月の輪通信 日々の想い
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PTA,初めての運営委員会に出席。 「どうしよう、くじ、引いちゃったよ。」という、「相憐れむ」同志たちがぞろぞろと顔を合わせる。「右も左も判らなくて・・・」という人も多い。 「私だけではない」という安心感で、少し気が晴れる。
次回の集まりまでに、やっておかなくてはならない仕事に、自分の委員会の連絡網を作る仕事がある。 14人の委員の自宅の住所と電話番号は聞いてあるので、単に原稿を作るだけの単純な作業なのだけれど。 さて、学校やサークルで、当たり前に使われるこの連絡網、実際に機能し始めると結構不便が多い。 生活が多様化し、携帯電話が普及するようになって、自宅の電話にかけてもつながらないことが多い。 昼間には、自宅に電話してもまず相手は捕まらない 小さな子どものいる家庭でも結構夜遅くまで不在であったり、子どもだけでお留守番しているおうちがあったり。 留守電という便利な機能もあるが、仮にそこで用件は伝えられるにしても、次の人に連絡をまわしてもらうことまでは期待できないので、結局一人で2軒3軒、次の人にまで電話しなくてはならない羽目になる。 なんか不公平だなと腑に落ちない。
先日、配られた剣道の父母会の新しい連絡網は、数珠繋ぎ連絡をまわす「伝言ゲーム」形式をやめて、数件のリーダーの家からそれぞれ4,5人ずつまとめて連絡をつけるグループ形式に替わっていた。 これまでも留守宅が多くて、結局一人で何軒か電話していたので、先頭の人の実際の負担はあまり変わりないが、最初から「5軒、伝えてね」と決められている方が精神衛生上はいいようである。 とりあえず留守電にでも用件を入れておけば連絡係の責任は果たせるし、「なんで、私が3軒も掛けてるのよ!」とイライラすることもない。
そして我が委員会の連絡網。 とりあえず、自宅の固定電話の番号のみでオーソドックスな数珠繋ぎ方式を採用することにする。 中には携帯電話の番号でまわしたらとか、メールの方が便利かも・・・という声も上がっているが、人数分プリントして配るものだけに「個人情報流出」という障りもあって、一律OKと言うのも乱暴な気がする。 他の委員会の長の人に聞いたら、 「メアドや携帯ナンバーは一応、長の方には提出してもらうが、連絡網への記入は当事者同士のやり取りで訊きあってもらう。」 との事。 私自身、携帯電話は持たないので「携帯ナンバーを公表する」ということがどういう意味があることなのかよく判らないのだけれど、PCのメアドは知られたくない人もいるしなぁ。
もともと連絡網というのは、どの家庭にもいつでも誰か(おそらくは主婦)がいて、次の人に連絡をつけるという「お互いさま」の役割を果たすことが出来るという、昔の「普通の家庭」を前提に作られた制度なんだなぁとつくづく思う。 「夕飯時なら主婦はうちにいるだろう」とか「休日だから、ご主人がご在宅だろう」とか、漠然と「当たり前」と思い込んでいることも、それぞれの家庭の事情によって、必ずしも常識とはいえなくなっている。 携帯電話とかメールとか、「個人」に連絡を取る方法は急速に普及しているが、「家庭」という単位で集団に属する意識はどんどん薄くなってしまっているのだなぁ。 「うちには留守電があるから、そこに用件を入れといてくれればOKよ。」 という人は、自分が「次の人に連絡をまわす」という役割を他の人に振り当ててしまっていることに無感覚になっている。
一方で、「お友達になろうよ」の代わりに「メールアドレス教えて」という言葉で友達を作る。 くだらない日常の雑事の報告のメールでさえ、途絶えたら一人ぼっちにされているような錯覚を起こす。 どこかから流出した個人のメールアドレスが、お金で売買される。 「個」の情報がこれほど重要視され、もてはやされる中で、「家庭の中での私」「集団の中での我が家」の役割はあまり重く感じられなくなってきているような危機感がある。
奇しくも、PTAの集まりでは「学校と家庭の連絡を密にして」とか、「保護者同士のコミュニケーションを重視して」と言う言葉が、たびたび使われる。 確かに子育ての間には、近所のお母さんとの無駄話や先生達への愚痴、地域の口コミ情報が貴重な情報源となることがとても多い。 家庭同士がいつでも連絡が取り合える環境、思っていることははっきり言い合える学校との関係の必要性を痛感することも多くなった。 個人情報の重要性、「個」と「集団」のあり方、そして社会の中でも家庭の役割まで、グダグダと考えるうちに、わが委員会の連絡網は結局オーソドックスな旧来の数珠繋ぎ方式となった。 それなら無駄なことは考えずに最初からチャッチャと作っておけばよいものを・・・。 こういう要領の悪さが、私の「リーダー不適格」の根拠でもある
連休最終日。 お出かけ続きで家事がたまり、どよんとした朝を迎えた。 とりあえずお寝坊の男の子達をたたき起こし、剣道の朝稽古に送っていく。 家を出る直前になって、ゲンが竹刀の不備をちゃんと処理していなかった事がわかり、一発目のお目玉を喰らう。 GWということで、出席している子どもも少なめ。 オニイも、今日は後半の大人の稽古まで残るというので、ゲンはオニイの稽古が終わる頃に一緒に迎えることにする。 行きの車中で、今日は資源ごみの回収日であったことに気づき、子ども達を下ろしてから慌てて取って返したが、やはり収集車の到着には間に合わなかった。 「ゴミ出しを忘れる」のと「好天気にお布団が干せない」のは、些細なことだけれど、主婦失格というような苦い自己嫌悪を運んでくる。 ああ、今朝は出だし失敗。
ガツガツ空腹を訴えるワンコにドックフードをやろうとしていると、父さんが、 「剣道の迎え、みんなで出かけてビデオ屋へ行くから」 という。 予定外だなぁ、とちょっとうっとうしく感じた。 今日はたまった家事を片付けて、庭仕事や気がかりな内職仕事に取り掛かるつもりだった。 休み中、かけらも勉強していない子ども達にもそろそろはっぱをかけなければ・・・。 昼時にみんなで出かけたら、どこかで外食という羽目にもなりかねない。 数日前に買って食べる機会を失っている食パンを昼食にするつもりだったのに・・・ そんなばかばかしいことがいっぱい集まって、父さんの提案に「行こう行こう!」と賛成する気持ちになれなかった。そんな気持ちが表情にでたのか、父さんのご機嫌も悪くなった。 「せっかく子どもの日だから、子ども達にサービスしてやろうと思ったのに・・・」 子どもの日って・・・連休中、加古川へも行ったし、京都へも遊びに行ったじゃない。アユコとアプコは昨日もお出かけしていたし、男の子達は留守番で一日中PC、ゲームやり放題だったはず。 もうお子様サービスは十分よ。 それより、ホントは遊びに行きたいのは父さんじゃないの?
