月の輪通信 日々の想い
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ひいばあちゃん入院6日目。午前中付き添いにいく。 医師の回診があり、「おばあちゃんはここへ来て、3キロ体重が減りましたよ」と告げられる。それは、衰えてやせたのではなく、利尿剤の効果で余分の水分が出たためでよい兆候なのだそうだ。実際、入院当初はパンパンにむくんでいた足がほっそりとして、楽そうになった。ひいばあちゃん自身目に見える形で回復が分かるので嬉しそう。午後からは点滴もラインだけ残してはずしてもらった。
夕方、友達の家に遊びに行っていたゲンがプリプリ怒って帰ってきた。 友達との約束の時間が迫っていて、大急ぎで自転車を走らせている時にT君たち数人につかまってしまったという。 Tくんは、去年のクラスで何かとゲンに嫌がらせをしたり、からかったりしてきたゲンの宿敵。いわゆる「いじめっ子」というやつだ。今年はクラスも別になりホッとしていたのだが、今日はたまたまTくんと仲間達がつるんでいる所にゲンが行き当たってしまったのだろう。 ゲンが乗っている自転車を「貸せや」と取り上げたり、ゲンが持っていたカードを勝手に持っていったりして、なかなか返さない。挙句には、なんとか取り返して友達の家へ向かおうとするゲンに「先生には言うなよ。」と捨てゼリフを投げたのだという。 「むっちゃくちゃ腹が立つねん!」 鼻息荒く語るゲン。 以前のいじめの時には、その怒りのやり場に困って自分の傘をばらばらへし折ってしまったゲンだが、5年になって少しその辺の気持ちの収め方を学んだらしく、とりあえず母にありのままの怒りを訴える事にしたようだ。
昨年は同じクラスだったので、直接担任の先生に訴えてなんとかTくんの嫌がらせを止めさせてもらうように試みたが、残念ながらあまり効果は見られなかった。かえってゲンの中には担任のK先生に対する「訴えても仕方がない」という不信感を残しただけに終わったように思う。 今年、Tくんとは別のクラスになり、おおらかで頼りになるT先生に担任をして下さる事になった。 「T先生に言ってみようかな。Tくんは他のクラスの子だからT先生に訴えても仕方がないのかな。」と呟くゲンの口調には、去年のK先生に感じた不信感の名残と、新しい担任のT先生への期待が微妙に入り混じって感じられる。 「う〜ん、そうだねぇ。」 母も微妙に考え込む。
嫌がらせの程度は、見ようによっては遊びやふざけの行き過ぎといえないこともない。こういうレベルのちょっかいというのが、一番厄介だ。 親も子も「ちょっとふざけすぎただけなのに」という逃げゼリフで言いぬけるのが常套だ。 けれどもそういう軽微なからかいやふざけも、特定の個人をターゲットにくりかえすと、やられるほうにとっては結構なストレスとなる。 やっている本人も「先生には言うなよ。」と口止めをするからには、「いじめ」の自覚があるからだろう。 けれども一方、子どものけんかに親が出て行くことの野暮やゲンが自分で解決する力を考えると、親としてどう対処してやればいいのか、ふと考え込んでしまう。
ま、とりあえず、美味しいパンが買ってあるからそれでもお食べよ。 夕食前の一番空腹な時間。 ゲンは袋の中から、一番ボリュームのあるピロシキを選んで食べ始めた。 「あはは、怒り狂っている時でも、ゲンは美味しそうに食べるねぇ。」 ふっくらした頬に揚げパンの脂をテカテカさせて、むしゃむしゃ頬張るゲンの笑顔。 「あ、そうだ!いいこと考えたよ。 これからね、ゲンがまたTくんに嫌な事をされたら、いつでもお母さんがそのピロシキ買ってきてあげるっていうのはどう?」 突然思いついた奇抜な提案に、ゲンが「はぁ?!」と聞き返す。 「美味しいもの食べて、イライラが収まるんなら、それもいいじゃん。Tくんに何か嫌な事をされたらね、『あ、ピロシキ、食べられるぞ、ラッキー!』って思えばちょっと腹が立たないんじゃない?」 なにいってんだろうね、この人は・・・と呆れ顔のゲンも、母の提案の馬鹿馬鹿しさに笑ってしまう。 そして「ピロシキじゃなくて、ピザじゃ駄目?」とふざけて母のおバカの提案に乗ってくる。 「そうだね、それいいね。Tくんの顔見たら『あ、ピザが来た!』って思えばいいんだよね。」 「でもね、Tくんに向かって『ピザピザピザ』なんて言っちゃ駄目だよ。ばれちゃうからね。」 と母も笑う。
とりあえず今回はそんなことでことを収めておいてやろうと思う。 食いしん坊で、時には突如食欲魔人と化すゲン。 激しい怒りや納めきれないイライラを、美味しいものを食べる事でいくらかでも解消できるゲンのおおらかさは、アユコやオニイにはない特別な才能だ。 「ピザピザピザ」で笑うことで、当座の悩みを笑い飛ばしてしまう知恵も彼には必要な力となるだろう。 「食べる事に意欲的な子は、生きる意欲もエネルギーも旺盛だ」 母親暦十数年のうちに勝ち取った子育ての実感。 我が家の大食漢には、確かにそんな豊かなエネルギーが秘められている。 ゲンならきっと大丈夫。 そう思う。
PTAの役員総会。今年度の新しい役員さんが決まり、ようやく昨年度の広報委員長の引継ぎを終えた。 新しい広報委員長はフルタイムで働くお母さん。副委員長に比較的時間に余裕があるという方が立候補してくださったので、ホッとする。
