月の輪通信 日々の想い
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大阪の三越がなくなるというニュースが、少し前に流れた。 古くから、うちの窯では、東京と大阪、二つの三越で一年交代で大きな展示会を務めさせていただいてきた。 共に閉鎖になる枚方三越も、その昔、開店に当たって義父がいろいろとお手伝いして道筋をつけたというご縁の深い百貨店である。 数年後の新店舗開店見通しがあるとは言うものの、あの古めかしい造りの古風な百貨店が全く姿を消してしまうのにはさびしさを感じる。
実を言うと私と夫は「お見合い結婚」である。 十数年前、初めて二人を引き合わせていただいたのが、実はこの大阪三越だった。 ちょうど開かれていた恒例の展示会の会期に合わせて、上階の「特別食堂」に見合いの席が持たれ、お仲人や二人の両親と共に松花堂弁当をいただきながらのご対面だった。 震災後、店舗の規模は半減し、特別食堂もなくなってしまったが、「あとは若いお二人におまかせして・・・」の後で、改めてはじめましての会話を交わした小さなティールームは、今もまだおっとりと健在のようだ。 それもまた来春には、なくなってしまうのかと思うと、なんともいえないさびしい気持ちになる。
新進の作家として独自の世界を作り上げつつあったその人と教職3年目で仕事が面白くて仕方のない生意気盛りの私。年齢も10も離れて、共通の話題をほとんどない二人が面と向かって、どんな話をしたのだろう。 ちょうどサンルームになっていた明るいティールームの白いテーブルクロスの模様を指でたどったりしながら見上げた人はニコニコと穏やかに笑っていたけれど、初対面の男性と二人で何を話していいのか分からずに、あたふたと話題を探していたのを思い出す。 そのときの話題の詳細はほとんど忘れてしまったけれど、たった一つ、いまだに「あれは変だったよね。」と父さんと笑い話にしている話題がある。 「蛙、食べた事ありますか?」 私がいきなり切り出した突飛な問いに、真正直に答えを探すその人の慌てぶりが好印象で、ふっと肩の力が抜けた気がした。
私がそんな妙な質問を切り出したのには、その数年前、友達といった中国へのパック旅行の一幕があった。二組に分かれて円卓を囲んだ昼食の席にあたらしい一皿が加わったとき、同席した人たちが悲鳴とも歓声とも付かない声を上げた。 お皿いっぱいに盛り上げられた食用蛙の炒め物。 皿の中を気味悪そうに遠巻きに見るご婦人達。そんな中で、私が同席したテーブルでは「珍しいものはとにかく食べてみなくっちゃ」とリードしてくださる男性がいて、皆は恐る恐るてんこ盛りの中から「平泳ぎの足」を少しづつ取り皿にとった。初めて食べた蛙は意外にも鶏肉にも似た淡白なお味で、さっきまで気味悪がっていた同席者達も次々にお替りをして、あっという間にお皿は空になった。 一方、もう一つの円卓では、「気持ちが悪い」と料理に手をつけられない方がいて、ほかのお皿はみんなきれいに空になっているのに、最後までてんこ盛りの「平泳ぎ」のお皿には手をつけられなかった。 同席者の好みしだいで、新しい食材との出会いを心から楽しめるかどうかが、大きく違ってくるという事を痛感した出来事だった。
人生の伴侶を選ぶにあたって、新しい物と向かい合ったとき、その状況を面白がって一緒に楽しむ事ができる鷹揚さを持ち合わせた人を選びたい。 その頃の私の生意気な判断基準だった。 「特別、変わった食材を求めようとは思わないけれど、きっと僕も食べると思いますね。」と共感してくれたその人は、第一関門通過だなと感じられた。 梅田に出て、古書街をぶらぶらして、なんだか自動車を作る男性が主人公のちっともロマンティックではないアメリカ映画を見て、お茶を飲んで帰った。ちっともお見合いらしくない、普通のデートコースのような半日だった。 「夕食もとらずに帰ってくるなんて、きっと断りの電話が入るに違いないわ。」と母やお仲人さんは話していたけれど、そのときの私はちっともそれでおしまいという風には思えなかった。 結果として、その人は今、私の伴侶となった。
