月の輪通信 日々の想い
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八百屋の店先に菜の花の束が目に付くようになって来た。 春だなぁと思う。 我が家では、冬場にはきゅうりや茄子はあまり食べない。 夏場には大根やかぼちゃの煮物は作らない。 出来るだけその季節が旬の食材を中心に頂くのが我が家の食卓の第一信条。そのなかでも、一番春を思わせる食材の登場は、実家からいつも送ってもらういかなごの釘煮と食用の菜の花。そして大きな皮付きのタケノコへと移っていく。
やわらかい先端の部分ばかりを短く綺麗に切りそろえて薄紙を巻いて束ねた菜の花よりも、太い茎の部分まで大雑把にワイヤーでくるりと束ねたものが好き。 いつもより少しやわらかめに茹でて、たっぷりの煎り胡麻で和え物にする。 少し残る苦味と香りがいかにも春の味わいで、心ほころぶ。
ザバザバと水洗いする前に、つぼみに黄色い花弁の色がのぞきかけた開花直前の数本を流しの前の小瓶に取り分けておく。 食用の菜の花のがっちりと太い茎は水揚げもよく、付いているつぼみはいつも数日のうちに綺麗に開花する。 春の日差しの入る台所の出窓で、洗ったお茶碗やガラスコップの合間に晴れやかな黄色を誇らしく輝かせる菜の花の一輪挿し。 ひと束で二度美味しいおまけつきの春の楽しみのために、私はあえてお買い得な茎の長い菜の花を買い求める。
夕方、工房のお茶室でいつもの茶道のお稽古。 庭に花の少ない冬の間、お茶室に活けるお茶花の調達には毎回苦心する。 先週は花屋の店先で見つけた出始めたばかりの雪柳と変わった色のポンポン菊で乗り切ったが、さて今週はどうしようと父さんと相談していたら、どちらとも無くお台所の菜の花に目が行った。 数日前に取っておいた菜の花はそのうちの一本がちょうどこぼれるように開花し始めたところ。 「わるいなぁ、貰っていいかな。」 と、父さんがそそくさと抜き取って持っていってしまった。 あらら、ひと株で3度美味しい菜の花だわ。 お買い得菜の花の異例の出世がおかしくて笑う。
夜、お茶のけいこが済んだ父さんが、先生から頂いたという嵐山の名物桜餅の折箱をお土産に持って帰ってきてくれた。 菜の花が桜餅に化けたらしい。 春の菜の花には本当に楽しみが尽きない。
昨晩からの雨の名残の残る卒業式の朝。 「久しぶりにスカートはいたら寒いわぁ」 と朝から何となく落ち着かないアユコ。 ここ数日、友人達との残り少ない小学校生活を惜しむように、ずっとハイテンションで登校していた。たくさんの友達に恵まれ、信頼できる先生方と出会い、楽しい経験や行事を色々経験して、晴れやかに迎える卒業式。 長い人生のまだまだほんの入り口に立ったばかりとは思いつつ、ぐんと背も延びて女の子らしいしぐさも目につくようになってきたアユコの成長振りに母も何となく心が揺れる。 父さんも早々に朝の仕事を切り上げて、ネクタイを締める。 「なんだか6年間もあっという間だったネェ。」 先日のアプコの卒園式とはまた違う感慨がこみ上げる。
卒業式にあわせて、久しぶりのアユコのスカートを縫った。 アユコの好きな水色のチェックでちょっと長めのフレアスカート。長くのびた前髪をきゅっと後ろに掻きあげて束ねた髪型にちょっと古風なフレアスカートは生真面目なアユコらしくてよく似合う。 デパートの式服売り場ではなかなかお気に入りの衣装に出会うことが出来ず、値札の数字にも嘆息していたら、アユコが母の作った服でもいいと言ってくれたのだ。 小さい頃には母の作ったジャンバースカートやワンピースを喜んできていたアユコも最近ではジーンズやパンツ姿が多くなり、ホームメイドの服をきる機会は何時しかなくなった。それを寂しいとは思いつつも、こちらもなかなかお裁縫に精を出す時間的な余裕も無くて、我が家のミシンは雑巾作成専用機に落ちぶれている。それだけにアユコの申し出は嬉しくもあり、意外だった。 普段着のバーゲン品の値札をよく知っているので、デパートのブランド品の破格の値段に恐れをなして遠慮したのかなと思って聞いてみたら、 「入学のときにも、お母さんの縫ったワンピースを着たのだから、卒業式のときにもお母さんの作ったスカートがいい」 と泣かせる台詞を言ってくれた。