午後、ひいばあちゃんの病院へ行く。 朝の回診で、あと一週間は少なくとも退院は無理と聞いたひいばあちゃんは、かえって諦めがついたのだろうか、あまり「帰りたい」とはいわれなかった。看護婦さんたちもひいばあちゃんの扱いにちょっと手馴れてきたのだろう。 先日ひいばあちゃんがショックを受けたという清拭は、今日は看護婦さんにお湯を入れてもらって、私が代わりにタオルで手足を拭いて差し上げるだけで済ます。暖かいタオルでお顔をぬぐって「ああ、スーッとした」と嬉しそうな顔。体もざーっと拭いて最後にむくみのひどかった足を拭く。腫れはかなり納まっていて、もう痛々しい感じはない。
TVでは尼崎の脱線事故のニュース。 つい一昨日まで、「TVはよう聞こえんから見ない」といっていたひいばあちゃんが、イヤホンのボリュームをいっぱいに上げて熱心にニュースの映像を眺めている。不謹慎な話だけれども、ひいばあちゃんにとっては単調な入院生活の中に飛び込んでくる刺激的な現場映像に心がゆすぶられたのだろう。体を起こし、しっかりTVの方をむいて、「いやぁ、また死んだはる人の数、増えたわ。」と感嘆の声を上げる。若い人や学生さんの被害も多いとの報をきいて、「かわいそうになぁ」と呟く。 ようやく、いつものひいばあちゃんのペースが戻ってきた感じ。
「100歳まで生きて欲しいと皆が言うけど、なかなか100年というと、いろんなことがあるわなぁ。あと三年やなぁ」 ひいばあちゃんがしみじみと呟いた。 「97歳でも、初めて入院すると、知らないこといっぱい経験したもんねぇ。」 と私が茶化す。 「はぁ、ほんまに、まだまだ知らんことや分からん事がいっぱいあるんやなぁ。」 そうですか。 97歳にして、まだまだ「知らないこと」や「分からないこと」がたくさんありますか。 その半分もまだ生きていない41歳の私には、分からない事や知らないことがたくさんあって当然ですね。 「ああ、ホンマにいろんなことがあるわいな」 入院中何度もひいばぁちゃんの口から漏れる金の言葉。 それは不本意な入院生活の事ですか。 それとも平和で穏やかな朝に突然起きた脱線事故の悲劇のことですか。 それとも迷いの最中にある41才の若造への戒めをこめた未来の予言でしょうか。
長年の仕事で小さく干からびたひいばあちゃんの手。 白髪をくるりとまとめて髷を結ったひいばあちゃんの小さな頭。 この中にはまだまだ教え伝えておいていただきたい金の言葉がたくさん詰まっているのだろうなぁ。 いとおしい思いで、点滴針の刺さる細い腕を長い事さすらせて貰った。
金曜日に入院したひいばあちゃん、予想通りもう「帰りたい帰りたい」モード全開。 97歳とはいえ、普段は食事もお風呂もトイレも自立していて、誰かの手を借りる事はない。頭もまだまだかなりはっきりしていて、入院の数日前まで釉薬掛けの仕事場に入っておられた。「今日は頼まれていた仕事を片付けてしまうつもりだったのに・・・」と甚だ不満そうな顔で入院なさっただけに、ただただ安静の病院生活には初日から愚痴をこぼしておられた。 耳がとても遠いので、看護婦さんや医師とコミュニケーションが取れるかどうか心配はしていたけれど、看護婦さんたちも年寄りの扱いには慣れている様子。見た目は比較的元気そうでトイレも食事も介助を必要としないひいばあちゃんなら大丈夫だろうと、昨日は義兄夫婦や義父母が代わりばんこに様子を見にでかけた。
夕方、様子を見に行った義姉が看護婦さんから「ひいばあちゃんが暴れた」と聞いてくる。又聞きなのでどういういきさつかはよくわからないが、24時間繋ぎっぱなしの点滴の管を嫌がられたのではないかという。 また義父はひいばあちゃん自身から、「看護婦さんたちがいきなり私を丸裸にして体をふいた。恥ずかしくて耐えられなかった」との愚痴を聞く。 ひいばあちゃんは若い頃からお産も入院も経験したことがなく、点滴も看護婦さんによる介護も初体験。看護婦さんも家族も一応丁寧に説明するのだが、耳が遠いのでそのうちのどのくらいが理解されているかは分からない。 それだけに、ぽつんと見知らぬ病院においていかれて、知らない看護婦さんたちにあれこれ体を触られること自体が、受け入れがたいのだろう。 トイレもお風呂も全部介助無しに行ってこられたひいばあちゃんの自負心が介護者に体を預けて安静にすることをどうしても良しとさせない。
今朝、私が病室に入ると看護婦さんたちから、ひいばあちゃんがゴミ箱の中に排泄をしたといわれた。 蓄尿(一日分の尿をためて量を量る事)のために使っているポータブルトイレの脇のペーパー用のゴミ箱になみなみとおしっこが入っているという。「まぁ、器用なことをするね。」と笑っておられたが、後でひいばあちゃんによく聞いてみると、一旦ポータブルトイレでしたおしっこを後からゴミ箱に捨てたのだという。普段家ではひいばあちゃんは夜の間ポータブルトイレでした自分の排泄物を朝、自分でトイレに捨てて処理なさっている。今朝もそのつもりで、捨て場に困ってゴミ箱に捨てられたのだろう。 決して寝ぼけてゴミ箱でおしっこをしたのではなく、いつものように自分の排泄物を自分で処理なさっただけなのだという事を、しっかり看護婦さんにも伝えておいたが、だからといって処理の手間がさほど変わるわけではないのだろう。「はいはい」と笑って、聞き流しておられた。
