月の輪通信 日々の想い
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オニイが珍しく木曜夜の剣道の稽古に行ってくるという。 普段の小中学生向けの稽古ではなく、高校生や一般の人達も集まってくる武道館での合同稽古。高段者の先生方や近隣の高校の剣道部員なども混じる稽古なので、ずいぶん激しい稽古が行われているらしい。 春に体調を崩して以来、なんとなく参加できなくなっていた武道館の稽古に、急に「行ってくる!」と言い出したのは何故なんだろう。 ふしぎに思って、オニイにちょっと訊いて見た。
「あのな、ずいぶんK先生の顔を見てないからな。ちょっと挨拶して来ようかと思って。」 K先生はオニイが小学一年で剣道を始めた時、竹刀の握り方、挨拶の仕方からお教えいただいた先生。鬼瓦のようないかついお顔、怒号のような大きなお声の古武士の風貌の老剣士だ。数年前に訳あって子ども達の稽古の指導を辞められ、今は大人の稽古のときか、大きな試合の時にお顔を見かけるだけになった。 オニイが剣道を習い始めた頃には、たまたま子どもの稽古生が二人とか三人とかとても少くて、それこそ一対一でみっちり指導していただくことが続いたりして、オニイのK先生への憧れと親愛の想いはことさら強い。 K先生の方でも、こつこつまじめに稽古に通ってくるのに、なかなか飛躍的に上達するという事の無い最後の直弟子に「こいつ、なかなかうまくならん。」と嘆きながら、いかついお顔をくしゃくしゃにして笑ってくださる。 無骨で世渡りはあまりお上手そうではない老剣士の飄々とした後ろ姿に、オニイは強く惹かれるのだろう。 K先生が道場をやめられてからも、その後姿を慕ってオニイは何度も高段者向けの武道館の稽古に何度も通った。
「でも、何を思って『今!』なの?ずいぶん武道館の稽古はお休みしてたのに・・・。」 「いや別に意味はないんだけど、ずいぶんK先生には会ってないしな。もしかしたら、このまま会えへんまま、終わったら嫌やなと思いついたんや。」 K先生はまだまだ矍鑠としてお元気そうには見えるが、何と言っても高齢だ。持病もいくつかお持ちのようだから、いつ道場へ来られなくなるかも判らない。 「T先生みたいな事だって、ないとは言えんし。」
T先生は数年前に若くして急逝された、やはり高段者の剣道の先生。 とても厳しい先生で、ひょろひょろやせっぽちのチビだったオニイは稽古中しょっちゅう弾き飛ばされ、しごかれたものだったが、そのT先生がある日突然急な病に襲われてなくなられた。 つい先週まで元気に稽古をつけてくださっていた威丈夫が、ある日突然手の届かない所へ逝ってしまわれた衝撃は、まだまだ幼かったオニイに強い印象を残したのだろう いつもそこに居て下さるものと、気にも留めずに見上げている師が、もしかしたら急にふわっと儚く旅立っていかれる。「縁」というものの危うさをオニイは確かに知っている。
まだまだお元気に自転車で道場に通っていらっしゃるK先生に、急逝なさったT先生の儚さを重ね合わせて想うのは、失礼極まりないことではあるのだけれど・・・。 それでも、思い立ったらとにかく、お元気なK先生のお顔を伺って、ご無沙汰して希薄になりそうな「縁」を強く結びなおして置かずにはいられないオニイの切迫した想いもよくわかる。 「よし、久しぶりに武道館の稽古に出てみよう。」 曖昧な不安をそのままにせず、師の後姿を見失う前に、えいやっと行動を起こせるオニイの事を偉いなぁと思う。大事な縁をつなぐためには、そんな「えいやっ」が必要なときもある。
小さな「えいやっ」の勇気を怠ったために、見失ってしまった私自身のいくつかの「縁」を想う。 あの時、もう一度お会いしていたら・・・ あの時、ちゃんとお手紙を差し上げていたら・・・ わずかなためらいや戸惑いの為にぷつんと切れてしまったご縁の糸を、今となっては結びなおす術もない。 そういう人の縁の危うさを、強く結びなおすことを知っているオニイの若さを、なんとなくうらやましく思ったりもする。
朝から大騒ぎ。 ひいばあちゃんが昨夜、家の中で滑って転んだという。歩けないというわけでもなくて、大丈夫だろうと寝間へ上がられたのだが、今朝になってやはり、右の腿のあたりが痛いとのこと。 あと数年で100歳に届こうという高齢のひいばあちゃんのことだ。ちょっと転んだだけで骨折したり、歩けなくなったりする老人の話もよく聞かれる昨今、これは一大事と、病院を億劫がるひいばあちゃんを近所のかかりつけの医院に送る。 父さんのワゴン車よりは、車高の低い軽自動車のほうが乗り降りが楽だろうとおんぼろトッポが出動となる。 父さんに抱きかかえられてひいばあちゃんが乗り込み、いっしょに付き添っていくという義母が乗り込み、負ぶったり担いだり要員の父さんが乗り込む。そして、運転手の私が乗り込む。 おんぼろトッポに大人が四人。 おー、久しぶりの重量感! ・・・で、なんで、4人も?