ホントにくだらない口争いだった。 なんだかなぁ。 ぷいと仕事場に戻っていった父さんが、しばらくして再び帰ってきた。 お互いに自分が考えていたことを、冷静に言い合う。 休みの最終日にもっとたっぷり遊ばせてやりたいと考える父さんと明日からの毎日に備えて気持ちを学校モードに切り替えてやりたい私。 その微妙なずれに、お互いが自分自身がやりたいと思っていることの違いが重なり、衝突する。 長いお休みの終わりに、夫婦に時々やってくる小さな嵐。 またやっちゃったなぁ。 本当にくだらない。
子どもの頃、実家の父は連休の最終日の夜、大概ご機嫌が悪かった。 一日楽しく遊んで、大河ドラマやらおバカなバラエティー番組を見ながら夕食を食べて・・・そんな時間にたいてい嵐が起こる。 お漬物の塩味が足りないとか、お皿を扱う音がガチャガチャうるさいとか、呼ばれた子どもの返事の仕方がまずいとか、些細な事を発端に父の延々と続くお説教が始まる。 時にはそれは夜中まで続き、子ども達が解放されたあとでも、夫婦の寝室からは、父の低い話し声が続いていたこともある。こんこんと続く父の雄弁に母はいつもしゅんとうなだれて頷いていた。 あとから考えると、なんであんなに叱られたかなぁと思う時もあって、母に不満を言うこともあったけれど、母は、笑って、 「あれはお父さんが、自分自身のお休みの気分を振り払って、明日からのお仕事に向けて、気持ちを切り替えるという意味もあるのよ。」 と舌を出した。 仕事のことをまったく家庭には持ち込まなかった父にとって、連休中のリラックスした気分を翌日からの仕事に混じらせないようにするためには、家族のゆるゆるしたお休み気分をチェックして叱ることが必要だったのかもしれない。 それにしてもかなわんなぁと、お休み最終日の夜はなんとなく憂鬱なものだった。
自営業の夫と結婚して、「毎日がお仕事」「毎日がお休み」というような家族の生活に入って、連休最後の日の憂鬱からは解放されたはずだった。 なのに、今度はなんとなくカリカリと連休最終日にイラつく自分がいる。 いやだなぁ。
結局、父さんが折れてくれてビデオ屋行きは延期になった。 私は疾風のような勢いで洗濯物を干し、掃除機をかけ、懸案の庭仕事を片付ける。男の子達を迎えに行き、帰りにスーパーでサラダとハムを買い、買い置きの食パンで昼食を済ませることにする。 「実はね、父さんが今日はビデオ屋へ連れてってやろうかって言ってくれてたんだけどね・・・」 帰りの車の中で、オニイに言いかけたら、 「わかってるって。さすがに今日は遊んでたらまずいなって、僕も思ってた。」 と、物分りのよい返事が返ってきた。 ううう、こいつには夫婦の行動パターンがすっかり読まれておるなぁ。 きっと「こんなあほな喧嘩は、オレはやらぬ」と考えているに違いない。 そして、きっと歴史は繰り返す。 連休最終日にイライラと、お説教するオニイの姿が目に浮かぶ。 13歳の現在ですらあれだけ説教魔のオニイのことだ。 さぞかしパワフルな頑固ジジイになることだろう。 ああ、くだらない。 本当にいやんなっちゃう。
ゴールデンウィーク、真っ只中。 例によって一家で車に乗り込み、加古川のおじいちゃんおばあちゃんのところへなだれ込む。 格別何をするというでもなくて、父さんはおじいちゃんと延々仕事のお話をして、子ども達はそれぞれに買い物に出たり、庭で砂遊びをしたり・・・。 私は母と久しぶりに庭に出て、新しく造り替えたガレージや花壇、家庭菜園の様子を見たりして、のんびりと過ごした。
「田舎へ帰る」というけれど私の実家は新興住宅地にあり、スーパーも大型店舗も病院も我が家と比べ物にならないほど近くにたくさんあり、正真正銘田舎者の我が家の子ども達はおじいちゃんおばあちゃんの自転車を借りて、あちこちうろついて、都会の生活を楽しんでいる。 ちょうど、実家の裏に大型のドラッグストアが最近開店し、裏口を出るとものの1分でティッシュやちょっとした食品が買える。 「あかあさん!ここだったら、一人でちょこちょこっと行って、お買い物ができるねぇ!」アユコがお昼のレトルトカレーを買出しに行って、感激して帰ってきた。 「ホントにねぇ。でも、うちだって徒歩1分でハイキングコースよ。めったにない環境なんだから・・・」 ・・・て、誰もうらやましくないか・・・。 うちの近所に、このあたりの大型店舗を一軒か2軒、もらって帰りたいといつも思う。