あれから15年余り。 私と父さんはいまだに一緒に蛙料理の一皿を食する機会には恵まれていない。けれども実生活の中では、山盛りの蛙料理のようなビックリの一皿にも似た経験を何度も何度も出会わせて頂いた。 「それもまたおもしろいね。」と一緒に笑うことの出来る人でよかった。 文字通り泥まみれで新しい仕事に取り組んでいく父さんと日々成長していく子どもらに囲まれて、我が家の歴史もまた新しいページを加えていく。 11月4日。 結婚記念日。 外出先の父さんから珍しくメールが入った。 「ありがとう」 いいえ、こちらこそ。
今日もはっきりしない天気。 ベランダに干したバスタオルも、なかなかすっきりと乾かない。 生乾きの洗濯物が部屋のあちこちにたまってうっとおしい。 アプコはこの間雨で流れた遠足のリベンジ。 延期のために、行き先が梅小路の機関車見物から海遊館に変更になったので、大喜びで出かけていった。
昼過ぎ、小学校の保健室から電話。 ゲンが遊びの時間に、運動場の雲梯から転落して、頬と腰に怪我をしたという。 最近、ゲンは雲梯にぶら下がって遊ぶのではなく、はしご渡りのように雲梯の上を歩けるようになったと得意げに話していた。今日も多分、それをやっていて転落したのだろう。 保健の先生は心配して電話してくださったようだが、どうやら打ち身だけで済んでいるようだし、本人も授業が終わったら歩いて帰れるといっているらしいので、迎えには行かないことにする。 怖がりで慎重派の我が家の子ども達には、遊具遊び中の事故で怪我なんてめったに起こらない。たまにこういう事故があるのはゲンと決まっている。 痛い目をしたゲンには悪いが、「やっぱりゲンだねぇ。」とニヤニヤしてしまう。 思いがけないところで、思いがけない災難を拾ってくる。 これこそ、野生児ゲンのゲンたる由縁。 帰宅したゲンは大きな腰に大きなシップを貼っていただいて、大仰に痛がってみたり、平気そうな顔をしてみたり。 「男の子だなぁ」となんとなく楽しい。
ところで昨日のオニイの傘の顛末。 休日の間、学校に放置したままになっている2本の新しい傘。 今日は雨も降っていないし、きっとまたもって帰ってこないよといっていたら、はたして、けろっと忘れて帰ってきた。 「あれだけ言ってもやっぱり懲りてないんだよねぇ。」 「多分明日も忘れると思うなぁ。」 と皮肉たっぷりに、オニイをからかう。 「ごめん、明日は絶対!」 と繰り返すオニイ。 それじゃあということで、オニイに賭けを提案する。 明日、オニイが2本の傘を忘れずに持ち帰ったら、父と母から150円ずつ、昨日の傘代としてオニイにやる。 もしも忘れたら、来月の小遣いから300円、オニイが父母に支払う。 「おう、よっしゃー!」 と承知したオニイ。
昨日の出費の救済策として賭けを提案した親心、ちゃんと汲んでおくれよ。
父さんが昼から出かけるというので、傘を用意した。 ふと見ると、この間、オニイに貸した父さんの予備の傘がない。 あ、オニイ、またやったな。 そろそろ説教時だとオニイを呼ぶ。
オニイはよく傘を壊す。 雨の日でも傘を差して自転車通学するのだが、もともと自転車の乗り方のうまくないので片手運転の傘は壊れやすいのかもしれない。 また帰りに雨が降っていないと、ついつい学校に傘を置きっぱなしにしてなくしてくることもある。 ここ1,2週間で、新しい傘を2本壊し、予備のビニール傘を無くした。そして今日は借りていった父さんの予備の傘と私が補充用に買ってきたばかりの傘を2本とも学校へ置いてきたという。 ホームセンターの安売り傘だから壊れやすいのかもしれない。 自転車でたたんだ長傘を持って帰るのが面倒な事もよくわかる。 それでも駅の置き傘って訳じゃないんだから、次から次から使い捨てのように当たり前に家にあるかさを持っていかれてもたまらない。 父さんの傘や学校で借りてきた傘など、自分のではない傘の扱いもぞんざいで自分の用が済んだら返却を面倒がる。 傘が足りなくなるたびに「しょうがないねぇ」と傘を買いに出かけるのにも、いい加減、頭にきた。