入学のとき、アユコに着せた紺と緑のチェックのワンピースもチクチク夜なべをして私が縫った。あの頃のアユコは恥ずかしがりやの泣き虫で、名前を呼ばれてもきゅんと小さくなって母の後ろに隠れるような女の子だった。 たくさんの新入生の中にまぎれて、唇を引き結んできょろきょろと落ち着き無く周りを見回していた小さいアユコの姿を思い出す。 今のアユコのような、仲のよい友達ともつれ合って笑い、クラスの男の子達のことを手のかかる弟分のように話す姐御肌の活発な女の子の姿はあのころ想像すら出来なかった。 おおきくなったもんだなぁと思う。 「どんどん大きくなるから・・・」の親心でついつい大きめに作って後から縫い縮めたワンピースは、この四月、同じ年頃のアユコよりは少し成長の早いアプコの入学式の衣装として再登場する。 「振り出しに戻る」だなぁとも思いつつ、アプコにもアユコのような充実した楽しい小学校生活が迎えられるようにと願う。
アユコのスカート。 作るに当たってアユコからはたった一つだけ、リクエストがあった。 「スカートには絶対ポケットを作ってね。ハンカチ、入れるから。」 そうだねぇ、最後のコーラス時には感激してぽろぽろ泣いちゃうかもしれないもんね。久しぶりに洋裁の手引書を引っ張り出して、やっとの事でポケットもつけた。 身支度の最後に綺麗にたたんだハンカチをしっかり持って、アユコ巣立ちの日。 いっぱい友達と握手して、先生と一緒に涙を流して、ポケットいっぱいに思い出を詰め込んでおいでね。
オニイは美術部の部長。 春休みに部員達を工房の見学に連れてくると言う。 「いいよ、いいよ」と父さんの予定の空いた日を選び、「見学の内容や時間はちゃんと企画しなさいよ」といっておいたが、3学期もあとわずかだと言うのになかなか概要が決まらない。 「そろそろちゃんと決めて、部員にも先生にも父さんにも伝えなさいよ」と小言を言ったら、 「ちゃんと考えてあちこち調整してる最中だから。悪いけど、僕の思うようにさせてくれる?急がなアカンのもよくわかってるから・・・」 と帰ってきた。 「あ、そう」と引き下がったけれど、今の言い方、誰かに似てる。 父さんだ。 予定が詰まってアップアップしそうなとき、何か手伝えることがあればと私が口を出すと、きっと帰ってくるその言葉。 「悪いけど、僕の思うようにさせてくれる?」 いらぬ差し出口を責める口調にならないよう最大限気を使って選んだその言葉は、いつも早手回しに口を出してしまう私への常套の断り文句だ。 似てる、似てる。
「かあさん、アユコって、人を使うのがうまいよな。」 二階から降りてきたオニイが愚痴る。 「なぁに?アンタの部屋の洋服片付けるように言われたんでしょ?」 「当たり。何で分かったの?やっぱりアユコ、口調だけじゃなくて発想も母さんに似てきたのかなぁ。」 などという。
「あ、いいな。僕もサイダー、頂戴!」 と擦り寄ってきたゲンに「いや!やらない!」とむげに断るアユコ。 大きなペットボトルにいっぱい残ってるのに、アユコってけちんぼだなって言うと、 「いいの。ゲンは今さっきまでコタツでぬくぬくしてて、『コップ取ってきて』といっても全然聞こえない振りしてたから。飲む資格なし!」 とアユコが口を尖らせて言う。 「ゲンよ、それはアンタも悪い」と思っていたら、 「今の言い方も母さんに似てるよな。」とオニイが笑う。 横から父さんまで、おかしそうにへらへら笑っている。 あたしってば、いつもあんなにぐうの音も出ないような断り方してたんだっけ? そうかなぁ、もうちょっと愛のある言い方してると思うけどなぁ。
「子は親の鏡」と言うけれど、ちょっとした物言いや態度を即座に映す子ども達の存在は大きい。 しかもその「あ、今の、母さんに似てる!」を、子ども達の口から指摘されるのは痛い。すごすごと引き下がって、項垂れるしかない。 いつも私を取り巻く子ども達の目。 毎日毎日、厳しく測られる私の日常を重く感じる。
アプコ卒園式。 昨夜の雨もあがって、晴れやかな陽気の朝だった。 すっかり短くなった制服のスカート。 髪飾りを気にしてヒョイと後ろに跳ね飛ばしたままの制帽。 擦り切れてかかとが柔らかくなってしまった通園靴。 見慣れた制服姿のアプコも今日で見納めだ。 父母にとっても、オニイの代から数えて11年通った幼稚園からの卒業の日。 園児の増加ですっかり窮屈になった園舎にも、おなじみの先生達にも感慨無量。