医院に着くと、さっさと一人で車を降りそうになるひいばあちゃん。 最初に車を降りた私が手を貸すと、すかさず後から降りてきた義母がひいばあちゃんの反対側の腕をつかむ。 体調次第では自分自身も足下がふらついたりもする義母が、意地のようにひいばあちゃんの手をひく。そのための介助要員として父さんや私、二人もついてきているというのに、「ひいばあちゃんの手引きは私が・・・」という気迫が感じられる。さすがに嫁姑だなぁ。長い間、静かに穏やかなお嫁さんを務めてきた義母の強い意志というか、意地というか、そういうものすら感じられて、う〜ん、「嫁姑」というのは実に奥が深いと唸ってしまった。 当のひいばあちゃんはというと、足が痛いとは言うものの、全く歩けないわけではないので、ともすると四方から延びてくる介助の手をうるさそうにもどかしがって、一人で歩こうとなさったりする。 さすがに少女の頃からこの年齢になるまで現役で仕事を続け、衰える事を知らない老人の底力はすごい。怪我をしていても、余分に人に寄りかかったり助けられたりする事を潔しとしない。明治の女は偉いワイと、こちらもう〜んと唸りこんでしまう。
結局、ひいばあちゃんの怪我はただの捻挫で、骨も折れてはいなかった。安静とシップでよくなるという。これまたすごい。 高齢者は一度、転んで骨折でもすれば、たちまち体力が衰えたり、ボケが始まったりというような事も聞くので心配したが、どうやら杞憂に終わって、ホッと一安心。 なにしろ我が家のひいばあちゃんは97歳の今も毎日仕事場に入り、釉薬掛けや包装の仕事こつこつとこなす現役仕事人だ。耳こそ遠くなり、作業能力に衰えも見え始めたが、毎日当たり前のように仕事場に入り、手すきになれば自分で新しい仕事を見つけて、次々に取り組んでいく。その前向きで確実な仕事振りはなんといっても驚異的だ。 遠い未来の私自身の生きていく末を思うとき、こういう人の強い意志に満ちた静かな生き方の厳しさはまぶしくもあり、希望でもある。 ああ、本当に軽症でよかった。 よかったよ。
うちに帰って、メールを開いたら友だちのHさんからのメールが入っていた。 「どうしたん?今日は車に年寄りがてんこもり、乗ってたね。」 医院に送っていく途中、ウォーキング中だったHさんSさん2人組をびゅんと追い越して走ったのだ。いつも私一人か、子ども達を乗せているだけのトッポにぎゅうぎゅうに大人4人が乗っていたので、「きっと、Hさんたち、笑ってるよ。」と話していたら案の定。 「てんこ盛りとは失礼な!でも軽症でほっとしたよ。」 とメールを返す。 「失礼な」とは言いながら、実はHさんもSさんも家族に高齢者を抱えている。子育てが一段落して、ホッと一息ついたかと思うと今度はおじいちゃんおばあちゃんの心配をする年代に差し掛かる。「ばあちゃんが転んだ!」と車で駆けつけるドタバタは、私にも彼女らにも決して他人事ではない。 「てんこ盛り」と一緒に笑えるのはお互いにそのことがよくわかっているからなのだなぁと思ったりもする。
三学期になって、アプコの園バスの迎えが車から徒歩に変わった。 「もうすぐ一年生になったら、この道をいつも歩いて帰るんだから。」 とアプコ自身が車での迎えをやめようと言い出したのだ。 小学生になる期待で、う〜んと胸を張って背伸びをしているのがよくわかる。 かさかさと降り積もった山の斜面の落ち葉の中で時々、がさがさっと音がする。小鳥だとかなんだか分からない小動物だとか、そういうものが落ち葉の堆積の中で戯れているのだ。音がするとアプコも私も会話をやめて、音のするほうを見回し、音の正体を突き止めようとするのだけれど、たいがいその存在を認めるのはパタパタと飛び立ったあと。 「かくれんぼ、うまいねぇ。」 アプコが笑う。 二人揃って息を詰めて見届けようとしたものを取り逃がしてしまう間抜けさが何度やっても可笑しくて、アプコは私の手をぎゅっと引っ張ってはしゃぐのだ。 幼い子どもと毎日決まった時間、手をつないで二人で歩く冬はもしかしたら今年が最後になる。10年余り続いた幼稚園の送り迎えの習慣は今年でおしまい。「万年幼稚園児の母」もようやく11年目にして卒業である。