「これからは、雨が降ったら徒歩通学にしなさい。 すぐに返さないのなら、人の傘を安易に借りるな。 予備に買ってある傘も勝手に持ち出すな。 自分の傘はこれから自分の小遣いで、自分で買って来なさい。」 癇癪に任せてコンコンとオニイを叱る。 何か反論がありそうな顔つきで、それでもいちいち頷いて聞いているオニイ。 「この休日の間は、雨が降っても君は傘なし!家にある傘は使わせない」 意地悪く念押しして、父さんを駅へ送るために車を出した。
父さんを駅で下ろして、戻ってくる途中、雨の中を自転車で降りてくるオニイとすれ違った。 「どこへ行くのよ!」 助手席の窓からオニイを呼ぶ。 「傘、買いに行ってくる。」 「馬鹿!」 言い捨てて車を出す。 うちに帰ると、まもなく追いかけるようにオニイが戻ってきた。 「自分で自分の傘買いに行くのが何で『馬鹿』なんだよう!」 あ、オニイ、怒ってる。 いつも従順なオニイの目に、珍しく反抗の炎。 「ふん、傘もないのに雨降りにびしょぬれでわざわざ自転車で傘買いに出かけていくのは『馬鹿』じゃないの!」 即座に切り返されて、言葉の出ないオニイ。 むっとして2階へあがる。
「行ってくる」 再び降りてきたオニイが持ってきたのは薄いビニールのレインコート。 意地でも傘を買いにいくつもりらしい。 フンフン、面白いと放っておいたら、アユコに 「安い傘ってどこに売ってるか知ってる?」 なんて、こっそり聞いているのが聞こえた。 一ヶ月1.000円の小遣いから傘代まで捻出するのはきっと痛いに違いない。 それでもふたたび雨の中へ出て行こうとするオニイの強情に、私のほうはさっきの怒りも霧消して、面白がってそのまま送り出した。
しばらくして、オニイ、ホームセンターの安売り傘を一本買って帰ってきた。 雨の中、レインコートで自転車を走らせているうちに、雨降りに傘を買いに行く馬鹿馬鹿しさに自分でも気付いたか、照れくさそうに笑っている。 「さすが、おかあさんやな。ホームセンターの傘は思ってたよりずっと安かったわ。」 さらりと負けを認めて、くにゃっと意地を折り曲げたオニイは偉い。 こういうあっさりとした負け方ができるのは、父さん譲りの柔軟さだ。 「じゃ、これからその傘大事にしなさいよ。ちゃんと名前書いてね。」 と念押しする母のほうが少々くどい。 外を見ると、曇り空が少し明るくなって、雨はやんでいるようだ。
この間、ゲンが学校で絵手紙を習ってきた。 地域の方に来ていただいて、指導していただいたものだという。 はがきの用紙に絵筆をさらさらと走らせて、色づいた柿の実に「元気ですか」の文字。 ゲンはその貰ってきたはがきを加古川のおじいちゃんおばあちゃんに出したいという。 「おじいちゃん、この絵、なんていうかなぁ」といいつつ、書き加えるメッセージをと考え込んでいた。
「・・・ね、このはがき送ったら、おじいちゃん、なんか僕にも送ってくれるかなぁ。」 どうやら、ゲンには何か下心がある様子。 先月、アプコが幼稚園から送った敬老の日の葉書には、おじいちゃんおばあちゃんから段ボール箱いっぱいのチョコレートが届いた。 アプコの無邪気な喜び様をゲンはクールにお兄さんぶって見ていたのだけれど、実はかなりうらやましかったに違いない。 「さぁねぇ。それで、君は何を送ってもらいたいの?」 答えは聞いてみなくてもなんとなく分かる。 大好物のメロンだよね? 「じゃあね、ストレートに『メロンください』じゃ芸がないよ。何とかおじいちゃんおばあちゃんが『よし、メロンを送ってやろう』と思えるような文章をかんがえてみ。」 「ふうん、それもそやな。」 ゲン、ますます頭を抱える。
「これはちょっとまずいかなぁ。」 としばらくしてゲンが持ってきた絵手紙の文面。 「ぼくはメロンが好きです。 かきも好きですが、メロンがすきです。」
ゲンの精一杯のユーモアが可笑しくて笑いをかみ殺して切手を渡す。 「いいよいいよ。おじいちゃん達はなんていうかな。」 ゲンにも、露骨なおねだりにはまだ少々の戸惑いがあって、宛名や住所を書き込んだ後でもなかなか投函できなかったりしている。 アユコや母が「だしちゃえ、だしちゃえ」と思いっきりけしかけて、やっとの事でポストに入れた。 「ゲンが面白い葉書を送ったよ。」 実家の母に電話して、予告しておく。