私達の到着から1日遅れで、下の弟夫婦がようやく2ヶ月になったユキちゃんを連れてやってきた。 私は赤ちゃんが生まれてすぐ、病院で「はじめまして」は済んでいるのだけれど、父さんや子ども達は初めてのご対面。 大柄な弟にひょいと抱きかかえられてやってきた赤ちゃんは、本当に小さくて子ども達がわぁっと寄ってくる。 身の回りに小さな赤ちゃんを見る機会が減って、アプコなんかはちゃんと物心ついてからは初めて見る赤ちゃん。 「おかあさん、手、ちっちゃいねぇ。」 こそこそっと戻ってきては私の耳許でアプコが囁く。 アユコもどきどきしながら赤ちゃんを抱かせてもらって、しげしげと赤ちゃんの各パーツを「観察」して、微笑む。 ゲンはどこやらのTVで見た裏ワザを試したいといって、ぐずり始めたユキちゃんの耳元でスーパーのレジ袋をガシャガシャ言わせて、本当に泣き止むかどうかの実験を始める。 ふと気がつくと、ベッドメリーが回転する赤ちゃんのお布団の周りにアユコ、ゲン、アプコがおんなじ格好で腹這いになり、頬杖をついて赤ちゃんの寝顔を眺めていたりする。 「なんだか大騒ぎやなぁ。」 一緒になって周りに寄っていくのがちょっと恥ずかしいお年頃のオニイも含めて、思いがけなく小さくかわいい新しい従姉妹の到来が子ども達に新鮮な驚きと興奮を運んできた。 「新しい命」の持つエネルギーは、ちょっと前まで同じような赤ちゃんだった子ども達にも嬉しい感動を持ってくる。
「なんだかしょっちゅう指しゃぶりをするんですけど、ミルクがたりてないのかしら。」 「とっても長い時間寝てることがあって、こんなにミルクの時間があいちゃっていいのかしら。」 新米ママのTちゃんが赤ちゃんの世話の合間にポツリポツリと、「育児相談」。 その時代を通り過ぎた者から見ると、何のことはない健康な赤ちゃんの成長の一過程であることも、初めてのママにとっては心配事であったり、悩みの種であったり・・・。 ああ、私も始めての子育ての頃には、こんな風にいちいち判らない事だらけで赤ちゃんと向き合っていたのだなぁと思い出す。 おっぱいオムツねんね、おっぱいオムツねんねの毎日。 甘酸っぱい乳の匂いに四六時中包まれていた懐かしい日々を振り返る。
「ユキちゃん、かわいいね。」 アプコが何度も戻ってきては私の耳に囁いていく。 「ユキちゃんのおへそ見ちゃった。かわいい。」 「ユキちゃん、げっぷしたよ。ぐふーって」 末っ子姫のアプコにとって、赤ちゃんは子犬か電池入りのお人形のように興味津々の珍しい生き物。 そして、自分の母や姉が自分より小さい子を抱っこしたり、あやしたりして、ちやほやしている状況もアプコにとっては初体験。 はじめは一緒になってちやほやしていたものの、途中から「あたしが一番じゃないなんて、ちょっと許せないわ」という、お姫様根性も垣間見えるようになって来た。 「ユキちゃん、かわいいから2,3日借りて帰ろうか」 と聴いてみたら、「いや」と即答。 理由を聞いたら、「赤ちゃんはすぐ泣くし、しょっちゅう抱っこせなあかんで。」 はい、そのとおり。 ご安心ください。母にももう一から赤ちゃんを育てるエネルギーはございません。そうでなくても手のかかるお子さん達が4人もいるからね。
「片手で抱っこして片手でご飯。あんな時代も長かったよなぁ。」 帰りの車の中で、父さんも感慨しきり。 「すっかり堪能しちゃったねぇ。子育ての大変な時代をいくつも乗り越えてきたんだねぇ。今だって、まだまだ結構大変だけど・・・。」 オニイの初めて育児で不安な赤ちゃん時代。 心臓病を心配したアユコのガラス細工に触れるような赤ちゃん時代。 おおらかに乳を飲み、丸々と太っていったゲンの赤ちゃん時代。 そして、なるちゃんの死をこえて、家族みんなで迎えたアプコの赤ちゃん時代。 小さい命が運んでくれたたくさんの驚きや感動。 その結果として、今のガチャガチャうるさい、手のかかる子どもらがいる。
生まれたての小さいユキちゃんの握りこぶしが、何を握っているのか見るのを忘れた。 新生児のこぶしの中には綿ほこりだか手垢だか、なんだか得たいの知れないものがにぎられていることがある。 小さい子ども達がぐっと握り締めて離さない大事なもの。 そんなものの存在を何時までも忘れない親でありたいと、昔思ったことがある。
連休中日の今日、小学校は春の遠足。 毎年恒例で、低、中、高学年に分かれて、学校の近くの山に登る。 学校からの徒歩圏内で3通りもハイキングコースを選べる小学校って、やっぱり田舎の学校? でも地域の山にたびたび登って、親しい小道や秘密の岩穴をみつけることのできる子ども時代って、恵まれているなぁと思う。 我が家の前の道を、1,2年生、3,4年生が次々に並んで通り過ぎていく。 玄関先に顔を出してその列を見送っていると、 「あ、ゲンのおかあちゃんや!」と指差す子。 顔なじみの先生達に「行ってらっしゃい」とご挨拶。 遠足のワクワクする気持ちのおすそ分けを頂いて、今日は盛大にお布団を干した。
