月の輪通信 日々の想い
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2004年07月21日(水) お泊り

夏休み第一日目。
午前中小学校での陶芸の講座で、駆けずり回る。
今年の題材は、「はと笛を作ろう」
昨年の「土鈴を作ろう」より格段に難しいので、5、6年生対象で人数も少なめに抑えてもらった。
それでも、吹き口部分をうまく調整してこしらえるのはとても難しくて、結果的に時間内にポーとなったのは約3割。
残りは、工房へ持ち帰って父さんの内職作業となった。
嗚呼!

続いて、夕方から、アプコお泊り保育。
アプコの通う園では毎年、年長子どもたちが夏休みの最初に、園でお泊りを経験させてもらう。
夕方5時前に園に送り届け、夕食のカレーを食べさせてもらい、園庭でキャンプファイヤーや花火をして、保育室で雑魚寝。
翌朝には朝食をいただいて、8時にはお迎え。
ビジネスホテルの「朝食つき」並みのスケジュール。
とはいえ、家族と離れて、友達や先生たちとお泊りするのははじめてという子が大多数。

我が家の甘えん坊ももちろんお泊りは初めて。
「花火、するんだって!」「ひまわり組のお部屋で寝るんだよ。」とずいぶん前から楽しみにしていた。
新しいパジャマを買い、ベビー布団におニューのカバーをかけ、イチゴ味の子ども歯磨きを用意する。
兄弟のなかでは少し年の離れた末っ子として甘えん坊で過ごして居るアプコ。「大丈夫かなぁ・・・」と、同じようにお泊り保育を経験してきた兄弟たちが、首をかしげる。父さん母さんのほかに、アプコには心配性の乳母さんたちが3人も居る。
「いいよな、アプコはお泊りができて・・・。」
というのはオニイ。
彼が年長の時には、ちょうどO-157が発生したばかりの時期で、お泊り保育は急遽中止になり、唯一園でのお泊りを経験していない。中二にもなって、何を今頃・・・とも思うが、ほかの兄弟たちが普通に通過してきた行事をちゃんと経験できなかったという口惜しさはやはり後まで残るのか・・・。

「今頃、キャンプファイヤー、してるかな。」
「そろそろ花火の時間かな。」
たった数時間の不在なのに、オニイ、オネエはすでににぎやかなアプコの声が聞こえないのが物足りないようす。
確かにちびっ子アプコが一人抜けただけで、夕食の席はちょっと静かな大人の食卓。「お茶、入れてください!」「おしょうゆ取ってください!」と何かと人の手を借りようとする甘えん坊を、普段うるさいなぁと思いつつ、やはり小さいアプコなしでは、なんだかさびしい。
「ちゃんとおしっこしてから寝たかなぁ。」
と気にしつつ、いつもより少し広々した雑魚寝の寝床に子どもたちは
あがっていった。

・・・と、思ったら10時過ぎになって、園から電話。
「あのー、アプコちゃん、少しお熱があって・・・。」
ありゃりゃ、アプコ、お持ち帰りだ。
化粧を落とした顔のまま、車で園まで迎えに行く。
お布団も歯ブラシも早々に引き取って、かえって来た。
「ま、いいですね、カレーも食べたし、ファイヤーも花火も見せてもらったし、おいしいところは全部おさえたから、さっさと連れて帰りますワ」
というと、担任の先生と園長先生がアハハと笑っておられた。
冷却シートをおでこに張ってもらってしょぼんとしていたアプコも、車に乗り込むなり恐ろしい勢いでしゃべりはじめた。
お友達とやったゲームのこと、着ぐるみのドラえもんや先生が扮装したハリーポッターのこと、カレーがあまり辛くなかったこと。
さぞかし、楽しくて楽しくて、楽し過ぎて興奮して熱が上がってしまったものだろう。

帰宅すると、もう寝ていたはずのアユコが下りてきた。
「アプコ、おいで、一緒に寝よ。」
お泊り中途退場で、アプコがへこんでいるかもと思いやってくれたらしい。
ちっともへこんでいないアプコは嬉々として寝間へあがる。
アプコの自立の日は、まだ遠いのかもしれない。
お姉ちゃんお兄ちゃんたちに、小さい愛玩動物のようにかわいがられる甘えん坊のアプコが、まだまだ我が家には必要でもある。
寝苦しさに転々と寝返りを繰り返して、ごちゃごちゃともつれ合って雑魚寝する子どもたちのいとおしさ。
もうちょっとこのままがいいなぁと、笑ってしまった。


2004年07月20日(火) 子どもの足元の石を拾う

終業式。
40数日の夏休み突入。
家の中にごろごろと4人の子供たち。
部活に出て行く者、学校のプールへ跳んで行く者、友達との遊びの約束をしてくるもの。
家族6人分の日程を書き込んだ大判のスケジュール表に従い、
母は、子供たちをあちらへ送り出し、こちらへ連れて行く「配送」の日々。
冷蔵庫の冷茶の補給と、「また、焼そば?」といわれつつマンネリ昼ごはんの調理。
ああ、恐怖の夏休み。

夕飯時、広報の委員さんの一人から電話があった。
夏休み中の取材のことかと思って出てみると、明日から始まる「サマーin」のことで聞きたいことがあるという。
子供たちの通う小学校では、夏休みの最初の数日間、先生方が子どもたちのために選択制の「夏期講習」のようなプログラムを用意してくださる。3年生以上の子どもたちを対象に、午前中の数時間、水泳や鉄棒、お料理、工作、パソコンなど楽しい講座が20種類近く準備された。
子どもたちは用意された時間割を見て、自分の希望する講座を申し込み、講座のある日に登校してくる。
長い夏休みのしょっぱな、たとえ一時間でも子どもたちが学校へ言ってくれるのは誠に有難い。日ごろの授業では経験できない楽しい経験をさせてもらえると、お母さんたちの間では大好評である。

