月の輪通信 日々の想い
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8月12日、アプコの誕生日。 ずいぶん前から下見していたイチゴのケーキ。 なでるとくんくん反応する犬のおもちゃ。 みんなでワイワイ、回転すしディナー。 我が家の姫君、満面の笑みでハッピーバースディ。
6歳になったら、自動車に乗るときのジュニアシートも卒業になる。 いつも、運転席の後部座席で行儀よくシートベルトを締めていたアプコ、本日はじめてお母さんのトッポの助手席に乗る。 「おかあさん、ここ涼しいねぇ。」 おんぼろトッポは冷房の効きが悪く、これまでのアプコの指定席はとっても暑いのだ。 クーラーの風をほっぺたに受けて、6歳のアプコの笑みは可愛い。
アプコの名前は「あさみ」という。 出産の朝、ベランダに咲いていた大輪の朝顔にちなんで命名した名前は、オニイが当時のクラスメートから募集したたくさんの名前の中からえらんだ。
小学校1年生のときのオニイの作文。 「おかあさんが、このごろ太っているとおもったら、5人目の赤ちゃんが、うまれるそうです。おかあさんは、5人目のあかちゃんが生まれなくても、少し太っていた。夏休みのおわりごろに、生まれるので、こんどのなつ休みは、はじめからおわりまでたのしくていそがしくなりそうです。 ぼくのうちの四人目の赤ちゃんは、きょ年、なくなりました。そのとき、ぼくはびょういんのまちあいしつで、いつも一人でまっていた。あゆみとげんやは、ずっと、かこ川にいた。こんどの赤ちゃんは、よりみちしないで、げんきに生まれてほしいです。 ぼくはこんどの赤ちゃんは、男の子がいいです。あゆみは女の子がいいといっています。げんやは、もう一かいおにいちゃんになるので、ゴキゲンです。もし男の子だったら、ぼくの子ぶんがもう一人ふえてうれしいです。 それから、ぼくはいもうとか、おとうとかかんがえています。名まえもいろいろかんがえています。たとえば「ゆうすけ」「こ太ろう」などです。 1年1くみで、あかちゃんの名まえをぼしゅうしてもいいですか。げん気そうな名まえをつけてください。」
アプコの誕生の前の年、私たちは生後3ヶ月に満たない女の赤ちゃんを病気で失っている。その臨終の前後のつらい日々の一部始終をオニイは父母の傍らでただただじっと見守っていた。だから、5人目の赤ちゃんが生まれると聞いたとき、オニイの気持ちの中には複雑なものがあったに違いない。 当時のオニイの担任の先生は、そんなオニイの複雑な心境を察して、「赤ちゃん命名キャンペーン」を繰り広げて、クラスのみんなが一緒に赤ちゃんの誕生を待ち望む空気を作ってくださった。 今でも、時々、オニイの同級生やそのおかあさんたちから「うちでもお宅の末っ子ちゃんの名前、考えたよ。」と声をかけていただく事がある。 家族や親類縁者だけでなく、たくさんの人の祝福を受けて生まれてきたアプコは、文字通り、我が家の朝の訪れだった。
アプコが選んだイチゴのケーキ、 アユコが器用に7つに切る。 最初の一切れをオニイが亡くなった赤ちゃんの遺影の前に供えてくれた。 わが道を行く、気ままなお姫様。 アプコの命の後ろには、たくさんの人の想いと願いがある。 そんな感傷などどこ吹く風と一番大きなイチゴの一切れを迷わず選ぶ末っ子姫の明日は明るい。
誕生日おめでとう、アプコ。 生まれてきてくれて、ありがとう。
2004年08月10日(火) |
お母さんがいなくなる |
アプコの言葉。
「あのな、おかあさんが年をとってな、 おばあちゃんになったらな、 おかあさんはおらへんになるんやろ?」 「は?」 「だって、おばあちゃんになるんやもん。」
アプコは私が年を取って、「おばあちゃん」と呼ばれるようになったら、 「母」ではなくなると思っていたようだ。 「おかあさんはアプコを産んだ人だから、しわしわのおばあちゃんになっても、アプコのおかあさん。 私市のおばあちゃんも、お父さんを産んだ人だから、何歳になってもお父さんのおかあさんでしょ。 わかるかなぁ?」 何度も何度も、同じことを説明して、ようやくアプコがにっこりした。 「ふうん、よかった。お母さんはおばあちゃんにならへんねんなぁ。」 ・・・・ちょっと違う。
「おかあさんは、そのうちおばあちゃんになるよ。 アプコやアユコが好きな人と結婚して、赤ちゃんを産んだらおかあさんはその赤ちゃんのおばあちゃん。わかる?」 「じゃあ、私市おばあちゃんはいなくなるの?」 「ううん、私市のおばあちゃんは、赤ちゃんのひいばあちゃんになるよ。」 「じゃぁ、私市のひいばあちゃんは?」 「私市のひいひいばあちゃんになるかなぁ。」 「ひいひいばあちゃん」の響きのおかしさに、アプコ大笑い。 おかげで、いくら元気なひいばあちゃんでもさすがにそこまでは長生きなさらないだろうという事は言わずに済んだ。
いくら年をとっても、 体や心が衰えても、 やっぱり「おかあさん」は「おかあさん」 その事を「ああ、よかった」と喜んでくれる幼い娘。 この子にもやがて、母がいつまでたっても母である事を疎ましく思う日が来るかもしれない。 「産んでくれと頼んだわけではない。」と毒づく日がくるかもしれない。 「おかあさんも年だなぁ。子どもみたい。」と、ひょいと見下ろす日だってあるだろう。 それでもやっぱり、「おかあさんはおかあさん」と不承不承笑ってくれるといいなぁ。
TVが壊れた。 何ヶ月か前から調子悪いなぁと思っていたら、画面が真っ暗になった。 音声だけ聞こえるTVをあちこちいじっていたら、音声も出なくなった。 アプコがいつものようにぽんっと叩いても戻らず、リモコンを押すと「パスッ」と電源の入る音だけがする。 「なにー?!TVが壊れたぁ?!」 と、帰ってきた父さんが以前から壊れたままになっていた主電源を切ってみたら、今度は主電源さえ入らなくなった。 ご臨終である。
我が家のTVは一台っきり(今時!) それも、結婚当初からずっと使っている年代物である。 結婚前には独身時代の父さんが、一人で自室で見ていた「嫁入り道具」の一つである。 父さんの部屋へ来る前、このTVは小さなレンタルビデオショップの店頭ディスプレー用に使われていたそうである。まもなく店をたたむことになったそのビデオ屋で格安の値札をつけて売り出されたものを、父さんは自分の部屋用に飛びついて買ったのだそうだ。 ・・・ということは、推定20歳近く? TVとしては十分おじいちゃんだなぁ。 そう考えてみると、今朝のTVのご臨終の経緯はいかにも「老衰」といった感じで誠に感慨深い。
