月の輪通信 日々の想い
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2004年10月16日(土) 秋祭り

15,16日、地域の秋祭り。
ゲンは子どもみこしに、アユコは横笛や御神楽の踊りなどに参加。
子ども会の模擬店やゲームに熱中するアプコも含め、あちこち駆け回る子ども達を追って、あちこち奔走する母。
晴れやかな青空の下、気持ちのよい祭りを楽しませてもらった。

特に今日はアユコ、大活躍の一日。
去年から参加している地域の「文化財振興委員会」での、横笛の披露。
小学校の5,6年有志の和太鼓演奏や御神楽の踊り。
いくつもの演目に掛け持ちで出演。
日頃つんできた練習の成果を披露するアユコの雄姿を晴れがましい思いでビデオカメラで追う。
こつこつと地味な練習を重ねてきたアユコの努力が思われて、母感激。
自分の持ち場を得て、十二分にその役割を果たそうとするアユコの生真面目さが、緊張にきりりと唇をかみしめて舞い踊る凛々しい姿に重なり、思わずウルウルとなってしまった。

「文化財振興委員会」にしても小学校の御神楽や和太鼓にしても、小学6年生の多感な時期に、これほど熱中して心から打ち込める物に出会えたアユコは幸せだなぁと思う。
そういう出会いの機会を用意してくださった指導の先生方の存在もありがたい。
ことに地域の「文化財振興委員会」は名前こそ物々しいが、地域の有志の方がボランティアで休日の夕餉の前の憩いの時間を何時間も費やして、子供たちの演奏や獅子舞の踊りを指導してくださった。
子供たちにせっかく一本ずつ横笛を支給し、苦労して音が出せるようになっても、1度か2度、祭りの本番を経験すると、中学に進学して部活動が忙しくなったり、友達との遊びやほかの稽古事を選んだりして、なかなか長続きする子どもが得られない。
下の子達に指導できるだけのリーダーが育てにくいという難題が常にあるのだという。
中学になっても活動を続けている数人の先輩達を見上げて「中学生になっても笛の稽古は続けたい」と宣言するアユコの中には、これまで指導してくださった先生方の熱意に少しでも応えたいという想いがあるのだろう。
「誰かの期待に応えたい」という気持ちが、「伝統を守る」「未来へ引き継ぐ」という行為のかなり大きな動機となっていくのだなぁと思う。

子どもみこしの先導役の天狗の役は毎年、村の長老格のかなり高齢の方が務めておられる。衣装をつけ面をかぶって、20センチ以上もある一本歯の高下駄を履いて数キロの道のりを練り歩く。
「来年こそ引退か」と毎年うわさされながら、今年もやはりいつものなじみの天狗さんだった。祭りが終わった普段の日にも、地元のおかあちゃんたちはひそかにこの老人のことを「天狗さん」と呼ぶ。実は私自身、天狗さんのフルネームを知らない。
昨年、天狗の後継候補として中学生の男の子が一人、予行演習がてら天狗さんの後について高下駄を履いてみこしの道中に参加した。今年は若い天狗さんの初デビューかと楽しみにしていたが、やはり今年もなじみの老天狗さんだった。どうやら後継候補の子も途中でやめてしまったらしい。
自分自身の勉強や部活動など、育ち盛りの子ども達の環境は変わりやすい。
何年も何年も変わらず務めていく天狗さんの後継は、発展途上の子どもにとってはきっと重過ぎる大役だったのだろう。
幸い、高齢の老天狗さんはまだまだ元気に先頭に立ち、ここぞとばかりに采配を揮い、先導の役割を事故もなく務められた。
多分、今年も「来年こそは引退するぞ」とおっしゃりながら、背筋を伸ばして天狗さんになりきっておられたのだろう。一つの役を長年こつこつと務めておられる方には、独特の強い意志の力が感じられる。
それこそが「伝統」を支える大きな力なのだなぁと改めて思う。
そういうことを間近に見せていただいて、何かを学ぶ事の出来る子ども達もまた幸せである。

大役を終えてホッと脱力したアユコが、貰ってきた白足袋をお洗濯に出した。
「この足袋、来年も使えるねぇ」といったら、「来年はきっと小さくて履けなくなってるかも・・・」とかえってきた。
どうやら来年もアユコは笛を続けるつもりらしい。
でもそのときのアユコは今年より一回り大きくなった中学生のアユコなのだ。
「アユねえちゃん、笛も踊りもかっこよかったねぇ。アタシも大きくなったら、アユねえちゃんとおんなじこときっとするよ」
とアプコがささやく。
「そうねぇ、楽しみだねぇ。」
小さな「伝統」が我が家にも生まれたかも知れない。


2004年10月11日(月) とかげの勇気

オニイとゲン、剣道の市民大会。
幼稚園児から一般の高段者まで市内の剣道愛好者が集まって、クラス別に試合を行う。
4年生のゲンは小学校低学年の部門で、オニイは中学男子の部門で出場することになっていた。
ゲン、健闘して2勝。ベスト8入り。
この部門では最高学年なので、欲を言えばもう一勝くらいして欲しいところだったが、とりあえず気をよくして帰ってきた。