「あのねぇ、おじいちゃんが一番好きな岩って、どれか知ってる?」 アプコが訊いた。 「え?それ、何のこと?岩船神社の岩のことかな?」 「違う違う。あのね、コロちゃんの散歩の時にね、カーブの所の白いガードレールあるでしょ、あそこの大きな岩あるでしょ、おじいちゃんの好きな岩って、あれなんやって。」 「へぇー。おじいちゃんが『この岩が好き』って言わはったの?」 「ううん、言わないけど・・・。でもね、おじいちゃん、いっつもあそこでとまってあの岩を見てるねん。だからきっとあれが一番好きなんやって判るねん。」 その岩は工房から100メートルあまりのカーブに突き出た見上げるばかりの大岩。近頃急に腰が曲がりしょっちゅう腰痛を訴えておられる義父が愛犬を連れて散歩にでる折り返し点。愛犬が用を足す間、義父はガードレールにもたれかかってうんと背中を伸ばし、山の斜面を見上げておられるのだ。 時々コロちゃんの散歩にくっついてお供をするアプコにはその様子が「おじいちゃんはこの岩がだいすき」というふうに見えるのだ。私の知らない所でアプコはおじいちゃんと一緒に何度もこの道を歩き、いつものおじいちゃんの何気ない習慣から誰も知らない義父のひそかな散歩の楽しみをちゃんと感じ取っていたのだ。 「ホントにこの岩、大きいね。誰かが住んでるお家みたい。」 取り立てて変わった形をしているわけでもないその大岩に、山男だか神様だか小人さんだか野うさぎだか、ひそかに住まっている見えない何かの存在がまだまだ幼いアプコには見えるのだ。もしかしたらアプコは、おじいちゃんがいつもその何かとひそかに交信しているのが感じられるのかもしれない。
大岩の反対側の斜面で、今度はガサゴソと大きな音がする。 近くの畑のNさんが、斜面に降り積もった落ち葉を集めておられるのだ。 Nさんは毎年この時期になると、山の落ち葉をたくさん持ち帰り、長い時間かけて堆肥にして自分の畑で使うのだ。道端に止めた軽トラックには落ち葉をぎゅうぎゅう詰めにした米袋がたくさん積んである。何日も何日もかかって、Nさんは急な斜面の落ち葉を着実に少しづつかき集めて持ち帰る。 岩陰や木々のむこうに隠れて、Nさん自身の姿をお見かけする事はめったにないのだけれど、そのあたりを何度か通りかかるたび、Nさんが落ち葉を持ち帰ったあとの黒い土ののぞく地面の部分の面積が少しづつ増えている。気が付くと、かなり広い範囲の落ち葉が取り除かれ、Nさんの一冬分の仕事の後を物語る。 「山中の落ち葉を集める」というとどこか荒唐無稽な比喩のように聞こえるけれど、Nさんの仕事振りはじわじわと着実で、確かな労働の底力を感じる。 「ああ、ここまで、葉っぱ、なくなってるー」 毎日ここを歩くアプコにも、黒い土の見える斜面の広がりでNさんの仕事の進捗状況がはっきり感じられるらしい。地味な作業の積み重ねが、振り返ってみると結構な成果となって見えるようになる。その着実な営みがアプコにはきっと面白いと思えるのだろう。
毎日毎日歩く1キロばかりの園バスへの道すじ。 いつも変わらぬ見慣れたその道のりの中で、アプコの目はたくさんのものを捉え、たくさんの音を聞き、たくさんの見えないものを見る。 そうしてかき集めた色々なものが、ちょうどNさんの集めた落ち葉の堆肥のように、じわじわと熟成を進めて幼いアプコの中に穏やかな肥料となって染み渡っていくのを感じる。 車で走ればびゅんと数分の道のりを、アプコとともにのんびりと歩く日々の楽しみを惜しむように味わう。 幸せだなと思う。
愛車のトッポの調子が悪い。 しょっちゅうバッテリーが上がるのだ。 ことに寒い朝など、一発目エンジンキーを回すのがドキドキものだ。ヒーターやラジオの電源が切ってあることを確認して、気合を入れてアクセルをグワンと踏み込みながら、エンジンをかける。 「パスッ、パスッ」と2,3回、失敗するともうだめだ。 どうにも動かなくなると、「おと〜さ〜ん。」とSOSをだす。「参ったな」と父さんが仕事を中断して、自分の車を持ってきて、バッテリーコードをつないでくれる。
バッテリー上がりが出発前に判かればまだ、それはそれでいい。 困るのは出先で、エンジンがかからなくなってしまったときだ。 年末には、ゲンを連れて出かけた剣道の試合会場で、「さあ、帰ろう」というときにやられた。たまたま持っていた借り物の携帯電話で父さんを呼んだ。 「しゃぁないなぁ」と年末仕事で目も回る忙しさの中、父さんは駆けつけてきてくれた。申し訳ない気持ちですごすごと父さんの車の後に連なって帰ってきた。 おんぼろトッポのバッテリーがかなり傷んできてるのはわかっている。それでも、いつもいつもというわけでもないので、だましだましで乗っている。足代わりのトッポを修理に出すのは一日だって結構痛い。定期点検も近いことだし、だんだん一発でエンジンをかけるコツのようなものも判ってきた。 なんとかもうひと頑張りしてくれと、ずるずる不調のトッポを酷使している。
