月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2004年09月01日(水) スペシャルを喰う

思いもかけない大仕事をいきなり振り当てられる事を、我が家では「スペシャルを喰う」という。
夏休み最終日、子ども達に「さあ、もう後がないよ。宿題ほんとに出来てるの?」と最後のハッパをかけていたら、いきなりスペシャルを喰った。
義兄が締め切り間近で手に負えなくなったという名簿のPC入力。
芳名録5冊分の来訪者の住所氏名を急いで入力しなければならないという。
義兄は出張の予定が決まっているし、父さんは取材で一泊の留守。
ただでさえいそがしい夏休み最終日と新学期初日。
子どもらの登校の準備のほかにも、再び始動する広報委員会のレジメ作りやら滞っている日記の更新やら、ぎりぎりいっぱい忙しいこの時期に、今回のスペシャルは少々こたえた。
日頃お世話になっている義兄の頼みとあらば、何とかお役に立ちたいとは思うものの、ブラインドタッチ未修得のぽちぽち入力の私にとっては、千人分近い名簿の入力は大仕事だ。
家事も子ども達へのハッパも、そっちのけでとにかくPCに向かう。

芳名録に書かれた来訪者の名前は全て筆ペン書き。
さらさらと流暢に書かれた文字。
なれぬ筆記具にカクカクと緊張が感じられる文字。
個性あふれる筆跡を次々に眺める。
個展の会場や式典の受付で、「どうぞご署名を」といわれて筆を取るのはなかなか緊張するものだけれど、後から整理する側からすれば、流暢な読みにくい文字よりも、稚拙に見えてもしっかり読みやすい楷書の文字がありがたいなぁなんて思ったりする。
いくつもいくつも、見知らぬ人の名前をひたすら機械のようにキーボードに打ち込む。
腕はガチガチ、目はショボショボ、まぶたの裏にはいつまでも名簿の筆文字が焼きついて残る。
私には、一日中PCに向かう職業はとてもつとまりそうにない。

8月31日の夜を、泣きたい気持ちで宿題をやっつける追い詰められたあの気持ち。
今年は子ども達ではなく、はからずも何十年ぶりかで私が味わう。
懐かしい?
とんでもない!!


2004年08月27日(金) 怪獣の卵

お隣からお庭で採れたゴーヤをもらった。
恥ずかしながら、我が家ではゴーヤを食べた事がない。
ニガウリというくらいだからきっととっても苦いんだろうという認識はあるものの、調理する私自身が食べた事がないモンでどうも尻込みしたまま現在に至る。
「苦いから好き嫌いはあるけれど、体にはいいというから・・・」とおっしゃってくださるので、「せっかくのいい機会だから。挑戦してみます。」と格別大きな一本を頂いて帰る。

「ほらほら、見て!これなぁんだ!」
「あ〜、ゴーヤだ!」
子ども達も食べた事はないものの、名前くらいは知っているらしい。
外から帰ってきたアプコも、机の上に忽然と置かれた緑色の物体を不思議そうにぶら下げてやってきた。
「ねぇ、これ、どうしたの?」
ごつごつ、でこぼこのグロテスクな姿が面白くて、アプコ、けらけら笑う。
「面白い形してるよね。もしかして、これ、怪獣のたまごじゃない?」
何を馬鹿な事言ってんのよ、この人は・・・というように、しらけた顔でまじまじと私の顔をみあげるので、
「あ、ごめんごめん。ほんとはコレ、ゴーヤだよ。お料理して食べるの。
でもね、なんか、怪獣の卵に似てない?」
とあわてて、とりなして言う。
アプコ、冷ややかな目で母をにらんだまま
「見たことないから、わからん」
確かにそうでした。
母も怪獣の卵は見たことないです。
すみません。

アプコも少しずつファンタジーの世界と現実の世界をしっかり見分けるようになってきてるんだなぁ。
理屈っぽい大人びた発言をするときには、小さなお鼻がぴくぴくするのがまだまだ可愛いアプコだけれど、ファンタジーやたとえ話よりもちゃんとした理に適った説明を聞きたがるようになってきたことに最近気がついた。
ちょっとびっくり。
ちょっとさびしい。

「○○山、来る?」
しばらくして、アプコがつんつんと私をつついて、聞いた。
「へ?なぁに?きこえなかったよ。もう一回言って。」
「あのね、○○ヤマ!」
「え?何やま?」
よく聞き取れなくて何度も何度も聞き返す。
しまいにアプコがプッとふくれて、言い放った。
「ゴーヤーマン!」
はぁはぁ、あの一昔前のキャラクターグッズのあれですか。
もしかして、アプコ、ゴーヤーマンはいると思ってんの?

・・・・まだまだアプコのファンタジー時代は続きそう。
ちょっと嬉しい。


2004年08月26日(木) 老いの日

ご近所の独居老人Tさんが、とうとう、隣町の施設に入所された。以前から入所できる施設を探して空き待ちしているとは聞いていたが、今日、息子さんの迎えの車でいってしまわれた。
お向かいのMさんとのトラブルがエスカレートしていて、今にも一触即発かと周囲がハラハラしていただけに、Tさんの入所は実にタイムリーともいえるのだけれど、これといった予告もなく、すれ違う車の窓からの簡単な挨拶だけで行ってしまわれたTさんと息子さんに、ちょっと拍子抜けしたような、空虚な思いがどうしても残る。
とりあえずそれほど遠くの施設でもなく、途中で戻ってこられる可能性もないわけではないので、これでさようならというわけではないのだけれど、外出のたび、近所でぶらぶらひまをつぶしておられるTさんの姿をしばらくは見かけることがないかと思うとなんとなく胸が痛む。