一方、オニイ。
一回戦、ストレート負け。
相手は、市内の中学校の剣道部員のようで、見上げるような体躯のおどろおどろしい偉丈夫。
最近背が伸びたとはいえひょろりと華奢な小兵であるオニイと向き合うと、残酷なまでの体格差。
試合開始の合図と共に頭上に振ってくる「うぉー」という地響きのような雄たけびに縮みあがったオニイ、あれよあれよというまにパンパンと2本とられて、ものの一分足らずで負けてしまった。
「胸を借りる」というけれど、文字通り、中学生同士の手合わせというよりは、大人の先生に掛かり稽古を受けてもらっているという体裁となってしまった。ぐうの音も出ないというやつだ。
ま、予想通りの展開といえ、あまりにあっけない幕切れだった。
「オニイ、あんなでかい人を相手に勝てるとは思ってないけど、せめて声ぐらい出してかかっていけばよかったのに。」
さっさと面を取ったオニイに、冗談めかして声をかけたら、
「やった事のないお母さんには、言われたくないわい」
とむっとした答えが返ってきた。

「しまった」と思った。
考えてみれば、あの体格差だ。
誰の目から見ても勝敗はあらかじめ分かっている。
「ティラノザウルスに向かっていくとかげの心境なんやで。」
と、気を取り直したオニイが表現したように、初戦で格違いの対戦相手を引き当てて、それでも逃げ出さずに竹刀を構えて向き合っていく、それだけでもありったけの気持ちを振り絞っての挑戦だったに違いない。
小さいときから小柄で運動も苦手。
「まじめなんだけど、今ひとつ上達せんなぁ」と先生方を嘆かせながらも、こつこつと何年も精勤に稽古に通い続けてきたオニイ。
一度も勝利を経験する事もなく、それでも何度も相手に向かっていくオニイの静かな戦いぶりを見てきた母であるのに、歯がゆい思いの失言でオニイを傷つけてしまったようだ。

今のオニイのように、生まれつき体格にも恵まれず運動能力も著しく乏しい少年が、格違いの偉丈夫に臆せず戦いを挑んでいくその心中には、彼なりの死に物狂いの勇気や気力があったのに違いない。
その勇気はもしかしたら、生来恵まれた体格や才能を持ち合わせた人々が決して獲得する事の無い、特別な種類の静かな勇気なのだろう。
貧弱なへなちょこ剣士にはへなちょこなりの、静かに細く続く強い意志の力がある。
立派な体躯の同年代の剣士と自分を「ティラノザウルスととかげ」と自虐的に見立てるオニイには、それでも卑屈やいじけた想いはない。
我が息子ながら「偉いヤツやなぁ」と思う。

とかげにはとかげなりの精一杯の勇気というものがある。
もしかしたら、向かうところ敵なしのティラノザウルスよりも、適うはずもない強敵に捨て身で向かい合うとかげのほうが、勇気という点では格段に勝っているということもあるのかもしれない。
イチローや室伏選手のようなティラノザウルスではなく連戦連敗のとかげの母である私は、我が子のささやかな「とかげの勇気」の一番の理解者であらねばならぬとあらためて思う。

敗戦の剣士の奮闘に敬意を表して、帰りにお好み焼きを買いソフトクリームを振舞う。
勝利の美酒とはいえないけれど。


2004年10月10日(日) 「困ったさん」を育てる人

晴天の下、無事執り行われた幼稚園の運動会。
我が家にとっては10回目にして最後の幼稚園での運動会となる。
年長さんになったアプコは、鼓笛隊の行進や組み立て体操などの花形競技に出場。
緊張した顔で自分の持ち場に走り回る生真面目ぶりは、アユコの幼稚園時代にそっくり。担任の先生の足元にしがみついて、おどおどと入場していた3歳児の頃から見ると格段の成長振り。
大きくなったもんだなぁと母、感涙。

中、一年抜かして11年間、同じ幼稚園の運動会に参加してきた。
見回すと、周りは20代、30代の若いお父さん、お母さんたち。
さすがに10年もいると年もとるわなぁと、父さんと二人、嘆息、嘆息。
その間、園児の数は4クラス増。近隣の新興住宅地からの園児が増え、オニイの頃にはのんびりした田舎の幼稚園だったものが、すっかりマンモス幼稚園と化した。
園庭でのんびり行っていた運動会も数年前から隣の小学校のグラウンドを借りて行うようになり、観覧者の数もずいぶん増えた。そして保護者の質そのものもずいぶん様変わりした感がある。

正直なところ、今日の運動会は全体としては「なんだかモタモタしているなぁ」という勘がぬぐえなかった。
競技と競技の間が妙に間が空いて待ち時間が多い。実際、終了予定時刻が午前午後とも数十分ずつずれ込んだ。園児の数が増えると、それも仕方ない事かと眺めていたが、しばらくして、だんだん遅延の理由が分かってきた。
集団のペースから外れる子どもがやたらと多いのだ。
競技前の集合時間に間に合わないで、かなり遅れて保護者に連れられてくる子どもがいる。
入場して演技する直前になって、「おしっこ」を訴える子どもがいる。
かけっこの待ち時間にふらふらと待機場所を離れて、観覧席に向かって記念撮影のポーズをとっている子どもがいる。
子どもだけではない。親子競技の集合に遅刻して何度も放送で呼び出される保護者や、事前に知らされた準備物を忘れ競技直前に先生を慌てさせる保護者もいる。
要するに、ほんの数人の「困ったさん」待ちのために進行が遅れたり、長い待ち時間が生じたりする事がやたらと多いのだ。

