月の輪通信 日々の想い
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2005年02月28日(月) 校則改定

オニイの中学で校則の改定があったそうだ。
オニイの学校は同じK市内の4校の中でも比較的落ち着いたマジメな学校。
制服や通学靴などの規定も他校よりは少し厳格なようだが、生徒もそこそこ大人しく校則に従って過ごしているように思う。
そんな中で生徒会が中心になって、服装の規定などについて何点か改定を要求し、学校の許可を勝ち取ったのだと言う。
先日保護者には、校則改定の内容の書かれたプリントが配布された。

1.夏場はシャツ出しOK・・・夏場の制服はチェックのズボン、スカートに白のポロシャツ。そのシャツのすそをズボンやスカートのベルトの中へ入れないで外に出して着ること。
2.靴は白を基調とした運動靴。色ライン可・・・これまではラインも白限定だった。
3.靴下は白、紺、黒を基調に派手でないもの。・・・これまでは白限定。
4、マフラー可。(11月から3月まで)・・・これまでは全面禁止。
5、髪の毛のゴムの色・・・何色でも可。

どれもささやかな、ほんとに大人しい要求なので、くすっと笑えてしまう。
校則というのは今も昔も、重箱の隅をつつくようなささやかでかわいらしい権利闘争なのだなぁと思う。
遠い昔、汗臭いセーラー服や学生服の学生時代、校則の細かい網の目を掻い潜って、「ちょっとおしゃれ」「ちょっと素敵」を気取った日々が懐かしい。
校則で三つ折ソックスが決められると、ソックタッチ(懐かし!)でソックスを伸ばしてはきたがり、長いスカートと決められるとウエストをくるくる巻いてスカート丈を短く見せたがる。
大人の目から見れば、さほど変わりがあるともいえないささやかなことが、自分達の唯一の権利や個性の主張であるかのように、思えたものだ。
「社会」とか「規則」とか「権力」とか、そういうものを初めて子ども達が意識して、自分達の「自由」との対立概念として捕らえるための練習問題のようなものだったのかもしれない。
ま、どちらにしても微笑ましい、青春の一こまに過ぎない訳だけれど・・・

ところで今回の改定で面白いなと思ったのは、運動靴の事。
この間の入学説明会の席で、先生方からは「『白一色、色ラインなし』の靴に限定されると、どうしても選択の幅が狭められ、経済的にも負担が大きくなると言う理由で保護者からも改定の要望が多かった」と聞いた。
確かに、店頭に並ぶ安売り靴の多くは色ラインの入ったものが多く、白一色の靴を探すとどうしても、少し値段が高いものを選ばざるを得ない事も多く、「色ライン可」になるとちょっと助かるなと言う観もある。
同じ理由で、これまで学校指定の業者から買っていた上靴も、同じような仕様のものであれば、量販店のものを使用してもよいとのお達しがあった。
子ども達の校則の改定に関して、親の立場から経済的理由による後押しがあるのだなということがちょっと意外な感じがした。
そういえば、近隣の中学では、制服に定められていた学校指定のセーターが高価で実用的でないという理由で廃止され、白、紺、黒、茶色などのセーターなら何でもよいという事になったと聞く。
みんなが決まった同じものを着るということに厳然たる権威があった制服に、家庭の経済事情が加味されて縛りが緩やかになっていく現実に、現代の日本を感じる。

確かに今のオニイ達の制服は高い。
制服、体操服、制かばん・・・。
先日、アユコのためにそろえた新入生グッズの数々は、全部買い揃えると一人当たり、7,8万円。
先輩たちのお古を活用したり、ちょんちょんに短くなったズボンの裾上げをぎりぎりまで延ばして着せてみたり、色々苦心はしてみるものの、やはり公立の義務教育の学校の入学必需品としては結構大きな出費である。
「せめて、上靴くらい、量販店の安価なものを・・・」
「どろどろになっても汚れの目立ちにくい、濃い色の靴下を・・・」
という保護者の本音も致し方ないのかもしれない。

改定が決まって以来、町では紺のソックスの女子中学生をたくさん見かけるようになった。オニイの言うには、女の子達の90%くらいが紺、黒のソックスに変えたのではないかと言う。
若干ほっそりと大人びて見える紺ソックスも、皆が揃って履けば効果は半減。傍目には何ほどの変化があったとも思えない。
そういう些細な事に生徒会が一致団結して教師に改定を求める。
そのエネルギーこそが、幼い中学生達が「社会」との戦い方を学ぶ第一歩なのだろうなぁと微笑ましい。
そういうときに、訳知り顔のおばさんたちの「そうよそうよ、こっちの方が経済的にも助かるわ」なんて、余計な後押しはないほうがいいんじゃないかな。私はそう思う。