ところが、この講座、自由選択性なので自分ちの子どもが申し込んだ講座のスケジュールがわかりにくい。同じ内容の講座が数日に分かれて行われていることもあって、「何日のどの講座」に申し込んだのか、子ども当人が忘れてしまったり、わからなくなったりすることがあるようだ。
「うちの子、明日どの講座を申し込んでいるのかわからなくて・・・。
役員さんなら参加者のリストをお持ちかと思って・・・。」
電話の内容は、そういう問い合わせだった。
確かに先日の広報委員会で、この「サマーin」の取材スケジュールを決めたので、講座の内容や日程についてはいくらか説明もしたけれど、あくまで学校主体の行事なので、参加者リストまではこちらももらっていない。
「ごめんなさいねぇ、私にはわからないわ。
職員室の入り口に参加者の名簿が張り出してあったようにも思うけど、この時間じゃ、学校には誰も居ないわねぇ。」

「どうしたらいいんでしょ?」
困り果てる委員さん。
明日申し込んでる可能性のある講座は3種類。
「とりあえず、3つとも用意していって、学校へ行ってから調べてみればいいんじゃないの?」
「でも、それじゃ、体育の用意と絵の具道具、調理実習の準備、全部持っていくことになります。それじゃ荷物が多過ぎてかわいそう・・・」
「はぁ、そうですねぇ。」
・・・この辺で、ううっときた。
うちの子だったら、体操服に赤白帽かぶせて、右手に絵の具道具、左手に調理のエプロン持たせて、「自分で調べてこい!」と送り出してしまうところだろう。
「じゃ、用意していない講座はキャンセルするとか、お母さんがお荷物もって送ってあげるとか、それしかないですねぇ。」
「困りました」
「はぁ、困りましたねぇ。」

子育てをするとき、
「あとで子どもが苦労しないように」とか、「○○をしておいてあげないと可哀想」とかという言い方をする人がいる。
私はあれが苦手だ。
大学受験で苦労させるのは可哀想だから小さいうちに私学を受験させてあげるとか、学校に入学して授業についていけないと可哀想だから幼いうちから文字を教えておくとか。
子どもの将来の苦労をなくすために、前もって親が子どもの前の障害物を取り払って平坦な道を準備しておいてやる。
それが親としての最大の務めであるかのように語る人が居る。
ごめんなさい、私はその種の「務め」についていけない。

目の前に障害物があるなら、子どもは自分の力でそれを乗り越える方法を考えればいい。親はそのそばではらはらしながら見ていてやるだけだ。
本当に親がしてやらなければならないことは、あらかじめ石ころを取り除いたきれいな道を用意してやることではなく、「石ころ、踏んだら痛かったね、どうやったらうまく歩けるか考えてみ。」と笑って見ていてやることだ。
そしてさらに意地悪母としては、「さあ、悔しかったら超えてみろ。」と余分の小石を撒いてやるかもしれない。
それでも子どもらは何とかかんとか自分の力で障害物を越えていく。
越えていける力と知恵を育ててやることこそが、親の務めと私は考える。

「うっかりして明日の講座のスケジュールを忘れてしまった。どうしよう。」
子どもがピンチに陥ったとき、親がしてやれることは何だろう。
何とかして、誰かから我が子のスケジュールを教えてもらって、適切な準備を持たせて送り出してやる。それも大事。
でも、「あなたの不注意で困ったことになったね。どうする?」と問いかけ、「しょうがないね、3つとも持って行って、自分で何とかしなさい」と突き放してやることも、時には必要。
子どもは「大事なスケジュールはきちんと管理しなくては。」という反省と共に、同じようなトラブルに陥ったときの対処方法のヒントを一つ身に着ける。

「いじめにあった。どうしよう」
親が相手の親のところに怒鳴り込んで、相手のいじめをやめさせることも時には必要。
けれども、どうしようもなく嫌なヤツがいる。顔も見たくない。
そんなときには、どんな風に嫌な気持ちを吐き出せばいいか、どんな風に抗議すればいいか、どんな風に戦えばいいか。
その対処方法を自分で学んでいくことは、こどもにとってはもっと大事。
次に同じようなつらい目にあったとき、「ようし、なにくそ!」とこぶしを固める力になる。
子どもには、平坦な道を用意しておいてやることより、石ころにぶつかったときの避け方の知恵をたくさん学ばせておいてやることが大事なのだと思う。

「子ども自身に解決させなさいよ。」と、説教モードになりそうなのをぐっと抑えて、電話に応える。
その家その家の子育ての方針というものもあるだろう。
相手は広報の仕事をまじめにこつこつとがんばってくれた委員さんだ。
広報の仕事以外のことで、私に問い合わせの電話を下さるということは、
委員長としての私の仕事振りを評価してくださって、頼りにしてくれているのだろうと、都合よく解釈する。
「明日のことは私にはどうにもしてあげられないわ。
あさって以降の講座のスケジュールは、ちょうど私も学校へ行くからメモしてきて教えてあげるわね。」
余計なおせっかいだなと思いつつ、相手の期待に少しはこたえて、電話を切る。
なんとなく、よそんちの過保護に加担したようで、後味が悪い。
「はいはい、あんたたちも自分のスケジュールはちゃんとメモしておきなさいよ。
大事な用事を忘れても、母は家族みんなの予定は把握できないよ。」
代わりに、我が家の子どもたちに自立の精神を説いて、憂さを晴らす。
ああ、夏休み。
母は忙しいのである。


2004年07月18日(日) ガラガラヘビがやって来た?!