同室の患者さんたちは皆食事や排泄に介助の必要なおばあさん達なので看護婦さんたちも年寄りの扱いには慣れておられて手際もよく、愛想よく声かけもしてくださる。 けれどもよく聞いていると年齢を重ねた老人達に対して子どもに話すような必要以上に噛みくだいた物言いで話しかける。 認識のはっきりしない(ように見える)患者さんの頭上で、家族の人と患者さんの存在を無視した形で容態の説明をしたりする。 着替えや排泄の最中に必要以上の人員が目隠しカーテンの中に出入りしたり、日常生活でははばかるような排泄物の話などをおおっぴらに口にして、笑う。 それは介護や看護に熟練した人たちにとっては、患者さんや家族の単調な入院生活を明るくする親しみの表現には違いないのだろうが、そういう場に慣れないひいばあちゃんのような自負心の強い老人にとっては、「子ども扱いされている」ように感じられ、精神的なダメージも大きいのではないかと思われる。「病気の時は、仕方がない」という気持ちの切り替えも老人には難しい。 齢97歳。耳が聞こえないために一見「認知症?」と見まごうひいばあちゃんではあるが、意識は甚だしっかりしていて聞こえさえすればかなりのことをはっきりと認識なさる事が出来る。 この年齢までこつこつと自分の仕事をこなし、強固な意志と自立心をもってここまで生活してこられた偉大なる老女も、看護者、介護者の目から見れば、聞き分けのない幼い子どもや恍惚と化した老人達となんら変わりなく映るのだろう 日々の看護としては当たり前の「清拭(体をきれいに拭く事)」が死ぬほど恥ずかしいと思うデリケートな恥じらいの気持ちがこの皺だらけの老いた婦人の中にいまだに残っている事を理解してもらう事は難しいのかもしれない。
「こんな所はかなわん。早く帰りたい」と何度も訴えられるひいばあちゃんに出来るだけついていてあげたいと思う。 少なくともひいばあちゃんが「死ぬほど恥ずかしい」とおっしゃる清拭だけは、時間を聞いて家族のものが付き添って、ひいばあちゃんが自分でなされるようにして差し上げようと思う。
>先日来体調がよくなかったひいばあちゃんが今日近所の病院に入院の運びとなった。心臓の機能が低下して肺に水が溜まり、足のむくみがひどいのだという。少し動くと胸が苦し苦なったりふらふらしたりなさる。
97歳という高齢にも関わらず、自分で階下のトイレまでさっさと歩いていき、自分のペースで仕事をこなし、若い者と同じものを美味しく召し上がるひいばあちゃん。このまま当たり前のように100歳になり、バリバリ仕事をしながら120歳まで長生きなさるように思い込んでしまっていたけれど、やはり長年こつこつとよく働いた体も年をとると少しづつその機能の幅を狭めていくのだろう。 入院だ、点滴だといいながら医者にも付き添う家族にも「何と言ってもこの年でもあるしねぇ。」のニュアンスが残る。97歳という年齢は、もう、これから何があっても「大往生」と穏やかに受け入れられる年齢なのだろう。 けれども、当のご本人には、全くそんな弱気は見られない。 今日も「頼まれてた仕事を今日するつもりだったのに・・・」と甚だ不満そうに病院への車に乗りこんだ。医者の診断ではもうかなり息苦しくてしんどい筈というのに、本人は2,3日したらさっさと帰って残った仕事をするつもりでいる。実際の容態にも関わらず、本人はニコニコといたって上機嫌で、大きな声で話し、ご飯もたくさん召し上がる。
入院に付き添う義兄に義母も一緒に行くという。 女手が義母だけではおぼつかないというので、急遽私も一緒に車に乗っていくことになった。ひいばあちゃんを車椅子に乗せると、「私が押す。」と頑固に言い張るお義母さん。これまで嫁として厳しい姑に仕えてきたプライドがそうさせるのだろうか。義母自身の年齢や体調を考えると、まさに「老老」介護なのだけれど、嫁の意地のようなものが感じられて、ハッとする。
頭はとてもはっきりしているひいばあちゃんも、耳はとても遠くなっていて補聴器の調子もよくないので、医者や看護婦とのコミュニケーションがうまく取れなかったりするので心配だ。 相手の口調や声の調子によって、聞き取りやすい言葉やそうでない言葉があるらしい。お義父さんは「近頃ひいばあちゃんは耳がほとんど聞こえていなくて、トンチンカンな受け答えをする」とぼやいておられたが、私自身はひいばあちゃんのそばで一対一でお話していると、それほど大きな声を出さなくても私の話をよく理解して受け答えをしてくださっているように感じる。 決して聞こえていないわけではない。 だから、「ひいばあちゃんには聞こえていないはず」と油断しての会話や不用意な言葉は禁物と私は思う。
夜、剣道の送迎の間の時間に、入院生活に必要なものの買い物を済ませて再びひいばあちゃんの病室へ。 絶対安静が必要なのに本人はいたって機嫌よくベッドに腰掛けてお喋りをしておられる。いつもの茶の間でのひいばあちゃんとあまり様子は変わらない。鼻につけられた酸素のチューブが邪魔らしく、油断するとすぐにヒョイと鼻の上へ持ち上げてしまわれるのがいたずらっ子のようでなんともかわいらしい。病院は静かで退屈だとおっしゃるので二人でたくさんおしゃべりをした。 この人の孫嫁となってから15年。ずいぶん可愛がって頂いた。 いつも私のつたない手料理の味を褒めてくださり、子ども達の誕生をいつも涙を流さんばかりに喜んでくださった。 いつもは茶の間にちょこんと座ってTVを見ていらっしゃるか、仕事場の定位置で黙々と釉薬掛けの仕事をこなしておられるか。格別お世話したりお話をしたりというわけでもないのに、いつもそこに座っておられるという安心感が意外にも大きなものであったのだと改めて思う。 まだまだこの人を失いたくない。 お元気に退院されて、「この仕事が気になってたんや」といつものように仕事場のいすに戻っていただきたいと心から思う。
