑なことを考えているのだなぁと感心させられた。 と同時に、この子は、家族以外の大人たちに激しくアピールして、受け入れてもらいたいものをたくさん持っている子だなぁという感じを持った。 U君母の弁によると、低学年の頃からU君は周囲の大人から「ちょっと変わった子」という感じの受け止められ方をしていて、自分の話をちゃんと聞いてくれる大人に恵まれていないという。 だから、Uくんの話を面白がって聞いているバーベキュー仲間の中が居心地がよかったのだろう。 子どもたちは自分が面白いと思っていること、イヤだなと思っていること等を周りの大人に理解されたがっている。誰かに共感してもらう事で、相手を信頼できる人、一緒にいて楽しい人と認知していくのだと思う。 そういう意味では、ゲンの「うまい棒15本」という馬鹿馬鹿しいこだわりに、面白がって加わっていただけるT先生の存在は、ゲンにとってはとてもとてもありがたいことなのだなぁと改めて思う。 近頃、ゲンの表情がとっても明るく、なんだか何もかもが楽しくてたまらないという感じなのは、きっと自分を理解してくれる楽しい大人や友だちに恵まれていると感じているからだろう。
ところでゲンの言う「うまい棒」15種類。 調べてみたら、現在は下記の通り。
とんかつソース味・サラミ味・チーズ味・テリヤキバーガー味・コーンポタージュ味・やさいサラダ味・めんたい味・キャラメル味・たこ焼き味・ココア味・チキンカレー味・かばやき味・エビマヨネーズ味・チョコレート味・なっとう味
「うまい棒」の安っぽい味は嫌いだけれど、こういう馬鹿馬鹿しい商品展開へのこだわり方はなんとなく好き。どんな人が新しい味の開発をしているんだろうといつも思う。もしかしたら、子どもの好みを子どもの目線で観察できる、遊び心溢れるおバカな大人なのかもしれない。
昨夜のバーベキューの名残を振り切って、朝からオニイとゲンの剣道の試合。ゲンは小学校高学年の部で個人戦と団体戦に、オニイは中学生の部で個人戦に出る。 送迎応援要員の母は、昨夜のお疲れでねむねむモード。試合前の長〜いご挨拶や合同の素振りの間、道場の人ごみにまぎれてコックリコックリ居眠りをする始末。 立ったまま、居眠りするなんて、ほんとに久しぶり。
ゲン個人戦。 一回戦、辛勝。 2回戦、小手を一本とって、引き分けたままずいぶん長いこと粘っていたが、最後は面をとられて惜敗。 試合が終わってもしばらく口を利かず、一人離れたところで面をはずして、汗を拭く振りをしながら面タオルでごしごしと涙をぬぐってるゲン。 よほど悔しかったらしい。 ようやく顔を洗って戻ってきたと思ったら、同じ道場の友達が2回戦を勝ち抜けたところに出くわして、悔しさ再燃、またどこかへ姿を消してしまった。 ぐいと歯を食いしばり眉根を寄せて涙をこらえるゲンの後姿は、なんとも少年らしくていい。 横でSくんのおかあさんが「みてるだけでこっちまで胸がきゅんとなっちゃうね。」と言ってくれたけれど、ほんとにそんな感じ。
オニイ、個人戦。 一回戦。前回の試合のとき、格違いの偉丈夫に初戦であっけなく敗れたオニイ、今回は体格的にもそれほど遜色のない相手に危なげなく一勝。 二回戦で、かなり競り合って健闘したが、惜しくも敗れた。 体も小さく、こつこつまじめに稽古に通っている割には飛躍的に強くなるという経験のないオニイだが、体つきも技も、そしてちょっとハスキーな掛け声もすっかり男らしい大人びた成長振りが見える。勝ち負けは別として、ずいぶんうまくなってきたなぁと感じる。傍らで見ていたゲンが、「お兄ちゃんカッコええな。」と普段使わないほめ言葉を漏らした。 接戦の末敗れて帰ってきて、「勝てない相手じゃなかったんだけどな。」とさばさばと面をとり、汗だくの髪をもしゃもしゃかきあげる仕草はいかにも「男だな」という感じ。
ゲン、団体戦。 ゲンは4〜6年の5人の混成チームの中堅(3番目)で戦う。 発表された相手チームのメンバーを見てみると、ゲンの相手は奇しくも個人戦の2回戦で敗れた同じ人。 「勝てないかも・・・」と弱気になるゲンに、「団体戦なんだから、ほかのみんなのためにも絶対勝とうという気でいなければ・・・」と叱咤激励。 先鋒次峰が一敗一分けで、ゲンの出番。ゲンの悔し紛れの勢いあふれる健闘で何とかチーム初白星。 副将のS君は、なかなか決まらず引き分け。 大将のY君は、個人戦上位入賞の女の子剣士に歯が立たず、敗れる。 結果、一勝2敗2引き分けで一回戦、敗退となった。