ゲンの同志(導師?)でもあるお向かいのMさんが、大ニュースを教えてくれた。
我が家の裏を流れている尺治川の堰堤付近で、ガラガラヘビを見たという。
犬の散歩の途中、見かけたというそのヘビは、よくいるシマヘビや青大将とは明らかに違って鎌首を持ち上げ、膨らんだ尻尾が威嚇のためにガラガラとなっていたというのである。
その堰堤は我が家からほんの数十メートルのところにあり、ゲンの虫取りポイントのすぐ近くでもある。
ほんとだったら怖いなと思いつつ、なんだかちょっと可笑しい。
さすが、Mさん。
持ち込んでくるニュースがいかにも突飛で、「ホントかな?」と思いつつ、ご本人は大真面目。まんざら「うそでしょ?」とも思えない。

里山の管理人を自認するMさん、さっそく役所やらご近所さんやらにガラガラヘビ出没情報を触れ回る。
近所の市議さんもやってきて、警告の看板を作ろうか、ロープを張って付近を立ち入り禁止にしようかと相談。
季節柄、このあたりの川にはハイカーや水遊びの家族連れがたくさんやってくる。
もとよりマムシやムカデの危険もあり、地元の人ならそれなりの装備で入り込むような水辺の草むらにも、ハイカーは短いズボンやビーチサンダルの軽装でジャブジャブと踏み込んでいく。
先週は、現場のすぐ近くで、YMCAだかボーイスカウトだかの団体が小さい子らを引き連れて川伝いに上流へ行列していた。
夏場のヘビは、草むらの地面ではなく、川沿いに覆いかぶさったような草のかげなどによくいるのだそうだ。
だから夏場の田んぼのあぜを歩く農家の人は、必ずゴム長靴をはいて、水辺の草には近寄らない。
地の人の危険情報、安全意識は、確実で適切だ。逆らわないに越したことはない。
外からやってきて、にわかアウトドアを楽しむ人たちの危機感の無さは、お話にならない。
以前から気になっていたのだけれど、アウトドアのスペシャリストに違いない○○○スカウトの人たちが山へ入るときの制服は、なぜわざわざ半袖、半ズボンなのだろう。
彼らの自然愛好の精神はどこか信用がならないと、常々感じている。

・・・で、ガラガラヘビに話は戻る。
ほんとにガラガラヘビなんだろうか。
だとしたら、誰かが飼えなくなったペットでも捨てに来たのだろうか。
今日、来た市議さんの話では、最近、市内で大きな「かみつき亀」も捕獲されたのだという。これも在来種ではないので、誰かがペットを捨てたものだろう。
つがいで放されたものでなければ、そのうち一代限りで絶えてくれればよいものだけれど、それにしても迷惑な話である。
どこからか危険動物をわざわざ買ってきて、飼えなくなったら山に捨てる。
誰かの身勝手が、地元の人間にも当の動物にとっても大迷惑。

とはいえ、話はガラガラヘビ。
「ホントだったら怖いね。」といいつつも、「うそでしょ、まさか・・・」のにおいがいつまでも抜けなくて、大真面目に心配しながらも後でくすっと笑ってしまいそうになる。
「ワシ、犬を2匹もつれとったから、どないもでけへんかったけど、あれは絶対ガラガラヘビや。
とぐろまいとる尻尾がガラガラいうとったしな。」
つばを飛ばし、熱心に語るMさんの表情は真剣で、決してうそとは思えない。
実際Mさんは地元の山のことには詳しくて、これまでにも行き倒れの人だの小さな土砂崩れの箇所だの、近所で起こる小さな事件をいくつも見つけては通報しておられる。
それだけに「またMさん話ね。」と笑ってしまいながらも、どこかで一目置かれている。こういう人の情報って、結構貴重だなと思う。
とりあえず、虫取りに夢中のゲンには、危険な場所に近寄らないようによく言っておかなければ・・・。
Mさんを虫取りの師匠と仰ぐゲンのことだ。
きっと注意して、行動するだろう。

ところで、Mさんのような地の人の話やお年寄りの話を聞いていて、よく感じること。
・主語が無い。
・昨日のことと十年前のことの区別が無い。
・自分自身が見たことと人から伝え聞いたこととの区別が無い。
だから、はいはいと相槌を打ちながらも、どこかで首を傾げたり、ふんふんと聞き流したりしてしまうことも多い。
その辺のところは、幼い子供たちの語る「大ニュース」に近いものがある。
だからこそ、「ガラガラヘビ」なんていう突飛な話題が出てくると「怖いな」と思いつつ、なんか楽しくなっちゃったりするのだけれど・・・。
地に足を着け、毎日自然を身近な物として感じている人たちの実感というのは、どこかファンタジーに満ちているようで、しかもリアルな現実でもある。
「大地の力」とでもいう様なゆるぎない現実感に、かすかに混じるユーモアのにおい。
そのことの可笑しみが、何とはなしに嬉しくて、
私はガラガラヘビ話にちょっと夢中である。
もしかして、絶対危険じゃなかったら、近所の河原でとぐろをまく、本物のガラガラヘビの「ガラガラ」と鳴る威嚇の姿を、間近にこの目で見てみたいと本気で思ってみたりする。
私もすっかり「地元のおばちゃん」になっちまったもんである。


2004年07月17日(土) つぼみほころぶ

アユコ、12歳の誕生日。
お誕生パーティーは、明後日、友達を呼んで「焼きそばパーティー」をやるというので、今日はうちで、アユコの好きなメニューの夕ご飯で祝うことにする。
「どんなご馳走しようか?」と聞いてみても、「オムライス。」
それも自分で作りたいという。
なんとまぁ、欲のないお誕生日。

一年生のころ、生卵をぽっかり割ることからはじめたアユコのお料理修行。
毎年夏休みの自由課題にはお料理を選んで、もうずいぶんとレパートリーも増えた。
朝ごはんの出し巻き卵は、フライ返しを使わずにお菜箸だけできれいな卵焼が焼けるし、付け合せのキャベツは几帳面な性格そのままに見事にそろった千切りができる。
仮に私が「しばらく実家に帰らせていただきます。」といっても、多分アユコがいれば一週間やそこらは食いつなぐことができるだろう。