「年をとったら、子ども達に面倒を見てもらうことは期待しない。老後のことは自分で考えて施設やホームなどに入れるように手配しておきたい」
子ども達の生活を尊重し、自分の人生の後始末は自分で行えるようにしたいという、現代の潔い「自立した老い」への憧れ。
近頃よく聞く進歩的な「老い」のあり方だが、私は自分自身の老後を考える時、見知らぬ人たちとの共同生活をしている自分というのをどうしても考える事ができない。
できる事なら、子どもや孫達の声の聞こえるところで、「もう!ばあちゃんはしょうがないなぁ」としょっちゅう小言を言われながら、さほど疎まれもせず、こじんまりと人生の終いの日々をすごしたいと思う。

一時期、身内が入所している「老人保健施設」をたびたび訪れていた事がある。休日にまだ幼い子ども達を連れて、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行く。
施設はとても明るく清潔で、たくさんの若いスタッフの方達がにこやかに老人達の身の回りの世話をしてくださっていた。比較的、介護の必要の少ない元気なお年寄りが多かったので、施設内では季節の行事や趣味の講座が開かれ、ホールに集まって談笑したりTVの時代劇を大勢でワイワイと見ていたりと、楽しそうにすごしておられるように見えた。
一人暮らしの孤独や周囲に負担をかけているという気持ちの辛さから開放され、心穏やかに老いの生活を送る事ができるならそれもよし。
そうは思いながらも、あの年齢になってから見知らぬ人たちとの共同生活は私にはちょっとつらいなぁと思わざるを得なかった。

たまに幼い子どもを連れた家族が面会に訪れると、近くにいるお年寄り達が次から次へと子ども達の顔を見にこられる。
「お年はいくつ?」「「飴、上げようか?」と声をかけてこられるのは大概おばあさん達。自分の孫やひ孫のこと、若い頃の子育ての苦労を必ずといっていいほど話して行かれる。幼い子どものやわらかい肌に触れ、おずおずと頭をなぜて下さるお年よりの頭に浮かんでいるのは、目の前にいるうちの子ども達ではなく、離れて暮らす幼き日の我が子や孫、曾孫さんたちのことなのに違いない。
入所者の老人達の熱烈歓迎を受けて、子ども達は帰りの車の中では決まってぐったりと爆睡していた。普段お年寄りばかりで過ごす静かな生活の中に、たまに訪れた子ども達の黄色い声やたどたどしい足音は確かにかなりご迷惑だったろうが、小さい子達の暖かい肌に触れる事で老いた我が身に若い生命のエネルギーを貪欲に吸い上げていらっしゃってもいたのではないだろうか。
整った設備の中で手厚い介護を受け、茶飲み友達や娯楽の機会にも恵まれて過ごす老いの日々に私が手放しに夢を描く事ができないのは、なぜなのだろう。

人生の終末期を施設で過ごされるお年寄りの方々には、それぞれそんな風に過ごしていくそれなりの理由や事情がある。
気持ちのよいスタッフに囲まれて、何不自由なく気兼ねなく快適な老後を過ごせる事のできる事を喜んで生活をなさっているお年よりもたくさんいらっしゃるに違いない。
それでも、施設へ行かれるというお年寄りに寂しさを感じ取ってしまうのは、無知な若いモンの偏見に過ぎないのかもしれない。
けれども、年齢を重ねたお人が地域や家族のいる場所で終の日々を穏やかに過ごすという当たり前のことが、とても贅沢な老い方であるという事に愕然とする。
「お母さんは自立した年寄りになんてならないよ。4人も子どもを産んだんだから、きっときっと若いモンの背中にしがみついて、ぶちぶち口煩いしゃあないばあさんになってみせるよ」と、今から散々子ども達に言って聞かせる。
果たしてウン十年後、母のずうずうしい願いは果たされるだろうか。

Tさんが施設に入られた事を、積年の喧嘩相手であったMさんに伝える。
「そら、よかったわ。もう一人で暮らすのには無理があったんや。」
Tさんがいなくなってセイセイしたとでも言われるかと思っていたMさん、「よかった」と言いながらもその声は心なしか元気がない。
「コンチクショウ!腹が立つ!」と激しい言葉でTさんをなじっていたMさんも、遠からず訪れる日の自分を思われているのかもしれない。
「いろいろ、世話、掛けたな。」
とMさんはバケツいっぱいの新栗をくださった。
「うちじゃ一人では食いきれん」
収穫した野菜や果物を、家族で分け合って食べられる幸せをいつまでもいつまでも手放したくない。
上手に年をとりたいと、ちょっと悲しくなったりした。


2004年08月24日(火) なくならない話

2,3日前、アプコの金魚の銀ちゃんが突然死した。
夏のお祭りにアユコがアプコのために金魚すくいでとってきた6匹の金魚のうちの一匹で、赤い金魚の中でたった一匹銀色のボディで、アプコのお気に入り金魚だった。
金魚すくいの金魚にしては元気いっぱいで食欲旺盛、もしかしたら何年も長生きする長寿金魚なんじゃないかなぁなんて考えていた矢先の事。
銀ちゃんは水草の間で静かに動かなくなっていた。
「死んじゃったら、しょうがないね。」
アプコは銀ちゃんをすくって、土に埋めた。
声は沈んでいたけれど、わぁわぁ泣くほどのショックは受けていなかったようで、まずは一安心。幸いほかの5匹の金魚は元気そうだし、一件落着と思っていた。

今日、アプコが慌ててとんできた。
「おかあさん、銀ちゃんを埋めたところにね、蟻さんがいっぱい来てるねん。どうしたらいい?」
銀ちゃんが食べられちゃうと必死の訴え。
可愛がっていた銀ちゃんのことを食物連鎖の学びのネタにするのはどうかなと戸惑ったけれど、もう6歳になったアプコには理解できる事かもしれない。
「あのね、蟻さんたちは銀ちゃんのからだを食べて、生きていくんやで。」
へ?と虚を突かれたようなアプコの表情。
「何で、銀ちゃん、食べちゃうのン?」
「アプコがお魚を食べたり、お肉を食べたりするのと一緒。蟻さんは銀ちゃんのからだを食べて、大きくなったり元気になったりするんやな。だから、死んだ銀ちゃんのからだはもう蟻さんたちにあげようね。」
「・・・蟻さんは、銀ちゃんを食べておおきくなるの・・・・」
アプコは小首をかしげ、しばらく考え込んだ後、
「あ、わかった!だから、なくならへんねんな。」
と大きな声で言って、スキップして行ってしまった。