今日剣道の帰り、用を思い出してドラッグストアに立ち寄った。 買い物を済ませ、荷物をばんばんと積んで車に乗り込んだら、「パスッ、パスッ」ときた。 「わ、やられた。」 気合を入れて2度、3度やり直してみるが、エンジンはかからない。 ダメだぁと、早々に諦めて父さんに連絡を取る。困った事に携帯電話を持っていなかったので、近隣の閉店間際のスーパーの公衆電話に駆け込む。 とうさんは、この時間、まだ仕事場で仕事をしている。「ごめんよ、ごめんよ」と平謝りでSOSをお願いする。 「まいったなぁ・・・」 車に戻ると、稽古後の剣道着姿のまま不安げな顔のオニイとゲン。 「父さんがすぐ来てくれるからね。」 と運転席の戻り、念のため、ダメでもともとと、もう一度エンジンをかけてみる。
ぶぶぶ、ぶるん! かかった?! ありゃりゃ、かかっちゃったよ。 もう一度慌てて電話をかけに言ったけれど、父さんはもう家を出た後で、携帯電話も持ってでなかったらしい。 仕方がない。入れ違いにならないように父さんが来るまで待っているしかない。何やってるんだかなぁ。 「父さんに悪いことしたなぁ。忙しそうだったのに・・・。」 「う〜ん、スーパーマンが颯爽と登場したら、到着する前に既に消防自動車が火を消したあとだったみたいな感じだねぇ。」 オニイが横から絶妙な比喩で笑わせてくれる。
待つこと十分弱。 ビュンと駆けつけてくれた父さんの愛車は確かにスーパーマンのように颯爽と見えた。隣の駐車スペースに車を止めた父さんに窓越しに「ごめん、かかっちゃったよー!」と身振りで伝える。 「あ、そう・・・。はぁん。」と気抜けした返事で笑う父さん。 「悪かったねぇ、急いで電話したんだけど間に合わなくて・・・。」 「いいよいいよ、ま、かかってよかったよ。せっかくここまできたから、ちょっと買い物してくるわ。」と、すたすたドラッグストアに入っていた。 「ふん、スーパーマン、出番なしだったね。」というオニイ。
でもねぇ、とうさんってホントにいい人だよね。 こんな時間に、無駄足を踏まされても、一言も文句を言わなかったよね。 ああいう優しさって、アタシにはないなぁって、おかあさんはいつも自分で思うんだよ。 だから、無駄足を踏んで間が抜けて、ちょっとかっこ悪くても、やっぱり父さんはおかあさんにとってはいつでもピンチを颯爽と救ってくれるスーパーマンなんだよ。
多忙と疲労で出来た口内炎の塗り薬を買ってきた父さんの車のあとについて、おんぼろトッポでようやく帰路についた。 「どこまでも貴方についていきますってか?」 ホッとしたオニイとゲンがワイワイと騒ぐ。 思いがけないスーパーマンの先導で家路を急ぐ車中の楽しさ。 なんだかちょっと嬉しくて、トッポもぶんぶん弾んでいるように感じられた。
玄米ご飯を炊いてみた。
正月に実家に帰省したとき、母が冷凍庫の中からごろんと引っ張り出してきたラップの包み。 母がまとめ炊きして冷凍保存しておいた玄米ご飯だった。 ぱらぱらと小豆を混ぜて圧力鍋で炊いておいたのだという。 玄米ご飯は、硬くてぼそぼそして食べにくいものというイメージを持っていたけれど、意外にもちもちして香りもよく、プチプチした感じが「結構いける」。小豆も一緒に炊き込んであるので、ちょっと色の薄いお赤飯という感じ。 なんとなく体にもよさそうだし、ちょっと興味もあったので、母が冷凍保存していた冷凍玄米ご飯の包みを一つ二つおすそ分けしてもらって帰ってきた。 帰宅後、「ちょっと白飯がたりないな」という時に引っ張り出してきて、自分用に解凍しておいたら、「なんかうまそうなご飯だね。」と大の赤飯好きのオニイが横からつまむ。「それ、何何?」とゲンがつまむ。当然後から来たアユコやアプコがつまむ。 結局、小さな包みの玄米ご飯は子ども達のつまみ食いで半分以上、減ってしまい、私の口にはあまり入らなかった。