アユコの大好きな「オムライス」
チキンライスも薄焼き卵も上手に作れるけれど、ご飯に卵をきれいにかけるのがとても難しくて、これまで何度も挫折したり、半べそをかいたりしてきたメニュー。
半熟の薄焼き卵の上にチキンライスを盛り、その上からお皿を伏せてフライパンごとくるりと裏返す。アユコの細腕には、鉄製の大きなフライパンは重しぎるし、逆手で持ったフライパンを「せーの!」とひっくり返すのにはチョットした気合がいる。
何度も何度も小さな火傷をこしらえて、最近になってようやく上手にフライパンが返せるようになった。
コンロの熱で蒸し暑い台所で、アユコと二人で6人前のオムライスを作る。いつの間にか二人の間に、卵を割ったり、お皿を用意したりする細かな分業が出来上がって、次々と手際よくオムライスが出来上がる。
もう、母が娘に手順を教えるのではなくて、それぞれが補い合って分業する共同作業の形になってきているのだなぁ。
「さあ、出来上がり!あっつい間にたべようよ。」
得意げに笑うアユコの表情は確かにぐっとお姉さんになった。

そういえば今年、アユコは久しぶりに浴衣を着た。
幼稚園の夏祭り以来だから、すでに5,6年ぶりか。
春に実家へ行ったときに、私が中学生くらいで着ていた紺地の浴衣と黄色い結び帯を持ち帰っていたのだが、それがちょうどジャストサイズになっていたようだ。
ふわふわのナイロンの兵児帯のアプコと違って、ワンタッチの結び帯とはいえ、大人とおんなじ半幅帯を締めると急に大人びて見えるアユコ。
赤い鼻緒の塗り下駄を履いて、浴衣のすそを気にしながらはにかむ仕草は、少女から若いお嬢さんの年齢に差し掛かりつつある初々しい表情。
かわいいなぁと思う。
娘の浴衣姿に嬉しくなってしまった父さんは、忙しい仕事の合間を縫ってアユコを祇園祭の宵宵山へつれて出かけた。
「アユコの誕生日は、京都の祇園祭の日。」
小さいときから、京都人であるおばあちゃんに何度も教えられて育ったアユコ。
父に連れられ、着慣れぬ浴衣を着て歩く祇園祭の人波は、どんな印象を残したのだろう。
妙に興奮した顔で電車から降りてくる父と娘を、車で迎えに出る。
なんかいいなぁとほっと嬉しくなる。

花開く前の青くて硬い花のつぼみ。
白い花が咲くのか、赤い花が咲くのか、
その片鱗さえも見えないけれど、
確かにその中に美しい開花の時を秘めている。
娘を育てる嬉しさは、
花を待つ喜びにも似ている。

アユコ
12歳のお誕生日、おめでとう








2004年07月16日(金) 太鼓を打つ

朝から今学期最終のPTA広報委員会。
ようやく出来上がった広報紙も本日無事に各家庭に配布された。
次号の記事内容や取材の分担もあらかた決まって、めでたく夏休みに入れそうだ。
「え!なんで?!」と、委員長のくじを引いてパニックに陥っていた春。
右も左もわからぬままに、とりあえずばたばたと東奔西走しているうちに、なんとなく一つ目の山を越えた。
夏休み中も、まだまだ細かな取材やらなにやらドタバタは続くが、とりあえずは仕上がってきた真新しい広報紙の束を前に感慨無量。

午後、アプコの園バスの迎え。
夕方の来客のために工房の茶室の段取り。
ついでに剣道のための早めの夕食の下準備をして、再び小学校へ舞い戻る。
本日2度目の登校。
久しぶりの和太鼓の稽古。
いそいそわくわくと出かける。

アユコの担任のT先生は、和太鼓の名手。
小学校には立派な5台の和太鼓があり、子ども達は授業でダイナミックな和太鼓の演奏を経験させていただいている。
ずんずんとおなかに響く大音響と、体全体を使って友達とひとつのリズムを刻む楽しさ。
身も心もわーっと軽くなるような爽快な気分に魅せられて、子供たちは和太鼓に夢中になった。
昨年、授業参観で子供たちの演奏を見たお母さんたちから、「私も和太鼓、叩いてみたい!」という熱望が集まって、T先生のご好意でお母さんたちの和太鼓教室が始まった。
月一の不定期の稽古日には、有志のお母さんたちがぱらぱらと放課後の体育館に集まってきて、ガラゴロと台車に乗せた和太鼓を運んでくる。
ご近所への騒音対策のため、窓もカーテンも閉め切った体育館に和太鼓を並べ、「きっと明日は筋肉痛よ」とストレッチから稽古が始まる。
日常では味わえない大音響。
決められたリズムを何度も何度も繰り返し刻む緊張感。
太鼓から太鼓へ、次々に移動しながらリズムを刻む流れ打ち。
日ごろの運動不足や寄る年波に逆らって、たらたらと気持ちのよい汗をかき、太鼓を打つ。
頭の中を空っぽにして、ただただ太鼓の響きに身を任せる爽快感。
本当に楽しかった。
T先生、ありがとう。

4人の子供たちを育てて、
毎日あちこちにばたばたと走り回り、
子ども会の役だのPTAだの、思いもつかないお役目を引き当てて右往左往。
大変なことばかり多いようにも思えるけれど、
おかげさまでたくさんの人と嬉しい出会いをさせていただいた。
たくさんのわくわくするような経験をさせていただいた。
ありがたいなぁと思う。

夜になって、剣道の送り迎えを終えて、バタンキュー。
今日もフル回転の一日だった。
けれども今日の疲れが、格段にさわやかな、心地よい疲労なのはなぜだろう。
存分に遊びつかれて、うとうとと健やかな眠りにつく幼児の気持ち。
懐かしい感覚が、よみがえってきた。


2004年07月05日(月) 発熱

土曜日の夕刻、気合いを入れて、大鍋いっぱいの煮込みハンバーグをこしらえていたら、ひざやふくらはぎが急にだるくなってきた。
「筋肉痛かしらん」とばたばた配膳していたら、ちらと頭痛の気配がした
「いただきます」と席についたら、あんなに空腹だったのになぜか食欲が湧かなかった。
「あかん、おかあさん、しんどいわ。」と横になったら、すでにその時体温計は37、7度。
「わ、熱あるやん!」
そこから、今日(月曜)の明け方まで、体温は38度、39度のラインを維持。
何年かぶりの鬼の撹乱。
死ぬかと思った。