「あ、わかった!」とは言ったものの、アプコは銀ちゃんと蟻の関係の何をどんな風に理解したのだろう?
確かに新しい真実を見つけたときの輝く瞳で笑っていたけれど、アプコはどんな真理に触れたのだろう。
「だから、なくならへんねんな。」
なくならないものって、何?
蟻さん?蟻さんの食べ物?銀ちゃんの体?この世界に息づくたくさんの命?
アプコに食物連鎖の厳しさを教えたつもりの私が、アプコから難しい禅問答のような疑問をポーンと投げ渡されて、びっくりする。
なくならないものって、なんだろう。
銀ちゃんが死んで、土に埋められて、蟻達に食べられてもなくならないもの。
もしかして、アプコは答えを知っているのだろうか。

「おかあさん、おかあさん、アタシ、ちょっと嬉しいな。
もうすぐ、銀ちゃんを食べた銀ちゃん蟻がたくさん生まれてくるんでしょう?」
銀ちゃんを食べた銀ちゃん蟻?
それって、どんな蟻?お魚の形の蟻さんかな?
「ちがうよ。普通の蟻さんでしょ。」
あ、失礼しました。
アプコにはちゃんと分かってるみたいだね。
命と命の深いつながりの謎。

母は今日もまた、アプコに一つ学ばせて戴きました。


2004年08月22日(日) 世代交代のメカニズム

23日、24日は地蔵盆。
工房には小さな古いお地蔵さんがあって、毎年この時期になると、子どもたちの名前を書いた提灯に火をともし、お菓子や果物をお供えし、お寺さんに来ていただいて地蔵盆会を行う。
今は家族だけでごくごくこじんまりと行う行事だが、父さんが子供の頃には町内の子どもたちがこぞってやってきて、いろんな出し物をしたりフォークダンスを踊ったり、とてもにぎやかだったのだそうだ。
幼い頃に地蔵盆の経験のない私に、懐かしそうに語る父さんがちょっとうらやましかったりする。

お地蔵さんのお堂をきれいに掃除し、提灯のコードを張る。うちの子達やいとこたちの名前の入った赤い提灯をパリパリ開いて、コードにかける。新しい赤白の前掛けを何枚も縫って、子供たちの名前と生まれ年を書いて、お地蔵さんの首にかける。お花やお供えのお菓子を買いに回り、お線香立てやお佛花用の花入れをきれいにする。
毎年なぜだかこれらの準備は父さんの役と決まっていて、忙しい仕事の合間に買い物に行ったり、お掃除をしたりとばたばた走り回る。
「いつから、これは父さんの役なの?」と聞いたら、
「10歳ごろからずーっとやってるね。」との答え。
「じゃぁ、そろそろ息子たちに代わってもらわなあかんね。」
「でも、この時期は毎年、どの子もそろそろ夏休みの宿題に追われている時期だしね。」
なんとなく、子どもたちが小さい頃から、「子供たちへのサービス」とでもいうような感じで、大人たちが準備を整え、お菓子を用意して迎えていたうちの地蔵盆。本来はちょっと大きくなった子ども達が順番に小さい子達のために準備を手伝い、大人になって受け継いでいく、そういう行事だったのだろうなと気づく。
「オニイは今さっき暇そうにしてたから、呼んで来ようか。高いところの提灯は私よりオニイのほうが手が届くかも。」
そんな事を言っているうちにアプコがぴゅーっと走って帰って、いぶかしげな顔のオニイを引っ張ってくる。
「お忙しいのは承知しておりますが、ちょっと手伝っていってよね。」
提灯要員、一名確保。

小さい頃は大きいお兄ちゃんお姉ちゃんたちに世話をしてもらい、大きくなったら今度は小さい子達の面倒を見るという世代交代のシステムが、昔はもうちょっとしっかり機能していたのだろうなぁ。
私達が子供の頃には、たとえば夏休みのラジオ体操なら、どこかの中学生のお兄ちゃんがラジオを持ってきてくれ、前でお手本の体操をして、出席のはんこを押してくれた。
今、うちの地域の子ども会では、小学生のお母さんたちが一手に企画や準備を引き受け、子ども達を楽しませてくれるが、その子ども達は中学になるとぱったりと地域のお祭りや奉仕作業には加わらなくなる。
子ども達にとって地域の行事は大人たちが準備してくれて遊ばせてくれるものになり、自分達が準備したり運営に参加したりするものではなくなってしまった。

たとえば剣道の稽古。
普段の稽古では、中学生は稽古前に小学生達の掃除の監督をし、整列させ、竹刀の不備や着装の乱れを直してやる。大人の先生方に混じって、中学生の子達は小学生の小さい子達の稽古を受けてやる側に回る。低学年の子達の力量に合わせて、ひょろひょろの面や小手や胴をひたすら受けてやる。ちょっと腰を屈めるようにして受けるのだが、時々初心者の的外れな胴や小手を防具の隙間の生身で受けて、痛い思いをしたりもするようだ。
それがひとしきり終わってから、今度は自分達が大人の先生方に稽古をつけてもらう。
小さい子達は先輩達を憧れを持って眺め、自分がその年齢になったら今度は自分が小さい子達の稽古の相手をする。そういうシステムが子どもたちの道場の運営の大きな助けになっていたのだろうと思う。
ところが、最近中学生になるとパタパタと道場をやめる子が増えた。
塾があるとか、学校の部活がいそがしいとか、仕方のない事情もいろいろあるのだろう。辞めるまでも行かなくても、「試験前だから休み」とか「ちょっとしんどいから休み」とか、自分の都合で稽古にでないことも増える。
「大きい子が小さい子の面倒をみる。」「面倒を見てもらって育った子が大きくなったら、また下の子たちの面倒を見る。」そういう、先輩後輩の輪が中学に上がるところでぷっつりと切れる。