ゲンは買い物のついでに、果物屋の店先を何気なくちらちらと偵察していたりする。 ちょうどメロンの最盛期は過ぎ、箱入りのマスクメロンには高額の値札が付いている。ゲンが時々食べる比較的安価なアムスメロンやハネデューメロンの姿はあまり見かけない。 「わ、おかあさん、あの葉書、ちょっとまずかったかな」 と少々気弱になるゲン。 その様子がおかしくて「さぁねぇ」とはぐらかして笑っておく。
「おい、ゲンちゃんからの葉書はついたけどな。」 子ども達のいない時間に実家の父からの電話。 「ゲンちゃんの意図するところは、よくわかったけどな。」 父の口ぶりはすでに可笑しそうに笑っている。 「果物屋へ行ってみたら、結構値段もはるようやな。 ま、そのうち、送ってやってもいいけど、ちょっとゲンをからかってみようかなぁと思ってな。」 父はすでにゲンへの返事の手紙を書いたらしい。 「ふふん、人生はなかなか思ったようには進まないって事も教えておくということで・・・」 父の言葉にいつものいたずらっぽいユーモアの匂いが混じった。
翌日父から届いたのは、文面いっぱいに描かれたかぼちゃの絵手紙。 「はがき、ありがとう。 メロンとかきがすきですか。 かぼちゃはどうですか。」 「うわ、やられた!」 文面を見たゲン、へらへらと力が抜ける。 高価なメロンの小包ではなくて、おじいちゃんの見事なかぼちゃの絵手紙が届いた事で、ホッとしたような、ちょっぴりがっかりなような・・・。 「やっぱり、加古川のおじいちゃんは手ごわかったねぇ。」 ゲンの困った顔がおかしくて、父の絵手紙をみんなで囲む。 「さぁ、どうする?降参する?」 「う〜ん、どうしようかなぁ。」 ゲン、改めてリベンジの一手にでるか、それともあっさりと白旗を揚げるか、頭を抱えて考え中のようだ。
人なつっこくて甘え上手なゲンは時々思いがけないやり方でおねだりをする。実家の父も、ほかの兄弟達にはないゲンの思い切ったおねだりを面白がってみてくれているに違いない。時にはそれをユーモアたっぷりのやり方ではぐらかして、ゲンの反応を笑ってみている。 父の絵手紙のかぼちゃも、紙面のど真ん中にどっしりと座ってアハハと笑っているようだ。
朝の登園の道がそろそろ肌寒くなって、気が付いたら息が白かったりする。 今年は金木犀の開花が台風襲来に重なり、ほとんど甘い香りに気付くことなく、玄関先ではもう石蕗の黄色い花が咲き始めた。 小学校入学を意識して、「手をつながずに一人で歩く!」といっていたアプコが、また最近母の手に甘えるようにぶら下がって歩くようになった。 「だってあったかいんだもん。」 手袋をするほどでもない、でもなんとなく指先が薄ら寒くてたよりない。 そんな気持ちに正直に、アプコの小さな手が私の手の中に滑り込んでくる。 あろうことか、今日は4年生のゲンまでが「さむさむー」と首を縮めてアプコと反対側の手をつなごうとする。 こういう甘えんぼを照れもせず、いきなり実行に移せる事が兄姉と妹に挟まれた中間子の世渡りの知恵なのだろう。
「おかあさん、ゲンの一番あったかいトコ知ってる?」 なかなかゲンのように甘えんぼの出来ないアユコが横から割り込む。 「あのね、ゲンの背中とランドセルの間!」 私とアユコが同時に左右からゲンの背中のランドセルの隙間に手を入れる。 ついさっきまで走ってきた少年の体温は思いがけなく暖かく、やわらかく私の手を包む。 きゃっと笑って逃げ出すゲンの背中を目で追いながら、子ども達の体温が今すぐ手の届くところにある幸せを思う。
あちこち遊び回る夏が終わって、いろいろな行事に忙しい秋がすぎると、子ども達は母の手元に帰ってくる。毎年、毎年、そんな気がする。 お互いの暖かい体温が恋しくなって、あるいは台所で燃やす大きなガスストーブの暖を求めて、なんとなく子ども達がひとところに集まって、うじゃうじゃと身を寄せ合っている時間が増える。 さすがに中二になったオニイはカッコをつけて、そんなうじゃうじゃを避けたいそぶりを見せるけれど、それでも私にはまだ寄ってきてくれる幼い子らがいる。 外の風の音を聞きながら、暖かい台所で子どもらのマグカップにホットミルクを注ぎ分ける。そんな季節がまたやってくるのだ。