多分、夏風邪か何かなのだと思う。
「自然治癒信仰派」(別名医者嫌い)の私としては、休日診療へ駆け込む根性もなかったので、ひたすら悶々と熱と戦う。
子どもらと父さんが台所でごそごそとおさんどんをしたり、洗濯物を片づけたりする気配をとぎれとぎれに感じつつ、高熱と腰痛に朦朧と漂うばかり。
熱の合間に気になるのは、翌日のPTAの広報紙の印刷所への原稿持ち込みの予定。
展示会の搬入前で目が回るほど忙しいはずの父さんの仕事のこと。
「丸一日も熱、出してる場合じゃないんだよ!」と自分に喝をいれるエネルギーすらなく、頼りなく布団の上を転々とする母に、子ども達は優しかった。

冷たい飲み物を用意してくれ、氷嚢代わりのチューペットを取り替えてくれ、
体温を測るたびすぐに誰かが確認に来る。
考えてみれば、子ども達にとっては、母が前後不覚になるほどの熱で倒れるなんてほとんど初体験。
発熱した私自身も驚いたけれど、子ども達にとっても一大事だったに違いない。
「おかーさん、だいじょうぶ?」
不安げに尋ねるアプコに「大丈夫、大丈夫」と答えることすらできず、
「母、死にそう」
と弱音を吐く頼りない母。

「ここんとこ、結構頑張っていたもんなぁ。」
PTAのこと、学校での子ども達のこと、仕事のこと。
何かというとめらめらと怒りを燃やして、こぶしを固めて、立ち向かっていくことばかり。
本来、のほほんと鼻歌でも歌いながら、お洗濯を干したりしているのが、一番心地よいおばさんにとって、いつになく過剰に燃やした闘志の残滓が、突然の発熱となって降りかかってきたものか。
丸々一日半かかって心の中におろおろと滞っていた未消化のストレスを燃やし尽くし、身も心も、それこそからからのミイラのようになって、朝を迎えた。

休日には熱を出しても、月曜の朝にはさっさと回復して、子ども達を起こし、幼稚園のお弁当も拵えて、定刻にみなを送り出す。
「さすが主婦の鏡!」といいたいところだけれど、まだまだ手足の関節はがくがくするし、足元もふわふわしておぼつかない。
いつもの距離感、いつもの感覚をすこしづつ取り戻しながら、「快復」の実感をゆっくり味わう。
「お母さん、もう大丈夫なん?」
かわるがわるに子どもらが、やってくる。
「お、今日から『大丈夫』にする。」
とりあえずホッとしたという子どもらの正直な笑顔。
かわいいなぁと、新鮮な思いで受け止める。

「一日にお茶っていっぱい要るモンやな。」
昨日一日で2回も冷茶用のお湯を沸かしてくれたという父さん。
いつも当たり前に冷蔵庫に収まっているお茶が、主婦の地味な作業の結果であるということに気づいてくれたらしい。
そういえば、起き抜けに牛乳を飲みにきたオニイも、
いつもなら流しのところへ置いていくだけのコップをささっと濯いでコップ掛けに伏せていった。
昨日お茶を飲むたびに、自分のコップが汚れたままで不便な思いをしたのだろう。
日ごろの主婦の何でもない作業の存在が、みとめられたようでちょっと可笑しい。

ふと気づいたら、台所の流しの前の出窓に、
朝日に輝く見事なクモの巣ができあがっていた。
主婦が病床についてる間に、目敏くやってきた小ぐもが立派な罠を編む。
父さんも子どもらもせっせと家事や炊事を頑張ってくれたけれど、
やはり台所には、毎日主婦がいてこそ、家庭なのだ。
そのことが少し嬉しくて、
クモの巣はらいは、夜まで執行猶予ということにした。


2004年07月01日(木) 天真爛漫(その2)

暑い暑い炎天下、開け放した窓から入ってくるのは湿った熱風。
子どもらは帰宅するなり、ばたばたと冷蔵庫ヘ直行。
冷やしたお茶をがぶがぶと飲み干す。
1日のお茶の消費量がぐんと伸びた。
1日に大きなやかんで2杯半。
ひっきりなしに拵えても、あっという間に底をつく。
夏になるなぁ。

ザリガニ、カブトムシ、クワガタムシ、アリジゴク。
相変わらずゲンの日常は、昆虫たちを中心に回っている。
ランドセルを置くなり姿が見えないと思ったら、やはり,ベランダ下のザリガニの水槽のところか、近くの山のヒミツの昆虫採集ポイントの見回りにでかけたらしい。
今日は、学校で誰かがカブトムシを見つけたと言う。
「今年は、この近所の昆虫はあっちの方へ移動しているのかもしれない」とちょっと口惜しそう。うちで繁殖させるには、オスのカブトムシかメスのノコギリクワガタがどうしても欲しいのだそうだ。
う〜ん、今シーズン中にもう一つか二つ、飼育ケースが必要になりそうだ。

昨日は、お向かいのMさんにもらったザリガニの住まいが小さすぎるとかで、知らぬ間におじいちゃんに直接交渉して大き目の水槽を拝借してきた。
こういう「思い立ったら即行動」の行動力が、ゲンの頼もしいところだなぁと感心する。
借りてきた水槽をきれいに洗い、砂利や石を敷き詰め、川から水を汲んでくる。
途中一度も「おか〜さ〜ん」と言いに来るでもなく、自分で次々判断して段取りしていく。この集中力こそが野生児ゲンの逞しさなのだろう。
「また、ゲンが『世界』に入ってるよ。」
と、へらへら笑って放っておく。