新婚のとき、2DKの小さなマンションには大きすぎるこの29型TVで、よくレンタルしてきた洋画のビデオを二人でみたものだった。 オニイが生まれて、ものめずらしさに撮り貯めた赤ん坊の寝返りビデオや初笑いビデオを飽きもせず再生して喜んだのもこのTVだった。 アユコやゲンが生まれて、幼子3人の出産や子育てに奔走していたとき、とりあえず子守をしてくれるTVの画面には、「エンドレスポンキッキ」とか「エンドレス機関車トーマス」のビデオが入りっぱなしだった。 震災の日、廃墟となった神戸の町や倒壊した高速道路から落ちそうになっている車両の映像を息詰まる思いで見たのもこのTVだった。 夕餉の頃には子どもたちが好きなアニメにかじり付き、昼間は母が家事の合間にワイドショーを眺める。 仕事から帰った父さんが、お馬鹿なバラエティー番組で疲れを癒し、自然探訪や海外の風景の番組で心を癒す。 我が家の歴史と共にいつもそこにあったこのTV。 お疲れ様。
「えーっ!TVなし?」 愕然とする子ども達。 好きなアニメ、連続物のドラマ、お気に入りのバラエティー番組、再放送中のちょっと前の人気のドラマ。 我が家の子ども達は結構TVっ子である。 それが一切見られないとなると、たちまちに困ってしまう。 「一週間ぐらいノーテレビでやってみない?」という提案も即答で却下。 「オリンピック見て、レポート書くのが宿題なんだから、TVがないのはとっても困る」とオニイ。 そう来たか。 「おばあちゃんちへ見せてもらいに行ったらどう?ビデオのほうは生きてるんだから、しばらくと撮り貯めて置いてまとめて見るとか・・・。」 と、とりなしている背後で、もう大型電気店のチラシを物色している奴がいる。 やはりTVなしの生活は、我が家には無理なのか。
一番そそくさと立ち上がったのは父さんだった。 はじめ予想外の出費の痛手にパンチを食らったようだったが、元来、新しい電化製品を買うのが大好きな父さんでもある。 「もう、昔のTVなんてどこにもないよなぁ。液晶TVにはまだ手が出ないけど、フラットTVって、ずいぶん安くなったんだなぁ。」 駄目だ、TV無し生活に入ったら、一番に音を上げるを上げるのはこの人かもしれない。 あっという間にカタログを調達し、夜の大型電気店に滑り込んで、あたらしいTVを注文してきたらしい。 ただし、配達は金曜日。 TV無し生活はやはり始まった。
夏の「無くては困る家電」ベスト3は、冷蔵庫、クーラー、洗濯機だと思っていた。 しかし、大したレジャーも無く部活やプールの日程も消化して、暇をもてあました子らが4人もごろごろする我が家には、TVの存在意義は予想外に大きかった。 なんとなく手持ち無沙汰。 ごろごろと漫画を読む。 退屈して、ほかの兄弟にちょっかいを出す。 小さな諍いや言いあいが増える。 ふと気がつくと誰かしらPCにかじりついてゲームをしている。 「さあ、TVを消して、ご飯にしよう」とか、「番組が始まるまでにお風呂に入っちゃおう」とか、タイムキーパーの役目もTVは果たしていたらしい。 意外にもTV無し生活が一番こたえたのは主婦の私か・・・。 「何で、夏休みの真っ最中に逝ってしまうかなぁ」 恨めしい思いで、物言わぬ箱となったTVをにらむ。
「おかあさん、『ありがとう』やな。」 アプコがぼそりと言った。 お気に入りの幼児番組が見られなくて、半べそを掻いてたアプコである。 「ながいこと、頑張ってついてたんやなぁ、このテレビ」 アプコが生まれるずーっと前から、楽しい笑いや衝撃の映像を山ほど運んできてくれた魔法の箱。 埃にまみれて、幼かった子どもらの手垢の後やいたずら防止用にスイッチ部分に張ったガムテープの痕。 誠に誠に、よく頑張りました。 一番このTVとのお付き合いの短いアプコが、一番最初に発した「ありがとう」の言葉。 「モノにも命」というけれど、我が家の歴史を丸ごと見守ってきたTVは、まさしく「命」であった。
おそらくは廃棄処分になるこのTV。 せいぜい埃を落として、きれいにして見送ってやろう。 TVなしの数日間は、忌中ということで・・・。
時折ざーっとにわか雨。 朝から、「今日はプール、あるかなぁ。」と小学生組もアプコも何度も空を見上げる。 小学校のプール開放は、今日でおしまい。村のお子様プールもあと数日で閉鎖になる。今まで、精勤にプールへ通った子供たちにとっては「締め」の一日。 午後のプールの開放時間の前にさっと雲がひいたので、Go!Go!とばかりに、家を出る。
朝のお天気が曖昧だったせいか、若宮プールは良く空いている。今日はアプコ、相棒のKちゃんがお休みなので、一人で細々と水に入り、ふわふわとプールの端から端へと遊泳し、まったりと水と戯れる。 空いているせいか、ちょっと年かさの男の子たちはプールの真ん中でもぐったり、逆立ちしたりして、シンクロの真似をして遊んでいる。もともと女性が主体のスポーツなのに、ここのプールでシンクロごっこをしているのは男の子ばかり。TVの影響というのはえらいもんだ。本来は飛び込み禁止の浅いプールだが、プールサイドからコミカルな振りをつけてパタパタと飛び込む様が何ともおかしい。いつものルール破りグループに眉を顰めつつ、「こどもって、ほんと単純であほやなぁ。」と笑ってしまった。
アプコがプールの向こうの端まで泳いでいく間、見るともなしによその子達の遊びを眺める。 3年生くらいの男の子3人組。プールの端からヨーイドンで競争したり、もぐりっこしたりして遊んでいる。ぼんやり眺めていると、なんだか変だなと気がついた。 「平泳ぎで向こうまで競争や。」と誰かが声をかけると、「おれ、負けるから嫌や」と遊びから外れる子がいる。 「せーの!」で潜りっこしても、負けそうになると誰かが「やーめた。」と輪を外れていってしまう。 「鬼ごっこしょうや」とはしゃぎだしても、鬼になった途端「お茶、飲んでくるわ。」と遊びを中断してしまう子がいる。 3人ともが、しょっちゅう「やーめた」とやるので、ちっとも一つの遊びが続かない。それでも特に喧嘩するでもなく仲良く遊んでいるのだが、なんだか見ているほうは一向に落ち着かない。 仲良しの友達と遊んでいても、自分がビリになりそうになったり鬼になったりすると、さっさと遊びを中断してリセットしてしまう。ほかの仲間もまたそんなふうに中途半端に遊びが途切れても、特に不平を言うわけでもない。 当たり前のように次の遊びを思いつく。