玄米ってこんなに美味しいものだったのか。 なんとなく、食べにくそう、硬そうと遠巻きにしていた食品が急に身近になってきた。 「そんなに美味しいというのなら一度うちでも玄米を買ってみよか」と生協のカタログを眺めていたら、父さんが「玄米ってあれの事じゃない?」と台所の隅っこの米袋を指差した。 年末に、おばあちゃんちが知り合いの方から頂いたという30キロの大きな米袋。「精米してないから、近所の精米機で精米してくるといいよ。」と我が家にドンと払い下げてもらったのだが、我が家はいつも無洗米派。精米機も農協の前にあるのは知ってるけど、これまで利用した事もない。 なんとなく億劫な気持ちで、手をつけずに放置していたのだけれど、よく考えて見るとアレって玄米よね。 「精米してないお米」=「玄米」という認識が無くて、ついつい「玄米」を買ってくることを思いついた私だけれど、すぐ自分の手元にこんなに大量に「玄米」が存在していたことの可笑しさ。 それまでちょっと気詰まりな「精米してない扱いにくいお米」だったものが、急に「ちょっと美味しくて体にもよさそうな特別なお米」に変身してしまう軽薄さに、我ながら笑ってしまう。
「玄米ご飯ってどうやって炊くの?」 電話で聞くと、母は笑って圧力鍋で玄米を美味しく炊く方法を教えてくれた。前の晩から水につけておいた玄米を圧力鍋で炊いて、充分蒸らして食べるのだそうだ。母流の玄米ご飯は、玄米と一緒に小豆をぱらぱらと一緒に混ぜて炊く。 「ちょっとおこげが出来るくらいが美味しいよ。」 という。そういえば、いつも炊飯器お任せの白飯では、おこげ自体ももうずいぶん久しく食べた事が無かったなぁ。炊飯器を使わずにお鍋でご飯を炊くことすら最近ではほとんどやったことがない。
そそくさと圧力鍋を引っ張り出し、ためしにうちでも玄米ご飯に初挑戦。 ネットで調べて見た水加減では、母のよりは若干やわらかめにはなったけれど、微妙に香ばしいおこげも出来て、まずまずの仕上がり。 さっそく夕餉の食卓にあげると、子ども達は「玄米ご飯をおかずに白飯」という奇妙な組み合わせで、3合の玄米ご飯をあっという間に食べつくしてしまった。
小学校では、高学年になると自分達で田んぼを作り、田植えや稲刈りを経験して米作りの過程を体験する。収穫後は、昔の道具で脱穀をしたり、すり鉢でもみすりをしたり、一升瓶で精米をしたりして普段の生活では経験できない昔の農業を体験させていただく。 私自身も何度か子ども達の参観や学校行事の折に、何度かそうした授業を見せてもらって、子ども達が自分達で精米したわずかな米をお相伴したりした事もある。 小さな苗からひと夏を経て、実った稲穂が毎日食べているふっくらとした白米になる過程を子ども達の授業に相乗りでいくらかは経験させていただきながら、玄米ご飯の美味しさを親しく知る事ができなかったのは何故なんだろう。 「精米していないお米」と「玄米」が、ちゃんと頭の中でイコールで結ばれていなかった無知を今更ながら恥ずかしく思う。 スーパーで買ってくる米はきれいに精米され、昔のように小石や籾殻のかけらが混じる事もほとんどない。無洗米にいたってはわずかな糠すら取り除かれている。そんな完全に精製された、製品としての白米になじんだ私には、やはり実体験としての米作りの知識を持ち合わせていなかったのだなぁと改めて感じた。
我が家で初めて炊いた玄米ご飯。 夕食後、少しだけ残ったご飯を小鉢に入れて取っておいたら、朝、見てみるといつの間にか小鉢が空になっていた。 夜中に、二本足で歩くどこぞの大きなねずみが、夜食代わりに食べてしまったものらしい。 今日もそそくさと2度目の玄米ご飯を炊いてみる。
朝、寝坊の子どもたちを放置して、朝食の支度をしていると、父さんが仕事場から慌てて飛んで帰ってきて、今すぐ駅まで車で送って欲しいという。今朝は早めに出かけると聞いてはいたけれど、早朝からぎりぎりまで工房で仕事をしていて遅くなってしまったのだ。バタバタと汚れた仕事着を着替え、身支度をする父さん。 「あ、朝ごはんは?」 「食べる時間ない!それよりトッポのエンジンかけてきて・・・。」 送迎用のおんぼろトッポはこのごろバッテリーが不調。こんな寒い朝に一発でエンジンがかかるかどうか、ドキドキものだ。 毎度毎度済まないねぇと猫なで声でご機嫌をとりながら、エンジンキーを回す。ブルンブルンと不機嫌そうに唸りを上げるトッポ。フロントガラスもリアウインドも凍りついた霜で真っ白だ。ぬるま湯をかけて溶かしても、解けたそばから、ピキピキと凍り付いていく。寒いなぁ。