ところで、遠足のおやつは150円まで。 消費税分はどう計算するんだったか知らないが、とりあえず内税表示になったら買い物がしやすくなったとゲンが喜ぶ。 消費税ったって、あんたが買うのはいつも税のかからない小さな駄菓子屋さん。あんまり影響ないじゃないの。 ・・・という訳で、先日、アユコとゲンを車で少し離れた駄菓子屋へ連れて行く。 「車で駄菓子屋」って言うのも変な話だけれど、我が家の近くにはコンビニはあってもいわゆる子ども相手の駄菓子屋と言うものがない。硬貨を握り締めて、好みの駄菓子を選ぶ楽しさを味わうためには、母の車に乗り込んで遠くの駄菓子屋に流れ込むよりしょうがないのだ。
「今回は絶対買うもの決めてあるねん。」 ゲンは今回のおやつ選びには妙に力が入っていた。 「いつ連れてってくれるの?」とか「どこで買うの?」とか、ことあるごとに聞いてきてうるさい、うるさい。 やっとのことで、出かけた駄菓子屋でゲンが早速かごに詰め込んだのは、いろいろの味の15本の「うまい棒」 「げげ、本気で、それ遠足に持っていくの?」 「そんなにいっぺんに食べたら、のど渇くし、気持悪くなるよ。」 アユコと二人で何度か言ったけど、やっぱりゲンはかごの中身を替えようとしなかった。 変な奴。 どうやら、うまい棒15本が食べたいわけではなく、「遠足に山盛りうまい棒を持ってくるボク」への周りのリアクションが気になって仕方がないらしい。 「僕のお菓子見たら、みんななんていうかなぁ」と何度も何度も訊きに来るので、 「『あほやなぁ』8割、『ええなぁ』2割」 と答えておいた。
「やあ、おもしろかったよ。」 意気揚々と山を下ってきたゲンは、途中で遠足の列を抜けて自宅に途中下車。いったん学校まで帰る道のりを省くために、先生方が毎年うちの子たちの途中下車を認めてくださっている。 「で、うまい棒15本はどうなった?のど渇いたでしょう。」 尋ねると、ニヤニヤと笑ってリュックを開けるゲン。 「いやぁ、いろんな友達に交換してもらったから結構色々食べられたよ。 見てみて、これなんか、うまい棒2本と交換してもらっちゃった。ラッキー!」 おいおい、うまい棒で商売してくるなよ! さすがは「第3の道を行く男」 思いがけない利用法に笑ってしまった。
突飛な行動やいきなり踏み込んだ質問で周りを驚かせ、その反応を見て周りが自分をどんな風に見ているかを試す。 4人兄弟の中間の子らしいゲンの行動。 「あほやなぁ」といわれるなら、それも楽しい。 「ええなあ」といわれるなら、それも嬉しい。 おおらかなゲンの遊びの精神が、母にも楽しい。 どんな大人に育っていくのかなぁ。 「予測不能」がゲンの魅力。 健やかに羽ばたいてくれますように・・・
2004年04月29日(木) |
勉強させていただきました。 |
父さん、久しぶりの休日。 剣道の朝稽古を終えた男の子達をぶんと車に拾って、京都へ遠出。 以前から券を用意して予定していた絵画展に出かける。 有名な印象派の大作が展示されるというので、混雑は覚悟していたが、果たしてざわざわと続く人いきれで、まずオニイがギブアップ。 我が家の子ども達は山歩きは得意だけれど、都会の人ごみにはめっぽう弱いのだ。小一時間もすると、たいてい誰かが「頭痛い」とか「気持ち悪い」とか言い出す始末。 はいはい、おっしゃるとおり、正真正銘の田舎もんです。
モネの「睡蓮」は想像していたよりずっと大きなものだった。 たくさんの色の重なりが、離れて見ると深い複雑な色合いになって、涼やかな水辺の風を感じさせてくれる。 「とりあえずね、いっぱいの人ごみの中で、大きな睡蓮の絵を見た事だけ覚えておきなさいね。」 ちょっとミーハーっぽくて恥ずかしいけれど、幼い子ども達にとってはそれでいいと思う。 幼い頃にピカソを見たとか、延々並んで月の石を見たとか、そういう本物を間近に見たという経験は幼い心に新しい引き出しを一つ作ることだと思っている。 今はその引き出しが空っぽでもいい。 子ども達が大きくなって、どこかの画集やレプリカのポストカードで「睡蓮」を見たとき、「そういえば、これ見たことあるんだなぁ」と心惹かれるものがあったなら、からっぽの引き出しはそれだけの意味がある。
問題が一応解決して、体調もかなりよくなったオニイ。 おにぎりと途中のお肉屋さんで買ったコロッケ、フライの手抜き弁当をがつがつと食べる。 一応トイレの場所は目で確認しながらも、復活したオニイの食欲を嬉しく眺める。やはり子ども達はモリモリたくさん食べてくれてこそ、頼もしいとつくづく思う。 今回のことで、人の体と心は密接にリンクしているのだということを痛切に感じた。 私自身は、ストレスやプレッシャーが直接体調に現れるという経験があまりないのだけれど、アユコの自家中毒といい、オニイの過敏性腸症候群といい、心に由来する体の病気というのは意外に身近なところであっけなく始まるものなのだなぁ。そして、気持ちが落ち着けばそれに連動して症状も軽くなるという心と体のメカニズムの不思議。 げぼげぼ、ピーピーの続く本人達にとってはとても辛いことだけれど、子どものデリケートな感情のゆれに鈍感な母にとっては、子ども達の悩みや苦悩が突然の体調不良によってダイレクトに伝わってくるということは、ある意味ラッキーなことなのかもしれないと思う。 「このげぼげぼはいつもと違う」 「このピーピーには何か意味があるのかしら。」 そう感じたとき、私は改めて子ども達の心を覗く。 そこからが親子の問題解決の始まりになる。