日常の些細な遊びの間ですら、自分が「敗者」とか「鬼」とかマイナーな立場に置かれるのが耐えられないのだろうか。 だからといって、一方的に遊びを抜けても誰もそのことを非難しない妙な暗黙のルールがあるようで、気持ち悪い。 昔だったら、鬼になった途端「やーめた!」なんていったら「鬼逃げ」とか「負け逃げ」とか言われて、総スカンを食ったような気がするのだが・・・。 こんな子どもの世界にすら、どこかで「白黒つけない」「突き詰めない」「痛い想いををする前にやめる」といった生ぬるい人間関係が、浸透している。
最近、中学の先生から伺ったのだが、今の子ども達には他人の気持ちを自分の置き換えて思いはかるということができない子が増えているのだそうだ。 友達の悪口をいった子を叱る。 「お前が同じことを言われたらどんな気がする?」「嫌だ。」 「じゃあ、○○くんはどんな気持ちだったと思う。」「嫌だったと思う」 そこまでは察することができても、「だから、悪口を言っちゃだめじゃないか」というところで、ぐいと心に突き刺さらない。「もし、自分だったら」という置き換えはできても、「だから○○君も」というところへの発展が苦手な子が増えているのだという。 いじめっ子の頬を打って、「○○君もこのくらい痛かったんだぞ!」というような叱り方が成り立たないのだそうだ。
先日、TVをみていたら大学生に戦争のときの悲惨な体験談を聞かせて、戦争の残酷さ、平和の大切さを共感させようという試みが行われていた。 広島の原爆を奇跡的に生き延びた老婦人の講演を聞き終わった学生の感想の中には、「話が現在の生活と隔たりすぎて、実感しづらい」とか「自分自身の問題として消化しきれない」という戸惑いを洩らすものがあったそうだ。 幼い子どもですら、夏休みに「火垂るの墓」をみて涙を流し、「戦争は嫌だ」と素直に感じるだろうに、大学生になっても、現在の自分とぜんぜん違う厳しい状況を生き抜いた老婦人の悲話に自分を重ねて共感ができないのはなぜなのだろうか。 ちなみにこの講義が行われたのは、広島の折鶴放火事件のあのK大学である。広島の悲劇を知識ではよく知っており、平和教育も十分に受けてきたであろう学生が、わざわざ彼の地へ足を運んでも折鶴にこめられた誰かの祈りの深さを思いはかることができなかったのもこんな環境があったせいかもしれない。
お互いに傷つくことを恐れて激し喧嘩はしない。親は子を厳しく叱らない。負けるゲームや苦手な競争には最初から参加しない。失敗しそうになったら、早々にリセットして最初からやり直す。 そういう突き詰めない、ソフトな環境ばかりを選んで渡り歩いていることが、今の子供たちの「思いはかる力」をどんどん削いでいってしまっているような危機感を感じる。 口当たりのいいファーストフードに慣らされた子ども達が歯ごたえのある硬い食べ物をなんとなく敬遠して噛む力を失っていくように、シビアな人間関係を消化しきれないやわな人格の大人がますます増えていくような気がする。
「おかあさん!あっちの端まで泳いできたよ!」 いつの間にか戻ってきたアプコが、私を現実に引き戻す。キラキラ輝くしずくが熱いコンクリートのプールサイドに水玉模様を描く。 プールの別の隅では、2年生くらいの男の子がクラスメートらしい女の子に熱心に背泳ぎを教えている。女の子は水面に仰向けに浮くことができなくて、何度やっても体をくの字に曲げてぶくぶくと沈んでしまう。 「体の力を抜いてね、もっとあごを引いて、おなかを上に出すんやで。」 男の子はありったけのボキャブラリーで、ふわりと浮き上がる感じを説明するのだがなかなかうまくいかない。 「体をまっすぐにして、腰を曲げたらあかんで。こうやってな。」 何度もお手本を示してみるのだが、女の子にはどうにもうまく伝わらない。 「あのな、あのな。う〜ん」と考え込んだ男の子、「そうや!棒の気持ちになってみぃ。まっすぐの木の棒になった気持ちで浮いてみて。」
棒の気持ち!なんと難しいことを!と噴出しそうになっていたら、女の子、大真面目な顔で、ぴんと腰を伸ばした。ザブンと体を水面に倒す。しこたま水を飲み、アップアップと沈んだけれど、それでも一瞬、体が浮いた。 「そうや、そうや、ちょっとだけ浮いたん、分かった?」 咳き込む彼女を、男の子が嬉しそうに褒めた。女の子も嬉しそうにこっくりした。 男の子と女の子と、そして木の棒の気持ち。 相手の気持ちを思いはかって、自分の気持ちとして置き換える。そんな難しい作業がここでは当たり前に何気なく完了している。 まだまだ子ども達は大丈夫。 人の心を思う力は、ちゃんと今の子供たちの中にも生きている。 初めて、仰向けにプールの水面にプカリと浮くことができたときのあの愉快な気持ち。それは私にも、男の子にも、女の子にも、そして多分木の棒にも共通の爽快感に違いない。
ちょうど今日の天気雨のように、明暗めまぐるしく心動かされながら水遊びの子らを眺める。 暑い暑い昼下がり。 蝉の声がひときわ騒がしかった。
「今日はみんなで出かけるぞ!」と号令がかかった。 朝ご飯を片付け、洗濯物を干し、身支度をして、おおっと、今日は資源ゴミの日だ。 おにぎりや飲み物を用意して、子供たちを急き立て、さあ出発かと思ったら、父さんが帰ってこない。