実際には「色ライン靴が認められるようになった」からといって、安売り靴を買いに行く家庭もあれば、高価なブランド物の色ライン靴をせしめる口実にする家庭もある。
どちらもアリなんだからこそ、学校には校則があるのだ。
子ども達はまた、社会と言うものを学ぶだろう。


2005年02月26日(土) 飛行熱

ゲンは、小さいときから飛ぶものが好きだ。
紙飛行機、グライダー、凧、ヘリウム風船・・・。
それぞれ、爆発的に熱中する周期があって、ある日突然厚手のボール紙を欲しがったり、竹ひごの削りカスが机の周りに散らかり始めたりするとゲンの熱中期の始まりである。
ここ数週間は、ボール紙で作ったY字型のブーメラン。
少し前まで細長いボール紙を3枚継ぎ合わせた原始的なブーメランに熱中していたかと思うと、いつの間にかネットで滑らかな流線型のY字型のブーメランの型紙を見つけ出して来た。さっそく父さんに頼み込んで3倍コピーしてもらい、母秘蔵の特上の厚紙をねだり、写し取って最新型のブーメランを拵える。こういうときのゲンの企画力、交渉力、実践力には眼を見張るものがある。
舌なめずりでもするように、熱心にカッターを使い、滑らかな曲線を抜き出すためにぐっと息を飲むように集中する様は頑固な職人の顔。微妙なソリをつけるために切り抜いたブーメランを眼の高さに持って、真剣に見つめる瞳は研究者の眼差し。
男の子って言う奴は、こういう顔をしているときが一番面白いなぁと思ったりする。

男の子と言うのは、総じて「飛ぶもの」が好きである。
実家の父は、細い竹ひごをあぶって曲げ、翼に薄紙を張るグライダーを作るのが上手だった。
義父も、その昔ペーパークラフトのキットをたくさん隠し持っていて、まだ幼い孫達にはちょっと高度すぎるペーパープレーンをいくつも飛ばして見せてくださった事もある。
新婚時代の父さんは、なぜか結婚祝いにもらったと言う大型のラジコンヘリの操縦に夢中になったことがあって、何度も何度も着陸に失敗しては高価なプロペラ部品を破損して買い替えに走ったものだった。
苦心して出来上がった飛行機の初飛行を披露する前の得意げな笑顔は、ただただ血筋のせいばかりでなく、男と言う生き物に共通の遺伝子の存在を思わせるほどよく似ている。

「おかあさん、ちょっと広いところで飛ばしてくるわ。」
ゲンが出来上がったブーメランを手にいそいそと出かけていく。
家の周りの道路では、飛ばしたブーメランがすぐに雑木の茂みに紛れ込んだり、水路に落ちてオシャカになったりするからだ。
「はいはい、気ぃつけてね。遅くならないように帰っておいで。」
大丈夫、今日のゲンはきっとすぐに帰ってくる。

私は正直な所、男達の飛行熱がちょっと苦手である。
苦心して作り上げた飛行機が、ビュンと手を離れた瞬間、戻ってこないのではないかと不安になるからだ。
彼らの作った飛行機は美しい滑空を何度か見せた末には大概、高い木のこずえに引っかかったり、池に落ちたり、他人様の家の納屋の屋根に落ちたりして、2度と彼らの手に戻ってこなくなる。でなければ、苦心してバランスをとった翼は折れ曲がり機体が曲がって、修復不可能なまでに破壊されて彼らの前に横たわる。
シュンと凹んだ男達は、首をうな垂れ、もう自分の手の中にはない愛機の最後の滑空の雄姿を思い返し、ため息をつき、そしてたいてい不機嫌になる。