今回、オニイの不調に最初に気づいたのはアユコだった。 新学期開始直後、「なんだかこのごろ、お兄ちゃん、イライラしてる。やたらとトイレが長いし、ゲンやアプコにしょっちゅう説教しているし・・・」と何気ない会話の中で訴えてきてくれた。 自分自身が事あるごとに、自家中毒や偏頭痛に悩まされてきたアユコならではの観察眼であったと思う。 頭では分かっているものの、心と体が連動するということが実感として感じられない母には、なかなかたどりつけない気づきであっただろう。 そして、オニイがたどたどしく問題解決の道を探す様子を間近に見ることで、アユコもまた、自分自身の心と体の扱い方を少しずつ学んでくれたことと思う。 「兄弟が多いと、子ども達同士で互いに多くのことを学びあう。」というけれど、大雑把で子どもの心のデリケートな部分を見落としがちな母にとっては「互いに学びあう」ということのありがたさがよく判った。 そして母もまた、子ども達の言動によって多くのことを学ばせていただける。 「また一つ、勉強させていただきました。」 オニイの晴れやかな食欲に、母はまた密かに頭を下げる。
2004年04月28日(水) |
フレーフレー その後 |
オニイのストレスの源が判明した。 詳しくは述べられないけれど、オニイ自身の思い込みや取り越し苦労に由来している部分が多いこともわかった。 母、朝から行動に移る。 学校と連絡を取った結果、担任のT先生がその日のうちに来て下さることになった。 夕食前のあわただしい時間に急な家庭訪問。 「ありゃりゃ、お掃除しなくっちゃ。」 いつも子ども達がTVをみたりPCで遊んだりしている居間をばたばたとお掃除し、夕食の下ごしらえまで済ませてT先生を待つ。 先生が来てくださると判った時点ですでにオニイの表情は明るくなっている。
夕暮れ時、車をびゅんと飛ばしてやってきたT先生は、「どんな様子ですか」とここ数日のオニイの様子を聞かれた。 「それはもう『不登校』の状態ですね。」 登校する時間になると急に体の不調が現れ、「学校に行きたくない」というよりは、「学校に行けない」状態に陥ってしまう。 学校を休んで、自分の好きなことに集中しているときには症状は軽くなる。 大人から見るとなんでもないちょっとしたつまずきを、一人で悩むことでどんどん大きくしていってしまう。 一年のとき、上級生からのいじめにあってもめげなかったオニイが、今回は それから見ると本当に些細な、まだ起こってもいない事態を心配して陥ってしまったことに驚いておられた。
「本当に君が心配なのはどんなことなのかな。」 「実際にはどんなことが起こると思う?」 「それで、実際にそういうことをいいそうな人はだれなの?」 担任2年目のT先生は、オニイと話をして彼が一人で行き詰まりがんじがらめに縺れさせてしまった気持ちの糸を一つ一つ解きほぐしてくださったようだ。 1時間弱のお話の中で、オニイは自分の中で過大に心配しすぎていたことや誤解していたことを少しずつ整理して考えていけるようになったきたのだろう。 「だれにも理解してもらえない」「相談してもどうにもならない」と考えていることも、誰かに話をすることで自分で解決する糸口が見つかったり、違う見方が出来るようになったりすることがあるのだと判ったのだろうと思う。 「あとは君しだいだ。 でも明日学校に来るんなら、『遅れてもいいから』なんていわないで、いつもみたいに朝一番に登校しておいで。 そのほうが普通に入りやすいからね。」 T先生もオニイの表情の変化を感じて、少し安心されたようだ。
T先生をお見送りしようと居間の引き戸を空けた途端、やけに香ばしいにおいが鼻を突いた。 「うるさくしないでね。」と二階へ追いやられた子ども達があわただしく階段を駆け下りてくる。 「何か焦げてますね。」 T先生が落ち着き払った声でおっしゃった。 !!! とりあえず、先生をお送りして台所に駆け込むと、大鍋いっぱいのポトフが炭になっていた。 先生が来る前に下ごしらえのつもりで弱火にしておいたコンロの火を消し忘れていたのだろう。 たっぷりあったスープが煮詰まり、なべ底のポテトやにんじんは真っ黒にこげて形がない。 「ごめん、二階にいたから気がつかなかった。」 しょげ返るアユコ。 いいよいいよ、あんたが悪いわけじゃない。 オニイの変化にほっとしたのと、夕食の献立がおシャカになったショックで、へなへなと座り込む私。 ふと、見ると、オニイやゲンが何かむしゃむしゃ食べている。 「オニイ!あんた何食べてるの!」 黒こげポトフの中で、かろうじて助かった骨付きチキン。 油っこい食物を避けてうじうじ言っていたオニイが、好物の骨付き肉にいつものように食いついている。 はらほろひれ〜と母、脱力。