思えば長かった我が家の幼稚園生活。 オニイが在園していた頃から比べると、園児の数も増え、先生方や職員の方のお顔もほぼ入れ替わった。 特に今年は、今年度限りで退職される先生がたくさんいらして、中堅、ベテランの先生方がごっそりと7人もおやめになるという。 我が家の子ども達がお世話になった先生方もたくさん退職なさって、たった一人しかお残りにならない。アプコの卒園を期に、すっぱりと幼稚園とのご縁が切れてしまうようでなんとも寂しい。
幼稚園の先生方がお若いうちにどんどん退職なさるのは、何故なんだろう。 「寿退社」とか園の経営システムだとか、なんだかそういうものがあるかなぁ。 新任で「右も左もわかりません」状態の先生方も、初めて担任のクラスを持って日々の忙しい保育に奮闘するうちに、卒園児を送り出して中堅になり、次第にベテランの先生に成長なさっていく。 我が家のように幼稚園長期戦の保護者にとっては、子ども達の成長とともに、若いお姉さん先生達が日ごとに熟練した保育者として自信を持ち、活躍していかれる過程を見守っていくのも楽しい。 傍若無人のやんちゃ坊主達に手を焼き、泣き虫甘えん坊をしょっちゅう抱きかかえ、ついでに事あるごとにいらぬ口を出す「お母様方」の親バカな要求や苦情ににこやかに応える。それがお仕事とは言うものの、肉体的にも精神的にも結構しんどい職業なのだろうなぁとも思う。 それだけに、手のかかる30人の園児達との付き合い方のスキルをようやく習得した先生方が「ご結婚」だとか「園のシステム」だとかで、ポンとご退職になってしまわれるのは本当に惜しい気がする。 ああいう人たちこそ、ご自分の家庭を持たれて出産や育児のしんどさや喜びを経験した後に再び「幼稚園の先生」として職場に戻られたら、きっと若さばかりでない円熟した魅力のある先生になられるだろうに。
アユコが幼稚園児だった頃、生まれたばかりの赤ちゃんだったアプコに「アプコちゃんが幼稚園にこられるまでは、きっとお待ちしていますから」とおっしゃっていたK先生も今春ご退職になる。 ちゃんとお約束を守って、アプコの卒園を待っていてくださったように思えてありがたいが、反面これから園を訪ねてもK先生の笑顔にお会い出来ないのが寂しい。 大柄なからだを小さく曲げて、必ず園児と同じ目の高さでお話になる本当に気持ちのいい先生だった。いかにも「子どもが好き!」という気持ちがにじみ出ていて、子ども達にも保護者にも絶大な人気があった。ああいうベテラン先生が職場を去ると言うことは本当に大きな損失だと思う。 近頃急に綺麗になられたとのうわさもあるので、もしかしたら次の活躍の場が見つかってのご退職なのかもしれない。あの人なら家庭に入り、母親になっても、きっと懐の深いよいお母さんになられるだろう。それはそれで意味のある、嬉しいことには違いない。
「おかあさん、卒園のお饅頭、ピンクの方のを頂戴ね。」 いつまでもウルウルと感傷に浸る母とは違い、アプコの視線はとうに明日を向いている。毎日通った小さな園舎よりも、新しいランドセルや給食当番や国語のノートの方に惹かれるのだ。 卒園式を終えて、父さんと前々から約束していたと言う「卒園記念パフェ」の念願を果たし、満面の笑みで生クリームたっぷりのイチゴをほおばるアプコ。 ようやく母港を出たばかりの新米航海士のアプコにはまだまだ振り返ってみる過去はない。意気揚々と前途を見つめる視線の晴れやかさが母にはまぶしい。
トッポのタイヤが全部パンクして、坂道をトボトボと歩いて助けを求めにいく夢をみていた。 いきなり、枕元を騒がしく人が通る気配がして、 「うわっ!えらいこっちゃ!」と慌てる父さんの声で目が覚めた。 「7時35分!」 うぎゃー!今日は、月曜日。 いつもならもう、小学生、幼稚園組はバタバタと玄関を走り出ている時間だ。 しまった! 寝過ごした! 近頃、揃って早起きするようになった女の子組も、いつもなら早朝から仕事に出て朝食に帰ってくる父さんも、皆より少し早めに起きてお弁当の支度をする私も、もちろんいつもしつこく呼ばないと起きてこない男の子組も、 そろいも揃って爆睡していてこの時刻! ど、ど、ど、どうしよう!