果たして、ゲンも予想通り、ほんの数十分で帰ってきた。
公園で飛ばしたブーメランは、ほんの数回飛ばしただけで大きな楠木の茂みに紛れ込んで見えなくなってしまったのだと言う。
「せっかくうまく出来ていたのに・・・。色もめちゃくちゃ綺麗に塗ってあったのに・・・」
と出かけていったときの意気揚々はペシャンコになって、いつまでもウジウジと見失った愛機の素晴らしさを語る。
「厚紙も型紙もまだあるんだから、もう一回作ればいいじゃん。」
と慰めたところで、ゲンの切ない喪失感を救うことは出来ない。
「これだから、飛ぶものは苦手なんだよ」と母は思う。
男って奴は、ほんとに懲りないおばかな生き物だ。


2005年02月25日(金) 子育ての目的

アプコの入学説明会。
さすがに4度目ともなると、親の方は「もう、いいじゃん」と言う気分にもなるが、なんといってもアプコにとっては初めての一年生だ。
いつもより早めに幼稚園まで迎えに出かけ、一緒に歩いて小学校へ向かう。毎朝園バスのバス停まで走って下るこの道が、そのまま4月からの通学路となる。
「だから、今日は車じゃなくて、歩いていくの。」と、手をつながずに一人でさっさと歩こうとするアプコ。まさしくぴかぴかの一年生の気負い充分。

体育館でアプコを新入生お守り係の5年生に引き渡して、なじみのOさんと一緒に説明会場へ向かう。初めての小学校で校内の地理に疎いぴかぴかのお母さんたちを追い抜いて、さっさと運営委員会で通いなれたランチルームへの階段を上る。途中、お会いした教頭先生に「初めての小学校で何にもわからないんですぅ。よろしくお願いしますぅ」とご挨拶してみたら、「何をおっしゃいますやら・・・。」と失笑された。
私は来年でこの小学校9年目。
「どうせなら、一番前の席に座ろうよ。」と挨拶される先生方の真正面の一番前の席を陣取り、Oさんと二人でくすくす笑う。古株母のあつかましさってホントにいやぁね。

今回は珍しく、外部から来た若いカウンセラーの先生の短い講演が用意されていた。なかなかお話しの上手な女性で、現代の子ども達に求められる社会性を引きこもりやニートの問題につなげて語られた。目新しい話ではないけれど、家庭から初めて学校生活へ子どもを送り出す保護者にとっての明解な指針として上手にまとめられた講演だった。
冒頭、講師の先生は「子育ての目的ってなんでしょう?」と問いかけられた。
「種の保存のため」「人に迷惑をかけない子を育てるため」「自分が親に育ててもらった恩を子どもに返すため」
「目的」と言う言葉の意図が曖昧だったため、講師の問いに帰ってきた答えは少しずつ方向がずれてはいたけれど、そのずれの方向自体が解答した人と子どもとの関係のあり方を直接あぶりだしているようで面白かった。
「『自分の老後のため』なんて人もいましたけどね。」と講師先生は笑い飛ばしていたけれど、実際はそれに近い希望を持って子ども達を育てている人もまだまだたくさんいるだろうなとも思う。「自分の果たせなかった夢を果たしてもらうため。」とか「家業を継いでもらうため」とか「老後の面倒を見てもらうため」とか、厳密に言えば親世代の思いや希望を果たしてもらわんがために子どもを育てている家庭が実際にはたくさん存在する。
それは少し前まで当たり前の子育て観だったし、そのことで社会全体が支えられてきた部分は大きい。
私は「自分の老後のために子育てをする」という人を笑わない。

「生まれてきた者には、食べさせにゃならん。
泣いている子どもは、抱いてやらにゃならん。」
「子育ての目的は・・・」と問われて私の頭に浮かんだのはそんな投げやりな言葉だった。
日々の子育てと言うのは本来そんなもの。
高い木になった果実を欲しいと言えば、もぎ取って与えてやり、
道を踏み誤りそうになったら、「そっちはあかんでぇ。」と教えてやり、
凹んで帰ってきたらよしよしと撫でて、「もう一回、行って来い」と送り出してやる。
「子育て」自体にはそれほど大仰な目的はないと私は思う。
結果として、育ちあがった我が子が優秀であったり、人柄がよかったり、社会に貢献する人物であればいいなぁと言う「希望」は果てしなくあるけれど・・・。

講師先生が用意していた「子育ての目的」の答えは、「学校生活を経て社会に巣立っていく子ども達の「社会化」を促す助けとなること」なのだそうだ。
当たり前すぎて反論の余地もないが、次代を担い明るい社会を築く人材を育てるために、子どもを生み、子育ての苦労をする親なんてどこにも居ない。
それでもあえて、「子育ての目的」を答えるならば、私は我が子の幸せのために子育てをする。私の思う「幸せ」が子ども達の思う「幸せ」と一致するかどうかは分からないけれど・・・。