夕方、洗濯物を取りこんでいたら表でガーゴー、音がする。
ご近所のどこかで、工事でも入っているのかなと聴くでもなく聴いていたが、不規則なガーゴーはいつまでもだらだらと続いている。
「何かしらん」
と様子見がてら夕刊を取りに出たら、玄関先でゲンがノコギリを持ち出して、何やらギコギコ切っている。道理で不規則な音がしていたわけだ。
「なにしてんの?」
「いやぁ、借りてきた水槽にはふたがないねん。
そのままやとボウフラがわくから蓋を作ろうかと思って。」
ゲンが切っているのは、どこで拾ってきたのか古いそうめんの木箱の蓋。
ノコギリなんて夏休みの工作のときくらいしか使った事が無いと言うのに、どこから探してきたものか。
見ると、エンピツでひいたラインに沿って、もう半分以上切り進んでいるのだが、けっこうしっかりラインどおりにきれいに切っている。
「へぇ、結構きれいに切れてるやン。」
お世辞抜きにゲンの大工の腕前を誉める。

「切れたかぁ?」
お向かいのMさんが、水撒きの手を止めて垣根越しに声をかけてくださった。
「ワシがそっち行って、ちょっと切ったろか」
どうやら、先ほどから庭仕事の合間に、ゲンのたどたどしいノコギリの音を聞きとめて、それとなく様子を見てくださっていたらしい。
「ううん、もうちょっとで切れそうやから、いいです。」
ゲン、顔も上げずに即答。
「そうかぁ、ま、まだ日も暮れんようやから、ぼちぼち切りや。」
Mさん、にやりと笑って水撒きの仕事に戻る。

一人暮しで、近所の庭仕事やちょっとした大工仕事を請け負っておられるMさんはご近所ではちょっと変わり者で通っている。
人懐っこいゲンは妙にこのMさんと気があうらしい。
昆虫の出そうなポイントとか、工作に使う松ぼっくりの在り処を、真っ先にMさんに訊きに行く。
Mさんの方も「にいちゃんいるかぁ。」とふらっとやってきては、庭で捕まえたカブトムシやら仕事先で見つけたカメやザリガニなど、ゲンの喜びそうなお土産をぼそっと下さったりする。
今日もMさんは、前の日に自分がやったザリガニのために、ゲンがそそくさとと水槽を洗っているのを、見るとはなしに見守って下さっていたものだろう。
ギーコギーコと覚束ないノコギリの音を耳にして、もどかしく思いながらも「貸してみ,切ってやろう。」とは言わずに、長いことゲンの苦心する様を笑って見ていてくださったのだろう。

ありがたいなぁと思う。
子どもが親や先生だけでなく、まわりの大人のこういう見守りの中で成長して行けると言う事は本当にありがたい。
「社会全体で子どもを育てよう。」というと、「公共の場で騒ぐ他人の子どもをひるまず叱ろう」とか、「昔はどこにでも子どもの悪戯を叱るがんこジジイがいたものだ」とかいう話題になるけれど、そればっかりじゃないんだな。
ゲンとMさんの間には、大人と子どもという年齢に隔たりはあるけれど、どこか共通の物が好きな仲間同士のような親しさがある。
山に入って、くんくんと湿った腐葉土も匂いがすると、黒光りするカブトムシやクワガタムシの気配を感じてわくわくしてしまう。ザリガニがガシガシと鋏でえさを食いちぎっているのを見ると、スッゲーっと舌なめずりしてしまう。
そういう少年同士のような奇妙な友情がなんとも微笑ましく、ありがたい。

「おかあさん、ザリガニはするめを良く食べるんだけど、するめを入れておくと水槽の水がすぐ臭くなるんや。どうしたらええかなぁ。」
夕食の時にも、お風呂の後でも、ゲンの話題はどこまでも昆虫やザリガニを中心に回っている。
「はいはい、明日、自分でかんがえな。」
母はええ加減に答えるけれど、ゲン自身の頭の中では明日の綿密な作戦を練られているに違いない。
楽しい季節を過ごしているんだな。
少年の夏がいつまでも豊かにながれていきますように・・・。







2004年06月28日(月) 天真爛漫

近頃、ふと気がつくとゲンの姿が見えない。
「アイス食べるー?」とか、「でかけるよー!」とか、大きな声で呼ぶと、
いつも真っ先になになに?と飛んでくるゲンが、なかなか現われない。
「また、山へでも行ってるんじゃないの?」半ば呆れ顔で、オニイやアユコが笑う。
虫取り、沢蟹取り、川遊び。
野生児ゲンの本領発揮の季節がやってきた。
帰ってきてランドセルを投げ出すと、たちまちゲンは忙しい。

おじいちゃんちのお茶室の縁の下から連れてきたアリジゴクは、ベランダ下の物置の乾いた砂地にいる。
勉強机の大きな引出しの中には、私が道で拾ってきたこの夏はじめてのノコギリクワガタ(♀)の飼育ケースが、でんとおさまっている。
昨日は、お向かいのMさんが庭仕事の仕事先で捕まえたニホンザリガニを持ってきてくださった。水槽に水を張り、割れた植木鉢をいれて、アリジゴクの近くに飼育コーナーを拵えて住まわせる。
ひと夏限りのにわかペットたちの顔を見て回るだけでも忙しい。
その他にも、近所の山のめぼしいクヌギの木のうろに、昆虫を集める蜜を塗りつけ、日に何度も獲物がいないか巡回してまわる。
「おかーさぁん!ザリガニにするめをやったらね、ナイフとフォークみたいに両方のはさみを使ってバリバリ食べるんやでぇ!」
その嬉々とした表情はまさに「野生児」
いいやつだなぁとおもう。