夕ご飯は、母の脱力を見かねた父さんが子ども達をつれて、閉店間際のスーパーで半額処分になった中華惣菜を山ほど買い込んで来てくれた。 「もう、何だって食っちゃうぞ」 とむしゃむしゃとご飯を食べるオニイ。 きっとトンネル越えたんだね。 ま、とりあえず一安心。
夜中、こげた大鍋をがりがり磨きながら、ほろりと不覚の涙が出た。
オニイの下痢が続いている。 朝、ようやく学校へ出て行ったと思ったら、昼前に早退してきた。 食べたものが数時間もすると出てしまうので、元気がない。 精神的なストレスが原因の下痢なので、薬を飲んでもさして効き目がない。 食べ物も、おなかの調子を憚って、好物の油物や刺激物を自分で制限するので、それも辛いようだ。 ゲンが自分の目の前で、ポテトチップを食べていたりするのも癇に障る。 「お兄ちゃんがかわいそうだから、見えないところで食べてね。」といっていたが、何日も続くと、オニイのご機嫌ばかりを伺っているわけにもいかなくなる。 「イライラするのなら、あんたが二階へ行きなさい。」 かわいそうなようだが、あえてオニイを叱る。 調子の悪いオニイもかわいそうだが、オニイの不調と母の不機嫌に付き合わされるほかの子ども達もだんだん辛くなってくるのだ。
ストレスの原因が何なのか、本人にはよくわかっているのだという。 「お母さんに言ってもどうにもならないことなんだ。」 オニイはかたくなに口を閉ざす。 「話してくれなければ、お母さんには何にも出来ないよ。 毎食、あぶらっ気のない食事を作ることだけでいいの? とりあえず人に話しただけでも心が軽くなることもあるよ。 お母さんが聞いてあげることは本当にできないの?」 何度も何度も言葉を重ねた末に、ようやくオニイの悩みの種を聞きだした。
大人にとっては些細な事でも、現役中学生には中学生なりの、深い悩みがあるものだなぁとため息をつく。 一人で悩みを抱え込んで、いろいろ苦悩していたのだなぁ。 確かに、その内容は、母がしゃしゃり出ていってもどうにもならない問題のようだし、それ以前にまだ実際には起こってもいない「困った事態」をあれこれ考えすぎているような感もある。 「大丈夫だよ。そんなの取り越し苦労だよ。」 と励ますのは簡単なことだけれど、 オニイ自身、そのことはよく判っているのだけれど、 そういうストレスが心だけでなく、先に体の方に出てしまうということの不思議。 世に言う「不登校」とか「引きこもり」とか、 知識としては知っていたものの、実際の始まりはこんなことからなんだなぁと、改めて実感する。
でも大丈夫。 今ならまだ間に合うと直感している。 問題の在りどころがはっきり判ったし、きっとオニイのもつれた糸を解きほぐす手伝いが今ならまだ私にも出来ると思う。
「おおい、オニイ。今日は盛大に餃子を食べるよ。 まず食べられないストレスを解消しよう。 食べて調子が悪くなっても、どうせすぐ出ちゃうんだから一緒でしょ。 食べたいもの食べちゃって、元気出そうよ。」 悩みの源を打ち明けて、少し元気が出てきたオニイ、母のやけくその荒療治に乗ってきた。 「う〜ん、うまいなぁ。」 病人食からいきなり脂っこい餃子をたらふく食べて、ついでにアイスまでぺろりと食べてしまったオニイ。 案の定、すぐにトイレに駆け込み、食べたばかりのものを夜中出していたみたいだけれど、なんだか表情に明るさが見える。 なんとなく糸口が見つかりつつあるのかな。
ところで、本当は息子の異変にかまってられないくらい、私自身も身に合わぬ大役のプレッシャーに負けそうになっている。 周りからは「大丈夫、きっとやれるよ。」「いいこともきっとあるよ」と励ましの声も頂くけれど、そんなことはわかっている。 判っているけど重いんだ。 オニイに、「大丈夫、起こってもいないことを先に心配してもしょうがないよ」といいながら、同じ言葉が私の胸には、なかなかストンと落ちてくれない。 「がんばれ、オニイ、強くなれ」 祈る言葉は自分自身を叱咤する声。 フレーフレー! 強くなれ、私。
まだ4月だけれど、5月晴れってこんな朝のことかなぁ。 青い青い空。 急に盛り上がるように茂り始めた山の木々の緑がまぶしい。 オニイの体調は相変わらず、父さんも東京出張を前に仕事が山積み状態だけれど、とりあえず今日はこいのぼりを上げる。