説明会を終えて、アプコを迎えて帰途に着く。
「小学校、楽しかった? 何して遊んだの? 5年生のお姉さん達、優しかった?」
矢継ぎ早に質問する私に答えようともせず、アプコはタッタカ早足で家路を急ぐ。
「どしたの?なんか、怒ってるの?アプコ!アプコ!」
周りに人がいないところまで駆けてきて、アプコは追いかけてくる私にささやいた。
「おしっこ!」
どうやら、慣れない小学校のトイレ、知らないお守役のお姉さん達に、「トイレに行きたい」がいえなかったらしい。
下半身を捩じらせて、草むらに駆け込むアプコの後姿がおかしかった。

フムフム、確かに子どもが幸福に生きていくためには、自分の希望をはっきり相手に伝えることのできる「社会性」は重要である。
実に有意義な講演会だった。


2005年02月24日(木) ○田さんの怪

アプコの迎えから帰ったら、うちにいた父さんが
「PTAの○田さんから電話があったよ。あとで、かけ直してくれるらしいけど・・・」
という。
○田さん? はて、どこの○田さんだろ。
確かに○田さんは知ってるけど、PTAの連絡網にしても、そのほかの連絡にしても○田さんからかかって来ることはないはずなんだけど・・・。
PTA仲間のUさんにもメールで聞いてみたけれど、別段連絡網もまわっていないらしい。「急ぎの用ではない」といわれたそうなので、気にはなりつつ、引き続きアユコと出かけて夕方まで留守にした。
帰ってくると、案の定、○田さんからたびたび電話があったようだ
それも2度目は自宅ではなく工房の方に。都合○田さんは自宅に2回工房に2回電話してきた事になる。
急ぎの電話でないにしては、いやに熱心だ。
夕方まで出かけていると伝えておいたというのになぁ。
「帰ったらこちらから電話しましょうか」
というと、「出先からの電話だから」と言われたそうだ。

そもそも、私の知ってるPTAの○田さんだったら、「PTAの○田です」とは名乗らないような気もする。
「『PTAの・・・』って言われたの?」
と聞き返すと、父さんはちょっと自信なげ。「『いつもお世話になってます』と言われたので、PTA関係と思い込んじゃったのかも知れないけど・・・。」とあやふやになる。
「いつもお世話になってます」?
う〜ん。自宅だけでなく、工房の電話番号まで知っていると言う事はやっぱり知り合いの○田さんか。

時節柄、我が家には家庭教師の派遣や通信教育の教材の販売など、日に何本もの勧誘メールが入る。
大概は「○年生のお子さんのお母さんですか?」と確認してセールストークが始まる。父さんが出ても「お母さんに代わってください」と取次ぎを求められる。やはりお子様の教育環境の決定権は、父親ではなく母親と相場が決まっているのだな。
最近では、はじめから「こんにちは、××ですけれど、奥様いらっしゃいますか」と個人名を名乗って直接母親を呼び出してから、初めて販売目的を話し始める手合いも増えた。
相手がセールス目的と分かった段階で、黙ってプツリと切ることにはしているけれど、ありふれた名前を騙って世間話から話し始め、じわじわとセールストークを繰り出す人もいて、なかなか敵も作戦を考えているようだ。
果てさて、今日の○田さん、まさかその手の勧誘電話でもあるまいなぁ。
それにしても、工房も含めて3回もかけなおすだけの手間を、セールス目的のテレファンレディがかけるだろうか。

どちらににしても夜、遅くにかけ直してくるそうだから・・・と、待っていたけれど、結局、○田さんからの電話はなかった。
○田さんにこちらから電話して問い合わせてみる事も考えたが、間違いだったら失礼だし、ちょっと億劫だなぁ。
やっぱりなんかの勧誘だったのかもしれないなぁ・・・と思い込むことにして放置しておく事にした。
なんだか気持ちは悪いのだけれど・・・