トラブル発生。 奥の一人暮らしのおじいさんTさんが、ゴミ置き場で怪我をしたという。 どうやら、お向かいのMさんとの諍いで、転んで手に傷を負ったらしい。 TさんとMさんは、昔から仲が悪い。その昔、土地の境界だかなんだかで諍いがあったらしく、今でも時々、トラブルがある。 Tさんはもう何年も一人暮らし。近所に息子さん夫婦がいるが家族との折り合いが悪いとかで同居の予定はなし。デイサービスやヘルパーさんに助けられて一人暮らしを続けておられるが、少しづつボケや妄想癖も出てきてそろそろ辛くなってきている。デイサービスのない日には日がな一日、ぼんやり近所を歩き回り、草花を眺めたり、ハイキング客としゃべりこんだりして暇をつぶす。 一方のMさんも一人暮らし。植木屋さんの腕を生かして、ご近所の庭仕事や簡単な大工仕事などを請け負っておられる。仕事を終えると、2頭の犬の待つ我が家へ帰る。「こいつら、ワシの顔見ると、『散歩行けぇ』とうるさいんや。」と毎日2頭を連れて近隣の山へ散歩に出かける。このあたりでは「ちょっと変人」で通っているけど、うちのゲンにとっては虫取りの師匠、気のいいおっちゃんだ。 二人とも、ま、ちょっと、変わった人たちではあるが、格段に悪い人というわけではない。
ゴミ置き場でTさんは、Mさんにこかされて怪我をしたという。 Mさんは、Tさんのそばにゴミ袋を投げたら、Tさんが勝手によろめいてこけたのだという。Tさんが昨日からずっとMさんの家を監視していたとMさんの方も怒っている。 どちらがどこまで本当なのかは分からない。 これまでにも、Tさんは資源ごみの日に生ゴミを出したり、違う種類のゴミが入っていたりして、何度も近所の人がTさんに注意をお願いしていた。 高齢のTさんには判断も難しくなってきているので、息子さんやヘルパーさんにも、ゴミの処理の手伝いを再三頼んである。それでもなかなかTさんのゴミ出しはなかなか改善されず、息子さんの方にもあまり改善の熱意は見られない。 そんなこんなで、ご近所では「困ったもんね。」という空気も流れていたことも確かではある。
TさんがMさんの家を監視しているという。 Mさんが軽トラを出そうとしたら、門の前に立ったまま邪魔をすることもあるという。 時には、垣根越しにMさんの犬たちに石を投げることもあるそうだ。。 Mさんは「あのくそジジイ!」と怒りで目をウルウルさせて訴えてこられる。 確かにTさんは昼間、暇に任せて日がな一日ご近所をうろつき、垣根越しによそのうちの植木の花を眺める。時には、植木だけでなく家の中を覗き込んでいるときもある。私自身、TVを見ながらごろごろしていて、立ち上がったら窓越しにTさんと目が合ってびっくりしたこともある。それを「監視している」と受け取られても仕方がないかも知れない。 また、年取ったTさんは動きもスローで、声をかけても反応がすごく遅い。 軽トラの進路を邪魔しているように思えるのももしかしたら、ただ反応が遅いだけなのかもしれない。 投石に関しては、残念ながら私も以前、TさんがMさんの敷地内に向かって小石を投げている現場を目撃したことがある。私が見ていたことに気づいてもTさんに悪びれる様子もなかった所を見ると、確信犯のようだ。
だからといって、とりあえずTさんは見た目も弱弱しく、息子にもあまり面倒を見てもらえない孤独な年寄りだ。元気に軽トラで仕事に出かけるMさんが、Tさんの行動にいちいち反応して癇をたてていても、分が悪い。 ましてや、吹けば跳ぶようなTさんが転んで怪我でもすれば、高齢者への暴力として訴えられかねない。 両方の事情が分かるだけに、近所の人たちもなんとも対応に困ってしまう。 何度か警察も入ってくれたが、Tさんの訴えを聞き、Mさんには「まあまあ、年寄りのことやから、大目にみてやれ」と諭すばかり。 Mさんの方でも、「誰も取り合ってくれない」という不満がたまっているようだ。
Tさんの怪我の手当てをし、父さんが近くに住む息子さんに出てきてもらうように電話する。幸い怪我は軽傷だが、状況はちゃんと説明しておかなければならない。 「ワシが息子に意見してやる!」と息巻くMさんをなだめて、「とりあえず仕事にいってらっしゃい」と送り出す。二人を会わせると話はもっとややこしくなる。 「それぞれのおうちの事情があるのも分かるけど、おじいちゃんの様子をもっと見てあげなくては・・・」 車でやってきた息子さんに、近所のおばさんも加わって事情を説明する。
上手に年をとるって難しいことだなぁと思う。 人に迷惑をかけず、周りから愛される年寄りになるということはホントに難しい。 体も弱り、格別することもなく、老いの日々を一人で暮らすTさんにとっては、日がな一日散歩することも、ヒョイと近所の家を覗くことも、仕方のないことかもしれない。 一見粗暴なように見えるMさんもまた、実は孤独な独居老人だ。 Mさんの振る舞いに腹が立っても、家の中で「コンチクショウ」と愚痴を言う相手は2頭の愛犬だけ。「また、きやがった!」とTさんの動きに敏感に反応するのもうなずける。
近頃ではMさんは、Tさんだけでなく、Tさんの息子さんに対しても激しい非難の言葉を吐くようになって来た。 「こんな年寄りは身内がちゃんと世話してやらにゃ、はた迷惑や!」 Mさんの言葉は全くそのとおり。 公的機関や近所のものがどんなに手を貸しても、一人暮らしの老人の孤独の本質にはなかなか触れられない。 そしてMさん自身、息子は独立して離れて暮らしており、あまり行き来はないようだ。近所の人もMさんの身寄りの人の姿は一度も見たことはない。 Mさんの激しい感情の吐露は、Tさんと同じように老いの孤独に由来するものなのではないだろうか。 そう思うと、「一人で老いる」ということは本当にやりきれない。
今シーズン、お初の西瓜。 先週、生協で頼んでおいたものが昨日届いた。 我が家では、ゲンが西瓜大好き。 「西瓜、頼んどいたよ」と教えてから、なんとなくわくわくと楽しみにしているのがよく判った。 たかが西瓜で単純なヤツやなぁ。 その素直さが可愛くもあるのだけれど・・・
今朝、アユコに包丁を任せ、大きな丸のままの西瓜を切ってもらう。 さすがの包丁名人のアユコにとっても大きな西瓜はちょっと手ごわい。 ヘタの部分に最初の包丁を入れると、ぴりぴりっと皮の裂ける音がして、赤い果汁がじわりとあふれる。 甘い香りが広がって、子どもたちの顔にも笑顔があふれる。 最初の一切れを、先日、入院した義父のために切り分けて、お弁当箱に詰める。 大病というわけではないので、西瓜好きの義父もきっと笑って食べてくださるだろう。