かの被災地では、もう、雪が降るのだそうだ。 冷たい瓦礫のしたから奇跡的に助かった坊やの冷え切った体はもう温かくなっただろうか。
昼下がり、子ども達を車に詰め込んで近隣のショッピングセンターに出かける。 休日の午後という事で駐車場もよく込んでいて、ガードマンの指示にしたがうと車は店舗の入り口から一番遠い臨時駐車場に誘導された。 人ごみから少し離れた臨時駐車場にまわると、その入り口にたっているガードマンのおじさんの動きに目を奪われた。 赤い誘導灯をチアガールのバトンのように軽やかに投げ上げて、笑顔でこちらに手招きをしている。 一昔前によくコミカルに踊りながら交通整理をする警察官がTVで紹介されたりしていた事があるが、ちょうどあのかんじ。 「みてみて!」と指差して後部座席の子ども達が笑う。 車中の喝采に気付いたか、踊るおじさんはもう一回高々と誘導灯を投げ上げて、くるくる落ちてくるのを器用に背面で受け止めて、大サービス。 おじさんのパフォーマンスに見送られて、車はするりと立体駐車場に滑り込む。 「なんか、変なおじさん!」 「でもたのしそうだねぇ。」 ホワンとした楽しい空気が、車中にのこった。
多分、仕事で忙しく走り回っている時や何かのイライラを抱えているときだったら、きっと「不真面目な!」と癇に障っていたに違いないお気楽なパフォーマンス。 車の出入りも一番少ない比較的ひまそうな臨時駐車場で、勤務の合間の慰みに赤い誘導灯をくるくる回してみたら、面白かった。そんなたわいもない手慰みで始められたものか。それとも、そのパフォーマンスのゆえに、一番人目に付かない遠くの駐車場の閑職が割り当てられたものか。 たしかに、店舗に近いメインの駐車場の誘導員は厳しく唇を結んで、事務的に仕事をこなして忙しそうだ。パフォーマンス誘導員の彼は職場仲間の中では浮いた存在なのかもしれない。 それでもなお、楽しそうに誘導灯をくるくる回し、サーカスのピエロのような大仰なしぐさで来店者の車を誘導する彼の笑顔はなんだろう。
案内板の一つもあれば事が足るような単純作業の閑職を、なんだか朗らかににこにこと務めるおじさん。誘導員として有能かどうかは疑問だけれど、その楽しげな仕事振りはどこか見る人に心地よい脱力を促す。 憂き世を泳ぎ渡る毎日にくすっと小さな笑いをもたらしてくれるのは、意外とこういう勘違いな人の能天気なパフォーマンスだったりする。 そしてまた、こういうばかばかしい笑いを和やかに眺める事が出来るのは、穏やかな当たり前の日常が今、ここに漫然とあるからだ。 当たり前の日常を支える力というのは、こんな風にばかばかしいほどささやかな、一見意味のない誰かさんの手の中にもある。 そのことがちょっと嬉しく、暖かい。
泥の海に浮かんだ観光バスの屋根の上で救助を待つお年寄り。 速報中の強い揺れにうろたえた目をしたアナウンサー。 避難中の車中でショック死した赤ちゃん。 壊れたジグソーパズルのように地割れして崩れた道路。 避難所でうつろな目で座り込むおばあさん。 毎日毎日辛い映像が流れてきて、心配だか同情だか好奇心だか、なんだかいつまでもTVのチャンネルを合わせている。
我が家の近くでは、平和に穏やかな秋晴れの日が続く。 台風23号のとき、水かさが増して心配した裏の小川も、ようやく今日あたり水量が元に戻り、ざわざわと肝を冷やした水音も耳に障らぬほど小さくなった。 かたや同じ空の下で、全てを失って呆然と地を見つめる人たちがいるというのに、申し訳ないほど平和な休日を過ごす。
私達の住む町の名は「きさいち」という。 ニュースの中で繰り返される「被災地」という言葉を、いつまでも「きさいち」と聞き違えて、そのたびに気持ちに軽い掻き傷を負う。 胸にいつまでも身勝手な憂鬱が幕を張っていて、なかなか心が晴れない。 愛用の茶碗を割ってしまったとか、見慣れた古い空き家が解体されたとか、そういう些細な喪失感ですら何日も心に張り付いて取れないこともあるのに、一瞬の天災で全てを失った方々の心はどれほど深く痛むのだろう。