ひいばあちゃん入院の報をきいて、一番堪えたのは意外にもオニイだった。 道場への車中で、ひいばあちゃんの話をした。 「僕にとってはひいばあちゃんの存在というのは、何と言うかとても大事なんや。」としみじみと話す。 窯元の仕事を継ぎたいと本気で考え始めているオニイにとって、少女の頃から先々代に仕えてもくもくと職人仕事に励んでこられた偉大なる曾祖母の存在は意外にも大きいのだろう。 ひいばあちゃんは初めての男の内孫であるオニイの誕生を、本当においおい泣かんばかりの感激で祝ってくださった。先代さん(先々代)のお墓参りのたびに「『ボクが窯元を継ぎます』といいなさい」と幼いオニイに何度も教えられた。 自分の将来にストレートな期待を込めて見守ってくださるひいばあちゃんの思いをオニイは深く感じ取っているに違いない。 せめてオニイが正式に陶芸の世界に入る道筋が立つまで、ひいばあちゃんには元気に仕事場で頑張っていただきたい。 まだまだこの人を失いたくないのだ。
小学校、家庭訪問。 今年は、ゲンもアプコもそれぞれオニイとアユコが担任していただいた事のあるおなじみの先生方に受け持っていただいたので、家庭訪問も和やかな世間話の雰囲気で始まって、「よろしくおねがいしますね!」と笑顔で手を振ってお見送り。 どちらの先生からも、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)とほんとによく似ていますね。」という言葉がこぼれて、兄弟姉妹の「比較検討」話が盛り上がったのは可笑しかった。 親の目から見れば、子ども達の一人一人がこんなに違うものかと驚く事の方が多いのだけれど、外から見るとそのしぐさや声や立ち居振る舞いのくせなど、時々ビックリするほど兄弟というのは似るものらしい。 「背後からゲンちゃんに『先生!』なんて呼ばれたら、一瞬おにいちゃんの声と錯覚しちゃう事がありますよ。電話だったら判らないんじゃないかしら。」とおっしゃるので、 「ああ、オニイならもうしっかり声変わりしてオッサン声になってますから、その心配はないですよ。」と笑う。 そういえば、もうすっかり聞きなれてしまった声変わり後のオニイの声。 小学生の頃はどんな声で喋っていたのだろう。 毎日毎日聞いていたはずなのに、耳からの記憶って意外と曖昧なものなのだなぁ。
午前中はPTAの引継ぎの役員会の打ち合わせで、久しぶりに小学校のランチルームを訪れる。 新しい役員さんたちも出揃って、来週初めには担当役員を決めて正式に引継ぎの運びとなる。昨年度までの広報委員会の引継ぎ資料をどーんと段ボール箱に詰め込んで、PTA室の戸棚においてきた。 ようやくお役御免の日が近い。一年間一緒に活動してきた委員さんたちと久しぶりに会って、新学期の子ども達のことやクラス配分、移動された先生方のことなどひとしきりお喋りが盛り上がった。
その中で面白かった話。 子ども達が大きくなって、近頃ではパソコンの些細なテクニックやら知識やら子どもから教えてもらうことが多くなった。子ども達のパソコン習熟能力は驚くほど早くて、「おかあさん、こんな事も知らないの?」と言わんばかりに偉そうに教えてくれるのだという。 「子どもがいろんなことをどんどん覚えていくのって嬉しい事なんだけど、なんか癪にさわるのよね。」と皆で相槌を打つ。 「『アンタにパンツの上げ下ろしからおしっこの仕方まで教えてあげたのはこの母よ』って言ってやればいいのよ。」と私が言ったら、 「ホントよ、ホント!」と妙に盛り上がってしまった。 寝返りすら一人では出来ぬ赤ん坊に数時間ごとにおっぱいを与え、基本的な生活習慣を教え、歌うことを教え、言葉を教え、そうやって大きくなった子ども達がまるで何もかも自分の力で習得したかのように新しい知識を得意げに母に語る。 それは当たり前の子どもの成長で、親にとっては嬉しい事には違いないのだけれど、なんだかちょっと寂しいような、癪に障るような複雑な思いが胸をよぎる。 「そうはいってもまだまだ子どもは子どもよ」と言いながら、子どもの成長のスピードにちょっとブレーキをかけて、もう少しちいさな子どものままでいて欲しいというような気持ちになるときもある。
夕方、アユコが大きな通学かばんとともに、新聞紙でくるんだ花束を持ち帰ってきた。 中学生になってアユコが選んだクラブ活動は、茶道部と華道部の掛け持ち入部。今日は始めての華道部の活動があったのだという。 稽古で使った花材をそのまま頂いて帰ってきたのだ。 家族の目にしか触れない我が家におくよりは、たくさんのお客様を迎える工房の玄関に飾らせて頂こうとさっそく出向く。 工房のあちこちにしまいこんである水盤や剣山を探してもらい、花材を広げる。お稽古で先生に教えていただいたとおりにと、おさらいを兼ねて大振りな枝や薫り高いカサブランカを活け始めたアユコ、時折母のほうを振り返って小首をかしげる。 「だめだよ、アユコ。お母さんはお茶は少しは習ったけれど、お花は一度も正式に習った事がないんだもの。訊かれたって何にもわからないよ。」 自分では一度も習う機会がなかった華道の知識を、娘が新しく母の知らないところで習ってくる。そのくすぐったい嬉しさもまた、「ちょっと癪に障る」気持ちの裏返しだ。 「お母さんが知らない事を習ってくるのって、ちょっとワクワクするんでしょ?」 興に乗って、先生から今日お習いしたばかりのことを得意げに話し始めたアユコがうふふと笑ってこくりと頷く。