相手は幼い幼稚園児のこと。
どこかの国のマスゲームのような一糸乱れぬ集団演技や、列車ダイヤ並みの正確なタイムスケジュールを要求するつもりもない。
本番間際に「おしっこ!」と訴えるのも、ママ恋しさに泣きべそをかいて終始先生に抱っこされたまま競技を終えるのも、子どもらしくて可愛いといえないこともない。
本当に困ってしまうのは、その子どものために100人の子どもが待たされても、申し訳ないとか恥ずかしいというような素振りも見せず、一向に動じない保護者が増えた事だ。
演技中ずーっと泣いて先生にしがみついたまま通した子どもを、退場門で迎えてそのままポーズをとらせ、ちゃっかり先生とのツーショットの記念撮影していく厚顔ママもいる。
私立の幼稚園ゆえ、先生方も面と向かって園児や保護者に文句を言う訳にも行かず、「いいんですよ〜」とにこにこと対応されてはいるが、きっと内心笑顔も引きつる思いでおられた事だろう。

ここ数年、そういう「困ったさん」の数が目に見えて増えてきた。
それは、未成熟な子どもが増えたせいというよりは、我が子が集団のペースから遅れてもちっとも動じない、わが道を行く保護者が増えたせいなのかもしれない。「だってうちの子がいやだって言うもの、仕方がないわ」と子どものわがままや個人的な事情を集団行動より優先する事を当たり前に主張する。
先週、小学校の運動会の駐車場問題で、「時には例外を認めるやさしさを・・・」と述べたばかりだけれど、我が子のせいで運動会の進行が遅れ、ほかの子どもが待たされたり先生方に迷惑をかけたりしても申し訳ないとは思わず、むしろ「目だってラッキー」「そのくらい優遇されて当たり前」くらいのノリの保護者が目立つようになってきたのは困った事だなぁと思う。
その背景には、「子ども達一人一人の気持ちや個性を大事にする」ということと、「一人の子どものわがままや主張を、集団行動の規律よりも優先すべき」ということの取り違えがあるような気がする。
近頃よく言われる「小一プロブレム」(集団行動の苦手な子どもの増加で一年生の授業が成り立たなくなる問題)というのも、実は大人のこうした「個と集団」への意識のずれが、知らず知らずのうちにみんなと歩調を合わすことの出来ない「困ったさん」をはぐくんでいるということの結果に他ならない。

そしてさらに困ったことには、集団行動から外れる子どもや遅刻やわがままで迷惑をかける子どもに対して、よその保護者や教師もまた「みんなに迷惑をかけて駄目じゃないの」と正面から叱る事が出来にくくなっていることだ。
「個人の事情を重んじる」ということと「集団のペースにあわせる」ということを並べると、集団を優先する事はあたかも個人の尊厳を傷つけているようなニュアンスにとられやすい。
また、自分から「特例」を要求する人たちというのは、ほかの人たちの蒙る迷惑や不快感には著しく鈍感なくせに、ことさら声高に自分や我が子の権利を主張する。
「一人一人を大事にする」という錦の御旗の元に、幼い子どもの些細なわがままや主張をいちいち受けとめて優先させてしまう親や教師の優柔が一部の「困ったさん」たちを助長させてしまう結果になっているのではないだろうか。

「みんな待ってるんだから、ちょっと我慢させなよ」
「あんたのせいで、何人が迷惑を蒙ると思ってんだよ」
誰かが面と向かってはっきり言ってやればいいのだ。
うんうんとうなずく人はいっぱいいる筈なんだ。
でも、職業上、幼稚園の先生方は絶対にそんな事はいえない。
監督している先生方がいえない以上、周りの保護者も口を挟まない。
誰も指摘しないから、「困ったさん」たちは自分達の優遇措置が受け入れられていると勘違いしたままどんどん厚顔になる。
「困ったさん」を育てている張本人は誰か。
もしかしたら、その場では口をつぐんで、Web上でたらたら文句をたれている今のアタシかもしれない。


2004年10月09日(土) 多忙の秋

9日、幼稚園の運動会が台風で流れた。
台風接近の報が流れてから、「雨天中止の場合は翌10日、それも駄目なら12日に午前中のみの短縮バージョンで行います」と早々と連絡が入った。
ありゃ、大変。
父さんの仕事のスケジュール、オニイとゲンの剣道の送迎方法、そして、幼稚園の行きかえりの交通手段などを、9日、10日、12日の3パターン、シュミレーションして頭を抱える。
誰を、いつ、どこへ送って、どこで迎えて、いつ、帰ればいいのか、いくら考えてもきりがない。
あかん、訳分からんわ。

子ども達がみんなうちにいる夏休みよりも、それぞれがあちこちでいろんな活動をしている秋のほうが、我が家のスケジュール表はぎっしりと埋まる。
アユコが毎月こしらえてくれる6人分の特製スケジュール表には運動会、お祭り、遠足、試合、試験、文化祭とさまざまな子どもの行事が目白押し。
芸術の秋には、父さんの展示会や陶芸教室の予定も集中している。
いつも送迎係に専念している母も、今年はPTAで何かと忙しい。
予定表には、ダブルブッキングどころかトリプルブッキングもあちこち目立つ。
「わぁ、どうしよ、また重なったよ。」
父さんと二人でああでもないこうでもないと予定をすり合わせ、やりくりして予定を決める。
誰かに「ごめんなさい」し、誰かに「一人でなんとかせい!」とはっぱをかけ、文字通り自転車操業で綱渡りのように予定を捌く。
なんだか、スケジュール管理の段階で、すでに「おなかいっぱい、勘弁して」状態。

子ども達が大きくなって、それぞれ学校や園で楽しい活躍の場を見つけて、
「おかあさん、絶対見に来てね!」
「○○、行ってもいいかな。」
「この日、僕、約束あるし・・・。」
とあちこちへ出かけていく。
「みんな一緒にGO!GO!」だった我が家の行動パターンが、そろそろ変わりつつあるのだなぁ。
こうして子ども達は少しずつ、飛び立っていくのだろう。
その背中を始終追い掛け回していることが、だんだんしんどくなってきている父と母。
そろそろ予定表には、子どもたちの送り迎えではなく、自分自身の予定をたくさん書き込む生活に代わっていかなくてはならないのだろうなぁ。