家族そろって、「頭の中真っ白!」のパニックに陥りながら、とりあえず着替えて、昨夜の残り物でご飯を掻きこんで、ソライケー!っと父さんが出動。 小学生幼稚園組をトッポに詰め込んで全速力で送っていってくれた。 「うわっ!えらいこっちゃ!」から数えて、ものの十分あまり。 見事なチームワーク! いつものんびりダラダラマイペースのアプコでさえ、この非常事態に遅れをとることなく彼女なりの大急ぎでいつもの園バスの時間に何とか間に合わせる事が出来た。 素晴らしい! 4月からぴかぴかの一年生。 きっとゲンに手をひかれての集団登校も、たくさんのクラスメートとの学校生活もちゃんとこなしていけるだろう。
「なんか凄い勢いだったね。」 2階からパジャマのまんまのオニイがのそのそと降りてくる。中学生は先日の卒業式の代休でお休みなのだと言う。 「ほんとにねぇ、参ったよ。何で目覚まし、鳴らなかったんだろう。」 と、ほっと一息。 さあ、とコタツに潜りこんだらなんだか硬いものに触れる。 アユコの上靴!昨夜、半乾きだったのでコタツの中で乾かしていたのをすっかり忘れていた。 ど、ど、ど、どうしよう、再び。 上靴を手に、空っぽの頭をさらに空回りさせて、うろうろ歩き回る。 「卒業式の練習だし、寒い体育館で裸足はかわいそうだよなぁ。持っていくしかないか・・・。」 ・・・・母も出動。
参った。 起きぬけの寝ぼけた頭で非常事態2れんちゃんはきつかった。 小学生幼稚園組と揃って登校する朝はあと二日。 ホントなら朝の空気を楽しみながら、ゆっくり歩いて登校するはずだったのに・・・。 ああ、ダメだダメだ。 なにやってんだかなぁと脱力すること小一時間。 なんだかほんとに疲れる朝だった。
父さん隣のH市の公民館で講演会。うちの窯の歴史や作品について、約一時間半の講演をするという。 「どうしよう、えらい事引き受けてしもたなぁ」 と、ここ一週間、父さんは資料をそろえたり、古い作品の写真を用意したり、まるで夏の終わりの小学生の様な形相で慣れない講演の準備に追われていた。 今年は、初代吉向が大阪の十三に窯を開いてちょうど200年。 うちの窯の歴史の大きな区切りの年でもある。 義父や義兄はこれまでにも展覧会やお話の会等で作品や窯の歴史についてお話しする機会は多かったか、日頃、主に制作担当で講演の経験は少ない父さんにとっては、今回がまさに講演会デビュー。 お話しする内容は、幼い頃から何度も何度も聞かされた先代さんの逸話や江戸時代に各地のお庭焼に関わった初代さんの活躍など、父さんにとってはなじみの深い昔話のような親しいお話ばかり。 陶芸教室などで人前で話すことには慣れているはずの父さんも、マイクを前に改まっていお話をするとなると、なかなか勝手が違うらしい。 うちの窯のことを知らない方にも楽しめるようにと、たくさんの資料写真を集めたり、裏づけを取ったりと、事前の準備だけでも、あれやこれやと忙しく横で見ているだけでも何となくハラハラと胃が痛くなる想いだった。
今日、講演会当日。 「奥さん同伴で講演にいくのは、かっこ悪くてイヤだなぁ」と渋る父さんに、荷物持ちにかこつけてついていく。 父さんの講演会デビューの晴れ姿を見届けておきたい気持ち半分。 心配な気持ち半分。 まるで参観日の母の心境。 会場の隅でレコーダーのスイッチを押し、演壇の上の父さんと眼が合うことのないように、一度も顔を上げないように務めて速記者のようにメモを取ることに集中する。 会場にお見えになった方の中には陶芸教室の生徒さんや、スタッフ講習でお世話した方などおなじみのお顔もたくさんならんでいて、父さんの緊張も次第にほぐれてきたようだった。
一時間半の講演を、ほぼ時間いっぱい使って話し終えた父さんの顔はにこやかだった。 父さんの話の内容をびっしりと書き起こしたレポート用紙は実に12枚。 窯の歴史の変遷に古い作品の解説もまじえて、そこそこまとまった形の講演内容になった。 あくまで実践派で、研究内容をまとめたり講演をしたりすることが決して得意ではない父さんにも、200年受け継がれた父祖代々の功績や何度も聞き覚えた義父の昔話など豊富な挿話や作品の歴史が大きな助けになっていたように思う。 「語るべきものをたくさん持ち合わせている」と言う事は、話術の巧拙に関わらず、面白い話を語る大きな力になるということがよくわかった。