今年、アプコの幼稚園の父母会は存亡の危機にあった。
いつもなら年度始めの行事の準備が始まっている頃なのに、まだ本部役員のなり手がない。本部が決まらないと子どもたちが楽しみにしている夏祭りやバザーもなしになる可能性がでてくる。「楽しい行事がなくなるのは困るわ」といいながら、誰も役員にはなりたがらない。わが子がお祭りを楽しめないのは困るけど、自分はお手伝いはしたくないという人が増えたのだろうか。以前の役員経験者からは「あんなに一生懸命お世話してきたのに、引継ぎ手がないなんて嫌になる」とため息が出た。
結局、どういう経緯かは知らないけれど、なんとかかんとか、今年の本部役員さんたちは決まり、夏祭りは無事開かれたが、当日リーダーとなって走り回っていた役員さんたちの中には、昨年度や一昨年度の役員経験者の顔がいくつも見られた。「なり手がないなら仕方がないなぁ」と頼み込まれて再度役を引き受けてくださった方も多かったのだろう。気の毒だなぁと思う。
まだ一度も役に当たってない人もたくさんいるだろうに・・・。

それまで散々、先輩達のお世話を受けて楽しませてもらってきたのに、いざ自分達がお世話する立場になると自分の都合を優先させて抜けてしまう。「人のお世話をするばかりで自分が楽しめないから」と不満の声があがる。
そういうのって、なんだかいやだなぁと思う。
誰かに世話してもらって楽しませてもらったら、一度は自分もお世話する側に回らなくては・・・。
そういう気持ちが長く続く行事や伝統を支える心棒になる。
個人の事情を優先させて、お世話する立場になる事を用心深く避け、美味しいところだけつまみ食いしていく風潮では、地域の行事や世代交代のネットワーク作りはどんどん難しくだろう。

提灯のコードに一つ一つ電球を取り付け、赤い提灯をともす。
お地蔵さんは小さい子どもらの守り神。
提灯や前掛けに子どもらの名前を記すのは、大事な次代を担う子どもたちの健やかな成長を祈るため。
お下がりのお菓子の袋をもらってはしゃいでいた子どもが、大きくなって今度は提灯をつるす手伝いをする。
世代交代のメカニズムは、こんな小さなところから少しづつ組み立てられていくのではないだろうか。


2004年08月21日(土) 育児の記録

この間、里帰りしていたとき、母が、「こんなものが出てきたよ」と古いメモ書きを見せてくれた。
小さな大学ノートの切れ端に鉛筆書きの私の筆跡。
「よくまぁ、こんなものとっておいたねぇ」と呆れながら、懐かしい文字を読む。

アユコを出産したとき、オニイはまだ1歳7ヶ月。
切迫流産のための入院期間に、父さんの中国出張旅行が重なってしまい、留守中のオニイの世話を実家の母が引き受けてくれた。
それまで母親の手元を離れた事がないよちよち歩きのちびっ子を、母は実家まで連れて帰って面倒を見てくれた。
当時、オニイは偏食がきつく、野菜はほとんど食べない。果物も食べられるものはごくごく限られている。まだまだスプーンも上手にに使えなくて、手づかみのほうが速いくらい。
「この子は私の手元を離れたら、いったい何を食べるんだろう」
預ける私が不安になるくらいだから、さぞかし母は悪戦苦闘して慣れない幼児食をこしらえてくれたのだろう。
母が台所の引き出しから見つけ出したのは、そのとき私が母に託したオニイの「食べられるものリスト」だった。

食べられる野菜の種類や切り方、調理法まで指定した細かなお子様メニューリスト。末尾には「食後は必ず歯磨きをさせてください。寝る前に甘いものは飲ませないで下さい。食事は手づかみでもできるだけ自分でたべさせるようにしています。飴やチョコレートはあたえないで下さい。」と、生活上の細かな注意が書き添えられている。
今の我が家の大雑把育児からは考えられないほどの綿密な指令書を読み返して、ため息をつく。思えば第一子であるオニイの子育てには、こんなに神経質に肌理細やかな神経を使っていたのだなぁ。
「そんなこと、構っちゃいられない」と、どんどんややこしい事は端折って大雑把になっていった我が家の育児の歴史を気恥ずかしく振り返る。
それにしても、日頃一緒に暮らしていない幼児をぽんと預けられて、こんな偉そうな指令書を娘から受け取った母の思いはどんなだっただろう。3人の子を育てて、育児の大先輩であった母になんとまぁ、大層な失礼千万な指令を強いたものである。
「この子の事は、母親である私でなくちゃ駄目なのよ。」という気負いや、初めて我が子を人に預けるという事に対する不安で、はちきれそうになっていたあの日の私。
子育てに厳しいルールや高いハードルを自ら設けて、「この子をきちんと育てる」という事に肩肘を張って必死で子育てしていたあの日の息詰まるような空気が痛いように感じられる。

次々に下の子達が生まれて、子育てが自分の書いた設計図どおりには進んではいかない事を何度も何度も経験して、我が家の子育てはどんどんシンプルになった。
今、ニンジンが食べられなくても他の物で栄養分を補えればそれでよし。
今、偏食が多くても3年先に食べられる食品が増えていればそれでよし。
今、上手に「おしっこ」が言えなくても、自分でぬれたパンツを洗濯機に入れられるようになればさしあたりはそれでよし。
子どもが子どものペースで、自分で目の前のハードルを越えられるようになればそれでいい。
そんなふうに、子ども自身の成長する力を信頼して待つという育児観を私は子どもたちとの生活を通じて、少しずつ習得していったように思う。