台風の進路は逸れ、明日はきっと運動会。
オニイは自転車で剣道の稽古、父さんは午後から抜けて仕事で出かける。アユコは帰宅後、お祭りの笛の稽古に出かける。
忙しい一日になりそうだ。
「組み体操、絶対見て欲しいねん。」
と、テルテル坊主を拵えて耳打ちしていくアプコのために、ビデオカメラをしっかり充電して観戦に備える。
そうそう、この子はまだまだ「みんな一緒」が嬉しいお年頃。
まだまだ多忙の秋は続く。


2004年10月04日(月) 障害者優先

2日中学校運動会。
3日、小学校運動会。
「快晴の空の下」とはいえなかったけれど、とりあえず期日どおりに日程消化。
小学校の運動会では、広報の取材で走り回る母と、午後から教室の仕事で泣く泣くうちへ帰る父に代わって、中学生のオニイがアプコ番を買って出てくれた。

「広報」の腕章を付けて写真撮影飛び回ってくれる委員さんたちの連絡係のつもりで本部席周辺で終日過ごす。
小学校の運動会では、会場の準備や競技の進行などの多くの部分を高学年の子ども達が自分達で行う。
観客席を離れて本部席周辺にいると、子ども達が自分の出る種目の合間を縫って、自分の持ち場へ駆け回っている様子がよく見える。
競技の準備や徒競走のスタート係、低学年の子の誘導、場内放送など、一人一人に役割が割り当てられていて、てきぱきと自分の役目を果たす。先生方は子ども達の背後に立って、さりげない指示やフォローを行うだけ。
その務めぶりが、見事な組み体操や全力疾走する姿の美しさにもまして生き生きとして気持ちがいい。
運動が苦手な子にも、人前に立つのが辛い子にも、ちゃんと居場所のある運動会というのはありがたいなぁといつも思う。

本部席周辺で小耳に挟んだ話。
運動会の時間中、PTA役員は、交代で校内のパトロールに回る。
今年は観覧席でのルール違反などの報告もなく、例年対応に苦慮する駐車場問題も大きなトラブルはなかったそうだ。
特に観覧者の駐車場については、今年は自家用車で来校してもよい人を高齢者や障害者などを連れているなどの事情のある人に限定して、事前に申告するようになっていたので、かなり混乱は解消されたらしかった。

唯一、クレームらしきものといえば、「障害者が乗っているから」と一般観覧者用ではなく来賓用駐車場に駐車させてくれるよう申し出た人があったらしい。
来賓用駐車場は一般用より校門に近い場所にあって、すこし便利がいい。
けれども台数に限りがあって、途中で出入りする車も多いので、一般の保護者の車を入れると、収拾がつかなくなるのも分かっている。
結局は警備員の方が「ごめんなさい」と断って、一般用の駐車場に誘導して落ち着いたらしい。

この件についての役員さん仲間と雑談。
私自身は、本当に障害者の乗っている車なら少々ルール違反でも来賓用駐車場へいれてもよかったんじゃないかなぁと思っていた。
けれども、担当の役員さんのなかには、
「今日、車で来ている人たちは皆、高齢者や障害者などやむをえない事情があって事前申告した人たちばかり(のはず)。だから、『うちだけは特別に来賓用に入れて欲しい』という要望は入れられない。」と強く主張される方もあって、あれれと思った。
「運転者自身が障害者というわけでもないんだから、足の悪い人をいったん校門付近で下ろして待たせておいて、一般用駐車場へ車を置いてくる事だって出来るんだし・・・。」
とその人はいう。
よくよく話を聞くと、高齢者や障害者がいると偽って自家用車で来校する人も過去にはあったらしい。そういうルール違反をいちいちチェックする事が不可能な以上、一律に一般駐車場に誘導するというのがさしあたりまっとうな対処方法だったのかもしれない。

でもなぁ、それぞれの事情は見た目では分からないからこそ、「障害者がいるから、お願い!」と申し出た方にはもう少し柔軟な対応があってもいいのではないかなぁと思ったりもする。
もともと、来賓といっても他校の先生とか地域の役職にある方とか議員さんなど元気にお仕事に走りまわっておられる方ばかりだ。そういう方は少しぐらい遠くに駐車しても、元気な足で歩かれればいい。
一番会場に近いところに障害者や高齢者用の特別なスペースを設けられなかった以上、本当に重篤な条件を持つ人の車を来賓用スペースに例外的に駐車させる柔軟さも必要なのではないのかなぁ。

「ま、結果的には、あまり文句も言われずに一般用の駐車場へ入れてくださったようだから、それほど差し迫った事情でもなかったんでしょうけどね。」
障害者の駐車を断ったという気まずさを打ち消すように、みんなと一緒にうんうんとうなずいていたけれど、私の気持ちの中にはざらざらしたモノがいつまでも残る。
帰りに運動場の端っこでぽつんと座っている足の不自由な少年を見かけた。多分どこかの養護学校生か、在校生の兄弟なのだろう。
来賓用駐車場への駐車を求められた車の主がこの少年のご家族だったら、きっと会場に1メートルでも近い駐車場を希望なさっただろうなと思うと、なんとも切なかった。