ふと思いついて、お皿に炊きたてのご飯を盛り昨晩の夕食のドライカレーをかけてレンジでチン。スプーンとペットボトルのお茶を引っつかんで、トッポに持ち込んだ。 駅までの道のりは車で10分弱。あわただしい時間だけれど、その間に父さんは朝食が取れるだろう。 「車の中でカレーって、どうよ。」 といいながら、乗り込んできた父さんがカチャカチャとカレーを食べる。 車中に充満するカレーの香り。途中、ウォーキング中のご近所の人に見つからないように、背中をかがめてスプーンを動かす父さんの様子がおかしくて、運転しながらひとしきり笑わせてもらった。
昨日今日と、父さんは古い窯業の歴史や窯跡発掘に関するシンポジウムの講義を聴講するため、隣県の大学へ出かけていくのだ。 正月明け、年末からおしている工房の仕事の段取りをつけ、ぎりぎりいっぱいの忙しさの中、あえて学ぶために出かけていく父さん。プロとしてある程度自分自身の仕事を確立し日々充実していくさなか、それでもなお新しいことを学ぶ機会を取り逃がさず、あわただしく出かけていく父さんの心意気を偉いなぁと思う。 いくつになっても、どんなに普段の生活が当たり前に過ぎていっても、時にはうんと気合を入れて、新しいことをがっちり学んでくる機会を持つという事は大事な事だ。 車の中でカレーをほおばる父さんは、授業に遅刻して慌てる学生のようでなんともさえない姿だけれど、こういうなりふり構わない探究心がこの人の一番の魅力なのだと思ったりする。
駅のロータリーで父さんをおろす。 「大事な講義で居眠りしないでね。」 と、憎まれ口で送り出す。 ヒョイと手を上げ、改札へ向かう父さんを横目で見送る。 帰りの車中、ダッシュボードに乗せたカレー皿の中でスプーンがカチャカチャ鳴って可笑しかった。
新しいことを学ぶ努力。 それはきっと平凡な主婦の日常にも、きっといくらか必要なこと。 今年も何か、新しいことを始めよう。 遅ればせながら、今年の抱負。
一月早々の京都での展覧会の案内状の発送作業が始まった。 義兄が事務所のパソコンで封筒に宛名を印刷し、その封筒に2種類のパンフレットを組み入れて、封をし、切手を貼る。 封筒詰め以降の作業はいつも女達の内職作業。義母やひいばあちゃんは居間のテーブルを封筒だらけにして数百通のダイレクトメール作りをせっせと行う。 これといって考える事もない単純作業ではあるが、手際よく封入する手順とか、入れ間違いを失くすための確認の方法とかシート状の切手を綺麗に切り離す裏技とか、長年の作業で培った小さなコツや要領がいろいろあったりして作業自体は結構楽しい。
今回はちょうどアユコが冬休みでひまそうにタラタラしているので、「これはいい」と、臨時要員に動員してみる。 封筒やパンフレットの束をドンと我が家の居間に持ち込み、コタツの上を片付けて作業をはじめた。もともと手先も器用で、几帳面なアユコはちょいちょいと教えた手順をすぐに覚えて、けっこう手早く封筒詰めをこなしていく。 「わたし、こういう仕事って結構好き。こういう作業が出来る職業ないかなぁ。」というアユコ。 「そうだねぇ、アルバイトではありそうだね。内職仕事では、こういうの、いっぱいありそうだけど、そんなに儲からないかもね。」と笑う。 「おかあさんはこういう作業、好き?」 「う〜ん、実は好きなんだな。頭使わずにせっせと手だけ動かして、仕事が終わったら、仕上げた封筒の数でその日やった仕事の量がひと目で分かる、そういう仕事って結構好きかもしれない。」 「じゃ、将来はお母さんと一緒に内職仕事でもするかな。」 「はぁ?それでいいの?」 アユコのささやかな就職希望に笑ってしまう。
将来の職業を選ぶというとき、クリエイティブな仕事がしたいとか、自分の特技を生かせる仕事がしたいとか、普通はそういう夢を見るけれど、実際の世の中の仕事というもののなかには、必ずしも自分らしさを主張したりその作業自体に意味を感じたりする事のない単純作業の繰り返しの仕事がたくさんある。 自分らしさを生かせる仕事こそ、やりがいのある「上等の」職業であるかのような思い込みが確かに私にもあるのだけれど、そういう仕事というのは本当は一部分で、かなりの部分は金銭的な報酬という対価を得るために機械的に行う、一見価値のない誰かの単純作業に負うところも多い。