先日からのゲンのクラスのいじめ疑惑。
先週末から、他の"いじめられっこ"達のお母さん達から、TくんOくんの最近の行状や担任の先生の対応の仕方などについて情報収集をすすめてみた。
どうやらTくんOくん達によるいじめは前の学年のときから今も続いていて、「学校へいきたくない」とか「イヤな事された」という訴えは時々出ているようだ。
それに対する家族の対応も様々。
「我慢できなくても、絶対暴力でやり返しちゃダメだよ。」と諭し、子どもが悔し紛れにモノを壊したりするのをやむなく許しているというおかあさん。
「本当に我慢ができなくなったら、学校へは行けなくてもいいよ。『不登校』という選択肢もあっていいから・・・」というお父さん。
「今日はいじめられなかった?」と毎日の様に聞くのだけれど、学校での事をあまり話したがらなくなってきたと言うお母さん。
「お宅が先生に訴えるのなら、うちも一緒に行かせて欲しい」とおっしゃるうちもある。
「やられたときにおこってやり返そうとするから、余計やられるんだよ。ボクはやられてもすぐに泣くから、それ以上はやられないんだ。」と悟りきった"いじめられっこ"の達人もいるのだそうだ。
先生なり、いじめっ子なりに直接、正面対決する以外の対処方法というのもいろいろあるのだなぁ。
「それって、ただの逃げじゃないの?」と思われることもあるけれど、
これ以上傷つけられたくない、今以上に子どもを戦わせたくないという親心も痛いほどわかる。
「腹たつわー!母が行って闘ってきてやるー!」
と、近頃とみに闘争心をめらめら燃やす私自身を、心を冷まして省みてみる。

学校での友達関係の悩みは、できることなら子ども自身の力で、学校の中で解決していくのが望ましいと思う。
私達が子どもの頃にもいじめっ子もいれば、のけ者にされてしょちゅうべそを掻いてるいじめられっ子もいた。
今よりもっともっとシビアな形で、障害を持った子や勉強の遅れがちな子、家庭環境に躓きのある子は、はじかれたり、悪口を言われたりした。
「ああ、今日もあいつの顔は見たくない」と憂鬱な想いをねじ伏せて、何とかかんとか登校していた日々のある。
だからと言って、いちいち訴え出ていく親というのは子どもの目から見るとあんまりありがたくなかったよなぁ。
「子どものけんかに親が出る」
というのはおろかな親の振るまいとして、軽い軽蔑の対象ともなった。

今はあの頃と違って、ちょっとした言葉の行き違いや諍いでカッターナイフを持ち出したり、高い建物から突き落としたりという思いがけない事件が耳に入る。
「不登校」ということが珍しい事ではなく、クラスに何人も「学校へ行けなくなる」ほどの心の葛藤を経験していたりする。
「自分ちの子どもは、親が守ってやらなくては・・・」という事を、学校の教師までが口にする現代。
大きな声で訴える親でないと、「毎朝、元気に登校していく」という子どもの最低限の日常が保証してやれないのはしんどい事だ。
子どもが自分自身の力で解決していく力を黙って見守る余地は本当になくなってしまったのだろうか。

「おか〜さ〜ん!!見て見て!」
ゲンの弾んだ声が飛びこんでくる。
"巡回"の最中に、大きなカブトムシのメスを見つけたという。
仮性近視で視力検査のたびに赤紙をもらってくるくせに、高い木の幹の昆虫や道端に落ちてもがいている昆虫を見つける視力だけは、野人なみ。
面白い奴だなぁ。
友達に悪口の手紙を送ったり、いじめられた腹いせにモノを壊したり。
なんとなく陰気なゲンの行状を聞かされて、ゲンのうちに秘めた怒りや悲しみのエネルギーの大きさに少なからぬ衝撃を受けた。
でも、それも確かにゲンだけれど、それをカラリと振りきっていそいそと虫取りに興じるキコンカイな明るさもまたゲン。
私は親として、ゲンのスコーンと突き抜けた明るさを信じて見守ってやってもいいかとも思う。
「ボクよりもな、しょっちゅうイヤな事を言われたり、いじめられたりするUくんやTさんの方が心配なんや。」
と仲間を心配する事のできるゲンは、まだまだ一人で闘える。
母の出番は、取りあえず新しい飼育ケースと底の破れた運動靴の買い替えくらいか。
野生児ゲンの明日は明るい。

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2004年06月25日(金) 叱られにいって得をする

先日、ゲンの「問題行動」で呼び出しを食ったときの事。
約束より少し早い時間に職員室についた私。
最近顔なじみになった職員のYさんが、
「お待ちになるんなら、こちらでどうぞ。」とソファーのところに案内してくださった。
「暑かったでしょ。役員さんは大変ですね。」
普段委員会の用事で大荷物を引きずって、「PTA室の鍵、くださーい」と職員室を出入りしている姿を見ておられるのだろう。
「う〜ん、今日は委員会の仕事じゃなくて、叱られに来たんですけどね。」
と恐縮している私に、わざわざ冷たいアイスコーヒーまでいれてくださる。

蒸し暑いながらも、時折涼しい風がはらりと舞い込む窓辺には、たくさんの鉢植え。
同じ種類のシャコバサボテンの鉢がずらりと並んでいたりするところを見ると、どなたかが切り戻した枝を挿し芽したり、株分けしたりしながら、こつこつと殖やして育ててこられたものだろう。
「ここのお花はどなたが育てておられるの?」
「お好きな先生方がおられるんですよ、前の校長先生が買ってきてくださったものもありますよ。」
いつもは素通りして気にもしなかった職員室の窓辺の鉢植えに、何人もの先生方のの何気ない手入れやら心遣いが育っているのだなぁと、なんだか嬉しい。

「あ、ストレプトカーパスがありますね。」
ちょうど咲き始めたばかりの青紫の花がゆらゆらとゆれている。
以前我が家にもたくさんあって、挿し芽で殖やしては誰かにお分けしていたこともあるのだけれど、いつのまにか絶えてしまって、入手できなくなっていた花だ。
「あのう、お茶までご馳走して頂いて、あつかましいんですけど、もし差し支えなかったら、挿し芽用に小さい枝を少し分けてもらえないかしら。
前から探してたんだけど、なかなか見つからなくって・・・」
思いきってお願いしてみると、
「ああ、その花はストレプトカーパスって言うんですか。
いいですよ、どうぞどうぞ。」
Yさん自身は挿し芽で殖やす方法はご存知じゃないようだったので、簡単にレクチャーして小さな枝を分けていただく。
小さな枝からでも、今の時期ならほぼ確実に株を育てる事ができる筈なので、嬉しいうれしい。
「わぁ、叱られに来て、得しちゃった!」
持ちかえり用のナイロン袋まで頂いて、ほくほくとかばんに収める。