試合終了後、大将のY君が激しく嗚咽している。その横で、チーム唯一の白星をあげたゲンまでがふたたびごしごしと涙をぬぐっている。 美しいチームの友情に周りのおかあさんたちと感動してみていたら、どうやらYくんは「女の子に負けたのが悔しい」と泣いていたらしい。 そして、ゲンもまた、宿敵相手に念願の一勝を得た嬉し涙でもなく、チームの敗北が悔し涙でもなく、「試合中に腕の内側を思いっきり打たれてめちゃめちゃ痛かってん」という。 なんだい、なんだい。 感動の名シーンかと思ったら、涙の真相はそんなモンですか。 それとも二人とも照れ隠しのいいわけだったのかなぁ。
あとで、道場のI先生が、泣いている二人に挟まれて、一人さばさばしらけた顔をしていたSくんに、「ゲンがあれだけがんばって一勝してくれたんだから、『俺も一本決めてやる』くらいの勢いでかかっていかなくてどうする!ましてや相手の大将はなかなか勝てる相手じゃないんやから、チームの勝敗は副将のお前のがんばりにかかってたんやぞ」とお説教をしていた。 確かにS君の相手は、勝てない相手ではなかったし、その戦いぶりにもなんとなく覇気がないように見えた。 でも、今、派手に涙をぬぐっているゲンもYくんも、決してチーム全体の負けの悔しさだけで泣いているわけじゃなさそうですから。 残念!
帰り際、久しぶりにお会いした老剣士K先生に二人とも 「なかなかうまくなったなぁ」とお褒めの言葉をいただいたらしい。 何とかかんとか「出席率だけが取り柄」でがんばってきた我が家の二剣士のとりあえずは善戦振りがうれしい。 帰りに、恒例のソフトクリームとたこ焼きを振舞う。 ま、お疲れさんということで。
毎年恒例のバーベキュー大会。 近所のレクリエーション施設のロッジを借りて、家族がそれぞれに知り合いや友だちを招いて集う。 今年の参加者は、私の結婚前の同僚のHさん家族。近所の友人のM君親子、Wくん兄弟、Uくん親子。そしてアユコの友だちのAちゃん。父さんの友だちのOさん。大人6名、子ども14名。 今年は昨年のメンバーに新人のU君親子とWくん兄弟を迎えた。
U君はゲンの同級生。去年ゲンとは同じクラスで、いじめ問題やら何やら一緒に戦ってきた友達だ。今年のクラス替えでべつのクラスになって、「なんだかUちゃん、落ち込んでるみたい」とゲンがしきりに気にしていたのだけれど、思い切ってお誘いしてみたら喜んで来てくれることになって嬉しい嬉しい。 U君母もまた私の昨年度のPTA仲間。子育ての悩みや学校の事など、カラッと楽しく笑い飛ばせる気持ちのいいお母さん友だちだ。
我が家の子ども達に早めにやってきた子ども達を加えて、バーベキューの下準備。 野菜を切ったり、飲み物を準備したり。以前に比べると子供たちだけに任せておける仕事の範囲がずいぶん増えて、楽チンになった。 「アユコ、ポトフのお鍋に水を汲んできてね。アプコ、ジャガイモの皮をむいていいよ。ゲンはUちゃんといっしょにベーコンを切ってね。」 ひまな手を遊ばせて置かない人使いの荒い母を見て、U君母が呟いた。 「子ども達を動かすのがうまいなぁ。」 ・・・って、それはお褒めの言葉らしい。 日頃から「そのためにたくさん子どもを産んだのよ」と手を抜けそうな家事は片っ端から子ども達に割り振ってきたずぼら母。口先一つでおだてて子どもを働かせるのはお手の物だ。 「アタシは結婚前、養護学校の先生だからね。子ども達に自分で出来る仕事を見つけて割り振るのは、その頃に身についちゃった習慣かもね。」 といったら、 「じゃ、私は駄目だな。元看護婦だから。何でもやってあげるのが商売だものね。」 とU君母が笑う。 「そうだねぇ。患者さんに『これ、やっといて』とは言えないモンねぇ」 と納得、納得。 日々の家事を一人でこまめに切り盛りし、子ども達の健康状態や心の動きをきめ細かく見守るU君母のしっかりした主婦ぶりは、看護士さんたちのきびきびと無駄のない、しかも気配り溢れるお仕事振りに通じるものがある。 若い頃の職業経験って、結構自分ちの子育ての中にも余韻を残すものなんだな。
ホントは、初対面の子ども達と遊んだり、家族と離れて宿泊したり、そういうことが好きじゃないんじゃないかなと心配していたUくんが、何度も何度も「おばちゃん、楽しかったよ。来てよかった。」と笑顔で帰っていった。 何より何より。 山のような洗い物をやっつけながら、じわじわと嬉しくなった。