「大きな丸のままの西瓜を買う」 なんだか幸せだなぁと思う。 実家の父も大の西瓜好き。 夏の休日の夕刻には、よく家族で西瓜の買出しに行った。 大きな段ボール箱に2,3個入った西瓜をドンと箱買い。 よくもこれだけ食べるわなぁと呆れながら、父も私も弟たちも飽きもせずたくさん西瓜を食べた。 そういえばあの頃、育ち盛りの弟たちを含めて6人家族が食べる食料品の量は尋常ではなかっただろう。 今の我が家よりもさらに数倍多かったかもしれない。 休日の夕方には、よく父が車で食料品の買出しに付き合っていた。 大きな西瓜の箱をドンと車のトランクに積み込む時、父の胸には、 「家族を食わせてやってるぞ!」という実感がぐんと迫って来たに違いない。 日々膨らんでいくエンゲル係数は頭の痛い問題だけれど、それだけの食料品を平らげる若いエネルギーをはぐくんでいるという実感は親にとっては嬉しいものだと私は思う。
昔、アユコがおなかの中に居た頃、私は切迫早産で一週間入院した。 まだ一人っ子だった一歳半のオニイを父さんやおばあちゃんに預け、産婦人科の病室でただただ安静。 なんだかとっても心細くて、悲しくて、なんだかへこんでばかりの入院生活だった。 そんな日の夕刻、病室のクーラーの風に飽きて、がらがらと窓を開けた。 向かいのスーパーから三々五々出てくるサンダル履きの買い物客。 その日は特売があったのか、大きな丸っぽの西瓜をぶら下げてふらふら歩いてくる人が目立った。 「家族のために丸っぽ大きな西瓜を買う」 その頃、我が家はまだ小さな幼児を含めた3人家族。 いつもスーパーで切り身になった四半分の西瓜を買っていた。 おなかの中でがんばっている小さな赤ちゃんを含めても、まだまだ一家で丸っぽの西瓜を消化できるようになる日は遠いだろう。 それでも、いつの日か、食べ盛りの子どもらのために丸ごと一個の西瓜を買える幸せを味わえるようになりますように。 その為には、まずはお腹の中で早産の危機にさらされている我が子を、なんとしても無事に家族として迎えてやらなければ・・・。 じわりと浮かんできた涙は悲しい涙ではなく、ほのぼのと嬉しい決意の涙だった。
念願の6人家族になって、今では我が家も丸っぽの西瓜を難なく完食できるだけの人員はそろった。 唯一西瓜嫌いでまるっきり口をつけないオニイの存在は計算外だったが、それでもオニイの分までぺろりと平らげる無類の西瓜好きのゲンもいる。 ざくざくと船形にきった西瓜を黙々と食べる。 西瓜の果汁で頬もあごもびちゃびちゃにして、赤い果肉にむしゃぶりつくゲンの嬉しそうな顔は本当に可笑しい。 ホントに野生児だなぁと思う。
ところでこの野生児、決定的な弱点がある。 外食したり、大好きなものを楽しくおなかいっぱい食べたりした後、「うっ」と口を押さえてトイレへ駆け込む。 興奮のあまり、せっかくたらふく食べた大好物を消化しきれずに、トイレできれいさっぱり吐いてしまうのだ。 今夜はオニイ特製のハヤシライスをおなかいっぱい食べた後の西瓜だった。 予想はしていたことだが、果たして、3切れ目の西瓜を平らげた直後にゲンは突然姿を消した。 「あーあ、もったいない、そんなに無理してたべなくても。」 と、みんなのブーイングにあう。 あんなに楽しんで食べた西瓜が彼の消化器官にとどまったのは、わずかに数分。本当に口惜しいのはゲン自身に違いない。 悔しさに目をウルウルさせて、一人ぼそぼそと後始末をするゲン。 なんだか可愛い。 いいよいいよ、ゲン。 吐くまで食べちゃう大好物があるって、幸せなことだよ。 そんな君に食べてもらえて、西瓜冥利に尽きるよ。 残りは冷蔵庫に置いとくから、明日食べな。
丸っぽ一個の西瓜を買う幸せ。 今、確かにそれはここにある。
けだるい昼下がり。 TVの部屋で皆ががごろごろしていると、ダイニングの食卓のほうでかすかな音がする。 フローリングの床を引っかくような小さな小さな音。 「あ、来たよ、来たよ」 「しーっ、動かないでね。」 アプコが抜き足差し足で覗きにくる。 「えーっ?どうしたん、どうしたん?」 外から帰ってきたゲンが、大きな声を出す。 「あーあ、行っちゃった。だめよ、大きな声をだしちゃぁ。」 アプコ、プンプン、怒る。
春頃から我が家のダイニングの掃きだし窓から、時折スズメが入ってくる。 はじめは、窓のサッシに落ち込んだ食べこぼしの米粒を拾いにおそるおそる首だけ突っ込んでいたのが、だんだん遠慮がちに部屋の中まで入ってくるようになった。 二つ三つ、米粒をついばむと慌てて、もと来た道をちょんちょんと跳ねて戻っていく。 しばらくすると、またおんなじ(多分)スズメが、ちょんちょんと跳ねてくる。今度はさっきより少し大胆に距離を伸ばして、えさをついばむ。 最近では部屋の真ん中にあるアプコのいすの下あたりまで、冒険してくるつわものもいる。 アプコの食べこぼしにつられて、「まだ、大丈夫かな。もうちょっと入ってみようかな。」と周りをきょろきょろしながら侵入の距離を伸ばしていくのが面白くて、ついつい「しーっ!」と声を潜めて小さな冒険者たちの動きを見守る。
途中でわっと驚かしてしまうと、スズメたちはパニックに陥り、ばたばたと飛び立って、もと来た道を忘れてしまう。 慌てて飛び立ったスズメが壁や窓にぶつかったりしてはかわいそうなので、たまに侵入者の姿を見つけても騒がずに、スズメたちが自分で窓の隙間から出て行くのをそっと見守る。 それがなんとなく我が家の子どもたちの暗黙のルールとなっている。
そういえばアプコとの登園の道のり。 時々、アプコがぎゅっと私の手を引いて歩みを止めさせることがある。 その視線の先には、道路に落ちた木の実だか何だかをついばみに降りてきた小鳥の姿。 「いま、ご飯食べてるから、ちょっと待って!」 アプコは必死の形相で言うけれど、野生の鳥たちの聴覚は敏感で、人の気配を察するとあっという間に飛び立って行ってしまう。 「びっくりさしたら、あかんやん。」 やっぱりプンプン怒るアプコは可愛い。
ポツポツとPCに向かっていたら、すぐ後ろの座敷机で宿題をしていたアユコがピッピッと私の服のすそを引っ張った。 「見てみて」というように、同じ机の反対側で熱心に遊んでいるアプコを指差す。 アプコは机の上一面にたくさんの立方体の積み木を並べ、小さな指人形たちの家をこしらえて遊んでいる。積み木の箱のふたで屋根をつけたり、食卓に見立てた積み木に人形を座らせたりして、なにやらとても熱心だ。 ぶつぶつ独り言を言ったり、人形をプイプイと歩かせたり、アプコが豊かなファンタジーの世界にどっぷりと浸かって楽しんでいるのがよくわかる。 その熱心な表情は、あまりに大真面目で笑えるのだけれど、でも、ちょっとでも誰かが声をかけたりしたら、アプコは照れ隠しにざざっと夢のおうちをつぶしてしまうかもしれない。 そんなアプコの様子を、母と同じ視線で「可愛いな。」と思えるアユコ。 アプコのファンタジーを邪魔しないように、「おかあさん、おかあさん」とそっと私に知らせてくれる、そんなアユコのお姉さんぶりもまた可愛い。