その後のK先生との面談は、どちらかと言うと不愉快な不本意なものだったけれど、その前にちょっと得しちゃったので良しとする。
翌日、別の用事で職員室に行ったら、
「あ、来はった、来はった」
と私の名を呼んでくださる先生がいる。
「この花、お好きなんでしょ!
挿し芽もいいけど、うちで殖やした小さい株があるからよかったら持って帰って!」
と小さな素焼きの鉢植えを見せてくださる。
わざわざ、私のために持ってきてくださったのかしらん。
「え?!いいんですか?
わぁ、嬉しいわ。ありがとうございます!」
なんだかとってもとっても嬉しくなってきた。

PTA役員になって、思いがけなく得をした副産物。
excelの基礎知識。若いお母さん友達。
子どもたちの学校での様々な情報。
そしてストレプトカーパスの鉢植え。
まだまだ、増えるはず。
ありがたい。

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2004年06月24日(木) 新たなる闘い

「やっぱりなぁ、今度はゲンかい!」
アユコのメール事件,オニイの過敏性腸炎に続いて、今度はこれまでキコンカイに過ごして来たゲンに問題発生。
担任のK先生からゲンの最近の振る舞いについて、呼び出しを食った。

ゲンが教室で二人の友達の名を書いて、「死」という手紙を書いて本人に見せたと言う。
「日頃その二人からちょっかいを出されたり,悪口を言われたりしていたから仕返しのつもりで書いた」と本人も書いたことを認めているという。
相方を呼んで事情を聞き,クラス全体にはかって「人のいやがる事をいったりしたりしてはいけない」と厳しく指導したのだそうだ。

実はゲンの「悪口お手紙事件」はこれがはじめてではない。
以前にも同じ相手に対して,小さく悪口を書いた紙飛行機を飛ばしていて見つかり,叱られた事がある。
自分の思いをストレートに言葉で訴える事が下手なゲンは、悔しい想いや「このやろう!」という気持ちをそういう屈折したやり方で吐き出す事がある。
この間の「雨傘バラバラ事件」の時には、相手に仕返しできない辛さを「物に当たる」ということで何とか解消しようとしたらしい。
相手に言っても聞きいれられない悔しい思いを、なんとか暴力の応酬や悪口を言い返すこと以外の方法で解消し、誰かに聞き届けてもらいたいというゲンなりの不器用な抗議の仕方だと私自身は理解していた。

一方、手紙の相手のTくん、Oくんは普段からまわりの子にちょっとした嫌がらせや悪口を言ったりするいわゆるやんちゃなタイプ。
ゲンやおとなしいUくん、Tさんという女の子など特定のターゲットに対してしつこく「いじめ」に近い悪戯を繰り返している。これまでにもたびたび、ゲンは悔し涙で歯を食いしばりながら、「またTくんにイヤな事をされた。」と訴えてきた事もある。
その「イヤなこと」というのが、大人の目から見ると「遊びの延長」なのか「いじめ」なのか微妙なラインでもあり、ゲンの説明にもあやふやな判りにくい部分もあったりして、「要観察」となんとなく心にとめてはいたのだった。

取りあえず事情の説明を・・・と駆けつけた私に、K先生は意外なゲンの最近の「非行」を次々にあげた。
音楽の時間にふざけが過ぎてひどく叱られた事、
農作業の時間に近くのTさんの苗の上に他から持ってきた雑草の山を積み上げた事、
そして、Tくん、Oくんに「T、O、死ね、スイッチ」と書いた手紙を渡したと言う事。
先日話しておいた「雨傘事件」も含めて、どうもゲンの言動が近頃おかしい。屈折した行動が見られる。要注意だと言う事らしい。

私はゲンから聞いたそれまでのTくんOくんの嫌がらせの事を説明し、「手紙」の事は誉められた事ではないが、ゲンなりの抗議の手段だった事をK先生に伝えた。
K先生も、TくんOくんの「ふざけが過ぎる」振る舞いについては認知しており、双方に指導はしているという。今回もお互いが非を認め、両方がごめんなさいという形で収めたと言う。

ここまで聞いて、なんとなく私はK先生の物言いに違和感を感じた。
確かにゲンのやったことは悪いには違いないが、もとはTくんやOくんの日頃の意地悪に端を発した事だ。それなのに、彼らの振る舞いについては深く触れようとしない。
「子どもの軽いトラブルの範疇」であるとか、
「最近は以前ほど(Tくん、Oくん)の意地悪の訴えはでていない」とか、
「(ゲンが)ちょっとしたふざけに過敏に反応しているだけ」とか、挙句には
「表現力の乏しい子どもの訴えは、ころころ変わるし、どうしても自己弁護が混じる」とまでといわれた。

確かにゲンの言葉での表現能力は拙い。
そして「T O 死 スイッチ」とゲンの文字で書かれた小さなメモ書きという動かぬ証拠もある。
音楽の時間のことや、Tさんへの意地悪など、それまでゲンからは聞いていなかった事実も聞かされた。
その場で、K先生に食い下がって反論し、ゲンの主張を代弁する事もできそうにないので、取りあえずうちに帰って再びゲンと話をするということで帰ってきた。

帰宅後、事件をさっさと「なかったこと」にしたがるゲンを捕まえ、こんこんと一問一答。
同じ事を何度か聞き方を替えてきいてみたり、
ぽつぽつと単語で語るゲンの話に、主語述語を補って聞きただしたり、
できるだけ正確な「ゲンから見た事実」を組み立ててみる。
何度も何度も話すうち、問題の在り所が明確になりつつある。

新たなる闘いの予感がする。
再び戦闘モードの母となるか。
全く次から次へ、難問は尽きない。

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