2004年09月30日(木) 縦書き横書き

ちょっと気の張る手紙を書こうと思って便箋を捜したら、横書きばかりで縦書きが一つもない。
ああ、長い事縦書きとはご無沙汰だったんだなぁと気がつく。
きれいな一筆箋は縦書きだけど、私はついつい文章が長くなるのですぐに札束のようになってしまう。
よっこらしょっと久々に縦書き便箋を買いにいく。

高校生の頃、文学青年崩れといった風貌の国語教師のF先生がいた。
ちょうど今の田村正和のような黒のタートルなんかを常着にしていて、教室に来るなり何の説明もなく小川国男の短編をぼそぼそと朗読して帰って行くような「奇行」がちょっとかっこよかった。
普段アンニュイな空気に包まれていたF先生が珍しく雄弁に縦書き文化の復権について熱く語った事がある。
ちょうど生徒の一人が「国語のノートは縦書き」というルールを破って常に使っているルーズリーフに横書きに万葉の和歌を書き写していたときの事だった。
「古来日本の文字は縦書きを基盤として発展してきた文字である。ことに和歌や俳句は横書きでは語れない。」というお目玉から始まって、延々一時間、先生の独演会は続いた。

「縦書きの本を読むとき、活字を目で追うと人は必ず何度も何度も頷きながら内容を読み取る事になる。だからこそ書いてある内容が一つ一つ頷きながら心にすとんと落ちるのである。
横書きの文字を読むとき、人は首を横に振り、イヤイヤをしながら読み進む。否定の動作をしながら内容を納得して読むのには無駄な負荷がかかる。」

「日本人はおいしいものを食べるとき、本来は『う〜ん、うまい』とひざを打ち、首を縦に振って味わうのだ。
西洋人はおいしいものを前にして『ああ、おいしそう』というときには、半目をとじて首を横に振る。あれが西洋人の本能的な肯定のしぐさなのだ。」

「たとえば母親が我が子を危険から守ろうとするとき、日本人は子どもを抱きすくめて敵から隠そうとする。ところが西洋人の母は敵と我が子の間に立ちふさがり、両手を広げて相手にNOと叫ぶ。
たとえば和式トイレは、入り口をはいって正面の壁に向かってしゃがむ事が多い。対して洋式トイレは、ドアにむかってしっかり踏ん張って、ふいに扉を開けるかもしれない外敵に対して真正面から立ち向かう姿勢で用を足す。
危険に対する本能的な姿勢も日本人と西洋人ではこんなに違うのだ。」

「日本人は日本人であるがゆえに、長い歴史の中で培われた本能的な姿勢や動作の意味を見失ってはいけない。日本の言葉を縦書きに読み書きするということは、日本人の体に染み付いた動作に素直に従う自然の行為である。」

物凄い飛躍だらけの雑談だったのだろうけれど、あれから二十年以上もたったというのに、いまだに縦書きの文章を書くたび、F先生のぼそぼそと物憂げな物言いを思い出す。

書道の稽古をしていると、日本の文字(とくに筆文字)は縦書きを基準として作られた文字だなぁとつくづく思い知る。
かな文字の連綿(続け字)などは縦書きでないと成立しない。
「鮮やかな水茎の跡」というのは、確かに上から下へとさらさらと流れてこそ美しい。
ぜんぜん鮮やかでない我が悪筆も、縦書きにしてのびのびと流れに従うとなんとなく「手紙をしたためる」という古風な言い回しの気分も沸いてくる。
ところが、いつもの調子で書いていると、縦書きの手紙はどうしても横書きの手紙より枚数が多くなってしまう。
ペン書きですらこの調子なのだから、たとえば巻紙にさらさらと筆文字で書いたなら、あっという間にトイレットペーパーのような不細工な巻物が出来上がるに違いない。
「さらりと一筆」というにはあまりの長文になってしまって、ついついくしゃくしゃと丸めて反故にする羽目になる。
縦書きの文章のボリューム感に慣れていないということだろう。
縦書きの手紙の要件の一つには、選び抜いた最小限の言葉であふれる想いを伝えるという作文能力も数えられるのだろうと改めて思う。

先日、私が受け取った縦書きの手紙は、手馴れた達筆な文字と簡潔かつ丁寧な文面の、美しいお礼状だった。
主婦たるもの、いつかはこのような美しいお礼状を、苦にせずさらりとしたためる技を身に着けたいものだなぁと反省する事一頻り。
書き上げた悪筆乱文の我が返信を、恥じ入るようにパタパタたたんで封をする。
嘆かわしい。
首を横に振る。

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2004年09月28日(火) 鬼ごっこ

子どもの頃、私は鬼ごっこが嫌いだった。
人並みはずれて走るのが遅かったから、あっという間に「タッチー!」と鬼に捕まったし、ひとたび鬼になるとなかなか次の鬼を捕まえられない。
ずーっと鬼のまんま、いつの間にか鬼ごっこが終わってしまっていたりして、つまらない思いをする事が多かった。
「かけっこの速い子にとってはさぞかし楽しい遊びなんだろうね」といじけた想いで友達の背中ばかり追っていた。
子どもには子どもの、ささやかな悩みというものはあるものだ。