私の知ってる○田さん、もしあなただったらごめんなさい。
もう一回だけ、お電話ください。


2005年02月19日(土) ちょっと怖い

寒い季節になると、ゲンが自分の仕事の風呂洗いを渋る。
夕食前に洗っておく約束なのに、ともすると夕食後、皆がコタツでTVを見る頃になっても風呂洗いが終わっていなかったりする。
それでも我が家では「しょうがないわねぇ」と母が代わりに洗ってやるということはしないので、兄弟達からのブーイングを受けて渋々洗いに行く。風呂場は寒いし水も冷たいので辛いのだろうと、百円均一の店で長い柄のついた風呂洗い用のスポンジを買ってやったらずいぶん嬉しそうにしていたけれど、それでもやっぱり風呂洗いを嫌がる。
時には、なんだかんだと交換条件を出したりおだてたりして、妹のアプコに風呂洗いを押し付けようとするようになってきた。。

「あのさ、風呂場ってさ、一人でいると、なんか怖いんだよね。
振り返ったら、誰かが立ってるんじゃないかとか、窓の外から誰かの手が入ってきたりしそうでさ・・・」
珍しくゲンと二人で車に乗っていたとき、ゲンがそっと打ち明けてくれた。
「うんうん、分かる分かる。水道の水がぽたぽた落ちてたりするのも、結構怖いよね。」
と相槌を打つ。
「それからさ、お風呂で頭洗うたときにもさ、ぱっと顔を上げるのが怖かったりするな。」
「そうそう、自分で自分が『貞子』みたいだもんねぇ。」
「うん、お母さんもそういうのが怖い事ってある?」
「うん、特に夜中に一人でお風呂に入ったりしてるときにね・・・」
「ふうん、大人になっても怖い事ってあるのか・・・」

そうだな、大人だって怖いときもあるんだもの。
4年生のゲンにはいっぱい怖いものがあるんだろうな。
そんな話をしながらうちへ帰り、昨日は大サービスでゲンがお風呂を洗う間、脱衣場で見ていてやることことにした。
ゲンが浴槽を洗う間、大きな声で冗談を言ったり、ふざけて恐怖映画のCMのうめき声を真似してみたり・・・。きゃあきゃあふざけながら、風呂洗いをすませる。
「おかあさん、今日は、助かったよ。あんまり怖くなかった。」

ちょっと怖いときには「怖い」と、嬉しかったときには「嬉しかった」と、素直に言葉にして、ささやきにくるゲンはまだまだ可愛い。あと、数年もすれば、ゲンも空意地で虚勢を張って、めったに母親に自分の弱みを見せようとしなくなる。
自分の弱さや臆病を、ストレートに訴えることの出来る今だからこそ、「ちょっと怖い」を笑い飛ばさずにおおらかに共感して「大丈夫だよ」と言ってやりたいと思ったりする。 


2005年02月18日(金) 「もっと歌って」

今日、小学校今年度の参観日。
ゲンは学年全体で「飛べないホタル」のオペレッタの発表。
アユコは担任のT先生の音楽の授業。
どちらも見逃したくないので、校舎の三階の端っこにある音楽室と反対側の端っこにある体育館の間を駆け足で行ったりきたり。
明日はきっと筋肉痛だ。

アユコの手は、生まれつき指が長くてしなやかな手だ。
アユコが生まれたとき、「ああ、この子はきっと上手にピアノが弾ける」と嬉しかったのを思い出す。私自身は子どもの頃、手指が短かくいつまでもオクターブの和音が届きにくくて、なかなか上達しなくて悲しい思いをしたからだ。
4歳になったアユコはさっそく近所の音楽教室に通うようになった。綺麗なお姉さん先生のピアノに合わせて、同年代の友だちと歌を歌ったり合奏をしたり。小さい幼児の手が白い鍵盤の上でたどたどしく動き回るのがなんともかわいらしくて、親バカ全開で早々に本物のピアノの購入を算段していたものだった。
ところが2年目の冬、初めての発表会の課題曲に少し高度なアレンジの曲が選ばれた。当時からこつこつ生真面目だったアユコはその中でも一番難しくてよく目立つパートを割り当てられた。その日から親子で涙涙の猛特訓が始まったけれど、最終リハーサルの時になってもちっとも上手に弾きこなすことができなくて、親子ともども冷や汗の出る思いで本番を迎えた。
発表会の当日、なんとか目だったミスもなく演奏を終えたけれど、舞台から降りてきたアユコは、きっぱりと「音楽教室を辞める」と宣言した。
アユコの音楽デビューは失敗だった。