一人で見つけてきた古い板をギーコギーコとのこぎりで切ることに熱中しているゲン。 寝食を忘れて文庫本の推理小説を熱心に読みふけるオニイ。 木の葉の間から零れ落ちる朝日をうっとりと手を伸ばしてつかもうとするアユコ。 そして、少年のような素直さでただただ土を練ることの熱中する父さん。 人にはそれぞれ、声をかけずにそっと放っておいて欲しい至福の瞬間がある。 「しーっ、びっくりさせちゃだめ。」 と誰かのその「瞬間」をそっと見守るやさしい視線。 そういう穏やかな時間を愛する気持ちが、家族の中に確かに育っているということが、ほのかに嬉しい。
アプコ連日、プール三昧。 神社のところに「若宮プール」という小さなプールがあり、村の人たちの好意で夏の前半毎日、低学年の子や幼児を対象に無料で開放されている。 プール当番は、低学年の子の親たちが交代で務める。 数日に一回、きちんと水を抜いてお掃除もしてくださるので、水もきれいで気持ちがいい。 我が家の子どもたちも、小さい頃、このプールをフルに活用させていただいた。 軽自動車に海パン水着着用の子どもらと浮き輪を詰め込み、ぶんぶん飛ばしてプールへ運ぶ。後は灼熱のプールサイドで子どもらの歓声を聞き、ひたすら時間をつぶす。意地のように皆勤にこのプールへ通う夏の日課もはや10年。 母もよくがんばった。
このプールに入るのは、もううちの家ではアプコ一人になった。 幼稚園友達のKちゃんと一緒に、毎日楽しげに水遊びを楽しむ。 浮き輪でぷかぷか浮いて見たり、バタ足で派手な水しぶきを上げてみたり。 ちょうど友達との水遊びが一番楽しい年頃。 母は、Kちゃん母とプールサイドの小さな木陰を見つけてプール番。 Kちゃん母も上のお姉ちゃんたちからかなり年数を空けてKちゃんを産んだので、幼稚園児の母としてはちょっと歳食い。 ごつい体格でガハハと笑う豪快で楽しいおばちゃんだ。 今年のプール番は、Kちゃん母との楽しい井戸端会議のおまけつきになった。
ここのプールでは、30分に一度、子どもたちを全員プールサイドに上げて、10分間の休憩時間をとる。 当番のおばちゃんがピリピリピリと笛を吹くと、楽しく遊んでいる子どもたちはしぶしぶあがってきてプールサイドで甲羅干しをする。 うちの子達は小さい頃、この短い休憩時間を「ワニさんタイム」と呼んだ。 「休憩時間にはちゃんと水からあがっていないと、水の中からワニさんがやってきて食べられちゃうぞ」 そういって、水から離れがたい幼い子たちをプールサイドに上げる。 少し大きくなって、「ワニなんか居るもんか」と理解するようになっても、ピリピリ笛が鳴ると、「ワニがくるぞ!」と今度は弟妹たちを水からあげる。 「若宮プールのワニ」は、近くの山の「大男の洞窟」と共に、我が家の子どもたちの幼い日の楽しいファンタジーとして、語り継がれている。
楽しい水遊びを中断して、灼熱のプールサイドで時間をつぶす10分間の休憩時間は、ほかの子どもたちにとってもじりじりとじれったい待ち時間。 特に小学生の子どもたちはついついプールサイドまで上がらずに、プールのふちに足をかけて、足先を水に浸して、次の笛の音を待つ。 「ちゃんと水からあがりなさいよ」 当番のお母さんたちが、注意して回っても、ついついピチャピチャと水しぶきを上げてみたり、プールのふちのもう一つ下の段に腰掛けてひざまで水に浸したり・・・。微妙なルール違反を楽しむ。 当番の方も、毎日人が変わるので、少しくらいのルール違反ならお目こぼしする人も居れば、ちょっと水面に触れただけでも「こら!ちゃんとあがらないとプールに入れないよ!」と厳しく注意する人も居る。 子どもたちもその辺の事情をよく知っていて、当番のおばちゃんの顔を見ながらちびりちびりと休憩時間のルールをごまかす。 浮き輪を人のいない水面にわざと投げて取りに行く振りをして水に入ったり、友達とふざけあって水に落ちたふうを装ったり。 当番のおばちゃんが「今日は甘い」と察すると、どんどんルール違反がエスカレートしていく。 「ちゃんと、あがらなきゃだめよねぇ。」 幼稚園児や保護者同伴の幼児のほうが、生真面目にルールを守って小学生たちのふざけっこを怪訝そうに見ている。 「ほんとにねぇ、だめだねぇ。」 といいつつ、当番でもないのであえて声はかけずに放って置く。
「なんか、ああいうのはイライラするよね。」 とKちゃん母。 別に格別危険だとか、犯罪だとか言うわけでもない。 ごくごく些細なかわいらしいルール違反。 当番の人も、さほど目くじらを立てることもないかと思う人も多いようで、特に注意しないでいると、子どもたちは少しずつボーダーラインを緩めていく。 そのだらだら崩れて行く感じが、実は私もあまり好きではない。 「ああいう微妙なルール違反をする子って言うのは、大概決まっているよね。 きちんとルールを守らないと落ち着かない子っていうのは、もうこの年頃から絶対、ああいうルール違反はしないしね。」 お互い、生真面目系の子どもたちを育てているKちゃん母と妙に意気投合。 「うちの子だったら、『ゴン、ゴン、ゴン』ってゲンコツ落として『馬鹿もん!』だけどね。」 と笑う。
携帯電話片手に運転するヤツとか、自分のゴミをヒョイとポイ捨てするヤツとか、微妙なルール違反をあんまり悪気もなくやってる大人って、こんなふうなところから育っていくのかもしれないなぁ。 自分のやってることが、それほど誰かの迷惑になってる感じもしない。 「自分だけはいいじゃん。」とか、「誰も叱らないから、このぐらいはいいよね。」とか、自分で微妙にルールを緩めて涼しい顔をしている。 そういうのって、本人にとっては結構「生き易い」のかなぁと思ったりもするが、たとえば我が子がそういう種類の大人に育っていくのはちょっと嫌だなとも思う。 「決して赤信号は渡らない」というオニイは、潔癖すぎて疲れるだろうが、 小さなルール違反でもやってみるとチクリと胸が痛む、そういう生真面目さはうしなわない大人になって欲しいと私は思う。