春にママになったばかりの義妹のTちゃんが、いやに熱心に私の古いメモ書き
を読んでいた。
新米ママのTちゃんにとっては、一年先の育児の手引きとして先輩ママの育児の記録に興味がわくのは当然のこと。
でもねぇ、Tちゃん。
そんな神経質に肩肘張った育児メモ、生真面目にお手本にしないでね。
あくまでも日々の子育ての道標になってくれるのは、あなたの目の前にいる我が子の毎日の成長そのもの。
その事に気づくのに私は10年かかった。
親もまた、自分なりのペースで成長していくものだという事を嬉しく思う。


2004年08月20日(金) 通り雨

からりと晴れていると思ったら、ぱーっと曇って通り雨。
「わーっ、降ってきたよーっ!」
と叫ぶと、2階の子供部屋でうだうだしていた男の子たちがバタバタッとベランダへ出て、洗濯物を取り込んでくれる。
一階のテラスに干したバスタオルは、アユコとアプコがわっしょいわっしょいと部屋へ入れてくれる。
最近では気が向けば、取り込んだ洗濯物を部屋干し態勢にかけなおしてくれるようになって母大助かり。
子供たちが一日うちでごろごろしている夏休みは、とりあえず、お洗濯取り込み要員だけは取り揃えてある。
これが普段の昼間なら、私一人で一階と2階をばたばた往復して大汗をかくところ。
「たくさん子ども、産んどいてよかったわぁ。」
なんていうと、「産んどいてよかったのは、洗濯物取り込むときだけ?」とツッコミが入る。
「さし当たってはそのくらいかなぁ。」と憎まれ口を叩くけれど、ホントはほかにもいっぱい助かってるよ。

我が家のベランダには屋根がないので、ちょっとした雨でもすぐに洗濯物はぬれてしまう。だから一日にたびたび通り雨が降ったりすると、主婦は洗濯物を外に出したり、慌てて取り込んだりしているうちに、あっという間に一日がくれてしまう。
怪しいお天気なら、最初から戸外に干すのはあきらめてさっさと部屋干しにするのだけれど、ちょっとでもお日様が出てくると部屋の中に湿った洗濯物を吊っておくのがもったいない気がして、様子を見ながら外へ干しなおしたりする。
そんなときに限って、再び大粒の通り雨があったりして、またばたばたとベランダへ駆け上がる。
何やってんだかなぁ。
最初っから部屋の中に干しときゃいいのに、出したり入れたり、無駄な時間と労力使ってるなぁ。
主婦の仕事ってほんとくだらない仕事の繰り返しだなぁなんて、妙にむなしい気もちが残っちゃったりする。

部屋の中でじわじわ乾かしたタオルと、明るい太陽にたった30分でもさらして乾いたタオルは、使った感じがぜんぜん違う。
雲間から覗いた明るい日差しを、ちょっとでもたくさん取り込んでおきたい。そのために、わずかな晴れ間にも洗濯物を戸外に出そうとする主婦の貪欲。
好天気にお布団を干しそこなったり、珍しく涼しい気持ちのいい朝にお寝坊して朝の家事を片付け損なったり、そんな些細な事で主婦がとっても損した気分になってしまうのはなぜだろう。
幼い子どもが、せっかく見つけた大きな水たまりにジャブジャブ入ってみないではいられない気持ち。
せっかくの暑い夏の日に、水遊びをせずにはいられない、あの差し迫ったようなわくわくする気持ち。
洗濯干しに追われる主婦の欲深は、そういう幼い子たちのこみ上げるような気持ちにどこか似ている。

この間、実家へ里帰りしていたときの事。
子どもたちの洗濯物を干しに出たら、バスタオルが何枚か先に干してあった。小さい赤ちゃんを連れて帰ってきた義妹のTちゃんが干したものだろう。細いワイヤーの物干しハンガーに、ちょうど背中からショールをかけるようにバスタオルがかけられ、ちょうど襟に当たるところできちんと洗濯バサミがとめてある。
あ、変わった干し方だなと思った。
うちではバスタオルは、たいてい1階のベランダの手すりかバスタオル専用の物干しに二つ折りに広げて干す。場所がないときには、ハンガーにタオルの短いほうの辺で洗濯バサミを二つ止め、垂れ幕のようにだらーっと広げて干す。
東京のもう一人の義妹に聞いてみると、バスタオルは物干し竿に直接二つ折りに広げて干すという。
そして、実家の母は、物干し竿に直接干すか、ワイヤーハンガーの底辺にくしゃっとかけて干している模様。
ははぁん、バスタオルの干し方一つとって見ても、その家、その家にやり方ってあるもんだな。お洗濯物の量や、干し場の事情、主婦の癖やら生活環境やら、そんなもので「いつものやり方」は決まってくる。
同じこの家から巣立った子どもが、それぞれ違った空の下で、それぞれのやり方で干したバスタオルを使う。
なんだか面白いなぁと思う。
我が家の子ども達が築く未来の家庭では、どんな風にバスタオルを干すのだろう。

「わー!雨だ!」
と叫ぶと、皆がいっせいに洗濯物を取り入れるために立ち上がってくれるのは、それが主婦のやるべき仕事ではなく、家族みんなの仕事だと感じていてくれるから。
だから、何かの事情で急に降り始めた雨で洗濯物を濡らしてしまったとき、「ごめん、気がつかなかったよ。」という言葉が誰かの口から自然にもれる。
ありがたいなと思う。
たくさんたくさんの布オムツやお食事エプロンを洗ってやった子どもたちが、今ではこんなに母の助けになってくれる。
たたんで重ねた布オムツに感じたお日様の匂いを、はや大人サイズになりつつあるTシャツや洗いさらしたジーンズに感じる今の私。
子育てという長い長い山道の幾つ目かの峠を、また一つ超えつつあるようだ。

近いうちに、毎日日光にさらされて、脆く色あせた洗濯バサミを一掃して、新品に替えようと思う。
当たり前に続いていく当たり前の日々を、パチンパチンと新しい洗濯バサミで挟んでみよう。
新しい風が吹くかもしれない。