朝、登園の道。
アプコは、一緒に歩く小学生のアユコやゲンと一緒に家を出る。
「早くしないとバスに遅れるよ!」
と折り重なるように玄関を飛び出すと、まもなくアプコが「お姉ちゃん、タッチー!」とお決まりの鬼ごっこを始める。
アユコとゲンが幼いアプコの後ろを追い、もつれ合ったり離れたりしながら、坂道をぐんぐん下っていく。
アプコだって、決して走るのが速いほうではない。父さん母さんの子どもだもの。
けれどもアプコは走るのが好きだ。
「お母さん、今日はかけっこ2番だったよ!」
嬉しい顔で報告してくれるので、よくよく話を聞いたら、二人で走って2番なんだそうだ。それでも嬉しいアプコは可愛い。
さすがにアユコやゲンは小さいアユコ相手に本気で鬼ごっこをするわけではない。
適当に追いかける振りをしたり、追われるスピードをちょっと落としてわざと捕まってやったり・・・。
運動不足の母には朝から元気盛りの子ども達と本気でお付き合いする気力もなくて、後ろからのたりのたりとついて行くのみ。
ゲンやアユコを捕まえ損ねたアプコが時々思い出したように母の所へ戻ってきて「タッチー」とやる。
私が気まぐれに子どもらの背を追うと、母の息切れを気遣ってアユコが「はい、鬼、ちょうだい」と手を出して鬼を替わってくれたりする。
キャアキャアと母のまわりを前になったり後になったりして駆けていく子ども達。
お兄ちゃんお姉ちゃん達に上手に手加減してもらいながら遊ぶアプコは、きっと鬼ごっこが大好きな子ども時代をすごすのだろう。
幸せなことだなぁと思う。

そして私も、自分のペースで胸をはって歩きながら、時々戻ってくる子ども達の「タッチー!」を受けとったり、気まぐれに幼い子どもの背中を追いかけたり、駆けていく子どもらの姿をニコニコと目で追ったりすることのできる今の鬼ごっこが好き。
母となって初めて鬼ごっこを楽しいと思えるようになったことの幸せ。
限られた母と子の時間を惜しむように楽しませてもらう。


2004年09月27日(月) 分け与える喜び

先日アプコ宛に小包が届いた。
加古川のおばあちゃんからのプレゼント。
敬老の日に幼稚園からアプコが出したお手紙のお礼だという。
包みの中から出てくるのは、わっさわっさと大量のチョコレート。
きれいな化粧箱に詰められた専門店の高級チョコレートではない。
スーパーで普通に積まれている小箱入りのチョコレート。
栗のはいったの、イチゴのはいったの、TVのキャラクターのかたちをしたの・・・・。 
普段、「しょうがないわねぇ、一つだけよ。」ともったいぶって買ってもらうチョコレートが次から次へとこぼれ出てくる。
アプコ、大喜び。
お店屋さんの店先のように、テーブルの上にずらりと並べてアプコしばしうっとり。
抱えきれないほどのたくさんのチョコレートを自分の名前宛の小包で受け取って、独り占めできる嬉しさ。
これってまるでお姫様気分。

「アプコちゃんからみんなにも分けてあげてね。」
お礼の電話をすると、おばあちゃんがそっと付け加えてくれた。
ニコニコしながらこっくり頷くアプコ。
電話なんだから、声だして返事しないと聞こえないってば。
とってもとっても嬉しいくせになかなか「ありがとう」の声が出ないアプコ。
このニコニコ顔をそのままTV電話でおばあちゃんに送ってあげたいなと思うのだけれど・・・。

「ねぇねぇアプコ、一つ頂戴。」
たちまち、オニイ、オネエが寄ってくる。
「ウンいいよ。」と、アプコが自分で選んだ一箱をあける。
父さん母さんにも配ると、ほんの一粒二粒が自分の口に入るだけ。
「じゃぁ、もう一箱」と、別の種類の箱をあける。
みんなに配るといろんな味が食べられるねとアプコが笑う。
そうだね、家族が多いと一箱からはほんの一つか二つしか食べられないけれど、次の箱を開けて新しい味を食べる事も出来るよ。
よかったね。

「おかあさん、これぜーんぶちゃんとしまっておいてね。」
アプコの思いを通すと、我が家の冷蔵庫はとりどりのチョコレートの箱で満員になる。
「アプコ、あれ食べようよ。」
お兄ちゃん、お姉ちゃん達もいちいちアプコにお伺いを立てる。
そのたびに嬉しそうにアプコは惜しげなくチョコレートを配る。
なんたって、冷蔵庫にはまだまだあんなにいっぱいチョコレートはある。
たくさん持ってるものを人に分け与えるのは楽しい事だ。
たくさんたくさん持っている時には・・・。

園バスから降りてきて、アプコはアンパンマンのチョコレートをお友達のKちゃんに分ける。
小さな個包装をチョコレートをきれいな模様付きの袋にアプコが自分で詰めかえてプレゼント。
「あと二つぐらい入れようね。」
ここでもアプコはとっても気前がいい。
ぎゅうっとつめて、ハイッと渡す。
「Kちゃん、うれしそうだったね。『あと二つ』って入れてあげてよかったね。」
帰りの車の中で、楽しそうに笑うアプコ。
さっそく封をあけたアンパンマンチョコレートの甘い匂いが車の中に拡がった。

末っ子姫のアプコは、いつだってお兄ちゃんお姉ちゃんから最優先でいいものをもらえるから、自分の物を人に分け与える事に躊躇をしない。
「○○をあげたら、とっても嬉しそうだったね。よかったね。」
と、分け与える事の嬉しさをちゃんと知ってる。
甘えた放題のわがまま姫だけれど、自分がたくさんたくさんいいものを持っていてこそ、「分け与える喜び」とか「喜んでもらえる楽しさ」をいつのまにか心の中に育てていたんだなぁ。

「人に与える喜び」というのは、自分自身がたっぷりと与えられて、満たされていてこそ学ぶ事の出来る、贅沢な資質なのかもしれない。
愛情とか、才能とか、そういうものも・・・。