休み明け。 相変わらず寝起きの悪い子ども達は大慌てで朝食をとり、あわただしく出かけていく。ちょっとぐずぐずモードのアプコはいつもの朝のペースについていけなくて、べそをかく。 卒園式まであとわずか。 アプコは今年まだ一回もお休みしてなくて、「一年皆勤」のごほうびをずいぶん楽しみにしているものだから、「今日はやすみた〜い」とも言えないらしい。ちょっと風邪気味な事もあって、「たまには、いいか」と園バスを断ってお車登園で甘やかしてみる事にする。 ほんの十分あまり、コタツでうだうだしながら朝の子ども番組をながめていたら、あっという間に「幼稚園、行かなくっちゃ!」の元気も出て、「おかあさん、早く早く!」と車に乗り込む。 子どもっていうのは、ほんのちょっとの甘えん坊で「イヤだなぁ」の気分がきっぱり晴れることもある。 それは多分、大人もね・・・。
で、出かけようと思ったら、ゲンの忘れ物に気が付いた。 昨日アイロンをかけた給食のエプロン。 ありゃりゃ、やっぱり忘れてったよ。 しょうがないので、アプコを幼稚園に送るついでに届ける事にする。
ちょうど小学校に着いたのは1,2時間目の授業中。 体育館やら教室からかすかに声は聞こえるけれど、運動場や児童用の玄関には人影もない。 寝屋川の事件以来、市内の小中学校の校門は子ども達の登下校時間以外は厳しく施錠されることになった。 学校を訪れる保護者やその他の来校者は校門横のインターホンで職員を呼んでナンバー式の南京錠を開けてもらって中へ入る。四六時中インターホンの番をして、来訪者があるたびに職員室から鍵を開けに走らなければならない先生方は大変だ。 保護者の方でも、何となくいちいち鍵を開けるために人を呼ばなければならないのが気詰まりで、ちょっとした忘れ物を届けたり、急な雨に傘を届けたりという些細な用事で学校を訪れるのが億劫になったりする。私はたまたまPTAの役員の仕事でしょっちゅう学校に出入りするので、南京錠のナンバーを内緒で教えていただいたが、かといって重い門扉にじゃらじゃらと真新しい鎖につながれた南京錠を、黙って自分で開けるのにも何となくちょっとした戸惑いも感じたりもする。 それも子どもらの安全のため。 少々の不便は致し方ないことなのだろう。
車を降り、校門に近づくと人影がある 立ち木の向こうに見え隠れするのは大柄だけれど大人ではなくて、何かの事情で遅刻してきた高学年の男の子だった。ランドセルを背負ったまま所在なげな様子を見ると、生徒用の通用門が施錠されているので仕方なく正門の方へ回ってきたものらしい。 「おいで、鍵開けるから一緒に入ろう」 と手招きすると、ことばもなくのろのろと寄ってきて一緒に校内へ入る。 体調が悪くて遅刻してきたのかな。 月曜日、今朝のアプコのように「なんか学校行きたくな〜い」の気分で仕方なく登校してきたのかな。 去年の春、過敏性腸炎を伴う不登校で、何度も定刻に登校できないオニイを「遅刻でも気にしなくていいから・・・」となんとか送り出していた母としては、とぼとぼ項垂れて歩いてきて鍵の閉まった校門の前で途方にくれる男の子の姿になんとも心が痛む。 もちろん、インターホンを押しさえすれば職員室からすぐに先生がとんできてくれて「おはよう!」と迎えてくださる事は彼にもきっと判っているのだろう。 それでもやっぱり重い鉄扉にかけられた新しい南京錠の存在は、定刻を遅れて一人で何とか登校してきた彼にとっては、気の重い校門の敷居を高くしてしまう。もしかしたら、くるりときびすを返して登校せずに帰ってしまうこともあるのではないだろうか。