ゲンは、飛ぶものが好きだ。 紙飛行機もグライダーもペーパープレーンもペットボトルロケットも。 そして、ヘリウム風船も。
家族でデパートへ行った。 休日のデパートには人がいっぱい。 画廊で父さんの所用を済ませた後、画材コーナーに立ち寄り、女の子達の洋服をウィンドショッピングし、おもちゃ売り場をうろつき、地下の食料品売り場でテイクアウトの昼食を物色する。 田舎者の我が家の常で、じきに誰かが人ごみに酔って「頭痛〜い」「かえりた〜い」と言い出すに決まっている。ちゃっちゃと用事を済ませて早々に車にもどりたいところだ。
「おかあさん、アレ。」 とアプコが母の服のすそを引っ張って指差したのは、よその子ども達が持っているデパートのロゴの入った赤い風船。GW商戦のサービスでどこかで配っているのだろう。 「あ、ホントだ、アプコもどこかでもらえるといいね。」と適当にあしらっていたら、今度は店員のおじさんが色とりどりの風船をたくさん持って、アプコの前を通り過ぎた。 「ねぇねぇ。アプコ、風船、欲しそうだよ。」 飛びつくように訴えてきたのはゲン。なんだかとっても嬉しそうだ。 「ホントに欲しいのはアプコなの?それとも、ゲンなの?」 という母の意地悪い質問は聞こえなかった振り。 「じゃ、ゲン、アプコに貰ってきてやってよ」 と頼んだら、アプコの手を取ってピューッと風船を持った店員さんを追っかけていってしまった。 傍らで見ていると、まずはお兄さんぶってアプコを前に押しやりながら、自分もちゃっかり青い風船を選んで手にしている。 5年生のゲン、さすがに幼い妹を盾にしないと、「風船ちょうだい!」がいえないテレもある。
何故だか急に面倒見がよくなったゲン兄ちゃんが、自分の分と称して余分の風船を貰ってくれたと思い込んでいるアプコ。 「二つとも持たせて」とゲンにせがむ。 「これは僕の・・・」と言えないゲンのちょっと困った顔。 「アプコ、それはゲンのだよ。ゲンが貰ってきたんだから・・・」 と横から助け舟を出す。 何やら不満ありげなアプコをよそに、ゲンがニタニタ笑いながら、照れくさそうに自分の分の風船を私に見せた。
いいよいいよ、ゲン。 ちょっと大きくなったって、風船くらい欲しがってもいいんだよ。 そんなに恥ずかしがる事はない。 ふわふわ浮かぶ風船を見ると、ワクワクしてたまらなく欲しくなる。 君のそういうところが母はたまらなく好きなんだ。
昨年、夏祭りでアプコのためにアユコが掬ってきた5匹の金魚。最初に水槽に話したときには本当に頼りない小さな金魚だったのに、たった半年あまりのあいだにみるみる成長し、アプコが幼稚園友だちのKちゃんから譲り受けた小さな水槽から飛び出さんばかりの勢いである。当然食欲も旺盛で、誰かが水槽のそばに立つと餌が撒かれるのを予測してピシャピシャと水面近くに上がってきたりする。名前を呼ぶと尻尾を振って飛んでくる子犬のようなもので、結構面白い。 近頃では本来の飼い主であるアプコにかわって、ふと見るとオニイがパラパラと小瓶に入った金魚のエサを撒いて水槽を覗き込んでいることが増えた。
「なんだかなぁ、オニイ。金魚にエサを撒いてやって妙に癒されてる中学生って、リストラで窓際に追いやられたしょぼくれたオジサンみたいだねぇ。」 と笑う。 「あはは、そうかもね。実際、何となく癒される気分になるよな、これ。」 と、オニイも笑う。 「ああ、金魚っていいよな、一日中ふらふら、泳いでいるだけでな〜んも考えてなさそうだよね。僕も、今度生まれ変わるときには金魚になろうかな。」 あのね、若者。なんだい、その覇気のない願望は! これから限りない可能性に向かって、邁進してしていこうという時に、君の夢は「金魚に生まれ変わりたい」かい? 別に「ノーベル賞を貰える人になりたい」とか、「総理大臣になりたい」とかそういうことを言えって言ってるわけではない。 でもなぁ、同じ魚類に生まれ変わるなら、サメとか鯨とかもうちょっとこう勢いのあるデッカイ物になりたいとか、言えませんか。 ・・・と、ツッコンだら、 「かあさん、鯨は哺乳類だ、魚じゃない」 と、トドメを挿されてしまった。 母、撃沈。