「おかあさん、今頃になって奥歯が一本生えてくるみたいなんだけど・・・」 この間、オニイがいぶかしげに尋ねた。 「ああ、それは親知らずだわねぇ。もっとずっと大人になってから生えてくることもあるから『親知らず』っていうんだよ。」 親の知らないところで、にょきにょきと力を蓄え、芽吹きを待つ子ども達の成長のパワー。 ちょっと嬉しく、ちょっとねたましい。 この複雑な母の心情。
七宝教室へ出かける。 とても天気がよく暑いくらいの陽気。 近所の木々も急に新芽を吹き出し、目に青々と気持ちがいい。 家の窓からいつも見える、綺麗な円錐形の大木に、今朝、初めて白い花が満開に咲いた。名前も知らない木だけれど、毎年この時期になると裸樹に急に新芽が着きはじめ、ある日突然満開に白い房状の花がつく。 その見事な変身振りが鮮やかで、毎年新鮮な驚きを運んでくる。
駅への道をタッタカタッタカ早足で歩いていたら、近所のNさん夫婦に会う。 奥さんが私に「いつも元気そうやね。」とにこにこ声をかけてくださる。 「はぁ。そうですかぁ?」と間の抜けた返事をしたら、 「いつもさっさと元気よく歩いてはるわね。」と奥さん。 傍らからご主人も 「うんうん、なんかこう、元気があふれ出してるって感じがするね。」 とこちらもにこにこと相槌を打っておられる。 「あらら、そうですか。もうちょっとあふれ出してくれると痩せるんですけどね。」と軽口を言ったら、わっはっは!とこれまた夫婦おそろいで豪快に笑っておられた。 ここ数日、なにかと考え込む事が多くて、ちょっと凹んだ気持ちだった私。 お洗濯もからりと半日で乾きそうな気持ちの良い陽気に、「さぁ頑張ろう!」とゼンマイをキリキリと巻きなおしての今朝の外出。 そんな張り詰めた気持ちの在処を、通りすがりのNさんご夫婦にばっちり見抜かれてしまったようでちょっと気恥ずかしい。
私はタッタカ早足で歩くのが好き。 家から駅までの十分あまりの坂道を日に何度かは早足で歩く。 登校する子ども達と一緒に転げるように下る。 愛犬を連れて夜の山道をびくびくしながら散歩する。 主婦友達とお喋りしながらダラダラ坂を上る。 もやもやした気分やイライラした感情を振り払うためにも、時々私は気合を入れて一人でずんずん歩く。 山の緑の移り変わりや途中で会うご近所さんとの短い会話が、主婦の変わらぬ日常を勇気付けてくれる。
Nさん宅は御夫婦とおばあちゃんの3人暮らし。 お休みの日には裏山の大木の枝を払ったり、急斜面にブロックを組んで花壇を拵えたり、ご夫婦揃って大掛かりな庭仕事に精力的に取り組む様子をお見かけする。 その仲のよい穏やかな暮らしぶりは、離れて暮らす実家の父母の生活にどこか似ているようなところがあって、嬉しいような切ないような懐かしい気持ちを呼び起こす。 通りすがりの挨拶やちょっとした立ち話のお付き合いでしかないご近所さん。 毎日お会いしているわけでもないのに、時々今日のように、ビックリするようなタイミングで「楽しそうだね。」「元気そうにしてるね。」と、お褒めの言葉を投げてくだったりする。 それは全く偶然のタイミングで、お互いが意図したものではないのだけれど、その偶然さもまた、実家の父の気まぐれな励ましの間合いによく似ていてハッとする。
実はNさん、どこから見つけてこられたか、この日記の存在を知っておられる。以前に「読んでるよ」と教えてくださった。 身の回りの顔を知られたご近所さんに、つたない日々の雑記を読んで頂くことは甚だこそばゆい居心地の悪い事なのだけれど、時にはどなたかに暖かく見守っていただいているような嬉しい気持ちにさせていただくことがある。 それは離れて住む両親からの突然の近況報告の電話のように、そしてまた何十年来ご無沙汰のかつての恩師からの思いがけない季節の便りのように、判で押したような主婦の日常の繰り返しに、さっと爽やかな風となって吹き寄せてくれる。 ありがたいことだと心から思う。
夫がいつも家で仕事をしていて、夫婦が始終一緒にいると、お互いのその日の気分や体調が微妙に影響しあって、二人同時にけだるい空気に落ち込んだり、突然急にハイテンションになったりする事がある。 ここ数日がまさにその状態だった。 仕事上の小さなトラブルや家族の心配事、片付かない懸案事項や果たせない目標。 それぞれに抱えている小さな痛い小石の存在を何となくお互いに意識しながら、「大丈夫、なんとかなるよ。」ともたれあう。 それは決して問題解決の力になったり、不安解消を消し去る即効薬になったりするわけではないけれど、とりあえずそこにその人がいてくれるということが大きな支えとなってくれる。 ありがたいと思う。 けれどもその安心が家族の前進の歩みを遅くしているのではないかと不安になる事がある。