我が家のこいのぼりは、オニイが生まれた年、加古川のおじいちゃんおばあちゃんから贈られたもの。 うちの中だけで飾って場所をとる五月人形ではなく、工房の庭に揚々と泳ぐこいのぼりがいいと注文して買っていただいた。 家業を代々家族で受け継いでいく家に、初めて生まれた男の内孫。 「どうだ」とばかり、色鮮やかな鯉を空に放つ誇らしげなおじいちゃんおばあちゃん。まだ、それを眺めてまだ喜ぶわけでもない赤ん坊に、何度も「鯉のぼりよ」と指差してはあやす。 この家ではこれほどまでに鯉を揚げる日が待たれていたのだなぁと、かすかなプレッシャーも感じつつ、ありがたく見上げたものだった。
あの日から、十数年。 オニイをベビーカーに寝かせ、家中の大人が総出で組み立てて立ち上げた鯉のぼりのポールを、今日は子ども達とともに組上げる。 まだおなかが頼りないオニイも加わり、金属ポールのねじを締め、みんなで「せーの」でポールを立てる。 裏山の斜面にするするとよじ登り、支えのロープを縛るゲン。 ゲンの頼りない紐結びを見かねて、助け舟を出す器用なアユコ。 無邪気に手を叩き、喜んで駆け回るアプコ。 あの日と同じ、おじいちゃんが結わえてくれた真鯉緋鯉をするすると揚げる。 山の木々がせり出すように成長し、我が家の鯉はちょっと泳ぐと枝にからまり、揚々と泳ぐというわけには行かなくなった。 きらきら輝いていた矢ぐるまもすっかりさびて、ゆがんでいる。 それでもやはり、鯉のぼり。 「我が家の子等は元気だぞ」と誇らしい思いで空を見上げる。
「小さい頃、このポールをずーっと登ってみたいと思ってたよ。」 天を見上げたオニイが言った。運動おんちで棒のぼりなんか大の苦手だったオニイなのに。 青葉の木々を突き抜け、天を突き刺す鯉のぼりの爽快さ。 空の青と、日差しのまぶしさが、体調不良でへこむオニイに力を与える。 そして、珍しく落ち込んで、よわよわの母にも・・・。 「登っていきなよ、今なら出来るよ。」 高く、高く、登っていこう。 今日も、明日も。
「・・・で、お母さんの肩こりはどうなの?治った?」 「同病相哀れむ」か、オニイが聞いてくれた。 「あったりまえよ。 お母さんにはここぞというときには自分で治しちゃう特殊能力があるんだぞ。」 ホントにホントに、昨日の肩こりも頭痛も、今朝はうそのように消えている。なんだか、やっていけそうな気がしている。
PTA役員、思いがけない大役をひきあててしもうた。 うう、どうしよう。
小学校家庭訪問。 アユコ、先日のメール事件のことで新事実。もう過去の事件とは思っているが改めてため息。 ゲン、当たり障りのないご挨拶の中にちらほらと先生の気になる言動。 う〜ん、今後、要観察。
オニイ、不調。 先日からおなかの調子が悪く、下痢続き。 過敏性なんとからしい。 原因はストレスか。本人にも思い当たるフシがあるらしい。 「母さんに言ってもどうにもならんことやけど・・・」 はいはい、がんばって乗り越えな。 ところで、トイレにこもるときには予告してくれ。 我が家にはトイレは一個しかないのだ。
そのほかにもお仕事のことや、家族のスケジュールのことなど、頭の痛い問題が山積して、肩こりも限界に達した。 久々にめげている。 ふて寝を決め込んでいたら、寝過ごして、ゲンの剣道を遅刻させてしまうところだった。 再び自己嫌悪。
「何にも用事はないんだけどね。」 煮詰まった気持ちのまま実家に電話。 「たけのこ、あっちこっちからもらっちゃって、今日は筍ご飯よ。」 のんきな母の声に、ふっと気持ちが緩む。 夕飯時の忙しい時間に、穏やかに娘の愚痴に相槌をうち、「まあ、がんばりや。」と笑ってくれる母のありがたさ。 そうだなぁ、それが母なんだなぁ。 受話器を置いて振り返ったら、母の不機嫌に首をかしげている子ども達がいる。 「よ〜し、スパッと気分を変えるぞ。」 こぶしを固め気合を入れてから、ふっくらと甘めの味付けの肉じゃがを煮る。
新たまねぎの甘味は、くたびれたダメ母に優しかった。 なんでもない当たり前の夕餉の一鉢で「元気だそっ」の気持ちを配る。 主婦の台所仕事は地味だけれど、じわりと家族の心を支える力がある。
お昼前、まだ早帰りのアプコを車の後部座席に乗せて、ホームセンターに立ち寄る。ドッグフードの大袋と父さんの仕事用のタッパーウェア、そして特売の花苗をいくつか選ぶ。 野菜苗の棚に、小さなつぼみをたくさん付けたいちご苗がぎっしり入荷したばかり。いちご大好きなアプコは、ウルウルと潤んだ瞳で吸い寄せられてしまった。 「今飲むジュースと、このいちご苗、どっちが欲しい?」 アプコはそこから買い物の間中、考え込んでいたようだけど、ついに目先のジュースより、あとのいちごを選んだ。つぼみのたくさんついていそうなポットを選び、自分でレジまで持っていく。 とてもとても上機嫌だった。