そんな風にオニイの癒しのために与えすぎたエサのせいか、はたまた世間の気温が上がって急激に汚れ始めた水槽の掃除を「また明日ね。」と一日伸ばしにしていた怠慢のせいか、ある朝突然4匹のうちの一匹が死んだ。 前の晩、ぷかぷかと斜めになって泳いでいたかと思ったら翌朝には水面に腹を見せて浮かんでいる。 「あ〜あ、死んじゃったよ。」 アプコが掬い上げて、庭の隅に埋める。 「また、いっぱい金魚アリが増えちゃうよ。」 アプコは、昨年の夏に死んだ金魚の銀ちゃんのことをまだ覚えているらしい。 「金魚の銀ちゃんの死骸をアリさんが食べたら、新しい銀ちゃんアリが生まれてくるよ」 と食物連鎖の運命をあどけないファンタジーとして理解していた昨夏のアプコが、「また、いっぱいアリが発生したら難儀やね。」というようなおばさん発想で金魚の死を憂えるようになったのは、果たして成長といえるのだろうか。
追い立てられるように水槽の水かえをしたら、それまで死んだ金魚と同じようにアップアップと水面近くで弱っていた他の4匹の金魚たちもあっという間に元気になった。 心なしか赤い色がさめたようになっていた一番大きい金魚も、半日立つと赤い色がほぼ元に戻った。酸素不足で衰弱して色が悪くなっていたのだろう。 「金魚にも『顔色が悪い』ってのがあるんだね。」 といったら、母よ、それは違うと、オニイからふたたび醒めたツッコミ。 相済みません、母が馬鹿でした。
生き残った金魚は、一番大きいメスの金魚と3匹のオスの金魚。 きれいな水に慣れると、翌朝にはもう水面を激しくビシャビシャ鳴らして、交尾のためのおっかけっこが始まった。この春、もう何度目の交尾行動だろう。 つい昨日、一家揃って危篤状態で息も絶え絶えになっていたというのに、全く現金なヤツラである。 三匹のオスが互いを牽制しながら激しくデットヒートして、メスの尻尾を追う。まさに逆ハーレム状態。 思えば、前日死んでしまった金魚もオス。4対1の嫁とりバトルに敗れた後の過労死だったのかもしれない。 それほど、コイツらの繁殖行動は激しい。
「元気になってよかったね」と単純に喜ぶアプコの傍らで 「紅一点というのも、なかなかつらいもんだねぇ。オスはホントに大変だ。それにしてもちょっと激しすぎるよね。」 とオニイだけに囁く。 兄弟の中で、唯一その「激しい」と言う言葉の二つ目の意味をおぼろげながら理解しつつある思春期のオニイ。ちょっと恥らってへらへら笑う。 「見てみ、オニイ。外から見ると『癒し系』の金魚の世界にも、いろいろストレスはありそうだよ。」 人間様の世界でも、昨今は適齢期なのになかなか伴侶を見つけられない非婚世代が増えている。女性よりも男性の方が理想の配偶者探しには困難を伴うのだという。 「オニイ、アンタも今からしっかり男を磨いて、かわいい彼女をゲットしてね。並み居るライバル押しのけてね。金魚なんかで癒されてないでサ。」 そちらのほうにはトンと興味のない清純派のオニイに、母の反撃。 「はいはい、判ってますよ。」 今度はオニイがあっさりと白旗を揚げて退散していく。 今年、オニイは受験生。 癒されてばかりもいられないのである。
ひいばあちゃん。 昨晩景気付けの輸血をしてもらい、念願かなって外泊許可が出た。肺に溜まっていた水もきれいにとれ、ほとんど以前通りの元気なひいばあちゃんに戻られた。 97歳。驚異的な回復力。
「世間を騒がせたかった」という理由で線路に置石をする男がいた。 「自分の存在を世間に知らしめたい」という理由で、子どもを殺める男がいた。 たとえそれが忌まわしい犯罪であっても、自分自身の「個」を不特定多数の人々に知らしめたいという欲求は、昔からこんなに蔓延していたものなんだろうか。 よくある漫才のネタに「○○さんはエライもんやなぁ、新聞に載ったそうやなぁ。」「ああ、詐欺で捕まってな」というのがあるけれど、内容がどうであれ、TVや新聞に自分の顔写真が上げられ人の口に上るということが、変わりばえのしない凡人の退屈な人生を華々しく変えてくれるような幻想がそこにはあるのだろうか。
「誰かに認められたい」 「多くの人に自分自身の存在や考えを知ってもらいたい」 webを通じて、普通の人が自分の作品や趣味の成果を広く世間に対して発信する事が容易になった。 掲示板やブログ等で、社会情勢や事件事故などに関して私見を述べたり、議論を戦わせたりする場も拡大した。 犇めき合う人の流れの中で、「私はここにいる!」と拳を振り上げて存在を主張するための画期的なアイテムがここにある。