2004年08月18日(水) 銭洗い

脱水の終わった洗濯機のふたを開けてびっくり。
濡れてくしゃくしゃになった1万円札がはらり。
え?え?と思っていたら、続いて5千円札、千円札・・・・。
や、やってしまいました。
父さんのお財布、丸洗い。

年に何度かあるんだよな。
ジーンズやエプロンのポケットに物を入れたままのお洗濯。
財布のほかにも、万歩計とか腕時計とか鍵とか、小銭とか・・・。
ポケットティッシュ丸洗いにも泣かされるけれど、気分的に痛いのは腕時計。生活防水オンリーの腕時計は、一回洗濯機にかかると、8割がたオシャカになる。懲りもせず何度もやって駄目にするので、最近ではすぐ壊れても惜しくない1000円均一のおもちゃ時計しか使わなくなった。
赤いサインペンを一緒にお洗濯したときには、白いシャツや体操服がぜーんぶ桜色に染まって参った。
洗濯機を回す前に、ちょっと確認すればいいだけのこと。
それが分かっているからこそ、やってしまうと妙に落ち込む。
かかって悔しい落とし穴。

盆の上に、濡れた紙幣やらカードやらを広げて干す。
あーあ、うっとおしい。
このお札、なんだか色が薄くなったみたいな気もするけど、大丈夫かなぁ。
レシート類は破れてぼろぼろになるのに、さすがにお札は破れていない。
よっぽど丈夫な紙を使っているのかしらん。
妙な感心をしながら、父さんの財布の中身を日向に広げる。
お盆のふちに洗濯バサミで、紙幣をパチンパチンとはさんで留める。
この日差しなら、数時間もすれば、お札も財布もバリバリごわごわに乾くだろう。

とりあえず残りの洗濯物を干しておこうと、洗濯籠を広げてまたびっくり。
真っ白のバスタオルに、濃いグレーの染み
財布の中にはいっていたレシートか何かのインクが移ったらしい。
あらら、また一仕事増えちゃった。
でも、白だし、漂白剤をかければいいか・・・と思っていたら、あら大変。
この間、加古川のおばあちゃんに買ってもらったアプコのお気に入りのピンクの半ズボンのお尻に、でっかいグレーの染み。
どうやら、バスタオルとアプコのズボンが被害を一手に引き受けてしまったらしい。
こっちは漂白剤をかけたりしたら、きっときれいなピンクがまだらになって、散々なことになってしまうだろう。
アプコの見ていないところで、洗剤をいっぱいつけてこすってみたけれど、一向に落ちそうな気配はない。
汗だくになって、ごしごしやっているところをこれまた運悪く通りかかったアプコに見られた。
「なに、やってんの?」
この子はホントに勘がいい。内緒でいいもの食べてるときや、見られて都合の悪いことをやっているときには必ずといっていいほど顔を出す。
「あのね、父さんの財布に入っていたレシートのインクがね・・・。」
仕方なく事情を話す。

唇をへの字に結んで汚れた半ズボンをじっとにらんでいたアプコ。
「お気に入りだったのになぁ、おかあさん、お父さんに怒っといてね。新しいズボン、大事にしようと思ってたのに・・・。」
それだけ言って、どこかへ姿を消した。
もっとわんわん泣いて怒るかと思ったのに、ちょっと拍子抜け。
ま、いいか、もう一枚、似たようなズボンを買ってやれば気が済むかも知れない。ちょっと気が軽くなって、汚れたズボンを濃い洗剤液の中に漬け置きして、お昼ご飯の準備にかかった。

お昼、仕事場から帰ってきた父さんに午前中の騒動を説明する。
盆の上で生乾きになった財布をみて、父さんしばし呆然。
そこへとんできたアプコ、
「もう!おとうさんのお財布のせいで、アタシの新しいズボンが汚れちゃったよ。おばあちゃんに買ってもらったお気に入りなのに・・・!」
と猛抗議。
ぷっと膨れたアプコに父さん、いまいち状況がつかめぬまま、ごめんごめんを繰り返す。
さっきのあっさりした反応とはうってかわって、いじいじねちねちと繰り返す抗議に、しまいには上の兄弟たちがカチンと来た。
「父さんだって、わざとやったわけじゃないよ。アプコ、もうそれぐらいにしときな。怒ってもズボンが元通りになるわけじゃないんだから。」
オニイ、おねえに叱られて、ますます膨れるアプコ。
完全に拗ねて、ひざを抱えてうつむいてしまった。

父さんがわざとやったわけじゃないのも分かってる。
汚れたズボンがもう一度まっ更にならない事もよく分かってる。
でもやっぱり悔しいんだよね。
いっぱい抗議して、どんなにこのズボンが好きだったか聞いて欲しかったんだよね。
さっさと「ごめん」と謝られて、悔しい気持ちを「もういいよ」と封じ込めてしまわなくてはならないのが悔しかったんだよね。
小さいアプコの頭に、こんなに複雑な葛藤があることをお兄ちゃんおねえちゃんはまだ理解してくれない。
突然の事態に頭が真っ白な父さんも、アプコのほんとの悔しさには気づいていない。
「似たようなズボン買ってくるよ。」
と、弱り果ててはいるけれど、アプコがホントに大事なのはおばあちゃんと一緒に買ったあのズボンなんだよね。

泣きべそのアプコと一緒に、漬け置きのズボンをもう一度広げてみる。
みると、あんなに大きく広がっていた染みがあら不思議、ずいぶん薄くなっている。
「完全に元通りにはならないけど、これだったら履いてもおかしくない位にはきれいになるかもしれないね。」
汗と涙で汚れたアプコの顔をタオルでぐいぐい拭いてやる。
アプコの顔に、ほんのちょっと笑みが戻る。
「ああ、おなかすいた、早くご飯食べておいで。」