アプコが傍らで、テーブルの上に積み木を積み上げて遊んでいる。 高く積み上げては突き崩すいつものたわいない遊びが癇に障って、「うるさいからそれやめてね。」といつもより堅い口調で言ったら、「地震やもんね。」と意外に素直に積み木を片付け始めた。 水につかった家屋や壊れた道路の映像を見るともなしにたくさん見せられて、幼いアプコの中にも大事に積み上げたものが一瞬に破壊される事の悲しさはなんとなく影を落としているのだなと思う。 「おかあさん、あそこのご飯、少ないね。」 TVの報道を見て、「一日一個のおにぎりとペットボトルの水」という被災地の食糧事情にアプコが目を丸くする。 「どうしてコンビニとかに買いに行かないの。」 「どうしておうちに取りに帰らないの?」 「大きいお布団はどこにあるの?」 地震という事情をよく理解しないアプコにいろいろ説明をしながら、被災地の事情を全く知らない私自身もアプコ同様、きっと的外れな同情や嘆きをいっぱい抱えている傍観者に過ぎないのだろうと胸が痛む。
日記が書けなくなっていた。 度重なる災害のことに触れずに、日記の日付を進めることも出来なかった。 だからといって、被災地へのお見舞いだの報道や救援のあり方への批判だの書ける余裕も私にはなくて、ただただ報道に涙し、ネットを徘徊してほかの日記書きさんたちの書かれた関連の記事をたくさん読むことに時間を費やしていた。 だが、こうしている間にも私たちにはあいも変わらず、平穏で雑然とした日常があり、たわいもない事件が数限りなく起こる。 毎日普通にごはんを作り、子ども達を叱り、洗濯物を干す。 心が中途半端に浮いたまま日々の雑事をこなしていると、何故だか急にアプコがすりすりと身を寄せてくることが増えた。 いつも母の傍らにいる「甘えた姫」のアプコは、母の心の不在に敏感だ。 多分災害への不安ではなく、心ここにあらずの母への不安がそうさせるのだろう。この子にとっては、遠いところの災害よりも父母や兄弟のいる今この生活が全てなのだなと思い至った。
申し訳ない。 今の私に出来る事は、この子らの無邪気な毎日の平穏を心を込めて支える事だ。次からはまた、当たり前の日常のたわいもない一こまを書く。 どんなに失っても、壊れても、ちゃんと別のどこかには平穏で穏やかな日常が営まれているという事が誰かの慰めになってくれはしないかと祈りたい。
父さんは義父と一緒に津山へ出張中。 アユコは、21,22日、修学旅行に出発。 台風23号の襲来で、あわや中止かとハラハラしたものの夜の間に無事雨もやみ、台風一過の好天気に恵まれた事と思う。 広島平和公園から倉敷へ向かう一泊二日。
この旅行に向けて、担任の先生から楽しい提案があった。 子ども達には内緒で、おうちの人が我が子に当てた手紙を書いて、それをまとめて修学旅行一日目の宿に宛てて送っておき、子ども達がくつろぐ夜のひと時に「わぁ、こんなものが届いたよ!」と一人一人に手紙を配るというもの。 「我が子に手紙なんかかいたことないわぁ」と言いながら、ドッキリカメラの仕掛け人になるような、いたずらっぽい想いでちょっとわくわくとなってしまったお母さんたち。 「やりましょう、やりましょう」と二つ返事で実行することになった。
いつも顔を合わせている我が子に改まった思いで手紙を書くというのは、意外と大仕事だった。 子ども達はこの日記のこともよく知っていて自分のことが書かれた日記は大概後から目を通しているようだから、母の文章そのものは見慣れているとは思うのだけれど、母の方は日記と手紙ではずいぶん勝手が違う。 手紙の中では、我が子のことを「○○ちゃん」とよんでいいのか「あなた」とよんでいいのか。自分のことを「お母さん」と呼んでいいのか「母」とよんでいいのか。 まずそんなところでひっかかって、筆が止まる。 子ども達が寝静まった居間で、数行しか書き記さない真新しい便箋を何枚も反故にして、やっとの思いで数枚の手紙を書き終えた。