2004年09月24日(金) 見せたくないもの

女の子達はごくごくたまに、男の子達抜きでショッピングに出るのが大好き。
雑貨屋や文具店で可愛いものを探し、大きな手芸店で当てもなくぶらぶらし、ささやかな外食を楽しんで、お土産を買って帰る。
けちんぼ母がお供だから、特別高いお買い物をするわけではない。
「わ、これ、可愛い!」「あ、今度こういうの欲しいな。」と見て歩くだけで結構堪能して楽しんでくるからかわいいものだ。
帰りに駄菓子屋で買った派手な色のキャンデーやチョコレートバーなんかを「男の子達には内緒ね。」なんていいながら、むしゃむしゃ食べながら帰ってくる、ほんの半日ほどの我が家の娘達のお楽しみなのだ。

この間、アユコとアプコを連れて、久しぶりに町へ買い物に出たときの事。
駐車場に車を置き、広場のそばの横断歩道で信号待ちをした。
休日のにぎやかな広場では、小さな子が母の手を離れてヨチヨチ歩き回ったり、飲み物のカップを片手に笑いさざめく高校生達がいたり。
あちらでは美容院の宣伝ティッシュを配るお兄さん。
子ども達に色とりどりの風船を配るお姉さん。
穏やかで平和な昼下がりだった。
ふと見ると、アプコがじーっと何かを凝視している。
その目線の先にあったのは、反戦活動の署名運動の人たちが展示した戦場の写真の看板だった。
傷ついて血だらけになり表情すら判別できない赤ん坊の写真。
手足を失って、汚い毛布の上に転がされた、少女の写真。
はだしで銃を担ぐ少年の写真。
「あ、しまった。」と思ってアプコの手を引いたけれど、アプコの目はその悲惨な映像に釘付けになったままだった。

信号がかわって、アプコ、アユコと歩き出す。
しばらくしてアプコが「ねぇ、あの赤ちゃんなんで怪我したの?」と訊く。
「あれは戦争で怪我をした子どもの写真よ。」と学校で平和学習をすすめているアユコが説明する。
「赤ちゃんも戦争するの?」とアプコ、重ねて訊く。
「赤ちゃんはしないけど、戦争になると子どもや赤ちゃんも死んだり怪我をしたりするのよ。」とアユコ。
「何で?」
「・・・・戦争だから・・・」
アユコの苦し紛れの説明は正しいけれど、無邪気なアプコの質問の方が的を突いている。
勝手な大人の戦争に、どうして子どもや赤ん坊が傷つかなければならないの?

看板はちょうど幼い子ども達の目の高さ。
楽しい休日の午後、いつもより少し甘やかされてふんわりとなっている子ども達の心に、いきなり突きつけられる衝撃の戦場写真。
確かにそのインパクトは大きいだろう。
署名活動をすすめる上では、平和ボケした大人たちの日常に目を覆いたくなるような戦場の子ども達の映像を突きつけて、「どうなんだい、世界のどこかでこんな悲惨な子ども達がいるのに、ぶらぶらショッピングなんかしててもいいのかい?」と訴える効果は確かにあるのだろうけれど・・・。
でも何の準備もなく、休日を楽しむ幼い子ども達の目にああいう映像をさらすのは、どこか暴力とはいえないだろうか。
「戦争の悲惨さから目をそむけてはいけない。」
「幼いうちから平和の意味を考えさせなければ・・・」
看板を置いた人々はそういうだろう。
でもそれはある意味、大人の論理。
ファンタジーと現実の狭間を生きる幼い子ども達にとっては、大人たちの理不尽な戦いの結果を鼻先におかれても、ただ恐怖や不快の感情しか残せない。
不特定多数の子ども達の簡単に目に付くところに、悲惨な戦場写真を置く。
そのこと自体、大人の暴力、大人の傲慢ではないだろうか。

それから、もう一つ。
仮に我が子が戦場で傷ついたり障害を負ったりなくなったりしたならば、その写真を見知らぬ国の見知らぬ人々が笑いさざめく休日の平和な広場に無神経にさらされて募金集めのネタにされたら、どんな気持ちがするだろう。
平和のための真摯な思いを持つ人や、これから戦争について学ぼうとする人たちの前に置かれてこそ、悲惨な戦場写真は意味を持つ。
何の準備も持たない人が通りすがりにちらと眺めてすぐに忘れてしまう。
そういう使われ方をしたとき、深刻な戦場の悲惨や大人たちの戦いで子ども達が傷つく理不尽は、ただの「グロテスクな写真」として興味本位にさらされるだけで、何の意味も持たない。
傷ついた子ども達や大切な家族を失った戦場の人たちに二重の鞭を打つ無礼ではないだろうか。

身の回りには豊かなモノがあふれ、子どもたちは空腹の苦痛を知らず、生命の危機を感じることなく、穏やかな日常を過ごす。
そのことを「平和ボケ」と感じる人たちの目から見ると、戦場の悲惨を突きつけて無関心な人々の心に鉄の杭を打ち込みたいと思う気持ちも理解できる。
けれども、その崇高な使命感に従った行為が、ごくごく幼い子どもの柔らかな心に恐怖や不快だけを無造作に投げ込み、傷つける結果になっていることを、あの人たちは多分気がつくことはないだろう。
その無神経が私には怖い。
勝手な戦争に子どもを巻き込む大人たちの理不尽が、そこにも確かに存在すると私は思う。