「確かに洗面所でジーンズを脱いだけれど、洗濯機に入れた覚えはないんだけどな。」
後になってもちょっと納得のいかない顔の父さん。
私だって、いれた覚えはない。洗面所に脱ぎ散らかしていく服のポケットの中身くらい出しておいてもらいたい。
うちじゃあ、洗面所に脱いである服は「洗濯する物」ということになっている。私じゃなくても誰かが気を利かせてぽいと洗濯機の中に放り込んでおくことだってあるんだから。
・・・洗濯機を回す前に確認を怠ったわが身の責は棚に上げて愚痴を言う。
いろいろ大変だったんだから、私の愚痴もちょっとは聞いといてね。
素直な父さんは盛んに首をひねりながらも、悪かったねとただただ謝罪。

数十分後、ぱりぱりに乾いたお札を持って、父さんと上の3人の子供たちは約束していた映画を見に、町へ出かけた。
アプコのズボンの染みは漬け置き洗いで意外にきれいになり、何とか支障なく着られそうだ。
全く困ったもんだねぇと、アプコと二人、みんなに内緒のアイスを食べる。
そういえば、父さんの洗濯済みのバリバリ紙幣、自動券売機を通るんだろうかねぇ。

ところで「銭洗い弁天」なんてのが、確かにあった。
お金を霊験あらたかな水で洗うと、金運がよくなってお金持ちになるんだって。
夏休み、何かと出費のかさんだ我が家には、霊験あらたかな弁天さんのご加護がぜひとも戴きたいところ。
やっぱり洗濯機洗いじゃ無理だよねぇ。
財布を洗うと、金運が落ちるという話も聞いた事があるような・・・。


2004年08月17日(火) 初めてのアプコ

昨夜、帰省先から戻って、子供たちの就寝時間はかなり遅くなってしまったのだけれど、今朝はアプコが早朝出勤。
朝、8時45分からの短期のスイミングスクールの初日なのだ。
グダグダと一向に起きてこない雑魚寝の子どもたちの中から、寝ぼけ眼のアプコをピックアップ。
とりあえず、朝ごはんを食べさせて、ブンと車に乗せる。
それでもなんとなくぼーっと寝ぼけ顔のアプコ。
初体験スイミングスクール、大丈夫か。

今日行くスイミングスクールは、アプコのお友達のTちゃんが普段通っているスクール。本当はアプコもTちゃんと一緒に通常のスイミングを習いたいらしいのだが、送り迎えの時間的余裕がないのと経済的理由で通わせていない。それでも小学校に上がる前に、水に顔をつける事くらいは・・・と、とりあえず短期教室で様子を見る。最近はスイミングに通っている子がとても多くて、小学校の授業のプールでも「顔漬けレベル」からだとちょっとしんどいのだ。

水着のアプコを先生に預け、親はガラス越しに参観。体操とシャワーを終えて、2人の女の先生に連れられて7,8人の園児が入ってくる。
プールの水面にカラフルなボールをたくさん浮かせて、先生の持っているかごに集めるというような、簡単な水慣らしから教室が始まった。
初めてのプール、初めての先生に硬い表情のアプコ、気まじめに言われたことだけはこなしているが、楽しいんだか楽しくないんだか、外から見ている分には見当もつかない。
そういえばアプコ、幼稚園の先生以外の先生に付いて習い事をするのも初体験、緊張するのも当たり前なんだな。
上の3人を育てて、幼児期の成長過程を経験してきた私にとっては、なんでもないことがアプコにとっては初体験。このスイミングスクールだって、上の子達を何度も通わせた私にとっては知っている場所だけど、アプコにとっては始めての場所、初めての人、初めての経験なのだ。

一時間あまりのレッスンを終えて、出てきたアプコは妙に無口だった。
「面白かった?」と聞いても、フンフン頷くばかりで返事が出ない。
さては凹んだかなと、顔色を伺いながらスクールを出たが、駐車場で車に乗るなり、
「おかあさん!今日、初めて、ワニさん泳ぎができたよ!」
とぱっと表情が明るくなった。
「女の先生、面白かったよ。泣いてる子ももいたけどアタシは平気だったよ。帰るとき、バスタオルが見つからなくて遅くなったよ。名前書いといてね。明日も来る?明日も同じ先生?ああ、おなかすいた・・・・」
堰を切ったように喋る、喋る。ハイテンションでまくし立てる。
とりあえずとても楽しかったようだ。どうやら、スクールの建物の中では、まだ、緊張が続いていたらしい。

今日の昼ご飯は焼きそばがいいというので、帰りにスーパーで焼きそばの麺と豚肉を買って帰る。
うちの中では母の不在をいい事に、ついさっきまで寝倒していたらしい子ども達。朝ごはんも食べたんだか食べなかったんだか、ダラダラとけだるい空気が流れている。
朝からアプコと一仕事終えてきた母は、ばたばたとみなを急き立て、朝、やりそこなった家事を大急ぎでやっつけ、昼ごはんに取り掛かる。
「朝ごはん、遅かったから、お昼ご飯は軽くていいよ。」というので、トーストやサラダで簡単に済ませちゃおう。
「アプコ、おいで、お昼だよ。おなかすいたね。」
と、アプコを呼ぶと、あらら、べそをかいてる。
「・・・・焼そばっていったのに。」
はぁ、忘れておりました。
いつもなら、「いいから、パンにしといてよ。」というところだけれど、あんまりアプコが凹んでいるので、面倒だけど1人分だけ焼そばを作る事にする。どうせならと、コンロの前に踏み台を置いて、アプコに焼そばの麺を開けさせ、フライパンの中へ入れさせる。ジュージュー熱い焼そばを緊張した面持ちでかき混ぜるアプコ。
出来上がった焼そばはお肉もキャベツも入らない超シンプルなものだったが、アプコ大満足で完食。たちまちゴキゲンも直ってしまった。

夜になって、アプコ、母の耳にこそっと耳打ち。
「あのな、今日はアタシ、『はじめて』ばっかりの日やったで。
ワニさん泳ぎ、初めてやろ?それから、火、使うお料理も始めてやろ?
明日も、いっぱい『はじめて』があるかなぁ。」