家族の者に手紙を書くということがなぜそんなにむずかしいのか、考えてみる。 毎朝、同じように起き、一緒に食卓を囲み、嬉しい気持ちもうだうだした気持ちも一緒に共有しているつもりの子ども達。 「大きくなったなぁ。そろそろ自分自身の世界を持ち始めて、巣立ちの用意を始めているんだなぁ」なんて感じる事の増えた昨今、それでもやっぱり我が子に対しては「私が生んだ子ら」「わが身の一部」という濃厚な一体感が母の胸には残っている。 そのせいか「我が子への手紙」には、どこか彼らと同じ年頃であったころの自分自身への手紙のような気恥ずかしい、こそばゆいものがある。 「あなたのこんなところはいいね。」と書く言葉は、少女の頃の自分がそうなりたいと思っていたことがらだったり、「こんなふうに育ってね。」と書く言葉は嫌だった自分への裏返しだったり。 よくも悪くも私にとっての子ども達というのは、自分自身の来し方行く末を再体験して打ち破って行ってくれる勇ましい「第2の自分」であったりする。 母の翼の下から勢いよく飛び立っていくその日まで、「我が子に書く手紙」はどこか「自分自身に書く手紙」の気恥ずかしさを伴って居心地が悪いのだろう。
そういえば最近になって、ごくごくたまに実家の父母に書く手紙やメールはずいぶん書きやすくなった。 飾る言葉や装う言葉の必要もなくなって、素直な気持ちを短い文章で吐いて、そそくさと封をする。 そこには、「書かなくても多分感じてくれてるよね」という娘としての甘えと、父母とは別の場所で夫や子ども達という確実な生きる場所を築いている「親離れ」の自負が入り混じって存在する。 手紙の書きやすさというのは、どこか相手との距離感の定まりように左右されるものらしい。
「おかあさん、あれ、いつ書いたん?」 バッグにおみやげを詰め込んで、バスから降りてきたアユコは、楽しかった、眠い眠いとテンションの上がった声でひとしきり喋った後で思い出したように手紙のことを訊いた。 「さあね、びっくりした?」 フンフン笑ってごまかし、保護者総出のいたずらの首尾を訊く。 「どうやって、集めたの?誰が送ってくれたの?」 と、秘密の計画の裏事情ばかり聞きたがるアユコは、手紙の内容についてはちっとも触れようとしない。 アユコが何を思ったのか、どんな気持ちで呼んだのか、根掘り葉掘り聞き出したい気持ちもあるけれど、彼女からの本当の返信を受け取るのはもっともっと先の事かもしれないなぁと感想を聞くのは思いとどまる。 私とアユコの距離はまだまだ近い。 そのことが母にはまだまだ嬉しかったりする。
朝、あわただしい朝食を終えて立ち上がるとき、アユコが「ごちそうさま」といって軽く手を合わせた。 あれ、いつもそうだったっけなぁ。 我が家では「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶はみんな一応するけれど、手を合わせる習慣はなかったはずなんだけど。 学校の給食の時には、今でも相変わらず手を合わせて「いただきます」をするようだから、その習慣がふっと出てしまっただけなのかもしれないけれど、若い少女のさりげないその動作は思いがけず凛として美しい。 この間のアプコの幼稚園の参観では、お弁当の時間、お当番の子ども達が前に出て「お父さん、お母さん、ありがとう。いただきます」と号令をかけ、パッチンとみんなで手を合わせて挨拶をしていた。 冷凍食品チンの手抜き弁当常習の母としては、手を合わせて感謝されてもこそばゆいばかりだけれど、幼い子ども達が与えられた食べ物を前に小さい手を合わせている姿もなかなかに可愛らしく良いものだなぁと思った。
そういえばアユコくらいの年のころ、私自身も何かの折に父親から、 「お前は最近『いただきます』の時に軽く頭を下げる。なかなか感じがよろしい」 と褒めてもらった記憶がある。 特別意識した動作でもなかったので、ふうん、そんなものかと思ったけれど、大人になって肝心の一礼の習慣はいつか自然消滅しているのに、褒められた記憶だけが残っていたりするから、きっと内心は嬉しかったのに違いない。 我が子の合掌する姿を「いいな」と思う私の美意識とか価値観は、あの日の父のさりげないお褒めの言葉が少女であった私の胸に刻んでくれた教えの賜物だったのだろう。 同じ想いをアユコやアプコにも伝えておきたくて、 「アユコの今の『ごちそうさま』なかなか感じがよかったよ」 と一言添えておく。