「自分探し」という言葉はもはや手垢にまみれた死語となりつつある。 フリーターと呼ばれる若者達の多くは「自分の本当にやりたい事が見つかるまで・・・」と、自らのモラトリアムを正当化するのだそうだ。 個人の労働の成果が目に見える形で認めてもらえる仕事、自分の名前を何らかの形で残せる仕事、自分の思いや才能を表現できるクリエイティブな仕事。そんな格好のいい、華のある職業は、実際にはほんの一握りの選ばれた人だけのために存在している。 だから、闇雲に「自分らしさ」を求めるだけの若者たちには、一生続けられる魅力的な職業がいつまでも見つからない。
実際には、世界は普通の人の目立たない普通の日常の積み重ねの上に成り立っているのだ。 どこかのだれかが作った作物をどこかの誰かが作った食器で食べ、出たゴミはどこかの誰かが収集していく。 「自分らしい」とか「クリエイティブ」とは無縁の、日々のルーティンとしての仕事の成果が、普通の人の普通の生活の大部分を支えている。
ひいばあちゃんが病院で語ってくれた「仕事は楽しい」という言葉が、まだ頭を巡っている。 少女の頃から窯元の職人としての仕事を続けてきて、その手から数百数千の作品を生み出しておきながら、一つとしてその作品に自分の名を刻むことなく淡々と日々の仕事を「楽しい」といえるその偉大さ。 いきがいや他人からの評価を気にするでもなく、ただ土をひねり、自分の作ったものが、作家の手を経て作家の作品として生まれ変わって羽ばたいていくのを、単純に「面白い」と言い切ることのできる職人気質を美しいと思う。 そういう無名の人の淡々とした日々の営みを、本当に大事なものとして評価できることが現代にはもっと必要なのではないのだろうか。
誰かに褒められるわけでもない。 格段に自分らしさを主張するわけでもない。 毎日毎日が格別楽しくて仕方がないというわけでもない。 けれども改めて振り返ってみれば、そこには自分の歩んできた曲がりくねった長い道のりがある。 そういうささやかな豊かさをじっくりと見つめる事の出来る目を、私は持ちたいと思う。
ひいばあちゃん、入院10日目。出張中だった義兄が帰ってきて、ひいばあちゃん「帰りたい」モード復活。主治医と外泊の相談をする。ベッドが窓際の明るい場所に移動し、ひいばあちゃんは「いい風が入る」とご機嫌。
朝一番に、急に役所関係のお客様を引き受けて欲しいという連絡が入って、急遽工房の玄関やお茶室の掃除に大忙し。アユコが手際よく手伝ってくれて、助かった。 季節柄、工房の前の通りは朝からハイキングの家族連れや遠足等の団体がひっきりなしに通り過ぎていく。 忙しく玄関を掃いていたら、 「すんません、生物部で、これから山へ登るんやけど・・・」とハイキング姿の中年の男性が話しかけてきた。 「自転車乗ってきたらアカンというてあったのに、乗ってきた生徒がおって・・・。ちょっと自転車置かせてもらえへんやろか?」 知らない顔だとは思ったけれど、へんに親しげな砕けた口調だったし、学校名も名乗らずにいきなり「生物部で・・・」というので、子ども達の学校の先生かも知れないと思いこんでしまった。 横から義父が「今日はこれからお客さんがみえるので・・・」と断り口調で答えているのに「2台だけなんで、その辺の隅にでも・・・」と庭の一角を指差して食い下がってこられる。 「では邪魔にならない所に・・・」という事になって、教師が先に行っていた自転車の女の子たちを呼び戻して自転車を止めさせる。 「それじゃあ、すみません。2時間ばかりで帰ってきますから」 と、その教師はピョコリと頭を下げていった。 なんだかなぁと思う。 後で自転車を見ると、泥除けに私の知らない高校の校章のシールが張ってある。どうも全く顔見知りでもなんでもなく、ただの通りすがりの一団だったらしい。
普通初対面の人に物を頼むときには、せめて「生物部で・・・」ではなく「○○高校の生物部の者ですが・・・」と、校名まで名乗るのが礼儀だろう。 ルール違反の生徒がいて対処に困った事情は分かるけれど、見ず知らずの他人に物を頼むのに、いきなり同僚にでも話しかけるような砕けた口調も非常識だ。 こちらが断り口調になっているのに「そのへんに2台くらい置けるだろう。」とばかり、自分から庭の一角を指差すのも感じが悪い。 自転車を置きにきた二人の女生徒たちもこちらに会釈一つをするでもなく、教師もそんな二人の態度を叱りもしない。 ダメダメな教師の下では、ダメダメな生徒が育つのだなぁと朝から気分が悪かった。