封筒にパンフレットを入れて封をする。 そういう単純作業ですら、「こういう仕事って好き。」と喜んでやれれば、それはそれでちゃんと「上等な」仕事には違いない。 例えば我が家の窯元の仕事。 外から見れば、高価な茶道具や美しい作品がいつも表に出ているけれど、その影には工房での地味な土場仕事や荷造り梱包の仕事、経理や会計などの事務的な仕事がたくさんある。その仕事に携わる人の名前や個性はけっして外に出ることは無いけれど、生み出された作品が表に出て行くためにはなくてはならない瑣末な仕事がやまほどある。 そういう裏方の仕事の意味を意識して、「結構楽しいのよね。」と苦にせず楽しんでしまえる心持ちというのは、地味ではあるが貴重な事だ。 アユコの中にそういう堅実で強い仕事観が育っているという事がちょっと嬉しかったりする。
冬休みに入って、我が家の子ども達は家の中の家事を分担したり工房の仕事を手伝ったりして、結構よく働いてくれた。忙しく立ち働く父母や工房の人たちの様子を目の当たりに見て、「働く」ということについてそれぞれ、何かしら思うことも多かったようだ。 仕上がったダイレクトメールの封筒をまとめてトントンとそろえるアユコの手つきは、すっかり手馴れたものになった。 「明日は切手張りね。」 翌日の仕事の段取りを考える口ぶりも、ちょっと一人前の自信溢れる口調だ。 頼もしい助っ人の成長をありがたく思う。
工房の初出。 既に数日前から、皆に先立って父さんは年明け早々の展覧会の準備や、数物の注文品の制作のために通常の仕事の態勢に入っている。 主婦も腕まくりをして、年末や帰省で久しく滞っていた家事に取り掛かる。 うだうだゴロゴロのお正月もおしまいだ。
お寝坊の子ども達をたたき起こし、ハッパをかける。 「いつまでもコタツでごろごろしない! ゲームもおしまい! さっさと片付ける!」 「朝のうちに、習字、行って来ていいかな。」 空気を察したオニイが、いち早く避難を決め込んだ。 「あ、アタシ、習字の宿題できてない・・・」 タイミング悪く逃亡のタイミングを逃したアユコが、母のお説教のいけにえとなる。 こそこそと二階に上がり息を潜めるゲン。 起き抜けにいきなり通常モードに入った母に子どもらがあたふたと活動開始。 相変わらずアプコだけが、マイペースでパジャマのままうろちょろしていたりする。これもいつもの正月明け風景。
子どもの頃、お正月とかお盆休みとか長い休みが終わりに近づくと、いつも父のご機嫌が悪くなった。 いつまでも休み気分が抜けなくて、ダラダラと気を抜いた受け答えをしたり、生活態度がだらしなかったりすると、厳しく見咎めた父の雷が落ちる。 ひとたびつかまると、こんこんと長いお説教が続く。 毎度毎度のことながら、家の中にどよんと重苦しいい空気が漂って、息が詰まるような思いをしたものだった。 「あれは、お父さんが自分の休み気分を取り払って、お仕事の態勢に切り替えるための儀式みたいなものなのよ。」 父が出勤していった後、母はいつも笑って教えてくれた。 「たまらんなぁ。」 長い休みのたびに通過する父の低気圧が子ども心にも毎回憂鬱で、いろいろ逃げ場を探していたのを思い出す。
といいながら、母となり、子ども達のお休み気分をちゃっちゃと切り上げて通常モードに戻そうとイライラカリカリしている私がいる。 「なんだか誰かに似ているぞ。」 癇を立ててバタバタ掃除機をかけながら、わが身を振り返る。 溜まった洗濯物や散らかった部屋。 正月気分の名残の残る家の中の空気を、すっきり入れ替えて気分を一新したいのは私自身かも知れない。
久しぶりになじみのスーパーへ買い物に出る。 買ってきたのは、卵、牛乳など定番の食品。 夕食も焼き魚や味噌汁などの「茶色いご飯」にした。 年末からイベント続きだった食卓に、おだやかな通常モードのおばんざいをならべる。とんとんと冷たい大根を刻みながら、静かな当たり前の日常が戻ってくるのを感じる。 明朝は七草。 本当にお正月明けだ。
ゲンはメロンが大好物だ。 メロンと名のつくものなら、網目があるのもないのも、完熟のもまだ熟れが浅いのも大好きだ。 スーパーで時々買う網目のないお安い亜流のメロンでも、回転寿司で回ってくる薄くカットされたメロンでもいい。メロンソーダだって、メロンパンだって、メロンシャーベットだって大好きだ。 10歳の誕生日に「これからの夢は?」と聞かれて、「メロン丸ごと一個喰い!」と即答するほど、大好きだ。 目の前にメロンが出されると、ゲンの顔は嬉しそうにふにゃふにゃに緩む。そして、ずるずるしゃぷしゃぷと実に美味しそうに食べはじめ、向こう側が透けて見えそうなくらい、丹念に食い尽くす。 その至福の表情がなんとも可愛い。