「ねぇねぇ、アイスクリームとマックシェイク、どっちがいい?」
アユコとアプコの戦争問答をかき消すように、ことさらに甘いお楽しみの話題を振る。
それを「平和ボケ」と言われてもいい。
「目をそむけている」と言われてもいい。
まだまだ私には子ども達に見せたくないものがある。
時が来るまで、見せたくない現実を用心深く避ける自由も私にはあると思いたい。


2004年09月21日(火) 教訓

昨日、大騒ぎしたゲンとオニイの失くし物。
ありました。
朝から父さんが「ダメでもともと」ともう一度電話をかけなおしてくれた試合会場の体育館。
昨日のうちに、子ども達が失くしたリュックはどなたかに届けていただいた様子。
父さんが早速車で、受け取りに行ってくれる。
どういう経緯で何処で見つけてくださったのかは不明だが、とりあえずゲンの剣道着もオニイの私服も、空っぽの弁当箱も無事納まったままリュックは帰ってきた。
心配していたオニイの全財産の入った財布ももちろんそのまま入っている。
一度はあきらめた荷物だが、無事戻ってきて、ホッと一息。
落し物のリュックをそっくりそのまま届けて置いてくださった親切などなたかに感謝感謝。
世の中まだまだ、捨てたもんじゃないねなんて、嬉しくなる。

汗をかいたまま丸めて突っ込まれたゲンの剣道着と空の弁当箱。
一晩置くとさすがに、臭う。
も、もしかして、この悪臭に魔よけ効果があったとか?
いやいや、とりあえずお洗濯、お洗濯。

「ところで、オニイ、今回の教訓は?」
戻ってきたリュックを見て、ようやく表情がほころんだオニイに問う。
「ゲンのことは当てにしない」
きっぱり断言。
「そうじゃないやろ、オニイ。あんたはもう中学生。4年生のゲンに荷物を預けてぼーっとしていたあんたは確かによくない。
でも、そのことの教訓は『ゲンはあてにならない』じゃなくて、『自分のことは自分でしっかり管理する』ではないのかな?
昨日の君は朝から袴の裾のほころびにも気付かないまま出かけたじゃないの。
そこんとこからすでに、君の失敗は始まっていたんじゃないの?」
ホッとしたついでに、日頃から気になっているオニイの自己管理の甘さを懇々とお説教。
オニイ、しゅんとしてうな垂れて聴く。
一度はあきらめた、なけなしの小遣いも帰ってきた事だ。
ここは、一つ我慢して聞け。

「ゲン、あんたの教訓は?」
「人の荷物は持たない」
・・・・ちょっと違う。

本当はもう一つ。
父と母が昨晩話し合ったもう一つの教訓。
とっても困った事や、大失敗が起こってしまったとき、オニイとゲンの対処の仕方には大きな違いがある。
荷物が先生の車にも駐車場にもなくて、もう諦めざるを得ない状況になったとき、子ども達はうろたえ、凹み、自己嫌悪に陥った。
オニイは拳で自分の頭を叩き、憂鬱な顔でうろうろと歩き回り、母や妹たちが声をかけると烈火のことく「うるさい!」と怒った。
ゲンは、きゅっと眉根をしかめて、唇を噛み締め、ただただ「ごめん」と繰り返した。
どよ〜んと沈み込んだ家の中の空気に、
「なくなったものは仕方がない。諦めて何か方法を考えよう。とりあえず新しいリュックとお弁当箱でも買おうかね。」
「さ、みんなくたびれたから、さっさとお風呂に入って寝ちゃおうよ」
と、父や母が提案する。
ホッとしたように、素直に表情を緩めたゲン。
ますます、イライラを募らせてプイとふくれたオニイ。
年齢や、失ったものの違いはあるとはいえ、オニイとゲンの気分の変え方には大きな違いがある。

困った事態に陥ったとき、
どんどん自己嫌悪の渦に沈んでいってしまいがちなオニイと、きっかけを見つけてふいと気分を変えようと試みる事の出来るゲン。
どちらかと言うとオニイの生真面目さは父親譲り、「おいしいものでも食べてとりあえず寝ちゃおう」と思うゲンのお気楽さは母親譲り。
どちらも親にそっくりの生まれもっての性格だから、どうする事も出来ないけれど、オニイのどんどん自分を追い詰めていく深刻さは彼自身だけではなく周囲のものにも重苦しくて辛い。
自己嫌悪と言いながら、もてあました感情を周りの誰かにぶつけたり、どんどん一人で沈んでいくわなをこれからオニイはどんな風に克服していくだろうか。
一方、外見上えいっと気分を切り替えて、失敗をなかったことのように振舞おうとするゲン。
それはそれで痛々しくもあるのだが、まだまだうっと惜しい気持ちを引きずっているオニイや周りの者にとって見れば、ゲンの変わり身の速さはそれはそれでカチンとくる。本人だって決してけろりと忘れられるわけでもないのだけれど、へらへら笑って平気を装うゲンにますますいらだつオニイの怒り。

難しいなぁ。
これからまだまだ何度も何度も訪れるであろう人生の大失敗に、どんな顔をして立ち向かっていけるのか。
いつまでも引きずるオニイに、イライラする私。
けろっと平気な顔をしてみせるゲンに、ぐっと拳を固めてしまう父さん。
お互いにわが身を振り返って、自分にそっくりな息子にイラついたり、自分にないものを持つ息子を疎ましく思ったり・・・。
それはすなわち、同じような場面に立ったときの自分自身の反応を振り返る事。

父や母にも、いろんな教訓を運んでくれたゲンとオニイの失くし物の顛末は以上の通り。
お騒がせした皆様、ごめんなさいでした。


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