台所の用事をしていたら、突然お仏壇の「りん」の音がした。 誰もいないはずとびっくりして覗いたら、アプコが赤ちゃんのうちになくなった小さいおねえちゃんの遺影に向かって手を合わせてお辞儀している。 「チューリップの絵を描いたから、なるちゃんにあげたの。」 幼いアプコにも、なる姉ちゃんとお話しするときには手を合わせるということがなんとなく当たり前の習慣になっているのだなと胸が熱くなった。
信心とか宗教とか、そういう難しい事は分からない。 自然の営みとか生命の不思議とか、そういう大切な物の前に立って何の気なしに手を合わせている。 子どもたちの中に自然と生まれた暖かい気持ちが、いつまでも色あせることなく育っていってくれますように。
今日は、私も改めて手を合わせて「ごちそうさま」といってみた。 この秋の新米は、ふっくらと甘くて、まことにまことにご馳走さま。
再び、お祭りのときの事。
アユコの晴れ舞台の日、父さんはゲンと別の用事で出かけていてお祭りには参加できなかった。代わりに母がアプコを引き連れてビデオ撮影に走り回った。本来、家族と一緒の祭り見物なんて気恥ずかしくてとんでもないと言い出しそうなお年頃のオニイも、「古本市が目当てなんだ」といいながら後から自転車で駆けつけてくれ、父さんのかわりにアユコの晴れ姿をしっかり応援してくれた。 「アユコの出番も終わったし、一人で先に帰ってくれていいよ。アプコはもう少し模擬店やゲームで遊びたいと思うし、あとはアユコが連れて歩いてくれると思うから・・・」 と言ったら、意外にもオニイは 「いいなぁ、アユコばっかり」という。 何のことかと思ったら、実はオニイ、末っ子姫のアプコを連れてお祭り見物をしたかったようなのだ。 いつも当然のようにアプコの手をつないで面倒を見るのはアユコの仕事で、オニイやゲンもそれを遠巻きに見ているポジションが当たり前になっている。 中学生の男の子にとっては小さい妹の手を引いて歩くのはきっと恥ずかしいに違いないと思っていたのだけれど、たまには年の離れた幼い妹を連れて歩きたい気持ちもあるのだなぁと意外な思いがした。
小学生達に混じって、小さいアプコの手をつなぎ、ミニバザーでぬいぐるみを選んでやり、一緒にゲームの列に並ぶ。 なんだか娘を連れた若い父親のようなオニイのやさしい姿を少し離れたところで眺めていたら、近くにいた数人の中学生の男の子達が「お、あれ、Kとちゃうか」とオニイの名を呼ぶのが聞こえた。 「あいつ、中学生にもなってゲームの列に並んでるで」 「やっぱり変わったヤツやな」 「・・・ああ、妹、連れてるんやな。」 「ふ〜ん。どっちにしても変なヤツ!それにしても、K、小学生達の中に混じってると結構、背ぇ大きくなったよな。」 「ほんまやな」 他人の振りをして小耳に挟んだオニイの噂話。 人目も気にせずアプコ番を買って出てくれたオニイのやさしさや小柄なオニイの体格を揶揄するような言葉に、母としてはちょっと胸が痛んだけれど、実はこの男の子達の言葉にはそれほど悪意はなくて、小さい妹の手を引くオニイへのかすかな賞賛と羨望の匂いを交えて「大きくなったよな。」と評してくれた少年達の暖かな気持ちにも気付く。 こういう、ちょっと意地悪でちょっと暖かい友人達の中で、オニイは胸を張って自分自身の立ち位置をしっかり築いていくのだなぁと思う。
「あっちで中学生の男の子達が君の事、『変わったやつだなぁ』ってうわさしてたよ。」 とオニイに伝えたら、「あ、そ」とオニイはちっとも意に介さない様子で頷いた。 「別にいいよ。それよりアプコ、もう小遣い、使い果たしたから、連れて帰る?」 「うん、そろそろね、君は自転車だから先に帰りな。アプコの面倒見てくれてありがとね。」 アプコの小さな手をつなぐオニイの手はすっかり大人の手。 心優しい兄ちゃんに手をつないで連れ歩いてもらえる幸せを、アプコはちゃんと分かっているのかしらん。 オニイと一緒に買ったぬいぐるみを大事に抱え歩くアプコは、今日も末っ子姫のおおらかさでニコニコと笑っている。
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