本当なら学校の門は、いつも入ってくる人に対して大きく開かれている方がいい。 今にも降り出しそうな空模様に、母親がそっと我が子の靴箱に傘を置いてくることができるように。 何となく凹んで誰かの励ましが欲しい卒業生がふらりと訪れて恩師の笑顔をうかがうことが出来るように。 遅れて登校した少年がそろりと目立たずに教室に滑り込む事が出来るように。 そういう当たり前の暖かさで訪れる人を迎えることの出来ない閉ざされた門は悲しい。 私たちのK市では市内の公立の小中学校全部の門にオートロック式の施錠とインターホンの導入がいち早く決まった。インターホンが鳴るたびに先生方が慌てて鍵を開けに走る不便はかなり軽減されるだろう。 施錠された門扉を中から開けてもらって入れていただく心理的な負担も慣れれば少しは軽くなるのだろうか。 オートロックや防犯ベル、警備員に守られなければ、安心して学校生活を送る事の出来ない現代の子ども達は、決して恵まれてはいない。
近頃、夫がちょくちょく仕事場から自宅へ帰ってくる。 格別何か用事があるわけでもなく、何となくコーヒーを飲んだり、「15分だけ寝る」とタイマーをかけて居眠りをしたり・・・。 そうかと思うと、休日には突然子ども達と一緒に出かけようと言い出したり、やたらと外食したがったりする。 忙しくて忙しくて、猫の手も借りたいはずなのに「なんか、ぱーっと面白い事ないかなぁ。」なんて呟いたりする。 そして時には、いきなりツンツン苛立った表情で帰ってきたかと思うと、一人でやたらとため息をついていたりする。 「よおし!がんばろ!」と誰にともなく声をかけて、拳を固めて再び仕事場に帰っていったりする。
締め切りに迫られた気の張る大作の制作中なのだ。 三彩の大壷の焼き上がりが思うように行かなくて、何度か釉薬をかけなおして焼き直しを繰り返しているらしい。 陶芸の作品は、窯の炎に全てをゆだねた一回限りの芸術のようにも言われるが、こと三彩に関しては何度か焼き直す事によってより味のある釉薬の流れを生み出したりすることもある。 ○○サスペンスなどのドラマの中ではよく、気難しい陶芸家が窯から出たばかりの作品に得心が行かないからとその場で地に叩きつけて壊してしまうシーンが描かれるけれど、実際には一旦焼きあがった作品を再び焼直して改良したり、作品を仔細に調べて原因を検討したり、気に入らない作品に結構長い事こだわって関わっていたりするものだ。 さすがに一発でスパーンとうまく仕上がった作品の爽快さはないけれど、出来不出来に関わらず自分が作り出した作品への強い愛着と思い入れがそこまでのこだわりを生むのだろう。 背中を丸め、窯から出たばかりの作品の瑕疵や不具合をいつまでも惜しそうに見つめる夫の後姿を、私は必ずしも女々しいとかかっこ悪いとは思えない。
釉薬掛けの途中で乾燥を待つ間とか、焼成中の窯がとまるまでの30分とか、わずかな空き時間に帰ってきては、所在なげに家の中をうろうろしてたわいないおしゃべりをして、再びふらりと仕事場へ戻っていく。 ワクワクと調子よく帰ってくることもあれば、ペションと凹んで言葉すくなく帰ってくることもある。 昼間、がしゃんと玄関が開くたびに、帰ってきた夫の表情や声の調子で工房での仕事のはかどり具合をそっと伺うのが癖になった。 先日、ネットで見つけた京都の陶芸作家の奥様のエッセイでも、同じように仕事の合間にしょっちゅう自宅へ帰ってきてはお茶を飲んだり、急に「出かけるぞ!」と言い出したりする作家の日常が描かれていて、「ああ、ここのうちでもそうなんだな」と妙に親近感を覚えた。 上機嫌も激しい落ち込みも全ては窯の出来次第。 仕事場と家庭が直結している窯元や作家の宿命と言うものだろうか。
「よし、気を取り直して、もう一回!」 夫が自分に気合を入れなおして立ち上がる事が多くなった。 「父さん、このごろなんだか号令ばっかりかけてるネェ。まるで、試験前のオニイとおんなじだぁ。」 と笑って夫を送り出す。とってももどかしい事だけれど、奥さんにできる事と言えば、帰ってきた夫に熱いお茶を入れたり、夕餉の膳に好物の惣菜を一皿添えたり、そんな些細なことばかり。 号令と言うものは、自分で自分にかけるしかないものなのだなぁ。 がんばれ、父さん! すたすたと工房に戻ってい夫の背を、かちかちと火打石を打つ想いで今日も見送る。