小学校に入っても、アユコには楽器を演奏する事に何となく苦手意識が残っていたように思う。クラスで合奏をするときにも、アユコはたいてい比較的演奏の簡単な打楽器や大勢で一緒に演奏するパートばかり。ピアノや電子オルガンのような鍵盤楽器をうけもったことがほとんどない。
アユコと同じ位の年頃からレッスンを続けていた子ども達が、高学年になってショパンやモーツァルトを上手に弾きこなすようになっていくのを見るにつけ、小さいときに音楽との上手な出会い方をさせてやれなかったことに心が痛む事も多かった。

そして今日、T先生の音楽の参観授業。
皆で練習してきた「TUNAMI」の合奏をするという。
T先生はいつも子ども達にも人気のあるアニメのテーマソングやテンポのいい曲を選んで合奏させてくださる。
アユコはその中で、初めて電子オルガンのパートを選んだ。
出だしの数フレーズ、ほとんどソロで主旋律を弾く部分があって、めちゃくちゃ難しいのだと、家でもアプコのおもちゃ代わりのキーボードでひそかに練習していたようだ。
教室の一番奥の電子オルガンの席に着いたアユコは確かに緊張で硬い表情。
たどたどしく、もつれるように出だしのソロを弾き始めたときには、見ている私までぐっと拳を固めてしまう。
なんどか演奏を繰り返すうち、他の子ども達がリズムに乗ってぐっと集中していくのが分かる気持ちのいい時間だった。T先生の元気のいい指揮が張り切りすぎる子ども達を抑えたり、遅れがちなパートを引っ張りあげたり・・・。
「自信持って、もっと歌って・・・」
途中、T先生が電子オルガンの方に向かって、言葉をかけた。
緊張したアユコの顔が柔らかにほころぶ。
唇をきゅっと噛んで、緊張して鍵盤に向かうアユコの事を、T先生はちゃんと見ていてくださったのだな。

生真面目で自分に課せられた事はきっちりとこなそうと肩肘張って頑張っているアユコに、歌うようにおおらかに楽しむ事を教えてくださったT先生の言葉が身に染みて嬉しかった。
演奏を終えて、ホッとした表情でたちあがるアユコの笑顔が愛しくて涙が出そうになった。


2005年02月17日(木) オニイの進路

中学校参観と学年懇談。
授業参観は、授業。
入学当初から見ると二周りほども図体がでかくなった中学生達が、まるでスズメの学校のように野太い声をそろえて卒業式の合唱の練習をしている様はまだまだ可愛いらしくて、ホッとしたりする。
ホントなら中学生にもなると、音楽の授業ともなれば大きな声で歌うのを恥ずかしがったり、いきがって体をよじらせたりしていそうなものだけれど・・・。

参観後の懇談は、そろそろ今後の進路指導のこと。
来年度のテストの日程や進路相談、受験の大まかなスケジュールなどについて、お話を聞く。
オニイもいよいよ受験生。どうなるもんかなぁと思う。
「地元の公立校に何とか滑り込んでもらえれば・・・」とのんきに構えてはいたけれど、それも実際目の前のことになってくるといろいろ考える事も多い。
「かあさん、そろそろ勉強、頑張る事にするわ。」
と最近、何度も何度も気合をかけなおしては、空振りに終わっているオニイの一年先の戦いぶりを思い浮かべて、深いため息。
全くもう、どうなるもんだかなぁ。

「オニイ、君は将来何になりたい?」
幼い頃から何度もきかれた問いに、近頃オニイははっきりと「父さんの後を継ぎたい」というようになってきた。窯元の長男として周囲からは「跡継ぎさん」という言葉を何度もかけられて育ってきたオニイ。出来る事なら、いろんな職業をたくさん見て自分の能力を見定めたうえで進路を選ばせてやりたいという思いで、「跡を継ぐ」という事はあまり意識させないように育ててきたつもりだった。
それでもやはり、心優しいオニイは周囲の期待や父母の本音を敏感に感じているのだろう。
「小さい頃から、父さんたちの仕事を見て育ったからね。」
その答えはまさしく父や母が期待する嬉しい答えではあるのだけれど、
「他の職業は思いつかないんだ。」
というオニイの決然とした口調が、なんだか痛々しく感じたりもする。
同年代の少年達の多くが、将来の職業に荒唐無稽の夢を抱いたり、ぼんやりと漠然とした明日を夢見ているだろうになぁ。