だからといって、見知らぬよその子にゲンコツを食わせたり、「うるさいおばちゃん」ぶって注意してやろうともあまり思わない。 面と向かって叱るほどの事もない、ごくごく些細なルール違反。 そのへんの微妙な善悪の基準感覚は、何よりも家庭で、日常生活の些細な瞬間に、少しずつはぐくみ育てるものだ。 よそのおばちゃんが目くじら立てて叱ってやるほどのことでもない。
・・・・とは言いつつ、私は子どものそういう小ずるさを見るとイライラする。 Kちゃん母も同じような基準点を持っているようだ。 そのことを知っただけで、今日のところはよしとする。
暑い。 うるさい。 片付かない。 夏休み、三重苦。
一日四回、冷茶用のお湯を沸かす。 流しで水につけてあら熱を取り、冷茶ポットやペットボトルに移して冷蔵庫で冷やす。 夏休みともなると、冷茶の需要は普段の倍以上に膨れ上がる。 事あるごとに冷蔵庫をパタパタ開けて飲み干していくほかに、どこかへ出かけるたびにもっていく水筒用のお茶の需要がバカにならない。 プールや剣道の稽古ともなると、大型の保冷ボトルにがんがんお茶を入れていくので、沸かしても沸かしてもすぐになくなる。 そのくせちょっと冷蔵庫のお茶が切れたり冷えが悪かったりすると、「えーっ、冷たいお茶ないの?」と不平たらたら。 たまには自分で沸かしてみろ。 おまけに流しのふちには、使い終わったガラスコップがずらりと行列。 自分の使ったコップぐらい、ささっとすすいで伏せておいたらどうだ。 説教しているすぐ脇から、「お茶、入れてください」と手を出すアプコ。 今さっき、飲んだばっかりじゃないの。 子どもたちはそれぞれに、部活だ、サマーinだ、友達とプールだと出たり入ったり。 それぞれの日程にあわせて送迎したり、早昼ごはんを用意したり、父さんとの日程調整をしたり・・・。 家に残る子どもたちはのべつ幕なしにおやつを食べたり、クーラーの部屋でごろごろしたり・・・。 毎日の予定がフル回転で、この暑さだ。 家に居るときぐらい、ぐだぐだしていたいのもよくわかる。 しかし子どもたちはそれぞれ大きくなった。 たった一部屋、クーラーを効かせた居間に集まり、一緒にぐだぐだされると非常にかさが高い。 ついでに食べたアイスのカップやジュースのボトルは置きっぱなし。 宿題のプリントもアプコの落書き帳もレゴの部品もカブトムシゼリーも、 脱いだ靴下も空の水筒も図書館の本も汚れたタオルケットも、 ごちゃごちゃと渾然一体となったこの魔宮のような空間はいったい何?
「さあ、片付けタイム!」 時々、号令をかける。 ぐだぐだ寝そべっている奴をたたき起こし、PCのゲームも「強制」終了。 「ほりゃ、プールの洗濯物、そのまんまの人は誰?」「アプコ!」 「ブロック散らかしてるのは誰?」「ごめん、僕!」 「牛乳飲んだコップ、置きっぱなしは誰?」「ゲン!」 「このアイスの包み紙、捨ててないのは誰?」「多分アユコ!」 ばたばたと片付けモードに入る私の剣幕に押されて、子どもたちが動き出す。 「濡れタオル、カーペットの上に置いといたのはだれよ!」 「僕じゃないよ。」 「あたしも違う。」 「アプコじゃない?」 ムカッ! 誰だっていいよ、さっさと片付けな! ・・・・そこではたと気づいた。 自分で散らかしたものはいやいや片付けているけれど、 ほかの誰かが散らかしたものは自分が片付けたら損とでも思っているな、コイツら。
確かに、「これ、片付けて」という言葉の代わりに、いちいち「これ、誰の?」と怒鳴るのが口癖になっている私にも責任はある。 「これ、誰の?」 (出した人が片付けてよ) 「僕のと違うよ。」 (だから僕には片付ける義務は無いよ) こういう暗黙の会話が、常態となっている我が家。 「なんか違う」と気がついた。 散らかしたのが誰であろうと、そこにあるゴミは近くに居る誰かが捨ててくれればそれでいいんだ。 散らかした犯人探しをしたいのでもなければ、散らかした本人に自己責任で片付けさせたいわけでもない。 とりあえず、このブタ箱のような居間を片付けて、テーブルをきれいに拭いて、冷房効かせて、晩ご飯を食べたいだけなんだ。
「自分で散らかしたものは、自分で片付ける。」 これ、基本。 でも、「自分で散らかしたものしか、片付けない」では、大家族の日常は回らない。 結局犯人のわからないゴミは、母がブーブーいいながら片付ける羽目になる。 それって、とっても嫌なんだ。 さっさと自分の守備範囲を決めて、その枠内だけをさっさと掃除して「オレの分の仕事は終わったし・・・」と涼しい顔して、どこかへ言っちゃうヤツがいる。 そういうのってとってもヤな感じ。 でも、そういう気分が、夏休みの我が家のうだうだ生活にぎしぎしと忍び込んできている感じがする。
そのことに気がついて、ちょっと号令のかけ方を変えてみた。 「このタオル、誰が片付けてくれるの?」 「汚れたお皿、もって行ってくれるのは誰?」 「掃除機、誰がかけてくれる?」 誰が散らかしたものでもいい。 家族の共有のスペースで、みんなが気持ちよくくつろぐために、ちょっとした労力を貸してもいいというのは、誰? そんな気持ちを込めて、誰にとも方向を定めずに号令をかける。 本来、家庭の中での些細な用事は、 「○○が散らかしたから、○○が片付ける」 「△△の仕事だから、△△がやる」ではなくて、 「気がついた人がやる」 「手が空いている人がやる」 「みんなのために僕がやる」でいいのではないか。
今のところ、生真面目なオニイだけが、母の号令の変化の意味に気がついた。 「それ、僕がやっとくわ。」 しょうがないなぁと言いながら、アプコの散らかしたゴミを拾い、ゲンのカードゲームをまとめて箱に入れる。 「それ、アプコのおもちゃだけど、アユコ、ちょっとお前が片付けてやって。」 そういう、物言いをするようになった。 いいヤツだなと思う。 近頃、オニイはちょっとした家事やこまごました用事をチョコチョコとよく手伝ってくれるようになった。 母の意図するところを、さりげなく酌んでくれるようになってきたオニイ。 常に気配りの人である父さんに似てきたのかな。 有難い。