「おひな祭りには、ちらし寿司ね。」とアプコは数日前からすいぶん張り切っていた。 錦糸卵にイクラや三つ葉を散らしたお祭り気分の一皿の嬉しさのほかに、大きな寿司桶の周りでパタパタと団扇を使い、甘い寿司飯をお味見しながらお料理をする楽しさに、ワクワクと心躍らせていたようだ。 昨日は園からの帰り道、アプコと二人でちらし寿司に入れる具材を一つ一つ指折り数え上げて買い物の相談をしながら歩いた。 「ほそ〜く切ったたまごでしょ、イクラでしょ、えびでしょ、カニかまぼこでしょ・・・・それから、スポンジみたいの、アレ、なんだったっけ?」 「あはは、高野豆腐!よく覚えてたねぇ。」 アプコが思い出すのはお子様用に彩りに加えた華やかな具材ばかり。にんじんや椎茸、ちりめん雑魚のようなオーソドックスな具材の名前はなかなか上ってこない所がかわいらしい。 「それからね、アレも買うんでしょ。アレ、アレ・・・。ス、シ、ズ!」 「寿司酢!難しい事、覚えてたねぇ!」 にんじん椎茸は忘れているのに、妙なものを妙にはっきり覚えているアプコ。前回ちらし寿司をこしらえたときに、普段は使わない頂き物の寿司酢を初めて使ったのを記憶していたらしい。 楽しい経験とともに覚えた記憶と言うのは、存外はっきりと長く消えないものなのだなぁと改めて感心する。
「いっぱい、買い物してこなくちゃね。覚えられるかなぁ」 と話していたら、夕方、夕食の支度をしに台所に立つと、流しの上にたどたどしいアプコの文字のメモ書きがハラリとおいてあった。 「たまご しいたけ きゅうり かにかまぼこ・・・」その最後には、忘れず「すしず」のひとこと。 ちらし寿司の買い物メモだ。 鏡文字満載のつたない文字だが、ちゃんと右から左へ、一言ずつ箇条書きにして、上手に並べて書いてある。それはいつも私が冷蔵庫に貼り付けている備忘の買い物メモとおんなじ書き方。こんな所まで、子どもって、真似をするんだなぁ。 「ねぇねぇアプコ、これなーに?」 メモの真ん中あたりにある『みつばのくろうばー』 「あのね、なが〜い棒のついた葉っぱみたいの・・・小さく切ってパラパラってかけるでしょ」 「あ〜あ、三つ葉のことね。」 シロツメグサの四葉を探すのが好きなアプコらしい命名。ほんとのところ、シロツメグサと薬味の三つ葉は同じだと思っているらしい。 春の日の摘み草の楽しさと、イベント気分のちらし寿司の嬉しさがどこかでイメージとしてつながっているのかもしれない。
「アユ姉ちゃんがいないからアプコにカニかまぼこ、切ってもらおうかな」 いつもお料理好きのアユコが独占する包丁係をアプコに任命してみる。いつもは「やりたい、やりたい!」というくせに、オネエのサポート無しではちょっと自信がないアプコに、パックのままのカニかまぼこと包丁まな板を与えて、その場を離れてみた 「手ェ、切ったらどうするのよ!」 とぶつぶつ言いながらも、自分でパックを開け始めるとアプコは急に無口になって、そのうち、コトンコトンとのんびりした包丁の音が聞こえてくる。 傍らからそっと覗いて見ると、左手をお行儀よく「猫の手」の形にして赤いカニかまぼこを一本ずつ丁寧に刻んでいる。その手つきも慎重さも幼い頃のアユコにそっくり。近頃しっかりアプコの「第二の母」となったアユコの料理指南の賜物だろう。 「綺麗に切れたよ!」 とできばえを家族みんなに触れ歩く嬉しそうな顔に、「この子もアユコのように料理好きな女の子に育ってくれそうだな」と嬉しい予感がした。
おばあちゃんちから借りてきた大きな寿司桶で作り上げたちらし寿司は8合分。 小さなお重に詰めてまずはおじいちゃんおばあちゃん達におすそ分け。 錦糸卵にイクラや三つ葉を飾る作業は、本日功労賞のアプコが大威張りで仕上げて、風呂敷に包んで配達に出かけていった。 「今年はあたしが作ったよ」と得意満面で説明している事だろう。 今年の雛の日はちょっと嬉しいアプコの包丁記念日。 きっと「得意料理はちらし寿司よ」と、あちこちで公言するようになるだろう