教師という人種の中には一般社会の常識をちゃんと身につけていない人が多いと言われる。 私が子ども達を通して出会った先生方のなかには、幸いにしてそんな非常識な教師はそれほど多くはない。たいがいは子ども達への深い愛情と強い責任感をもった立派な先生方ばかりではある。 それでもなお、今日のような感じの悪い教師に出会うと「やっぱりな、教師ってヤツは・・・」と思ってしまう感覚が、私の中には確かにある。 休日にも関わらず、朝早くからクラブ員を率いて野外観察に出かけてくる。おそらくは日々の職務に真面目に取り組んでおられる先生なのだろう。 「自転車置かせてもらえんかなぁ。」という親しげな口調は、生徒達や保護者達に対して使われるなら、気さくで話しやすい先生と評価されているのかもしれない。 学校の中でなら、多分そこそこ有能で生徒達にも人気があるかもしれないその先生が、何故子ども達を率いて学校の外に出るとああいう「なんだかなぁ」という態度が見えてしまうのだろう。 「青少年の育成のためには、周囲の人も一般社会も協力、支援してくれて当然」というような教師特有の驕りの匂いも感じられてイヤになってしまった。
自転車のシールで分かった学校名は来春、オニイも受験可能な学区内のかなり評判のいい公立高校。 たった数時間、数台の自転車の置き場を提供したというだけのささやかな出会い。格別口角泡を飛ばして怒るほどの腹立たしい事柄でもない。 けれどもなんだか気分が悪い。 こういうささやかな苛立ちというのは、結構尾をひくものである。 月の輪通信
ひいばあちゃん入院9日目。 ベッドの上で相変わらず、「退屈やなぁ」と寝たり起きたり。見た目は普段どおりに元気なだけに、病室のカーテンの中で過ごす単調な一日は本当に長く感じる。「家に帰ったらなんなと仕事が溜まっているはずやのに。」と家を恋しがっておられる。 「ひいばあちゃんがやり残してきたお皿の裏の釉薬掛け、かわりにあたしもやってみたけどなかなかひいばあちゃんのように手際よくは行かんわ。」と仕事の話をし始めたら、興に乗って仕事場の話を長い事喋ってくださった。
「ここへ来る前にな、にいちゃん(義兄)かおとうちゃん(義父)かのために水指やら何やらこしらえて、かこて(囲って)きてあるんや。あれがどないなってるんか、気になってなぁ。」という。 ひいばあちゃんは、釉薬掛けの仕事のほかに、義父や義兄の作品のために水指やお茶碗の原型ともいえる大まかな形を手びねりで拵えておく仕事をもう何年も続けてこられた。 ひいばあちゃんがひねっておいた荒型を義兄や義父が削りをかけたり、装飾をつけたりして作品として仕上げていく。こういう分業は窯元では古くからよく行われている。作品には窯元としての義父や義兄の印が押され、原型を作ったひいばあちゃんの名前は表にはどこにも出ない。 そんな裏方の職人仕事をひいばあちゃんは何年も何十年も黙々と続けてこられたのだ。 「自分の作ったモンがなぁ、にいちゃんやおとうちゃんが仕上げしてくれて、思いもかけん作品になって仕上がってくるのンがホンマに面白いんや。 仕事というのは面白いモンやなぁ。」 としみじみおっしゃる。 少女の頃から、窯元の仕事場に入り、延々と職人仕事をこつこつと努めてこられたひいばあちゃん。窯元の作品として世に出ている作品の中には、ひいばあちゃんが釉薬掛けの合間にこつこつと手びねりで拵えた原型から仕上られた作品が数え切れないほど多い。 この皺だらけの小さな手から、一体何百個の作品が生まれたのだろうと考えるとなんだか気が遠くなりそうになる。
「97歳になっても仕事は楽しいですか。」と訊ねると 「ああ、楽しいなぁ。夜、寝るときに『今度はどんなモンを作ったろうか』『明日は何の仕事をしようか』と考えるのが何より楽しい。」と、夢見るような笑顔で答えてくださる。 ひいばあちゃんのご機嫌に乗じて、もうひとつ、日頃訊ねた事のない質問をしてみた。 「ひいばあちゃんはたくさん作品を作るけど、一個もひいばあちゃんの印を押した作品はないでしょ?それでも楽しい?」 「ああ、楽しい。作ったモンには『吉向』の印が押してあったら吉向の作品やからそれでええんや」 と即答してくださった。 何年も何年も縁の下の仕事をしていていたら、いつかは作品に自分の印を押してみたいとか、自分の名前で作品を世に問うてみたいとか、そういう欲目というか作家志向のようなものは現代の人たちの思うことなのだなぁ。一生こつこつと職人仕事に徹して、その作業そのものを心から「楽しい」と思い続けることの出来る明治の人の静かな職業観の確かさ、豊かさに感嘆してしまう。