まだまだ自分の行く末をたった一つの限定しないで、 自分の好きな事、やりがいのある仕事、実現しそうにもない壮大な夢をたくさん追いかけていて欲しいなぁと思う心。
父さんのあとについて、窯元としての将来に役立つ技術や経験を一日も早く積んでいってもらいたいと思う心。
あとに続くゲンの将来の事とも絡んで、我が家の進路選択の道は偏差値や内申書の点数では量れない悩みがいろいろ多い。
父と母の気持ちは千々に乱れる。


2005年02月13日(日) 破壊

ゲンがオニイの新しい眼鏡を壊した。
兄弟げんかの最中、何かの弾みで壊したのだという。
ちょうど眼鏡が鼻に当たる部分の金具がぽきりと折れて取れてしまった。

オニイが体育の時間サッカーのボールが当たって壊れたという眼鏡を、急ごしらえで新調したのはつい十日ほど前。
どうせすぐに壊すか度が変わって買い換えなければならないのだからと、店員の勧める「形状記憶」フレームだの薄型レンズだののオプションを全て断って、とりあえず「安い、早い」を基準に選んだ眼鏡だった。
だからといって、何もたった十日で壊さなくてもいいじゃないの。
アユコ、アプコの入学準備や何やかやで特別な出費の続くこの時期に、これは少々痛い。
オニイもゲンに腹を立てながらも、父母に対しては申し訳なさそうにシュンとしている。
ゲンもケンカの勢いでつい手が出てしまった自分の短気をただただ反省。
プリプリ怒る母を尻目に、父さんが瞬間接着剤やら半田ごてやらを持ち出して壊れた眼鏡の応急処置を試みる。
折れたのは鼻宛を支える細い金具で、器用な父さんがいろいろ苦心して繋いでは見たが、多分それほど持たないだろう。
諦めてもう一度新調するか。
オニイもゲンも、男の子にしてはおとなしい方で、取っ組み合いのけんかも怪我をするほどの殴りあいもついぞ見たことはない。
たまには眼鏡を壊す程度の兄弟喧嘩も、仕方がない事なのか。

で、喧嘩の原因がなんだったのか、聞くのを忘れた。
もしかしたら本人達も、何が原因だったか忘れているのかもしれない。
兄弟げんかというのは大体そんなもんだ。
それにしてもたった十日で早世してしまったオニイの眼鏡。
嗚呼!<


2005年02月12日(土) ずっと先を歩む人

先日来、風邪をこじらせていたひいばあちゃんが、ようやく食事などに起きてこられるようになって来た。少しずつ普通の食事を食べられるようになって、まずは一安心。
若い者なら突発的な高熱からの快復期には、本来の体力が戻ってくる昂揚感とか気持ちの良い食欲とか、妙に明るい爽快感があるのだけれど、高齢のひいばあちゃんにはそういう湧き上がるような回復力はない。
ほんの数日の病床から、ゆっくりとじわじわと元の生活を取り戻していく。
百歳に近い年齢を重ねるという事はそういうことだ。

発熱以来、ひいばあちゃんの言動が少しおかしかったりする。
時間の感覚がおかしかったり、昔の話を今の話と取り紛れていたり・・・。
よく、老人が病気や怪我で入院したり環境が変わったりすると、一時的にボケが始まったり急に体が衰えたりするというが、多分そんなものなのだろう。
今日、義父と義兄が熱の後遺症を心配して、ひいばあちゃんを大きな病院での検査に連れ出したが、特別治療を要するものではないらしい。
前頭葉のどこやらに衰えている部分が見られるものの、ひいばあちゃんの高齢を考えればそれも当然のこと。
人は年齢を重ねるに連れ、体や脳の機能を少しずつ少しずつ削り落として眠らせていくのだ。手足の力が衰え、眼や耳の機能が衰え、記憶や思考の能力が衰えていく。
ひいばあちゃんの脳の一部が、肉体よりさきに少しずつ眠りについていくのは当たり前の道筋なのだ。
ひいばあちゃんの体の穏やかな衰えは、悲しい事だが人間の静かな最後の生の営みとして、少しずつ受け入れていかなければならないものなのだろう。