久しぶりに、冬枯れの庭に出たらクリスマスローズの鉢に大きな赤紫の花が三つもついていた。夏の暑さにやられて大きな葉っぱを全部失って、今年はまず咲かないだろうと諦めていた一鉢なのに、まばらな葉の間からにゅっと延びた花茎にどっしりと立派な花を重そうにつけ、しかもまだ二つ三つ新しいつぼみも抱きかかえているようだ。 放っておいて悪かったねと家の中からよく見える一階のベランダの一等地に鉢を持ってあがる。 クリスマスローズは、シクラメンのように花茎をくいっとまげて下向きに花をつける。その昔、私はそういう下向きに花をつける植物が何となく苦手だった。ろくろ首のように捻じ曲げた花茎の曲がりようが、何となくいじけた 感じがして心が晴れない気がするからだ。
そういいながら、うちにはもう何鉢かのクリスマスローズが常駐している。室内には冬ごとにシクラメンの鉢が置かれる。 大概は夏の間、園芸店の片隅で花期を終え、さんざんにくたびれ果てて見切り処分になっているのを購入してきたものだ。 今、食卓のそばの窓辺で赤い花をつけているシクラメンは去年の春、近所の花屋で花も葉っぱもないカラカラの土だけになった植木鉢ごと100円で買ってきたもの。ごつごつした溶岩の塊のような球根(?)の痕跡がわずかに見えるだけの怪しい一株だった。 「一体何色の花が咲くのかしらん?ちゃんと夏越しできるのかなぁ。」 店の人に聞いて見てもさぁ?と首をかしげるばかり。 残り一鉢になったお買い得見切り品。そのままではただ、廃棄を待つばかりかと哀れになって、捨て猫を拾う思いで買って帰った。 夏の間中、シクラメンは庭の片隅にごろんと転がして置かれたが、秋になってぷつぷつと小さな葉っぱが顔を出し、やがて年が変わる頃になってようやく白いつぼみをつけた。花茎が延びるに従い、つぼみは薄紅をさしたように 色を帯び、薄桃色になったかとおもうとついに真っ赤な花を咲かせた。 結果として、それはありふれた真紅のシクラメンだったが、その再生の過程はまるで「みにくいあひるの子」の筋書きをたどるようで、ずいぶんワクワクと楽しませてもらった。 まさに「お買い得見切り品」の一鉢だった。
昨年一年間はバタバタと忙しくて、また一時期熱中したガーデニング熱も小康状態になって、のんびりと庭に下りて丸一日つぶすということがほとんどなかった。 庭と言うものは、気にかけて毎日目配りしてやる者がいなくなると見る間に荒れる。 勢いの強い宿根の山野草は切り戻される事なくぐいぐいと葉っぱばかりが伸び、花殻を摘んでもらえない草花はさっさと種子を作ること専念するので花期が短い。「こぼれ種でよく殖える」「はびこるように殖える」と言われる桜草やノースポールですら、時折掬い上げて植え替えたり日の当たる場所へ移してやったりしないとだんだんに減ってくる。「だれがやっても出来る」とおもっていた挿し芽や種まきの容易な植物も、それなりに気を入れて目配りしてやらないと成長半ばで水切れしたり、他の植物に負けて立ち枯れたりして成績は芳しくない。 何ほどの作業はしなくとも、とりあえず毎日庭に出て、ポツポツト枯れた花殻を摘んでやったり、延びてきた雑草を引っこ抜いてやったり、新しいつぼみの膨らみ具合を確認してやったり。 そういう一見たわいもない暇つぶしのような小さな目配りの積み重ねが、庭の植物を美しく開花させるのには必須なんだなぁと痛感する。
今日、アユコと一緒に買い物に出て、スーパーの前の出店で一株30円のパンジーの開花株を30株あまり買い込んだ。 いろんな色の花を取り混ぜて、買い物トレーに選び出す作業は楽しい。 たくさん買ったので、「冬場は庭に色がない」と始終こぼしておられる義母の庭にもおすそ分けする事にする。近頃、体調不良で沈みがちな義母に、少しは明るい笑みを差し上げられるだろうか。 山地の我が家ではこの季節に植えたパンジーの花は、6月の終わり頃まで咲き続け、うまくすると夏を越して再び来春の花を残す事もある。 それでもまだ、こぼれ種による来春の花をちょっと期待したりするのは、ものぐさガーデナーの強欲と言うものだろうか。 とりあえず、この春には、子ども達が新しい学校、新しい教室へと飛び立っていく春の玄関をにぎやかに飾ってくれるだろう。
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