TVの画面で激しく怒り罵声を繰り返す人を見る。 荒々しい木彫りの面の様な鬼の形相で人を罵倒する。 あれほど激しい憎しみの感情を何年もの間、持続し続けるエネルギーというのは一体何なんだろう。 その怒りはもう、感情の爆発とか相手への憎悪とかそういう激しい動機はなくて、日常化した日々の営みの一部としての定着してしまうものなのだろうか。 「近所迷惑な話だな。」とか、「あんな暴挙を何年も止める事が出来ないなんて、行政も警察も非力だな。」とか、ありていのコメントを述べながら、どこかで自分の激しい感情を恥も外聞もなく、あたり構わず投げつける事の出来る彼女を「うらやましい」と感じる私がいる。 それはもちろん、落として割ってしまったコップの小さな小さな砂粒大のガラス片のように、本当にひそかに床材の目地や部屋の片隅にきらりと残っているだけのほんの一瞬の想いだけれど、時にはそれがピッと小さな痛みになって、手探りをする指を傷つけたりする。
子ども達と生活していて、何よりもありがたいと思うのは、子ども達にはまだ真っ白で何もかかれていない未来がそれぞれに一人分づつ与えられているという事だ。 私自身の人生はもうそろそろ折り返し地点。 これから未知の坂を駆け上ったり、高い所から息を詰めて飛び降りたり、そういう冒険にめぐり合うことはなくなっていくだろう。 けれども子ども達の前にはまだまだ地図にかかれていないたくさんの道がある。私自身が果たさなかった夢や獲得しなかった宝に、今度は彼らが挑戦して手を伸ばすのだ。 今の私に出来ない事も、もしかしたらこの子等が何年か後に手に入れることが出来るかもしれない。 そういうふうに思うことで、今の自分の在り様をどこかで肯定的に受け入れる事が出来る。それが私にとっての「子育て」の意味だ。
「子どもの将来のために」と夫婦の時間やお金や生活の全てを費やし、離れて暮らす外国の夫婦の話をきいた。 「それで、あんた達夫婦の『現在』はどうなるの。」 と、父さんと二人、TVにツッコミを入れる。 「子どもより夫婦が最初」「30年後の大富豪より現在の穏やかな幸せ」と急に熱弁を振るい始めて、気がついたらここ数日の憂鬱が霧消していった。 ずるずると蟻地獄のように落ち込むのにも、力任せに這い上がるのにも、歩調をあわせて傍らに寄り添う相棒がいる。 そのことの心地よいぬるさに、もう少し甘えていてもいいだろうか。
先日、長野行きの荷物の荷造りをしていたときのこと。 従業員のNさんがぶつぶつぶつと独り言を言いながら、作品を大きなダンボール箱に詰めている。 「この子とこの子をあっちへいってもらって、この子をここへ入れたら、う〜ん、ちょっと窮屈すぎるかな。」 別に小さな子どもを定員いっぱい軽自動車に乗せようとしているわけではない。梱包材でくるんだ水指や華入等の作品を運搬用のダンボールにきっちり隙間なく詰め合わせているだけだ。 箱の中に無駄な空間が多すぎても200点近い作品を効率よく運ぶことが出来ないし、ぎゅうぎゅう詰めすぎても破損などの事故の原因ともなる。運搬に使うのは義兄の運転する大型のワゴン車で、積み込むスペースにも限りがある。だから、たくさんの作品を具合よく組み合わせて詰めるには、ちょっとしたコツと熟練が必要になる。 いつもこの仕事を担当してくださるNさんは、この詰め合わせの作業が得意である。いろいろ不規則な形態の作品をうまく組み合わせて、手際よく箱詰めしていく。 「このごろ、作品の大きさを目測で組み合わせる見当がうまくなった」と自分の技の熟練を笑っておられる。 「もっとも、こういうテクニック、ここ以外の職場に入っても何の役にも立たないんだろうけれど・・・」 自嘲気味に言われるけれど、本来職人仕事のテクニックというのはそういう特殊性に基づくものなので、他で応用が利かなくてもここで大いに役に立てばそれはそれで自ら誇っていいことなのだといつも思う。
「よその人が聞いたら、何のこと話しているのか、さっぱり分からないんでしょうね。」 Nさんが、自分で言って自分で可笑しがっているのは、作品の一つ一つを「この子」と呼んで、擬人法で話してしまうご自分の癖。 「べたべたの大阪人だねぇ。」 と私も笑う。 大阪の人(特におばちゃん)は、ちょっとしたものによく「さん」とか「ちゃん」をつける。 アメ(飴)チャン、オカイ(粥)サン、オイナリ(稲荷寿司)サン・・・ また、人間以外の動物や無機物に敬語を使ったりもする。 「小さいとき、『こんな所で猫さんが寝てはるわぁ。』なんて言うたら、九州出身の母に、『猫に敬語を使うなんて可笑しい』と笑われましたけど、関西では別に普通の会話ですよね。」 とNさんが笑う。 ホントにね、変な習慣ではあるけれど、確かに関西人にはいたって普通の会話だなぁ。