「家に帰ったら、さぞかし釉塗りの仕事が溜まっているやろうな。」 父さんはいつも、数物のお皿の釉薬掛けの仕事がたまると、「おばあちゃん、やっといてや。」とひいばあちゃんに声をかける。ひいばあちゃんも歳を取ってその仕事のできばえに時々不都合が出ることもあるけれど、それでもひいばあちゃんの熟練の手が空いた時間にこつこつ仕上る下仕事はまだまだ仕事場の大事な戦力でもある。 また、高齢を慮ってひいばあちゃんからいつもの仕事を取り上げたりしたら見る見るうちに気力も衰えてしまわれるかも知れないという心配から、わざわざひいばあちゃん向けの仕事を残しておいたりする事もある。 「ひいばあちゃんの釉塗りのお仕事、代わりに私も手伝ってみたよ。」と 仕事の停滞の心配を解いて差し上げようとしながらも、「やっぱりひいばあちゃんのようにはうまくは行かんね。さすが97歳の年季やね。」とうんと持ち上げておく。
「いろいろあるわなぁ。」 ひいばあちゃんは口癖のように何度も繰り返して呟いておられる。 「仕事は楽しい。土を触っていると時間がたつのも忘れてしまう。ここ(病院)は何にもすることがないから、時間がなかなか過ぎひんなぁ。」 間仕切りのカーテンで仕切られたひいばあちゃんのベッドには外の日差しや風が直接入ることはなくて、なんとなく時間の概念が狂ってしまいがちだ。時々夕方の4時を明け方の4時と勘違いしておられる事もあって、 「なかなか夜が明けへんなぁ。」と何度も何度も目覚まし時計を撫で回しておられる。 「夜が明けるまで仕事をせんならんときもあるんよ。そんなときもあるんやけど、まぁ、楽しみやな。うん、うん。」 たくさんお喋りして、笑って、ひいばあちゃんはまたうとうとと眠ってしまう。耳の悪いひいばあちゃんはご自分も大きな声で話すので、たくさん喋ると心地よく疲れるのだろう。 ほんの5分か10分、うとうととまどろんでいたかと思ったら、ふわっと目が覚めて、先ほどの話の続きをポツポツ語り始めたりなさる。 そのきまぐれなインターバルをはさんだひいばあちゃんとの会話が、私にはひいばあちゃんの言葉をうんと咀嚼する時間を与えられているようで、心に染みる。
日頃、家ではひいばあちゃんとは「お茶いれようか。」とか「TV変えてもいい?」とか日常の短い会話をかわすことが多かった。耳が遠くて複雑な会話には時間がかかるし、間に義父や義母の通訳や子ども達の茶々が入ったりする。 今回、入院の付き添いという事でひいばあちゃんと一対一で長い時間を一緒に過ごすという機会を与えられた。ひいばあちゃんの頭の中にある人生の知恵とか仕事への哲学とか、豊かに刻み込まれた金の言葉の数々を真新しい奉書紙に包んで押し頂いて持ち帰る。 97歳の皺だらけのひいばあちゃんのたくさんの豊かな記憶や想いが、高齢による衰えや難聴による会話の不便のためにその小さな体の中に封印されて、おそらくはその多くが語られることなく閉じていくのだという事実が誠に惜しい、もったいないことだなぁと深く感じる。
もっとも、ひいばあちゃん自身にとっては、そんな貴重な記憶も想いも「語るに足らない自明のこと」に過ぎないのだということが、本当はひいばあちゃんの偉大さの由縁なのでもあるけれど・・・。
ひいばあちゃん、入院8日目。 午後から付き添い。食事もたくさん取っておられるようなので、看護婦さんに許可を貰って、ひいばあちゃんの好きな大福餅をおやつに差し上げた。 家ではいつも三時のお茶の時間には何かしら甘い物を口になさるひいばあちゃんが、入院してからは食事以外のものは食べておられなかったので、「まあ美味しそう」とニコニコしながら召し上がった。 こうして病院のベッドにおられても、食べる事に意欲的で、なんでも美味しそうに召し上がる様子は、生きる事への強い意志が感じられるようで何となく気持ちがよい。