スイミングも焼きそばも、母にとっては何でもない、いつもの日常の一こま。上の子達ですでに経験した既知のことに過ぎない。
けれども、末っ子姫の6歳のアプコにとっては、はじめての冒険、はじめての快挙なんだなぁ。
どきどきしたり、わくわくしたり、口数が減るほど緊張したり・・・。
そんなふうにいつも新しい今日を生きているアプコのまぶしさ。
そしてまた、明日の「はじめて」を期待して、胸躍らせながら眠りに付くアプコのたくましさ。
子どもの持つパワーは、本当に頼もしいと思う。
当たり前の日常の繰り返しに倦むことなく、些細な「はじめて」にこころ躍らせる柔軟な感性。
そのおすそ分けをもらって、母の日常もまた、楽しい。
「はじめてのアプコ」を見つけて喜ぶ今日の私もまた、「はじめての母」の感性を持ちたいと思う。


2004年08月16日(月) 物欲魔人

お盆休みで、実家に帰省しておりました。
帰省中の出来事は後日、日をさかのぼって、UPするという事で・・・。

帰省3日目。
実家の周辺には、大型スーパーや本屋、コンビニ、ディスカウントショップなど、買い物を楽しめるスポットが山ほどある。
牛乳一本買うのに、車を出そうかという我が家とは大違い。
おじいちゃんおばあちゃんのお財布に甘えて、日頃買ってもらえないおもちゃや洋服などを買いに出かけるのを子ども達はとても楽しみにしている。
今年も、それぞれにゲームやらお人形やらを買ってもらって、残るはアユコの洋服を選ぶばかり。
東京の弟夫婦と姪っ子、母、我が家の6人で、車を連ねて近くの大型ショッピングセンターに繰り出す。

数年前にできた某フランス系のスーパーマーケット。
我が家の近所の小さなスーパーとは比べ物にならない商品の数。
意外に安価で目新しい物がそこここにあって、田舎モン家族はすっかり舞い上がって、きょろきょろとおのぼりさんモードになってしまう。
「二つも買ってもらって、いいの?」とバーゲンで底値になった洋服をわくわくしながらおねだりするアユコ。
普段買わないビートルズのCDなどをひそかにカートに入れる父さん。
「欲しい欲しい光線」をびしばし飛ばしながら、売り場を走り回るアプコ。
目新しいスナック菓子や、外国のチョコレートに熱心に見入るオニイ。
ちょいと目を離すと、どこやらへすがたを消してしまうゲン。
都会慣れした弟家族がちょっと引いてしまうような興奮振り。

わーっと駆け寄ったのは、カラフルなゼリービーンズやチョコレートがぎっしりつまったアクリルケース。量り売りのキャンデーだ。
普通なら、「見るだけ見るだけ・・」と横目で眺めて通り過ぎるところだが、小さいいとこのAちゃんがママと一緒に好みのチョコレートを袋詰めし始めたのを見て、「ええい、無礼講だ!」とアプコも袋を取る。
アユコやゲンも加わって、「西瓜ビーンズ」だの「ココナッツビーンズ」だのをワイワイ選んでつめていく。
Aちゃんの袋がぎゅうぎゅうに詰まってはかりに載せてみると、合計金額が1000円あまり。
我が家の3人が堪能するまで選びに選んだゼリービーンズは、3人分で700円弱。
一人っ子と4人兄弟の違いって、こんなところにもあるんだなぁ。
「好きなように選んでいいよ。」と言われても、なんとなく、ほかの兄弟たちの選ぶものや父母の財布の緩み具合を微妙にはかりながら、許容範囲内でたっぷり楽しむ。
ちょっと可哀想な気もするが、実際きゃあきゃあとカラフルなビーンズを選び、「げ、変な味。」「これと、取り替えて」とワイワイと一つの袋からお菓子を取り合う楽しさは、一人っ子のAちゃんにはない。

食品コーナーをあちこち回り、夕ご飯用に惣菜をいくつか選ぶ。
「ありゃりゃ、また父さんが引っかかったよ。」
普段近所では見かけない異国風のメニューや、ビールのつまみ系の美味しいものに、ふらふらと誘惑されやすい父さんの癖。
試食コーナーを余さず巡るゲンとともに、あれこれ物色。
あれもいいな、これもチョコッと食べてみたいなをカートに入れると、レジを出るときには普段の買い物額を軽く超える金額になる。
物欲魔人と化した田舎モンの浅はかさを恥じ入りながらも、なんだか楽しい。

都会の町での生活の楽しさ。
子供たちもみな、あふれる商品にあおられて妙にテンションが上がり、普段と違う歓声を上げる。
カートいっぱいの買い物をぶんぶん車のトランクに積み込む嬉しさ。
こんな大きなスーパー、我が家の近所にも一つぐらいあるといいな。
休みの日なんか、ここへ来れば一日中一家で遊べるよな。
帰りの車の中、奇妙な味のゼリービーンズをあれこれ分け合う家族に、
羨望のため息と共に微妙に皆に残るけだるい空気。
「モノに酔っちゃったんだよなぁ。」
人ゴミに酔い、たくさんの商品に酔い、買い物熱に酔う。
都会に慣れない田舎モン家族に、しゃれたフランス系大型スーパーのモノの氾濫は誠に刺激的だった。

とてもわくわくして、どきどきして、嬉しくなっちゃうけど、やっぱりこれは我が家の生活ではないよなぁ。
年に数度の無礼講のお祭り。
それなら物欲魔人と化すのもまた楽し。
でも、毎日の生活の場としては、我が家にとってはちょっと刺激が強すぎる。
都会の人には都会の人の、田舎モンには田舎モンの心地よい日常の「モノの量」というものがある。
いろんなものをいつでも買えるモノの豊かさは、必ずしも快適な生活の必須条件ではない。
そんな事にふっと気がついた。


月の輪 |MAILHomePage

My追加