大阪のおばちゃんは、外出先で必ずといっていいほどアメチャンを配る。 大阪のおばちゃんが三人よれば、必ず誰かが「アメチャン、あげよか。」とバッグの中からもそもそと、のど飴だかドロップだかを出してきて皆に配る。その時出てくるのは確かに「アメチャン」であって、間違っても体裁のいい「キャンディ」とか「スウィーツ」とかいうしゃれた名前のものではない。 子どもが街頭で泣きぐずったり、ご機嫌を損ねてぷっとほっぺたを膨らましたり・・・。そんなときにもどこからか見知らぬおばちゃんがやってきて「アメチャン食べるか?」と助け舟を出す。それで子どもが泣き止むかどうかは別として、むずかる子どもに苛立って周囲を気遣う母親には、おばちゃんの心遣いにホッと心が和む事もある。 そういう困ったときのコミュニケーションツールである飴玉に親しみを込めて「ちゃん」付けする関西気質は、動物や無機物にまで無意識に敬語を使ってしまう可笑しさともどこかで通じている気がする。 それは時には押し付けがましく暑苦しいサービスでもあるけれど、ちょっとくたびれムードになったり、場の雰囲気がしらけたりしたとき、ちょっとした甘いものを皆に配ってコミュニケーションを図る知恵は、なんにでも「さん」や「ちゃん」をつけ、擬人化してしまうおばちゃんのおおらかさともどこか通ずる所があって私は好きだ。
作り手が製作した作品を梱包する。 窯から生まれた美しい作品をたくさんのお客様の前に披露する大事な架け橋ともなる梱包作業ではあるが、実際には重い作品を持ち上げたり、低い作業台の上で腰をかがめて番号付けをしたりという結構きつい肉体労働だ。 高価な割れ物を取り扱う緊張感の上に、限られた時間内に仕上げなければならない縛りもある。さらには、作品のリストアップが遅れたり、梱包完了後に変更が生じたりと小さな愚痴が溜まりがちな作業でもある。 けれどもそんな中で、 「ま、この子はここにでも収まっててもらいましょか」 とNさんの可笑し味溢れる擬人法は確かに最後まで失われることなくぽろぽろと零れ落ちる。 自分で梱包した作品を「この子」と呼ぶNさんの心持ちには、「よいものを作ろう」という作家の想いや幼子を見守る母の心情にもどこかよく似て、心地よいプロ意識が感じられてありがたい。 そんなことを思った。
明朝、長野の展示会の搬入。 よって、今日は午後から作品の梱包やら積み込みやらで大忙しになるので、朝、所用でとうさんと二人、大急ぎで街に出た。 とうさんはデジカメのパーツを買いに電器店へ。 私は、お仕事の資材を買いに手芸店やら百円ショップやらを超特急でハシゴ。 通りがかりにデパートのワゴンセールで義母に似合いそうな明るい藤色のベストを衝動買い。 最後に駐車場代を浮かせるために、スーパーの地下でいつも立ち寄るお肉屋さんで袋いっぱいのミンチカツやチキンカツを買う。 近くの八百屋でみずみずしい春キャベツと小ぶりのタケノコ、すっかり夏値段に落ち着き始めたきゅうりを買い求めて、車に戻る。 4件の買い物に要した時間は、ほんの40分足らず。 懸案の用事はほぼ全て完了した。 う〜ん今日は我ながらいい仕事してますぞ。 さっさと帰れば、11時過ぎのアプコの下校時間に充分間に合う。
荷造り仕事をあらかた終え、暖めなおしたフライで簡単ご飯。 腹ぺこの子ども達が炊飯器の前で、熱々ご飯が炊き上がるのを足踏みして待つ。その間に、一緒に買って来た春キャベツをトントンと刻む。ぎっしりと固く詰まった冬のキャベツと違い、ふわっと緩やかに巻いた春のキャベツは青々とした黄緑もさわやかで、刻んでいる包丁の先からもかすかな甘い香りが漂ってくる。 大急ぎで湯がいたタケノコもさっと若竹煮にして、鉢に盛る。 メインディッシュは出来合いの揚げ物てんこ盛りだけれど、サイドメニューには「春がいっぱい」ということで、今日はお許しいただくことにする。
子ども達の旺盛な食欲は、大皿いっぱいのミンチカツをあっという間に平らげていく。この一週間、白いご飯の消費量もググンと増えて、気持ちのいい速度で炊飯器が空になっていく。 新学年になって、心も体もざわざわ騒いで、春の陽気の中で過ごす時間が増えた子ども達。きっとあっという間におなかもすくのだろう。 いっせいに若葉を吹きだす春の樹木を見るように、子ども達の成長のスピードを半ば喜び、半ば呆れて今日も見守る。 一食3合が定番となっている我が家の炊飯。 そろそろ4合炊きにレベルアップの時期が来たのだろうか。
いつも揚げ物や肉料理ばかりを好むオニイが、珍しく春キャベツとツナを和えただけのサラダの何度も手を伸ばす。 「このキャベツ、うまいな。春って感じがするな。」 小さい時には、野菜といえばブロッコリとコーンしか食べなかったオニイが山盛りのキャベツをもりもりと食べる。千切りキャベツを鼻をつまんで、薬のように飲み下していた幼い頃のオニイがうそのようだ。 春の野菜の美味しさが分かる年齢になったのだな。 そういえば昔なら、「大人のおかず」だった筍の煮物にも、気がつくといつのまにか子ども達の箸が伸びてくるようになって、食べ余すという事がなくなった。子ども達も大きくなって、旬の野菜の嬉しさを一緒に味わえるようになったという事だろう。
大皿にてんこ盛りにフライがあっという間に空になる子ども達の旺盛な食欲の嬉しさ。 春野菜の甘さを一緒に味わうことの出来るようになった成長の頼もしさ。 春の食卓は楽しい。
2005年04月12日(火) |
巾着耳と赤レンジャー |
久しぶりの雨降り。 アプコ、今日初めて傘をさしてのランドセル登校。 国語と図画工作の教科書を持って行くのも初めてだ。 ランドセルに赤い傘がへばりついたような格好で、やっとの事でゲンの早足にくっついていく姿がなんとも頼りなげで可笑しい。 今日もアプコには「初めての・・・」がいっぱいだなぁ。 「行ってきます」が照れくさくて、「じゃね、バイバイ」と手を振るアプコを見送って、母にはひとつも「初めての・・・」がないいつもの家事が始まる。