朝、ゲンと一緒に慌てて登校していったアプコが、しばらくして顔見知りのウォーキングのおばさんに連れられて戻ってきた。途中の道で転んでワァワァ泣いていたのだという。鼻の頭にほんのちょびっと擦り傷があるところを見ると顔から転んだのか。どちらにしてもたいして怪我をしている訳ではない。あたしだったら、服の汚れをパンパン払って「さあ元気出して、行って来い」と再び送り出してしまうところだけれど、あんまり泣いているのでかわいそうに思って連れて帰ってきてくださったのだろう。 一緒にいたゲンには、先にいっていいよとわざわざ言葉をかけてくださったのだそうだ。 誠に親切な方が通りかかってくださって、ありがたいことだとは思うけれど、本当は登校途中で小さい妹が転んで大泣きしているとき、どう対処すればいいかあれこれ苦悶するのも新米班長のゲンにはいい勉強の機会だったのになとちょっぴり残念だったりもする。
下校後、担任のM先生からの電話。 「他の子ども達から聴いたんですが、アプコちゃんが今朝、登校の途中で転んで、蜂蜜屋さんの看板で頭を打ったそうなんです。お母さんご存知でしたか?」という。 確かにそのことは知っているけれど、アプコが転んだのは蜂蜜屋さんよりずっと手前だし、看板もないところですよと答える。 小学一年生の子ども達の情報伝達能力って、まだまだそういうレベルなんだな。なんだかお間抜けな伝言ゲームのように話に尾ひれがついているのが可笑しくてM先生とひとしきり笑った。
2005年04月27日(水) |
「ピザピザピザ」その後 |
午後からひいばあちゃんの病院へ。 顔を合わすなり、午前中付き添っていた義父母がうとうと眠り込んでいる間に黙って帰ってしまったのが寂しかったと幼児のようなかわいらしい訴え。「じゃあ、私はひいばあちゃんが起きてるときに、ちゃんと『帰るよ』といってから帰るからね。」と約束する。 足のむくみがすっかり取れて、もう今すぐにでも退院できそうな気になっていらっしゃるらしい。全快祝いには、家でみんなでお好み焼きを食べたいとリクエスト。 う〜ん、ひいばあちゃんが考えているよりはもうちょっと退院は遅くなりそうなんだけどなぁ。あんまり期待が大きすぎると、入院が延びた時のがっかりが心配。
夕方、ゲンの担任のT先生から電話を頂いたとのこと。 昨日のTくんとのトラブルのことだろう。 ゲンに訊くと、「うん、T先生が話をしてくれて決着着いたと思う」と明るい顔で報告してくれた。朝の会の前にT先生に昨日の悔しかった事を話したら、次の中休みには相手の子達を呼んで、ちゃんと叱って謝らせてくれたのだと言う。 「さすがT先生。仕事が早いね。」 といったら、「うんうん」と嬉しそうにゲンが頷いた。
去年の担任のK先生にも、ゲンは何度かTくんたちのことを訴えたのだけれど、どうもその場限りの対応であまり真剣に対処してもらえないように感じて、「先生に言っても無駄」というような不信感や無力感が何となくゲンの中には残っていたように思う。 昨日Tくんたちの嫌がらせにあったときにも、果たして新しく担任になったT先生に訴え出るかどうかゲンは微妙に悩んでいるようだった。 私自身もよそのクラスの子のことでもあるし、嫌がらせ自体が遊びともいじめともつかない微妙なレベルだった事もあって、あえて積極的に「T先生に相談しなさい」とは言わずにおいたつもりだった。 それでもゲンが朝一番にT先生に話をしに行ったということは、彼がT先生を信頼に足る味方であると判断したということなのだろう。 私にとってはT君問題の解決よりも、ゲンが再び信頼できる先生の存在を認めたという事のほうが嬉しかったりする。
夜、再びT先生からの電話。 ことの顛末を説明していただき、これからも何か問題があれば遠慮なく教えて欲しいといっていただいた。 私が「ゲンがT先生に話をしに行けたのは、先生を信頼できる人だと判断したからだと思う」とお伝えしたら、「それでは、今日のことは私にとってもとてもうれしいことだったんですね」とこたえていただいた。私自身の想いもまた、T先生には汲み取っていただけているのだなと感じて嬉しかった。 放課後、ゲンはT先生に「T君たちに話をしてくれて、ありがとうな。」と感謝の気持ちを伝えたのだという。こういうストレートな表現を無意識に出来る事が、人懐っこいゲンの最大の長所であると私は思う。 Tくんたちの嫌がらせが、これを気に全くなくなるとは思えない。けれども今年のゲンにはT先生という強い味方もいる。「ピザピザピザ」の呪文も覚えた。今年のゲンはますます面白くなりそうだ。
|