小学校のはと笛講座二日目。 講座の内容は昨日と同じ。受講する子どもは、昨日より少なくて12人。 おまけに、昨日からの校長先生のほかに、二人も先生方が参加してくださった。 最初の説明も、少人数だとぐっと集中して聞いてくれるし、父さんのほうも2回目となると教え方のツボやお話のポイントがつかめてきて、なかなかいい感じ。 昨日は時間内成功率が3割程度で、残りはお持ち帰りの内職仕事で何とか音が出るように修正したのだが、その作業のなかである程度コツもつかめたので、もう少し成功率が上がるような気がした。
ところで、今日の受講者の中に、私にはちょっと気にかかっている子がいた。 Pくん。 以前のアユコのメール事件で首謀者格だった男の子だ。 「近頃はPくんは、ずいぶん大人しくなったみたい。」とアユコからは聞いていたけれど、あの事件以来私は彼とちゃんと顔を合わす機会も持てぬまま、なんとなくすごしていた。 そのPくんの名前を参加者名簿の中に見つけたとき、正直なところ、私の心には微妙な引っ掛かりがあった。 事件は解決し、P君たちは親や先生たちからきつく叱られた。 たくさんの大人たちに囲まれて、「ごめんなさい」と謝る子どもたちの中で一人、P君だけが最後まで涙を見せることなく、暗い目をして大人たちを見返していたように私には思われた。 P君にとっても、あの時、我が子を守りたい一心で鬼のような形相でまくし立てたおばちゃんと再び顔を合わすのは、いくらか引っかかるところはあったに違いない。 講義が始まる前ほかの4,5人の男の子たちと一緒に教室に現れたPくん、普通に挨拶は交わしたものの、やはりちょっとやり切れないふうに、視線をはずした気がした。
早速、土を配り、作業開始。 ・新しい土を大まかな玉にして、そこから鳥の形をひねり出す。 ・形ができたら、胴体部分を切り糸ですっぱりとたてに切断し、中を中空にくりぬく。 ・傘の骨や竹べらで作った特製の道具を使って歌口(音を出すための切り込み部分)を作る。 ・何度も吹いてみながら、音が出るまで微妙な調整をする。 ・音が出たら、切断していた前後の部分をドベ(泥状の粘土)で接着。表面に装飾をつける。 中でも難しいのが、歌口部分の製作と微調整。 最初の説明どおりのツボをしっかり押さえて作ることができると、ずいぶん音は出しやすくなるのだが、相手は柔らかな粘土。 言われたとおりにやっているつもりでも、微妙に距離や方向が狂ったり、作業中に形が変わってしまったりして、大人でもなかなか音を出すのが難しい。かと思うと、運がいいのか手先が器用なのか、一発で決めて早々にほーといい音が出せてしまう子もいたりして、なかなか面白い。 一人二人と音が出せるようになると、ほかの子たちもぐっと自分の作業に熱中していき、教室の中に気持ちのいい緊張感が生まれる瞬間が生まれた。
同じグループの子が一人二人と音出しに成功し始めた。 「おばちゃん」「おばちゃん」と、しきりにSOSを出す子が増えてきても、Pくんは一人黙々と自分のはと笛を削っている。 ふと彼の手元を見ると、彼のはと笛はあんまり熱心にくりぬきすぎて、厚さがどんどん薄くなり、ほとんど崩壊寸前の危うさだった。 「Pくん、ちょっと待って。そこでストップ!救急車呼ぶよ。」 私はあわてて、父さんを呼んだ。 父さんはすぐに飛んできて、P君のはと笛に新しい土を足し、もろくなったところを補強してくれた。自分でも、「まずいな」と思いつつ、SOSを出しかねて弱っていたんだな。 ほっとした表情で再び歌口の部分を熱心に削りはじめたP君。 気がつくと、彼の口から小さな鼻歌が漏れていた。
しばらくして、悪戦苦闘していたPくんのはと笛が突然、ほーっと鳴った。 「わ!鳴った!」 びっくりした様子のP君の声。 「わ、すごい!Pくん、手伝いなしで自力で鳴らせたねぇ!」 その瞬間のP君の晴れやかな笑顔。 「可愛いな」と思った。 たくさんたくさん褒めてやりたくて、何度も何度も鳴らしてもらった。
あの事件の時、暗い目をして大人たちをにらみつけていたPくんに、鬱々とした不気味なものを感じていた私。 その同じP君のなかに、こんなに晴れやかな笑顔が存在していたことに私ははじめて気がついた。 子どもというのは確かにすごい。 大人よりもはるかに豊かな内面を持っていて、本当に思いがけないタイミングでその隠された一面を惜しげもなく披露して、おろかな大人を驚かせる。 ちょうど苦心して調整していたはと笛が、何かの拍子に突然ほーっと鳴って、作っている本人がわっとびっくりしてしまうような、とても鮮やかな変化の一瞬。 面白いなぁと思う。 大人の憶測や思い込みを、バンと裏切って成長していく子どもらの膨大な変化のエネルギー。 こんな瞬間に時々思いがけなく立ち合わせてもらえるからこそ、子育てというのは本当に有難いと心から思う。
それからもう一つ。 私とP君の間になんとなくわだかまっていた過去の感情。 面と向かって蒸し返したりはしないけれど、なんとなく引っかかっていた小さな感情の棘を、はと笛のほーという素朴な音が一瞬にして溶かしてしまった。 熱心に土をこねる子どもたちの手。 何度も首をかしげ、試行錯誤の調整を重ねる作業の繰り返し。 もしかしたら、「ものをつくる」という行為そのもののなかに、感情を浄化し、心と心をつなぐ不思議な作用が秘められていたのではないだろうか。 少なくとも私にとっては、P君のはと笛の穏やかな第一声は、高らかな「開けゴマ!」であった。 もしかしたら、P君にとっても新しい扉を開く「開けゴマ!」であったかも知れない。 ぎゅっと唇を引き結び、首をかしげ、舌打ちをし、わっと驚きの声が漏れる。ものづくりに集中して一心に取り組むとき、小さな感情やわだかまりを忘れ、ふっと心のチャンネルが変わる瞬間が確かにある。 子どもたちと共に「ものづくり」を学ぶということは、そういう瞬間の驚きを誰かと共有するということだ。 これもまた有難いと思う。
今日は、時間内に12人全員のはと笛を鳴らすことができた。 数日の乾燥の後、学校に備え付けの小さなガス窯で素焼きをする。 思い思いの形、それぞれ違った音色を持つ子どもたちのはと笛。 出来上がりがとてもとても楽しみである。
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