ひいばあちゃんは私がこの家にお嫁に来たときから既に充分おばあちゃんだったので、一緒に住んでいる義父や義母たちと比べても格別に年齢による急激な衰えを感じる事も少なかった。
いつも気の向いた時間に仕事場に入り、自分の仕事をこつこつとこなし、くたびれたら居間で好きなお相撲の番組を見て、時にはうつらうつらと居眠っておられる。その穏やかな生活ぶりは、十年前も、もしかしたら十年先も変わらないのではないかというような錯覚に陥る事もある。
さすがにいつも一緒に生活している義父たちやともに仕事をする父さんたちに、聴力が衰えたり仕事の手わざが衰えたりという確実な老いの進行を日々実感することもあるようだ。
我が家の子ども達が日に日に大きく強く賢くなり少しずつ大人になっていくのと同じように、年老いた人たちもまた体の中の余分な灯りを一つずつ吹き消しながら坂を下っていかれるのだろう。
うろたえる事もなく、あらがう事もなく、淡々といつもの生活を続けながら、静かに老いていかれるひいばあちゃんの今日をまぶしく感じる。

私がこの人から今のうちに学んでおかなければならないもの、教えて置いていただかなければならないもの、そして私からこの人へ伝えておかなければいけないものがまだまだたくさんあるのだ。
まだまだたったか走れる力があるのに、なかなかひいばあちゃんの緩やかな歩みに心を沿わせて歩くことが出来ない。
もどかしさに心が騒ぐ。<


2005年02月10日(木) 人生相談

昨日の事。
昼間アプコとぼんやりワイドショーを見ていたら、「この人、知ってるよ。」とアプコが指差す。
まっ黄色の髪のあの方が、人生相談の番組に出ている。
「このおばさん、面白いから好きよ。」
アプコの趣味はちょっと変わっている。
氷川きよし、卓球の愛ちゃん、パパイヤ鈴木、ヨン様、そして三輪明宏。
ただ単に、外見がちょっと目立って他と判別しやすい人物を好きだといってるだけなのかなぁとは思うのだけれど、同じ毒舌系の人生相談と派手な衣装で有名な○木○子さんは好きじゃないというのでまんざらそうとばかりもいえないかもしれない。
でもねぇ、アプコ、その人、おばさんじゃありませんから。
ああ見えてもおじさんよ、あの人は・・・。
残念!

「○○界のご意見番」とか「カリスマ○○」とか、そういう人が嵩に懸かって誰かの悩み事を頭ごなしに叱り付けたり、近所のおせっかいばあさんのような説教をしたり、挙句に気まぐれな改名を命じたりしているTVの人生相談ってなんだか気持ち悪い。
歯に衣着せぬ毒舌と一見正論とも思えるアドバイスで相談者を追い詰め、霊感だか豊かな人生経験だかを盾にして、「アンタの事を思って言ってるのよ。」と手痛いアドアイスを吐く。
そういうスタイルの番組が結構視聴者受けがいいようで、年配の人たちですら「口は悪いが、なかなか正論を言ってる」と評価もあるようだ。
いくら深刻な悩み事を相談するとはいえ、初対面の事情を知らない第三者に、公共の電波に乗せてそこまで辛らつに叱られたくないわと私なんぞは思うのだけれど、はっきりと物の言える人にしっかり本音で叱られたいと思う人も多いのだろうか。

と、言うわけで、昨日のワイドショーもそれほど熱心に見るでもなくでもなく、何となく家事の傍ら小耳に挟んでいたのだけれど・・・。
引きこもりがちな娘との関係を何とかしたいという過干渉な母親。
「娘さんは娘さんの人生を生きているのだから、貴女のお人形じゃないのよ」と諭す口ぶりは穏やかで、「いいお母さんになりたかったのに・・・」という母親の本音を上手に引き出していく。
さすがにうまいなぁと感心していたら、最後に
「さ、それで貴女はこれからどうしていくんですか。」
と彼は相談者に宣った。

誰かが誰かに悩み事を相談するとき、その答えは本当はその悩んでいる本人の心の中に既にある。
そういうことが多い。
優れた人生相談という奴は、高い所からご託宣のように厳しい答えを投げ与えるものではなく、相談者の胸のうちにある自前の回答を上手に引き出してやる事だ。
後で思えば、最後に相談者の決意を引き出すスタイルは、彼の人生相談の定石パターンなのだろう。けれどもそこには、誰もが自分の内側に持ちあわせている問題解決の能力に対する彼の穏やかな信頼が感じられる。
「それで君はこれからどうしようと思うの?」
こういう問いかけ方が、誰かの決意を後押しする力になることもある。
よく覚えておきたい。


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