先日、台布巾をきゅっと絞っていて思い出したこと。 私自身の小学校入学の時、初対面の教室でぴかぴかの一年生を前に担任のT先生は面白いお話をなさった。 「あのね、人間の耳には二つの種類があるのよ。 一つはね、人のお話をしっかり聞いてぎゅっと捕まえておく事の出来る『巾着耳』さん。 そしてもう一つは、人のお話を聞いても、すぐに忘れてしまう『ザル耳』さん。 皆さんは先生やお父さんお母さんのお話をちゃんと聞いて、頭の中にしまっておける『巾着耳』さんになりましょうね。」 当時の私は「巾着」という言葉をまだ知らなくて、紐できゅっと口を縛る布袋と海にいるイソギンチャクのイメージを重ねて、なんだか可笑しくて仕方がなかったのを思い出す。 大人になった今、小学一年生の入学式の思い出といえば「巾着耳」のお話ばかり。他にもきっとたくさんのためになるお話や大事な教訓をたくさん教えていただいたはずなのに、他は皆忘れてしまっている所を見ると、小学一年生の私はT先生のおっしゃる通り立派な「ザル耳」さんだったのだろう。 一年生の女の子の理解力や好奇心というのは、たいがいそんなものなのだ。
で、台布巾の話。 T先生は入学してまだ日の浅い一年生に、お掃除の箒や雑巾の使い方を丁寧に教えてくださった。 「箒は穂先のとがったほうを前に、とがってないほうを手前にして持つんですよ。部屋の隅っこはとがったほうで丁寧に掃きだして、広い所は穂全体を使って広く掃くんですよ。」 「机を拭くのは掃き掃除が終わったあとにしましょうね。先に拭くと掃き掃除の埃でまた汚れてしまいますよ」 家ではお母さんが適当にやっていると思っていた掃き掃除、拭き掃除にもちゃんとしたやり方や理屈に合った手順というものがあるのだなぁと子どもながらに妙に感心してお話を聞いていた記憶がある。 T先生は実際に教壇の上にブリキのバケツを置いて、真新しい雑巾を几帳面にキリキリ絞ってお手本を見せてくださった。 「雑巾はね、最初に4つにたたんでぎゅっと絞りましょう。絞った雑巾はたたんだままで机を拭くんですよ。そうして雑巾が汚れてきたら、今度はたたみ直して汚れていない綺麗な面で拭きましょう。こうすると一枚の雑巾が何度も綺麗に使えるでしょう?」 パタパタと雑巾を畳み替えて順々にクラスの子達の机を拭いて行かれるT先生の手が魔法のように手際よく見えた。 その印象がとても強かったのだろう。 大人になった今、家事全般お恥ずかしいほど手抜きでずぼらな私だけれど、雑巾や布巾を絞るときには必ず濡らす前にパタパタと雑巾を畳む。 二つ折の雑巾を手のひら全体で押さえて拭く。汚れたら裏返して綺麗な面で再び拭く。裏表使ったら、四つ折にして残った綺麗なところで拭く。 T先生が一年生の子どもに教えてくださった几帳面な雑巾掛けの作法が、40過ぎのおばさんの惰性に任せたいい加減な家事の中にも根強く残っていることの不思議。 小学一年生の女の子の記憶や吸収力もあながち馬鹿にしたものでもない。
お昼前、下校時間を見計らってアプコを迎えに出る。 今日は上級生との集団下校ではなく、初めて一年生だけでの下校になる。 帰り道が同じ方向の子ども達を集めて、何人かの先生方が途中までおくって出てきてくださる。 坂道の途中で待っていると、向こうから子供用の小さな3つの傘と長身の大人の傘が前になり後ろになりしながらずんずんこちらへ歩いてくる。 どうやら、アプコたちの班は校長先生じきじきのお見送りらしい。 「あらあら、お世話になってます。ここの班はVIP待遇ですね。」とご挨拶すると校長先生も笑っておられた。
「校長先生、入学式の時は赤レンジャーだったけど、今日は白レンジャーやね。」 恥ずかしくて「さよなら」も声に出していえなかったくせに、母と二人になると俄然元気になって学校であったことを機関銃のように喋りだすアプコ。 入学式のとき、演壇の上で礼服から赤いジャージに着替えて「校長先生は子ども達を守る地球防衛隊だよ。」とお話になった校長先生のことをアプコはひそかに赤レンジャーと呼んでいる。その赤レンジャーが今日は白い雨合羽で送ってきてくださったのが面白かったのだろう。 「今日はね、粘土やってるときに、校長先生が教室のドアが固くて締まりにくいのを見に来てくれたよ。」 と熱心に語る。 知らない先生、知らない友達がいっぱいの小学校で、入学式の時に強烈な印象を残した赤レンジャー=校長先生の存在が結構大きな位置を占めているのだなということに驚く。 いつもどこからかふらりとやってきて、自分達を守ってくれそうな大人がいる。 そんなたわいもない空想で新入学の不安を晴らしていただけるアプコは幸せだ。 私にとっての新入学の思い出は「巾着耳」のお話。 もしかしたらアプコにとってのそれは、校長先生の赤レンジャーになるのかもしれない。
「おかあさん、今日はくたびれたから寝るわ。」 お昼ご飯を食べたアプコが珍しくお布団を引っ張り出してごろごろしていたかと思うと本当にうとうとと寝てしまった。 お昼寝なんて本当に久しぶり。 朝からの「初めて」続きできっと心も体もくたびれるのだろう。 たくさんの「初めて」をいっぱい吸収して一日一日小学生らしくなっていくアプコ。 明日もガンバレ。
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