今年、新年の帰省で一番のサプライズは、メロンだった。昨年秋の絵手紙の時にはメロンのおねだりを「かぼちゃはどうですか?」と、はぐらかされてちょっとがっかりだったゲンに、父がなんとまるまると立派なメロン(網目つき!)を3個も買っておいてくれたのだ。おまけに、一緒に帰省してきた大阪の弟まで、お土産にマスクメロンを持参。都合、4個の「最高級」メロンがゲンの目の前にならべられたのだ。 「この4個を、どんな風にして食べるかは、ゲン、お前に一任する。4個全部一人で食べてもよし。皆に分けて一緒に食べるのもよし。いつ、どんな状況で食べるかも、お前次第やで。」 父は面白そうにゲンに嬉しい難題を吹っかける。 ワクワク、ウルウルと4個のメロンを抱きかかえるゲン。 まさに王様の気分。
とりあえず一番熟れた一個をスパッと半分に切る。 その半球をお皿に載せ、「みんなも食べていいよ。」と言い残して、自分はそそくさとメロンにむしゃぶりつく。 残りの半分と2個目の半分を切り分けて、皆でお相伴。周りが8分の1の標準サイズのメロンを食べはじめた頃には、ゲンのメロンは既にあらかた実を食べつくして、綺麗なボール状になっている。 「はいはい、こういうものが欲しいんでしょ。」 と、ストローを用意してやると、待ってましたとばかり、残った果汁をちゅうちゅうと吸う。 お行儀悪い事、極まりないが、ゲンの顔の嬉しそうなこと。
「ゲンにもなぁ、自分が王様だぁと思える機会を作ってやらな、なぁ。」 と父が言う。 4人兄弟の3人目。 どうしても最初にライトの当たるオニイオネエや、末っ子姫のアプコと違い、どこかふらふらと脚光を浴びない所で気散じに居場所を見つけている観のあるゲンの事を、父は面白がって見ていてくれる。 この間の絵手紙の時には、珍しいゲンのおねだりをユーモアでさらりとかわしたくせに、やっぱり、ゲンがひがみはしないか、へこんではいないかと気遣ってくれていたのだろう。 4人兄弟という環境の中で、一人一人の子が「僕は王様」「私がお姫様」と思えるような特別な扱いを受ける何かしらの嬉しさを、父は時々運んでくれる。ありがたい。
1個のメロンがあれば、みんなに均等に分け与える。 我が家の子ども達は、小さい頃から分け合うことの大切さや楽しさをよく学んでいる。 けれども時には、持ちきれないほどの美味しいものを独り占めして、王様気分でむしゃむしゃ食べるのも楽しいものだ。 みんな一緒の仲良し兄弟にも、「僕が一番!」「私だけ特別!」の嬉しさはある。 そのこともよく知っているから、いつもなら一人だけいい目をしたり、ズルをしたりする事を厳しく糾弾するオニイやオネエも、メロンを独占して悦に入るゲンのことを、今日は咎めない。 「こいつ、ホンマに幸せそうな顔して喰いよるなぁ。」 と余裕の発言でニコニコと見守っている。
結局、2日間の帰省中には全部のメロンは消費し切れなかった。 「のこりはもってかえって喰うつもりやな。」と言われて、そそくさと自分でメロンのお持ち帰りの支度をする。 「忘れ物ないね。」 と確認していると、母が「ゲンちゃん、もう一個メロン残っているよ!」という。最初にお仏壇のひいばあちゃんにお供えしていた分のメロンの存在をゲンはすっかり忘れていたらしい。 「ゲンよ、お前は引き算があんまり得意でないのとちがうか。」 と父が笑う。 「ありゃりゃ」と慌てながらも、怯まずもう一個のメロンを帰り支度に加えるゲン。おじいちゃんおばあちゃんのために半分残していこうかという気遣いもさらさら浮かばないらしい。 そういう欲張りぶりも、今回に限り、可愛い。
帰宅後も、ゲンは一人で2個のメロンの配分を取り仕切っている。 と、いうより独り占め状態だ。 私も父さんも、ちびっこのアプコですら「ゲンのメロン」のお相伴をねだったりしない。ゲン一人が何度か半球状のメロンをしゃぶしゃぶと楽しんでいる。 ゲンの王様気分はまだまだ続く。
2005年01月01日(土) |
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