帰りの車中。 「アプコ、暑かったら上着脱いでいいよ。」 「うん、あたし、シャツも着てるから暑いの」 アプコは制服のブラウスの下に必ず肌着のシャツを着る。 実はアプコは少し出べそ。 お着替えのときに友達に見られて「おへそが変」とからかわれるのが嫌で、いつもシャツを手放さないのだ。 「暑かったらシャツは止めたらいいのに。アプコのおへそ、確かにみんなとは違うけど、とってもかわいいおへそなのに・・・」 そう言ったら、後ろから 「かわいいって思うのはお母さんだけでしょ。」 とボソッと切り返された。母、驚愕。
「でもねぇ、アプコ、みんなと違うからって『変だ』って言うのは、からかう方が良くないんじゃないの?アプコはお友達のお目目が変な形だったら『変なお目目ね』っていうの?」 「う〜ん、・・・言う。」 「あ、言っちゃうのか。でも、それ、お母さんいやだな。だったらアプコは、病気でお手手がない人や足が悪くて歩けない人に、『変だ』って言うの?きっと言われた人は悲しいよ?」 「・・・・」 「じゃ、年をとって頭の毛がなくなっちゃった人やお耳が聞こえなくなってしまった人にも『変だ』って言っちゃっていいのかな。」 「・・・・」 アプコ、答えない。 後部座席のチャイルドシートに載せたアプコの表情は運転中の私からはよく見えない。話に飽きて、ほかの事に気が移っちゃったかなと思うほど長い沈黙があって、そしてアプコが言った。 「お母さんって、頭、いいね。」 はい、ありがとう。 お母さんの言いたいことをじっくり考えて答えを出せる、アプコ、あんたもとても頭がいい。
そして、午後。 オニイとアユコ、そしてアプコをつれて習字に出かけた。 車中でオニイが友達のうちへ遊びに行く予定を告げた。聞いたことのない名前だったので、「どんな子?」と聞いたら、今度初めて同じクラスになった子だという。 「ふうん、どのへんのおうちの子?気が合うの?スポーツやってる子?」 日ごろの無愛想で、オニイの友達関係を殆ど把握していない私は、ちょっとしつこくその友達のことを聞いてみた。 「レゴ系?カードゲーム系?それともパソコンつながり?」 畳み掛けるように聞いたので、オニイは受けを狙ったのか一言 「デブ系」 と答えた。 しばし沈黙。
「その言い方どうかと思うなぁ。新しい友達のことを一言で表現するのに『デブ系』ってそれ、なによ。すっごくやな言い方。サイテー!ねぇ、アユコ、どう思う?」 「うん、ひどい」 「君にとってはその子を表現する最初の言葉が『デブ』なの? どんなことに興味がある子か、どんな性格の子かって事を聞いてるのに、その答えが『デブ』なの?ふうん、そうか。 お母さん、がっかりだなぁ、君がそういう言い方をするのは・・・・」 すでに自分の失言に気がついて、慌てふためくオニイをアユコと二人でさらに責める。 「君、誰かが君の事『チビ系』って表現してても平気なわけね。そっか、そっか」 「わ、わ、すみません。失言でした。取り消します。ごめんなさい。」 何度も謝るオニイに、昼間のアプコとの会話のことを話す。 「5歳のアプコが一回で理解できることを、この中学生のお兄さんは判っていないのね。ああ、がっかりだ。君には失望したよ。」 オニイが失言を恥じていることはよく判りつつ、あえてことさらにオニイを責める。何度も何度も恥じて、肝に銘じておいてもらいたいからだ。
容姿のこと、障害のこと。 その人にはどうにも出来ないコンプレックスとなっているような事を平気で口に出せる種類の人間はたくさんいる。 本人にはちっとも相手を傷つけているという自覚はなくて、 「見たまんま、『デブ』なんだからいいじゃん」 と軽い気持ちで言葉の棘を吐く。 私は、本人の面前であれそうでない場合であれ、人の外見上の欠点をはっきり口に出すことに抵抗を感じる。良い、悪いではない。「はしたない」「恥ずかしい」と思う。 その感覚は子ども達にもしっかり持ってもらいたいと思う。 私自身が「デブ」だから、「ブス」だからというだけではない。 自分が経験していない相手の心の痛みを、きちんと我が事として推し量ることの出来る器量を子ども達にはきちんと身に着けておいてもらいたいと思うのだ。
「ふむふむ、これはHPネタだな。」 話の締めくくりに、もう一度、意地悪。 「ごめんなさい、それはやめて・・・」 懇願するオニイに私は首を縦に振らなかった。 「これは大事なことだから、君が今日の失言を忘れないように、ちゃんとお母さんが書き留めておくことにする。」 不用意にこぼした言葉が決して消えないこともある。 そのことをしっかり自分自身の肝に銘じておくために、 あえて我が子の恥を書き留めておく。
「おかあさん、あたしが植えたいちごさん、 お水が欲しいっていってるのかな。 ここのおうちに来てよかったって言ってるのかな。」 幼いアプコには、一鉢のいちご苗の気持ちまで想像することが出来る。 他人の気持ちを思いやるという能力も確かにここにある。 それはとても心強いことなのだ。
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